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2007年1月

2007年1月31日 (水)

中日友好号を讃える歌

  私の家から中国内モンゴルまで飛んで行った鳩について、共同通信社を通じて全国の地方紙に掲載されました。その後、多くの方々から感想をいただきました。

 岡山県の女性はこの鳩を讃えて作詞してくださり、彼女の知合いの方が作曲され、カラオケで歌えるようになってます。なお、作詞してくださった女性は最近亡くなりこの詞は遺作となりました。

       【アジアの伝書鳩】

                         行司侑揮子作詞 八杉 保作曲

1、桜花咲く 日本を

  はぐれ小鳩の一人旅

  波の瀬の瀬に 浮かぶのは

  群馬高崎 我が古巣

2、風に迷って 雨にぬれ

  西へ西へと 日本海

  飛んで 万里の長城を

  越えて来ました 大陸へ

3、優しい人に 拾われて

  羽根を休める 集寧よ

  二千五百キロ 海山を

  飛んで覚えた 中国語

4、三年余月の 日を流し

  時に恋しい 富士の山

  再見なんて 言わないで

  会って下さい 飼い主様

  ああ私は 中日友好号

  クッククック 平和の使者よ

  ああ私は中日友好号

  クッククック アジアの伝書鳩

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2007年1月30日 (火)

維持したいBMI 22

  いつまでも健康でいたいと思うものです。肥満度を表す式に最近BMIということばをよく耳にします。Body Mass Indexの頭文字をとったものです。

 この計算式は【体重(Kg)÷身長(m)÷身長(m)】で出た数値により判定します。数値が18.5~25までが許容範囲といわれ、これ以下だと痩せ過ぎ、これ以上であれば肥満と判定するようです。理想は22といわれてます。

 私の場合71Kg÷1.78m÷1.78m=22.4ですから運良くまあまあです。

 逆に【自分の適正体重を知るには】計算を逆に行うと出てきます。【身長(m)×身長(m)×22】です。計算なさってみてください。私の場合は69.7Kgになります。もう少し痩せたいところです。

 最近メタボリックシンドロームということばもよく耳にします。内蔵脂肪のつき方の目安を知るもので【ウェストでなく、臍の位置の胴回り】を測って男性が85cm、女性が90cmを越えないことを目標とするようです。

 お互いに【BMI 22】をキープしたり、【胴回りを時々測って】少しでも病気になる因子を取除きたいものです。

 よく言われるようにカロリー制限として腹8分や運動不足解消、減塩など薄味の生活習慣を身につけたいものです。

 写真は昨年夏、二度上峠から撮影した浅間山です。5回登頂しました。これからも心身の健康のため、自然と共にいたい。

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2007年1月29日 (月)

情熱の血

   私が生まれた時点で4人の祖父母はすでに他界しており、生涯会うことができませんでした。4人とも江戸時代の安政年間に誕生したのです。この4人の先祖のお陰で私は現在この世に生を授かってるのです。

 20年ほど前に他界した両親が生前説明したところによりますと、父方の祖父と祖母の生まれは互いに400メートル位の比較的近いところで、子供の頃からずっとそこに住んでいました。場所は「原道村」といい、現在の埼玉県大利根町です。二軒の家ともすぐ裏に利根川が流れていて当時は江戸と上州(今の群馬県)倉賀野を結ぶ運搬船の往来で賑わっていました。

 推定、明治の10年前後に祖母も適齢期となり、昔ですから自分の意思でなく、栃木県に嫁ぎ、子供も生まれましたが、しばらくして何とその子供を嫁ぎ先に置いてきて、以前から自分の心の人である祖父と再会し、近所の村人に見つからないよう二人で隠れて裏の利根川に行き、江戸から来た運搬船に乗せてもらって着の身着のままの姿で船頭に最も遠くまでの乗船を頼み、原道村から70キロほど上流に進み、ついに誰も知ってる人のいない倉賀野河岸に辿り着いたのです。

 残してきた子供のことが心配であっても、当時の安宿に仮住まいし、【好きな人と一緒になれた情熱】がエネルギーとなって仕事に精を出し、ついに生まれ故郷の名をとって「原道屋」という金物屋を始めることができたのです。祖母はしばらくしてから栃木に置いてきた「忘れられない子供」と涙の面会をしたとのことですが、大変な心境であったろうと推測してます。

 このようなことから倉賀野で生まれた私の父は「原道屋」を引継ぎ、私はこのお店の子供として生まれました。

 近年、私は祖父母の生まれ故郷である埼玉県原道村に行ってみました。驚いたことに現在でも原道という地名が残っています。原道小学校や原道農協の看板を見て「遠い昔、祖父母が青春を過ごした地」を実感できて感慨無量でした。小学校に行き事情を説明しましたら先生方が卒業者名簿を見せてくださいました。しかし、祖父母の名はありません。安政から明治の初めは時代が古くて寺子屋時代と思われ、原道小学校は開校以前でした。

写真は祖父母が辿り着いた現在の倉賀野河岸跡です。

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2007年1月28日 (日)

もうすぐ咲きそう君子蘭

  写真は一ヶ月ほど前、隣のT野さんに頂いた君子蘭です。T野さんはたくさんの植物を庭や室内に育てておられます。頂いてから私は大きさに合った植木鉢を用意し、鹿沼土を敷き詰めた上に観葉植物用の土を入れて植え替えました。その後、見る見るうちに成長し、廊下の陽だまりのところで日光を十分に浴びてます。

 年末に頂いたので、その時は花芽がありませんでしたが、廊下の気温が温かいせいか、中心部から大豆大の蕾がたくさん出てきたときは感動しました。花芽の茎は2本です。

 君子蘭の原産地を調べましたら南アフリカの雨の少ない樹林地帯で、高貴な花のイメージからその名がついたようです。私としては初めてこの植物を咲かせるのでどんな花に開花するか楽しみです。

 このような植物も動物の子も、もちろん人間の子供たちも日々変わって行く成長こそ楽しいものです。それには環境を整えてあげ、具合が悪くならないよう適温にしてあげたり、乾燥しないように水を与えたりしてつねに見守ってやりたいものです。

 君子蘭が咲きましたらご覧いただく予定です。この他、庭にはシャクナゲ、花梅、しだれ桃など花木が植えてありますので、3月4月の花の季節になりましたらブログを通じてご鑑賞いただきたいと思っています。

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2007年1月27日 (土)

寂しくとも充実した朝食

  「娘と私」以前にこのような題名のNHK朝ドラがありました。今の我が家が正にその通りです。娘はウェディングプランナーとして仕事についてます。仕事の性質上、勤務時間が長く朝7時40分に家を出て、帰宅は午後11時頃です。しかも、土日や祝日は結婚式があり仕事のまとめの日となります。最近になって仕事に慣れてきたように思えます。

 新郎新婦の幸せを願い、人生の門出となる結婚式が思い出深いものになるため、誠心誠意お手伝いする仕事はいい仕事と思います。私が見る限り、これは娘にとって適してるように見えますし、同時に上司や同僚の方々にも恵まれ本当に良かったと思っています。

 一方、私は家事全般を一手に引き受けてます。掃除、洗濯、買出し、雑用です。中でも大切なことは三度三度の食事の準備と後片付けです。「今日は何にしようか」ということは栄養の偏りや味のマンネリ化を防ぐためにすごく大切です。食事はほとんど一人ですので、もう三年以上ですからこれが当たり前の生活になってます。

 今朝、いい所に行ってきました。車で10分位のところに写真のような場所がありまして、6時に家を出て6階の展望風呂に入り、赤城・榛名など朝日に輝く群馬の山々を眺めながらのお風呂です。その後、バイキングの食事となり「ひとり寂しい朝食」でもあっても充実した一日の始まりとなりました。

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2007年1月26日 (金)

ああ~いい景色

  本日は高気圧に覆われ快晴でしたので、青い空を見ましたらなんだか新鮮な空気を吸いたくなりました。日本の名湯「伊香保温泉」に行き「伊香保ロープウェイ」に乗りました。このような乗り物はいつになっても子供の時のように楽しいものです。ロープウェイはぐんぐん高さを増して次第に景色も大きくなり見晴台駅に着きました。ここは伊香保スケートリンクの入り口でもあります。

 ここでは今週末から「ファイト群馬国体」が始りますので、各都道府県の選手たちが直前の練習に来ていました。この期間ロープウェイは無料となり、私も運良く往復ただで乗れました。見晴台駅を下車してから左に5分ほど歩いて行きましたら群馬でも最高の眺めと思われる見晴台に着きました。うわ~と思わずため息!

 幸運にも今日は雲一つなく谷川岳をはじめとする上越国境の山々、武尊山、日光白根山、赤城山などの白銀が手に取るように迫っていました。ここはまさに群馬の別天地でしょう。澄んだ空と絶景をひとり満喫しながらその雄大さにしばし見とれていました。

 このような大自然を目前にすると、人間の存在など比較にならないぞと言わんばかりに、太古の造山運動以来変わらぬ姿を持ち続け、今後も幾万年という時空を越えて変わらぬ姿を続けて行く白銀の山々に畏敬の念を感じざるをえません。

 大自然とは比較にならない短い時間の中で私たちは人生に何を求めているのでしょう。    

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2007年1月25日 (木)

感動

  先日、夜中にAMラジオで海外の日本語放送を聞こうと思い、何気なく選局しましたら途端に聞き覚えのある声が耳に入ってきました。遠く海外から電波に乗ったその声は、私が高崎商業吹奏楽部顧問時代に教えたSめぐみさんです。

 以前に地元の新聞に彼女が北京国際放送局のアナウンサーになる記事が掲載されましたので、そのことは知ってましたが、実際に海外からの電波に乗った学生時代と変わらぬ懐かしい声を耳にした瞬間は、驚きとともに彼女の生き方と立派さでただただ感動でした。

 番組では、中国にいる日本人向けに北京を旅行中に物を紛失した場合には、すぐ公安委員会に相談するのがいいことや、中国の民俗音楽を流していました。

 環境の異なる北京では一人で生活することでさえ大変でしょう。学生時代、明けても暮れても吹奏楽の練習に没頭した集中力と、音楽会を成功させる強い意思、トロンボーンを通じての自己表現力とが彼女の生き方につながり、それが海外でのアナウンサーという職業に結実してるなら望外の喜びです。私もSめぐみさんを見習い新しい生き方へ脱却したい。

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2007年1月24日 (水)

海を渡った中日友好号

  長いこと鳩を飼ってますと驚くことがあります。飼育してた1羽の鳩が私の家から中国内モンゴルまで飛んで行ってしまいました。

 実は年老いた私の両親が寝たきりになってしまった頃、そのため鳩の飼育が困難となり一時的に鳩舎を壊して、飼っていた数羽の鳩を友人に託しました。

 その後、その中の1羽が生まれ故郷の私の家に戻ったと思われるのです。しかし、古巣の鳩舎がありません。鳩にとっては「さあ大変」、気が動転してか、あるいは帰巣本能がショックによって狂ってしまったのか、西へ西へと飛び続け、とうとう日本海を渡って遥か中国内モンゴルまで飛んで行ってしまったのです。

 ある日、仕事から帰りましたら1通の手紙が内モンゴルと思われる消印で届いてるのです。開封してみますと漢字だけの文章です。内容についてなかなか理解できません。成績と言う字がありました。鳩という文字はありません。何のことかさっぱり分かりませんで県の国際交流課に訳していただき意味がわかりました。鳩に相当する文字がありましたが、中国語では鳩と言う漢字でなく、もっと画数の多い文字です。

 その結果、私の鳩がそちらでお世話していただいてることが分かりました。なぜ、先方の方に「その鳩が私の鳩である」ということが分かったかと言いますと、鳩が生まれたとき住所と氏名を彫った脚環をその鳩の足にはめておいたからです。漢字のため理解してもらえて運が良かったです。

 その後、お世話になってる内モンゴル集寧在住の「張宝昆さん」と手紙による交流を続け、ついに、私は夏休みに現地を訪問し「愛鳩」と劇的な再会を果たすことができました。鳩を手に取り「どうしてこんな遠くまで飛んで来たのか」と優しく抱き、口笛を吹きましたら「私の顔を見て懐かしそうな反応を示しました」子鳩の時から聞いていた口笛の音色を思い出したのかもしれません。【涙】

 「中日友好号」と命名したこの鳩のお陰で、内モンゴルの方々と親しく交流でき、歴史的な旅行となりました。有意義であったこの旅行についてはまたいつか述べたいと思います。

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2007年1月23日 (火)

ある愛の詩

P1040791_2   自己表現の一つにソプラノサックスを吹きます。今まではアルトサックス中心で3本ほど買い換えましたが、最後に落着いたのは写真のようにセルマー金メッキソプラノです。メッキの分に重いですからストラップで吊るして吹きます。

 私は男性の声域のため、心の底では対照的な高音域での表現に魅力を感じていたのです。ご存知のようにこの楽器は歴史的に新しく、音色や表現に幅があります。人の声にも近いように感じます。効果的なビブラートが伴なえば聴き手を魅了する楽器と思っています。

 結婚式に招待されますと、職業柄、スピーチを依頼されることが多いです。そのときこそ、このソプラノサキソフォーンの出番で、スピーチは短めにして「愛の賛歌」「悲しき天使」「ゴッドファーザー愛のテーマ」「シバの女王」「いい日旅立ち」「ある愛の詩」などマイクを通して吹きますと音がよく透ります。

 結婚式からしばらく経過して「スピーチの内容は忘れても、演奏した音楽は覚えていてくれるものです。」

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2007年1月22日 (月)

優れもの

 写真、左上の白い辞典は和英辞典、中央上は英和辞典、その右はQuicktionary、下左は日米口語辞典、中央下はアメリカ口語辞典、その右は英国レース鳩月刊誌です。

 どれも私には価値あるものです。中でもQuicktionaryは秘密兵器で、英文を読んでいて不明な単語に出合ったら、先端でその単語を左から右になぞれば、瞬時に意味と発音記号が表示され、しかもネイティブ女性の声で何度でも発音してくれる優れものです。アルファベットを打ち込む必要はありません。

 二つの口語辞典は口語的表現がたくさん載っていて読み物として楽しいです。日本語を勉強してる外国の方が面白がる本です。鳩月刊誌は毎月イギリスから送られてきますので、内容は私の趣味にとってのヨーロッパ最新ニュースです。使用されてる英語はthe Queen's Englishです。

  いつになっても英語は難しいと思います。でも「自分に言いたいことがある」ということも大切と思ってます。

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2007年1月21日 (日)

発信型でいきたい

  ピアノを始めたのは比較的遅く高校二年です。家にピアノもオルガンもありませんでしたので、学校で練習しました。本来ならば中学生の頃から始めれば良かったのでしょうけれど、その時はバスケットボールに明け暮れました。

 今まで最も回数多く弾いた曲は「ショパンのノクターン第1番」でしょう。どう言う訳かメロディーが私の気持ちにしっくりくるのです。第2番は余りにも有名ですが、断然、この第1番に惹かれます。初めはこんな模様のような音符の曲が果たして弾けるかと弱気になりました。左手と右手がきちんと合わない楽譜で、左右別々に弾き進み集合地点で合わせるのです。左手の動きはオクターブ以内に留まらず、中指をコンパスの針のようにしてハープの音のようなオクターブを越えた広い分散和音になってます。これはショパン独特の伴奏の動きで、指で弾くというより左の腕を柔軟に動かすものです。しかも、調性は変ロ短調でフラットが5個もついてます。でも人間とは不思議なもので慣れると黒鍵が多くてもその動きに身体も覚えんですね。まだ、余りお聴きになってない方には、ぜひお薦めの1曲です。

 今までこの曲は自分の結婚披露宴や父の告別式などで弾きました。現在、自宅で行ってる演奏会では定番曲となってます。何回弾いても飽きがこないのは、まるで、乗れば乗るほど味の出るいすず117クーペのようか。おっと車に行っちゃった。

 これからもピアノを媒介にして私の喜怒哀楽を表現したり、大作曲家の音楽の一端に触れてみたい。

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2007年1月20日 (土)

私の決心

     私には娘が2人います。長女は横浜に嫁ぎましたので、現在、次女と2人暮らしです。次女はウェディングプランナーとして仕事にいきいきしてます。職場ではきっと素晴らしい上司や同僚に恵まれ、これから結婚しようとするカップルたちにとって思い出深い結婚式実現のため誠心誠意のプランを提供してるのでしょう。

 私は3年前に妻を亡くし、これは同時に娘たちにとって若くして母と永遠の別れをしたのです。娘たちは人生で初めて経験したどんなにか悲しく辛い気持ちであるかは父の私ですら計り知れません。私も辛いですが、娘たちは私よりきっと深い悲しみでしょう。

 【それ以来、私は決心しました。】これ以上、娘たちを辛い悲しい思いにさせてはいけないと。いかにしたら彼女たちの孤独感を軽減できるか、そればかり考える日々にしました。

 その一つは厳しい現実であっても、その日あった事など中心に、私の方から努めて会話するということにしました。それであっても父と娘では、きっと母との対応とは違って気持ちの行き違いが日々生じます。

 ある日のこと、次女は急に犬を飼いたいと言い出しました。私としてはすでにレース鳩を100羽以上飼育してる上に、これ以上、動物の飼育は無理と感じてましたので賛成はできませんでした。

 ある彼女の休日、何気ない話をしているうちに結局、埼玉の柴犬専門の犬舎に2人で見学に行ってしまいました。その日は見て帰ってきただけで、暫く犬のことは話題になりませんでした。

 やはり父と娘の日々は何かと摩擦もあり、私は【決心したこと】を思い出し、ある日、娘に内緒でその犬舎に出向き1頭の柴犬の雄を導入してきました。

 その日以来、娘に悲しい顔は見られなくなりました。犬の名前は【ころ】です。

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2007年1月19日 (金)

初めて描いた油絵

 小学生の頃は絵を描きに近くのお寺に行って友達と写生を楽しみました。紅葉した大きなイチョウの木を描いたり、また、田んぼに行って上毛三山の一つ裾野の長い榛名山を描きました。しかし、その後はバスケットボールに夢中になり芸術からは遠ざかりました。でも、そのお陰で身長は伸びたようです。

 絵はその後、暫くの間ご無沙汰してましたが、インド滞在中、ガンジス川に比較的近くて私の住まいから5分位の所にあった【ヴィクトリア・メモリアル】という大理石の大きな建造物の堂々とした力強さ、美しさ、神秘性を感じ、ついに日曜日キャンバスを持って恥じを偲んで境内の芝生の上で描き始めました。この建物はヴィクトリア時代の記念建造物です。

P1010857  ここはカルカッタの人々の憩いの場とあって、恋人や家族連れがゆったりと寛いでいるではありませんか。描き始めた私の後ろには瞬く間に黒山の人だかりができ、皆、興味津々に何やら言いながら見ていていつまでも離れないのです。日本では描いたことがなく、生まれて初めてここで油絵を描いているのに、このような状況となり、そこから逃げ出せなくなりました。彼らは私がインド人でないことは分かっていて珍しかったのでしょう。筆を動かす度ごとにベンガル語があちこちから聞えてくるのです。自信のない私の手は困り果てました。でも、大方が出来上がるまで精神的重圧を我慢し2時間ほど続けました。

 私の2人の娘は生まれてこのかたずっと家に飾ってあるこの絵を見ています。近年、次女は学校の研修旅行でついにカルカッタを訪問し、彼女の目でこの「ヴィクトリア・メモリアル」を見てきました。父が青年時代を過ごした「異郷の地」に立った時、娘の気持ちはどのように映り揺れ動いたのでしょうか。

 高崎駅前の「どんどん」に2人で行った時にでもゆっくり聞いてみたい。生涯でたった一枚描いた油絵は私の宝となって、今でもピアノのすぐ近くに飾ってあります。

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2007年1月18日 (木)

大好きだった117クーペ

4940   私は25年間いすず117クーペに乗っていました。【いちいちなな】と呼ばれるこの車を新車で購入し動かなくなるまで乗りました。その距離なんと26万キロ、地球6周半です。いくら乗っても飽きがこないどころか、乗れば乗るほど味が出る車で、最後に乗った頃は、交差点のはるか手前で私は信号待ちしていたのですが、隣の車線で運転なさってる方が驚いたような顔つきで珍しそうに、ずっとこちらの117クーペを見ていました。そのため、そちらの車線の後続車が渋滞になりましたが、その方は30秒ほどして気がつき前進して行きました。

 どの職場でも仕事ではいいことばかりはありません。私も朝起きて仕事に行くのが憂鬱な時もありました。しかし、とりあえず楽しい117に乗れるのでそのまま職場に行ってしまうのです。ですから、【この車は弱気な私を前向きにさせてくれた車でした。】涙涙涙・・・・

 その意味で、117は私の精神面にとっても、かけがえのない銘車で、多くの知人の方々が「この間、あそこの道を通ったね」と言ってくれたことも度々で、皆さん目に留めて下さいました。

 この車に午前3時頃、たくさんのレース鳩を積んで関越自動車道を北に突っ走り、関越トンネルを通り抜け、新潟県へ訓練に行ったことも度々で、帰りはそのまま職場に行きました。その間、鳩たちは急峻な谷川岳の峰々を飛び越え、我が家に向っていたのです。好きなことをして職場に向かいストレスは軽減され、その甲斐あって酒田300K鳩レースで優勝できました。その晩のお酒は格別で117クーぺに感謝、感謝、感謝でした。

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2007年1月17日 (水)

英文勉強に最適

 一つ楽しみが増えました。私は英語がそれほど得意ではありませんが、高校時代から好きでした。こんなこともあって最初の就職がインド・カルカッタ【現・コルカタ】日本人学校の勤務に結びつきました。

 このブログは一瞬にして英文になります。このようになるとは夢のまた夢のようです。今でも語彙を増やすため日々いろいろ工夫してますが、なかなか脳裏に焼きついてくれません。この翻訳によって私の頭が柔軟になればと思っています。二つの言語が頭の中で対等になってくれることを願ってます。

 ※ワンクリックで英文になります。戻るをダブルクリックで日本語になります。

 利根の流れのように前に進んでいきたい。  

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2007年1月16日 (火)

今朝の舎外訓練

 今朝はかなり寒いですが、7時に出舎させました。猛禽がいるせいでしょう、スピードがあります。9時ころまで高崎上空を飛んでくれればいいのですが、頑張ってもらいたいです。

飼い主は空を飛ぶことはできません。生まれて一年も経過してない鳩たちがもうすぐ一週間後に福島県白河市から我が家に向って自力で飛んで来るのです。素晴らしい成長に驚くと共にレース鳩の帰巣本能の神秘を感じます。

 一方、飼い主の私はどうでしょう。いつも弱音を吐いてます。鳩たちは我が家で卵から孵って50日くらいでこのように大空を飛ぶ力を身に付けてるのに、いったい私は何が進歩してるのだろうか。そうだ、鳩の努力を見習い今日は「テンペスト」に挑もう。

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2007年1月15日 (月)

友人の方々

私は職業柄、幸せにも多くの方々と知り合いになれました。特にレース鳩を通じで知合いになれたり、お会いした全国の友人は次の方々です。

はとさん、アルカディアさん、ピジョンクレージーさん、名前のない鳩さん、皇龍葵号さん、たぶん弟さん、浅間山さん、常念の麓さん、スバルさん、シャーリーさん、マゴコさん、takaさん、ミストラルさん、ムニエルさん、山ちゃんさん、おんたけさん、甲斐源氏さん、やまさん、中古車市場さん、Jan Aarden愛好家さん、大masaさん、H田さん、北海丸さん、Fragrant Mountainさん、Samuel Todさん、愛鷹山さん、高塚さん、張宝昆さん、ジャンボのパイロットさんたちです。

 この他、多くの方々とこれからお会いしたいと思っています。今後、ますます交流の輪を広げ、鳩を飼育する喜び及び鳩レースの研究、音楽の喜び、お酒の楽しさ、山登りの素晴らしさなど生きる喜びを皆様と共有していきたいと思っています。

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鳩にも早熟あり

 この鳩の兄弟はオランダのブルッへマン鳩舎で生まれ、スペインのバルセロナ~オランダ間1248キロ国際レースにおいて参加羽数24139羽中28位です。また、この鳩の母親は「スーパーイヤリング」と命名されていてオランダのニコ・フォルケンス鳩舎で生まれ1才でモントバーン~オランダ994キロを5711羽中総合優勝しています。

 私の鳩舎にいるこの鳩から稚内~高崎間1000キロレースで当日帰還する子孫が出ることを目標にしています。

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2007年1月14日 (日)

レース鳩の訓練

  レース 鳩を北海道などの遠方から帰還させるには基礎訓練が大切です。時々鳩たちを籠に詰めて10キロから30キロ位の場所まで車で運んで1時間ほど休ませてから我が家に向けて放します。途中、猛禽類の急襲に遭うこともあり、自然界で起こる人間には分からないところで鳩たちは苦難の飛行を続け自分の巣に戻るのです。【涙】

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ピアノの練習

 私はレース鳩を飼育している一方、17歳からピアノを始めました。ピアノは感情と身体が結びつくので、姿勢をよくして弾けば健康にもいいと思っています。現在、練習してる曲はテンペスト1楽章、ノクターン1番、遺作ノクターン、スペインの歌などです。

 時々、土曜日の午後にはお聴きしたい方にはボランティアで演奏しています。今年も新たな曲に挑戦したいと思います。アンコールがあれば映画音楽などポピュラーも弾いてます。

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はじめまして

本日からブログを新規開設しました。毎日の楽しみが一つ増えましたので日々感じたことを綴っていきたいと思います。

下記の掲示板にも訪問してください。
ttp://hp.jpdo.com/cgi041/255/joyful.cgi

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レース鳩とピアノ

初めての日記

 パソコンは得意ではありませんが、ブログを立ち上げました。遊びにいらしてください。 

 この写真はイギリスのレース鳩月刊誌「ピクトリアル」の表紙に掲載された時のものです。

 世界57ヵ国のレース鳩愛好者が購読してるとのことで、オーストラリアの方から私の友人【アルカディアさん】にファックスが届いて「この日本人を知ってるか」と訊ねたそうです。偶然、私はアルカディアさんとは親しい間柄です。アルカディアさんは「知ってるどころではない。飲み仲間だ」と答えたそうです。

 趣味はピアノ演奏も行ないます。今後、ホームコンサートを目標に練習します。ショパンの「ノクターン1番」戦場のピアニストで有名な「遺作ノクターン」が好きです。お酒が入れば映画音楽や歌謡曲も弾きます。

下記の掲示板にも訪問してください。

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