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2007年1月29日 (月)

情熱の血

   私が生まれた時点で4人の祖父母はすでに他界しており、生涯会うことができませんでした。4人とも江戸時代の安政年間に誕生したのです。この4人の先祖のお陰で私は現在この世に生を授かってるのです。

 20年ほど前に他界した両親が生前説明したところによりますと、父方の祖父と祖母の生まれは互いに400メートル位の比較的近いところで、子供の頃からずっとそこに住んでいました。場所は「原道村」といい、現在の埼玉県大利根町です。二軒の家ともすぐ裏に利根川が流れていて当時は江戸と上州(今の群馬県)倉賀野を結ぶ運搬船の往来で賑わっていました。

 推定、明治の10年前後に祖母も適齢期となり、昔ですから自分の意思でなく、栃木県に嫁ぎ、子供も生まれましたが、しばらくして何とその子供を嫁ぎ先に置いてきて、以前から自分の心の人である祖父と再会し、近所の村人に見つからないよう二人で隠れて裏の利根川に行き、江戸から来た運搬船に乗せてもらって着の身着のままの姿で船頭に最も遠くまでの乗船を頼み、原道村から70キロほど上流に進み、ついに誰も知ってる人のいない倉賀野河岸に辿り着いたのです。

 残してきた子供のことが心配であっても、当時の安宿に仮住まいし、【好きな人と一緒になれた情熱】がエネルギーとなって仕事に精を出し、ついに生まれ故郷の名をとって「原道屋」という金物屋を始めることができたのです。祖母はしばらくしてから栃木に置いてきた「忘れられない子供」と涙の面会をしたとのことですが、大変な心境であったろうと推測してます。

 このようなことから倉賀野で生まれた私の父は「原道屋」を引継ぎ、私はこのお店の子供として生まれました。

 近年、私は祖父母の生まれ故郷である埼玉県原道村に行ってみました。驚いたことに現在でも原道という地名が残っています。原道小学校や原道農協の看板を見て「遠い昔、祖父母が青春を過ごした地」を実感できて感慨無量でした。小学校に行き事情を説明しましたら先生方が卒業者名簿を見せてくださいました。しかし、祖父母の名はありません。安政から明治の初めは時代が古くて寺子屋時代と思われ、原道小学校は開校以前でした。

写真は祖父母が辿り着いた現在の倉賀野河岸跡です。

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