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2007年2月

2007年2月28日 (水)

必要に迫られてるかどうか

 若いときのインド滞在が外国人のホームステイ受入に結びつきました。今までに受け入れた方々は、アメリカ人、ニュージーランド人、中国人、インド人です。この他、ホームステイでなくても家に来て交流いただいた方々はヴェトナム人、エジプト人、中国人、イギリス人、韓国人、アイルランド人です。

 アメリカ・オレゴン州の方は高崎商業吹奏楽部の練習を聴きに来ていただき、アメリカ人作曲家の作品演奏後、部員に感想を述べられました。また、別のアメリカ人の方には校内アンサンブル演奏会を鑑賞され講評をいただき音楽を通じて中身のある交流ができました。

 同様に前橋高校吹奏楽部では草津で行なった夏の合宿にアメリカ・ミシガン州の方に参加していただき、音楽や食事を通して部員たちと共同生活する機会がありました。インドの青年は普通の授業に参加され、歓迎として私のビアノによるインド国歌演奏後、祖国について詳しく説明されました。このとき生徒さんが英語でインドについて質問したには流石と思いました。また、ニュージーランドからの交換留学生3人には年間を通して日本語の授業を行なったことがありきす。これは生徒さんも真剣ですが、私にとっていい英語の勉強になりました。

 今でも年間1~2度ほどですが、娘の大学の時のヴェトナム人の友人Mr.Tが来られます。私も交流しますが驚きます。英語も上手ですが、素晴らしい日本語能力をお持ちだからです。彼は現在でもヴェトナム政府高官が来日したときや、裁判所などで通訳として活躍しておられます。語学の才能とは、それが必要に迫られてるかどうかなのでしょう。

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2007年2月27日 (火)

子供に伝えておきたい先祖のこと

 私の住んでる倉賀野町には古墳群があります。現在6山が確認できます。昔はもっとたくさんあったといわれてます。また、この町には自然の山がありません。全くの平野です。5~6世紀といわれる時代に、これらの古墳群を作るに必要な多量の土は一体どこから運んだのかと思いをめぐらします。

 子供の頃から倉賀野町の地形に不思議に感じてることがあります。それは町の中央に位置する仲町と下町の間、一帯の土地が低いのです。深さは7~8メートルくらいでしようか。かなり広い面積です。生まれた土地ですからそのような地形であっても当たり前でしたが、近年なぜ低いのかと考えるようになりました。ここ以外の土地にも上町の西南一帯に低い土地が広がってます。

 近くに山がありませんので、多くの古墳に必要な土は、もしかして、これら一帯を掘って作ったのではないかと思うようになりました。しかし、そのような言い伝えも無く文献も見当たりません。

 このように大昔のことは多くについて分からないのが実状でしょうから、いろいろ自分なりに想像するのも楽しいことです。

 ところで、もっと身近な自分の先祖についても曾おじいさん曾おばあさん合計8人が、どんな人であったかや、名前すら知らないものです。皆さんはいかがですか。私の場合、生まれた時すでに祖父母の4人が他界後でありましたので、おじいさんおばあさんに接したことはありません。

 現在、両親もすでにいませんので先祖の名前については戸籍謄本で分かる範囲です。親に書き記してもらった多少の系図や言い伝えを思い出して、娘たちに分かってる範囲の確かなことを書き記し伝えておきたいものです。

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2007年2月26日 (月)

断崖絶壁

Photo【長野県側から見た荒船山】

  群馬・長野県境に位置するこの山は荒船山1422.5メートルです。群馬県側から見た形が荒海に漂う巨大な船のようで名まえの由来です。日本では珍しいテーブルマウンテンです。写真のように長野県側から見ると船底のようにも見えます。

 全体像を眺めて想像しますと、おそらく数百万年前に侵食によって回りが崩落後退し、現在の岩が残ったとたと考えられます。この差は目測200メートルほどで断崖絶壁を形成してます。

P1030139 【群馬県側から見た荒船山】

 群馬県側の遠望は上が平らで、正しく荒海の中に浮かぶ一隻の舟のように見えます。子供の頃から西南の方角に牛の背のように上が平らな山があると感じてました。

Photo_2 【荒船山山頂より下界の眺め】

 群馬の断崖絶壁で私が近づいた山は、この荒船山の艫岩(船尾の意味)の他に、浅間山登頂で見た火口の垂直な断崖で、これもおそらく200メートルくらいでしょう。

Ecohike031b また、ヘリコプターで谷川岳一の倉沢の麓から切り立った岩肌すれすれに上昇したことです。谷川岳はアルカディアさんお馴染みの天神平から長女と尾根伝いに登ったこともあります。

 数年前にこの荒船山へは亡き妻と登頂したことがあります。景色が良くて物見山や雄大な浅間山がすぐ近くに見えました。艫岩の上で自然を満喫し昼食をとったことが思い出されます。

 最後に妻と行ったのは上越国境の平標山山頂です。帰路にお花畑を歩いていたら猿の大群が現れ、ふたりで石を叩きながら追いやった思い出があります。

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2007年2月25日 (日)

神秘な国 

青春時代、インドに暮らしてたことは、一日として忘れることはありません。

 夏休みが5月であったり、セミが冬に鳴いたり、18度くらいになるとインドの方は寒いと言って焚き火をしました。

 大道芸人が笛を吹きながらのコブラの踊り、太鼓を叩きながらの猿回しに人だかりができたり、道には露天商人がたくさん並んでいます。定価がついてないので言値に対し値切って買うのです。また、どこへ行っても乞食のような人がいて、バクシー(お金を下さい)と言ってついて来ました。

 中でも最も驚いたことは、手足が根元からない人が歩道にいて仰向けの身体をくねらせながら移動してるのです。通行人にお金を入れてもらう缶を短い腕に挟んでる光景には驚きの他はありません。着てる衣服の背中は擦り切れてるようで、そばに誰もいなく身内がいないのでしょうか。急に雨が降ってきたらどうするのでしょう。気温は暑いのです。

 ある日曜日、カルカッタを散策中、ジャイナ寺院の前で30人位が輪になってる人だかりができていました。何やら物凄い甲高いキャーという悲鳴のような声がしてました。何だろうと思って覗いてみましたら今まさにヤギが殺されるところで、Y字型をした杭に首を挟み2人の人が足を引っ張り、一人が大きな鎌で首を切り落とす直前でした。見物人一斉の掛け声とともに鎌は振り落とされ、流れ出る血液を洗面器に取り神に捧げました。生臭い匂いで暫くはその光景が忘れられませんでした。法律では禁止されてるそうです。私たちにとって目に余ることも、大昔から行なわれてきた宗教行事なのでしょう。

 今回は、あまりいい風習、宗教を書きませんでしたが、インドはどこまでも広大で青い空、マンゴー、ザボン、椰子の実などの果物が豊富です。暑い国であっても雪が降る地方もあるので一言で言えないのがこの国でしょう。今やインドは経済やITでは大躍進を遂げてます。

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2007年2月24日 (土)

歴史的建造物

 私がかつて勤務していた職場の比較的近くに位置する富岡製糸場は世界遺産暫定リストとして国内で決定されました。現在、内部の見学会が盛んに行なわれてます。本日は土曜日とあって多くの見学者が訪れていました。

 明治政府はフランス人ブリューナーを首長に迎え、水や石炭などこれらの確保に便利な条件をクリアーした富岡を適地と決め建設に着手し、明治5年、操業を開始たと伝えています。

 操業開始以来130年経過しても、この巨大な建造物は当時のまま近代産業の雄姿を今に伝えています。柱や梁に太い木材が骨組みとして使われる一方、外壁はレンガです。昨日書きました碓氷峠のめがね橋もレンガ造りですが、近代日本の黎明期はレンガが多くの建築物の基盤として重要であったと感じました。

 ここ富岡製糸場で生産された生糸が横浜港から諸外国に輸出されたのですから、日本が近代国家へ進んで行く上で、ここは重要な産業施設であったことがわかります。

 本日も多くの見学者が訪れ、案内人による解説も聞くことができました。中庭の一角にテントによる出店があり、来訪者に当地の産物を販売したり、温かい食べ物のもてなしもありました。

 たまたま、私の鳩友ピジョンクレージーさんも専門の梅に関する商品で出店され、私は梅の酢を購入しました。

 日本には神社仏閣を中心に優れた建造物がたくさん知られていますが、富岡製糸場のように高さ11メートル木骨レンガ造による歴史的巨大産業施設も世界遺産として十分価値あるものと思いました。

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2007年2月23日 (金)

碓氷峠の散策

Myougi20046   久しぶりに娘が休日でしたので、峠の湯に行こうということになり正午前に家を出て、目的地の坂本宿まで、途中、裏妙義の丁須岩の絶景を眺めながら1時間のドライブでした。

 この地は山岳地帯で碓氷峠といわれ、明治時代から昭和30年台まで急勾配により鉄道輸送が普通の機関車では登れないため、アプト式を採用したので有名です。場所は信越線の横川駅と軽井沢駅間です。このアプト式とは急斜面を運転するのに車両下の歯車と、地上のレール内に設置してある歯止めとをかみ合わせて走る鉄道で、スイス人のAptさんによる発明と言われます。そう言えばスイスには山岳鉄道が走っており昔から急勾配車両の研究がなされていたのでしょう。

 昔、私もこの碓氷峠の鉄道に乗りました。トンネルが26個あったのを数えたものです。アプト式の歯車の音が下からガチャガチャ聞こえました。

P1020136  その鉄道が写真のようなレンガ造りの橋脚の上を蒸気機関車とアプト専門の機関車が二重連、三重連してトンネルを出て、すぐにこの橋を渡るのですから壮観だったのです。鉄道写真家にとってはため息が出たことでしょう。

 この橋はめがね橋の愛称でこれからも保存されるでしょう。こちらはイギリス人の設計によるもので、現在のような建設機械が無い時代ですから、多数の労働者の作業は想像外であったと想われます。トンネル内もレンガ造りです。3ヶ月ほど前、友人のサミュエル・トッドさんとトンネル内を歩いてめがね橋まで行ったことがあります。

P1020141  今回は、この近くに近年開業した峠の湯に行きました。建物でカトマンズの寺院を連想させるものです。たぶん設計の方がここが碓氷峠の山岳なのでそれを意識して作られたのではないかと直感しました。周囲の山並みが絶景でここの露天風呂はお薦めです。その後、娘と食堂で昼食をとりました。私は懐かしい「すいとん定食」にしました。

 このようなことは久しぶりで、娘との碓氷峠行きは私にとってもずっと忘れないでしょう。

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2007年2月22日 (木)

思いのまま

引続き花梅をご観賞ください。写真左は一本の梅ですが、ピンクと白に咲き分けてます。どうしてこのようになるのか不思議です。接いだ様子はありません。よく見ると一本の枝に一花ごとにピンクと白が交互に咲いてる枝もあります。名前が洒落ていて「思いのまま」という品種です。わが人生はなかなかこのようにはなりません。

 中央の写真は情熱的な赤で「鹿児島」という品種です。遠方から見ると存在感をアピールしてるようです。これは比較的こじんまりと剪定しましたが、同じ品種で大きいものも咲いてます。目立ちがりやなのでしょうか。

 右はカッキー梅林(仮称)全体を撮ってみました。庭の前が道で皆さんが通りながらご観賞いただけますように塀を低くくしてあります。真ん中に緑で高い建物が鳩舎です。この写真を撮った時は舎外運動中でどこかへ遠征に行ってしまい、飛んでる様子が見えません。この次は岩手県日詰から400K飛んで来るのです。どんどん遠征して調子を上げてほしいものです。飼い主は度々「どんどん」に遠征します。

 これからの季節いろいろ開花しますので楽しみです。何といっても大きなしだれ桃は見ごたえがあり、4月中旬に行なわれる近所の方々とのBYOB花見の会が今から楽しみです。

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2007年2月21日 (水)

カッキー梅林(爆)

 雨水も過ぎて暖かくなってきました。庭の7本の花梅が一斉に咲き出しましたので、ちょっとした梅林です。本日は3本をご覧ください。

 写真左は平成元年頃、華やかな紅梅を仲間に入れたくて植えました。中央は薄いピンクで杏の花に近く落着いた気持ちにさせてくれます。右は優しさが感じられる白梅しだれです。

 ほとんどが埼玉県の花園で購入しました。私が花木を手に入れるときの決まりは「花が咲いたときに花の大きさや色を確認することです。」そして購入するように心がけてます。つぼみのまま買ってくるのも、どんな花が咲くか楽しみではありますが、がっかりすることが度々ありました。「何事もしっかり自分の目で確認する」ことがいいですね。

 これらの梅を手に入れる時はすべて「いすず117クーペ」のトランクに根を入れ枝を束ねて人通りの少ない道30キロを通って家まで運びました。大きくて花もついててかなり目立ちます。運搬中、何となく何かの追跡を恐れるような気持ちになり、何事も無く家に着くとやれやれでした。その甲斐あって毎年色とりどりの花が楽しませてくれます。

 自分だけ楽しんでももったいないので、近くを通る人たちにも観賞いただきたく塀を低くしてあります。

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2007年2月20日 (火)

日本一の大黒様

   群馬では上毛三山の一つに妙義山があります。地質が古くて一般の山と異なり、岩でごつごつしてます。四季それぞれ味わいがあり、ご覧のように独特の景観を呈してます。特に秋は紅葉が見事でお薦めです。

 最近になってこの一角に大きな大黒様が建立され、福徳の神となっています。大きさは日本一といわれています。

 妙義山は大きく三つの峰から成り立っています。白雲山(1104m)、金洞山(1104m)、金鶏山(856m)です。写真左は金洞山です。長い年月の風化・浸食により岩の硬い部分が残り奇岩の山容を呈しています。ここには人がくぐれる石門が5ヶ所ほどあり、その間を鎖につかまって登るのですからスリルがあり、鎖から手を放したら大変なことになります。一般コースには大砲岩という独特の形をした岩があり人気の場所です。勇気ある人はその上で倒立します。真似しないで下さいね。

 大黒様はこの中之岳の一角に金色をして建立され、県内外から多くの方々が訪れます。経済の祈願はもちろん、この一角に野球の神様も奉られてることから、少年野球や高校野球関係者が必勝祈願にお参りする名所になりました。

 ところで、この大黒様の開眼式が昨年4月にありまして、どういう訳か私に白羽の矢が向けられ、ソプラノサックスによる音楽奉納を依頼されました。参列者を前に演奏しました曲は大黒様、さくら、北国の春などです。

 私のこれからにもご利益があればとつい思ってしまいましたが、果たしてどうでしよう。

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2007年2月19日 (月)

ホームコンサート

暖冬と言えども寒くて指がかじかんで練習不足です。今日は二十四節季の雨水です。庭の梅も咲いてようやく春の気配です。それでも、まだまだ「春は名のみの風の寒さや」ですね。

 暫くぶりにホームコンサートを開くことにしました。これからの練習の目標になります。お聴きしたい方と楽しみ、私としては心の入った音作りに挑みます。

 17才からピアノを始めましたので、一般的に考えると遅いですが、Better late than never.と思っています。今の力の10%上の曲を視野に入れ、今後も新たな曲を弾いてみたいです。

 特にショパンの「ノクターン遺作」及び「ノクターン1番」は私の定番です。今の心境に結びつけ寂しさを表現できたらと思います。

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2007年2月18日 (日)

カトマンズの祭り

  学校を卒業するや否やの就職はインド・カルカッタ日本人学校職員でしたので、さあ大変。父は千載一遇のチャンスとばかり賛成、母は私の健康を気遣って猛反対。

 世間知らずのままの海外赴任は180度の環境変化。お金はルピー、言葉はヒンズー語、ベンガル語、英語、毎日40度の猛暑。日本食は無し。太陽は頭上。

 このような環境にあっても滞在2年目となると若さのためでしょうか環境に馴染んでしまい、友人ができたりインド各地への旅行の楽しさも増えて住み心地がよくなりました。買い物もルピーが自然に使えるようになり、だんだん日本のことを忘れ始めました。父母とは月に一度程の手紙による近況報告だけでした。

 高校生の頃、川喜多二郎さんの「ネパール王国探検記」を読んで感銘し、その頃からカトマンズ行の気持ちが強くありました。カルカッタ滞在中に「そうだ!隣国ネパールに行こう」という昔からの夢が蘇ったのです。幸運にも直行便が出ていますので、休暇に行こうとチャンスを狙っていました。

 カルカッタのダムダム空港からカトマンズのトリブーバン空港までは乗ってふわふわするプロペラ機です。広大なヒンドスタン平原からネパール領内に入ると飛行機は小高い山すれすれに飛ぶようになり、すぐ下の山肌が肉眼ではっきり見え、行っても行っても段々畑が広がっています。珍しくてその美しく青々とした光景に見とれていました。しばらく飛行すると高い山に囲まれた盆地のようなところに着陸しました。暑いカルカッタから来ましたのでカトマンズのトリブーバンエアポートは涼しく、まるで夏に軽井沢へ行ったような錯覚になりました。

 カトマンズ滞在中に偶然にも日本の祭りの原型ではないかという山車に出合いました。村人が綱で引き、笛、鐘、太鼓によるお囃子で、音楽も何処となく日本のに似ているような感じです。写真左のように山車の上に日本のどんど焼きを思わせるものを積み重ねており、一番上に人が掴まって乗ってます。山車が前進するたびごとに前後左右に大きく揺れます。

 この光景を見て「日本の山車の起源はどこであるか」思わずにいられませんでした。遠い遠い私たちの祖先の時代にどこかで起源があり、それがカトマンズにも伝承されてるのかもしれません。

インドのオリッサ州プリーという町には太陽の神を奉る古代ヒンズー教の大寺院があり、この寺院の両脇には巨大な車輪を象る彫刻がいくつもあり、あたかも寺院そのものが前進するかの如くの印象を与えます。これを見たとき思わず「日本の山車の起源はこれかな」と直感してしまいました。

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2007年2月17日 (土)

アルカーサル迎賓館

 本日は大安のため結婚式がたくさん執り行われるでしょう。若い2人に永久の幸あれと祈りたいと思います。私の友人アルカディアさんの娘さんが本日、挙式と伺っています。誠におめでとうございます。

 娘が勤務するメモリード・アルカーサル迎賓館では、土日や祝日の挙式は一年後くらいまで予約が入ってるそうです。実は私はここのスタッフの皆さんと飲み友達でときどき「どんどん」でご一緒します。皆さん素晴らしいお人柄で娘にとってはいい職場です。

 これから結婚される若いカップルにとって、アルカーサルはモダンで素晴らしい結婚式場です。友人をたくさん呼んで思い出ある挙式と披露宴ができるでしょう。【ここはお薦めです。】

 いつも感じることですが、披露宴の最後に新郎や新婦が両親に感謝の言葉を述べる場面では、その純粋な気持ちに会場も静まりかえり、拝聴して涙涙になります。あれはぐっと来ますね。

 また、時々来賓の素晴らしいスピーチに出会うことがあります。いつまでも心に残り二人の生き方への指針となります。私もどうにかして感銘的な話ができるようになりたいものです。人生経験を積み重ねて人を惹きつける力を養う必要があるのでしょうか。

 頭の中ではいろいろ考えが浮かんでも、いざ大勢の方々の前でその思いを上手く伝えるのは難しいことです。「テーマを必ず一つに絞り、話しの順序として導入、テーマ、展開、まとめ」にするといいのかなとも思ってます。心に余裕を持ってユーモアも入れたいものです。

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2007年2月16日 (金)

懐かしい憂さ晴らし

 最近、南に聳える西御荷鉾へ行きました。同行した方は前橋高の同僚であり、以前にニュージーランドの高校で日本語を教えておられたSamuel Todさんです。このお名前はハンドルネームです。

 彼は休日の朝、サイクリングで度々群馬の森へ行かれます。ある日、帰りに私の家に立寄られました。急遽、どこかへ行こうということになり私の運転で神流町へ向かい、約一時間後に山の中腹にあるスーパー林道に着きました。そこから40分ほど頑張って見晴らし見事な山頂に着きました。

 この近くには恐竜が住んでいたと思われる場所があります。漣の跡が残り垂直になってる岩肌に恐竜の足跡と思われる穴が二つがあいてるのです。地元の人にとっては昔から不思議な穴だったそうです。また、鍾乳洞もあります。

 Samuelさんは長いこと山岳部の顧問でありましたので、県内外の山々へ多く行かれ、この道のエキスパートです。最近では榛名の氷室山や天目山の登頂、碓氷峠の鉄道跡を通ってめがね橋までの散策、そして今回の西御荷鉾山登頂とごいっしょして頂いてます。登頂後、高原荘でゆっくり入浴し、秩父の山並みを見ながら疲れを癒しました。

 ところで、ここ西御荷鉾は私が高崎商業吹奏楽部顧問時代、冬の合宿で部員達と登った思い出の山です。音楽の合宿ですが、レクレーションも大切と思い登ったのです。山頂には20センチほど雪があり、誰からともなく雪合戦が始りました。一応、木管楽器対金管打楽器に分かれての戦いでしたが、実際には、この時とばかり後輩は先輩をめがけ、女子は男子をめがけて日頃の憂さを晴らしました。彼らにとって西御荷鉾山頂での雪合戦は、澄んだ空、冷たい空気、白銀の景色とともに今でも忘れられないことでしょう。

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2007年2月15日 (木)

豚キムチ最高

 日々、娘と二人暮しです。ウェディングプランナーをしてる娘の帰りは午後11時頃ですので私の夕食はひとりです。夕刻になると近くのスパーに買出しに行き2人分の必要なものを購入します。魚がいいことはいろいろの情報により確かですから、毎回、食卓を飾ります。最近は豆乳もいただくようにしてます。

 毎回、行くのでスーパーの女性レジの方々とも馴染みとなり、黙って品物を出してお金を払うことはありません。お忙しい中にあっても必ずこちらから声をかけ、交流を心がけてます。最近では私の顔を見ると彼女たちから冗談を言ってくれるようになりました。お互いどんな立場にあっても人と人、会話による心のつながりは潤いを与えてくれます。

 レジを通過するお客を観察してますと、ほとんどの方は黙ったままお金を出し言葉を発してません。一期一会、何かの縁で会ったのですから言葉をかけ合いたいですね。

 それでも、私のキッチンでは何かと好みが一定しがちで、栄養の偏りが心配です。ひとりテレビを見ながらの夕食は会話がなく精神面ではよくありません。たとえ面白い番組を見ながらでも心はむなしいものです。

 これを解決してくれるのが高崎駅前「どんどん」です。昭和の時代から行きつけてますので、すでに700回以上に上るでしょう。マスターの人柄が最高です。何の話題にも対応してくださり、いつもの孤独感から解放されるときです。息子さんも厨房に入り調理されてます。その上、女性スタッフの皆さんがとても愛想よくきびきび対応してくださいます。

 メニューは多様です。ここでのお薦めは新鮮なお刺身と、焼き鳥、焼き魚ですが、私のお気に入りは「豚キムチ」です。これが見事な味で毎回の楽しみになってます。生ビールを飲みながらの豚キムチ串焼きは私の至福の時で、この味を出すのですから何の道でもプロは凄いと思います。注文しない日はありません。

 高崎にいらしたときは「どんどん」カウンターを心からお薦めいたします。行かれたらカッキーのブログを見て来たと伝えくださいね。

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2007年2月14日 (水)

ご利益あるか

  私の住む群馬県高崎市のシンボルは写真左の白衣観音です。昭和11年、実業家井上保三郎氏が当時の戦雲漂う混迷した世の中に光明を与えようと、街の南西に位置する観音山丘陵頂上に高さ41メートル、コンクリート製の守護神を建立されました。

 胎内は9階になっており階段で登れます。各階には小さな窓があり、20体の仏像が安置され拝観できます。窓から見る四方の景色は格別で上毛三山、谷川岳、武尊山、浅間山、荒船山、白根山などの遠望が手にとるようです。慈悲深い観音様のお顔は常に高崎市を見守ってるかのごとくです。

 右の写真は観音様が見守ってる市街地です。中央左の高い建物が市役所です。ここ高崎市は昔から関東と信越つなぐ交通の要で、現在では上越・長野新幹線や関越自動車道が走っています。手前に見える道路が国道18号です。

 この観音様のすぐ後ろには光音堂がありまして恋愛成就の神様が奉ってあります。内緒ですが、最近二度ほどお参りに行きました。今のところご利益は目に見えません。近いうちにまた行きましてお賽銭の量を増やしてみます。

 本日はバレンタインデーです。私にとっては母の命日でもあります。母は42歳になってチョコレートでなく、私に命をプレゼントしてくれました。正にこれが本命でしょう。【座布団一枚!】

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2007年2月13日 (火)

世界の100歳・・・健康法

  私たちはいつまでも心身ともに健やかに生きたいものです。肉体の健康を保ち、健全な考え方を持ち続けたい。この二つは生きる両輪ではないでしょうか。

 100歳の方たちの言葉を耳にしたとき、どなたの言葉にも重みがあります。まず、「ゆったりしていて、こせこせしてません。」「心が優しい」「大らか」という共通点があるように感じます。

 私の家から歩いて20分程の所に滝沢三四吉さん103歳がおられました。地元の新聞にご自身の考え方を投稿され、度々掲載されていました。私はいろいろ話を伺いたくて幾度かお会いしました。

 そしたら私の母(みね)と小学校が同じで同級生であり驚きました。友人たちは2人を仲がいいみたいとからかい、わらべ歌ふうに「みよちゃんとみねちやんは・・・・」と歌っていたと話してくれました。滝沢さんもその歌が好きだったのでしょうか、長い年月が経過しても覚えておられ披露してくれました。母は生前そんなことを口にしたことはありません。

 ところで世界の100歳の方たちの生活には共通点があるようです。

  1、家族や近所の人に囲まれている。 2、アンズや白ワインを好む。 3、果物や甘いもの、自然の力強いものを摂取する。 4、異性を意識しておしゃれする。 5、笑い話が好き。 6、人にワインや何かを出すことが好きで自分もおいしく飲む。 7、絵を描いたり好きなことがある。 8、規則正しい生活と運動する。 9、気候が暖かい。 10、何でも良く食べよく働く。 11、歌が好き。 12、ジョークともてなしが好き。 13、海藻類を摂取する。 14、アロエを摂取する。 15、にがいものや酢の物を食べる。 16、午前中、畑の草取りや体操する。 17、料理が好き。 18、野菜炒めには酒や砂糖、にがみ、豚肉を入れる。 19、アーモンドナッツを摂取する 20、朗らかな気持ちと、いつも若い気持ち。

 20項目を参考にしたいと思います。

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2007年2月12日 (月)

大自然に身をおきたい

 私の苗字に沼がつくためでしようか、写真のような湖沼に行き、景色を見ているだけで心に潤いを感じます。空気がきれいで胸いっぱい酸素を吸い込むと身体が楽になる気がします。ちょっと冷たい空気を鼻から吸って深呼吸すれば血圧も下降するのでしょうか、身体がいきいきしてきますね。

 写真右の大塩湖は群馬サファリ―の近くに位置する人造湖です。かつての職場の比較的近くにあり、以前から時々行きました。今の時期、北国からカモなど渡り鳥が飛来し、水面で羽根を休める光景はとてものどかです。この近くに鳩友ピジョンクレージーさんがおられます。

 大塩湖畔には周遊できる道があり、ゆっくり歩いて1時間ほどです。一周して出発点のダムに戻るには、途中にたくさんの入り江があり、着きそうでなかなか着きません。写真左の碓氷湖も周遊できます。めがね橋をかたどった橋があります。

 先日、伊香保温泉の上にある榛名湖を歩いて一周しました。こちらはカルデラ湖で大きく、衛星写真にも写る程の広さです。例年、今の季節は湖面一帯が氷で覆われ、わかさぎ釣りで賑わいます。今年は氷が張りません。

 県内はたくさんの湖沼や滝に恵まれ、利根の上流もあります。これからも度々訪れ、よい空気をたくさん吸って心身ともにリラックスし、今の孤独感から脱皮したい。

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2007年2月11日 (日)

人類の文化遺産・・・・音階

  長いこと音楽の仕事に携わってきました。歌を歌ったり、ソプラノサキソフォーンを吹いたり、吹奏楽や合唱の指揮をしたり、カラオケを歌ったり、ピアノを弾いたりする演奏の他、鑑賞としてたくさんのシンフォニーを聴いたり、ポプュラー音楽も聴いてきました。

 音楽の魅力は一言ではいえないほど気高いですが、この間、不思議に思っていることがあります。

 私たちは普段それを気にせず、あるいは気づかないで音楽を楽しんでます。それは古代ギリシャ時代に遡る先人たちが作り出した遺産を享受してるという事実です。

 その遺産とは、ドレミファソラシドの音階の中で【ミ・ファ】、及び【シ・ド】の間が半音に作られてることです。あまりにも自然に作られてるので聴いてもちょっと気がつきません。音楽のジャンルに関係なく、私たちが楽しんでる音楽は九分九厘そうです。琉球音階を含む日本音楽が5音音階であって2音が省かれても【ミ・ファ】、及び【シ・ド】の間が半音になってます。知れ渡ってる世界の民謡や世界各国の国歌を調べても【ミ・ファ】、及び【シ・ド】が半音です。

 普段、これを気にしなくても、また知らなくても、現実には【先人の発明したこの偉大な音階】に則っていという事実です。

 どれほど多くの方々が音楽を聴いて感銘したり、楽しんだり、悲しいとき慰められていることでしょう。素晴らしい音楽に接すると、私たちは演奏してる人やその作曲家の功績を讃えますが、同時に、その作曲家が使用してる音階が遥か大昔の先人の手によって作り出されていることを忘れないでいたい。

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2007年2月10日 (土)

家族の一員「ころ」

  娘がどうしても柴犬を飼いたいと言ったのは母を亡くしてから1年経ったころです。私は鳩をたくさん飼育してるので、この他に犬の世話が増えると大変と思いその気はなかったのです。

 寂しい娘の心境を大切にし、ある休日、2人で鳩を飼ってるミストラルさんの紹介で埼玉にある柴犬専門犬舎に見学に行きました。どうしたことか私も仔犬を見るとかわいくなってしまいました。かわいさと鳩飼育の狭間で葛藤が生じ困りました。

 結局、娘の心境を優先し、4ヶ月ほどの仔犬を分譲していただきました。家に来てからすでに1年以上経過し、今では娘にとってはすっかり弟(?)になってしまいました。朝起きて仕事に行く前や、帰宅するとまず弟と交流し寂しいことを忘れさせてくれてるようです。

 柴犬特有の性格なのでしょう。愛嬌がいいです。散歩に行ってわかりましたが、綱を引く力は予想より強く元気です。本当に家族になつき、人間と違って反抗しません。また、一切無駄吠えをしません。自分の縄張りに見かけない人が近づいたり、猫の姿には厳しい態度になります。

 普段、裏庭に放し飼いにしているので、自由に走り回れて運動不足はないと思います。時々外に連れ出し散歩させてやりますが、そうは人間が走れませんから気分転換だけの意味になります。

 これほど家族の精神面で支えとなり、娘にとっては仕事の疲れも忘れさせ笑顔にさせてくれるのですから、大昔から犬は人間にとって大切な家族の一員だったのでしょう。娘は「ころ」がいるので頑張れるのだと思います。

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2007年2月 9日 (金)

隔世の感

 私が小さい時、我が家は8人家族で狭いながらもたいへん賑やかでした。内訳は両親と6人兄弟、私は末です。小さい時でしたのでどういう訳か分からずにいましたが、結果的に末の私が両親と住むことになりました。

 両親との3人暮らしが約10年続き、結婚して2人の娘が生まれ再び賑やかになりました。しかし、すでに両親は他界し妻の3回忌も終わり、長女は横浜に嫁いでますので次女と2人暮しです。この娘もウェデングプランナーとして結婚式場に勤務で現代的な仕事ですが、勤務時間が長く私といる時間は余りありません。たまにある休日の朝食はおいしいものを食べようと、できるだけデニーズに行き会話を心がけています。

 このようなことから私はほとんど一人での生活ですが、取り巻く環境が私に生活力をつけさせてくれました。昔の8人家族のことを思い出すと、隔世の感があります。どうして1人になってしまったのだろうかと考えてしまいます。

 そこで、現実を享受し悲観的にならず、心身ともに鍛えることにしました。【鍛えることによって今までの自分にないものを発見でき、楽しさが生まれてくることも知りました。】精神面ではピアノ練習と英単語ボキャブラリーの拡充です。この二つはいくら行なっても次から次へと新しいことばかりです。英語は幸運にも友人のSamuel Todさんから何かと指導いただけます。ピアノは時々発表する場を作り新曲に挑戦です。ピアノは全身運動と感情が結びついてなかなかいい楽器と思います。

 大切なことは心身の健康ですから、今、抱いてる夢の3つ目は県内外の低山を散策し、よい景色を見て足腰を鍛えることです。

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2007年2月 8日 (木)

観客でただ一人の日本人

  私の最初の赴任はインド・カルカッタ日本人学校です。渡印は4月初めで日本ではまだまだ寒かったです。しかし、現地はすでに真夏で夏休みが目前で、この時期の温度は午前11時で42度ありました。

 このような暑い日々は植物園に行って涼しい日陰で過ごしたり、プールで泳いだりベンガル湾で海水浴しました。

 2年間のインド滞在中、職務の他に何か新しいことを学びたいと思っていました。インド音楽に接したり、見るもの聞くもの何でも目新しいことばかりでした。

 私は学生時代、指揮法を学んでいた関係で、世界的インド人指揮者ツービンメーターさんもおられることから、カルカッタで指揮を学ぶ機会はないかと内心考えていました。Where there is a will, there is a way.「精神一倒何事か成らざらん」チャンスはやってきました。

 インドでは9月から2月までの半年間は素晴らしい気候が続きます。暑くも寒くもなく毎日良く晴れわたります。この時期にカルカッタ交響楽団の定期演奏会があり、私は毎回聴きに行きました。常に一列目で聴いていましたので楽団員の方々にも「一人の日本人がいつも来てる」と知られてしまい、コンサートマスターの方はステージの上から私に会釈を送ってくれるようになりました。

 ところで、この交響楽団はイギリスの影響でしょうか、古い歴史を持ってます。私の滞在中はユダヤ人指揮者Bernard Jacobさんが常任でした。毎回の演奏に感銘を受け、聴きに行ってるうちに私は彼の弟子になりたいと心が動き出し、ついに日曜日にお宅を訪問し、学生時代に指揮を専攻してたことやカルカッタ交響楽団の定期演奏会を毎回聴かせていただいてることを玄関から出て来られた奥様に告げたところ、何とその日にヤコブさんに対面できました。

 彼はオクスフォード大学ご出身です。いつも演奏を拝聴しているお礼を述べ、ぜひ指揮を教わりたいとお願いしましたところ、一つ返事でのOKはありませんでした。しかし、卒業演奏会で指揮したことのある「モーツアルトの魔笛序曲」の振り方を見ていただきましたらGood, Goodと仰ってくださり、次回はシューベルトの未完成がレッスンの曲と決まり、念願が叶い、ついに彼の弟子にさせていただけました。

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2007年2月 7日 (水)

開花した君子蘭

  年末に隣のT野さんからにプレゼントしていただきました君子蘭がご覧のように開花しました。最初は勉強不足でどのような花か知らなかったのです。昔からT野さんには公私共にお世話いただいてます。

 プレゼントしていただいた時は大きな葉だけで、花の茎やもちろん蕾は見当たりませんでした。新たな植木鉢を用意し、土は観葉植物用を購入し、底には水分調節の役目をする鹿沼土を10センチほど入れました。

 廊下の日向でときどき水をやりましたら、10日程してたくさんある大きな葉と葉の間に小さな玉のようなものがいくつも出現しました。何かなと思っているうちに見る見る大きくなって一層目立ち始めました。実は2月に咲くということを知らなかったので、まさか花芽が真冬に出るとは思わなかったのです。

 さっそく、T野さんに見ていただきましたら蕾の出現であることがわかり、何だか希望が湧き嬉しくなりました。

 こんな些細な植物の芽であっても生物は常に次の段階を準備してるものだと感じ、生命力の逞しさを改めて感じました。

 私の両親は花屋になってもいい程たくさんの草花の手入れをしてました。真夏にはダリヤやカンナにバケツで川から水を運んでは与えていたことが今でも目に浮かびます。また、庭中チューリップ、グラジオラス、パンジーなどを毎年咲かせいましたが、当時の私は草花や花木にあまり興味を示さなかったように思います。「今、両親がこの世にいれば共通の話題でまさに花を咲かせたことでしょう。」

「親孝行したい時には親はなし」とは「自分が年を重ねて親と共通の話題ができる頃には親はすでにいない」ということでもあるように感じています。

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2007年2月 6日 (火)

パオの中で歓迎会

  中日友好号に再会した後、内モンゴル自治区の大平原へ連れてってもらいました。見渡す限り広大な野原です。そこには集落を形成するかのごとく移動式家屋パオ(モンゴル語でゲル)が散在してます。

 最も広いパオの中で歓迎会を開いてくださるとのことで行きましたら大きな驚きがありました。この日の新聞に中日友好号に会いに来た私のことが掲載されてるのです。大平原を訪れたからそれを知ることができました。

 パオの方々がモンゴル式の発声で歌を披露しながら、60度のお酒を注いで歓迎してくださいました。流石の私もこの強いお酒には参りました。これが本当の完敗(乾杯)でしょう。普段からもっと鍛えておくべきでした。発声法は独特なものでびんびん響くのです。たぶん大平原にいて遠くまで透るよう昔から工夫された発声法なのでしょう。

 司会の方(写真右の青い衣装の男性)が、そこにいた少数民族の方々に「日本から内モンゴルまで飛んできた自分の鳩に会いに来た日本人」ということを紹介してくださり本当に感激し嬉しくなりました。このような歓待をいただき私も返礼として何か余興しなくてはと思い、民族楽団員のキーボードをお借りし中国国歌を弾きましたしら、パオの中にいる全員の方々が私の演奏に合わせて手拍子をしてくださりムードは最高潮になりました。

 日本は昔から中国の文化を取り入れ 現在の日本があります。それを忘れてはいけないと思います。不幸な戦争がありましたが、それにもかかわらず、多くの残留日本人孤児たちを温かく養育してくださったことに感謝を申し上げました。鳩を通じての民間外交は実に温かいもてなしを受け 歴史的な旅となりました。           

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2007年2月 5日 (月)

私の散歩道

 空気のいい所で1時間くらい歩きたいです。私の住む高崎市には名所に観音山があります。ここは平地から100メートル程の高さがある丘陵地です。散策には適当にアプダウンがありよい運動になります。

 ここでは市街地が見渡せたり、上毛三山、浅間山などの遠望を楽しめます。散歩と気晴らし、そしていい空気を吸うには理想的な地で、四季折々の自然に恵まれ、ことに春の桜、秋の紅葉は野鳥の声とともに見事でお薦めです。

 近くには高崎市のシンボル白衣観音があり、県内外や外国の観光客も訪れてます。地元の上毛かるたにも「白衣観音 慈悲の御手」と詠まれ登場します。

 この丘陵地は遊歩道が整備され、いつでも樹木の中を楽しく歩けます。中でも写真のように「ひびき橋」という名のつり橋は谷底から40~50メートル程の高さがあり、下を覗くと揺れをともなって怖いです。

 これからも時々この丘陵地を歩きたいと思います。人類が生まれる以前、ここは海底だったのでしょうか、近くの岩石の中から貝が姿を現してます。太古の名残のある観音山で野鳥の奏でる音楽を満喫したい。

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2007年2月 4日 (日)

背中の筋肉を意識して

 BMI 22を目標に体重を管理することは基本中の基本と思います。これは病気になる確率を低くすることに繋がると考えられます。自分でできることです。この実現には【腹八分と運動】という二つの大きな車輪でしょうか。腹八分とはちょっと食べたらない感じを習慣化することでしょう。

 健康維持には栄養が欠かせないですから、いろいろなものを少しずつ摂取することも大切と考えます。つまり【食べ物は種類を多く、量は少なく】と思っています。この量は少なくということが案外難しいのです。

 私が最近10キロ減量した経験では最初は精神的に大変であっても、2週間もすると胃が縮小してしまうのでしょうか、あまり食べなくてもそれで不足を感じなくなりました。嬉しいことに血圧が下がりました。

 一方、一般的に加齢すると筋肉の量が落ちてくるように感じます。年を取るとどうしても猫背中になりやすく、見た目には良くありません。ですから、若い肉体に近づけたり維持するには筋肉を鍛えることを日常生活に取り入れたいです。あまり、本格的なことでは、つい億劫になり長続きしません。簡単にできる環境の中に自分を置きたいです。

 私が最も心してることは【背中の筋肉を鍛えることです。】この目標を持つと、それに適した運動を自分で考えつくようになります。

 私は写真にあるような簡単な道具で行なってます。ダンベルは1.5キロと3キロの2種類です。下はフレックスです。中央を握って前後に動かすと、弾力性でしなって筋肉が伸びたり縮んだり交互にできます。

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2007年2月 3日 (土)

風変わりな中国語学習

  中国訪問以前に中国語を学習したことはありませんでした。一人で行くことが決定してから渡航まで約一ヶ月。現地では天津外語学院の付さんに通訳をお願いしておきましたが、私自身もパーティーなどで直接、中国の方々との親しい交流を望んでいました。さあ、【どうしたら短期間で中国語の基本を少しは話せるようになるか】とあれこれ考えました。

 そこで思いついたのが同じ町内在住の周さんという若い中国人男性と知合いになることでした。事情を話しましたら快く承諾され、土日などの休日に私の家でレッスンして下さることになりました。

 ところが、この学習方法は変わってます。中国では親しい人が集まるとすぐ乾杯する習慣があるとのことで、そのような時こそ中国語を話さなくてはなりません。このため周さんと私はお互い好きなビールを飲みながら、現地にいることを想定し、話題は広がりました。

 最も多く使うことばとして、例えばトイレはどこですか。これはいくらですか。あなたのお名前は。ご親切有難う。あれは何ですか。これは何ですか。私は日本人です。ビールを飲みますか。奥さん。子供さん。おいくつ。ご職業は。万里の長城へ行きたいです。今日、明日、明後日、昨日、日曜日など、この他、多くの日常用語について周さんの口から発音してもらい、その場で私は発音や四声を書き込んだ漢字をすべてノートに書き記しました。

 これは一見不謹慎と思われる方法でありますが、【現地で起こりうる会話が楽しく想定できました。】後程もう一度、今度はビールなしで一人で復習しまとめたのです。このレッスンを10回くらい行ないましたら「こんな場合何と言うのか」という課題が次から次へと出てきて、次のレッスンで解決できました。彼も普段一人暮しのためか私の家でのレッスンは楽しかったようでお礼を受け取ってくれませんでした。

 昔、ヒンズー語を習う時、初めからインド人に囲まれての学習体験が生きて、中国語学習では楽習になりました。

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2007年2月 2日 (金)

忘れられない我が師

  昔のことです。高校入試発表の日、合格の喜びのまま音楽室に行きました。その時の先生との出会いが私の生涯を変えることになりました。その日に先生はトロンボーンを渡してくれました。

 春休みに早速、先輩達に混ざって練習に参加、入学式では新入生であるのに式典音楽の演奏に加わることになりました。この先生には平素の練習時はもちろん、草津温泉での合宿で多面にわたり教育され、音楽と同時に礼儀作法を厳しく躾けられました。就職後、恥ずかしくないよう社会人としての基本を身につけさせて下さったのでしょう。その頃、私はサックスに変わりました。

 経済的理由でずっと就職希望でしたが、2年生になってから先生は音楽専攻として大学へ行けと、かなりしつこく言うようになりました。私はそのつもりがなくだんだん心配になり、両親にも先生の話しをしましたが、両親もそのようには考えていませんでした。

 ある夏の晩、先生は私の家に来られ、両親にも私の進学を勧めました。いつものようにかなりしつこいです。就職の勉強しててピアノのピの字もない私に果たして弾けるようになるか小さな胸は不安でした。

 結局、17歳でバイエルの初歩から始め、それを3ヶ月で終了し、次の段階であるチェルニー30番とソナチネに進みました。土日には先生宅で聴音も指導してくださり、いつの間にか受験準備が軌道に乗ってしまいました。

 先生との出会いがなければ、後のインド日本人学校教員や高校音楽教員としての人生は決してありえませんでした。

 先生との関わりでの喜びは長い期間、互いに高校教員としてともに働けたことです。中でも圧巻は先生が高高におられ私が前高にいたとき、前高高高定期戦で対戦したことで、これは師弟冥利につきました。私が高校生の時、遠い将来このようになるとは夢にも思っていませんでしたから。

 私の人生を変えてくださった我が師、Hatoken先生は3年前に亡くなりました。

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2007年2月 1日 (木)

十二ヶ岳の魅力

 毎年、近所の方々と正月登山をします。小野上から登り始めました。杉林の登山道がしばらく続き、やがて男坂という急勾配が最後の頑張り所です。

 頂上に着いたら飛ばそうと4羽のレース鳩を籠に入れ運びました。登るのが大変でしたが、1時間余りの苦労の甲斐あって見晴らし最高の頂上に着きました。

 群馬の真ん中に、これほど眺望の素晴らしい山頂があることを初めて知り驚きました。谷川岳や上信越国境の銀嶺に手が届きそうです。山頂は360度のパノラマ、まさに群馬の別天地です。

 澄んだ空と絶景を満喫しながら乾杯、お雑煮をいただき楽しい語らいは続きました。そして良い年になるようその願いをレース鳩に託し放しました。紺碧の空に4羽の鳩は朝日に輝きぐんぐん舞い上がり我が家の方向へ飛んでいきました。

 十二ヶ岳は標高1200メートル。その名が示すとおり私たちを十二分に堪能させてくれる山でした。

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