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2007年3月

2007年3月31日 (土)

想い出ぼろぼろ

私は教員としては大変珍しく小学校、中学校、高校、大学のすべてを勤務しました。多分、このように勤務した人は殆どいないと思われます。また、海外日本人学校や特殊教育、高校では定時制課程も兼務しました。高校が長かったです。商業高校及び男子高校も2校勤め生徒さんがさっぱりしていて清々しかったです。強いて言えば女子校の経験がなかったのが残念です。理由はわかりませんが、きっと人事課が私は女子校には向いてないと考えたのでしょう。(爆) 

 でも子供が二人とも娘ですので、心のバランスは取れていたように思います。

 若い時やっとのことで地元の大学に入り、卒業と同時に運良くインドへ、帰国して養護学校に勤務、その後、採用試験を経て高校勤務となりました。夢中で過ごした教員生活はPTAや母の会の方々との交流や懇親会が殊のほか有意義で楽しかったです。今でも連絡を取り合ったり、メル友の方もいます。

 吹奏楽部の顧問をしていた関係で、夏休みの合宿を1週間ほど新潟県の苗場や草津、県内の少年自然の家や青年の家で行なったり、甲子園や大阪へ野球応援に行ったこと、冬の合宿ではレクリーションであちこちの山に登り、雪合戦をしたことです。

 しかし、何と言っても楽しかったことは群馬音楽センターでの定期演奏会や前橋市民文化会館での優曇華(うどんげ)という名の音楽会でした。指揮をすることは自分に合っていたようです。運命や未完成のクラシックから吹奏楽オリジナル、ビートルズを始めとしてポプュラー、マーチの数々、歌謡曲に至るまで大ホールいっぱいのお客さんと楽しむことを念頭に指揮しました。指揮というものは音楽と体の動きが一体化して本当に楽しいものです。これは大学で斎藤秀雄さんのテキストを使って指揮を習ったり、魔笛序曲を卒業演奏会で指揮したこと、ユダヤ人のバーナードヤコブ氏に教えを受けたことが基になってます。

 音楽を通して生徒さんと一緒に行動でき、演奏会が終わった後のレクリェーションで夜遅くまで喜びを分かち合えたことは最も楽しかったことです。

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2007年3月30日 (金)

方向判定の神秘とエネルギー

 普段、森や水辺、河川などで何気なく鳥を目にしますが、よく観察するとこれらの野鳥には小さな鳥から大きな鳥、また水鳥など種類がずいぶん多いです。これらの多くが外国から飛んで来てる渡り鳥とのことで驚きです。

 従来からこの渡りの神秘を解き明かそうと試みが行われています。鳥に脚環をつけてその渡りの経路や目的地を知る手がかりにしたり、今では人工衛星を使っての追跡調査も可能となっているといわれます。

 渡りは何のためにするかは科学的なことであるし神秘なことです。鳥の大きさに関わらず、北半球では春から初夏にかけて北上し、秋から初冬にかけて南下するようです。私たちは日本を中心に考えがちですが、多分、南半球では逆の可能性があるでしょう。鳥に訊いてみなければ本当のところはわかりません。

 渡り鳥ではありませんが、同じ鳥類であるレース鳩を50年飼育してる私の考えでは、子孫を残すには繁殖に丁度良い温度が必要であり、その温度であれば自然界には子育ての元になる餌がたくさんあるということでしょう。ですから適温を求めて移動するのではないかと想像してます。

 北半球において移動する2点間では一般的に北での繁殖が多いようです。でも、赤道を通過して渡りする鳥もいるようですし、南北でなく日本からアラスカなど、どちらかと言えば東西へも移動する鳥もいるようで複雑ですね。

 概して大きな鳥は比較的高緯度で、また、いわゆる小鳥はそれよりは南の中緯度で繁殖するように感じますがどうでしょう。これは北半球でも南半球でも似てると想像できます。概して大きい鳥の方が寒さに強いのかもしれません。インドでは小鳥がたくさん自然界にいました。

 ヨーロッパではアフリカとの間を中心に渡りがあり、北米、南米間、またヒマラヤ山脈を越えてインド大陸へ往復する鶴は有名です。日本ではシベリア・カムチャツカ方面から飛来すると思われる冬鳥、東南アジアとの往復であると思われる夏鳥、あるいはもっと超長距離飛翔のため、日本が目的地でなく栄養補給と休養に立寄るだけの鳥もいるのでしょう。

 私が渡り鳥の不思議な力に感嘆するのは、何と言ってもその方向判定能力、及びあの小さな体で大海何千キロをも渡り切る体力です。それにもましての驚きは、生まれて間もない雛が何万年も続けてきた祖先と同様の軌跡を追って、大海原を越え目的地まで飛翔し、半年後に生まれ故郷に帰還するということです。多くの渡り鳥は一年を周期として往復すると考えられます。

 これに比べて私たち人間は生まれてこの方、自分の足だけでどれほど遠方まで移動したことがあるでしょう。渡り鳥やレース鳩は国を越えて飛翔するのに、人間は国と国との間に国境を定め、なぜ争いが絶えないのでしょう。いつの日か平和条約を締結し、北方四島から群馬まで鳩を飛ばしてみたい。

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2007年3月29日 (木)

ジプシー民謡「花の季節」のよう

 子供の頃の思い出として桜は4月8日頃開花した記憶があります。小学校入学の記念写真では背景に満開の桜が写ってます。当地でも昔に比べ10日ほど開花が早まってます。

 私の父は草花が大好きでした。庭にチューリップやダリア、クラジオラス等を始めとして多種多様の花を咲かせ、母も草花が好きでしたのでその点は二人の共通項でした。父は遠方の種屋さんから毎年新種の種を導入しては草花を咲かせ、夏は一所懸命水やりをした姿が思い出されます。それは両親ともに80歳を越えても変わらなかったように思います。今思うに当時の私は若くてあまり植物には興味がなかったようで、父とは植物のことが共通となって話はしなかったように思います。

 ところが遺伝でしょうか。両親とも88歳で亡くなってからの私はどうしたことでしょう。花木に物すごく魅力を見出すようになり自分でも驚くほどの変貌ぶりです。埼玉の花園へは高速を使って毎週日曜日に見に行くようになり、結果的にかなり多種の花木を手に入れました。

 きっかけは「日本シャクナゲ」の魅力に取り付かれたのです。西洋シャクナゲも含めますとその色彩が多様で燃えるような赤あり、優しいピンクあり、紫あり、白あり、これらの色の中でもまた微妙に異なる色彩があって、言葉では表現できない豊かさです。今では庭に10本の種類の異なるシャクナゲが開花宣言するかのごとく蕾を膨らませてます。開花はもうすぐです。中でも大きな西洋シャクナゲのピンクは女王のようです。

 どうしたことか、シャクナゲの次には花桃に興味を持ち始め、群馬の森の近くの植木屋さんにあった羽衣という「しだれ桃」に何とも魅力を感じてしまい、とうとう植木屋さんにトラックで搬入してもらい、庭の真ん中に築山を作って植えていただきました。築山に植えたのは枝が上から垂れてくるためです。これもあと2~3日で咲き始めそうです。個人の庭木としては大きく、花はピンクで見ごたえがあります。ここで近所の方々をお呼びしてBYOB方式での花見が行なわれ、恒例の楽しい行事となってます。

 花が好きだった父母が生きていれば、どんなにか喜んでくれるのではないかと思う。親孝行したい時には親はなし。

★BYOBはBring Your Own Boozeの略で、飲み物おつまみ持参のパーティーです。

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2007年3月28日 (水)

自由な発想の開花

 あまり大きなことは言えないが、教育においては画一的、記憶優先型では個人の才能は伸びにくくなると思っています。むしろ、「優れた個性」そして「自由な発想」がその後にすばらしい開花をもたらすように感じます。

 教育システムに乗って、あまりにもまじめで完全を期してやりすぎると100点は取れても、大きな物事が見えにくくなり、精神的に疲れきり、テストが終わるともう勉強は暫くいいとなってしまうかもしれません。常に集団行動的に一つの枠の中で「同一の答えを求めてやるのでは」平均的日本人をつくり、折角優れた才能や個性をもって生まれてきた人にまで思考発想の許容度を狭くさせてしまい、日本の宝である若い芽を潰しかねない。

 この思考の許容度を大きくすることこそ大切で、これには教える側に度量がなければなりません。教師は期待してる答えのみに満足せず、それ以上の「新たな発想が生じる」教え方に発展したい。それは思考回路の個性的人間を生み出し、児童生徒の脳の発達にとって無限の可能性に繋がると思います。

 以前に勤務していた上司の話を思い出しました。アジアで若者のフォーラムが開かれ、各国代表の学生が一同に会しました。討論においては台湾、韓国、中国、東南アジアの青年が闊達に活動し発言してる姿が目に焼きついたそうです。これに対し日本の青年は発想力に欠け、彼らと対等に向き合えずかなり差が生じていたとのことです。この様子を見て危惧を覚え、日本は将来アジアの中でも後塵に拝す予感がしたと述べています。

 英語能力一つとっても日常的にこなす東南アジアの青年にかなりの遅れをとっている。私も時々いろんな入試問題など見ますが、なぜこの括弧の中にはこの単語だけが正しいのかと疑問を持ったり、異なる言い回しでもいくらでも通じるのではないかと思うことが度々あります。

 誤りばかり正さないで文法なども完璧でなくてお構いなし、それよりもっと大切なことは「自由な発想を展開させることを教え続ける教育」こそが明日の輝く人間に育つのではないでしょうか。

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2007年3月27日 (火)

春は名のみの風の寒さや

  今年の1月2月は暖かい日が多かったですが、3月になって季節の後戻りでしようか、冬のような日が続いてます。雪こそ降りませんが、当地も寒いです。このような季節は体調を崩しやすいので風邪を引かぬよう心しなければなりません。

 寒い時は炬燵に入り足から温めるのがいいように思います。これも日本独特の暖房で祖先の知恵でしょう。私の家では和室に掘り炬燵があり足が下に出せて楽です。しかも、大きいので6人がゆったり座れます。でも、どうしたことか、ほとんど一人であたります。

 この季節の歌に「早春賦」があります。これほど今の季節感と人々の気持ちを表してる音楽は少ないように感じます。

 この曲をチェロで聴いてみたらどんなにか心が和むことでしょう。

   「早春賦」 吉丸一昌作詞 中田章作曲

1 春は名のみの風の寒さや 谷の鶯歌は思えど

  時にあらずと声も立てず 時にあらずと声も立てず

2 氷解け去り葦は角ぐむ さては時ぞと思うあやにく

  今日も昨日も雪の空 今日も昨日も雪の空 

3 春と聞かねば知らでありしを 聞けば急かるる胸の思いを

  いかにせよとのこの頃か いかにせよとのこの頃か

★1番、2番は冬から春への自然界の微妙な移り変わりを、また、3番は活動期に入るこの時期の人々の気持ちを十分に歌い上げてますね。

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2007年3月26日 (月)

歌い継がれる校歌

Photo  高校野球は地方大会予選でも、 甲子園での熱戦もときどきテレビで見ます。最近は勝敗に関わらず両校の校歌が第二イニングに大会本部から流れるので大きな変革と思っています。

 どの学校の校歌も歌詞の内容や旋律にそれぞれの伝統が詰まっているのでしょう。みな誇らしげに歌います。特に勝利した後ホームベース上で一列になって歌え、それが同時に電波に乗って全国に響き渡るのですから名誉この上もありません。

 校歌が流れる時、私が最も注意してるのは校歌の歌詞、作詞家、作曲家です。長い歴史を持ってる学校に於いては作詞家、作曲家はすでにこの世を去った方が多いと思われます。にもかかわらず、時代を超えその芸術がいきいきと現在に響き渡るという創造性の偉大さです。芸術が時代を超えて心を打つ瞬間です。

 時間の都合があり1番のみの演奏ですが、2番、3番あるいは4番も聴いてみたいものです。私は職業柄、特に旋律に関心があり耳を済ませて聴いています。作詞家同様、作曲家については明治、大正、昭和初期にかけて活躍された著名な方が見受けられ、こんな有名な方の作曲によるのかと感嘆すること度々です。また、おもしろいことに学校が違っていても同じ作曲家が登場することもあります。これらの学校は校歌に於いては兄弟校といえるでしょう。

 しかしながら、甲子園に出場するのは全国のほんの一部です。女子高校も含めたくさんの高校が自慢の校歌の持ち主でしょう。それらを拝聴できないのはもったいないことです。宝は仕舞ったままもいいのでしょうが、生徒さんの活躍によっては全国に日の目を見ることもあるでしょう。校歌の他、応援歌、凱旋歌に素晴らしい歌詞や名旋律を持ってる学校もあります。これらが脈々と歌い継がれて行くことは音楽芸術の特徴と言えるでしょう。

P1020503  県内では前橋高校及び高崎商業の校歌が歌詞、旋律ともに燦然とした輝きが感じられます。著名な作詞家、作曲家により作られた校歌はどこか味に深みがあります。

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2007年3月25日 (日)

二度上峠の魅力

Nidoage1a   先日、天気に恵めれましたので景色最高の二度上峠に行ってきました。暫くぶりの峠はやはり気分爽快のスポットです。以前に数回来たことがあります。碓氷峠の裏街道的な道であり、すぐに北軽井沢に行けます。

 次女が生まれる前、いすゞ117クーペに両親と妻と2歳くらいになった長女を乗せて新鹿沢温泉に行く途中、休憩したことも思い出されました。あれからずいぶん時間が経ちました。ここからは浅間隠山の登山口が近いです。この山には近所の方々と正月登山で登ったり、一人で頂上を極めたこともありお好みの山頂です。

 浅間隠山はほとんど円錐形ですので遠方からもそのユニークな光景が確認できます。山頂からの景色は息を飲むようなパノラマ、視界を遮るものは何もありません。なんと言っても雄大な活火山浅間山が手が届くように迫ります。関東の山並みも良く見えます。この山を東に下りますと薬師温泉があり、その一角には、いつか行ってのんびりしたい「鳩の湯」もあります。

Asamanidoage 【二度上峠から見た浅間山】

 また、二度上峠が登山口となってる山には「鼻曲山」という一風変わった名前の山へも行けます。ここも友人と登ったことがあるので、この峠一帯は群馬では私のお気に入りで皆さんにもお薦めです。

 ところで、二度上峠の名前の由来ですが、私の推測では、下から登ってきて思わず「峠に着いた!」と錯覚したくなる場所なのです。そして着いた途端にまた遠くに本当の峠が見え、二度、峠に上る感じでした。このため、はじめて来た時に名前の由来を直感してしまいました。本当はどうなのでしょう。

 峠の東側は倉渕町で私の知る限りでは温泉が5箇所あります。山奥でのんびり露天風呂に入り、いい空気を吸って喧騒の巷から隠れるにはいいです。

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2007年3月24日 (土)

リサイタル本番前の心境

 今まで音楽の演奏は群馬音楽センターで吹奏楽による定期演奏会の指揮を11年間やりました。また、前橋市民会館で7年間行ないました。指揮は自分の描く音楽について、まずテンポやリズムを示し、音の大小、緊張や安堵などの感情を伝える必要があります。楽器を演奏する場合は細かい指の動きや腹式呼吸が大切ですが、指揮はテンポやリズムの上に曲想を伝え描かねばなりません。

 本日は午後からホームコンサートでお客様にお出でいただきピアノを弾きます。演奏曲目は6曲です。演奏してる瞬間、曲想によって腕や指の関節をの伸ばし指の腹で弾いたり、指を立てて弾いたり、鍵盤の手前で弾いたり奥で弾いたり、前かがみで弾いたりして曲想に適した方法を選びます。

 ピアノ独奏は伴奏者や他の仲間の手助けがなく、一人で終わりまで弾かなければなりません。まな板の鯉です。ちょっとした心の動揺も演奏に出でしまいます。作曲家の指示通りに弾くことは基本で、その上に自分の感覚によるテンポやダイナミクス(大小)に乗って良い音色を作り出します。

 ピアノの音自身を聴いていただくのも目的の一つです。でも本当のところは作曲家や弾き手の喜怒哀楽という感情を鑑賞者に伝えたいのです。いかにも幸せそうに、あるいはこの上なく悲しそうにということです。この感情が伴なわないとタイプを打ってるようで無味乾燥になったり、本を棒読みしてるようになりやすいと思います。

 本日のプログラムは以前に演奏した曲ですので、指は比較的慣れてますが、同じ演奏は2度とないので、今までより気持ちを入れ良い音色をめざしたいです。プログラムは掲示板に示してあります。

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2007年3月23日 (金)

インド刺繍

 20才代前半、カルカッタに住んでいた当時は若いせいもあってインドの民芸品には興味が薄かったです。たくさんの珍しい芸術品があっても私にとっては猫に小判のようで、今考えるともったいなかったように思います。

 それでも、帰国間際になってくると若いときの思い出に後々必要かと考えいろいろ見て回り、両親宛てにほとんど船便で送りました。カルカッタの街には中央に大きなマーケットがあり、その中にいろいろお店が出店してました。木彫りを中心としたカシミール専門店や、中でも宝石店はインドならではの石が種類多くあり女性に人気がありました。

 以前にブログの中の写真にいっしよに写ったものがあるかもしれませんが、お土産で珍しいのは大から小まで14頭の象の行進です。また、各州の民族衣装を纏った48の人形は横にずらっと並べてありますので見て楽しいです。これらについても後日ご紹介します。

 写真は椅子の背もたれですが、羊の皮にきれいな刺繍が施されています。背もたれに使ってはもったいないので、これからは鑑賞用に壁に飾ろうと思います。すべて手縫いで色彩豊か、不思議な紋様に無限の広がりを感じます。当時は若いせいもあって美しい民芸品でも興味が薄かったのですが、それにしては結構いろいろ集めまたように思います。これらの民芸品は一つの部屋に飾ってあります。この部屋はインドの間と名づけ、来客の方々に異国情緒を味わって頂いてます。

 この部屋で明日「ピアノホームコンサート」を開きます。曲目はアルベニスの「スペインの歌」が前半の最後を飾ります。この曲にはかなり細かなそして速さもある情熱的、異国的な雰囲気があります。途中ティータイムを作って寛ぎの時間を設け、後半はショパンの「ノクターン遺作」で始まり、一気に哀愁的ムード漂うロマンチックな心情へと移行します。ではカッキーがんばります。

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2007年3月22日 (木)

先人の知恵

 昔の佇まいを呈する武家屋敷跡を見学してきました。小幡には江戸時代の名残があります。このようなところをゆっくり散策するのは心が落着くものです。

 平成元年から6年間、勤務地が富岡市内でしたので毎日近くを通過してましたが、忙しさもあって途中で見学する気持ちの余裕はありませんでした。同僚と4月に満開の桜の下で一杯飲んだ思い出だけはあります。お酒の魅力の方が大きかったのか。

 今回、彼岸の入りに際して摩崖佛を礼拝しましたが、その折ゆっくり小幡を見学したいと思い、近くに散在する武家屋敷跡を見て回りました。

 私は昔のものを見学する場合、当時の方々のそれを建築した思い、危険回避の工夫、目的遂行の知恵に着眼したいのです。各箇所に必ず工夫が見られます。しかしながら、戦乱の世にあってもあくまで芸術的な趣、格式、威厳を示す工夫が感じられホッとします。

 写真のように屋敷の基礎として石垣が周囲を取り巻いてます。セメントのない時代ですから大小の石を方々から人間戦術で集めてきたのでしょう。あるいは現在のセメント工法より雨風に対する風化が防げるように感じます。積み重ねによる紋様は味わいがあり、重量感や松など植え込みから来る風情は武家屋敷の格式と威厳に通じるようです。

 写真左は内部に入るにわざわざ曲がって出入りする仕組みに石垣が積んであります。直接内部を見られないためや、武士が通過する場合、身分制度による下の者の隠れる位置、あるいは突発的な外部からの攻撃に対する防衛のためかと想像できます。

 この石垣の構造を知るだけでも当時の不安定な世の中、厳しい上下社会の成り立ちがリアルに迫ってきます。

 人類誕生以来の歴史から見れば、江戸時代は昨日のような時間です。基本的にこの時代も今の世も厳しさは不変です。常に不安と安堵が行き来し、どちらかと言えば不安定な世の中であり、先行き分からない気持ちが大でしょう。今の時代も生きていくのは容易なことではありません。お互い心を通わせ、助け合い、つながりを持って人間らしく生きていきたいものです。

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2007年3月21日 (水)

悠久なる万里の長城を散策

426178_121368347986240_100003392251  6000キロに及ぶといわれる大城壁、日本の稚内から鹿児島までが直線距離にして約1800キロですから、いかに長い距離を建設したかが分かります。北方の敵から国を守ろうとした指導者の強靭な意思、代々その目的を引き継ぎ、建設を遂行したところに果てしない民族性を感じます。建設の場所はわざわざ山の稜線から山頂を通って足場の悪いところばかり延々と築き上げられてます。それだけでも作業の困難さは想像を絶します。

 昔の指導者が匈奴や蒙古に備えて築かれたものといわれ、いかに長い間、他民族からの戦いが続き、国を防衛する大変な時代であったのでしょう。私は長城は一つで、それが長く築かれてるものと思っていましたが、場所によっては幾重にも建設されてます。

 万里の長城の下にはトンネルがあります。パオトー行きやウランバートル、あるいはモスクワ行き等の列車の線路が走ってます。列車に乗ってみると大同、張家口などの有名な駅を通過し、この付近でも長城は幾重にも見えました。

 また、途中から海抜が高くなるので列車は勾配のある地点では停車できません。スイッチバックがあります。あれっと思ったら反対方向に動き出しました。でも戻ってるのではなく別の線路に入りますが、それからは景色が逆に動きますので心配でした。私が乗った内モンゴル・パオト―行きの列車は北京発の夜行寝台でしたので長い時間かけて万里の長城付近を過ぎると高地の平原になります。景色を見てもほとんど電灯が見えず、まるで暗黒大陸の中を400メートルもあると思われる長い列車が轟音と共に力強く内モンゴルの大平原を走ります。

 このスイッチバックのとき、我が群馬県の松井田駅を思い出しました。長野県に至るとき碓氷峠に差し掛かるので勾配があり列車は停車できず、いったんスイッチバックで逆に進んで、引込み線に戻り傾斜のない地点に駅舎がありました。皆そこから妙義山まで徒歩で行ったものです。内モンゴル行きの列車に乗りながら昔の松井田駅が脳裏をよぎりました。

 万里の長城はレンガのような比較的大きなブロックを積み重ねて建設されてますので、それを考えただけでも途方もない数です。人類の祖先は考えられないほどの精神力です。

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2007年3月20日 (火)

巨大な摩崖佛

  明日はお彼岸の中日です。お墓参りして先祖や妻を供養したいと思います。この仏事は平安時代の初期に始まったらしいです。彼岸という言葉を何気なく使ってますが、面白い字です。現世をこちらの岸(此岸)として彼の岸へ行くことなのでしょう。天文学上では太陽が真東から上り、真西に沈みますから、春分の日は太陽の通る真下が赤道の位置なのでしょう。

 ところで、群馬県には高さ10メートル幅8メートルほどの巨大な摩崖佛があります。甘楽町小幡の長厳寺裏山です。垂直な岩盤に掘り込まれています。この仏教彫刻は地元の吉田文作さんという方が一人で6~7年かけて昭和54年に完成されたと聞きました。足場の悪い位置での硬い岩盤との戦いは大変なご労苦であったことが想像されます。この摩崖佛に向かって先日拝礼してきました。 

 このように危険な絶壁に向って2000日以上費やし、巨大な仏像の完成をめざし手作業で彫り続け、初志貫徹されるには途中の健康維持はもちろん、精神力こそ強靭で敬意以外の何ものでもありません。このような方に比べ、いったい匹敵できる肉体や精神力を持ち合わせてるか、私など何事にも微力でしかないと感じざるをえません。

 これからもいろいろ出向いて美術品を見て回り、作製された過程を含め製作者の内面を感じ取れる見方を養いたいものです。

 ところで、本日は青森県金田一から7時45分にレース鳩が放されました。鳩たちは我が家に向って飛んでいます。青森~群馬間の直線距離は約500キロですので、到着予想時刻は午後2時過ぎと思われます。帰還したらゆっくり休養させ労をねぎらってやりたいと思います。こちらも強靭な精神力と体力、及び先祖から受け継いだ血統をフルに使って帰巣します。鳩から学ぶことは大です。

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2007年3月19日 (月)

ブログのお陰でデジカメ撮影

最近はどこへ行くにもデジカメが必携となりました。今までカメラには関心が薄かったです。ブログに写真を載せるようになってから、周囲の光景への見方が変わり、良い対象物を発見すると、これは撮ろうと思い立ち、すぐにクリックします。 

 内モンゴルへ行ったときも、そこでの見聞や交流を楽しむことに終始し、あまり撮影しなかったのです。これからは旅行に行けばどんどんシャッターを切るでしょう。多分、珍しい光景は宝のように思えるようになったからです。これもブログのお陰です。また、デジカメは今までのカメラのように「余分に撮るとフィルムがもったいない」ということがありません。たくさん撮って後ほど不要なものは消去できます。

 今までで最高によく撮れた写真は(おっと自画自賛となりますが)、谷川連邦など上越国境の銀嶺と思います。デジカメを持つようになって知ったことは、良い作品になるにはカメラマンの立つ位置がポイントであったり、対象物が最も良さを表現する時間帯にそこにいるかどうかと思うようになりました。

 ところで上の写真は上信越自動車道の妙義町にかかる巨大な橋です。下から見上げるとその建設技術の素晴らしさに驚きます。秦の時代に建設されたといわれる万里の長城を歩いて感銘を受けたことがありますが、時代を超えても日本の高速道路建設技術はこれまた引けを取らないものと思います。

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2007年3月18日 (日)

1910年のハレー彗星を見た母

生前に物を発明発見したり、あるいは芸術作品を創造して、自身はそれを味わうことなく世を去り、後世の人々がそれに驚いたり、恩恵に浴するとすればこんなすごいことはないでしょう。

 私がホームコンサートで度々弾くショパンの「ノクターン遺作」嬰ハ短調もその一つと思います。

http://www.youtube.com/embed/xuCtoy3Yvbk

 生前は未発表に終わり、死後、出版されて演奏されるようになりました。シューベルトの有名な未完成交響曲も1、2楽章及び3楽章の冒頭部分のスケッチのみであることはよく知られていますが、彼の死後37年経過してから楽譜が発見され初めて演奏されました。生涯僅かに31年です。人生は短し芸術は長し。

 このようなことで私が最も深い感銘を受けた人物はイギリスの天文学者エドモンド・ハレー(1656~1742)です。彼は生存中、対象となる彗星を見たのは一度だけです。しかし、生まれる前の1531年、1607年に出現した彗星は彼が26歳の1682年に現われた彗星と同一の天体ではないかと結論づけ、次回は1758年に出現すると予言して世を去りました。

399pxedmond_halley_royal_greenwich_  予言した彗星の出現をどれほど自分の目で確認したかったことであろうか。しかし、無念にも1758年を待つことなく亡くなり、その夢は後世に引き継がれました。そして1758年彼の予言通り正しく彗星が現われたのです。こんな偉大なことはありません。自分の名が彗星に命名されたことも知らないことになります。以後76年ごとに現われることが確認されてます。この彗星と同一の天体と思われる出現がこれよりずっと大昔の日本書紀や中国の古文書に記載されてるといわれます。

 私の母(1901~1988)は子供の頃の思い出として、母親に連れられ川の土手へ「ほうき星」を見に行ったと言ってました。大きな尾を引くそのほうき星は少女であった母の脳裏にすごく焼きついたようです。

 今、思うにこれは1910年に出現したハレー彗星です。日本でもハレー彗星が現われることが明治時代に報道されていたことになります。次回の出現予定は2062年ですから見るには大分長生きしなければなりません。20才代の人は可能性が大です。

 私たちは想像もできない大昔からの天体の動きと、その一つである地球上において自然の脅威と恩恵の中で生存してます。この大自然によって生かされてることに感謝感銘し日々過ごしたい。

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2007年3月17日 (土)

自己最高記録を車のナンバーに

 娘が二人います。今日は長女の誕生日です。この間、生まれたと思っていましたが、すでに横浜で仕事に携わりながら家庭を持ってます。月日の経つのは早いものです。高校時代には吹奏楽部に所属しテナーサキソフォーンを担当、部活に明け暮れていました。私はソプラノサキソフォーンを吹いてますので共通項か。

 次女は私と二人暮しです。朝食の時、一緒に過ごすだけで、夕食を共に摂ることはめったにありません。仕事はウェディングプランナーとして若いカップルの結婚式において、心に残る演出をお手伝いしています。土日や祝日は結婚式がありますので今朝も7時台に出勤です。帰宅は夜11時頃です。

 生涯を貫く仕事を選択するには「その仕事が向いてて適正があり、それが好き」ということが基本でしょう。「好きこそものの上手なれ」は、継続できる職業選択として重要な要素と思います。それにプラスして頑張れる気持ちは学生時代の部活により養われることが大であるようです。

 次女は高校時代、陸上競技部のキャプテンでハードルを専門としていました。4×100メートルのリレーでは3年のときアンカーとして県高校総体3位になりました。出場校が多い中、よく決勝まで残り入賞できました。そのときの光景は今でも鮮明に私の脳裏に焼きついてます。

 ハードルはジャンプと走力の連続で想像以上に労力を要し、ゴールまでたどり着くだけでも並大抵ではないとのことです。時々腰を痛め病院で治療しながら選手生活を続けました。これほど陸上競技に打ち込んだのですから、培った精神力を基礎として、これからは人生の荒波に力強く対処していってほしい。

 娘は高校時代のハードル自己最高記録を車のナンバーにしてあります。悔いなき青春時代のそのナンバーが毎日の出勤の弾みとなり、たとえ弱音が出そうになってもメモリード・アルカーサル結婚式場へ向います。

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2007年3月16日 (金)

December Love

 先日、中学校時代の同級会が町内で行なわれ、久しぶりの面々にお会いでき楽しかったです。当たり前ですが、全員が同じ歳なので不思議なものです。普段の生活ではどこへ行っても会う人とは年齢が異なりるのが通常だからでしょう。

 余りにも風貌が変わってしまって誰だか全く見当のつかない人が男性にも女性にもいます。近くの友人に訊いてああそうかと思い出したりします。独断的に感じたのですが、参加者40名の中で心身ともに、はつらつと感じて見えたのは女性が3名程と男性も3名程でした。偏見中の偏見ですが、その中の一人に私も含まれてると思いました。(大爆)

 今回の同級会に私は一つのテーマを持って臨みました。それは同級生たちが「どんなことに興味を持って今を生きてるか」です。ほとんどの方々と言葉を交わしましたが、多くは昔の頃の話に花が咲いて、それはそれで子供の頃の記憶が具体的に蘇り大いに盛り上がりました。

 自分の年齢に関して、私たちはもう40になってしまったとか、もう50になってしまったとかと思ってしまいがちです。しかし、前に戻れない時間の流れがありますから、過去とは脳裏の中にのみ存在するだけでしよう。

 どれほどの長さか分からないけれど、「今からいつかこの世を去る日までが現実の大切な大切な日々」です。このように考えると「今日が1番若い日となり」これから何に興味を持って生きるべきかが人生を左右すると思います。

 そんなことから今回の同級会では「同い年の方々が現在どんなことに夢中でいるか」が私の関心事であったのです。幾人かいました。男性も女性もいきいきしてました。私もすることを決め、これからをしっかり生きたい。

 同級会では懐かしい女性に会うと、とときめきが起こるものです。声が良くて歌が好きだった方とお会いでき、しばし我を忘れました。

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2007年3月15日 (木)

管地の払い下げ

P1040498  長い期間、東隣の地主との間に幅にして1メートル20センチ程、長さ20メートル程の管地ありました。昔の田んぼのあぜ道と水田に水を引き込む水路であったようです。このため、父が生前、隣との境を生垣にしておきましたが、私は所有地の境を明確にし、将来困ることがないよう正確な位置内に塀を作りたかったのです。

 幸い町内に事務所を構えてる測量士と知り合い、希望を言いましたら手続きが始りました。その結果、隣の地主と半分ずつこの管地の払い下げが可能となり、長年の雲が晴れ渡ってくる感じとなりました。

 案ずるより産むが易し、管地の払い下げであるために測量士に払う手数料も含め土地代金は市価の半値以下でした。何事も心配してるより実行に移すことによって道は切り開かれ思いを強くしました。決断し本当に長年の夢が叶いました。

 早速、南側と同じ塀を作ることにし、赤焼きベスロックを使用して上の部分は見た目を重要視し、つなぎ目のない黒にしました。スペイン風な趣です。(ちょっと言い過ぎか。)工事施工後、土地が約5坪広くなり、50センチ程あった生垣の幅と違って無駄が無くなり、土地一杯に広がりを見せています。

 庭には花木が植えてありますので、これからの季節は次から次へ開花し、前の道を通る方々に自由にご覧いただけるため南側の塀の高さは1メートル20センチぐらいにしてあります。

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2007年3月14日 (水)

奥多野の自然

 群馬県西南部に位置します上野村の鍾乳洞は不二洞です。初めて中に入ったのは今から30年程前で父と二人でした。その後、職場の旅行で奥多野を散策した時に10人ほどで最深部まで入っていきました。昔、僧侶が入り込み戻らなかったといわれ、10メートルくらい下に向って階段で降りた地の底のような所にそれが奉られています。ちょっと一人では行けない暗黒の地底です。おっと、ゾクゾク

 天井からの雫により出来る鍾乳石が大きなろうそくのような形になるには数万年以上かかと想像されてます。これを考えただけでも人間の生涯など顕微鏡で見るほどの長さと思わざるをえません。暗黒の中で考えられないほどの長い時間をかけて美しい紋様を形成してるのは驚きです。今では入口までの歩道がよく整備されてます。

 この不二洞のすぐそばに天空回廊と名づけた長さ225メートル高さ90メートルの吊り橋は名所となってます。この吊り橋の設置位置がもともとかなり高いところにありますので、谷底からは90メートルであっても遠く下方に見える国道は見かけ上300メートルくらい下に見えます。欄干にシャボン玉の装置がついて飛ばせることも出来ました。

 高度があるので空気が良く、歩いて渡る気持ちの良さは格別でその名の通り天空にいるようです。高度恐怖症の私ですが、欄干がしっかりできてるので怖さはあまり感じません。でも、もし欄干が無いことを想像すると立っていられないでしょう。

 この下の沢の流れは神流川(かんながわ)に注ぎ、次第に水かさを増して群馬・埼玉の県境となります。途中、下久保ダムがあり神流湖を作ってます。ダム建設によって多くの家屋が湖底に沈み、渇水時には昔の姿が一部見えます。かなり広い美しい人造湖です。

 この近くから御荷鉾(みかぼ)スーパー林道が始り、山のかなり高い位置をくねりながら近年開通した湯ノ沢トンネル近くまで道が走ってます。車で通過できますが、ゆっくり走らなければなりません。途中の景色は抜群でお薦めです。

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2007年3月13日 (火)

レース鳩月刊誌「ピクトリアル」に掲載される

P1010839   日本人の鳩舎がイギリスのレース鳩月刊誌「ピクトリアル」の表紙を飾ったのは珍しいことでしょう。世界57ヵ国の競翔家にご覧いただけることは私の人生において歴史に残ることです。

 毎月、直輸入してます「ピクトリアル」は大変好都合の読物です。それは私が鳩をこよなく愛し、英語にも興味があるからです。内容はヨーロッパを中心とした血統の紹介、競翔家の紹介、レース鳩管理法、レース結果です。このため、世界のレース鳩情報と英語の勉強を兼ね15年程前から愛読してます。

 エリザベス女王陛下も時々表紙に登場されます「ピクトリアル」は大変にカラフルです。女王陛下は昔から愛鳩家として知られ、きっと「ピクトリアル」の愛読者であると思われます。日本鳩レース協会主催の国際レースにおいても、イギリスから日本へ雛を送られレースに参加されました。

  その後、国際レースに参加した女王陛下の鳩の孫鳩が鳩友アルカディア鳩舎で飼育されていましたが、近年、私は彼からこの鳩をプレゼントされました。

  Anglo-Japanese Friendship Pigeon【日英友好号】と命名したこの鳩を両国親善のために大切に飼育して行くつもりです。

P1010836 同時に、私が嬉しく思うのは、本当にもしかしてですが、エリザベス女王陛下は日本に私がいることを知っててくださる可能性があります。それは私が今までに三度も「ピクトリアル」の表紙に掲載されたからです。

 アルカディアさんの鳩友でオーストラリアのテッド氏はピクトリアルの愛読者らしく「日本人が表紙に掲載されてるけれど、君はこの人を知ってるか」とわざわざコピーを郵送し訊ねてきたそうです。 アルカディアさんは「知ってるどころではない、飲み仲間だ」と答えたそうです。テッド氏は世界は狭いと驚かれたことでしょう。

 ところで、3年前に妻を亡くし毎日一人暮らしを余儀なくされてる私は心機一転、ヨーロッパ鳩界ご精通のFragrant Mountain鳩舎【岐阜・香山氏】を通じ、フランス南部モントバーン~オランダ北部間1022k、5796羽中総合優勝したプロンク鳩舎作翔「セレクトスチール号」の導入を決意しました。

 これを機会に現在の鳩舎を改築し、井戸水のみを飲料水とし、概して薄暗い鳩舎内、換気の調整可能な機能などレース鳩にとって快適な鳩舎を作りたいと思ってます。

422543_135735796549495_100003392251  鳩界も高齢化社会を迎えつつある現代、いつまでも楽しくレース鳩を飼育できるために、特に水浴作業は飼育者が立ったまま蛇口を捻れば水が溜まり、栓を抜けば排水できるよう、流しを床から1メートルほどの位置に設置します。

 清掃においては塵取りを使用せず、ゴミが床下に落下する構造など、日々の管理で飼育者が腰を痛めない設備に改善します。一方、蚊の侵入を遮断する鳩舎構造は画期的なことでしょう。また、羽数が増えると、どうしても体力的、経済的、環境的に負担が増すので、大型鳩舎化しないで飼育する方針です。

309  今後も北海道から帰還するレース鳩の育成をめざし、目的達成のため毎日の管理を頑張りたいと思います。それにはインターネットを通じて知りえた全国の鳩友から、優秀なレース鳩作出法や管理法などお知恵を拝借し、人間的な交流もお願いしたいと思っています。究極的にはレース鳩を飼育することで精神の充実を求めています。

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2007年3月12日 (月)

どうしたことか早すぎる開花

昨日は寒い一日でしたが、ご覧のように例年この時期にはまだ開花しない筈の花木が咲き始めました。狂い咲きではなく気候が前倒しのようです。環境異変を感じ取り人間に何かを伝えてるのでしょうか。

 写真の花木は左から開花した雪柳、沈丁花、白木蓮です。2~3週間ほど早いです。

 もう、ほとんど咲き終わりました紅梅などの花梅たちについて、今思うに何だか色に鮮やかさが不足していたように感じます。あるいは今の私の心境を配慮してたのかもしれません。おっと、それは言い過ぎ、いくら何でもそんなことはない。

 本当のところは蕾の頃、寒さが足らなかったのではないかと思います。北極圏を取り巻く寒気団が弱かったのでしょうか。エルニーニョ現象は減少と伝えられてます。やはり、寒い時は寒いのがバランスとしていいのでしょう。暖かければ何でもいいものではありません。当地でも一度も雪が降りませんでした。

 私たちは日々の生活に於いて電気による冷房や暖房を出来る限り控え、車を使わなくてもいいところは自転車や徒歩で行き、少しでも二酸化炭素の排出量を人海戦術的に削減して、適量に近づけることは出来ると思います。昔に比較して便利すぎる今の世の中を反省しなければならないと思います。

 人間は自然の中で丁度良い気温、及び呼吸を助けてくれる酸素によって生かされてるので植物の役目は偉大です。このような植物の敏感な反応は何かを提言してるのでしょうか。地球規模では植物が破壊され砂漠化してる地域が拡大してるといわれます。

 私たちは環境について子々孫々に負担をかけないように今を生きたい。

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2007年3月11日 (日)

Hello ! Karan India. Thank you for calling me.

  Please visit Japan again in the near future. Unfortunately my better half died three years ago. She was talking about you many times as long as she lives. I am looking forward to your coming to our city. 

「日本の皆様へ」

 数年前、私の家でホームステイとして受け入れましたインドの青年カラン君から本日電話がありまして暫くぶりに話が出来ました。彼にこのブログのアドレスを伝えましたのでご覧頂いてるかもしれません。このため急遽タイトルを変更いたしました。果たして英文翻訳機能が威力を発揮してくれるでしょうか。

本来のタイトル 【めざせ日本発見の旅】 

 かつては仕事仲間と県内外へ職員旅行として行きましたが、近年、職場も忙しくなりグループで旅行することはほとんどありませんでした。家族での本格的な旅は東京駅から寝台特急で21時間かけ西鹿児島まで行ったことが唯一の思い出です。

 私の住んでる群馬県は見かけ上、日本のほぼ真ん中ですから北へも南へも行きやすい位置の筈ですが、実はあまり行ってないのです。珍しく飛行場がない県であることも遠方へ行かない結果に繋がってるのでしょう。

 まだ行ってない国内はたくさんあります。行ったとしても新幹線や高速により、ほとんどが素通りで立寄ってません。これからは積極的にあちこち巡り日本をもっと知りたいです。幸い私にはインターネットで知り合えたレース鳩愛好家が全国にたくさんおられますので、その方たちを訪問するのも楽しみとなります。

 昼間は足を使って大いに見聞を広め、夕刻からの楽しみは何と言っても温泉です。その土地ならではの珍味に舌鼓を打ち、ましてや気持の通じた人とその日の見聞について語り合いながら一杯やることは無上の至福でしょう。

 まだ行ってない主な所で、ぜひじっくり巡りたいところは北海道、南西諸島、山陰、宮崎県、和歌山県、北陸、能登、佐渡、山陽などです。今まで2年間のインド滞在、カシミール、ネパール、バンコク、香港、内モンゴルなどに行きましたが、これからは国内の良さを十分知りたい。同じ旅先でも季節を変えて訪れれば、また趣は異なるでしょう。

 交通手段は時間的にゆとりが生じる車もいいと思います。現在は軽のバンのみで乗用車を保有してません。「旅は道ずれ世は情け」ですからいっしょに行ける人が現われたら写真のような車でゆっくり日本を旅したい。

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2007年3月10日 (土)

心から好きであってこそ

 本日午後2時から私の家に見える方々にピアノを聴いていただくことになってます。ホームコンサートです。

 私は今までに人にピアノを教えたことはありません。実を言うと「教える時間を自らの練習に回し、もっとよく弾けるようになりたい」というのが本音です。

 新たな曲に挑戦するには1曲であっても3ヶ月から半年くらいは必要です。難しい曲に出会うと自分にとって演奏不可能ではないかと弱気になることもしばしばです。それでも今の実力の110パーセントくらい上の曲ならどうにか手が届き、レパートリーが増えて楽しみです。きっと今までになかった自分になるからでしょう。

 ピアノの良さの一つは曲数が無限にあることです。その中から心境や好みにあった曲に出会えると一所懸命に練習してしまいます。弾いていてどうも合わない曲もあります。結局、そのような曲はレパートリーから外れます。

 私にとって選曲の基準は「その曲が心から好き」というのが大切ですから、他を犠牲にしてでも時間を割いて練習し、早く弾けるようになりたい一心になります。練習曲は別として心が動かない曲を弾くのは時間がもったいなくなります。

 もしかして、このことは恋人と共通することではないでしょうか。「心から好きであってこそ」ということは音楽にとっても一番大切なことで生き甲斐につながると思っています。

 今日は、腕の重さを十分感じ、良いタッチの音になるよう心してみます。

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2007年3月 9日 (金)

嬉しいブログ復旧

  先日、突然にブログの管理面が作動しなくなりまして申し訳ございませんでした。最近、世界的に波及した経済の株安と同様、急に何が起こるかわかりません。何か起こっても慌てないで対処できるように確かな技術と心がまえを持ちたいものです。

 今回の不都合は単純ミスが原因と判明しました。今回の復旧に関しましてはブログ開設時に多面に渡りお世話いただいたお隣のHA様に全面的に応援していただきました。近いうちに私の家で彼の愛妻K様も交えて食事会にご招待し、一杯飲んでいただく予定です。本当に有難うございました。

 ブログ不通であった2日間は何かと憂鬱になり、表現手段がなくて気が滅入りました。コンプュ―ターは今や欠かせない生活の一部です。書込みだけでなく取り扱い技術も向上すべきとつくづく思いました。

 一昨日は前橋で来年度の海外日本人学校派遣教員9名の壮行会がありました。式典の中で私はそれぞれの先生方の赴任国であります国歌の楽譜を贈呈しました。現地での交流に役立てていただければ幸甚です。それにしても懐かしい先生方にお会いできて楽しかったです。

 ところで、今まで世界の国歌を聴いた経験の中で最も感動したのは香港が中国に返還される歴史的瞬間でした。中国時間午前0時(日本時間午前1時)1分前に英国国歌「God save the queen」が演奏され、午前0時の時報、次に中国国歌の演奏でした。この間約2分間、言葉による解説は全くなく、だだ国歌と時報のみでした。これほど厳粛な式典と国歌の意義を感じたことはありませんでした。

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2007年3月 6日 (火)

歩こう歩こう BMI 22を求めて

 私は以前に血圧が高かったのです。これは遺伝的要素も関係すると聞いたことがあります。父は低くい方でしたが、母は高かったです。一方、父は鼻があまり良くなかったようですが、母は鼻は健康でありました。

 この両親から生命を頂いた私は何と両親の悪いところを両方引き継いでしまったのです。鼻については30歳頃に手術しましたが、鼻は手術によって完治するものではないようです。手術によって医師がその後の治療をしやすくするために内部を広げたようです。以前に比べて調子はいいですし、花粉症はありません。今でも近くの耳鼻咽喉科に時々お世話になってます。

 一方、血圧の治療については、前橋高校勤務時代のPTAの方が循環器ご専門の医師でしたので、今でも2ヶ月に1度の割りで診察を受けてます。この医師はNHKためしてガッテンの助言者として時々登場されます。

 私の両親は二人とも明治時代の生まれで、背もどちらかと言うと小さかったです。両親から悪いところのみ貰ったように書きましたが、この二人から生まれたのにどう言う訳か、私は背が高いです。また、自分達が小学校のみの学歴だったからでしようか、私を地元の国立大学に進学させてくれました。また、父は人に名前を付けることをしていましたので、6人兄弟の最後に生まれた私に「日本でただ一人と思われる名前」を付けてくれ、今では有難いと感じています。

 88歳まで生きた両親に報いるには健康きりありません。「栄養、運動、休養、脳の鍛錬」を怠らずに生きたい。歩いて歩いて血の循環を良くすることは室内の運動とは異なり、目から入るいろんな景色に刺激を感じ、一石二鳥と思っています。

 写真はいずれも群馬県内のつり橋で歩いて渡ると楽しいです。左から上野村スカイブリッジ225メートル谷底からの高さ90メートル、中央は高崎市の響き橋100メートル高さ50メートル位、右は利根川上流にかかるその名も「めおと橋」 でも一人で渡ってもね。

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2007年3月 5日 (月)

海外日本人学校教員派遣

 平成19年度、本県から世界各地の日本人学校へ派遣される先生方は9名です。赴任先はカイロ、バンドン、バンコク、上海2名、ジャカルタ、スラバヤ、北京、ヨハネスブルグです。派遣される先生方は県内の学校に於いてすでに教育経験のある方で、4月から3年間赴任国に滞在し、国際理解教育の最先端で授業されることになります。

 将来、世界各地で活躍する確率の多い日本人の児童生徒に対し、外国に於いて国際理解の感覚や知識を身につけさせ、世界に羽ばたく日本人の育成を目的にしてます。

 毎年、先生方が赴任されますので、すでに多くの先生が世界各地で活躍しておられます。今回、新たに赴任となります先生方の壮行会がもうじき行なわれます。

 私もかつてこのような経験をしたことから国際理解教育研究会会員の一人になってます。今回は壮行する立場として出席し、式典の最後に赴任国の国歌の楽譜と励ましの言葉をプレゼントする役を引き受けてます。

 気候、食事、言語、風習、文化、生活様式、経済の異なる地において生活されるのですから、心身ともに健康に留意され、その任務を遂行できますよう応援しています。

 これらの先生方には、拙いこのブログや掲示板を現地でご覧いただけるようにし、私も先生方に負けないよう国際感覚に磨きをかけたいものです。同時に日本のすばらしさも十分にお伝えしたいと思います。

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2007年3月 4日 (日)

途方もない大昔

 先日、群馬の南西部に位置する神流町の旧中里村へ行ってきました。帰路は一周するコースを辿り、上野村に出て近年開通した湯ノ沢トンネル経由で下仁田町へ周りました。このコースへのドライブは暫くぶりです。

 以前に四国犬を飼育してた時、日本犬に興味を持っち上野村に残っているといわれる「十石犬」の見学に行ったことがあり懐かしかったです。山深いこの地は神流川を中心として自然がたくさん残っていてお薦めの地です。

 旧中里村から埼玉県の秩父に貫ける道には道路工事中に発見されたという垂直な岩が姿を見せてます。この岩肌は漣のような跡がたくさん残っており、普通の崖ではありません。大昔そこを歩いたと想像される小動物の足跡や大きな窪みが二つ見られます。地元では以前から不思議な穴といわれていたそうです。

 この岩肌は大昔この地方一帯が海に面していた頃、「水深の浅い砂浜がそのまま化石となり」長い年月の地殻変動によって垂直になったといわれてます。特に目を惹くのは岩肌の上部に確認できる二つの穴です。これは近年、恐竜の足跡化石と確認されました。現場で見学しますと何か重い重力でずぶずぶっとぬかるみに踏まれた感じに見えます。

 恐竜が生息していた一億年前の中生代白亜紀といっても途方も無い大昔のことです。ましてや地球の誕生はそのまた40倍も昔のことといわれてます。

 それには比べようもない短い時間を生きる私たち人間は、いつも些細なことで悩んだり、争ったりしてるのでしょう。

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2007年3月 3日 (土)

Eureka !!

 昨日のうさぎのような形をした板はアメリカ五大湖の近くにありますミシガン州の形が正解です。ホームステイで受け入れたミシガン州の方から頂いたものです。地図を広げてご覧ください。

 また、これは写真のようにワインのボトルを寝かせるもので、どこにでも置けてインテリアとして飾ります。バランスを保ちながら実によく考えられています。一見、倒れるのではないかと不安を抱かせますが、まだ倒れたことはありません。心配なのは地震です。もし心配ならば倒れる前に飲んでしまえばいいのです。

 いかがでしたか。今までにご覧になったことのある方はすぐにお分かりだったでしょうが、予想外の方もおられたでしよう。

 意外性とは、面白いことの一つです。日々のマンネリ化を脱出して新しい発見に出会いたいものです。

 2000年以上前にギリシャの物理学者アルキメデスが金の純度を測る方法を発見したとき「Eureka!ユリーカ、見つけたぞ、わかったぞ」という言葉を発したように、私たちもどんな些細なことであっても日々新しい発見を求め脳を鍛えたいものです。 

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2007年3月 2日 (金)

奇抜なアイディア

 写真は、1何の形をしてるでしょう。2何に使うのでしょう。アメリカ人から頂きました。25センチほどの木の板です。ご覧のように回りに彫刻がしてあります。私は始め分かりませんでしたが、説明を受けてなるほどと思いました。

 昨日は4ヶ月ぶりに歯科に行ってきました。特に歯が痛かったわけではありません。痛くないとき診てもらい、日々のブラッシングでは磨けないところの歯石を除去してもらうと歯の健康維持に結びつくように思っています。

 ところで、普段から「しっかり噛む習慣」を身につけたいものです。食事をするとき無意識に噛んでいるので特にお腹が空いてる時など、どうしても早めに飲み込んでしまいがちです。

 しっかり噛む利点について、医師に教わったこと、本で読んだこと、自分で考えたことをまとめますと「脳の発達を助ける」「老化防止になる」「口の周りの筋肉を使うので表情が豊かになる」「唾液の分泌が盛んになり歯の病気やガン予防が考えられる」「胃腸の負担を少なくする」などです。

 よく噛むように工夫するにはキノコ、シーフード、干しシイタケ、レンコン、ゴボーなどの食材を大きめに切るといいと思います。味が濃いとおいしいためか、どうしても早めに飲み込みがちで、最近よくいわれる薄味にするのも一石二鳥の気がします。

 ブラッシングは毎食後行い、特に歯の裏側を重点とし、その後、歯ぐきだけを力を入れ過ぎないようにしてマッサージする。この歯ぐきのマッサージは頭がすっきりするような気がします。

 意外なことですが、歯に良くないものは何でしょう。それは乳製品とのことです。カルシュームを含み一見良さそうですが、身体の中身に良くても、飲んだり食べたりした後に歯に残ると大変よくないそうです。牛乳など飲んだ後はきれいにしましょう。

 では、冒頭の写真についての質問をお考え下さい。答えは明日お示し致します。

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2007年3月 1日 (木)

県内最高齢

 私の町の比較的近くにお住まいでしたUうめさんが108歳という長寿で亡くなりました。ご冥福を祈ります。100歳になってからも家の周りの散歩を日課にし、元気に自宅で過ごしていたそうです。

 明治31年(1898)誕生ですから19世紀、20世紀、21世紀を経験され県内一番の長寿でした。

 好物は酢の物とコーラとのことです。うめさんは「食事は腹八分目というが腹六分目で我慢すること」と話していたそうです。

 昨日、私はかかりつけの吾妻の病院へ伺いましたので、受診の折、担当医師にうめさんのことを伝えました。循環器がご専門の医師は以前から私に「腹六分目」を推奨されていたのです。もちろん私には難題でありましたが「108歳の方が先生と全く同じことを言ってました」と伝えたかったのです。医師の話では現在の医学界では健康には腹六分が定説になってるのだそうです。やはり今は飽食なのでしょう。

 前にも書きましたが、100歳の方の言葉には重みがあります。テレビで100歳万歳と言う番組を見ましたが、どなたもこのように感じ、しかも共通してることは大らかなのです。

 私もうめさんに習い、正しい食生活と適度な運動を心がけ、いつまでも自分のことは自分でする気持ちを持ち続けたい。

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