自由な発想の開花
あまり大きなことは言えないが、教育においては画一的、記憶優先型では個人の才能は伸びにくくなると思っています。むしろ、「優れた個性」そして「自由な発想」がその後にすばらしい開花をもたらすように感じます。
教育システムに乗って、あまりにもまじめで完全を期してやりすぎると100点は取れても、大きな物事が見えにくくなり、精神的に疲れきり、テストが終わるともう勉強は暫くいいとなってしまうかもしれません。常に集団行動的に一つの枠の中で「同一の答えを求めてやるのでは」平均的日本人をつくり、折角優れた才能や個性をもって生まれてきた人にまで思考発想の許容度を狭くさせてしまい、日本の宝である若い芽を潰しかねない。
この思考の許容度を大きくすることこそ大切で、これには教える側に度量がなければなりません。教師は期待してる答えのみに満足せず、それ以上の「新たな発想が生じる」教え方に発展したい。それは思考回路の個性的人間を生み出し、児童生徒の脳の発達にとって無限の可能性に繋がると思います。
以前に勤務していた上司の話を思い出しました。アジアで若者のフォーラムが開かれ、各国代表の学生が一同に会しました。討論においては台湾、韓国、中国、東南アジアの青年が闊達に活動し発言してる姿が目に焼きついたそうです。これに対し日本の青年は発想力に欠け、彼らと対等に向き合えずかなり差が生じていたとのことです。この様子を見て危惧を覚え、日本は将来アジアの中でも後塵に拝す予感がしたと述べています。
英語能力一つとっても日常的にこなす東南アジアの青年にかなりの遅れをとっている。私も時々いろんな入試問題など見ますが、なぜこの括弧の中にはこの単語だけが正しいのかと疑問を持ったり、異なる言い回しでもいくらでも通じるのではないかと思うことが度々あります。
誤りばかり正さないで文法なども完璧でなくてお構いなし、それよりもっと大切なことは「自由な発想を展開させることを教え続ける教育」こそが明日の輝く人間に育つのではないでしょうか。
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