悠久なる万里の長城を散策
6000キロに及ぶといわれる大城壁、日本の稚内から鹿児島までが直線距離にして約1800キロですから、いかに長い距離を建設したかが分かります。北方の敵から国を守ろうとした指導者の強靭な意思、代々その目的を引き継ぎ、建設を遂行したところに果てしない民族性を感じます。建設の場所はわざわざ山の稜線から山頂を通って足場の悪いところばかり延々と築き上げられてます。それだけでも作業の困難さは想像を絶します。
昔の指導者が匈奴や蒙古に備えて築かれたものといわれ、いかに長い間、他民族からの戦いが続き、国を防衛する大変な時代であったのでしょう。私は長城は一つで、それが長く築かれてるものと思っていましたが、場所によっては幾重にも建設されてます。
万里の長城の下にはトンネルがあります。パオトー行きやウランバートル、あるいはモスクワ行き等の列車の線路が走ってます。列車に乗ってみると大同、張家口などの有名な駅を通過し、この付近でも長城は幾重にも見えました。
また、途中から海抜が高くなるので列車は勾配のある地点では停車できません。スイッチバックがあります。あれっと思ったら反対方向に動き出しました。でも戻ってるのではなく別の線路に入りますが、それからは景色が逆に動きますので心配でした。私が乗った内モンゴル・パオト―行きの列車は北京発の夜行寝台でしたので長い時間かけて万里の長城付近を過ぎると高地の平原になります。景色を見てもほとんど電灯が見えず、まるで暗黒大陸の中を400メートルもあると思われる長い列車が轟音と共に力強く内モンゴルの大平原を走ります。
このスイッチバックのとき、我が群馬県の松井田駅を思い出しました。長野県に至るとき碓氷峠に差し掛かるので勾配があり列車は停車できず、いったんスイッチバックで逆に進んで、引込み線に戻り傾斜のない地点に駅舎がありました。皆そこから妙義山まで徒歩で行ったものです。内モンゴル行きの列車に乗りながら昔の松井田駅が脳裏をよぎりました。
万里の長城はレンガのような比較的大きなブロックを積み重ねて建設されてますので、それを考えただけでも途方もない数です。人類の祖先は考えられないほどの精神力です。
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