« 山登りと無常 | トップページ | 感銘は心を動かします。 »

2007年4月30日 (月)

青年教師と子持山

  昨日の子持山登山は25年ぶりです。高崎商業に勤務してた時、近くの北毛青年の家で吹奏楽部の冬休みの合宿があり、40人ほどの部員と気分転換にレクリエーションとして山頂まで登った山でもあります。四半世紀前ともなると私も純真な(?)青年教師でしたので、また責任感があったのでしょうか、疲れたというような記憶はありません。

 その生徒さんたちもすでに40才代、社会の各分野で活躍してます。ときどき近況報告と称して一杯やることがあり、こんな時「ずいぶん頼もしい人たちになったものだ」と男性も女性もつくづくその立派さに驚かされます。

 彼らの高校時代の思い出は吹奏楽部での活動がそのほとんどを占めているようです。高崎市群馬音楽センターにお客さん2000人に入場していただいての定期演奏会はいつも盛況、部員たちにとっては部活の集大成として達成できた満足感、その晩の慰労会は若いせいもあって、合宿場で跳んだりはねたり大騒ぎ、顧問教師も一仕事すんだ開放感か大分リラックスし部員と心は一つ。儀式では部活をやりぬいた3年生を褒め称えたりして、時には涙あり。この時ばかりはめずらしく真面目な教師らしい一面もあったようです。

 これらはすべて昭和時代のこと、月日は遠い夢のように過ぎ去りましたが、今回、子持山に登頂したのが偶然にも昭和の日。子持山近くの北毛青年の家で行なった毎年の合宿は昨日のようにはっきり覚えおり、私にとっても歴史として心に残ってます。

  ところで、子持山登山中に思いました。登山はもちろん、平素あちこち歩いても、歩くということには大きな利点があるように思えてなりません。身体を鍛える点ではジョギングやマラソンなどを頑張ることは効果があるでしょう。しかし、心に余裕が生まれるかはどうかは難しいことのように感じます。

 この点、歩くことは特に頭脳にいいと思われてならないのです。歩いてると頭の中では次から次へといろいろのことが浮かび上がるものです。多分、これは「血流のスピードが丁度良くなり」脳へ酸素がたくさん運ばれるからでしょう。

 血液の流れを見ることはできませんが、これがいかに大切であるか忘れずにいたいものです。これからもいろいろ工夫して脳を鍛え、立派になった生徒さんたちといつまでも交流したい。

|

« 山登りと無常 | トップページ | 感銘は心を動かします。 »

教育」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 山登りと無常 | トップページ | 感銘は心を動かします。 »