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2007年5月

2007年5月31日 (木)

新たな分野、筝と洋楽との融合

  昨日書きましたギターと同じ弦楽器であっても筝曲についてはなかなか聴くことはありませんでした。前橋市民会館などで生演奏を聴くことは数年に一回です。今後はもっと足を運び、筝の響きを味わいたいものです。

 筝そのものは私の友人が販売の仕事をしているので、時々拝見します。今回CDで10曲鑑賞しましたので感想を持ちました。

 ご存知の通り、弦ははじいても音が出ますし、叩いても出ますし、擦っても出ます。はじいて音が出るのは筝、三味線、ギター、マンドリン、チェンバロ、琵琶などでしょう。叩いて音を出すものは少ないですね。、ピアノやジプシーのツィンバロン、中国の揚琴(ヤンチン)位でしょうか。内モンゴルのパオの中で揚琴の演奏を聴いたことがあります。また、擦って出すものはバイオリンなど西欧の弦楽器などです。このうち音が良く伸びものは擦る楽器です。同じ弦楽器でも音の出し方はいろいろですね。

 今回、聴いた曲のうち印象に残った曲は「平城山」「さくらさくら」「お江戸日本橋」です。「千鳥の曲」や「六段」も聴きました。前者はオーケストラとの共演です。私が洋楽に親しんできたためか前者の3曲が素晴らしく感じました。これは同じ弦楽器であっても、前述の「音の出し方」が対比的なために、それぞれ個性が出て共演が新鮮に聴こえたのかもしれません。

 筝曲は純然たる日本の伝統音楽ですが、楽器の性質でしょうか。演奏を聴いて洋楽とはすごく融合するように感じました。音色そのものも西欧音楽と結びつき易いのでしょうか。これは先ほどの「音の出し方」の対比と、日本音楽と洋楽とが相違しても、弦の響きという共通性からくるのでしょうか。すごくマッチしてます。

 これから邦楽と洋楽との融合は、新たな分野として広がり、その中でも筝が果たしていく役目は確かと思いました。

 筝はもちろん、今まで国別に発展してきた文化は今後、いろんな分野で世界と手を取る融合の時代に入ってるのでしょうか。

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2007年5月30日 (水)

心に響くギターの音色

 30年前にクラシックギターを習い始めました。それ以来、弾いてますが、最近はさぼり気味です。一人静かな室内で弾きますと空間すべてが素朴な響きに包まれます。哀愁に満ちたその音色は聴く人を魅了しますね。

 この素朴さはどこから来るのでしょう。たぶん素材が木であったり、サウンドホールが大きくて共鳴がよかったり、良いニスが塗ってあるからでしょうか。弦をはじくのが人の指であることにも因るでしょう。また、弦をはじくという音の出し方がバロック時代のチェンバロに共通してます。

 フレットを見ると不思議です。その間隔が同じではないからです。これは物理ですが、音の高さは弦の長さに反比例するからでしょう。しかも楽器の形が大変に美しくて抱えやすいです。何か女性の体つきに似ていると思うのは私だけでしょうか。これだけでも大切に扱いたい気持ちになります。

 私の家には今では珍しい漆喰の壁の洋間があります。天上がアーチ型で床が無垢のカリンで十八畳です。ここで弾くと響きは一段と冴えてきます。これは楽器だけが楽器でなく、その部屋も楽器の一部となる現象でしょう。

 名曲はたくさんあります。その中でも手の届くのは「愛のロマンス・禁じられた遊び」で、ぜひ弾きたい一曲です。中間部のところでは左手が人間離れするような運指がありますが、繰返し練習すれば手が覚えてくれるでしょう。サキソフォーンは吹いてるとき自分の指が見えません。ギターは見えるのでその点はいいです。

 ギターの音色は今の私の心境にぴったりです。心の寂しさ、物悲しさ、哀愁味を奏でてくれそうです。

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2007年5月29日 (火)

健康生活の基本

 娘は朝早く出勤し、帰宅が遅いので家事は主夫である私が一切行なってます。現在の私の仕事は在宅で掃除、洗濯、食事の用意、買い物、そして隣保班の班長です。

 高齢化社会に於いて、今は幼稚園生に相当するのかなと考えてます。というのは一般的に65才からが社会ではシルバーと思われる慣習があるからです。

 一つの方法として、高齢化社会を身近に感じるために、もし、この65才を小学校の1年生に例えてみると認識しやすくなります。66才は小2、67才は小3、68才は小4、69才は小5、70才が小6となります。引き続いて71才は中1、72才が中2、73才が中3、次に74才が高1、75才が高2、76才が高3、つづいて77才が大学1年、78才が大学2年、79才が大学3年、そして大学4年が丁度80才となります。

 このように考えると人生はまだまだ長いですね。これを成就するには身体の健康にこそ充分注意を払い、精神的にはいろいろに興味を持って、いつまでも若くいなければなりません。

 生活は室内と屋外のどちらかにいるのですから、特に室内は清掃と換気と温度に気をつけたいです。呼吸のために清潔な空気を体内に取り入れなくてはなりません。室内に埃が浮遊してない環境が第一でしょう。見た目は第二と思います。

 廊下が多いので私はウェットタイプのワックスシートを使い、埃を拭き取ります。今の時期、窓を少し開け、反対側の窓も少し開ければ、新緑を通過した空気が室内に流れます。

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2007年5月28日 (月)

久々に「ころ」の登場です。

 現在、一才半の愛犬「ころ」は元気です。普段、裏庭で放し飼いですから、犬走りを勢いよく走り、運動不足はないと思われます。先日、珍しく1キロくらい散歩に行きましたら、見るもの聞くものが珍しく興奮気味でした。

 「ころ」は柴犬のオスです。曳く力は強いですから、体重70キロの私をどんどん引っ張ります。こちらは片方の手にいざという場合の道具を持ってますから、途中、猫が現れたりするような突発的な場合は一目散に近づきますので、綱をしっかり握ってなくては逃げられる危険があります。

 ご覧の通り、毛が生え変わる時期のため櫛で解かしてやりますが、いくら取っても取りきりません。きれいになるにはまだ暫く日にちがかかりそうです。

 裏庭は涼しいですが、初夏のため喉が渇くのでしょう。ずいぶん水を飲みます。朝夕、新しい水に取り替えますが、すぐに減ってます。

  あまり躾らしいことはしてませんが、家の中には前足のみで決して入りません。足だけは外に置いといて全身を伸ばして室内に入ろうとしてます。もし、後ろ足を一歩でも入れた場合はNo good!といいますとすぐ引っ込めます。

 散歩に行くときは名前を呼んで綱のある木戸の方を指差すだけで分かって、そちらに走っていきます。ときどき指だけでその方向を指しますと、半信半疑の真剣な顔をして私の本心を見抜こうとします。動物にうそをついてはいけないと思いました。

 元々、家族が少ないために娘が飼育したいと飼い始めたのです。毎晩11時頃、仕事から帰宅すると「ころ」と交流してるようです。その時、私はすでに寝てますので、ふたりだけで至福の時を過ごしてるのでしょう。

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2007年5月27日 (日)

神秘的な太陽の動き

  今の時期は一年の中でも日照時間が長く、気温も湿度も快適です。鳩を飼育してることもあって早起きで、私にとって朝は貴重な時間になってます。

 今朝の日の出の位置を見ますと予想以上に北の方角にあり、地球がどうかしてしまったのか、と思うほどです。日の入の位置もずいぶん北になってます。あと25日ほどで夏至ですから、それまではもっと北に移動するでしょう。

 日本よりもっと北の位置に立てば尚のこと北から出で、北に近づいて沈むるのですから夜が短くなり、いわゆる白夜に近くなるでしょう。そして、もっと北の北極圏より北に行けば、ついに夜がなくなるなるわけですから、太陽は一日中、沈まずに出ていることになります。日本の位置では経験できない不思議な世界でしよう。太陽は見かけ上、東から南を低く通過し西へ、そして北でも沈まず、地平線の近くを毎日周ってるのでしょう。

 南半球ではこれらはすべて逆になるのですから、日本が冬の時期には極端に言うと南極圏では見かけ上、太陽は「東から北へ進み、そのまま西へ、そして南へ進み」、地平線近くを周る筈ですから、この太陽の動きは日本では考えられない神秘的なことです。実際には天候の関係でなかなか見えないかもしれません。今の時期、南極は毎日夜が続いてるでしょう。

 一方、月に関しては日本で見ると、今の時期、満月の時に出る位置が予想以上に南です。殆ど南東に近いです。沈む位置も南西に近いです。今月31日が満月ですから、ぜひ見ましょう。これは太陽の位置と満月の位置がちょうど反対方向にあるためなのでしょう。今の時期とは逆に冬になると満月の出る位置や沈む位置はかなり北になります。この時期は太陽が南に移動するためでしょう。

 南半球の国々では太陽や月は東から昇ってもその通過する動きは日本と逆に北側を通るわけです。日本で見る星座は北極星を中心として反時計回りに巡りますが、日本で見られない南十字星など南半球の星座は南極上空を中心として時計回りですから、天体観測は夢のようでしょう。 

 青年時代に北緯10度の南インドで見た西に沈む三日月は面白い形でした。まるで一寸法師のおわんの舟のようです。三日月の最も幅のある部分が下になります。赤道で見る星座の動きもきっと魅力的なことでしょう。

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2007年5月26日 (土)

子育てに真剣な父鳩

現在、鳩舎を改築中のため4月に配合し、やっとのことで殆どのペアーに雛が孵りました。孵化して3日目ぐらいですので、雛がまだ顔を覗かせません。温かい父鳩のお腹の下に隠れてます。それぞれの巣に雛が2羽います。左の鳩はベルギーのファンローン鳩舎の直仔で、Fragrant Mountain氏の作出です。03年生まれでまだ若く、胸がすごく発達してます。抱卵中に外敵が迫るともの凄い形相で威嚇します。配合雌鳩はセレクトエース号直仔です。

  2番めの鳩はオランダのブリュッへマン鳩舎のオルハン・ミラー号の直仔で、同じくFragrant Mountain氏作出です。04年生まれでかなり白い鳩です。バルセロナインター総合8位の祖父が灰胡麻の刺しですから羽色が白いのはそのためでしょう。配合鳩はオランダ・フェルテルマン鳩舎×オランダ・バックス鳩舎です。

 3番目の鳩はオランダのブリュッへマン鳩舎作出鳩で雌です。この鳩の父親はマルセイユ1回とバルセロナ3回翔破し、母親はバルセロナ5回とペルピニャン2回飛んでます。現在、はと鳩舎作「ホープGN号」と配合してます。ホープGN号の母も稚内3回飛んでます。

 4番目の鳩は茨城県高塚鳩舎作出鳩です。ミラクルクィーン号の叔父に当たり、稚内クィーン号の孫です。すでに直仔は昨年羽幌から帰還しました。現在、埼玉県の名前のない鳩鳩舎作ヤン・エルネスト系と配合してます。雛の姿が少し見えます。

 鳩の父親は日中に自身が卵や雛を抱き、乳を口から戻して雛に与えて真剣に育てます。途中で子育てを放棄したり、無責任な行動は一切しません。万が一事故などで母親がいなくなっても父鳩だけで2羽を育て上げます。子育てに関しては人間が鳩から見習うべきことはたくさんあります。

 これらの雛は生後27日くらいで巣立ちし、選手鳩鳩舎に入り周りの景色を覚え、次第に鳩舎の回りを飛ぶようになります。そして40~50日くらいで、ついに人間には真似の出来ない大空を飛翔するようになります。

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2007年5月25日 (金)

六曜の順番について

昔からの風習で依然として現代社会にも影響を及ぼしてるものに六曜(六輝)があります。先勝、友引、先負、仏滅、大安、赤口というものです。特に友引、仏滅、大安の影響は大きいようです。例えば結婚式の日取り、葬儀、上棟式、自動車の納車日、開店日などです。

 これらの始まりは定かでありませんが、江戸時代には現在の月、火、水、木、金、土、日はなかった筈ですから、これらが日常生活で重要な役目をしていたのでしょう。

 現在はカレンダーによってはこれを無視し、表示しないものも多いです。しかし、上記のような仕事に関係してる会社では業務予定を立てるには大切な要素で、これにより日程が一年先まで決定されるのでしょう。

 私が今まで不思議に思っていたのはその順番がしばしば変わることです。普通は先勝、友引、先負、仏滅、大安、赤口の順ですが、時々途中が抜ける日があります。例えば大安の4日後また大安が来たりします。何を基準として決定してるか調べてみました。

 結局、これは旧暦から来ています。ですから現在でも旧暦の名残があるのです。風習というものは140年経過してもそうは変わらないと感じました。

 旧暦の毎月1日に新しくなるのです。つまり新月の日です。しかし、月によって始りが異なります。正月と7月は先勝から始り、以下2月と8月は友引から、3月と9月は先負から、4月と10月は仏滅から、5月と11月は大安から、6月と12月は赤口からと決まってます。閏月も同じです。これにより六曜の時々途中が抜ける理由が分かりました。

 それから便利なことに旧暦では毎年、何月何日の六曜は同じです。例えば8月15日の中秋の名月は毎年必ず仏滅であるということです。

 これとは別ですが、現在世界共通の暦も本当に不思議です。「季節と月日がずれないように常に調整」しながら毎年進んでいるのです。閏年を設けたりして調整してるのですが、そででも長い年月にはどうしても誤差がでるようです。遠い将来の暦のことは人類の子孫に考えてもらいましょう。

 これらは取りも直さず、地球が太陽の回りを一周するのが、365日5時間48分46秒であることに起因してるのでしょう。

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2007年5月24日 (木)

散歩で心してること

 私は趣味が多くて、やりたいことがたくさんあります。欠点として虻蜂取らずでしょう。その中で突詰めるとしたら音楽鑑賞かもしれません。何をするにもその基盤となってるものは健康の増進と経済の安定です。運動には勝ち負けを競うスポーツとして行なうものと、山登りなどそれには拘らず身体の調子を整えるたり、精神の充実を図るために行なうものがあります。私は後者です。

  時々、夕刻に家から烏川の淵を通って往復1時間のコースを歩きます。身体は汗ばみ心地よいです。途中で見かける草花や烏川の景色、野鳥の囀りにも心を惹かれ立ち止まりますが、これが楽しいのです。散歩がいいのは全身を循環する血の流れが程よい速さになるので、頭の中の血流もよくなり、心に余裕が生じるのでしょう。次から次へと考えが浮かびます。

  例えば碑があれば説明文を全部読んでみたりし、知らなかったことも分かります。また、それを芸術として観賞できます。走ったりすると目的は速くゴールすること一つに絞られるので、他のことは眼中になくなります。散歩は身体をよくするためと考えられがちですが、もう一つ大切なことは、脳を鍛えるために効果があるように感じてます。

 私が心してる歩き方は必ず踵から着地し、意識してつま先で蹴るのです。踵から着地は全身に響きますので、骨の生成にいいと思ってます。骨はいつも同じでなく、毎日少しずつ生まれ変わってる筈です。また、つま先で蹴るのは普段活躍する場のない足の指がこの時ばかり大活躍で、身体のバランスを取ったり、外反母趾予防、末端神経への血流の点からしっかり蹴りたいものです。

 最近、気がついたのですが、このつま先で蹴ると思いのほか足が楽に前に出て行くように感じます。試してみて下さい。

 左の写真は井戸八幡です。倉賀野河岸跡にありますから江戸から舟が到着したり、江戸に向かう舟で大切な飲み水を用意したのでしょう。散歩のコースにありますので必ず参拝です。拝むことはただ一つ、娘と私の健康を祈願します。

 この大きな欅の木を周遊しますと折り返し地点となり、今度は家に向かっておいしいビールが頭に浮かび速さはやや増します。でも、一人ではね。(涙) 

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2007年5月23日 (水)

早くも「スチール号」に2世誕生。

4月下旬に導入しましたヨーロッパでの1000K記録鳩「スチール号」がクラウン賞3回受賞の高塚鳩舎「稚内ブルー号」直仔との間に2羽の雛が誕生しました。今朝、巣房を見ましたら巣房の外に2つ卵の殻が転がっていました。直抱きで同時に生え卵内での成長は順調だったと思われます。

  「スチール号」のような記録鳩を今後導入することはないでしょう。(あくまで鳩の場合です。)ですから可能な限りいろいろの♀鳩との配合を試みるつもりです。今春はあと1腹この配合で産卵させ、2番仔は仮母に抱卵させる予定です。

  先日、熊谷市の鳩専門餌屋さんから仔鳩用の餌を3袋(60キロ)仕入れてきましたので、親から離れる巣立ち前後まではこの餌を与えようと思います。この他、鉱物飼料としてレッドストーン、一般の鉱物飼料及び塩土を切らさないようにします。

  これから梅雨に入りますので、巣房内は温度と湿度が上がりがちなので、北側の窓を明け換気に気を配ります。鳩舎全体を快適な空間にしたいと思います。蚊の対策として緑の細かい網で鳩舎の窓全体を覆ってますので、侵入は殆ど防げるでしょう。この網は中から外がよく見えますが、外から内部は見えにくいです。これからは種の体調維持にいっそう努め、健やかな雛の成長のため環境をいろいろ考慮したいと思っています。それはそうと雛が巣立ちする前に鳩舎の完成をめざさなくてはなりません。

  私もいろいろ大切なことがあって日程は忙しいです。

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2007年5月22日 (火)

今日は皐月晴れ?

 今の時期 天気がいいと、つい「皐月晴れ」と言ってしまいがちです。しかし、あくまで陰暦(旧暦)の皐月ですから、現在の6月の晴れた日のことを言うので、本来は梅雨の晴れ間のことを「皐月晴れ」というのでしょう。

 桃の節句も私の家の枝垂れ桃は現在の暦で4月中旬に開花します。この時期は旧暦の3月3日頃に相当しますので、明治の初頭までは「桃の節句」は桃が開花する自然現象と「ひな祭り」の時期が一致してたことになります。

 また、年賀状については「新春のお慶び」と挨拶されますが、子供の頃から1月1日の頃はこれから本格的な冬が来るのに、なぜ、もう新春かと思いつつ書いていました。これも旧暦の名残でしょう。旧暦では毎年多少ずれることがあっても正月1日ともなれば現在の立春前後となり、自然界では早春の息吹がほのかに感じられ頃ですから、「新春のお慶び」とは誠に適切な新年の挨拶であったと思われます。

 旧暦から現在の暦への移行は明治の初頭に世界と歩調を合わせる形で広まったのでしょうが、人々の慣習は一朝一夕で変えられません。暦と生活が一致した多くの「言い回し」は140年経過した今日でも脈々と伝えられてるのですね。

  ところで、来月、私に皐月晴れが訪れるでしょうか。

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2007年5月21日 (月)

レース鳩が書になる

  以前にお知らせしましたように、私の鳩が中国内モンゴルまで飛んでいきました。その鳩は現地で「中日友好号」と命名されてます。

 父母が寝たきりになってしまった頃、鳩舎があっては両親の部屋に陽が当たらないので、鳩より両親を優先し、鳩舎は壊してしまいました。そのとき飼育していた鳩たちは急遽、友人に飼育を託しました。

 それから2~3年しましたら中国の方から手紙が届いたのです。もちろん漢字のみの中国語ですから、意味をすべて把握するのは困難で何のことか分かりませんでした。

 このため県の国際交流課で翻訳していただきましたら、私の鳩が内モンゴル集寧市にお住まいの張宝昆という方が飼育してるということでした。私はその鳩が生まれた時に住所と名前などが彫ってある私製環を足につけておきました。このため、中国の方にとって漢字は本家ですからお読みになり、この私製環を頼りに半信半疑で私に知らせてきたのです。

 私もこの鳩のお陰で中国語を習い始め、しばらく張さんと手紙による交流を続けていましたが、先方から内モンゴルに来てあなたの愛鳩に会ってやってくださいとしきりに依頼がありました。

 その時、これは千歳一遇のチャンスとばかり、私の鳩舎で生まれた愛鳩に会いに行ったのです。行くことが決定してからは「鳩の飼い主が日本から来る」と内モンゴルではニュースになったらしく、着きましたら多くの記者や副知事、副市長、鳩協会の方々などが集まっていて座談会を開いてくれました。すぐに歓迎会となり60度のお酒にはさすが私も参りました。初めの乾杯が済んだあともパーティーで目が会うとその方と幾度も乾杯する風習です。

 1番驚いたのはフホホトの銘揚氏など有名な書家が、この鳩のために写真のような書を創作しておいてくださったことです。上の書の意訳は「日本のレース鳩が海を越え、我が内モンゴルに飛来した。その後、飼い主同士の手紙による交流が始る。これは中日両国人民にとってよい話で、良友は真情を伝え合うものである。時まさに内モンゴルは柳の季節。」次のは「富士山の下にいる君と万里の長城にいる我は同じ月を見ながら盃を挙げる。鳩が世界をつなげた尊いことである。」

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2007年5月20日 (日)

量は少なく種類は多く

 人間の喜びの中で大きな割合を占めるものは食べることでしょう。私のように妻がいないものにとって、毎日の生活で配慮してることは食生活です。以前は共働きでしたので私の方が帰宅が早いときもあり、早めに一杯やりたい時には自分で野菜炒めを作ったり、適当におかずを作ったりし、家族の食事の用意までしてしまうことが度々ありました。

 このことが独り者となった現在では返って生きてます。もし料理が何も出来ず、ごはんも炊けなかったら今頃どうしていたでしょう。「芸は身を助く」は料理にも言えそうです。

 飽食の時代にあっても、子供の頃の食の乏しい時代を経験してますので、食べ物の量では我慢出来ます。現在はどうしても食べ過ぎになりやすく、従って栄養過多になる傾向があります。

 BMIの理想は22と言われますので、ご自身の身長(m)×身長(m)×22で適正な体重が算出できます。私の場合1.78×1.78×22=69.7Kとなります。実際には71.5キロ位ですから、まあまあですが、理想はあと1kの減量と言えます。

 あまりに痩せすぎると副作用が出やすいので、急にせずぼちぼちでしょう。理想体重になったけれど疲れてしまってはマイナスですから、いろいろの栄養はきちんと摂取したいものです。

 肥るのはどうしても食べ過ぎと考えられますので、私は目標を腹6分にしてます。それでも一日のうちでは結構いろいろ口にしますので、これより多く摂ってるでしょう。腹6分とは「あと一杯食べられる気持ちのところでストップ」といわれます。苦しくともこれをつづけると胃が多少小さくなるのでしょうか、慣れてくるとそれ以上食べたい気持ちがなくなるものです。

 この状態で運動すればBMIは目標値に近づけると思います。ここで注意しなければならないことが栄養不足とストレスです。標題の通り食品の種類は多くとる必要があるでしょうし、これがいいとばかり同じ物を多く取るのはよくないので、何でもいろいろ食べることが栄養素のバランスにつながると思ってます。

 食事は家族といっしょにゆっくり楽しくいただきストレスを解消したいです。これは消化も吸収もいいと思われます。しかし、今のところ私はその環境にありません。困ったものです。ずっと夢を持ち続けていきましょう。

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2007年5月19日 (土)

「テンペスト」の魅力

  日本は江戸時代であった1802年に作曲された「テンペスト」の1楽章を聴くと、音楽であるのに音楽を聴いてることを忘れさせてくれるような錯覚に陥ります。この作品は人間の悲しさや陰鬱、この世の無常を極めて具体的に感情表現しているように思えてなりません。

 聴けば聴くほど味が出るところに作品の魅力があるのでしょう。ベートーベンは健康状態について、また、愛の苦しみや悲しみが創作の源になってるのでしょうか、激しい感情の起伏と解決のない不安、ときに垣間見る陽の光、再び厳しい現実の世界へと陰鬱さはつづきます。

 それでも、どこまでも安堵と平安を求め理想を追求していくところに彼の創造性の極みがあるように感じます。「苦悩~克服~歓喜に至る」一連の楽想の流れは第九に典型されますが、この「テンペスト」を鑑賞してもそれに勝るとも劣らない感銘です。

 この曲に挑戦しようと思い立ったのは2年程前で、通勤途上、よく車の中で聴いてました。楽譜を見ると右手に三連音符の長い連続があるのです。これを弾くのは無理か、と弱音が出てしまったこともありましたが、作曲したベートーベンはこれとは比較にならぬ程の創作力であるのだと言い聞かせながら鍵盤に向かいました。

 今ではとうにか弾けるようになりましたが、まだまだ人前で納得した弾き方は出来ません。これからもこの類稀な作品に感謝しつつ練習を続けたい。

 このテーマを書込みしていましたら、横殴りの雨の中、雷を伴った雹が降って来ました。まさに「テンベスト」か!

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2007年5月18日 (金)

娘と私

 普段、出勤時間が早く、帰宅が遅い娘が珍しく休日でした。それでもお客さんと約束があるとのことで一時的に会社へ行ったり、美容院に行ったりで休日といえども何かと用があるものです。最近「仕事の方が娘についてくるように」感じますので、軌道に乗ってるのでしょうか。

 倉賀野町には近年、喫茶店ができました。しかも、私が生まれた場所のすぐ近くです。建物は純粋な昔の蔵ですので、外を走る車の音などすべてが遮断され、中の音楽も外へは聞こえません。内部には蔵特有の太い丸太の梁が縦横にあり瓦屋根を支えています。天井が高く白壁の内部はなかなか落着いた空間です。子供の頃この蔵の近くでよく遊んだものです。

 音楽を演奏したり、聴いたりするに蔵がこんなにいいとは初めて気がつき驚きです。私の昔の家にも大きな蔵がありました。両親はそろばん塾に貸していましたので、やはり外部から遮断され生徒さんたちは集中できたのでしょう。本当のことを言って「何だか蔵を作りたくなりました。」いくらかかるのでしょう。もうすぐ鳩舎改築に来る大工さんに訊いてみましょう。蔵の中でベートーベンの「テンベスト」1楽章を弾いたら思いのほかジーンとくるかもしれません。

  本日の夕刻に娘と二人で歩いてこの蔵に行きました。お店の名前は「蔵人」といいます。洒落ていて横文字でClartといいます。音楽のジャンルは何でもありで、土壁のためか響きがしっくりとして音楽の方から私の魂に迫ってきてます。昔は何とも感じなかった蔵なのに、音楽にとってこんな理想な空間は思いのほかです。昔のものがこんなに価値あるとは我々の先祖は全く立派です。

 折角知った近くのいい喫茶店ですので、音楽鑑賞に行ったり、一人でゆっくり考え事をするにはよい空間を味わえます。音楽を聴くには一人でもいいです。また、この環境で恋人と過ごすのも価値あるでしょう。実現するかな!

 たぶん倉賀野町を長い時間二人で歩いたのは、娘が成人してからでは今日が初めてでしょう。父親と町を闊歩することなど年頃の娘はしたがらないでしょうが、有難いことに嫌がらず比較的笑顔で話しながら約2キロいっしょに歩きました。

 小さい頃から母親っ子で育った娘は、母を亡くし心の中ではどんなにか心のやり場がない毎日の筈なのに、日々それを一言も口に出さず、顔にも出さず、仕事に邁進し、私とどんな話題でも話す「娘の心は思いのほか広い」と感じました。頑張れ麻里ちゃん!

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2007年5月17日 (木)

人気記事ランキング1位「ピクトリアル」

 皆様からアクセスいただいた記事の中で「ピクトリアル」がランキング上位を占めてますので、今回は未発表の表紙をご覧いただきたいと思います。イギリスから世界57ヵ国に発行されてるピクトリアルを大分前から購読してまして、すべて保存してあります。

 今回ご覧いただく表紙は英国ロイヤル鳩舎です。エリザベス女王様のお若いときの写真(左下)で、ご両親と妹さん、そしてハンドラーさん(左上)との65年程前に「ピクトリアル」に掲載されたものです。この度はそれをしばらくぶりに発表されました。後方に鳩舎と鳩たちが写っています。これは大変貴重な写真と思われます。

 この写真一枚拝見してもレース鳩を飼育することはとても高貴な趣味であるように感じられます。当時からロイヤル鳩舎は地元の会で立派な成績を上げていたことが記述されてます。歴史的に鳩レースはヨーロッパで発祥し、それ以来ずっと現代でも高尚なスポーツとして盛んであることが窺い知れます。

 日本では鳩を飼うことにまだまだ多少偏見が感じられます。これは芸術文化を見る目と同様に、鳩の帰巣性に対する神秘性、感銘という気持ちの欠如の表れかもしれません。鳩が本来持ってる巣に戻る性質を開花させ、卵から雛が孵り、成長を見続けることは本当に素晴らしいことです。家で生まれた鳩たちに成績向上を託し、飼い主は最終的に北海道の北部から関東まで約1000キロ帰還させる大きな目標を持ってるのです。弛まぬ血統・遺伝の研究や日々の管理は並大抵のことではありません。

 それであっても一般的に日本では、まだまだ「いい大人が鳩などを飼ってる」などと簡単に言葉を発する方もいます。そのような方は「ご自身どれほどに一つのある創造的文化に集中し、研究してる対象があるのでしょうか。」もしあれば、そのような言葉を発しないと思います。

  自分に好きなことがあるということは、本来の仕事をきちんと行なってるからと思います。仕事の疲れを癒すのは鳩舎に入って鳩たちの顔を見るときや、大空高く舎外運動をしてる時かもしれません。

 写真上の「ピクトリアル」は数年前に掲載された時のものです。ピクトリアル編集部がどうして私を表紙に掲載して下さったのかは承知しません。もしかしてイギリスから見ると遥かなる日本のレースマンというだけでニュースバリューがあるのかも知れません。

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2007年5月16日 (水)

アクセス1万記念「どんどん」へ

 今宵、しばらくぶりに「どんどん」へ行こうと思います。昭和60年頃からの馴染みですから、すでに概算700回くらいは行ってると思われます。

 ここ「どんどん」の鄙びたカウンターでは私にとって一杯が至福の時になります。マスターが明るくて話に乗ってくれますし、ここを訪れるお客さんとも何度かお会いするとたちまち仲間になり話し込み、まるで旧知の間柄のようになります。

 ここでのメニューは手作りで多種多様、マスターと息子さんとが2人で料理を作り、また、品のよい若い女性スタッフの方々が丁寧にしてくださいます。上越・長野新幹線高崎駅を下車してすぐですから時たま遠方の方々にもお会いすることがあり、故郷の珍しい話をしてくれます。最近では三重県の方が隣の席になり、私がまだ行ったことがないと言いましたら、名所を説明してくださいました。

 「どんどん」ではレース鳩愛好家の懇親会が時たま開かれます。そのとき私が幹事になります。お客さんは関東甲信越一円から集まり、レースは行なってなく、ただ鳩が好きという愛鳩家の女性も参加されます。ある日、私が「どんどん」のことを記述しましたら、マスターの仰るのに「カッキーの書き込みを見て、ここを訪れました」というお客さんが遠方から立寄られたそうです。私はお会いできませんでしたが、何だか嬉しくなりました。

 群馬にお立寄りで、一杯という方にはいいと思います。1時間で東京に着きます。ここの焼きおにぎりは格別です。

 これからの季節、山に行って新緑の中を歩くにはうってつけの気候です。写真は伊香保温泉に近い榛名山の外輪山で「天目山」です。この次は群馬の北に位置する野反湖に近い八間山を登る予定です。山岳のベテラン、サミュエルさんに連れてっていただくことになってます。

 そう言えばムソルグスキー作曲「展覧会の絵」という曲の中にユダヤ人のサミュエルとシュミーレという対照的な人物を描いたガルトマンの絵を音楽にしたものがあり、精神的、肉体的に対照的な2人を表し、一方、2人が対話するような掛け合いのところもある作品で、極めて独創的な音楽でお薦めです。オーケストラ版とピアノ版があります。 

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2007年5月15日 (火)

御礼、アクセス件数10000回

 今年の1月14日に開設しました拙い私のブログも4ヶ月が経過し、お陰さまでアクセスいただいた件数が1万の大台になります。果たしてどなたがクリックした時に10000丁度になるでしょうか。その人は幸運な方です。アクセス地域は津々浦々に及びご覧の皆様には心より感謝しております。

 ブログのログはパイロットや船乗りの日誌ということが由来といわれますが、私の場合その日にあったことはあまり変化がありませんので、日頃、浮かんだことを書くように努めてます。

 本来は音楽の教師ですから、今後はもっと音楽についての素晴らしさや音楽を聴いて感銘した点、音階やリズムについての不思議さ、作品の偉大さに触れたり、演奏の聴きどころ、ピアノ演奏などについて平素感じてることを述べたりできればと思います。

 今の時期、庭には花がいっぱいです。最近は開花するとデジカメですぐに撮影しご覧いただいてます。 毎回の花は私の庭のものです。同じ花でも日にちが経過しますと、また違った趣となります。個人的には咲き始めたときが何とも言えぬ美しさと生命力に魅せられます。

 本日の花は上から「シャクヤク」「カルミア」「西洋しゃくなげ」です。カルミアは別名アメリカシャクナゲとも言われるようです。平素、植物の根元が乾くと井戸水を与えてます。花梅に始まり4ヶ月ほど楽しませてくれた色とりどりの春の花もじきに終わりを迎えます。これからは梅雨の時期の花になります。

 今、庭の木々は新緑でみずみずしいです。野鳥が時々遊びに来てますが、これからは樹木を工夫してもっと訪れるようしたいです。野鳥は飼育できないですから、飛んで来やすい環境作りに心がけ、俊敏なその動作と鳴声をいながらにして味わえたらいいですね。

今後ともよろしくお願いいたします。 

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2007年5月14日 (月)

0.9%の不思議

 私が青年時代から身体の中で具合が良くなかったものは鼻です。この他、血圧については中年になってから高くなり始めたのです。こちらは「ためしてガッテン」に出演なさったK医師に治療をお願いし、現在はかなり回復してます。

 今回は鼻について考えてることを述べます。かなりの方が鼻について悪いようですが、気がつかれない場合もあるようです。空気は鼻を通じて肺に入るのが正しいと思います。口からも入るようになっていますが、鼻を通じてのほうが深く呼吸できます。空気が鼻の中を通過することにより、空気中の埃などが鼻の粘膜に当たり、きれいになった空気だけが肺に行く仕組みになっていて、いろいろの香りも味わえるのです。

 鼻の構造は複雑で、極論すると顔面は鼻だらけと言っても過言ではなさそうです。額の中は前頭胴が一対あり、ほっぺの中は上顎胴が一対あり、眼球の間、奥深くにも蜂の巣のような器官があり、医師の話では図にして示せないほど立体で複雑であるようです。自分の精神に最も近いところにある臓器なのに、その構造は分からないでいるのです。

 私は30年程前、鼻の手術をしました。このため前頭胴の入り口まで医師の中鼻鏡が軟骨を広げて入ります。眼球の間、奥深くを通って額の下当たりを吸引器で治療してもらうのです。いわゆる鼻をかんでも出ないところです。近くの耳鼻咽喉科に週に一度ほど通院してますので、治療後は楽になります。医師がこの中鼻鏡を使えるのは患者さん全員でなく、手術をした人のみです。ですから手術はトンネル工事に似てて、迷路のようなその奥深くにある臓器を治療しやすくするためです。

  私が家庭で鼻がさっぱりするように工夫してるのは鼻洗浄器です。0.9%のぬるま湯の食塩水を左に入れ、右から出したり、この逆も行ないます。粘膜についた汚れを洗い流します。不思議なことに、塩の量が多くても少なくても痛いのです。どなたが発見したのか誠に不思議なパーセントです。実際には慣れで分量に間違うことはありません。点鼻薬をつけて5分ほど経過してから洗うと効果があります。

 私たちは空気を吸わずに1分とはいられません。鼻を健康にして、鼻からきれいな空気を大切な脳や肺に送りたいものです。

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2007年5月13日 (日)

花が好きだった母

親孝行したい時分に親は無し。今日は母の日です。6人兄弟の末っ子であった私は母が42才のとき生まれました。食糧難の時代にあって、今思うに6人の子育てはどんなにか大変であったろうと思われます。

 母は小学生の私に夕方よくおにぎりを作ってくれました。海苔は高 くておやつなどには使えません。遊び疲れた私が頼みますと、母は「味噌にする。塩にする」と、おむすびの回りにつけるものを訊きましたので、私は味噌を頼んだほうが多かったと思います。色がついてるほうが少しは良かったのでしょう。

  時々、友だちの持ってる玩具などがほしくなり「買っておくれ」というと、お勝手で薪の火をくべながら、「家はね、税務署が税金を取りに来るので、余分なお金は無いのだよ。それをしないと、さしょうさいになり大変なんだよ」と言いながら、私に言い聞かせるのです。この言葉の響きに何だか恐さを感じた記憶があります。今、思うに「差押え」のことです。

結局、母の説諭に従いいつも我慢するしかありませんでした。経済的に大変だったようで、食べ物についてや何かの支払いについて父と深刻に話してたような記憶があります。子供心に、にこにこした母の顔に戻ればいいのにと思ったりしました。

 進学でもずいぶん心配をかけたように思います。地元の大学合格発表の朝、発表を見に行く前に念のため新聞を見たら私の名前が掲載されていました。それを確認すると、母は「お前本当に良かったね」と肩を叩いてくれました。心から安堵したのでしょう。今でもその感触が忘れられません。

 大学卒業と同時にインド日本人学校教員採用試験を受験する時も、「治安が悪く、そんな暑い国に滞在して病気にでもなったら、一人でどうするの」 と泣きながら反対しました。今思うと母として本当に苦しかったのでしょう。心配かけてしまいました。

 こんなチャンスは二度と巡ってこないことを約2週間言い続けつけてお願いしましたら、「母もしっかり待ってるから行っといで」と受験を認めてくれ、合格しインドへ旅立つ日には、羽田飛行場へは見送りに来てくれませんでした。私の姿が見えなくなるのが耐えられなかったのです。

 その代わり、長い任務を終え帰国した時は羽田まで迎えに来てくれ、私の持つ荷物にずっとつかまってました。

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2007年5月12日 (土)

北海道羽幌町から鳩が帰還

 昨日の朝、現地を8時15分に飛び立ち、一路群馬高崎をめざした鳩が津軽海峡を飛び越え、本日正午に懐かしい私の家に帰ってきました。その距離実に925K。

 正式なレース名は西関東チャンピオン桜花賞レースです。だいぶエネルギーを消費し、掴んだ感じは軽くなっていました。この鳩は2004年生まれのメスです。2005年(七飯)、2006年(羽幌)、そして今年の2007年(羽幌)と3回も北海道から帰還したことになります。性格的にあまり目立たず、本州以内の短距離も速くはありませんが、今回も諦めずに帰還してくれました。脚環番号は日本鳩レース協会04JH08243BC♀です。

 3回も北海道から帰ってくれたのですから、もうこれでレースには参加させません。本当にお疲れでした。これからは、スピード系のオスと配合し、子孫に900K1000キロ鳩を産み育ててほしいものです。

 ご存知のように、レース鳩は血統を大切にます。この鳩の父方の祖父は稚内からのレースで連合会1位になってます。父方の祖母は「たぶん弟さん」作出です。また、母方の祖父はモスキート系で、母方の祖母はヤン・アールデン系です。

 しばらく静養し体力を回復したら、第二の人生に入ってもらいます。新たな種鳩鳩舎も出来ことですから、この鳩にとってはグッドタイミングです。

 私たち人間には想像もつかない遠方から古巣を求めて帰還した粘り強さに今夜は乾杯です。私もこれからの人生、昨日のような弱音を吐かず、強い意思を持って生きなければと、帰還した鳩から教わった思いです。今夜、乾杯しながらこの鳩に名前をつけたいと思います。

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2007年5月11日 (金)

ああ~楽しく喋りたい

 私は主夫ですので家事がたくさんあります。一般の主婦の方々が行なってることの殆どすべてをせざるを得ません。平素の生活で1番辛いことは話し相手がいないことです。いくら美味しい料理を作ってもビタミンIが不足してます。食事はいっしょにいただいてこそ楽しいものです。

 普通なら娘にも家事を分担してもらいたいところですが、いかんせんサービス業のため勤務時間が長く、家に帰ればバタンキューです。陸上競技のハードルで鍛えたとは言え、毎晩疲れて帰宅します。ですから、帰宅したらすぐ食事が出来るようにしておきます。それでも以前に比較して仕事そのものには慣れてきてるようで、時々は契約が取れたと成果を話してくれることがあり、このようなときは本人はもとより私も嬉しいです。

 朝食は忙しいですが、一緒に食べるようにしてます。食卓はもちろん私が圧力釜で炊いたご飯と味噌汁とおかずです。一緒に食事をすれば何やかや話すもので「人間が人間らしいのは話をすることでしょう。」殆ど一人で生活してますから、このことを強く感じてます。

 現代社会はスーパーなど買い物する場でも売る人も買う人も何も話さなくて用が足ります。駅の切符購入から街角の自動販売機に至ってはお釣りまで出てくるので、便利ですが、何も喋らないで済むのです。経済的な効率が優先されてるのでしょう。

 私にとって、とりわけ毎晩、夕食が一人は辛いものです。一日あったことや何気ない話こそが家族の絆の基でしょう。

 いつの日か、今の状況から脱皮でき、沸きいずる泉のような会話のある生活が来るだろうか。幸せの基本は心と心の交流ができる毎日であると思う。

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2007年5月10日 (木)

愛鳥週間と学校教育

 今日から愛鳥週間です。当舎でも配合したつがいはすべて産卵し、一生懸命に抱卵してます。鳩を飼育したことがない方はご存じないかもしれませんが、抱卵はオスもメスも行い、代わる代わるに温めます。一般的に午前9時頃から午後3時頃まではオスが抱き、それ以外、はメスが温めますので、メスは一日の18時間ほどを温めます。その時、オスは巣のそばで外敵が来ないように見張ってます。

 卵を産んでから3日ほどして、卵を太陽や電気に透かして見ますと、中が次第に変化していく様子がわかります。まず、血管が良く見えます。温められてどんどん内蔵などが出来ていくので、まことに神秘な世界です。

 このようにして約18日経過しますと、小さな雛が中から自分の力で卵の殻を割るのです。約半日ほどでしょうか、丸く割り自力で出てきます。黄色い毛で覆われて、目が開いてませんが、ミルクを貰うために盛んに親の嘴を捜してます。素晴らしい生命力です。

 親が与えるのは口から乳のようなどろどろした消化の良いものです。これはメスのみならず、オスも同じに与えますので、これも不思議なことです。そして数日経つと細かい餌も少しずつ混ぜて与えるようになり、いつしかは本格的な餌を与えるようになります。10日ほどしますと親の真似をして自分で餌をついばむようになり、次第に大きくなっていきます。

 生後、7日頃に協会の脚環を嵌めます。また、迷子になっても分かるように住所や電話番号、飼い主名などをもう一つの足に嵌めます。

ところで、学校に勤務していた時、愛鳥週間の始る日には朝のホームルームを屋上でしました。生徒たちが屋上に行きますと、私の鳩がいっぱい籠に入ってるのです。皆こんな機会はないので珍しそうに近寄ってみていました。私が鳩についてその方向判定能力などの神秘性を説明してから、一斉に飛ばします。思わず拍手と歓声が起こります。鳩は私の家に向かって飛んでいくのです。

 このようなことは体育祭やマラソン大会の開会式でも、全員の前で必ず説明をしてから放鳩しました。マラソン大会などではゴールを目指して諦めないで最後まで頑張ることは人間とまったく同じであるが、人間の場合はゴールやコースを探す必要がないのに、鳩のほうが素晴らしいのはゴールの方向を自分の頭で判定し、そこに向かって飛んで行くと言いますと生徒たちは感心してよく聞いてくれました。鳩は頭と体力の両方で飛ぶことが理解できたようです。

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2007年5月 9日 (水)

ついに開花、大輪しゃくなげ

 2月に梅が咲き始めてから庭にはずっと花が絶えません。冬の間、花が無かったとき、一輪の紅梅の開花は早春の到来と希望を与えてくれました。

 あれから約100日、アセビ、しだれレンギョウ、しだれ桃、東洋錦ボケ、八重桜、白蓮、木蓮、雪柳、椿、さざんか、ピンク藤、こぶし、牡丹、つつじ、日本しゃくなげ、西洋しゃくなげ、ドーダンつつじ、柴桜、チューリップ、ハナミズキ、カイドウなど、次から次へとバトンタッチするかのように咲いてくれました。

 まだ、いくつかこれから咲きますが、今回ご紹介しますピンクの大輪西洋しゃくなげが、花の季節を終息宣言するかの如く咲き始めています。昨年40個くらい咲きましたので、咲かせ過ぎだったのでしょう。今春は13個が開花です。

 このしゃくなげは10年程前、つつじの名所として名高い群馬館林の花山公園から手に入れたものです。いすゞ117クーペのトランクに乗せて約50キロの道のりを運びました。                   

 以前に書きましたように、花木を選ぶ時は、その花の色と形を確認して、どうしてもずっとそばにいたいという気持ちに負けて購入に至るのです。 私は花木とは恋で結ばれますが、人とは成就できないのでしょうか。

 このしゃくなげが今春の取りをつとめるのです。 これからは新緑や来年の蕾が成熟してきます。また、丹精し世話したいと思います。

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2007年5月 8日 (火)

大工さん顔負けの出来栄え!

P1020006  現在、新選手鳩鳩舎の内部を作っています。主に止り木と巣箱の設置です。鳩舎内を空気が横や縦方向にも抜けるようにしました。本来、鳩の住み心地が第一ですが、飼い主も管理しやすいことを念頭にしています。水道の設置はまだです。室内の南東の位置に飼い主の腰の高さに設置予定です。90cm×60cmの流しにして、すぐ右側に蛇口をつけます。流しは毎日の水やりの他、鳩が1週間に1度くらい水浴します。栓を抜けば下水道に流れ、飼育者が腰を痛めないためです。

3607【アルカディア式展望台兼入舎口】

 また、雛鳥は小さいうちに外の景色を覚えなければなりません。そのための場所を作ったり、今後は外に1平米ほどの展望台を作る予定です。舎外運動したり、レースから帰還した鳩がいったん展望台の上に止まり、上から展望台の中にはいるスピードトラップを考えてます。その後、自動入舎装置の上を通過します。

 今回、内部構造が8割がた出来ましたので、後は空いてるスペースに巣房や止り木を設置し、井戸水の水道管や排水装置をつけ、下水道に流れるようにします。

 訓練や持寄りが楽になるよう自動籠つめ装置の設置を考えてます。日本の鳩舎では珍しいですが、欧米ではそのような装置が鳩月刊誌「ピクトリアル」に掲載されてました。国内ではアルカディア鳩舎が有名です。

P1010834 【イギリスレース鳩月刊誌の表紙に掲載されました。】 

 現在、羽幌900Kに参加してる鳩が帰還したら、今までの3階は解体しますので、一気に完成に近づきます。また、本職の大工さんにお願いし屋根や緑の外壁を作ってもらいます。現在、看板の内容についても考慮中です。看板は自動車会社に依頼予定です。

 例えば、上の英文のようにReturn on the day from most northernmost place in our nation!ですが、まだ決定しておりません。

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2007年5月 7日 (月)

ああ惜別、ミレ二アム鳩舎

 21世紀と共に建てました鳩舎の解体の日が迫っています。鳩に情熱を注ぎ、3階建てにして、全日本優秀鳩舎賞4回の高塚鳩舎から導入した1000キロ系に夢を託しました。この系統はこれからもしっかり飼育していきます。ミラクルクイーン、稚内クイーン、稚内ブルー、9地区1番時計グランプリキングなどの系統は基礎となってます。また、名前のない鳩さんご紹介による香山輸入系(スーパーイヤリング、オルハンミラー、スチール、バックスなど)長距離系として期待してます。

 現在、羽幌900Kに2羽の鳩が行ってます。もう、現地に着いてるでしょう。明日あさって現地でゆったり過ごし、いよいよ愛鳥週間の10日に放鳩予定です。2羽ともメスです。運良く古巣に戻ってきたらおいしいアルカリイオン水を与えてやります。天気予報次第ですから放鳩日は前後する可能性があります。日本列島は長いので北海道、東北地方及び関東がすべて飛びやすい状況になるか見定め放鳩のチャンスがあります。経験豊富な現地放鳩者の並々ならぬ放鳩センスにお願いしてるのです。

 本日は一日中、選手鳩鳩舎の内部構造作製に没頭し疲れました。巣箱、止り木などです。なかなか一つ一つが重たくて、設置するには「てこ」など使い、手伝う人もいないので工夫しての孤独な戦いです。

 近いうちに水周りとして、選手鳩鳩舎内に水浴場を設置します。前に書きましたように井戸水を使います。蛇口を捻ればミネラル豊富で、カルキのない水を鳩たちは毎日飲めます。この井戸は東京オリンピックの時に掘ったのです。

           ですから本日は大工仕事で疲れたので夕食を作る意欲がなくなり「どんどん」へ行ってきました。暑くて仕事の疲れもあって生ビールは体に染みました。

 ところで、こんな鳩舎の内部作製でも頭を使います。「どうしたら鳩たちにとって安住の住みかになる」かばかり考えながら作りました。

 私にとって本日はこの他にもいい日でした。

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2007年5月 6日 (日)

アクセス都道府県別ランキング

  拙い私のブログへ全国の皆様からアクセスしていただき、誠に嬉しいです。元来、パソコンは得意ではありませんが、時代の波でブログに挑戦してます。

 日記というより、日々感じたことを表現できたらと思います。私自身にとりましては「創造性が求められ」大変よいものです。それにもまして、全国の皆様にご覧いただき感謝の気持ちでいっぱいです。これからもよろしくお願い申し上げます。

【アクセスランキングを発表いたします。】

1位 東京  2位 群馬  3位 岐阜  4位 長野  5位 静岡  6位 神奈川  7位 沖縄  8位 兵庫  9位 埼玉  10位 山形  11位 大阪  12位 北海道  13位 愛知  14位 福岡  15位 茨城  16位 山口  17位 広島  18位 愛媛  19位 岡山  20位 千葉  21位 宮城  22位 福島  23位 三重  24位 秋田  25位 富山  26位 新潟  27位 熊本  28位 山梨  29位 奈良  30位 佐賀

 ♪特に沖縄や北海道の方々をはじめ遠方からアクセスしていただき感謝感激です。

 本日はこれからレース鳩の持寄りがあります。そこからトラックに乗ってはるか北海道まで運ばれていきます。今春最後の長距離レースとなりますので、鳩たちには先祖から受け継いだ血統を開花してほしいものです。北海道の日本海側に位置します羽幌町から直線にして930キロ、群馬高崎の鳩舎へ飛んで来ることになってます。放す日は愛鳥週間が始る10日に予定されてます。運良ければその日の夕刻に、あるいは翌日午前中に帰還してほしいものです。山あり谷あり津軽海峡あり、猛禽類もいます。参加する2羽はすでに津軽海峡を飛び越えた経験鳩ですので期待してるのです。

  写真の鳩舎はこのレース終了後に解体し、新たな鳩舎になります。イギリスの鳩月刊誌ピクトリアルに掲載されたこの記念すべき鳩舎にぜひ帰還してほしいと思ってます。

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2007年5月 5日 (土)

日本語弁論大会

  語学の学び方は国によって異なるようです。私たちは中学一年から英語を勉強してますが、いざ外国人の前ではなかなか口から出ないものです。

 従来の学習方法によっても語彙や文法の知識が身につき、英語を使いこなしてる方も見受けられますので、要は勉強する個人がしっかりした目標設定できるかどうかが達人への道なのでしょう。

 「あるテーマについて意見や感想を英文でどんどん書ける」目標を持ったり、また、それを口から発する訓練はいいと思います。このような発信型は英語の前に、まず「自分の考えをしっかり持っていること」が大切と思われます。でもこの方法は子供さんたちの英語能力向上につながりそうです。

  学習方法は工夫すればいろいろあるでしょう。例えば、国語の作文と同様、自分の書きたい分野で考えや感想を書き、それを読んで人に聞かせたり、また、人前で口頭による発表のチャンスを作りたいものです。これは自信につながり、次へ発展すると思います。

 カルカッタの日本総領事館ではインド人のための日本語弁論大会をたびたび行ってました。皆さん上手です。私の友人Miss Mitraもこれに挑戦するため、日曜日によく教わりに来ました。イントネーションだけ奇妙になりやすいので真似してもらいました。そしてとうとう入賞し、ご褒美は和英辞典です。これが日本語を勉強する外国の方にはすごく貴重であるということです。

 発信型を取り入れてるインドの方々は世界のいろいろの面でますます羽ばたく予感がしました。Miss Mitra は今頃どうしているだろう。

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2007年5月 4日 (金)

月から地球を見てみたい

 だいぶ暖かくなり夜空を見上げても寒くない季節になりました。以前にこのブログで立場や角度を変えてみると、また違った見方ができると書いたことがあります。今回は話を大きく、月に行ったとしましょう。

 一生涯できないことですが、月のある表面に立って、地球を見たらどんな動きをしてるのでしょうか。太陽や星座はどのような動きをするでしょうか、考えただけでもワクワクします。常識では考えられないまさに別世界の動きかもしれません。

 ☆以下はあくまで私の想像です☆

 月から地球を見たら、地球は移動せず常に一点にあるでしょう。つまり静止衛星のようだと思います。しかし、月の表面では立つ位置によって、あるいは移動すれば地球が浮かんでる位置は変化するでしょう。例えば、地球から見て、月の真ん中の位置では地球は常に真上にあるでしょう。

 また、地球が一日一回自転してることは地球の陸地が動いていることから分かるかもしれません。地球も一月に一度の割で満ち欠けが起こってるでしょう。これは地球から見た月と同じと考えられます。

 私たちが満月を見てるときは地球の夜を見てるので地球は見えなくて、新月の時は満ち欠けなく地球全体が太陽の光に反射し輝いてると思われます。一年を通してみると地球の北極や南極が見えたり見えなかったりするかもしれません。

 私たちが月食というとき、太陽は地球に隠れてしまうでしょう。同様に日食という時は地球は全部輝いてる時ですから、地球の一部に月の陰ができ、薄明るいところと暗い部分ができ、それは時間と共に地球の西から東へと少しずつ移動していくでしょう。

 新月の時は太平洋や大西洋、インド洋などの海に太陽が反射し、地球がすごく光ってるのではないかと想像します。

 月から見て宇宙は暗黒でしょう。その中で太陽と地球と星が輝いてると思われます。地球は一月を周期として満ち欠けし、その光度は半月ごとに明るくなったり暗くなったりして変化してると思われます。ガガーリンさんの言葉の通り見えるときは青く輝いてるのでしょう。

 次に月から見て、星座はどのような動きをするでしょう。これは想像が難しいです。北斗七星など星座の形そのものは地球から見えるのと同じでしょう。月の表面の位置によって見える星座と見えない星座があると考えられます。月の北極側では南極側の星は見えないと考えられます。この逆も言えそうです。これは地球と同じかもしれません。

 肝心な星座の動きについては地球で見るように一日で一周せず、一月かかって一周するかもしれません。太陽についても一月かかって月の周りを一周するすると思われます。月から見ると地球はかなり大きいと考えられますので星食は時々起こってるでしょう。

 私たちが地球から月を見る以上に、地球は宙にぽっかり浮いてるように見えるのではないでしょうか。将来どなたか月に行ったら神秘を解き明かしてください。その土産話をぜひ聞きたいものです。

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2007年5月 3日 (木)

私が生まれた倉賀野町

 群馬県に住んでいても倉賀野町を訪れたことがない人は多いようです。ここは江戸時代の宿場町であったことから近年では歴史愛好者が見学に訪れてます。江戸時代は江戸から烏川経由で舟により荷物を運搬し、倉賀野河岸はずいぶん活気に満ちた船着場であったようです。ここを中継地として上州はもちろん信州などへ荷物が運ばれたといわれます。舟から上げた荷はそのあと牛に曳かせたので、今でも牛街道という道が残ってます。

 明治20年、倉賀野駅が開設され、現在、東京へは新幹線を使用しなくても直接行けますし、最近では湘南新宿ラインにより小田原までグリーン車で行けるようになりました。また、八高線が通ってますので八王子方面へも楽に行ける交通至便な町です。

 昭和38年に群馬郡から高崎市に合併しました。この町の良いところは自然災害が少ないことでしょう。昔、正六地区に竜巻があったそうですが、それ以外に歴史に残る災害は見当たりません。一つには地盤がしっかりしてます。近くを流れる烏川の水位が町の標高より20メートルほど低いため水害にも見舞われません。対岸の阿久津地区、木部地区では氾濫で災害を被りましたが、その後、土手が完成しました。

 町内には江戸時代の道しるべとして、石に刻まれた標識が下町に現存しており、中仙道と日光例弊使街道との分岐点であったことが分かります。写真のように、これより右江戸道、左日光道の文字が読み取れます。またこの分岐点には常夜燈が建立していて、ここを通過したと思われる当時の大相撲の力士名や歌舞伎役者名などが彫ってあります。

 ここにある閻魔堂というお宮も現存してます。8月16日のお祭りには赤く恐い閻魔様の様相が拝見できます。参拝者がお堂に上がりますと直径3mほどの大きな数珠を笛太鼓の音に合わせて回します。数珠は木製でできており、中央には大きな玉が一つ付いてます。それが自分のところに回ってきたら額につけて拝みます。参加者の人数により回す回数は異なりますが、だいたい20人ほどが畳の上に輪になって正座し、数珠を左回しにし一周したら、次は右回りになります。それを何度も繰り返すのです。厄病お払いの意味があるのでしょう。

 ここを通過した江戸時代の旅人の多くがこの閻魔堂に立ち寄り、道中の安全祈って、この干からびた数珠を触ったかと思うと、これは大変価値ある骨とう品と思います。

 この他、倉賀野には大きな古墳群が残っていたり、江戸からの河岸跡、それに伴なう多くの蔵など、宿場町であって同時に江戸と日光への分岐点でもあった往時の華やかさが偲ばれます。

 その後しばらくして、江戸時代生まれの私の祖父母は埼玉県原道村から新天地倉賀野で生活することになったのです。

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2007年5月 2日 (水)

経済の動きを知る

 私が子供の頃、父母は国道17号沿いで金物など売ってました。屋号は原道屋です。祖父母が現在の埼玉県大利根町、当時の原道村出身でその地名を屋号にしたのです。以前にブログに書きましたが、祖父母は初めは別々に結婚してました。しかし、別離し幼馴染であった二人は着の身着のまま利根川の船乗り場に行き、船頭に乗せてもらい、誰も知らない遠くへと上流を上って来たのです。そこが終点の倉賀野河岸でした。

 このため新天地となった倉賀野で好きな人との新生活が始ったのです。ですから祖父母は再婚者同士です。江戸時代に生まれた人です。このため私が生まれた時、二人はすでに他界してました。今となっては両親に祖父母についてもっと詳しく訊いておけばよかったと悔やまれます。この祖父母が亡くなり両親の時代になった時です。商売繁盛のためでしょう、写真のような大黒様と恵比寿様を手に入れことになります。それは背中に彫った人の名と昭和5年という字が刻まれてるからです。

 私は子供の頃から見ていたので、さほど気にもせずに昔からあるなと思っていたのですが、最近、それについて大切な物ではないかと思うようになりました。毎月初日には手を合わせ蝋燭を灯します。これらは七福神の中の二つです。調べてみましたら右の大黒様はもともとインド出身の神で、俵の上に腰かけ、大きな袋を肩に架け、小槌を持ってます。福徳円満の神といわれます。私もインドで生活してたので、それを知って身近に感じるようになりました。左は恵比寿様で日本古来の神といわれ、帽子をかぶり、大きな鯛を持って商売繁盛、医療医薬、特に金運良好の神ということです。結果的に私が両親から引き継いだこの二つの宝物を時々磨いて大切にしています。果たしてご利益の程はどうでしょう。

 「いつの時代も人間は大きな経済の流れの中にいる事実があります。」

 今まで給料日が来れば振り込まれ、世間の経済の波がどうであろうと自分には関係ないと思ってました。しかし、現在は違います。テレビやインターネットで表示される「為替レート」に特に敏感になってます。これは最近、私が勉強した最も大きなことでしょう。

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2007年5月 1日 (火)

感銘は心を動かします。

  今日から五月になりました。娘と近くの寺に除夜の鐘を鳴らしに行ったのがつい先頃だったような気がします。月日の経つのは本当に早いです。子供の頃は一年がすごく長かったのに、年齢を重ねるとなぜ短く感じるのでしょう。不思議なことです。

 明日は八十八夜。立春から数えての日数ですから、一般的に種を蒔くにはいい季節でしょう。そう言えば最近、私はあまり種を蒔かなくなりました。明日は草花の種を購入し庭に蒔いてみようと思います。近年は花木に拘ってましたので、子供の頃のように夢を持ち種まきすることがなくなりました。 小学生の頃は庭に自分の花壇を作り、芽が出た喜びを父母に真っ先に伝えたものでしたが、あの頃の純真さはどこへ行ったのでしょう。

 花木や球根などの植物は何もしなくても開花の時期が来れば蕾が膨らみ咲きますので、手間がかからなく私にはいいのかもしれません。一度植えれば毎年、春に咲きますので季節感も味わえます。手入れといえば、せいぜい剪定し形を整えるくらいですから草花に比べずっと楽です。水を与えなくてもほとんど自然の雨で潤います。数年して根が縦横に張れば思いのほか逞しくなり花も大きくなります。アブラムシなどがつく今の季節だけは梅を中心に多少は消毒します。でもあまりしません。それは人間の健康にも悪いと思ってるからです。

 花木の購入で大切なことは次のことと思います。

 その一つは、多くの植物は一年の内、せいぜい5%ほどが開花の日数でしょう。あとの95%の日々は葉と枝を見ることになります。ましてや落葉樹では枝ぶりこそすべてで、これは冬季の楽しみの中心です。ですから「枝ぶりが観賞に値するか」は購入判断の一つの基準になります。植物によっては松のように枝ぶりこそがその価値を示すものでしょう。

 もう一つは、開花時に花の形や「特に色彩」について自分の目でしっかり確認し、「その花に惚れてぬいて」どうしても近くにおきたい、という気持ちだと思います。私も蕾のまま購入し花の色を確認しないで購入したため後でがっかりしたことがありました。

 恋人にめぐり会ったときは、忘れられないインパクトが起こりますね。あの時のような感銘があれば間違いないかもしれません。植物もスタイル(枝ぶり)と色彩の二つで決まると思います。  

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