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2007年5月 3日 (木)

私が生まれた倉賀野町

 群馬県に住んでいても倉賀野町を訪れたことがない人は多いようです。ここは江戸時代の宿場町であったことから近年では歴史愛好者が見学に訪れてます。江戸時代は江戸から烏川経由で舟により荷物を運搬し、倉賀野河岸はずいぶん活気に満ちた船着場であったようです。ここを中継地として上州はもちろん信州などへ荷物が運ばれたといわれます。舟から上げた荷はそのあと牛に曳かせたので、今でも牛街道という道が残ってます。

 明治20年、倉賀野駅が開設され、現在、東京へは新幹線を使用しなくても直接行けますし、最近では湘南新宿ラインにより小田原までグリーン車で行けるようになりました。また、八高線が通ってますので八王子方面へも楽に行ける交通至便な町です。

 昭和38年に群馬郡から高崎市に合併しました。この町の良いところは自然災害が少ないことでしょう。昔、正六地区に竜巻があったそうですが、それ以外に歴史に残る災害は見当たりません。一つには地盤がしっかりしてます。近くを流れる烏川の水位が町の標高より20メートルほど低いため水害にも見舞われません。対岸の阿久津地区、木部地区では氾濫で災害を被りましたが、その後、土手が完成しました。

 町内には江戸時代の道しるべとして、石に刻まれた標識が下町に現存しており、中仙道と日光例弊使街道との分岐点であったことが分かります。写真のように、これより右江戸道、左日光道の文字が読み取れます。またこの分岐点には常夜燈が建立していて、ここを通過したと思われる当時の大相撲の力士名や歌舞伎役者名などが彫ってあります。

 ここにある閻魔堂というお宮も現存してます。8月16日のお祭りには赤く恐い閻魔様の様相が拝見できます。参拝者がお堂に上がりますと直径3mほどの大きな数珠を笛太鼓の音に合わせて回します。数珠は木製でできており、中央には大きな玉が一つ付いてます。それが自分のところに回ってきたら額につけて拝みます。参加者の人数により回す回数は異なりますが、だいたい20人ほどが畳の上に輪になって正座し、数珠を左回しにし一周したら、次は右回りになります。それを何度も繰り返すのです。厄病お払いの意味があるのでしょう。

 ここを通過した江戸時代の旅人の多くがこの閻魔堂に立ち寄り、道中の安全祈って、この干からびた数珠を触ったかと思うと、これは大変価値ある骨とう品と思います。

 この他、倉賀野には大きな古墳群が残っていたり、江戸からの河岸跡、それに伴なう多くの蔵など、宿場町であって同時に江戸と日光への分岐点でもあった往時の華やかさが偲ばれます。

 その後しばらくして、江戸時代生まれの私の祖父母は埼玉県原道村から新天地倉賀野で生活することになったのです。

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