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2007年6月

2007年6月30日 (土)

展望台で景色の勉強【馴致】

 昨日、退院してから暫くは疲労気味でした。入院の日の朝食から連続して4食抜いたからです。退院後、待ちきれずにデニーズへ行き、大腸の傷を痛めないよう、ゆっくり噛んで日本食をいただきました。今のところ痛く感じませんので多分大丈夫でしょう。

 どうしたことか夕方になったら元気が出てきましたので、やはり病院のベットより自分の家が極楽なのですね。

 ところで、新鳩舎は出来ましたし、雛も2階の選手鳩鳩舎に入れてありますので、舎内馴致はすでに出来ましたが、肝心の外の景色の学習が出来ていませんでした。このため、退院したその日の夕方からご覧のような約1平米の展望台の骨組みを作り始めました。

 人間とは好きなことをしている時、身体が疲れていても、それを忘れる動物なのですね。こんなことから、やはり夢中になる趣味は心身の健康に良さそうです。

 周りに張った網は本来、巣房の下に湿気除けに敷く合成樹脂のスノコですが、思わぬところで雨に強い役目を果たしてくれます。木の枠も防水のペンキを塗りました。写真のように雛は下から上に向かって飛び上がり出入りを覚えます。今までの経験では、鳩はこのよう網の屋根があると網の上から中に入りたがる習性を持ってます。今回はそれを利用しました。これは鳩友アルカディア鳩舎からヒントを得てます。アルカディアさんはアメリカ鳩界視察の折、この方式を学ばれたらしいです。有難いことです。

 結構、重いので高所に一人で持ち上げられるか心配でしたが、退院直後にしては力が出ました。大腸の傷は大丈夫かな。これで早速、雛たちは周囲の景色を覚えられます。2~3日したら上の蓋を開けといてやります。1羽飛び出せば続いて真似し、外に出たり、入ったりして鳩舎の外と中の関係もわかると思います。

 鳩舎設備は出来ましたが、日々の飼育生活でまた気がついた点が生じたら、追々改善を試みます。それにしても自画自賛ですが、展望台はよく出来ました。完成記念に一杯飲みたいところですが、ビールは暫くご法度になってます。夜はノクターン1番でも弾いて名前のない鳩さんに追いつくよう芸術にいそしもう。

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2007年6月29日 (金)

一にも二にも早期発見

 市が行ってる大腸検査を5月上旬に受診した結果ではマイナスと出ました。これとは別に念のため半月ほど前、内視鏡検査を受診しました。このことについては以前にブログに書きました。その結果、一個所小さなポリープの存在が確認され、昨日、一泊二日で前橋の病院に入院し切除してもらいました。

 ですから検査方法上で、今回分かったことは、よく行なわれる潜血反応を見るだけの検査では、たとえ結果が「陰性」に出ても真相はわからないということです。この方法では潜血反応を示さない初期のポリープが存在してても、発見が不可能ということです。

 今回の私のポリープは初期段階でありましたが、そのままにしておけば、知らず知らずのうちに年々大きくなり、やがて悪性に繋がる可能性はあります。初期のうちに不要なものは芽を摘んでしまうこととつくづく思います。

 皮膚であれば異変があっても、いつかは自分で気がつきますが、内臓内は見えません。病気が進行してても初めのうちは自覚症状がないので、どうしても発見が遅れがちになります。それには有難い内視鏡という福音があるのです。

 大腸内視鏡検査を受診したことのない方は不安でしょうが、殆ど痛くも痒くもありません。患者は医師や看護師と共にディスプレイを見ながら自分の大腸のトンネル内を奥へ奥へと進んでいきます。最深部の盲腸まで行きます。内部をライトで照らしますので、はっきり観察でき、まるでホルモンそのものです。色はピンクで想像よりずっときれいな世界です。血管もよく見えます。それを見ていくとポリープがあれば、通常の箇所より少し飛び出てるのです。それを内視鏡の先についてる輪のような針金で包み込み切除するのです。その瞬間、血液がでますが、痛く感じませんでした。取った組織は体外に取り出され、再び顕微鏡で精密検査し悪性か良性か判別します。

 昨日はブログを書いてから入院し、大きな点滴を合計4本打ちました。このようなとき家族がいないと寂しいものです。他の患者のところへは家の方々が見えてました。

 傷口が治るまで1週間ほどかかり、大好きなアルコールが禁止されてます。このため、喜びを他のものに切り換えなくてはなりません。何にしましょうか。

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2007年6月28日 (木)

男女共生社会は言葉から

   欧米など先進諸国では男女同権や男女平等は日本より早くから重要視されていたようです。わが国では長いこと封建時代にあった名残でしょう。男尊女卑の思想が今だ根深く浸透しているように思えてなりません。

 これは一人ひとりの気持ちによって改善されなければならないと思います。日頃、無意識に使われてる言葉の中にも男尊女卑が感じられる言い回しが使われ、子供の頃から耳にしてますと、それが当たり前のこととして、そのように話したり書いたりしてしまいます。

 よく聞く言葉に配偶者のことを「主人」「女房」「家内」は日常茶飯事です。会社での仕事やスポーツでも「女房役」などと滑稽な使われ方もあります。元を正せば女房とは女官の部屋のことらしいです。これらはごく自然に抵抗なく使われてますね。「家内」についても近代の女性は家にいるより、社会で活躍されてる方が多数います。

 近年、看護婦が看護師に、また、婦人警官は女性警察官と職名が変わったり、義務教育の現場では出席簿を男女別に分けず、混合へと変更しつつあると聞きます。これは素晴らしいことで絶賛ものです。小学校によっては運動会の徒競走では男女混合で走っているとも聞きます。このように分ける必要のないことは混合でいいと思います。

 このように徐々であっても、社会全体が男女の性別意識を解消させる方向に取組んでいるわけですが、まだまだいろいろの場面で解消すべき点はあるでしょう。

 私は男女共生社会のためには、日々、何気ない言葉の中にも気をつけなくてはならないことが残ってるように思います。言葉は丁寧に、また、相手が不快に感ずる言い回しにならないよう努めたいものです。配偶者のことは社会においては「妻が」「夫が」と、お互い自然に出てくるのもいいと思います。

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2007年6月27日 (水)

蝙蝠との共存を試みたが

 21世紀と共に建てた私の家は和風2階建てです。一見したところでは2階家ですが、実は屋根が大きいので天井裏に相当するスペースに1部屋出来ました。ここは天井に杉板を張ってもらい、上毛三山が望める山小屋風の部屋になってます。遊び心のある空間です。

 初めの頃はここで寝起きしてました。日の出と共に目が覚め健康的な生活を喜んでいましたが、いつの日からか次第に蝙蝠の糞と思われるものが部屋の中に存在するようになりました。

 大した事はないと思っていましたが、ある晩の深夜、寝てましたらブンブン羽音がするので目が覚めました。ついに部屋の中を蝙蝠が飛んでるのです。

 これは一大事。窓を開けましたが、逃げません。部屋の中を行ったり来たり飛んで、旋回しなかなか速いです。やっと壁につかまったところをティッシュで捕まえ外に逃がしました。からだは温かくて柔らかいです。

 それ以来、ここでの寝起きは衛生上できないと判断、別のところに移りました。案の定、その後は蝙蝠のサンクチャリーとなり、独占された日々が続き、私は時々糞を回収し掃除してました。

 今回、鳩舎改築の工事が終了しましたので大工さんに依頼し、3階の軒にある蝙蝠の出入り口をコーキングし塞いでもらいました。果たして効果はどうでしよう。

 それにしても高く足場の悪いところへ2段梯子のみでスルスル登る大工さんにはプロ根性を感じました。見ている私の方はハラハラドキドキ、転落したらどうしようと思いました。私には決してできない作業です。

 多くの動物は人間に可愛がられていますが、どういう訳か一般的に蛇や蝙蝠は見ただけでも嫌われやすいですね。本人たちは普通に生きてるのでしょうが、これは「得てして人間は概観や立ち振る舞いでものを判断する」性質があることに因るのかも知りません。

 蝙蝠は夕刻から明け方まで飛び、暗い中で大気中の虫を捕獲してます。餌となる虫が多く存在してる証です。動物の数の増減は生態系に関係すると言われますが、今回の処置はそれほど影響はないでしょう。糞がなくなりましたら、また山小屋風の部屋で星を見ながら寝てみようと思います。 

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2007年6月26日 (火)

高齢化対応鳩舎

P1020355  かなりの日数を費やし、いよいよ鳩舎の概観が完成しました。小学4年から鳩舎を作り始めて、今回で13回目になります。もう鳩舎建設はこれで終わりでしょう。高齢化対応鳩舎とは大まかに言って飼い主が腰を痛めないように工夫した設計ということ、及び塵取りを使わない鳩舎です。果たしてどうでしょう。

 振り返りますと、今回4月上旬に二つの床を壊して下げ、種鳩鳩舎と選手鳩鳩舎のいわばハードを大工さんに作ってもらい、両鳩舎のソフト面である止り木、巣房、入舎口や自動機器の設置は私が作りました。

 1番仔の雛は2~3日前に選手鳩鳩舎で生活を始めてます。1階から2階へ移動しただけですから、驚いた様子もなく、すぐ自分で餌を食べられるようになりました。

 種の方はすでに1階の新種鳩鳩舎で2番仔を抱卵し、それが孵った雛もいます。鳩というものは結構早く次を産卵し回転が早いです。今春は珍しく無精卵がでないので、子育ては順調です。

 35年程前に卵から雛が出られない「はしうち卵」が蔓延したことがあります。その時、先輩からヨードチンキで治ると教わりました。確かに治りましたが、薬というのは量が肝心で、与えすぎると卵を産まなくなることも経験しました。塩梅は何事にも通じるものです。

   新鳩舎は到着台のところに展望台を乗せて、雛に周りの景色を覚えさせます。親離れし独立心がついてきましたので、2~3日しましたら展望台の中で過ごさせます。展望台は上から入舎するアルカディア式構造です。

P1020006  標題が示すとおり、毎日の管理が楽になることを念頭に入れた鳩舎です。一般的に鳩の会では会員の平均年齢が高齢化し、会の運営も決して楽ではありません。また、天敵である猛禽の数が増えていて、大変なことが多いです。それであっても日々、早朝舎外や訓練に勤しみ、北海道最北1000キロからの帰還を夢見ています。

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2007年6月25日 (月)

ペンション「ぱられる」の思い出

山形県のスキーメッカ「天元台高原」の「ペンションぱられる」はお薦めです。雪質最高で宿からゲレンドヘ滑って行けます。冬から春にかけてはスノーボード、スキーが楽しめ、初夏から秋にかけては登山、天体観測には打ってつけの標高1350メートルの高原です。

 【ペンションぱられる】で検索されますとアクセスが分かり、予約はすぐ可能です。毎年、味を占めた固定客も来訪しているようです。

 私は以前に一度、雪のない季節に訪れましたが、天体に興味がある私にとりまして見事な星空が心に刻まれてます。この地一帯が高原スキー場であることから山岳地帯の中にあり、街の灯の影響を受けません。一般的に余りきれいでないといわれる日本の空ですが、天元台のように澄み切ってるところは本当に嬉しいものです。

 若いとき見たインド・デカン高原ハイドラバードの降るような無数の星、カトマンズ郊外で見たすぐ手の届くような星座、内モンゴルの草原で見た煌めく星の数々、これらは言葉に言い表せないほど神秘ですが、ここ「ペンションぱられる」に宿泊されての天体観測もしじまの中へ己を旅させることができるでしょう。それは宿がケーブルカーで登りついたところにあるからです。

 ここでの料理のお客の印象は東北一とも評価を得るほどです。それは気さくな美人女将(通称・さちこさん)のもてなしに秘密があります。あるじはスキーの名手(通称・まさるさん)ですから、ご夫妻はペンション経営にはうってつけの才能をお持ちです。3人の男のお子さんもお客様を歓迎します。

 今年の夏、私も訪れたいです。昼間は登山、夜は星空、お風呂の後のビールは文字通り雲上の幸せでしょう。

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2007年6月24日 (日)

その名も「紫君子蘭」

 先日、6月は多種の花が咲くと書きましたが、私の庭にも「紫君子蘭」が咲き始めました。まだすっかり開花したわけではありませんので、明日、明後日に再び撮ってみます。花の中でも紫はひときわ美しく感じるのはなぜでしょう。派手さがないけれど、しみじみした気持ちになります。

この花は3年程前にお隣のK川さんに株を分けていただいたものです。次第に根が増えてきてます。数年すると開花も賑やかになるでしょう。特に手をかけなくても時季が来れば自然と開花するので不思議です。暦を見て蕾が膨らむのではないですから、温度でしょうか。日照時間でしょうか。丁度、夏至の頃に咲くとなれば日照時間が開花の条件かもしれません。

 3番目の写真はやはり私の庭に昨日咲き出した「ねむの木」です。花の咲き方があまりにも独特で、しかも色がやさしくて4~5年前に埼玉の花園から小さな苗を仕入れてきました。もうすっかり土地に馴染み、暫くは楽しませてくれるでしょう。

 ご存知のように夕刻になると葉が閉じてきます。この写真は午後5時頃の撮影ですから少し閉じかかっています。花は夕刻が情緒があっていいですね。子供の頃から葉が閉じることに不思議な気持ちになりました。

 小学生の頃、友だちが葉を触ると閉じるねむの木を学校へ持ってきたことがあります。まるで手品のような記憶があります。

 この他にも花を観察してますと不思議なことがいっぱいです。シャクナゲやつつじはその花びらの中にいくつも点々がありますが、必ず上の花びらにあります。すみれやパンジーはご存知のように猿のような顔をしてますが、やはり上下が決まってるからそのように見えます。白木蓮や木蓮はつぼみの時、先が太陽と反対側、つまり必ず北の方角を指し、まるで北極星の位置を教えてるかのようです。これからも植物の神秘な習性を発見したいと思ってます。

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2007年6月23日 (土)

3階の屋根がそのまま2階の屋根に

2674  鳩舎改築にともなう危険な作業が無事に一段落し内心ホッとしてます。大型クレーン車に依頼して吊り上げておいて柱を縮めたりする方法をとらず、滑車のみで約400キロある厚いトタン組み込み式屋根を3階から2階へ下ろすことが出来ました。

 プロとはこのようなものでしょう。屋根をばらさず、そのまま使うという大きなメリットのため、あえてリスクに挑戦し、見た目もよい屋根になるという大きなリターンを得るのです。仕事とは、のほほんと行なうものでなく、「緊張感を持ってかっこよく成し遂げるもの」と感じました。

 客観的に振り返って「私は仕事でどうであったか」思い出しました。毎年、同じことの繰返しで進展がないのに給料だけきちんと貰っていたのではないか、と思ってしまいました。未来ある若者たちに、毎回、知的好奇心を刺激するような話が出来たか、自ら発見したり考え出すような方向へ導けたかです。

 今回の大工さんの仕事ぶりを拝見し、改めてリスクがあって新しい分野に挑戦し、お客のニーズに応じるのがいい仕事と認識しました。

 今度は私の方が改築した新鳩舎でよい雛の作出、及び競翔での成果が求められます。インターネットで知りえた全国の鳩友と十分交流を図り、自ら切磋琢磨し、訓練で帰巣本能を磨き、尽きないレース鳩の魅力を追求し、リスクがあっても導入は怠らず、大きなリターンを目標に日々挑戦していきたい。

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2007年6月22日 (金)

本日、カルカッタでは太陽が北を通過

 本日、北半球では夏至です。地球の地軸が約23.44度傾いたまま太陽の周りの楕円軌道(約9億4200万キロ)を公転し、太陽黄経90度に差し掛かった日です。春分の日からの角度が90度ということです。正確には今年は日本時間6月22日の午前3時06分の瞬間とのことです。このため欧米では21日になります。国によってあるいは年によって夏至の日は異なるのですね。

 私が住んでいたカルカッタ(現コルカタ)の位置は北緯22度付近です。このため5月頃から正午には太陽がほとんど頭上で輝いています。外で立っていても自分の影が出来ないのです。私が陰のない人間になったのではありません。影は自分で踏んでるのです。

 夏至の日には太陽が北回帰線上を通過するため、それより150キロほど南に位置するカルカッタでは正午であっても太陽の位置は頭上より少し北側にあります。影は少し南に出来ます。

 このように海外に行って意外と面白いことは天体の位置が日本で見るのと異なることがあるからです。本日、二ュージーランドやオーストラリア、南アフリカ、南米など南半球の国々では冬至になり、しかも上弦の半月が現地時間夕方6時頃に左側が輝いて、ほとんど真北にあり、日本とはいろいろ逆ですね。

 日照時間が長い夏至ですが、群馬はあいにく雨です。二十四節季ではこの次は地球が太陽の周りを15度移動し、小暑(7月7日)です。これからは気候のいい時季ですから思う存分、戸外に出て心身ともに元気になりたいです。

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2007年6月21日 (木)

大工さんの知恵に脱帽

  鳩舎の3階にありました推定重量400Kの屋根を下げて、2階の屋根に移動するには危険が伴ない心配でした。高い位置での作業は足場も不安定で、もし、突然、落下でもしたら事故になり心配な気持ちで作業を見守りました。

 ご覧のように滑車で吊り上げ、東西の柱を交互に20センチほど切り詰めては滑車を弛め、広さ6畳分の厚い組み込み式トタン屋根を少しずつ下ろしていきました。

 通常、大工さんの仕事は設計図に従い新たな材料で新築することが本来の仕事でしょうが、このように重量ある物の移動も真剣勝負であり、作業の安全と完遂のため知恵を絞らなくてはなりません。落下するのではないかと見学してた私も心配でなりませんでした。

 ところで、写真左にいる方は21世紀と共に約80坪ある私の家を作ってくれた昔ながらの大工さんです。 彼は大工仕事のほかに、もう一つ大きな特技をお持ちです。それは山岳のオーソリティーです。どんな山でも挑戦としてどんどん登ります。頂上にいる時間は余りなくすぐ下り、その足で次の山頂へ行くそうです。

 そのために山岳救助隊で隊長までされました。谷川岳など中心に今までかなりの遭難者の救助を行い、やはり残念なことに多くの遺体を岩壁や谷底から背中に担いでの収容を経験されました。

 16才から休日には毎週個人でロッククライミングをこなしてきたそうです。高所での立ち振る舞いはどうやらこの山岳で鍛えられたものでしよう。本日の鳩舎改築作業を見守って重量移動のバランスという点で、危険な岩壁や谷底での救助作業と共通項があるように感じました。

 一方、世界の歴史的建造物を見ても、人類はピラミッド建設を始めとし、万里の長城やタージマハールなど、当時、大型クレーン車のない時代であっても、力学の知識を駆使し考えられないほど大きく立派な建造物を作りました。

 本日の重量ある屋根の移動を拝見しても、人間が人間らしい特徴を表現するのは「考えること」と再認識できました。

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2007年6月20日 (水)

一人でもおいしい男の手料理

毎日欠かすことの出来ないことは三度の食事です。私の場合、作ってくれる人がいないので毎回、自分で用意します。もうかれこれ5年ほどですから慣れてます。

 今のところBMI 22をキープしてます。朝食は圧力釜でご飯を炊き、中に入れる水はアルカリイオン水にしてます。このためかふっくらとお米の一粒一粒が存在感を示し、素朴なご飯のおいしさが感じられます。おかずは野菜とお魚、海苔、納豆、鰹節などです。

 昼食はほとんど日本そばを茹でて食べます。おやくみは葱と生姜と海苔です。満腹感があり、繊維類で胃腸によく、カロリーは低いと思われます。

  このように朝食と昼食はきちんと主食を摂取しますが、夕食では陥りやすい食べ過ぎを防ぐため、おつまみだけにしてます。今の時期、ビールが一日を振り返りにはとてもいいです。血の巡りが良くなることがわかります。飲めることだけで至福と心し、一人ですから量は少なめに限度を決めてます。休肝日は設けません。これを設けたら私の場合泣き面に蜂になります。食品の種類を多く摂って栄養を考慮してるからでしょうか、医師から肝臓が良くないと言われたことは一度もありません。

 トマトの切り方で最近知ったことは薄く切るようにしてます。食べるというより食感が楽しめるからです。これは「どんどん」で知ったことですから料理法も盗むものかもしれません。

 エシャレットは生でいただきます。歯ごたえがあり、食べていて解毒作用も感じられます上に、食べた後5時間くらいは困るくらい元気が出てくる感じです。

一人での夕食が寂しくても、いつかはきっといいことがあると期待し今を生きたいと思います。

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2007年6月19日 (火)

夢は大きく

 鳩舎3階の解体が始ってます。中の柱や断熱材が新しく見えて、まるで建設中のようです。たぶん3階は今日が見納めでしょう。大きな屋根は壊さず、そのまま少しずつジャッキで下ろして2階の上に乗せます。

 間柱などの廃材で再利用できるものは保存し、 断熱材も使えるので1階の壁の中に入れてもらいます。鳩舎が3階から2階へと低くなっても高い母屋に降りるので舎外で鳩は困らないと思います。20世紀は1階の鳩舎でしたが、その点は大丈夫でした。今度は猫の侵入が心配ですが、猫の本能に負けないよう、私と猫の知恵比べです。

柴犬は猫に対してすごく厳しい反応を示しますので、いよいよ愛犬「ころ」がペットから番犬として出番です。また、入舎口を閉じられるようにしたいと思います。その前に到着台に猫が辿り着けない構造を工夫します。それでも相手は魔物ですから、油断はなりません。

ご覧の看板はあくまで目標で、生涯に一度あるかないかでしょう。今後も諦めないで挑戦し、あるいは気圧配置次第では達成がありえるかも知れません。当舎では羽幌連盟1羽帰りもあったので、長距離系に託し、夢は大きく持ちたいものです。

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2007年6月18日 (月)

野鳥の集まる庭をめざして

Dscf0330  両親は晩年、たびたび国内を旅行しました。伊勢神宮と思われますが、お土産に素性の良い杉の苗を購入してきたことがあります。約40年前のことです。それがご覧のように梢は地上から10メートルほどまでに成長しました。

 一般に個人の屋敷では杉を余り見かけません。生前、母は「井戸と同様、この木は御神木だから切ってはいけないよ」と当時、家を継ぐ予定の私に言ってました。現在も新緑が生き生きと輝き、逞しさと健康美を感じます。野鳥にとってはよい隠れ家のようで尾長などが度々出入りしてます。

 先日はカラスの番が巣作りしようと来ていましたが、鳩の強制舎外用の旗を振りましたら、恐かったのでしょうか、それ以来、姿を見せません。外から見にくいためでしょう。鳥の巣がいくつか確認できます。山鳩は毎年のように子育てしてるようですし、もっと小さな野鳥も出入りしてます。私は考えの一つに野鳥の集まる庭をめざしています。

最近、この杉の近くに稲荷様を作りました。大工さんが鳥居を作ってくれましたので、雰囲気があり、つい手を合わせてしまいます。稲荷様の家は御影石で多分80年位前に父が石屋さんに作ってもらったのです。後側に父の名前と建立の年月日が刻んでありますが、大分、風化していて読みにくいです。家を継いだ私にとっては両親に託された御神木と稲荷様ですから、大切に守っていこうと思います。何才になっても人間には心に迷いが生じるものです。このような時や願い事があるときは蝋燭に火を灯し拝みます。身近に迫ってる私のお願いは実るでしょうか。

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2007年6月17日 (日)

今は亡き父への感謝

 私は父が50才のとき生まれました。今日は父の日ですので、88才で他界した父を思い出してみます。仕事は金物やお茶、電球、農家の人が使う田植えの帽子など農業用品や雑貨類を販売してる店を持ち、屋号は祖父母の出身地、埼玉県原道村(現・大利根町)に由来し「原道屋」といいました。

 また、珍しいことによその家で赤ちゃんが生まれると命名を頼まれ、推定200名程につけてやりました。6人兄弟の末でした私の名前はもちろん父が命名し、多分、日本でただ一人の名前のようです。

 父と遊んだ思い出は皆無です。子供のために経済を支えなくてはならず、余裕がなかったようです。いっしょに遊んだ思い出はなくても、年末やひな祭りには写真の臼で母と餅をついてくれました。小さかった私は早朝に父がつく杵の地響きで目が覚め、臼の端につかまり中を覗いた記憶があります。多分3才くらいの時だったでしょう。今でもこの臼と杵は保存してあり、娘の会社(結婚式場)で時折、披露宴で使っていただくくらいです。

  本当に私が小さかった時、近くの烏川に泳ぎに連れてってくれ、平泳ぎの父の背中に乗った記憶がかすかにあります。

 小学校卒業のみである高齢の父であっても、私が音楽を専攻することに賛成してくれたり、ハンマー・アクションなど部品がドイツからの輸入品であるシュベスターピアノを買ってくれたことは、昔の人としては心が広かったように思います。

 一生を左右するようなインド日本人学校教員採用試験受験のときも、母は暑さや病気を心配し大反対でしたが、さすが父は「私の後々のために千載一遇のチャンス、こんなことは二度と巡ってこないと」と大賛成してくれました。それ以来、今でも私が民間の国際交流に心が惹かれるようになったのは、父の先見の明が底辺にあったと言えます。

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2007年6月16日 (土)

花菖蒲真っ盛り

 倉賀野駅のすぐ北には花菖蒲がたくさん咲いてます。元々休耕田を利用して植えたと言われますが、現在では株数が減っています。それは宅地として転用し埋め立てられたからです。

 ところで、6月は意外と多くの草花が咲くのでその多様さには驚きます。夏至直前で日照時間が長く、適当なお湿りもあるから成長しやすいのでしょう。花菖蒲のよさは何と言っても色とりどりの花びらをつけてることでしょう。

  私の庭にもアヤメなどがありますが、花菖蒲は大きさや色彩からして女王のような品格を漂わせています。いつまでも色あせない姿には「もっと伸び伸びしなさい。ゆったりとした心を持ちなさい」と人間への精神的指針を示しているかのようです。

 教育者はどうしても言葉でいろいろとあるべき姿や、強い精神面の必要性を力説してしまいがちですが、植物はこのように言葉でなく「自らの立ち振る舞い」で私たちにものを教えてくれる気がします。動物もそうです。レース鳩を見ていても夫婦愛は人間以上と思うことがしばしばです。子育てを平等にし、父鳩は夜間はどこかに遊びに行かず、あくまで自分の巣の前にどっしり構え、妻や子供を安心させ、日中は無心に餌を運ぶのです。

 炎天下の日に、おさなごを車に待たせておきパチンコに興ずる母親のようなことは絶対しません。人間の世界では今年もこの悲劇が起こるでしょう。

 花菖蒲を観賞し、植物、動物、大自然は私たちに「本来あるべき姿や生き方」を示しているように感じてなりません。

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2007年6月15日 (金)

鳩舎改築の進捗状況

P1020456  網は普通の金網と蚊の侵入を防いだり、毛羽の飛散対策用の細かいビニール製の2枚になってます。緑できれいです。中からは外が見えますが、外から内部は見えにくいです。これから夏を迎え暑い空気を逃すのにはいいと思います。

569  以前に写真でご覧いただきましたように、ここは2階ですが、1階との空気流通のため床の一部をスノコにしています。

564  入舎口は今までのものを使ってます。自動入舎用ですので外側にもトラップがあります。レース鳩のゴールと言える大切な場所です。ここをくぐれば時刻が自動的に記録されます。北海道最北の地から飛翔し、当日夕刻あるいは翌日早朝に、この入舎口の通過をめざします。

 流しも本日出来ました。毎日、新鮮な水を与えますから、飼い主が腰を痛めないで作業できる高さに決めました。横90cm奥行60cmですので水浴場としては結構大きいです。慣れれば飛び込むでしょう。栓を抜けば下水道へ排水されます。肝心の水は井戸からの自家水道です。夏は冷たく冬は暖かく感じて人にも鳩にもいいでしょう。

P1020006  今後、鳩舎では町の水道は必要なくなります。生前、両親が「井戸を絶対潰すんじゃないよ」と言い残したことが、思わぬところで生かされることになりました。カルキがなく、きっとミネラルを含んでます。効果はどうでしょう。この井戸水は植木にたくさん撒いてるので、新鮮な地下水がどんどん湧き出ています。茨城の著名な高塚鳩舎が山から流れてくる川の水を毎日、鳩に与えてることが頭を横切ります。

 最後の仕上げとして排水設備を作ってもらいました。人間の家も水周りが基本です。鳩を飼っておられない方々は驚かれるでしょうが、鳩舎も水周りは衛生上、大切と思われます。流しがお勝手でもあるし、水浴場にもなるのです。できるだけ多くの機会に水浴させ羽虫を除去し、調子を上げてやりたいものです。

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2007年6月14日 (木)

鳩舎の解体ようやく始る

鳩舎の三階の部分が解体されます。大工さんの都合で作業がなかなか始りませんでした。雛が日に日に大きくなってくるので心配でしたが、ようやく改築の目鼻がつきました。2階の選手鳩鳩舎の内部はすでに私が作りましたので、雛はあと1週間ほどで1階の種鳩鳩舎から2階に移動します。

 慣れ親しんだ鳩舎を壊すのは一抹の寂しさがありますが、今後のために発展的に改築するのだと自分に言い聞かせてます。この鳩舎の前には道があります。歩いて通る高齢の婦人たちの話が時々耳に入ります。「鳩の家のほうが私の住まいよりいいね」とたびたび話しが聞えます。

   写真の大工さんは21世紀と共に私の家を作った人です。入り口に戸をつけたり今までの階段を取り外して再利用しますので、それが出来れば2階の鳩舎が使えるようになります。後は流しと水道施設ですが、それは3階の解体が済み、すべてが出来上がる頃になるでしょう。

 もう、これで高い階段から転落して、いつまでも発見されないでいる心配はなくなります、羽の飛散も以前に比べて少なくなりますから、今後はこのままで鳩を飼い続けます。出来上がりましたら皆様にご覧いただきたいので、近隣の方々はお立ち寄りください。お茶をお出しいたします。

  小学4年から鳩を飼い始め、これまで数え切れぬほど鳩舎を作ったり壊したりしました。でも、もうこれが最後の鳩舎になるでしょう。自分の力以上に大型鳩舎にせず、羽数の限度を決めて肉体的負担がかからない範囲で飼育し、尽きない長距離系の研究と実践を求めます。鳩の生態学やより良い飼育についてはまだまだ分からぬことばかりです。レース鳩については研究のし甲斐が無限です。鳩友たちの助言をいただき、自分でもいろいろ切磋琢磨し、いつの日か長距離系の鳩群を揃えたいものです。 

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2007年6月13日 (水)

むなしく老いぬ

 世界の名曲にはしみじみと心を打つものがあります。私にとってスウェーデン民謡「むなしく老いぬ」もその一曲です。漁師の妻が毎日磯に立ちて沖を眺め、夫の帰りを待つのです。しかし、待てど待てど帰らぬ夫。漁船は波に飲まれたのだろうか。哀れにも磯に立つ妻はむなしく老いてゆく。

 「日ごと磯に沖見るおみな、波の彼方に何をかこうる。待てど待てど帰らぬ我が夫(せ)舟かやれにし舵をかたえし、ああ、哀れや夫を待つおみな、磯に年経てむなしく老いぬ」

 ロシア民謡「仕事の歌」

 悲しい歌、嬉しい歌たくさん聴いた中で、忘れられぬ一つの歌、それは仕事の歌。ヘィ、この若者よ、へィ前へと進め、さあ、みんな前へ進め。

 スコットランド民謡「ロッホローモンド」

  By yon bonnie banks and by yon bonie braes, Where the sun shines bright on Loch Lomond, Where me and my true love were ever wont to gae, On the bonnie bonnie banks of Loch Lomond.楽しかった思い出の湖、失った愛への嘆きを歌ってます。スコットランドにあるローモンド湖はグラスゴーの北部にある入り江の美しい湖。いつかは訪れたいですね。

 シューベルト冬の旅より「菩提樹」

  Am Brunnen vor dem Tore, Da steht ein Lindenbaum, Ich traumt' in seinem Shatten So manchen sussen Traum. Ich schnitt in seine Rinde So manches liebe Wort, Es zog in Freuud' und Leide Zu ihm mich immer fort.城門の前の泉のほとりに一本の菩提樹が立っている。その木陰で私はたくさんの甘い夢を見た。その樹の肌に多くの愛の言葉を彫った。喜びにつけ、悲しみにつけ、いつもその樹の方へ惹かれてゆく。するとその樹の枝が私に向かってささやいた。「ぼくのところへ来たまへ、ここなら君は安らぎを得るのだ」

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2007年6月12日 (火)

輝く未来があるね。

 レース鳩の雛を初めてご覧になる方もいると思います。鳩は2個の卵を産卵しますが、始めの日に1個夕方産み、2日後の午後3時頃2個目を産みます。写真の2羽は卵から孵って6日目くらいです。やっと目が開きました。不思議なことに殆どオスとメスに生まれます。でも時々オス同士もありますが、反対にメス同士もありますので、結局はオス・メスほとんど同数に生まれます。私たち人間もそうですね。私は男ですが、もし、回りが女性ばっかりの世の中だったらどうなるでしょう。考えただけでもウキウキします。クラウドセブンです。

 雛にはこの時期、左下にあります協会の足輪を嵌めます。日本には2つの協会がありますが、協会によって足輪も多少異なります。日本鳩レース協会では今年は黄緑です。年によって色が変わります。足輪には日本国を表すJPN、西暦を表す07とアルファベット2文字、そして5桁の数字が書いてあります。アルファベットを使うのは数字以上に組合わせが多くできるから、及び日本のどの地域の鳩であるかがおよそ判別できるようになってます。これらによって、どの鳩も世界で一羽だけの身元が識別出来るようになってます。

 また、私製環あるいは住所環と言って住所や電話番号、飼い主名を書いたものをもう一方の足につけます。迷った場合、発見してくれた人から連絡がもらえるのです。

 以前にこのブログで書きましたが、私の場合、この私製環のお陰で内モンゴルから連絡が来ました。これには驚きました。「日本から飛んできたあなたの鳩に会いに来てやってください。鳩はあなたを待ってます」との手紙をいただきました。国際問題になっても困りますので、急遽、中国語を勉強、ひとりで内モンゴルまで鳩に会いに行ってきました。(写真は内モンゴルの張鳩舎にて私の鳩と再会)

 ですから、足輪(脚環、足環とも言う)は戸籍のようなものです。これがないとレース鳩としての価値がありません。

 母鳩が産卵して3日目ぐらい経過してから、卵を太陽の光などで透かして見ますと、心臓を中心として血管が出来つつあるのが見えるのです。これは誠に神秘な過程です。成長すると中の様子は見えなくなり、若干、重く感じます。そして18日経過すると雛が中から嘴で殻をつつき始めます。少し穴が開いたとき卵を耳につけると鼓動が良く聞こえ生命力を感じます。元気に出てきた雛には期待が持てます。その後の訓練や短中距離レースに耐え、ぜひ、北海道の最北端を出発し、津軽海峡を飛び越え群馬高崎まで帰還できる鳩に成長してほしいものです。 

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2007年6月11日 (月)

本日、大腸内視鏡検査を受診

 家の近くの病院に国立がんセンターでの経験ある女医さんがいますので、本日、1年半ぶりに内視鏡による大腸の検査をしてもらいます。チェックで精密検査が必要になり受診するのではありません。お願いして検査してもらいます。

 私の場合、三度三度の食事はすべて自分で用意する生活ですから、つねに身体に良いかを考え食材を選んでいます。大まかには食物繊維を含んでいるかどうかが購入の判断材料になります。また、動物性油を含んでるものはご法度にしてます。もっとも、良くない食べ過ぎについては注意してきました。また、食事時間をゆっくりとってます。昔より歩くように心がけてきました。果たして結果はどうでしょう。ポリープがあれば取ってもらいます。

 大腸内視鏡検査は事前に大腸の中を空にしておく必要があります。前々日から海藻類、こんにゃく、胡麻は腸内に残ってしまうので食べられません。前日から写真のような特別食となります。ほとんど流動食です。3食プラスおやつが入っていたり、ジュースが入っていて、お腹がすいて困る時に飲みます。寝る前に下剤を飲みます。

  検査当日は病院で最後の大腸掃除です。中を全くきれいにしてしまいます。それは下剤2リットルを1時間かけて15分おきに4回で飲みます。大変のように感じますが、ものは思いよう、生ビールだと思って(涙)お腹がすいてるのでどんどん飲んでしまいます。その後、体内から出ましたら、いよいよ内視鏡室に入ります。今まで3回受診した経験ではそれほど苦痛ではありません。途中、医師や看護婦さんと話ができます。1時間位です。

 近年、日本人の食事は欧米化のため大腸癌が増えてる現状です。病気に追いかけられないで、今後も自ら進んで内視鏡検査を受けたいと思います。

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2007年6月10日 (日)

心は崩れやすいもの

383  このブログはいいことが一つあります。それは英文に早変わりすることです。ご存知の通り右上のエキサイト翻訳をクリックしますと即座に英語に翻訳されます。また、英文になりましたらそのまま左のProfileをクリックしますとプロフィールも英文になります。しかも、そのまま一番下にあります橙色のMy bulletin board is hereをクリックしますと併設してます掲示板も英文になります。

 ですから、皆様が私の掲示板に日本語で書込みされますと、その文が英文になりますので、外国の方にも理解されます。これは夢のような素晴らしい機能と思っています。でも心しておきたいことは、あくまで機械的に訳してますので、しばしば不自然と思われる表現もあります。それにしても、同時通訳のように即座に英文になることは驚く他はありません。もし私が訳したら1ページでも一日かかるでしょう。

  頭の体操には語学がいいと聞いたことがあります。私は以前から趣味として英単語を増やすことを心がけていますが、生来の怠け者ですからなかなか継続できません。学生のときのような勉強でなく、ただ語彙を増やしたいので、これからも一つの楽しみとして続けていきたいです。

 このブログの英文を見ても知らない単語が出てきます。少しでも自分のものにしたいのですが、人間の心は崩れやすいもの。辞書を近くに置いていつでも調べられるようにし、弱い気持ちに負けないようにしていきたいです。

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2007年6月 9日 (土)

若かった高崎商業教諭時代

 34才から45才まで11年間勤務していた高崎商業にはたくさんの思い出があります。著名な相馬御風作詞、弘田龍太郎作曲による素晴らしい校歌が歌い継がれてます。この校歌はこれからも変わることはないでしょう。文豪・吉野秀雄を生み、前高崎市長さんや現高崎市長さんの母校でもあり、地元では高商と呼ばれ100年以上にわたり歴史を刻んでいます。写真は私が吹奏楽部顧問として青年教師真っ只中の34才のとき上毛新聞に掲載されたものです。見たところでは今とあまり変わりがありませんね。

 吹奏楽部の練習は毎日で始業前の朝練に始まり、放課後は7時頃まで。毎年11月頃行なわれる群馬音楽センターでの定期演奏会は3年生にとって部の卒業式のようなもの、日頃の練習を余すところなく発揮しステージでは教師も生徒も完全燃焼でした。私も時々2000人の聴衆の前で3年生一人ひとりを紹介し、労をねぎらった思い出があります。特に演奏会終了後の宿泊施設での慰労会では全員が宿泊して夜中までレクレーションです。応援曲の「ハリス」をみんなで歌い、踊ったことは一体感が生まれ深く脳裏に焼きついてます。S井君は私の指揮の真似が実にうまくて楽しい部長でした。現在では県内で著名な書家です。

 部活の楽しい目玉は夏季・冬季合宿。新潟の苗場下山山荘や子持青年の家、妙義少年自然の家、小諸青年の家、御荷鉾高原荘などです。また、高校野球の応援で大阪へは4回行きました。

 定期演奏会では毎回、指揮者として平均15曲くらいは棒を振り、思い出の曲はたくさんありすぎて書ききれません。中でもショスタコービッチの交響曲第5番「革命」第4楽章、チャイコフスキーの「スラブ行進曲」「1812年序曲」、ムソルグスキーの「展覧会の絵」、ドボルザークの「新世界交響曲第4楽章」、ハチャトーリアンの「スパルタクス」や「剣の舞」、モーツアルトの「フィガロの結婚序曲」、スッペの「詩人と農夫」、ビゼーの「アルルの女からファランドール」、レスピーギの「アッピア街道の松」などの名曲を演奏できたことは心から幸せでした。いつまでも忘れません。この他にもジプシー王女やアルメニアンダンスなどたくさんの吹奏楽オリジナル、その他、その時代時代に流行したポピュラー音楽の演奏です。

 また、吹奏楽といえば行進曲ですから、国民の象徴、美中の美、ハイスクールカデンツ、祝典行進曲、星条旗よ永遠なれ、旧友、ボゲー大佐、軍艦マーチ、ワシントンポストなどの名曲は指揮していて本当に楽しかったです。

 教師として仕事に慣れてきた30代40代に高商でこのような部活の顧問となり、当時の部員たちと音楽を通して交流できたことは私の喜びでした。彼らは今では35才から46才くらいになってます。丁度、私が高商に勤務していた年齢になってるのですね。たまには高崎駅前「どんどん」でいっしょに飲み、往時を振り返ったり近況を拝聴したいものです。

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2007年6月 8日 (金)

心配な水不足

 近年は異常気象が続きます。今年も1月2月は暖冬のため積雪が少なかったです。群馬県上流にある首都圏の水瓶といわれるダムは現在すべてが満水時の40%程といわれてます。

 追い討ちをかけるように、本年の6月はどうも空梅雨の気配です。日常生活の源は朝起きて水に始まり一日中、水に終始してます。いったい一人が使う水量はどれほどなのでしょうか。思いのほか多いと思われます。私たちは水は「もったいない」の気持ちで無駄にしてはなりません。

 近年、原始生活に近いような生活をしている南の国の王様が日本に来ていろいろ見て回り、新幹線に乗ったり大都会をつぶさにご覧になってあまりの違いに驚いたのではないかと思われるわけですが、母国への帰国の際に日本人から「滞在中、何が最も印象に残りましたか」の質問に、その答えは日本人が誰も想像しえなかったことでした。

 その答えは新幹線でも高層ビル群でもなく、何と「水道の蛇口」が最も素晴らしかった言ったそうです。

 王様にとって自国の民衆の飲料水の確保こそが死活問題であったのでしょう。きっと低いところから、毎日、手作業により苦労して汲み上げ、みんなで分けて大切に使ってることが想像できます。それが日本に来たら蛇口を捻れば飲み水がどんどん出てくるとは彼にとって「蛇口こそが夢のまた夢であったのでしょう。」

 私たちはかなり以前から下水道の整備された環境で生活しているので、蛇口を捻れば水が出るのは当たり前の感覚で、その有難さを認識することは少なくなってます。

 しかし、日本でもこのまま首都圏の水瓶が底をついたら、当たり前であった蛇口からの水は水道料を払っても絶対に出てきません。いよいよ井戸を掘って昔のように「つるべ」で汲み上げることになります。地球上のどの民族にとっても水は共通した欠くべからざるものである事実は変わりません。

 水不足は未来になってもきっと続くことでしょう。不思議のような「蛇口を捻れば水が出てくる有難さ」を再認識し、無駄にせず、出しっぱなしにせず、自然の恩恵に感謝したいものです。

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2007年6月 7日 (木)

貯蓄から投資の時代へ

  この春、満開だった梅林の梅たちも収穫の時期になりました。観賞用花梅であっても、実がいっぱいなってます。娘と2人きりの生活では昔に作った梅酒も飲みきらず、毎年の収穫はその加工に苦慮してます。

  本年はどうにか工夫して梅ジュースにならないものかと策を練ってます。梅には殺菌などのエキスが含まれてるので、健康にはいい筈ですから、実を処分したらもったいないことになります。でも結局、私が収穫や加工をしなければなりません。灰汁を抜いたり蜂蜜をうまく利用して飲みやすいものをめざしてます。これにより暑い夏を健康に乗り切れたら梅花の観賞と共に一石二鳥ですがどうでしょう。幸運にも、鳩友に梅の専門家がいるので、お知恵を拝借するつもりです。

私は経済に関しては素人でありましたが、これは近年、最も勉強してることの一つです。前述の花梅と同様、元々は種を撒いたり、植林に始まり、それがやがて蕾から開花、そして新緑から収穫への方向は、経済の一連の流れに似てると思います。種を撒くことからすべて始まりやがて結実につながるでしょう。

  今の低金利時代では対策なしではよい結果は期待できません。私たちが買い物、レジャーなど個人消費でいろいろ享受できるのは、元を正せばすべて投資に始まっており、それが労働力など一連の道を通って社会に還元され、国民生活への安定供給へという流れに結びついてるでしょう。種から発展しやがて結実する循環は経済に似てると思います。これからも経済を見る目を養いたいと思います。

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2007年6月 6日 (水)

口腔衛生の大切さ

現在は健康について自己管理の目標数値が明確になっていて有難いことです。この数値をめざして運動量や食事に具体的目標ができます。ご存知の通り、メタボリック症候群のチェックは血液検査で即座に分かりますし、内臓肥満については自分で腹囲を測り(ウエストでなく臍周りで)男性は85cm、女性は90cm以内をめざしたいものです。

 このため、医師の指導のもと自己管理でずいぶん改善が図れると考えてます。食べ物については全般的に量を少なくし、主食を摂り、おかずの種類を多く、肉・魚のバランスをとり、野菜を多く、果物、牛乳はそえる程度、さらに薄味に慣れる習慣は必須事項でしょう。。

 血液検査は半年に一度くらいしたいものです。自覚症状では分からない中性脂肪や血糖値などいろいろのチェック項目があるからです。運動に関しては平素から行けるところは出来る限り車を使わず歩くようにしたいと思います。

私が最近、大切と思ってる自己管理の一つに口腔衛生があります。口の中を清潔にしておくことは衛生管理の基本でしょう。これは手のように簡単に見ることが出来れば問題ないのですが、見えないので意外と盲点に感じます。口の中を不衛生にしておくと肺炎に関連するといわれてます。歯や歯ぐきのブラッシングはもちろん、うがいで清潔にしておきたいです。お互い頑張りましょう。

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2007年6月 5日 (火)

ついに来なかった流氷

 今日は世界環境デー。最近の気候はどうしたのでしょう。大分、変動してしまってます。私の住む群馬の平野でも、この冬はとうとう雪が降りませんでした。1月、2月は暖かく、3月は寒く、4月頃は冬と初夏が日替わりメニューのようでした。北海道東部に住む友人の話ではオホーツク沿岸に今春は、とうとう流氷が来なかったそうです。

 子供の頃にはずいぶん雪が降った記憶があります。その代わり現在は洪水が各地で起こったり、真夏の気温は日本中がインドのようです。

 未来の子供たちへの最大の贈り物はいつまでも変わらぬ適温の環境です。現在、地球上に住む人間が「今、そのために出来ることを実行」しなくてはなりません。これは取りも直さず、便利すぎる生活にブレーキをかけることでしょう。

 Global Warmingを地球温暖化という深刻さに欠ける言葉に最初から訳してしまったことも、認識の甘さに拍車をかけていると思われます。

 Warmには暖かいという意味と、もう一つ暑いという意味もあります。ですから地球高温化とでも訳せば今よりもっと深刻に受け止め、対処が早かったかもしれません。

 今はGlobal WarmingからGlobal Warningの時代に入ってると言ってもいいと思います。各国の指導者は協力し合い、その立場から地球的規模で実行に移してもらいたいです。私たち一般の人類が実行すべきことは、一人ひとりが自分に出来る「エコ生活」の実践でしょう。

 このためには電気や水の節約、買い物篭を使う。車は最小限にとどめる。リサイクル紙を使用。出来るだけ殺虫剤や農薬を使わない。クーラーの温度を低く設定しない。ネクタイをしないなど、考えればたくさんあるように思います。

 近未来、地球が生易しい温暖化でなく高温化になったら本当に困ります。私たちの子孫は居るところがなくなります。

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2007年6月 4日 (月)

偉大な愛妻家

 隣の木部町に推定100種類以上は優に超えると思われるバラ園があります。個人で長い年月を費やし丹精こめて育て上げたのです。数年前にも訪れその種類の多さに感銘した記憶があります。隣の畑では現在でも品種改良に尽きない研究をされてるようです。

 私が驚くのは、こんなにたくさんの品種を育てても、一般の方に自由に見学・観賞させてくださることです。しかも、販売してる様子はありません。目的は金銭とは縁がないようです。

 聞くところによると、バラ育成の最初は奥様のために植えたのが始まりらしいです。その美しさを愛妻に見てもらい、彼女の喜ぶ姿をご自身の喜びにしていたのでしょうか。純粋な気持ちは次から次へと品種が増し、個人のお宅でこんなに広いバラ園はないかもしれません。見た感じでは入場料を払ってもいい程の価値があります。

 ご存知のように、バラは花びらの大きさと色彩において品種に名前がついてます。絞りもあり原色ありで、色彩と大きさにはこと欠きません。

 一般的に生産活動は何事も経済に結びついてるわけですが、この方のようにこれだけのバラをどなたにも自由にご覧いただ く精神は素晴らしいの一言です。私は寛大な心を感じています。

 もともと奥様への美のプレゼントですから、他の目的はないのでしょう。私も何かの形でこのように家族に無償の贈り物を果たしてできるのでしょうか。娘と二人の生活ですから、大切な今の状況を悔いの残らぬように父として精神的な何かを贈りたいものと思いました。

 このバラ園のご主人の精神を見習い、ピアノ演奏はこれからも、お聴きしたい方には楽しんで聴いてもらえるよう、不断の練習に没頭しなくてはなりません。

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2007年6月 3日 (日)

記憶力と筋力は関係ある?

若いときには良く覚えられたのに、年齢を重ねると物事が覚えにくくなったり、忘れやすくなるようです。これは、ややもすると脳に関係することで仕方ないことと思われやすいですが、私は筋肉が落ちることと結びついてるように感じてなりません。

 一般的に年を取るとどうしても背中が丸くなったり、大胸筋の存在が目立たなくなって、姿勢が正しくないようです。

 こんなことからエクササイズをして筋肉増強に努めることは物事に積極的に取り組むようになったり、身体のみではなく脳にも刺激を与えるのではないでしょうか。

 日常生活で歩くことは基本です。下半身の増強はもちろん、内臓の循環にも良い刺激となるように思いますが、歩くことのみでは上半身の増強には効果を示しません。上半身の鍛錬には意識して筋肉をつける方法を見出す必要があると思っています。ダンベルなど手軽な補助器具はいつでも手元においてすぐ実行できるようにしておきたいものです。

  背筋と大胸筋を鍛えたあとは思い切り背伸びをして、幼稚園の時にしたように両手を頭上に上げたり、指を開いて星がきらきら輝くような動作をすれば筋肉が伸びたり、肋骨の間が開いて肺に空気がいっぱい入ります。このように筋肉を鍛えたら後は、反対に筋肉を伸ばすこともすっきりして気持ちがいいですね。

 大きな鏡を前面においてエクササイズを行なえば、自分自身がインストラクターになって姿勢をチェックでき、取りも直さず自分の身体を見つめる絶好のチャンスです。

 身体と脳は生きる両輪ですから、バランス良く鍛えたいものです。

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2007年6月 2日 (土)

360度のパノラマ八間山

 いつかは登頂したいと思っていた群馬県北部で新潟県との県境近くに位置する八間山山頂に本日登りました。標高1934m。周りの樹木はやっと新緑が始ってる程度です。朝、家を5時30分に出発し、登山口の野反湖畔に着いたのが8時頃でした。

  一休みした後、熊笹生い茂る山道を登り始めましたら、身体が慣れないせいか、すごく疲れました。30分もすると眼下に野反湖の景色が目に入り、だんだん元気が出てきましたが、それでも山道の登りはきついです。内心もっと体重を減らさなくてはと思いながら一歩一歩目的地の山頂を目指します。

 途中、小高い山や鞍部があり小休止。涼しい微風が肌に心地よいです。1時間半でついに山頂。周囲を眺めても山また山の大自然。山ばっかりです。人間の住んでるところなどほんの一部なのだと改めて大自然の広大さに感服しました。

 お昼をいただきながら見る遠望は、南に浅間、西に本白根、草津白根、横手山、また、比較的近くの北側には、その名も轟く白砂山の山並みが「来られるものならここまで来い」と言わんばかりに不動に聳え、標高高い上越国境の別世界を誇らしげに見せつけてます。

 頂上から360度の光景を1時間ほど満喫し下山しました。途中、行き交う人たちとは幾度となく挨拶を交わしました。多くは中高年の女性です。現代社会では女性の方が元気なのではないかとつくづく思いながら眼下に広がる野反湖畔をめざしました。

 下山後、帰路に最近テレビで紹介された「湯の平温泉」の一軒家に立ち寄り八間山の汗を流しました。鄙びてて静寂そのもの。白砂川のほとりの露天風呂は憂世の塵を忘れさせ、疲れた足をいたわってくれました。そまつな塀一枚を隔てて隣は女性風呂。声が聞こえます。ドキッ、しかし、白砂川のコバルトブルーの流れが私の心を引き寄せ、自然への魅力へと導いてくれました。

今回、以前から望んでいた八間山登頂が実現し、本当に嬉しいです。ひと月に一度くらいは山に登り、身体と心を清めたいと思いました。

  本日は山岳のベテラン、サムュエル・ドットさんが同行してくださり、本当に楽しい一日を過ごせました。

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2007年6月 1日 (金)

雛に命を託す母鳩

 今の季節、レース鳩たちは子育ての真っ最中です。毎年2~3月頃に飼い主の考えで、オス鳩とメス鳩を見合いさせます。その方法は一つの巣房の中に2羽を入れてやればいいのです。馬が合ってすぐ番になるペアーもいます。しかし、気に入らなくて喧嘩する場合もあります。それでも時間が経つと不承不承仲良くなるのもいますし、全然見向きもしないペアーもあります。人間の見合いと同じでしょう。それであっても時間が経過すれば殆どはペアーになります。ですから、レース鳩の世界には自由恋愛はありません。可愛そうですね。自然界のように構わずにおけばもちろん恋愛結婚になります。

  競走馬と同じく血統を重んずる世界ですから、両親や先祖がどんな距離からどんな成績を残しているか、また、著名な血統を引いてるか、そして極端な近親関係を避けたり、健康度を考慮して配合します。

 写真は母親が自分の食べた餌を戻して2羽の雛に与えてます。この鳩はオランダのブルッへマン鳩舎で生まれ、父はバルセロナを3回、母はバルセロナを5回飛んでます。ぜひ、長距離の血統を子孫に伝えてほしいものです。これからずっと日本の私の鳩舎で子育てします。全身を震わせ渾身の力をこめて戻すのです。感動的なシーンです。父鳩も同じ行動と取ります。この鳩は「スチール号」とも配合します。

 雛が卵から孵ったばかりの目が見えない時から、ミルクをもらおうと父鳩や母鳩の嘴を探る姿には生命の尊厳や神秘を感じます。私たち人間も全く同様で生まれたての目が開かない時から母の乳首を探していたのです。もうすっかり忘れましたね。

 鳩を飼ったことのない方にとっては、このような光景は初めてご覧になると思います。何万世代も太古の昔から、鳩はこのような姿で子育てし、命を次代にバトンタッチし自らの生命はじきに失せるのです。レース鳩を飼育してると勝負にだけ徹してしまいがちですが、このような尊い子育てについても鳩から学べるのです。

  レース鳩を飼育してる私の目標はあくまで北海道の最北端から南下し、津軽海峡を自力で飛び越え、生まれ故郷の群馬高崎まで帰還する帰巣性抜群の雛の誕生を求めてやみません。

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