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2007年6月17日 (日)

今は亡き父への感謝

 私は父が50才のとき生まれました。今日は父の日ですので、88才で他界した父を思い出してみます。仕事は金物やお茶、電球、農家の人が使う田植えの帽子など農業用品や雑貨類を販売してる店を持ち、屋号は祖父母の出身地、埼玉県原道村(現・大利根町)に由来し「原道屋」といいました。

 また、珍しいことによその家で赤ちゃんが生まれると命名を頼まれ、推定200名程につけてやりました。6人兄弟の末でした私の名前はもちろん父が命名し、多分、日本でただ一人の名前のようです。

 父と遊んだ思い出は皆無です。子供のために経済を支えなくてはならず、余裕がなかったようです。いっしょに遊んだ思い出はなくても、年末やひな祭りには写真の臼で母と餅をついてくれました。小さかった私は早朝に父がつく杵の地響きで目が覚め、臼の端につかまり中を覗いた記憶があります。多分3才くらいの時だったでしょう。今でもこの臼と杵は保存してあり、娘の会社(結婚式場)で時折、披露宴で使っていただくくらいです。

  本当に私が小さかった時、近くの烏川に泳ぎに連れてってくれ、平泳ぎの父の背中に乗った記憶がかすかにあります。

 小学校卒業のみである高齢の父であっても、私が音楽を専攻することに賛成してくれたり、ハンマー・アクションなど部品がドイツからの輸入品であるシュベスターピアノを買ってくれたことは、昔の人としては心が広かったように思います。

 一生を左右するようなインド日本人学校教員採用試験受験のときも、母は暑さや病気を心配し大反対でしたが、さすが父は「私の後々のために千載一遇のチャンス、こんなことは二度と巡ってこないと」と大賛成してくれました。それ以来、今でも私が民間の国際交流に心が惹かれるようになったのは、父の先見の明が底辺にあったと言えます。

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