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2007年7月

2007年7月31日 (火)

路傍の石にも先史時代の面影

 どういう訳か庭に20~30キロ位の石が200個位あります。買って来たことはありませんので、父が生前、どこからか集めたのでしょう。どうして手に入れたのか、若かりし時の私は訊ねることをしなかったのです。今になってみれば聞いておけば良かったと思います。

 殆どの石は築山の周りや花壇の淵に使ってます。千差万別の形と色模様をなし、庭を引き立たせる曲線美は何とも言えない表情です。たぶん何万年もの水の流れによって曲線になったと推定されます。

 上の写真の大きな石は群馬・神流川(かんながわ)産の三波石です。推定1トンでしょう。全体は薄い青ですが、中に白い筋や紋様が入ってます。人間には想像できない古い生い立ちを持ち、あるときは水中に、あるときは地下に、また、現在のように偶然にも地上で日の目を見てるのでしょう。誕生の歴史はあるいは恐竜が存在した中生代かもしれません。これから先、幾万年もずっとこの姿であり、ロゼッタ石のように文字を刻めば遠い後世の人々に何かを伝えることができるかもしれない。

 ところで、玄関のすぐ脇にあるこの石は写真左の群馬・長野県境にある荒船山に似てると思うのですが、どうでしょう。上が平らなところも同じです。荒船山はユニークな山容で人気があり、その名が示す通り、まるで荒海を進む巨大な船のようです。山頂は広い高原になってます。標高1422メートルのこの山は大昔、周囲が陥没したように見え、200メートルほどの断崖絶壁は見事な景観をなしています。

 8月2日にはこの近くの内山峠を通過し長野県佐久市に行きます。目的は鳩友のハンドルネーム浅間山さんと、ご子息でハンドルネーム小浅間君(1才)に会いに行くので楽しみです。信州の自然を感じたり、レース鳩の飼育について新しいことが学べて刺激になります。帰路には物見岩近くの佐久日帰り温泉に立寄ろうと思います。

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2007年7月30日 (月)

自然の恩恵に感謝

 生まれたときから朝が来て活動し、夜になると眠ります。このテンポの繰返しで人々や動物たちはずっと大昔から生活してます。真っ暗な夜がきても誰一人驚きません。深夜、星空を見上げると、あることが確実に分かります。それは宇宙は暗黒であるということです。恐くなる時があります。

 昼間、青く明るい空があるのは地球を取り巻く薄い大気のお陰でしょう。でも、それはほんの一部で、果てしない宇宙は闇また闇でしょう。

 宇宙は本当に真っ暗なのに、地球に住んでるお陰で明るさを満喫できます。昼間、寝ててはもったいないです。ぜひ、戸外に出て光り輝く野山を散策し、四季折々変化する山並みを味わいたいものです。

 殊に群馬・谷川岳一の倉沢の人を寄せつけない険しい岩肌、本白根山の巨大空釜を眼前にすると圧倒されてしまい、自分が虫けらのような錯覚に陥ります。群馬に来られたら、これらはお薦めです。

 上の写真は珍しく庭でクロアゲハの一瞬を捉えました。小さな体に大きな羽根。触覚も威厳があります。バランスを取るための尾のような羽根。黒装束で宙を自在に飛び羨ましく感じます。人間には真似の出来ないことです。この夏一瞬の命であっても思い切り生命を謳歌です。

 左の写真は我が家のいわばシンボルである柿【Persimmon】です。私はカッキーです。これから実がだんだん大きくなります。どうしたことか娘はあまり興味を示しません。コンビニでもっとおいしい物があるからでしょうか。現代の人は当たり前なのでしょうか。淋しいですね。今年は食べて自然の恵みに目覚めてもらいましょう。私が子供の時は甘くてこんなにおいしいものはないと思いました。秋が待ち遠しい。

 前に書きましたように、井戸がありますのでモーターで汲み上げ使ってます。植物への水やり、レース鳩の飲料や水浴用です。使っても使っても次から次へとつめたい水が出てきて無くなることはありません。使えば使うほどいい水が出てくるのですから、自然の恩恵には本当に感謝です。 

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2007年7月29日 (日)

「遺作ノクターン」が訴えるもの

 芸術家が生前、公表のチャンスを逸した著作物や未発表のままであった作品が死後、世に出ることはしばしばあるようです。有名な未完成交響曲もシューベルトが亡くなって37年後に楽譜が発見され、初めて演奏に至ったと伝えられます。シューベルトの人生が僅かに31年であったことを考えると、ずいぶん後で発見されたことになります。

 後世に残るという点から考えると、作品を作る分野であれば、建築を始めとして著述、文学作品、絵画、彫刻、書などは残ります。レース鳩のように系統が確立できれば、目に見えないことであっても、確立者の名が後世に残り、その系統の子孫が長距離レースで活躍します。

 音楽では何と言っても作曲家でしょう。演奏家は素晴らしい音楽を奏でても音は瞬時に消えていきます。二度と同じ演奏はないです。高齢になると体力の衰えから演奏が次第に困難になってきます。

 近年、日本でも著名な作曲家が相次いで亡くなりました。きっと未発表の作品が眠っていると考えられます。本人はこの世を去っても作品が残り、後世の人々へ伝わっていくとは誠に素晴らしいこととで遺作となります。

  楽譜は私のテーマの一曲でもあります「遺作ノクターン」です。作曲家ショパンも39歳の若さで世を去り、作品の数は考えられぬほどたくさんです。この曲は晩年に作曲され、ついに発表のチャンスを逸してしまったようです。生前、演奏会でこの曲を聴くチャンスに恵まれず、結果的に死後、発表の形となったのでしょう。

 聴いてみても、弾いてみても誠に訴えてくるものがあります。これでもかと悲しく美しい旋律はもとより、オクターブを越えた独特のアルページョ伴奏を聴くと、このような深みのある音をどのようにして発見したのか、驚きの他はありません。

 私のような凡人は生きてた証として、いったい後世に何を残せるだろうか。

 私にできることは、「娘たちに健康で充実した人生を送る方法を拙い経験から伝えること」かもしれない。

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2007年7月28日 (土)

日時計は三台ある

 現代のような時計がない大昔はおそらく日時計が使われていたでしょう。太陽の南中時刻は季節によって多少変化しますが、正午はほぼ南であることを利用して、影ができる方向により時刻を知ります。子供の時に作ったことがありますね。

 理科も得意ではありませんが、地球は経度の1度で4分の差があります。日時計は設置してある場所により、その向きを少し変えてあると思われます。例えば群馬県高崎市には東経139度線が走ってますので東経135度の明石市より4度東に位置し、時間にして16分早いずれがあります。このため日時計の向きを4度西に向けたほうが標準時に近いでしょう。

 ところでタイトルの「日時計は三台ある」って何のことでしょう。実はどこの場所に設置しても必ず「三台ある」ということになります。え~1台でしょう。

 ごめんなさい。これは英語のジョークです。つまり、日時計のことを英語でsundial「サンダイアル」といいます。1台あっても3台あるです。これでsundialを覚えられました。

 実は本日のタイトルは私が苦労して覚える単語の一例だったのです。以前に発表したかもしれませんが、骨がもろくなる病気はosteoporosisです。発音は「アスティオパロウスィス」に近いです。ロにアクセントがあります。これは「「明日手がぽろぽろになる」というふうに覚えました。いわゆる「骨粗しょう症」です。これを外国人の前で使ったことがありますが、きょとんとしてました。私の発音が良くなかったのか、医学専門用語なのでご存じなかったかもしれません。病気の特徴を話しましたら分かってくれたようです。

 この他、神社の畑にあるショーガはginger「ジンジャー」であったり、銀行の前に生えてるイチョウはginkgo「ギンコウ」です。diabetesの発音は「ダイアビーティーズ」です。命にとってダイヤはBランクだ、これは糖尿病のことです。蝉のことを英語で言えなければ死刑だ~。蝉はcicada「スィケイダー」です。兄を見よ貧血ではないか。anemia「アニーミア」。おまけに子宮のことはwomb「ウーム」。産むです。流れ星見~たmeteor「ミーティア」です。

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2007年7月27日 (金)

鳩舎の周りは断熱材

  梅雨明け宣言がなくても、頭上から真夏の太陽が照りつけてます。地上は高温です。

 50年レース鳩を飼育していて感ずることの一つに、鳩は気温の影響を受けるように感じます。夏は涼しく、冬は暖かい鳩舎設備は大切と考えます。

 生理現象としてすでに羽が抜け始めてます。5月頃までに生まれた鳩10頃までにすべて生え変わります。それより遅く生まれた雛はすべてが生え変わるのに来年までかかります。この換羽現象をうまく生かしたり、換気により換羽の早さを調整し、レースで勝利する達人もいます。

 ですから季節による気温や風の違いにより「換気が調整できる鳩舎」は鳩にとって住み心地がいいし、レース結果に影響があるかもしれません。

 一方、夏から秋にかけては鳩舎内に蚊が入らない構造も大切と思います。昔、吊った蚊帳の要領がいいのではないでしょうか。私は青いビニール製の風通しのよい網を窓に張ってます。サッシの網戸では細かすぎて埃もつまり、換気がよくないように感じます。

 鳩舎建設に際して、大工さんに天井裏、そして外壁と内壁の間は四方すべてに断熱材を入れてもらいました。早速、威力を発揮、本日のかんかん照りでも天井を触っても熱くありません。舎内は涼しくさえ感じます。水浴をした後など日向ぼっこしたければ展望台に行ってもらいます。

鳩舎は「換気の調整可能」による「室内温度の一定化」、そして「蚊の侵入」が防げれる構造が基本的にいいと思います。餌については虫が湧かないよう、天日干しで湿気を取除いたものを与えるようにしてます。

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2007年7月26日 (木)

日本を堪能したい

Dscf0880  私のこれからの目標の一つは国内旅行です。今まで行く機会がありませんでした。未だ、北海道や北陸、山陰を始めとして多くの名所を訪れてません。同じ地であっても時季が違えば趣が異なるでしょう。

 それでも一度だけ、印象に残る旅を経験しました。それは「海から見る日本の旅」です。横浜から夕刻、客船に乗り、洋上で翌朝を迎え、その日のお昼頃、大分に着きました。途中、紀伊半島、室戸岬、足摺岬などの先端を太平洋側から見る船旅です。日本列島を客観的に捉えたかな。

Dscf0879_2 今後は積極的に旅に行き、見聞は出来るだけ足で歩いてみたいと思います。私の住まいは群馬ですから日本列島のほぼ真ん中。このため東西南北どこへも比較的便利です。

 目的地までの交通手段は列車、観光バス、マイカーを予定してます。しかし、現在、旅行用の車を持ってません。

Dscf0216   かつての愛車117クーペの雰囲気を持った車はあるでしょうか。そうそうケイマンの黄色はいいね。

 どちらへ行っても宿泊は温泉地の予定です。若い頃、インドの方々にAre you an Anglo-Japanese?と聞かれましたが、私は生粋の日本人なのです。このため温泉が好きです。そしてビールや地酒とともにその地の珍味を味わいたいですね。

Dscf0901 ところが、私にとって旅するには一つ必ずしなければならないことがあるのです。それは忙しい娘に頼めないです。レース鳩の世話を近所の方か友人に依頼する必要があります。レース鳩は雛が生まれる春はよく面倒をみなくてはならないので、この時期は外します。それ以外の時期は餌と水のみで比較的簡単です。

 これらの条件が揃えば(旅々)出かけます。ただ私は一人旅が苦手なので、旅は道連れを望んでます。旅の好きなお伴は生まれるでしょうか。

【写真はびっくり草とオシロイバナ、117クーペ、ケイマン】

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2007年7月25日 (水)

知事の隣で音楽鑑賞

 先日、群馬県知事選挙が行なわれ、4期16年続いてきた知事さんの5選はなりませんでした。長いこと県政のために卓越した手腕を発揮され、多面にわたりご尽力されました。心より感謝申し上げます。

 最後の定例会見では、これからも県民のために一生をささげたいと話され、郷土が発展することを望んでおられると報道がありました。本当にお疲れ様でした。私の仕事は群馬県で採用ですから、広義には職務で長いことお世話になったことになります。

 ところで、1度この知事さんと前橋市民文化会館で席が隣になり、話しをしたことがあります。秋に開催されます県主催の「高校芸術祭音楽部門」に知事さんの息子さんがピアノ演奏で出演したのです。息子さんは私の学校に在籍してましたので、前日の練習終了後、息子さんに尋ねたのです。「明日、お父さんは聴きに来るかね」と訊きましたら、「聴きに行きたいと言ってました。」と言うのです。これは大変。保護者として来られても、県主催の行事ですから、知事さんとして接待しなくてはなりません。

 当日、ついに見えました。早速、挨拶しホール内へ案内です。中央の席に着席されましたので、失礼かもしれませんが、私は息子さんの顧問なので隣に座らせてもらいました。プログラムが進んで、司会者の放送により息子さんの名がホールに響きましたら、多少、落着かない父親の顔になったようでした。

 演奏は練習よりよく出来たように感じました。さすが本番に強いのは遺伝子かと内心思いました。息子さんの演奏が終わっても、すぐに席を立たず、他の生徒さんの演奏もしばらく鑑賞されてました。

 私は知事さんに、息子さんの学校での練習の様子と本番の出来栄えについて感想を申し上げることができ、2度とない珍しい経験となりました。

 なお、卒業式に来られたことがあります。県立高校ですし、現職の知事ですから当然、ステージに登壇していただこうとお願いしましたが、今日は保護者として来たのでと仰り、一般の保護者席に座っておられたのも、お人柄がにじみ出ていました。

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2007年7月24日 (火)

腕の重さを測ったことがありますか。

 17歳からピアノを始めました。それまではバスケットに夢中でした。お陰で背が伸びました。ピアノを始めてからはずっと弾いてます。ご存知のようにピアノ曲には難易度としてグレードがあります。私は細かくて速い曲は得意でないこともあり、あまり弾きません。ピアノの音色をしみじみと味わうことに主眼をおいてます。

 ホームコンサートでお客様に聴いていただいてます。多くの方に「ピアノの音色の良さ」を味わってもらいたいのです。ティータイムつきで無料です。

 きれいな音色こそをピアノ演奏の目的にしてますので、どうしたらいい音がでるのか考えるようになりました。たとえミスなく難しい曲が弾けても、音が大きすぎてうるさい感じになったり、聴いて下さる方がリラックスできないのでは目標から逸脱してしまい、美的な音色はどこかに行ってしまいます。

 この遠大な目標はいつになっても会得が難しいです。それは音楽が目で見えないからかもしれません。あくまで脳が感じた美的感性で判断しなくてはなりません。

 私は一般的に右手に多いメロディーを第一主義にしてます。メロディーをしっかり伝えたいのです。左手による伴奏の音量を一段、落とし、可能な限り滑らかにつなげるようにしてます。たとえ左手が個性ある主題のときであっても右手ほど強く弾かないように努めます。しっかり弾きますが、決して大き過ぎないことがいいと思ってます。音楽は「聴き手の心に染みこんでこそ」意味があり、一音一音に、りんごを磨いたとき出るような光沢を持たせたいのです。

 それにはどうしたらよいかは難問です。私は腕の重さを意識して、どのくらいの重さを鍵盤に加重するかではないかと考えるようになりました。音色はタッチが命。この腕がけっこう重たいのです。

 皆さんはご自身の片腕の重さを知ってますか。機会があったら体重計を肩の高さにセットし、力を抜けば測れます。この腕の目方の何割を鍵盤に加重するかはポイントでしょう。すべてを鍵盤にかけることはないのです。常に肘から前を少し持ち上げてコントロールする感じになります。一般的には右手は多めにかけてます。

 また、スタカート以外では鍵盤と指の間に隙間を作らないようにしてます。鍵盤から指を離しても、またすぐ鍵盤を弾くのですから、動きが余計に忙しくなったりミスしやすいです。時々大きな音もアクセントとして必要です。この時は、鍵盤の上においた指のバネで反動として弾くといいように思います。指揮者の跳ね上げのようです。

 ショパン作曲「ノクターン1番」は私のテーマ曲です。今までに機会あるごとに弾きました。中でも脳裏に焼きついてるのは、父の葬儀で演奏したことです。

 ショパンの音楽は言葉より悲しみが伝わるようです。

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2007年7月23日 (月)

大型台風や強力な低気圧通過と地震は関係あるか

Gms

100080_00000_0000_yhjpg4 【追加・2012年6月19日の状況】

 暦の上では一年で最も暑い日が続く大暑です。関東は梅雨明けもせず、このまま8月になるのでしょうか。6月頃は晴れの日が多く暑かったのに、まだ本格的な夏がやってきません。

 それでも地球は太陽の周りを正確に周遊し、太陽を中心として、春分の日から120度も移動してる筈です。後2週間(15度)で早くも立秋です。945ヘクトパスカルという記録的な大型台風が来たり、地震が起こりました。

 私は科学者ではありませんが、「大型台風と地震は関係することもある」と思うことがあります。地球上は平均して1気圧というもの凄い圧力で地表のすべてのものを押してます。私たちの身体もその影響をもろに受けます。個人的には高気圧に覆われてる時より、気圧の低い日の方が楽な気がします。デリケートな「血圧は大気の圧力と無関係」とは言えない気がしてなりません。

 気圧の影響は人間のみならず地表も海面も同じですから、高気圧では地面や海面が押され、低気圧では【微量であっても】圧迫が減じることは確かでしょう。

 私たちは空気は軽いものだという思い込みがあります。しかし、「気圧の観点からは別」でしょう。

 大型台風に限らず、高気圧と対峙する強い低気圧が日本列島近くや近海を通過するときは、ごく微量であっても、地表や海面は持ち上がるか、持ち上がらなくても吸い上げられる傾向と考えられます。

 地震が起こるメカニズムは地下で、長い時間かけて一方向からの圧力が加わり、もう一方の地層に抵抗がかかり、数十年してだんだん持ちきれなくなり、いつの日かその摩擦の解消が起こり、ずれ動くと考えられてるようです。

 この引き金になるのは一方の弱い地盤が持ち堪えられなくなり、ついに限界に到達したときでしょう。私が想像するのは、この持ち堪えられなくなってる【不安定な時期こそ危ない】のです。

 このような時、ちょっと他の力が作用すると危険と考えるのです。ですから、地上や海上に大型台風や強い低気圧が接近した場合です。

 言い方を換えれば、高気圧と低気圧の気圧の差が著しい場合、地下の上部にある地層の動きに追い討ちをかけると考えるからです。

 上記のような場合以外【大型台風が接近しても地震が起こるとは限りません。】

 長い年月をかけて歪が蓄積し、地下の地盤が不安定の時が危ないのではないかと考えます。

 昭和41年頃、珍しく群馬に大型台風が通過中の深夜のことです。大風とは違う動きを感じました。すぐにラジオのスイッチを入れましたら、地震を知らせる放送です。台風の最中に地震という泣き面に蜂の状態でした。

 今回の新潟県柏崎市を中心にした大地震も大型台風が通り過ぎた頃です。これからも台風や低気圧が接近したとき、日本国内や環太平洋西側ではどう影響が出るか見守りたいです。「中心はそれていても地底は広範囲に圧力がかかってると考える時」大型台風と地震の相関関係はないと言い切れるでしょうか。

 大正12年9月1日の関東大震災では死者行方不明約10万人といわれ、当日の天気図によると能登半島付近に台風があったと伝えられてます。大火災になったのは強風も考えられます。

 【下は後から付け加えたもので、2011年3月11日の天気図です。】

Weathermap00_20110311

【追加・・・2013年10月26日午前2時10分の地震】

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Weathermap24

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2007年7月22日 (日)

インターネットのお陰

 私たちは一生涯、何人の方と出会い親しく話をするのでしょう。日本人の人口を約1億3千万人とすると、1%の人と出会えるとして130万人、0.1%で13万人、0.01%で1万3千人、0.001%の人と出会ったとして1,300人です。こんな多くの方と仲良く話すでしょうか。

 親しく話をする方となるともっともっと少ないでしょう。日本人であっても現実には、こぐ僅かなほんの一握りの方と接するだけで一生を終えてしまうのです。例えば、賑やかな上野駅を歩いてても、私など知ってる人とは九分九厘会いません。日本人であっても殆どの日本人と面識が無いのです。

  生涯で出会う人は、まず家族、親戚、近所の人、学校の友人、仕事関係の人、偶然出会ったまれな人が主でしょう。この世は誰にでも平等に1日を24時間として与えてますから、たとえ顔が広いと言われる人でも、そんなに会えるものではないと思います。

 ましてや、自分が住んでる都道府県以外で親しい人は誰もいないという方も多いと思います。私たちは本当に数少ない身近な人とだけと接触しているようです。

 本日は、それを少し打ち破る会がありました。趣味のレース鳩愛好者は全国に推定2万人ほどです。この人たちも同じ地区の人とは時々会えますが、同じ趣味であっても他県の人とは殆ど会えないのが通常です。

 それが本日はインターネットを媒介として、普段、掲示板の書き込みでハンドルネームとして名前を存じ上げてる方々10名程とお会いできました。遠くは宮城県、千葉県、東京都、埼玉県、長野県、神奈川県、栃木県のレース鳩愛好家が群馬に集い、レース鳩供養に臨んだのです。場所は長安寺です。その後、懇親会になり楽しい時間を過ごしました。

 普通では一生知りえない筈の同じ趣味の方々と膝を交えて話が出来たのですから、まさに望外の喜びです。文明の利器は使い方によっては幅広く人脈ができ、「日本中に友がいるい生き方」に繋がると実感しました。

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2007年7月21日 (土)

がんばれ高商!がんばれ前高!

 甲子園をかけた群馬大会の熱戦もいよいよ大詰め。今日現在では、私が勤務してた高崎商業と前橋高校の両校とも勝ち残ってます。地元ではそれぞれ「たかしょう」「まえたか」と呼ばれ、どちらも100年以上の歴史を誇る伝統校、戦前から甲子園に出場してます。

 私は吹奏楽部の顧問でしたので野球の応援は仕事のうちです。応援するとつい熱が入るものです。高校野球には今日負けると明日が無いという非常に厳しい掟があるからです。日々の努力が報われるかどうか、答えがはっきり出てしまいます。見ていて実力差が歴然としてるときは仕方ありませんが、得てして運不運により勝敗が決定することがあり、選手たちにとって泣いても泣ききれないことがしばしばありました。

 実は吹奏楽部顧問として毎年、困ることがあったのです。野球の県大会と吹奏楽コンクール県大会の日程が非常に接近してるのです。吹奏楽は7月下旬から8月上旬がコンクールです。こちらも3年生にとっては2度とない命運がかかってます。本来は芸術としての吹奏楽練習に没頭すべき時期で、その直前に野外で長い時間大きな音を出したり、暑い中での楽器演奏は、美的感性を競うコンクールにとってマイナスとなり、どうしても大雑把な演奏に陥りやすいです。コンクールのための合宿中、草津の合宿所から野球場へ行ったこともあります。

 しかし、クラスメートが選手として頑張るので、ぜひ甲子園へ行ってもらいたい気持ちは皆持ってます。吹奏楽部には後日、定期演奏会もあるので、そこで活躍できる場面がまだ残ってることを確認、暑い日のみならず雨の中での応援もがんばりました。

 ところで、前橋高校の松本監督は甲子園で完全試合を達成された有名な方です。彼とは前高で7年間同僚でした。この意味からも応援しています。 

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2007年7月20日 (金)

さっぱりするね

 鳩の習性の一つに水浴を好みます。毎日はしませんが、週に1~2回です。水を入れた途端、飛び込むのは調子がいいと考えられます。躊躇しながらやっと勇気を出して入るものもいます。入らないものはどこか調子が悪いと考えます。

 身体中、羽で覆われてるので皮膚が痒いのでしょう。言葉が通じないので、飼い主はこのことや他のことをいろいろ察知して対処します。特に小さな羽虫がいるので、水浴にはそれを防ぐ目的があります。一方、羽虫対策には薬が効き目がありますが、空気中に薬品が飛散すると鳩の健康も心配になります。

 私は水の中に普通の塩を入れてます。写真の塩は1袋100円で水浴には10回分ほど使えます。売り出しのときまとめて買います。塩を入れると、身体が締まってくるように見えます。

 水浴の時間帯は晴れてる日の午前中がいいですが、晴れでなく天気が悪くてもしたがる日があります。冬は太陽の出てる午前中であっても、北風が吹いてるとしたがりません。身体が冷え過ぎるのを知ってるのでしょう。

 普段、他の鳩が自分のそばに来ると嫌がるのに、水浴直後にはくっついて日向ぼっこをするのも面白い習性です。

 人間に関しては日本人は水浴の習慣が無く、概して夕刻に温かい風呂に入ります。でも、これも国によって風習が異なり、私が見たインド人は午前中に水浴します。多くの方は日本人のように温水には入らないようです。水浴に関しては午前中に入ることも含めて鳩とインドの方は似てます。身体が熱いので冷やす目的が共通してるのでしょうか。

 もう一つ不思議に感ずることがあります。5月末に誕生した雛たちはすでに大空を飛んでいますが、親に教わった訳でもないのに、好んで水浴をします。水を見ると本能で浴びたくなるのでしょうか。1羽飛び込むと真似してどんどん飛び込み、芋を洗うようにたちまち窮屈になります。

 皮膚の痒さや、羽虫のこともありますが、本来、鳥は体温が高いので今の時期は特に身体を冷やすためかもしれません。そんなことから体温が下がってしまう北風の吹く冬の日や、夏でも夕方には水浴をしたがらないのでしょう。

 種も選手も冷たい井戸水を使用し、栓を抜けば排水されます。流しは高く設置してありますので飼い主は腰を痛めません。

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2007年7月19日 (木)

ヴェトナム国歌を弾く

夕刻、トリューさんが訪れました。次女の学生時代の友人でヴェトナムの方です。前もって娘から連絡があり、来訪が分かってましたので歓待の気持ち伝えるには何がふさわしいか考え、ヴェトナム国歌演奏を思い立ちました。このようなとき音楽は気持ちが伝わりやすく、ピアノで練習しました。

 幸いにも国歌集に載ってましたので、すぐ練習に取りかかりましたら、音楽は躍動感に満ち、旋律は明るくのびのびしてます。大らかな民族性が滲み出ているのでしょう。彼は私の演奏を聴いて、にこにこしてくれました。

 若いときから国際交流は大切にしてきました。今までも外国の方が見えると、乾杯の前にその方の国歌を弾き歓迎の気持ちを表わしました。お客様は驚くとともに、初めから気持ちが打ち解け、ほっとするようです。

 彼は仕事で、日本とヴェトナム両国の橋渡しをしてます。ヴェトナム要人の来日時には、日本の閣僚との通訳をされたり、裁判所での通訳も大きな仕事とのことです。母国ヴェトナム語はもちろん日本語、英語に堪能です。

 彼の語学能力を拝聴し、私ももっと英語の勉強をすべきと思いました。交流の媒介はどうしても言葉だからです。

 トリューさんは20代の独身です。食事をとりながら会話は進みました。失礼にならないよう注意して、念のため「将来どんな方をお嫁さんにしたいですか」伺ってみました。

 その答えは開口一番、「親を大切にする人」と返ってきたのです。私たち日本人が忘れかけていたことを彷彿させます。現在では本人同士がよければいいという風潮がありますが、彼には大切な信念があります。

 30才になったら通訳の仕事を一段落させ、両国が益々緊密になるような仕事をしたいと胸を膨らませてます。私は頼もしく感じました。ヴェトナムの食料品、民芸品の輸入など、日本人にとって珍しい分野のようです。彼は大きな夢を持ち、若者本来のバイタリティーが感じられました。

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2007年7月18日 (水)

地球の年齢を実感する方法

 新潟県柏崎市付近を震源とする大地震は甚大な被害になりました。尊い命を落とされた方々には衷心よりご冥福をお祈り申し上げます。怪我された多くの方々には一日も早い回復を願ってます。また、避難所での不便な生活を強いられてる方々にとりましては心身ともにご労苦のことと推察しております。

 地殻変動は地球誕生以来、45~40億年ほど経過したといわれる現在でも休むことなく進すんでいるようです。それに伴ない地表も影響を受け少しずつ変化してるのでしょう。群馬県は日本のほぼ中央に位置し海から離れてます。それでも高崎市の観音山丘陵にはあちこちに巨大な斜めの地層が見られ、その岩石の中には貝が含まれるものもあります。小学生の頃、採取しに行きました。海であったことが実感できます。

 学問的には、幾万年も前は日本列島が大陸とつながっていたと想像されてますし、世界的にも大陸移動説なるものがあり、南アメリカ大陸東海岸とアフリカ西海岸は見た目も確かに似て、くっついていたようにも想像できます。

 地球の歴史は人間の歴史とは比較できないほど長い時間を刻んでます。それ故、地殻も変化し続け、現在があり、その現在も変化の途中である筈です。このため地震という現象が起こり、未来も長い時間をかけて少しずつ変化していくのでしょう。

 地球誕生から今までの時間はいったいどれくらいあるのか。この「とてつもない時間」を少しでも頭の中で考えられないかと思いました。その一つの方法として、地球の歴史を1年とし、地球が生まれた日を1月1日をとすると、人類誕生は12月31日午後11時59分過ぎと聞いたことがあります。

 これでも少しは分かったような気がしますが、実感がありませんね。

 私は次のように考えてみました。これなら40~45億年といわれる地球の年齢が少しは実感できるのではないかと思います。皆さんはどうでしょう。

 地球の円周は約4万キロメートルです。これをセンチの単位に換算すると40億㎝です。地球一周は40億㎝です。

 つまり、「1年で1cm進む速さで、地球1周するのにかかる時間が40億年」となります。どうですか、地球の年齢を実感できましたか。

 更に実感できるのは、1年で1㎝進む速さとは指の爪が伸びる速度とほぼ等しいでしょう。爪が伸びて地球1周するのに必要な時間が40億年です。地球の年齢をきっと実感できたでしょう。

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2007年7月17日 (火)

2人の娘の職業選択

 私には娘が2人います。長女は横浜に住んでいて結婚してます。次女は私と住んでます。2人とも背が168cm位で高く、どちらかというと見た目は私に似てると思います。かつての私より、職業人として内面がきちんとしてるようにも感じます。

 長女は三菱自動車で整備のフロントとして日々いきいきしてます。学校では日本史を専攻してたのに職業は車の会社です。しかも、正社員として仕事に専念。不思議なことに、どう言う訳か、私にない神秘な能力をもってます。車を職業とするには適してるかもしれません。

 それは生きたナビゲーターなのです。頭の中に広い地域の地図がインプットされてるらしく、どこを走っていても殆どの道がどのように他の道と繋がっているか知ってるのです。しかも実際に正しいです。人間、誰でも得意不得意はありますが、このように得意の分野が仕事と結びついてることは、職業上、一つの武器かもしれません。

 私は職業というものは親と違っていてもいいと思ってます。それは「親が先輩にならず、逆に子供から新しい分野を学べる」利点もあります。小さい時、愛車117クーペであちこち連れて行ったのも現在に結びついてるとしたら嬉しいです。仕事柄、人と会うのが得意のようで、これも天性で私より優れてます。多分、これからも職業人として生きていけると逞しく思います。

 一方、このブログで度々話題にしてます次女は、学校では国際社会学を専攻してましたが、職業は結婚式場のウェディングプランナーで、性格的には、これまた仕事に適してるようです。人と接するのは何ともないようで、最近は主任になったとのことで以前に比べいきいき見うけられます。

 そう言う私もかつて高校音楽教員であり、職業は自分に合っていたように思います。と言うより、他は考えられなかったのです。娘たちは子供の頃から私を見て、「職業は自分に合ってることが大切」と感じていたのかもしれません。もしそうなら嬉しいです。

 職業を持つ意味は、まず経済生活の安定があるでしょう。もう一つ大切なことは適正があり、「心からその仕事が好きでたまらない」ということで、その人の生き方そのものとなるでしょう。

 上述のように、子供の職業は親と同じでなくても構わないと思われますので、娘たちには、それぞれ一度きりない大切な人生に「自分らしい大輪の花を咲かせて」ほしいと願ってます。

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2007年7月16日 (月)

香り漂う花束が届きました。

 本日、7月16日はプロフィールに書きましたように誕生日です。起床してから車で15分のところにあります「サンピア」に行き、6階の展望風呂に入りました。広い湯船に浸かっていても、赤城、榛名は台風一過のためか、その雄姿が生まれ変わったようにみずみずしく見えます。何とこの広い風呂に客は私一人。これからの日々をゆったり過ごせるような気持ちになりました。

 続いてお待ちかねの朝食バイキング。ここには宿泊客もいました。時間を忘れ、寂しい中にも何か充実した気分になりました。朝食つきのお風呂は値段が950円でお薦め。夏は寝てても汗かくので、時折、ここに来てさっぱりし、朝食を取ろうと思います。

 家に帰りましても家族は誰もいませんので、一人のほほんとしてましたら突如やってきた横揺れの大地震。頑丈に作ってもらいたての家屋ですが、あまりにも揺れるので心配でした。揺れはしばらく続き、どこかで被災がなければと思いましたが、震源は柏崎を中心とすることが報道されてました。被災された方面の皆様にはお見舞い申し上げます。

 ところで、誕生日ですので一人でいても今日はこれからどうしようかと思っていましたら、突然、玄関のチャイムがなり、きれいな花束が贈られてきたのです。大きな白ユリとカーネーションのよい香り。

 手紙が添えられていました。「誕生日おめでとうございます。TK」私は内心まだまだ若いと思っていましたが、「年のことなんて考えずにパッと明るくやりましょう!」とお祝いの(励ましの?)言葉が書かれていました。

 思いがけず、芳しい花束と温かなメッセージが届き、日々、寂しい生活をしてても見守ってくださる方がいると思うと、ただただ嬉しさで胸がいっぱいになりました。

 TKさん本当に有難うございます。これからのために、すごく勇気づけられます。私もしっかりやります。外国旅行されると伺いましたが、どうぞ世界的遺産を十分に見て周り、お土産話を待ってます。

 ところで誕生日を迎え、人と人の関わりを今まで以上に大切にしていこうと思います。それには「親しい間柄であっても礼儀はきちんとし」「相手の方の優れた点を少しでも見習い吸収できる姿勢」で生きていこうと思います。

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2007年7月15日 (日)

若き日、対数計算に挑戦

 元来、数学はあまり得意ではありません。鳩レースを始めた頃、ピタゴラスの定理に近いような球面三角法を用いて距離測定の資格試験に挑戦した思い出があります。Logを使った対数計算には参りました。

 鳩レースでは、小学生の時に習った「速さ=距離÷時間」が基本となります。小学校の問題では、一般的にこのうち二つが示されますので答えが出ます。しかし、鳩レースでは距離や時間は元々分からないので、この二つを実際に測らなくてはなりません。

 距離では「鳩を放す地点」と「鳩が戻る鳩舎位置」を2万5千分の1の地図、あるいはGPSによってのこの二地点の位置を知り、その距離をメートルまで直線距離で計算し測らなくてはなりません。ところが、例えば札幌駅前から群馬・高崎駅前までの距離を測る場合、糸を張ったような本当の直線では秋田市の地下数十メートルの所になってしまいます。これは地球が丸いからです。ですから直線と言っても地面を這うような弧を描いての真っすぐな距離ということです。ここで登場してもらうのが地球の直径まで計算に入れる球面三角法という計算方法です。

 日本の場合、北半球の東半球に位置しますので、2地点はそれぞれ北緯と東経で位置を調べます。度、分、秒、10分の1秒まで測ります。現在は人工衛星によるGPSで瞬時に分かります。この数値を基に山や谷、海のでこぼこは無視し、球面三角法により2地点間の距離がメートルまで出てきます。有難いことに、近年はコンピュータの出現により従来のように筆算で計算する必要はなく、打ち出された距離をだだ信じて使ってます。

 鳩の優劣は珍しく分速で競います。分速が速いものを上位とします。時間については従来、上の写真のような外国製の手動鳩時計を使ってましたが、現在は下の写真のように各鳩舎に設置してある専用センサーが、帰還した鳩の足に装着してあるチップを感知し、到着時刻を自動的に記録します。

  この到着時刻から放した時刻(放鳩時刻という)を引き、飛翔した時間が分かるのです。後は距離(メートル単位)をこの時間(分単位)で割 れば分速が出ます。実際には一般の鳩レース参加者は審査員がパソコンで計算してくれますので、結果が出るまでしばらく待ってます。

  若き日、この距離測定試験を日本鳩レース協会で受験しました。どうしたことか練習問題集がないので、自分で問題集を作り(職場でも?)毎日解く練習したのが、今では懐かしい思い出となってます。努力の甲斐あってパスし、その晩のビールは格別でした。

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2007年7月14日 (土)

十分に幸せな食卓

 写真のように群馬の空も台風の接近を感じる静けさです。

 先日、検査しました糖尿について本日、結果がわかるとの事でしたので、雨の中を高崎インターから関越自動車道に乗り、渋川インターで降りました。その後、草津方面へ悪天の中、約1時間のドライブで吾妻の病院に着きました。高崎・前橋にはたくさん病院がありますが、吾妻へ行くのはK院長先生が元前高PTAのため以前から知り合いで、数年前から血圧治療を中心に診察していただいてます。

 前高では創立120周年記念行事として、生徒全員が学校から歩いて赤城山の地蔵岳頂上まで往復したのです。前日の晩8時頃出発、真夜中を約1000人が歩き、明け方頂上に到着しました。このときK院長先生が健康面からバックアップしてくださり、私は先生と行動をともにし巡回しました。

 K院長先生も卒業生で、在校生であった当時、このような赤城山徒歩旅行の計画はあったそうですが、残念にも実施できなかったそうです。その思いを息子さんに託した形で、医師の立場から全面協力して頂きました。生徒にとって一生忘れない思い出でしょう。

 ところで、検査結果は幸せにも糖尿病ではないとのことです。

  この病気は食事の摂り過ぎ、運動不足が原因になるようですので、いろいろ指導をいただきました。現在は飽食の時代ですから、普通に生活したつもりでも、知らず知らずのうちに食べ過ぎているのです。特においしいものは概して糖分や脂肪が含まれており、高カロリーです。これらが日々燃焼され切れず蓄積となるのです。私はこれらを排除する食卓にしていこうと思いを新たにしてます。

 野菜は摂取が必要ですが、意外なことに、糖分の観点から果物は余り良くないようです。これはあくまで糖尿病の心配を避けるためです。また、ドレッシングはノンオイルを勧められました。牛乳も量を飲まず、低カロリーを使うつもりです。

 私は自ら料理してるので、今後、油物は摂取しない献立にします。それでも脂肪はいろいろに含まれてますから、自分からはわざわざ使わないようにします。

 これからも血圧と糖尿は時々チェックし、溢れる食べ物の環境やおいしさの誘惑に負けないよう気持ちをしっかり持ちます。有難いことにビールは飲み過ぎなければ良いようですので、このことだけでも私には十分幸せな食卓となります。

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2007年7月13日 (金)

三つ子の魂百までは本当です。

  私が5歳くらいの時、家には「まる」という犬がいたのを覚えてます。田舎の昔ですから放し飼いです。いつのまにか行方不明になったので、母はきっと犬殺しに連れて行かれたのだろうと言ってました。私は寂しくて泣いたのを覚えてます。

 子供の頃は、時折そのように呼ばれる人が針金を輪にして近所の犬を連れて行くのを見ました。その家の当時私くらいの男の子もその日は母親の前で夜までずっと大きい声で泣いていました。犬の可愛さとやり場のない悲しみに涙が止まらなかったのでしょう。

 飼い犬をこんなことしたら今の時代では問題になることです。

 私は小学校一年の頃、隣の「黒」という犬に右の足を噛まれたことがあり、血が出てずいぶん痛かったことを記憶してます。それ以来、恐くて35年間くらい犬を飼うことはしませんでした。その時に噛まれた歯の跡が何と今でも右のふくらはぎに残っています。

 小さい時の悪い印象は大人になっても消えないですね。これは犬に限らず何事においても、いろんな場面に表れ、その後のその人の性格上の一つの弱点となってしまいがちです。「三つ子の魂百まで」は本当にあると思います。

 ですから、この諺をプラスの方向で生かせば子供たちはいろんな場面ですくすく育つのではないでしょうか。

 例えば、中国のように小さい時から漢字に親しませていけば、小学生でもかなり漢字が自由自在になるでしょう。

 日本では大人でも漢字は難しいものという意識があり、そのためか子供の学習進度は遅いように思います。漢字はアルファベットやひらかな、カタカナのように一字一字の組合わせを見て意味を知るのでなく、絵のように形として捉えるので、子供でも一瞬にして分かる優れた文化です。

 子供の才能は目を見張るものがあります。漢字の習得は早期からでも思った以上に進歩する余地を残してると思われます。

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2007年7月12日 (木)

今宵は「どんどん」でお祝い

 2週間ほど前、1泊2日の入院で切除しました小さな大腸ポリープについて、検査結果が出ました。私から取り出した組織を検査機関で綿密にチェックされ、その結果、ガンの形跡は全く見当たらず、良性との報告を頂きました。(うれし涙)

 自分のことなのに自分で分からないことですから、結果について医師の言葉が発せられるまで内心穏やかではなかったです。手術中に撮影した写真を目の前に大変きれいですとも説明されました。

  ポリープを切除したことについて、以前にこのブログに書きましたら、ご覧になった友人から手紙を頂き、「お大事に」と心配された旨が書かれてありました。彼女は元体操選手で床運動のピアノ伴奏は私が弾きました。曲はロシア民謡「仕事の歌」です。お陰さまでガンではないので一安心してます。

  この他、肺、胃、前立腺についても簡単に検査できるので、1年に1回は実施したいと思います。2人の娘たちはまだ若いですが、上記のほか乳がんと子宮がん検診については、よい検査方法があると聞きましたので、年齢とともに受診するように強く勧めます。もし、見つかっても早期であれば心配ないといわれますので、「億劫がらず、悩まず、まず実行」これが大切なポイントでしょう。

 最近は都市では内視鏡専門病院があると思われます。簡単な予約ですぐやってくれるようです。私がお世話になった病院では朝飯を食べてこなければ、予約なしで胃の内視鏡検査ができます。従来の口からの方法の他、近年では鼻から管を入れることもできるので、検査中に医師や看護師と話が出来るそうです。   

  大腸内視鏡検査は殆ど痛くも痒くもありません。毎年、誕生日の2ヶ月ほど前に実施しようと思います。いつまでも健康で誕生日を迎えられたら幸せです。今年は生まれて初めて誕生日が祝日です。

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2007年7月11日 (水)

奥様がいる華やかさ

  本日、草津温泉へ行く途中にあります群馬原町の吾妻脳神経外科に行きました。念のため糖尿の検査を受診するためです。結果は後日分かることになってます。

  最近、いろいろ検査してます。それは私がひとり者ですから、健康状態について顔色の印象でもチェックしてくれる人がいないからです。いつもの病院で検査が可能ですから、どうしようか悩まないで客観的に自分を見て行動し、検査はした方がいいと思ってます。

 これは「自分のことを最も知らないのは自分である」という落とし穴を回避するためです。

 帰路に子持山近くの鳩友アルカディアさん宅に立寄りました。実は15年程前、お目にかかったことのない彼に私の方から手紙を差し上げたことがあります。その後もお会いしませんでした。手紙を差し出した理由は彼のアメリカ鳩界視察についての投稿記事が地元の上毛新聞に大変珍しく英文で掲載されたからです。

 普通の新聞に英文記事が掲載されることだけでも珍しく目につき、しかも内容がアメリカのレース鳩のことでしたから、私が精読しないわけはありません。その時、鳩と英語に興味がある方ということは私と共通点があると直感したのです。それ以来、文通もお会いもしないで10年ほど経過しました。

    私は5年程前、前橋のはとさんのインターネット掲示板に鳩について書込みしましたら、2~3日して「もしかして昔、手紙をくれた方ですか」とアルカディアと名乗る方からの返信がその掲示板に載ったのです。大分、年月が経ちましたので、私の頭脳は何のことか分からず、10年前のことがすぐに蘇りませんでした。しかし、ゆっくり考えましたら、もしかしてあの時の方かもしれないとやっと結びつきました。15年前の新聞記事や手紙はハンドルネームでなくご本名でしたので、思い出すのが難しかったのです。

 今では時々お会いし交流していただいてます。

 彼が最も嬉しそうだったのは、私が大学に勤めたことがあります。それは偶然にも彼の母校であったのです。私は仕事として関甲信の大学野球応援に学生と神宮に行きましたら、彼はOBとして来てくれたのです。あの時、私も本当に嬉しくジーンと来ました。彼と心が一つになりました。

 本日は突然お宅にお邪魔しましたら、奥様が茹で上げのうどんをご馳走してくださいました。平素、三度三度の食事は自分で作ってる私にとって、奥様のうどんはことのほかおいしく、ついたくさん頂いてしまいました。奥様のお陰で素晴らしく華やぎ、幸せなアルカディア家を見ることが出来ました。

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2007年7月10日 (火)

在来工法の味わい

 写真は21世紀とともに建築した我が家です。日本家屋を作るに当たって大工さんにお願いしたことは下記の3つです。

 1、床の高い頑丈な土台。2、柱は長い丈3の青森ヒバを使う。3、屋根は群馬藤岡産の江戸瓦。

 永く住むには木造作りが落着いていいと思い日本家屋にしました。2間続きの畳の部屋は座布団を敷いて寛げ、大勢お客様が見えたときいいです。ピアノの部屋は今では珍しい漆喰白壁と床は硬い無垢のカリンにしましたら、音の反響はいいようです。演奏がうまくなくても残響があり、10%ほど上手そうに聞え自己満足してます。

 瓦には写真のような紋様があり、梅雨のようにしとしと降る雨では水が紋様の中をちょろちょろ流れ風情が感じられます。

 昔から藤岡瓦はこの界隈の瓦を賄っていましたが、近年は多種の西洋風屋根にとって変わり往年の需要は少ないようです。

 パソコンの部屋の窓を開けると目の前に1階の瓦が広がり、一つ一つが彫塑の作品のようで眺めても味わいがあります。一番上の写真ではよくご覧いただきますと天辺に瓦でできた鳩が一つがいとまってます。藤岡瓦の専門家による手作りで作者の名前が刻んであります。

 いつから日本瓦が出来たのでしょう。京都のたくさんの寺を始め、奈良の東大寺などを拝見しますと素晴らしい瓦が使われてます。瓦は日本文化の代表格と言えそうです。

 これからは庭をきれいにしたいので、こちらも日本的味わいを取り入れていきたいと思います。娘は若いので今のところこのようなことに関心を示しません。日本的味わいは年齢を重ねてその価値が認識されるのでしょう。

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2007年7月 9日 (月)

ある画家と作曲家のきずな

  私は若い頃からロシアの作曲家ムソルグスキーの独特な作風が気に入ってました。作曲を独学で勉強したと伝えられています。中でも組曲「展覧会の絵」という作品はとりわれ独創的に感じられます。

 ご存知の通り、彼の友人である画家ガルトマンが39歳という若さで世を去りました。生前、芸術家同士として親交の深かったムソルグスキーはとりわけ悲嘆にくれたと伝えられています。

 ガルトマンの死後、残された絵画の展覧会が開かれました。主人のいない寂しい展覧会です。たくさんの作品が「主人の命は絶えても芸術は生きてる」ことを物語る遺作展です。

 友を失ったムソルグスキーの心境は、展覧会場に行けば悲しみの中にも作品を通して彼の魂に会えるような気がしたのでしょうか。1枚の絵を見てはガルトマンとの生前のことを思い出し、あるいは彼が表現したかった内面を汲み取ろうとし、そして、また次の絵と足を運んだのでしょう。

 ついに、鑑賞しながら「よしっ、彼の絵画の魂を音楽で表そう」と思っ立ったのです。それが自分に出来るガルトマンへの最も良い供養であると考えたのかもしれません。

 たくさんある絵の中から10枚の絵を見て作曲したのです。絵には、イタリアの古城で歌を歌ってる人の絵などゆったりしたものもありますが、概して不気味なものが多く、イタリア・カタコンブ地下墓地内の自画像、一般民衆の苦しみ、対照的な2人のポーランド系ユダヤ人の絵、ロシアの民話に基づく絵、ウクライナのキエフの大きな門の設計図などです。キエフの大きな門では高い位置に幾つも釣鐘が描いてあるので、その音を想像し、あたかも鐘の音が聞えるように工夫し作曲してます。

 この音楽の特徴は、絵と絵の間を歩くムソルグスキーの悲しい心境がプロムナードというメロディーによって幾度となく変化しながら演奏され、全曲に統一性を与えてます。

 私が最も圧巻と感じるプロムナードは、地下墓地カタコンブの暗闇の中をガルトマン自身が見学している絵です。ムソルグスキーが絵の中にいる彼に話しかけてます。悲しい心情が溢れ出ています。

彼はピアノ独奏用に作曲しました。後に、この曲はラベルを始めとして何人かによってオーケストラに編曲され、より親しみを持たれたと言えるでしょう。

 作曲家、故 團伊玖磨さんはこの曲に非常に関心を持たれ、ガルトマンの絵を探しにわざわざロシアの学校や美術館を訪れたそうです。しかし、だいぶ昔のことで遺作展に飾られた絵はすべては見つからなかったようです。

 私は学生時代、ラベル編曲のこの「展覧会の絵」を吹奏楽に編曲したことがあります。運良くNHKラジオで放送されました。演奏していただいたのは高崎商業吹奏楽部です。

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2007年7月 8日 (日)

私にもあったロマンチックな青春

  七夕の時期が来ると若き日を思い出します。

 夏に見られます織姫星(琴座のベガ)と彦星(わし座のアルタイル)は天の川を挟んで互いにいつも見つめ合ってます。年に一度7月7日の夜だけ会うといいます。七夕とは昔から織姫星にあやかって女児の手芸の上達を祈ったお祭りだったのでしょう。

 夜空を彩る夏の大三角形はこの二つの星のほか、有名な白鳥座のしっぽに当たる「デネブ」という一等星があります。これらは緯度的に日本のほぼ上空を通過しますので確認しやすいですね。白鳥座は大きな羽を広げ南に向かって飛んでいく姿です。

 以前に書きましたが、海外でも星座の形は同じに目えるわけですが、その国の緯度により星座の見える位置が異なったり、日本で見える星座が見えなかったり、日本では永遠に見えない星座が見えるものです。特に南へ行けば行くほど見たこともない星座に出会います。

 インドのカルカッタ(北緯22度)に住んでた時、テレビがなかったので夜はもっぱら屋上に上がり仰向けになって煌めく星を眺めてました。同時に今頃、父母はどうしてるだろうか、友は、恋人は、と自然に顔が脳裏を横切ります。

 卒業と同時に就職でインドへ行くとなると一見華やかで、新天地での生活に希望は満ち溢れていました。しかしながら、心残りもありました。私も20代の若者でしたから恋人がいないわけでもありません。彼女と暫く会えない寂しさがあってもインド生活を優先したのです。メールもない時代ですら、お互い手紙により近況を伝え合っていました。

 ここで標題のように寂しさを打ち破るロマンが起こったのです。

 今頃の季節です。お互い遠く離れていて会えなくとも北半球同士だから「同時に同じ星が見えるではないか」と、私が提案しました。時差は3時間半。インドで星が見えるようになる時刻はやはり8時過ぎ。

 そしてついに実行。日本時間真夜中12時半、インド時間前日午後9時。インドにいる私と日本にいる彼女は同時にある星を見つめ合ったのです。インドで見たきらきら輝く星は彼女の瞳そのものでした。その星こそ白鳥座の「デネブ」だったのです。

 彼女は私のブログを見てるだろうか。

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2007年7月 7日 (土)

暦の不思議

 いつも不思議なほどよく出来ていると感心するのは暦です。長い年月をかけて今のような時間や暦が完成したのでしょう。生まれたときから当たり前のように使っている1年が12ヶ月であったり、一日が24時間であったりすることを考えると、人類の先達に感謝もしないで恩恵に与ってます。

 地球が自転として一回転するのにかかる時間は23時間56分4秒といわれてます。しかし、一日は24時間です。この3分56秒の誤差は何でしょう。

 地球が1回転後に3分56秒だけ余計に回り、地球のある地点が元の太陽の方向を向くのにかかる時間でしょう。公転のため1回転より余計に回り込んで丁度24時間となり、狂うこともなく永遠に進んでいくのですから驚きです。

 この24時間という数字も生活にとっては適当でいいですね。1日が24時間より多くても少なくても生活は困るでしょう。極地以外では1年を平均すると12時間は昼で、あとの12時間は夜というのもバランスがいいと思います。

 ところで、音楽では多くの曲が明るいか、暗いかに属します。この明るい音楽を長調といい、暗い音楽を短調といいますね。しかも、それぞれが12個で合計24ですから、地球の明るい昼と暗い夜に似ていると思うのは私だけでしょうか。

 写真は平成元年から動き通している時計です。まるで時間の24と音楽の24を結び付けてるようです。 

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2007年7月 6日 (金)

語彙を増やす一つの試み

 いつになっても英語の単語が頭に定着しませんが、それだから挑戦することがあっていいのかも知れません。出合った言葉を自ら実践することは脳にインパクトを与えるようです。実践とは文章を書いたり、口から発することですが、後者は英語圏出身の方、あるいはすでに流暢な方が身近にいないとチャンスがありません。語彙を増やすには手紙など英文を書くことも実にいいことだと感じてます。

 一般的に、言いたい表現がすぐ出てこない場合は問題意識が大きいので、和英辞典で調べると「ああそうか。」と脳に印象深くなるようです。

 喋る訓練をするには会話学校に行けばチャンスはあるでしょうが、最近のニュースによるといろいろ問題があるようで、足踏みしてしまいます。語彙については学校に行っても増えないかもしれません。それは「いかにしたら脳に浸透するか」がポイントであるので、お金を積んでも脳は言うことを聞かないかもしれません。

 語彙を増やすことに関して、あくまで私の場合です。効果的と気づいてる一つの方法は次のようなことです。

 日本語のテレビを見ているとき、アナウンサーなどからいろいろの言葉が飛び出てきます。この中には私の英語能力では表現できないものが度々です。これを日本語でメモしておき、後で和英辞典でゆっくり調べます。さあ、今 日の勉強はこれだと、まるで「ネズミを捕まえた猫のような心境」になります。使えそうなものは英和辞典や日米口語辞典で次から次へと関連事項へ派生していきます。

 一般的方法である従来からの学習として英文を読んで分からない単語を調べる方法も当然いいと思っています。この場合、脳に浸透するには内容にすごく興味があることが不可欠のようです。

 「これを英語で何と言うか」という姿勢は単語が脳に定着しやすい一つの効果的学習ですから、この方法も取り入れていきたいと思っています。私には身近にSamuel Todさんがいますので、本当に恵まれてます。 

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2007年7月 5日 (木)

場所を変えて歩きます。

 数年前はご多分に漏れず血圧が高くていろいろ工夫してもなかなか下がりませんでした。原因としてストレスや遺伝的要素があると言われますが、一方、体重が今より10キロ多かったのです。BMIは22が理想であるのに、当時24.9でしたから体重がありすぎたのです。

それ以来、歩きましたが、簡単には体重は下がりません。PTAでもある掛かり付けのK医師の一言で減量は進みました。それは「あと一杯食べたいところで止めておき、運動すること」でした。この両面からのアタックにより生まれて初めて減量となりました。

私が行なう運動と言っても人と打合せして行なうことは出来ないので、もっぱら歩くことに専念しました。しかし、「人間の心は崩れやすいもの」。それは身体が辛いのではなく精神が参るのです。それには「目に入る景色を変えてやればいいと」場所をいろいろ変えてみました。

家からのみ歩き出さないで、近隣まで車で行き、歩ける場所を何ヶ所か選定、景色に変化をもたせて歩くと意外と気が紛れ、元気に実行できます。

  写真は近年開園した高崎市にある観音山ファミリーパークです。平地より100メートルほどの高台にあって、自然の木々に囲まれています。一面が芝生の広場で、歩くのはとても気持ちがいいです。

 数年前に比較して血圧は低くなりました。K医師にはすごく感謝です。上も下も平均して20~25ほど低い数値を示します。血圧が安定してきたら、どうしたことか、いつのまにか家族も少なくなって寂しい日々です。これからのことについては前橋の女性歯科医師さんに相談に乗っていただいてます。

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2007年7月 4日 (水)

極楽浄土のような風貌

植物には多くの種類があっても、サボテンのように短い期間にパット咲いて楽しませてくれるものもあるのですね。あたかも伝説の優曇華(うどんげ)のようです。普段はグロテスクな身なりをしてて人を寄せつけず、じっとしており、触れば全身を覆う刺でちくりと来ます。

 それに引き換え、開花時はいつもの身のこなしとは相反し、独特の色彩美を表現、まるで極楽浄土のような風貌を見せるという2面性を持ち合わせるように感じます。

 人類の中にも似てる人がいそうです。良いのはほんの一部だけで、顔を見れば「刺のある言葉」を連発し、概して嫌われます。人の場合は身なりや特徴というより性格でしょう。

 しかし、サボテンの場合、一年中ほとんど形の上で派手な振る舞いはなく、乾燥に強くてあまり世話をかけません。それがある朝、突然咲くので驚愕です。

 今朝、鳩舎に行くので早起きしましたら、突如として開花が目に入り、いつもと違う存在感をアピールしてくれました。色鮮やかな8つの花は「どんなもんだいと言わんばかりに」溢れ出る生命力を表現していました。

 振り返って私たちの人生でも、サボテンの開花のように良い時はほんの一時期であるのかもしれません。私の場合は何だったのでしょう。もしかして高崎商業定期演奏会における群馬音楽センターで2000人の聴衆を前にスッペの「詩人と農夫」を指揮した時、あるいは前橋高校創立120周年記念式典でシベリウスの「交響詩フィンランディア」を指揮した瞬間かもしれません。それとも東日本チャンピオン鳩レースで連盟1羽帰りをした時だったかもしれません。

 いやいや人生の開花は過ぎ去った過去にあるのでなく、これからと思いたい。果たして私の未来にはサボテンのようなきらびやかな開花があるだろうか。それとも見方によっては今かもしれない。そんなことはない。

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2007年7月 3日 (火)

いい景色だろう!でも外界は厳しいよ

 雛たちは巣立ちして10日経ち、3日間ほど展望台で過ごしましたので、本日は展望台の天井の窓を開けてやりました。生後40日ほど経ってますので、下に落ちる雛もなく、ご覧のように自ら鳩舎の屋根に上がり自由を楽しんでます。母屋の大屋根にも行き来し、中には初めから飛翔するのも数羽いました。生まれて始めての外界が珍しかったのか、なかなか入舎しませんでした。

  鳩飼育の中で、初めて雛を外に出すときは気を遣います。臆病な動物ですから近所で干した布団を叩く大きな音がしたり、上空を大きな鳥が急に横切ったり、猛禽が飛来したり、一羽の雛が飛び上がっただけでも、驚いてみな飛び上がってしまうことがあり、遠くに飛んで帰れなくなることもあります。ですから最初の出舎は驚かさないように丁寧に見守ってやらなくてはなりません。もし、雛が遠くに行っても場所が分かるように、私の家の屋根には瓦でできた2羽の鳩が備えてあります。本日は全鳩無事に舎外馴致ができ飼い主はホッとしてます。折角育てた雛が事故があっては大変です。

 今年は鳩舎改築をしたので作出が遅れ、馴致作業は8月まで行ないます。もちろん春レース用になります。これから暑い夏ですが、涼しいうちに飛翔訓練、方向判定訓練をこなし、これらをクリアーすると雛たちはレース鳩としてスタートラインにつくことになります。

 雛には今まで栄養価の高い小粒の餌を与えていましたが、すでに普通の混合飼料に切り換えてます。本日は梅雨の晴れ間を利用し天日干しをしました。触ってみると、かなり水分を含んでることが分かります。この時期、湿気を含み、虫が湧きやすく、特にトウモロコシはカビが発生しやすいと思います。これらは目に見え難いのでどうしても管理も疎かになります。ときどき餌の点検をしてます。会社のように冷温保存できませんから、古くなった餌は天日干しをします。

 2番仔もメインの種は無精卵が出ませんでしたので調子はいいようです。カルキがなくて冷たくて井戸水がいいのでしょうか。水浴も喜んでよく(浴)します。

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2007年7月 2日 (月)

娘の好きなボナーの惣菜

 娘は今朝も7時40分頃、愛車「黒のストリーム」で元気に出勤しました。私は毎朝見送ってます。車庫から道へはバックで出なくてはならないので私が後方確認してます。

 中学・高校時代は陸上部に所属し、キャプテンを仰せつかり、ハードルと短距離を得意としてました。強豪ひしめく陸上王国群馬に於いて、高校総体では三年で4×100mリレーのアンカーに選ばれ決勝で3位になり、娘は本当に喜びました。今でもホームストレッチを走る姿が目に焼きついてます。私は麻里ちゃん行け、麻里ちゃん行けと何度叫んだことでしょう。

 また、100メートルハードルでは15秒12という自己最高記録を樹立。この数字を誇らしく今でも自信につなげているようです。このために愛車のナンバーは1512にしています。偶然にも新車を購入したのが平成15年12月ですから不思議な一致です。

 娘の帰宅時間は殆ど毎晩、午後11時頃です。結婚式場のウェディングプランナーです。大切なお客様が夜に訪れるので、どうしても帰りが遅くなります。身体を壊さぬよう私も応援しなくてはなりません。

 そのためには、しっかりした食事が第一です。娘にとっては母を3年前に亡くしてますので、私が母親代わりも兼ね誠心誠意努めてます。ですから帰宅したらすぐ食事が出来るようにしてます。

 ここで度々お世話になってるお店が近所の「ボナー」という手作りのお惣菜屋さんです。主夫の私にはすごく助かります。どんなものでも食材の種類が多く使われていますので、栄養バランスは理想的です。

 ボナーとはフランス語で良い時間ということで、幸せを意味します。シェフは本場パリ仕込みで修行されました。奥様とお店で小売りをされたり、スーパーへも流通しています。味は総じて今流行の薄味による健康食。商品は多種です。珍しいのはサツマイモのサラダです。私は子供の頃、お腹がすいて母がよく蒸かしてくれたことを思い出すので、さまいもにはいい思い出がないのですが、ボナーのお陰で繊維類豊富なサツマイモのおいしさを今見直してます。有難いことです。

 朝食と昼食は自分で作りますが、夕食はボナーさんを頼りにしてます。私のように男性が食事の用意をしなければならない家庭も多くあるでしょう。私はこのお惣菜屋さんに心から感謝してます。とりわけ価格が安いのでいいです。写真下の「サラダうどん」は今夜の娘用で320円です。

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2007年7月 1日 (日)

正しい姿勢でありたい

 誰でもよい姿勢になるときがあります。いつでしょう。その時、身長が最も高くなります。それは身長を測るときの伸びた姿勢ではないでしょうか。1cmでも大きくなりたいので後頭部と背中が一直線になります。結果的に胸も前に出てきていい立ち姿です。日常、その姿に近づけたいものです。

 私は筋肉トレーニングについて素人ですが、人間の姿勢は背中の筋肉と大いに関連があるように思ってます。姿勢がよい人のことを「背筋がピンと伸びてる」とも表現します。これは「足の指すべてが踏ん張って」バランスをとってることが基本にあるでしょう。

 特に背中の筋肉を意識して歩いたり、また、ダンベルを身近に置いて効果的に実行したいものです。どこかにしまっておくと使わなくなります。ダンベルは軽いものを回数多くすると心の負担が少ないです。私はピアノを弾くのでダンベルは指を痛めなくてとてもいいです。

 筋肉は鍛えると量が増え、サボると落ちるようです。しかし、再び鍛えると元には戻る感じですが、増やすにはやはり継続は力なりと言えるでしょう。私の場合、上半身はダンベルで鍛え、下半身は日々歩くように心がけ、時々、山歩きがいいようです。貯金はなくとも貯筋です。

メタボリックの関係から内蔵脂肪を減らすには有酸素運動が必要と思われますので、臍周り85cmを目標に、週に一度くらいは散歩でなく頑張る運動が1時間は必要と思っています。私にできるのは早歩きです。この夏はレース鳩に強制舎外運動させて見てるだけでなく、私も顔に日焼け止めを塗って帽子をかぶり、涼しい時間帯に身体を鍛えよう。

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