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2007年8月

2007年8月31日 (金)

書家 鷹山さんに会う

 先日、一人での夕食は味気なく高崎駅前「どんどん」に行くと書きましたが、その晩、お店に着くと偶然にも高崎商業勤務時代の吹奏楽部部長であったS君がおりました。東京への出張帰りとのことで「どんどん」で既に寛いでいました。

 お互い会うのは暫らくぶりで乾杯し再会を喜びました。彼は吹奏楽部の現役時代はユーホニュームを吹き、文化部のインターハイに相当する総合文化祭が名古屋で開かれ出演したり、群馬音楽センターでの定期演奏会では部長として活躍、同じ吹奏楽部で北京放送局アナウンサーになった「めぐみ」さんと同学年です。

 「どんどん」では学生時代のレクリェーションなど数々の楽しい思い出に花が咲きました。当時、レクリェーションでは彼は私の指揮の真似をするのが得意で機会あるたびにしてました。何事も真似したり、似てるということはそれだけで周囲を愉快にさせてくれるものでユーモアの持ち主です。

 実は、丁度1年前、彼は上毛新聞の文化欄に「旬の人」という記事で大きく採り上げられました。私は今でもその新聞を大切に保管しています。現在は多胡石材産業の専務として活躍する一方、県内では著名な書家として新進気鋭な人です。県展や全国規模の書展に出品、既にいくつかの賞を受賞してます。

 現在、主に書いてるのは十~十二文字を書く作品が多く、羊毛の柔らかく腰のない太い筆を浮かして書く技術に挑戦、「漢字」にはスピードやリズム、線の美しさなどに魅力があるといいます。

 本職の石材では書は必ずついて付いて回り、二つの仕事が深く関連し合って相乗効果が期待できるでしょう。また、学生時代に集中した音楽が書道のスピードやリズム、美という観点から感性として共通点を持ち、書家という現在に結びついてるとしたら望外の喜びです。

 書家・鷹山(ようざん)としてこれから益々活躍されますよう祈ってます。 

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2007年8月30日 (木)

遥かな尾瀬、遠い空

 日光国立公園から独立した尾瀬国立公園が今日誕生します。尾瀬は植物を中心とした手つかずの自然が特徴であったり、尾瀬ヶ原に代表する高層湿原は個性的です。

 私は群馬に住んでいながら足を踏み入れたことは2回です。1回目は学生時代に2泊3日で浮島などがある尾瀬ヶ原を歩きました。2回目は前高の旅行で尾瀬沼に行きました。2回とも朝から夕刻まで歩きに歩いた思い出があります。

 尾瀬は自然がそのまま残されてる数少ない場所といわれます。今では考えられないことですが、かつては尾瀬ヶ原を水没させて巨大ダムを造る計画や、群馬県側の大清水から三平峠を経由して尾瀬を縦貫する道路の建設計画がありました。しかし、すべてが中断され、本当に良かったと思います。それ以来、尾瀬は自然保護運動の原点となって、広大な高層湿原が保護され、未来へこのまま伝えいくことになりました。

 短い夏には水芭蕉やニッコウキスゲなど高山植物が咲き誇り、泥炭が堆積した高層湿原は栄養が少ないので、珍しく食虫植物が多くなるといわれます。

 訪れる人すべては、木道を歩いて動植物観察や景色を楽しみます。木道の総延長は十数キロでしょう。この木道整備など地道な作業をされてる方々には感謝の気持ちでいっぱいです。

 尾瀬ヶ原を見渡すように西に「至仏山」、東に「ひうちヶ岳」が聳え頂上は大パノラマといわれます。今秋には登山家サムュエル・トッドさんに至仏山山頂に連れてっていただくことになってます。ぜひ頑張りたいと思います。

 尾瀬では環境保護により「ごみ持ち帰り運動」が浸透してます。尾瀬は独立した国立公園となって今後ますます自然が守られ、このまま後世に伝えていってほしいものです。地元の片品村では8月30日を「尾瀬の日」と制定しました。尾瀬はもうすぐ秋です。

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2007年8月29日 (水)

月食の時、月にいたらどうなるか

 以前に月から地球を見たらどうなるか、地球の動きや太陽の見かけ上の軌道、星座の動きはどうなるか想像したことをブログに書きました。月面から見た天体の動きを想像することは夢があります。考えつかない意外な動きがありえます。例えば月の北極や南極からは太陽は常に地平線上すれすれを約1ヶ月かかって1周するでしょう。また、地球は地平線上にあっていつも同じ場所で動かず、三日月のようになったり満月のようになったりしてるでしょう。

 昨晩は月食でしたので、この時、月から見たらどのような現象になるか考えてみました。正しいかどうかは月に住んでみないと人間には分からないことです。

 地球から見て、月食の場合は月から見ると日食です。しかも昨晩のような場合は皆既日食です。その時間は地球で見る日食より時間が長いでしょう。

 地球側を向いてる月のある地点から見ると地球は常に静止してます。しかし、5大陸が1日1回周ってます。それは新月の頃よく見えると思われます。満月の頃では太陽の光で眩しくて見えないでしょう。また、月の裏側では永遠に地球は見えないのですが、月面を移動してくればいつかは見えるようになります。

 ところで、本題である「月食の時、月から見たら」太陽は地球の後ろに隠れてしまいます。隠れている時でも、地球の大気を通して太陽の光が地球の周りから屈折し直接ではないが、光ってると思われます。きっと夕焼けのようでしょう。赤い色が地球を取り巻いている幻想的な光景と思われます。そのために月食の時、地球から見た月は夕焼けに照らされたように赤銅色に見えると考えられます。

 最近、私は夜間や日の出前に天体を見てると、すごく「地球から宇宙を見ている」という気がしてなりません。しかも、乗ってる地球がぐるぐる自転してるので、次から次へと本物を無料で見られ、しかも季節ごとに変化するおまけ付です。本物でないプラネタリュームは有料ですね。本物が無料とは不思議でいいこの世です。まだ、しばらくはこの素晴らしい地球で人間的な歓びを求めよう。

【写真は工夫して撮りました。ピアノの上に地球儀を置きフラッシュをたいて太陽に見せました。雰囲気が出てるでしょう。皆既月食の時間の長さを考えると、月から見た太陽と地球の大きさの見かけ上の比はこの位でしょう。】

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2007年8月28日 (火)

心と体の健康を求めて

 ご存知の通り、高血圧、糖尿病を始めとする病気は年齢とともにかかりやすいといわれ、近年では小中学生など若年でも生活習慣によってこの増加傾向があると報じられてます。

 私の場合、母も妻もいませんから、自己管理をしっかりしなくてはなりません。幸いにもかかり付けの医師が年に2~3度「NHKためしてガッテン」に助言者として出演の「別名、温泉博士」で脳神経外科医のK先生です。ですから、いろいろ教えていただいてます。

 身体の内部は見えませんので、あらかじめ食べ物で選別せざるを得ません。多くのものには脂肪分が含まれてるので、これ以上、わざわざ摂らない工夫をしてます。例えば、揚げ物はほとんど食べません。よく使うドレッシングは油ですから、写真上のようなノンオイルを見つけました。これは「目から鱗」です。理想的で凄くおいしいですからお薦めです。

 醤油と味噌は毎日の食卓に関係するので、すべて減塩ものです。味は全く変わりません。これこそ日本人の食卓習慣ではトップですから、ここから、とことん変えてます。脂肪分と同様、塩分はパンやハムなどをはじめ多くの食物に含まれてます。

 一方、年齢とともにカルシュームや鉄分を必要とするので、メーカーでカルシューム入りと表示してあるものは手に入れるようにしてます。

 ポイントは「高齢になっても骨や歯は毎日新しく作られる」と聞きます。このため意識して十分に摂取したいものです。

 前にも書きましたが、何と言っても、おいしい食べ物がいっぱいある飽食の時代。ほとんど食べ過ぎになってると思われます。あと一杯食べたいのを我慢すると不思議に胃が慣れてくるものです。

 体重÷身長(m)÷身長(m)で22がいいとされてます。これはBMIでBody Mass Indexの略です。身体の量の指数でしょう。私は70÷1.78÷1.78=22.09なので今のままカロリーに気をつけ、この数値をキープしたいです。これで運動したいところですが、意志が弱いので困ったものです。一方、どうしたことか「どんどん」までなら5K歩けるので不思議です。 

 ところで、人間は「身体の健康」と「心の健康」の二つが必要です。私には話し相手がいないという後者で毎日苦しんでます。

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2007年8月27日 (月)

夏の午後、カヌーにチャレンジ

 玉村高校吹奏楽部では夏季練習のご苦労さん会を行なうとのことで、私にお声がかかり本日参加させて頂きました。高校野球の応援練習や独奏コンテストをお手伝いしたことがあるので、ご招待を受けたのだと思います。

 ご苦労さん会は利根川支流の河川敷近くで生徒さんやOGも加わってのバーベキューです。顧問のK先生の畑で取れた茄子など野菜も頂きました。しばらく肉を炭火で焼いたりして暑い中でしたが懇親ができました。

 ここはご覧のように堰があり、カヌー練習場として整備されてます。カヌーを専門とするN先生も吹奏楽部の副顧問とのことで、初めてお目にかかることができました。

 バーベキューの後、先生方の勧めもあって、私は初めてカヌーに挑戦することになりました。行楽地のボートを漕いだことはありますが、カヌーは初挑戦です。漕ぎ手の身体とカヌーが一体化して進むので、娯楽でなくスポーツであることが分かります。

 年令のせいか、なかなかポイントがつかめず、また、私は重心が高いので初めは横揺れし、ふらふらしてます。N先生のご指導を頂き下半身をしっかり突っ張り、肩の力を抜いて漕ぐ時はスムースに進みます。全身の筋肉を使うのでいい運動と感じました。

 川面を伝わる風が涼しくて快いです。水面が身体からすぐ近くのため、水を捉える感じで自然と一体です。練習しコツがつかめれば、私にも楽しめるかもしれないと思いました。吹奏楽部の女子生徒さんと、しばらくいっしょに漕ぎましたが、若い女子高生はすぐにスイスイ進んでいました。

 私はスポーツらしいことは昔やったバスケットと現在行なってる中低山の登山ですので、カヌーは新たなスポーツです。「新たなことへの挑戦はいつになっても遅いことはない」と以前にブログに書いたことがありますが、実際行なってみて新たなことはいいものです。

 奥山の湖や川下りなどができたら、いつもの人間世界とは異なり、見る角度が違い、きっと自然の再発見につながるでしょう。鳩友の浅間山さんがカヌーの名手と聞きましたので、いつかお会いした時、いろいろ教わろうと思います。

 玉村高校吹奏楽部の顧問の先生方と、生徒さん、本日は楽しくバーベキューとカヌーができ、貴重な時間が過ごせました。心よりお礼申し上げます。

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2007年8月26日 (日)

子供の脳を刺激

 少子化に伴ない親はどうしても子供に大きな期待をかけてしまいがちです。確かに子供の脳は才能の宝庫であると思います。「難しいといわれる日本語をなぜ3~4才で話せるようになるのでしょう。」ここに早期教育のヒントがあるように思います。外国人にとって難しい「日本語の抑揚」を正しく操るのですから素晴らしい耳を持ってるのです。

 子供たちが日本語を習った方法で私たちも英語を学習したら今頃はぺらぺらになってるでしょう。しかし、何十年しても話せないのは、子供の方法と私たちが英語を習う方法が違うからと思われます。少しでも子供の方法に近づきたいものです。

 特に、音楽や絵画、英語などは感性に関係する分野なので、子供が特別な興味を示した場合、「親は決してそれを見逃さない」で、学校の公教育とは別に勉強させるべきでしょう。この時こそ才能が大きく開花するチャンスと思います。分野については上記の3つに限ったことではありません。親はあまり教える必要はなく、というより、本来、教えられるものではないし、やたら教えないほうがいい場合もあると思います。

 親が出来るのは教えることより種を蒔くことではないでしょうか。種とはいい環境作りこそ第一と思います。これは「子供がいい刺激を受ける環境」ということになります。展覧会や音楽会などに連れて行き、本物を見せ、本物を聴かせ、本物に触れさせてやりたいものです。また、親は評価をしっかりすべきで、特に、よく出来た時は十分褒めてやりたいものです。

 小さい時にピアノを習わせ発表会に出演する程になっても、受験が迫ってくると9割くらいは良い学校へとやめさてしまいがちです。そのピアノを「いらなくなったピアノ」と称して売られてゆく姿は私は非常に間違ってると思います。人生を豊かにするためのピアノであった筈なのに、これからの人生の幅をわざわざ狭くしてしまいます。新聞やテレビでこの広告を見るたびに、折角、子供の夢を育てるために購入したのに、どうしたことだろうと私は切なくなります。

 私の家の近くには、若くして夭折した画家「かまち」の家があります。お父さん、お母さんとも私はよく存じ上げてます。かまちの才能の素晴らしさの一つは「絵画の作品量が莫大なのです。」幼少のときからの作品をご両親がずっと保管してたことは、親として彼の非凡な才能を見逃さなかったからでしょう。

 未来ある子供にはいろんな所へ連れて行き、本物を聴かせたり、本物を見せたり良い刺激をたくさん与え、脳の芽を伸ばしてやれるのは、親こそできることと思っています。

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2007年8月25日 (土)

サーカスの意味

 9月から11月まで私の家から歩いて20分程のところに木下サーカスがやってきます。近くに電車が通過するので、それだけでもいい宣伝になるでしよう。サーカスを見るチャンスはあまりないものです。ぜひ、行ってみようと思ってます。

 サーカスは大きなテントを張って各地へ移動するのが通例でしょう。3日前に高崎駅前の「どんどん」に行くので、この場所を歩いて通りましたが、そのときは広い野原に直経約40m程の「円の土台」が掘ってあっただけです。本日はご覧の通り大きなテントが完成してました。出演する動物たちもすでに到着し、キリンだけは首が長いので外から見えます。

 昔、この場所は大きな竜巻が起こったところです。専門家が作るのですから、それも想定内でテントはしっかん固定されてるでしょう。また、近くは住宅街ですからライオン・トラなど猛獣の扱いにはくれぐれも念入りに管理してもらいたいです。

 昔、カルカッタ(現コルカタ)でサーカスを見たことがあります。やはり大きなテントの中で興行してました。これはどの国でも同じなのでしょう。

 ところで、サーカス【circus】という言葉は英語ですが、その語源がギリシャ語の「円」の意味で、ローマでは円形競技場を指してるようです。3日前に「円の土台」が掘ってあるのを見たときは、なるほどサーカスのもとの意味は、この「円」に由来してるということが納得できました。 

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2007年8月24日 (金)

夏季における観葉植物の手入れ

 観葉植物は一年の多くの期間を家の中で過ごします。私の家には高さ1m50cm程のコンシンネと以前に開花をご覧頂きました君子蘭があります。コンシンネについては3年程前、手に入れましたが、私が手入れの方法を知らなかったために、一年ほど経過したら葉が出なくなり、もうだめかと諦めてました。

  しかし、生き返るためには「ものは試しだ」とばかり昨年の6月、植木鉢から抜いて思い切り庭に植えてみました。自然の恵みの太陽と雨と風に当て、そのまま9月中旬まで構わないでおきました。

 それが良かったのか、ものの見事に葉が吹き返し、長く青々となりました。観葉植物に関して素人の私でしたが、勘が当たったようです。これも生物ですから、長年、レース鳩の健康に注意し世話してきたことに共通点があったのかもしれません。

 しかし、再び冬を通り過ぎると葉の勢いがなくなるのです。こんなことから今年も6月に直に庭に植えましたら写真のように勢いよく蘇りました。やはり、夏の季節に自然の恵みを与えてやることは、原産地の環境に近くなり、人工的に室内で育てるより細胞が活性化されるのでしょう。

 君子蘭については夏の期間、同様に外に出して置きました。葉は直射日光に弱く、一部焦げたこともあるので、日陰に植木鉢に植えたまま置き、時々、水を与えています。やはり勢いはいいです。このため、来春の2月には開花してくれるものと大いに期待してます。

 ところで、1年に一度はこれらの植物の植木鉢の土を入れ替えてやるつもりです。昨年、庭から植木鉢に移すとき、ホームセンターで購入した「観葉植物用の土」に入れ終えましたら、特に君子蘭は勢いがついたように感じます。南アフリカが原産地といわれ、元々、冬が寒い日本での生育は難しいのでしょう。外国の方を預かってるつもりで丁寧に手をかけたいと思ってます。

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2007年8月23日 (木)

暫らくぶりに?羽を伸ばしました。

 毎日、一人での夕食は味気ないものです。昼食も一人です。食事をするにはその前に食材の買出しがあります。出来合いのおかずは近所のボナーで買いますが、刺身など魚類、野菜、牛乳など他の食材は車で5分ほどのフレッセイに行きます。

 毎回の買出しは一つの仕事になってますので、私は数名のレジの女性と顔なじみになり、必ず私のほうから言葉を交わすように努めてます。これが結構楽しいのです。

 周囲のお客さんを見ていると、レジではほとんど会話する姿がありません。話しても必要なことのみで、これでは自動販売機の前とあまり変わりません。

 次第に言葉が要らない社会や、余分なことを言わない風習になっていくのでしょうか。こんな淋しい世の中ではいけないと思います。

 私は人間にとって楽しいことの一つは話をすることだと思ってます。忙しい時のおしゃべりはいけませんが、人と人ですから顔を合わせたら何か声をかけたいものです。「人には余分なことも心のために必要」と感じています。

 ところで、夕食に変化をもたらすため、昨晩は高崎駅前、馴染みの「どんどん」へ行きました。しかも、家から5キロ歩いて汗かいて、お腹をすかせてです。一杯目の生ビールはいつもの寂しさを完全に吹き飛ばしてくれました。マスターはもちろん女性スタッフとも知り合いで、心は別天地のようです。「秋刀魚の刺身」といつもの「豚串キムチ」そして「焼おにぎり」で十分栄養は摂れました。

 その後、どうしたことか元気が出て、柳川町の「ニューダンチ」へ行きたくなり、行ってしまいました。ここにはピアノがありますので、はじめに「フィリピン国歌」を弾き、拍手に気を良くして、コロブチカ、マイムマイム、オクラホマミキサ「みちのく一人旅」などを弾き、あとはゆったりと孤独でない充実した時間が過ごせ、たまには羽を伸ばすことも大切と思いました。しばらくは行きませんので、ご心配はいりません。

【写真はインドの象牙と木彫】

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2007年8月22日 (水)

早朝運動の常識には誤りがある

P1020125  寒くない時季に野山の散策は血圧安定に適していると考えます。ここは群馬・長野県境に近い碓氷峠の旧・信越線アプトの道です。この下が有名なめがね橋です。

P1020137 【文部省唱歌・もみじのモデルになりました。】

 日々、私の頭の中で忘れてはならないことは血圧を120台~70台に保つことです。そのために高血圧となる要因を取除き、降下する生活習慣を身につけなくてはなりません。

 一般的に血圧は年齢とともに高くなるようです。私もご多分に漏れず40才くらいから高血圧になり、なかなか改善されませんでした。

 昔から当たり前のように言われてきた「健康についての常識」も、高齢化社会に突入してる現代においては、中高年の人にとって大きな誤りがあるような気がしてなりません。計測してみると分かりますが、多くの場合、血圧は早朝に高くなる傾向があります。ですから「早起きは決して良くない」と思ってます。

 昔から「早起きは三文の徳」といわれ、早朝に仕事や運動することは健康にいいと思われてきました。ですから、朝6時30分のラジオ体操は一見良さそうですが、特に冬季は血圧の点から中高年には早過ぎると考えられます。もっと遅い時間が適してるでしょう。

 ましてや早朝ジョギングなどは血圧のことを考えると危険この上ないと考えます。年齢が50歳を過ぎたら早朝の頑張りはいけないのです。早朝の運動は若い方々に当てはまることです。

 運動は健康維持に大切なことですが、このように、中高年の方々が起きてすぐ行なう運動は血圧の法則から危険と考えます。このため現在では「早起きは三文の損」というのが健康上、正しいと思います。早起きは、どうしても睡眠不足に繋がります。

 朝は「のらりくらり」で頑張らないことでしょう。私は40代に毎朝4時頃起きて勉強しました。この継続は結果的に、どうしても睡眠不足になり、血圧にとって最悪な行動であったと今になって考えるようになりました。運動は午前10時頃からが適していると考えられます。

 この意味からすると日本中を約半年間、強制的に1時間早める「サマータイム」は多くの国民の血圧上昇につながる恐れがあり、日本民族にとって危険この上もありません。法案が国会に提出されると実施される可能性があり、大変な混乱が起こります。以前に戦後4年間実施しましたが、皆、不調を訴え、結局取りやめになりました。何事も失敗は繰返してはなりません。

 ご参考になるかどうかは分かりませんが、私が血圧安定のために心してることは次のとおりです。

 「BMI 22」維持のため体重を監視する。そのために「決して食べ過ぎない。」私の場合、大好きな日本酒は血圧上昇につながりやすく量を少なくしてます。1合半止まり。睡眠を十分に取る。食卓は減塩醤油にする。どうしても摂り過ぎる脂肪分を防ぐため揚げ物など食べない。日頃から残気を吐き出す。私たちが無意識にしてる呼吸は「肺の中の空気の3割程度を出し入れ」してるようですから、時々、腹式呼吸で全部吐き切ることが肺がきれいになり、血管には良いと考えます。冬季に寒過ぎないこと。

 血圧上昇にはいろんな要因があるでしょうが、私は睡眠不足こそ最も悪いと考えてます。

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2007年8月21日 (火)

広告として当舎が掲載される

 世界57ヵ国の競翔家に愛読されてる英国レース鳩月刊誌「ピクトリアル」の広告のページに当舎が掲載されてます。ピクトリアル編集部が選んだ7枚の表紙の1枚として載ってます。写真右から3番目です。

 編集部へはブログの開設についても伝えてあります。このブログは便利な英語翻訳機能付きですから、ご覧いただいてる可能性はあります。

 私はブログをいろんなテーマで書いてみたいので、レース鳩については10日に1度くらいの割合です。レースで結果が出れば良かった原因と思われることを述べられますが、それはこれからの目標です。いつのことになるでしょう。

 ところで、レース鳩を飼育して多くの方々から影響をいただいてます。中でも、上州四天王の皆さん【はとさん、アルカディアさん、ピジョンクレージーさん】、名前のない鳩さん、ミストラルさん、たぶん弟さん、浅間山さん、Fragrant Mountainさん、高塚さんです。

 この方々はレース鳩について一流のお考えと卓越した実績をお持ちです。これからも、これらの方々をはじめ多くの人たちに指導をいただき、自らも研究と実践を繰り返しながら、このグローバルなブラッドスポーツの世界を追求したいと思ってます。

 また、女性愛鳩家の、やまさん、マゴコさん、ちぇろさん、Ms.J Fragrant Mountainさんには鳩はもちろん、その他いろいろ教わりたいと思ってます。どうぞよろしくお願いいたします。なお、「ピクトリアル」編集局長はダンという女性であることを申し添えておきます。

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2007年8月20日 (月)

高い財政力指数

 昨日、慰霊登山に行きました御巣鷹山の途中に「神流川発電所」があります。ダムによる水力発電は環境によく、山奥に「奥神流湖」ができ、洪水防止と電力不足の解消につながります。

 この発電所の稼動で上野村は県内最高の財政力指数を持つといわれ、それは電力会社からの固定資産税収入によります。これからは交付税を受けない自治体として、しばらく強い財政力を保持するでしょう。

 このダムの位置は御巣鷹山への数あるトンネルの途中にあります。黒四ダムのように、まずトンネルを通過してやっと近づけるのです。ダムの淵は観光として整備され、大自然を味わえます。標高があるので紅葉の季節はきっと素晴らしい光景になるでしょう。

 ところで、最近の金融界の低調はアメリカの個人住宅ローンの焦げ付きが一つの原因といわれ、どうしたことか日本の株式、債券、不動産ともに影響を受けるのですから不思議です。経済には国境がないのでしょうか。為替レートも急激に円高となってます。人それぞれ思惑がありますが、私は個人的には円安を願ってます。120円はキープしてほしいのです。これからはどう推移するでしょうか。天気と同じで今後のことは誰にも分かりませんね。

 米国の公定歩合が世界経済の塩梅になってるようです。今回は下げましたので日本でも多少良い方向に行くよう期待するのみです。時々このブログに登場いたします友人の一人は金利の高いニュージーランドに口座をお持ちで実に経済に明るいのです。グローバルな方はもともとグローバルである経済に精通しておられるのでしょう。

 上野村の健全財政のように、生活基盤となる個人経済も年末にかけて、不安定から安定へ、そして成長へと転換してほしいものです。

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2007年8月19日 (日)

御巣鷹山へ慰霊登山に行く

Dscf0974  群馬県高崎市に住んでるので家から御巣鷹山まで車で1時間30分ほどです。この夏は慰霊に行こうと考えてたので、本日一人で登り、昇魂之碑にお線香をあげてきました。

 10年程前にも一人で慰霊登山しました。その時と異なり道路がかなり上まで開通し、歩く距離は短くなりました。駐車場から30分程ですが、急勾配なのできつかったです。

 近年、念願の湯ノ沢トンネルが開通し、今回は下仁田から南牧を経由し上野村に入りました。鬼石・万場経由より近くなり、運転も楽です。遠方からの方は上信越道の下仁田インター下車がアクセスがいいと思います。

 御巣鷹山は本当に奥深く、辺りは高い山が連なってます。群馬県の最南端に位置し、長野県、埼玉県、山梨県の県境に近いです。上野村の人家があるところから20キロほど山中に入ります。途中、たくさんトンネルがあり、上野ダムの横を通過します。

Dscf0971  車から降りると空気は涼しく、曲がりくねった一本道の坂を黙々と上をめざします。高低差180メートルは本格的な登山です。道はすべて樹木に覆われ、そばにはせせらぎが聞えます。「坂を登るには歩幅を狭くするといい」と山岳のベテラン・サムュエルトッドさんに八間山で教わったことを実行しました。お陰で楽になりました。

  ようやく目的地の昇魂之碑を目の前にしたときは何とも言えない静寂さが漂いました。早速、お線香に火をつけ手向けて合掌。22年の歳月が過ぎても、何ら変化がないのだろうと感じました。

 飛行機の座席番号と思われる標識があちこちにたくさん立ってます。そのそばに数名の方々の霊が並んで祀られてます。多くは尾根の斜面です。推定200メートルくらいの範囲にわたってます。私は出来る限り多くを歩いてその都度一礼しました。

 驚いたことに直径1メートルもある樹木が22年経過した今でも丸焦げになったままで太い根が地面を捕らえてるのです。歌手・九さんの場所も分かりました。一礼し再び昇魂之碑の前に行き、鐘を鳴らしました。鐘には私の好きな鳩が1つがいいます。暫らくベンチに腰かけ休憩。上を見ると空はすでに秋。白雲が速く動いています。

 ご遺族の心情を思い一人静かにお参りができました。安らかにお眠りください。

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2007年8月18日 (土)

ビドロはラベルの勘違い?

8ca3cp6mbcab311bacarafgk4cau4h11c_2   以前にロシアの作曲家ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」について書いたことがあります。ムソルグスキーの友人で画家のガルトマンが39才の若さでこの世を立ち、残された絵画の遺作展が開かれました。展覧会場を訪れたムソルグスキーの落胆振りは大変なものだったと伝えられてます。そこで彼はガルトマンの絵を音楽にすることを思い立ち、10枚の絵に曲をつけました。ですから絵の題名と曲名は一致し、ムソルグスキーはピアノ曲として作曲しました。

 近年、作曲家・團伊玖磨氏はこの曲の原画となったガルトマンの絵が今でも保存されてるのではないかと、ロシアの美術館や関係する学校などへ探しに行きました。昔のことで当時の関係者は生存してません。10枚の絵がすべて見つかったわけではないようです。

http://www.youtube.com/embed/rx6Eo6liyCg 

  彼が疑問に思ったのは「ビドロ」という音楽です。ビドロという言葉は「牛車」という意味があり、大平原を行く2頭立と思われましたが、残念にもそれに相当する絵画は発見できなかったのです。

 ご存知の通り、この「展覧会の絵」の音楽は元々が色彩的な絵画ですから、ピアノよりもオーケストラでの演奏がより効果があると考えられ、後に多くの音楽家が管弦楽に編曲しました。中でもフランスのラヴェルのオーケストレーションが群を抜いて有名です。

 ところで、私たちが原曲であるピアノ曲を聴きますと、大平原を行くのどかな牛車の雰囲気というより、もっと重々しく、暗いイメージを通り越して、悲痛な叫び、痛々しい悲惨なことのように感じられます。もしかして、【團伊玖磨氏は原曲の必要以上に暗いイメージを不自然に思い、原画は「本当に牛車だろうか】と確認するためロシアへ行かれたのかもしれません。

 つまり、原曲のピアノ曲と、ラヴェルのオーケストラ版がイメージにおいて相当の差が出てしまってるのです。ラヴェルは牛の鳴き声としてチューバを使い、その雰囲気をよく出してます。彼はビドロの意味を「牛車」と解釈しオーケストレーションしたのでしょう。もしかして、これは原画と異なってる可能性が考えらます。

 團伊玖磨氏がロシアで見たガルトマンの絵に牛車の絵画は発見できず、その代わり、民衆が苦しんでる絵画、傷ついた人々の絵画が数枚あったといわれます。

 後に「ビドロ」という言葉には「牛車」という意味の他に「苦しみ」という意味もあることがわかり、最近ではガルトマンの原画は「民衆の苦しみ」の絵画ではないかと考えられています。年代や国を考えるとラヴェルはガルトマンの遺作展を見てないことになります。因みにガルトマンの生涯は(1834~1873)であり、ラヴェルの生涯は(1875~1937)です。

 暫らくぶりに「展覧会の絵」をピアノ版とオーケストラ版を聴きたくなりました。

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2007年8月17日 (金)

華氏は人間の生活中心

 今年の夏は各地で摂氏40度を記録し、昔の日本ではなくなってきた感じがします。気温の測定はあくまで太陽が直接当たらない百葉箱で計測したもので、これは地面から1メートル20センチほどに設置してあり、日の当たる外は50度くらいになってると思われます。

 それでも、本日、初めて蝉の声も油蝉に混ざってツクツクボウシが鳴き始めました。これが鳴くと夏も終わりの気配になります。私にはこの鳴声が「オーシンつくつくオーシンつくつく【夏は】もういよーす、もういよーす」と聞えます。夏に別れを告げてる言葉のようです。上空はすでに秋です。

 写真は昨日の倉賀野の閻魔堂のお祭りです。父母はよく「閻魔堂のお祭りが来ると朝晩は涼しくなる」と言ってました。暑い暑いと言っても夏至の時に比較して、日の出は36分遅くなってるし、日の入は32分早まってますから、日照時間はすでに1時間以上短くなってます。これは太陽黄道が夏至の90度に対し、現在は約145度になってます。随分、移動してます。

 ところで、私たちは40度を異常に暑いと言ってますが、気温の数値を当たり前のように摂氏で言ってます。しかし、昔の日本では華氏のときもあったのでしょうか。私の父は明治29年生まれですが、時々「今日は90度だよ」なんて言ってました。「それじゃ煮えちゃうよ」と私は言ったことがあります。それでも、この数値には正に「うだるような暑さ」の感じがよく出ていたように思います。

 私たちは子供の頃から、当然のこととして摂氏を使ってきましたが、「私は個人的には断然華氏がいい」と思ってます。ご存知のように水の沸点を212度とし、氷点を32度としてます。また、人間の体温を約100度とし、0度は人間が生活可能な低温の限界となってます。摂氏ではマイナス18度くらいです。ですから「華氏は人間が生活できる温度の範囲を100等分してる」ことになります。これによると生活しやすい温度は65度くらいでしょう。テストの平均点のようです。摂氏では約18度くらいと思います。このため「華氏は人間生活を中心とした数値」になるので、私には理想的に思えてなりません。私たちは一般的に物事を判断するとき便利なパーセントを広く使ってますが、これと同じになります。

 連日、各地から摂氏40度以上が報告されてます。これは華氏では100度を超えてますので「人間が生活する温度でない」ことを示します。

 イギリスやアメリカでは華氏のようですし、インドでも華氏でした。しかし、最近では世界的な傾向として摂氏になりつつあるようです。これは沸点を100度、氷点を0度とした科学に基づき、人間より自然中心の観点から、摂氏が便利と思われてるのでしょう。

 私は、人間生活の可能な範囲を100等分した華氏はいかにも人間を大切にする測り方で、いつの日か日本でも華氏が使われることを願ってます。

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2007年8月16日 (木)

先祖の供養~送り火

 私の家系は代が変わるのに年月がかかります。私は父が50才、母が42才のとき生まれました。父母もそれぞれ兄弟では末に生まれたので、父母も親が年を取ってから生まれたのです。

 このため私の4人の祖父母は私が生まれたとき、すでにこの世にいないわけで、それどころか4人とも江戸時代に誕生していたのです。これではどうにも会えません。祖父母に会うことが出来ていたら昔の話をたくさん聞きたかったですが、それは叶いませんでした。

 先祖について考えたとき、その全員がそれぞれ父母を持ってたのですから、200年位前に遡れば予想を上回る人数が一人の人の先祖数になります。1000年も遡ればとんでもない数でしよう。

 私についても、その何万人もの先祖のうち一人でも欠ければ私はこの世に生まれませんでした。そんな風に考えると、すべての先祖に感謝感謝です。大昔に日本の人口はそれ程いないのですから、「日本人はみな共通の先祖を持ってる」ことになります。こんなことから大きく見れば日本人はみな親戚で、外国人と異なる「日本人独特の顔立ち」及び「同じ言葉を話す」のは先祖が共通だからということが頷けます。

 ところが、私たちの先祖が日本に住みついたのは1000年前どころでなく、その前、何万年も石器時代があり、先祖の暮らしを考えるとき、その殆どつまり99%以上の時代を石器時代に生きていた筈ですから、全く濃い近親状態になってると考えられます。

 本日でお盆も終わり送り火です。江戸時代までは旧暦の7月16日であったようです。現在の暦の場合この日では農家が忙しいこともあり、8月16日に月遅れにしたのでしょう。しかし、これで実際には江戸時代のお盆の時期と殆ど同じになってると思われます。

 今の時期、あちこちで盆踊りが開かれます。浴衣を着ての素朴な踊りで楽しいです。由来は承知しませんが、大昔から続いてると思われます。私の想像の範囲ですが、盆踊りは遠い祖先に感謝し、「今、子孫として生きてる喜び」を全身を使って表現する踊りに思えます。

 ところで、私たちの多くは南無阿弥陀佛を唱えます。釈迦が悟りを開いたといわれるインドのブダガヤを訪ねたことがあります。チベットから多くの仏教徒が拝みに来てました。インドでは朝から晩まで挨拶は「ナムステ」です。これはサンスクリット語から来た現代ヒンズー語です。インド滞在中、私も人に会うと必ず「手を合わせて」どれほどこの挨拶をしたか数え切れません。インドの方は街角にいる牛に向かっても、やはり合掌して「ナムステ」を言います。その度に思いました。もしかして、これは南無阿弥陀佛の念仏に関係があるのではないかと直感しました。

【写真は私の家の菩提寺にあるもの】

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2007年8月15日 (水)

牛伏山の散策

 あまりにも暑いので小高い山に行き、少しでも涼しさを求めたいと思いました。ここは牛伏山(491m)で、その姿が牛が伏せた形に似てて名の由来になってます。昔の城跡です。車で行きましたら山頂まで行ってしまいました。山頂は峰が二つあり、十分に散策できるようになってます。

 平成元年に城を復元し3階は展望台になってます。ここからは藤岡市、高崎市、前橋市が見え、遠くには赤城、榛名、谷川岳の雄姿が望めます。地元の吉井町は眼下にあり、景色は抜群で思わずため息が出てしまいます。下界より温度は5度ほど低い感じで、樹木に覆われ、夏を惜しむかのごとく、蝉時雨の大合唱の中を散策です。二つの峰を往復しましたが、訪れてる人は少ないです。FM放送の電波塔もあります。

  西の峰には鐘つき堂があり、「これからのことに思いを込めて」一発思い切り鳴らしました。頂上にある鐘ですから、数キロ四方まで響き渡ったのではないでしょうか。早速、ご利益が現われればいいのですが、どうでしょう。    

 ところで、ご利益といえば最近「カルシュームと鉄分入りミルク」を飲んでいます。このためでしょうか、調子がいいように感じます。血圧は低めを保ち、内緒ですが、若さも出てきたようです。やはり、運動、栄養、休養は大切で、このうち栄養については脂肪や塩分の摂りすぎなどに気をつけ、不足がちなものを摂取するよう心がけてます。

 驚いたことに牛伏山の頂上には「青い山脈」の歌碑があります。作曲家・服部良一 さんが地元の学校の校歌の作曲を依頼された時、この牛伏山に登り、群馬の山々の遠望に感嘆され、思わず関係者とともにご自身のこの歌を歌われたとのことで、それを記念して建てられたのです。

 私は職業柄、楽譜入りの碑はすぐ目につき、立ち止まってしまいます。また、この曲の作詞家・西条八十氏直筆による歌詞が刻まれていて、牛伏山山頂で思わず自然と芸術に触れた思いになりました。

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2007年8月14日 (火)

今後、登りたい群馬の山々

 写真は群馬・長野県境付近に聳える荒船山(1423m)です。先日、佐久の浅間山鳩舎を訪問した帰路に撮影しました。山頂へは過去3回登りました。ご覧の絶壁の上にある艫岩(ともいわ)などには柵がありませんので、気をつけねばなりません。その代わり景色は抜群です。

 私には1000~2000メートル位の中低山が体力から考えて適当ですし、これだけの高さでもすでに本格的な山で、大自然を十分に堪能できます。群馬・新潟県境の平標山(1984m)へは一度だけ登頂しました。ここまで来ると下界とは異なる植物と空気です。

 この山に連なる谷川岳はあまりにも有名です。ロープウェイで天神平まで行き、そこから尾根伝いに頂上を極めたことがあります。また、登山ではありませんが、ヘリコプターによる遊覧飛行で一の倉沢の岩肌を垂直に登り、山頂すれすれに飛んだのも視点が変わりたまにはおもしろいものです。すぐ近くで登山者が手を振ってくれました。

 この下で先日書きました気味悪い提灯のような光が真夜中に動いていたのです。

 写真左は谷川岳天神峠から撮影した谷川連峰です。この界隈は私の鳩友でスキーの名手アルカディアさんの縄張りのようなところです。標高が高いので雪質がよく春スキーも楽しめます。近くには谷川温泉、湯檜曽温泉、水上温泉があり、登山やスキーの後のリフレッシュにはこと欠きません。

 ところで、今後登りたい群馬の山々はたくさんあります。国立公園になりました尾瀬の至仏山(しぶつさん2228m)にはぜひ登頂したいです。仏に至る山とは秋の彼岸に行くべきか。

 この夏休みに計画してるのは元同僚サミュエルトッドさんと四阿山(あずまやさん2354メートル)登頂です。浅間山の北に聳える上越国境の山で裾野が長く眺めも雄大ですが、挑戦は初めてです。近くに鹿沢温泉があり、ここには南極越冬隊長として活躍された西堀栄三郎氏が作詞した「雪山賛歌」の碑があります。一行がこの近くで吹雪に合い、数日間、山小屋に閉じ込められた時、作ったといわれます。 自然の猛威のお陰で素晴らしい芸術が生まれました。これは自然の恩恵か。 

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2007年8月13日 (月)

不思議な枚数と数字の一致

 トランプをご用意ください。

1、ジョーカーを除いて52枚のカードをよく切って下さい。

2、切り終ったら、表にして1番上に出たカードをテーブルの上に置き、そのカードの数字から数え、表のまま13までカードを上に重ねてください。例えば、はじめに出た数字が4であれば、テーブルの上に表のまま4を置き、次は数字には関係なく5、6、7、8、9、10、11、12、13と上に重ねておき、置き終わったらその山を裏返しにします。

3、同様に残りのカードも、上に出たカードの数字が例えば8であれば、その8を表のままテーブルに置き、次のカードから9,10,11,12,13と上に重ねておき、その山を裏返しにします。

4、残りのカードも同様にして上に出た数字から13まで数え、カードの山を出来るだけ多く作ります。

5、そしたらどの山でもいいですから、3つの山を残し、後は回収しまとめておきます。この場合、山が出来なかったものもいっしょに回収です。

6、3つの山の内、どれでもいいですから2つの山の一番上のカードのみを開いてその山の上に表向きに置きます。

7、その二つの数字をたしてください。

8、出た答えに更に10をたしてください。

9、答えの数字がでましたか。

10、先ほど回収した残りのカードから、答えの「数字」と同じ「枚数」を取ってください。

11、何枚残りましたか。

12、その「残りの枚数」は、まだ開いてない一つの山のカードの一番上の「数字」と一致します。開けてみてください。

【写真は群馬・野反湖への道です。】

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2007年8月12日 (日)

蚊の侵入を防ぐ鳩舎完成

P1020355  鳩舎の窓や扉について、蚊の防護ネットを張ってなかった部分を本日すべて張り終えました。長年、鳩を飼育しててもこのようなことは実施したことがなく、普通の金網のみでしたので蚊の出入りは自由でした。一方羽毛の外部への飛散がなくなります。

 特に、羽の生え揃ってない雛が夜中にずっと蚊に刺されてては、将来に対し害はあっても益はないでしょう。

 時々は蚊取り線香をたいたり、電気蚊取りを使ったりしても面倒なこともあり、毎日というわけにはいきません。

 今回、選手鳩鳩舎及び種鳩鳩舎に緑の防護ネットを張り終えたので、蚊の侵入を100パーセント防げると思います。気をつけるのは扉の開け閉めくらいでしょう。出入りには注意したいと思います。

 今後、蚊が鳩舎内にいるかどうか点検してみます。

 ところで、夜の11時頃、鳩舎内に電灯をつけてみますと、ゴキブリの天国になってるときがあります。これも害はあっても益はありません。内壁の板と板の隙間を密閉する必要があります。この夏はかなりの数を捕獲し、もう殆どいませんが、相手も魔物。また、どこからともなく出現します。日中、隙間に隠れてて、一見いないようであっても夜行性で出てきます。若いときの私みたいで夜になると元気が出るのでしょうか。

P1020006  今回、改築した鳩舎は今のところ使い勝手がいいです。最も楽なのは、気軽にいつでも水浴が出来ることでしょう。詮を抜けば汚水は出て行きます。暑い夏は水浴をしたがります。私が水を出してると寄って来る鳩もいます。

 今年の雛たちは腰周りがしっかりしてる気がします。これは生まれてから30日間、トウモロコシを与えず、小粒で栄養価が高いもののみ与えたことによると確信しています。

 レース鳩飼育も一年一年新たなことを学び、一つでも良いことは実践していきたいです。 

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2007年8月11日 (土)

アルカーサル迎賓館の豪華な食事会

 娘Marie Persimmon Marshの職場である結婚式場「メモリード・アルカーサル迎賓館高崎」にいつの日か伺い、リッチな気分を味わいたいと思っていました。職場での娘はどうであるか、父として一度だけ客観的に何気なく見たいとも願っていました。

 それは昨晩、一般のお客様を対象とした食事会が開催され、私の願いは思わぬ形で実現しました。

 結婚式の披露宴会場をそのまま利用した今回の食事会は中央にグランドピアノが設置され、お客様のテーブルはそれを囲むように配置されてました。「音楽と食事の融合」を大切としたスタッフのアイディアでしょう。このテーブル配置を拝見しただけで、食事が豪華であることが必然な流れのように感じてしまいます。乾杯の前から心はすでにクラウドセブン。

 天井の高い室内、すべては豪華。新郎新婦が登場すると思われる2階からの白く長い階段が幸せのシンボルに見えます。その光景を想像しただけでも雰囲気はすでに印象的。きれいな衣装を纏った主役の二人が階段の上に姿を見せただけで、披露宴はさぞかし最高潮に盛り上がるでしょう。

 珍しく私は女性と二人でお邪魔しました。支配人さんをはじめスタッフの方々が私たちのテーブルに挨拶に来てくださいました。心に残る食事会を心がけておられることが伝わってきます。さすがサーピス業の最先端。お客様の心をしっかりつかんでるように感じました。

 ところで家では娘として何気なく生活してても、アルカーサル迎賓館で見る娘の動きはきびきび、全体をよく見渡してるように感じました。これもスタッフの皆様に支えられて会得した証でしょう。感謝この上もありません。

 実は私は高崎駅前「どんどん」で2度ほどスタッフの方々と飲食をともにしたことがありましたので、すっかり顔なじみなのです。そんなこともあり今回いっそうの家族的もてなしに感謝です。

 ビールが程よく身体の中に循環しはじめましたら、私の心の中では、どうしても中央にあるグランドピアノが「私に弾いておくれ」と待ってるように見えてしまいました。このためスタッフにお願いしましたら一曲だけ弾かせていただけることになり、待ってましたとばかり「雪が降る」を一気に弾いたのです。弾き終えたら会場から温かい拍手を頂きました。

 今回、豪華な気持ちを味わうことができ「アルカーサル迎賓館」のスタッフの皆様に心より感謝しております。

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2007年8月10日 (金)

鉢巻きしてピアノの練習

 ピアノにおいても、大相撲の夏巡業のように暑い夏の期間、練習にどれだけ専念できたかが、秋に成果が出るように思います。ある程度たくさんの時間を弾くことにより、指や腕の感覚がより確実になり、本番でその効果が現れることを信じて練習したいものです。

 10月にピアノによるホームコンサートを開きます。一度弾いた曲もプログラムに入れて行います。このような曲はより音色や表現に磨きをかけなければなりません。

  私は大きくポンポン音を出す演奏より、歌のように「しっかり伸ばし、しみじみとした音」を追求したいのです。速い難曲を克服し弾けるようになると達成感があるので1曲はいいと思います。これは技術を見てもらうことにもなり、プログラム構成上のスパイスとして必要で、お客様には視覚からも楽しんでいただけます。

 しかし、私はあくまで味わい深い音色第一主義に徹したいのです。以前にも書きましたが、ピアノでは鍵盤へのタッチこそ生命と考えられるので、腕の重さを利用したり、力を抜いたり、腕の反動などはポイントと思っています。一生懸命弾くと、どうしても大きな音になりやすいので、演奏中しっかりした判断が求められます。

 秋のコンサートでは小さな音、長い音も多めに入れ、一つの楽曲でもポイントの音以外は音量を落とし、ピアノという楽器の本来の名である「ピアノファルテ」という名に恥じぬよう表現に幅をもたせたいのですが、どうなることでしょう。

 暑い夏の午後は鉢巻きして練習すると汗が顔にかからないし、何よりも気持ちが引き締まります。

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2007年8月 9日 (木)

対蹠点は意外な国

Satellite  地球の反対地点【真後ろ】を対蹠点(たいせきてん)といいます。日本の対蹠点はアルゼンティン沖の大西洋上です。外国の方もそれぞれその国の対蹠点は知ってるようです。

 対蹠点=antipodesは地球の中心点を通っての反対地点のため、おもしろいことに対蹠点での元の国の形は東西南北がすべて逆になります。

 正式な対蹠点を求めるには、例えばA地点が北緯であれば南緯になり、南緯であれば北緯になり、度、分、秒はそのまま同じ数値です。ところが経度については英国グリニッチが東経0度であり、同時に西経0度でもあるので数値はそのまま使えず180度からA地点の経度を引くことになります。そして東経は西経に、西経は東経になります。

 有名なのは南太平洋に浮かぶアンティポーズ諸島です。これは対蹠点という言葉をそのまま地名にしました。イギリスの反対側です。昔の航海で重要地点であったことが窺えます。

 このように、世界の対蹠点を調べると意外な所になったりしておもしろいものです。すぐ調べる方法は右手と左手の指一本で地球儀を両端で持てるところです。実際には多くの対蹠点が海になります。

 皆さんは地球儀や地図をご覧にならないでスペインの対蹠点はどこだと思いますか。ハワイの対蹠点はどこでしょう。また、エジプトの対蹠点はどこでしょう。

Photo  答えはスペインはニュージーランドです。ハワイは南アフリカ共和国です。エジプトはポリネシアのツブァイ諸島です。

 以前にニュージーランドの小学生にこれについて質問したことがあります。彼女が即座にスペインと答えたのは驚きましたが、やはり、どの国でも自国の対蹠点については地球上で最も遠い所という意味があり興味があるようです。

 対蹠点の関係にある2つの国【あるいは地点】では互いに面白いことがあります。それは一方の国【地点】が日の出直後で太陽の半分が出たとき、もう一方の国【地点】では日の入り直前で太陽が半分沈みかけています。同時に太陽を半分づづ見ることになります。

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2007年8月 8日 (水)

ユーモアか偶然か~ベートーヴェンの第九

  第九交響曲に謳われた人類愛は混迷続く今の世にも通じるあまりにも壮大なテーマでしょう。ベートーヴェンが詩人シラーの詩に出会ってから曲が完成するまで、実に30年もの年月を費やたといわれます。20代から晩年まで、この詩の偉大さと崇高さに陶酔し作曲を続けたことになります。

 ご存知のように第4楽章に独唱者4人と合唱による声楽が加わります。私は一度、合唱の一員としてバスパートを歌ったことがあります。

 私がかつて担当した生徒さんは高校生の時から30年間、群馬交響楽団の第九演奏会に出演しつづけています。誠に素晴らしく思います。あるいはこのくらい歌い込んでベートーベンやシラーの心境に近づけるのかもしれません。

 【原詩】Freude, schonel Gotterfunken, Tochter aus Elysium,

Wir betreten feuertrunken, Himmlische dein Heiligtum !

Deine Zauber binden wiedel, was die Mode streng geteil,

Alle Menschen werden brudel, wo dein sanfter Flugel weilt.

 【訳】喜びよ、美しい神々の火花よ、天井の楽園の乙女よ、我らは炎のように酔いしれて、崇高なあなたの声域に入るのだ。あなたの魔法は時流が厳しく切り離したものを再び結び合わせる。あなたの柔らかな翼のとどまる所で、すべての人々は兄弟になる。

 旋律は比較的簡単に口ずさめる歓喜の歌です。30年費やして考えついたこの旋律は単純な音符の連続で作曲されてます。偉大な作曲家であるからこそ「単純の中に美を発見してる」と言えるかもしれません。

 ベートーヴェンはこの歌を【ドレミファソ】の五音のみで作曲してるのです。残りの【シ】と【ラ】を使ってません。それであっても、人々に2つの音が抜けてることを全く感じさせないところに超人たる所以があるでしょう。

 実は私は以前からベートーヴェンはユーモアのある人だったのではないかと思えてならないのです。というのは、「彼はこの旋律に【ドレミファソ】のみを使っていて、【シ】と【ラ】は一見ないけれど、「作詞者がシラーなので」その意味で【シ】と【ラ】はちゃんと入れてるよ」と言ってるように思えてならないのです。

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2007年8月 7日 (火)

新たな挑戦に遅いことはない

 多くの鳩友の鳩舎では雛の誕生は終わり、種は分離に入ってます。今春生まれた雛はすでに本格的な舎外運動や近距離訓練に入ってる時期です。連合会訓練は今月末に始ります。

 私の鳩舎では2番仔の馴致がやっと始ったところです。馴れるまでは見ていないと下に落ちて猫に獲られます。今朝5時から展望台の上の蓋を開けてやり、鳩自らが外に出られるようにしました。8割くらいの雛は鳩舎の屋根に止まったり、家の大屋根へ行ったり、初めから空を飛ぶのもいました。遅い誕生であっても、来春のレースには十分挑戦できるでしょう。

 ところで、私たち人間は今まで行なったことのない新しい分野に首を突っ込んでの挑戦はなかなかしにくいものです。それは初めから食わず嫌いであったり、若い人の方が進んでいたりするので、つい引いてしまいがちになります。

 一つのことだけに集中して深く掘り下げるのも充実ですし、あるいは窓口を広げ、いろんなことに喜びを見つけるのも幅が出ていいと思います。この場合、どれも物にならないことも起こるでしょうが、ある点まで到達すれば結構楽しめるものもあるのではないでしょうか。

 私については何事も始めるのが遅かったです。元来、性格的におくてなのです。鳩レースは29才、ピアノは17才、ギターは34才、中国語は42才、本格的水泳は25才からで、これは日本赤十字社の水難救助員の資格に挑戦しパスしたことがありますが、最近はあまり泳いでません。スキーは35才からでした。白根山から振り子沢を通って草津の町まで滑り降りた楽しさは忘れられません。どれも真似ごとの範囲ですが、それでも十分に楽しいものです。このうち他より一段上で楽しめるものは鳩レースとピアノでしょう。でも時にスランプに入ります。

  鳩のお陰で内モンゴルへ行き交流できたり、英国ピクトリアル誌に掲載されました。ピアノは今でも時々ホームコンサートを開き、皆さんに聴いていただいてます。

 一般的に60の手習いなどといいますから、何才になっても、人間生きてゆく限り、新たな「夢と好奇心」を持ち続けねばならないと思います。私は今、一つの夢を持ってます。

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2007年8月 6日 (月)

メリハリある生活したい

 梅雨明けが遅くとも、その後は夏らしい日々の到来、毎日、蝉が鳴いてます。鳴いてもうるさく感じないのはどうしてでしょう。比較的、暑さに強い私には子供の頃や、インド時代が思い出されます。

 小学生の頃、どうしたことか学校があまり好きではありませんでした。このため夏休みほど嬉しいことはなく、よく遊びました。町にプールがなく、利根川の支流である烏川へ泳ぎに行きました。川岸は子供たちでいっぱい。浮き輪もないので家から大きめの板を持って行き、浮かべてそれにつかまり、対岸まで泳ぎます。でも川の流れで目的地に着かず、斜めに進んでしまいます。途中、深みもありスリル満点。

 今思うにプールと異なり水に流れがあるので、上流から川に入り、板といっしょに下流まで流れて行くのは努力が要らないので楽しいものです。川の流れに身を任せて進むことは乗り物に乗った感じだからでしょう。山の勾配を利用したスキーやボードに似ています。

 娘たちが小さい時、この烏川で当時飼育していた四国犬とで泳いだことがあります。比較的最近ですから、川ではもう誰も泳いでる時代ではありません。私たちだけです。

 この時、感じたことがあります。川の水は人間の肌にとても柔らかいのです。抵抗感ありません。水温も適温で気持ちは最高。太陽で温まってるのです。これに比較して、現在のプールは衛生第一ですから、水は人工的に作られ硬く感じます。

 日中、かんかん照りであった後の夕立はさっぱりして気持ちがいいものです。昨日の夕刻は一転にわかに曇り、天変地異でも生じたかの如く轟く雷鳴。その後は何もなかったかのように涼しい風が肌をよぎります。このように一日の内でも二面性のある天気はメリハリがあって爽快です。

 そうだ今日は暫らくぶりに高崎駅前「どんどん」でプレミアム生ビールを飲もう。家から5キロ歩いて喉を潤す。これは私のメリハリか。

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2007年8月 5日 (日)

インド人機長に感謝

  私の家から御巣鷹山の麓まで車で1時間半ほどです。場所は群馬県西南部の神流川上流を遡り、上野村の山岳地帯に位置します。あの事故から年数が経過しました。検視にあたった近所の医師も今年亡くなりました。

 近年、下仁田町から上野村へ念願のトンネルが開通し、上信越自動車道下仁田インター下車により、以前よりアクセスは楽になりました。トンネル内は上り坂、4分ほどで上野村の高い地点に到達します。

 群馬県に住んでいるので是非、お線香をたむけたいと数年前、一度、一人で訪れました。樹木に覆われた尾根のようにところです。釣鐘がありましたので鳴らし、昇魂の碑の前で深く一礼しました。山奥の静かな所です。多くの尊い命が奪われ、どんなにか無念であったことでしょう。

 実は、私は昔、飛行機で危機一髪を経験したことがあるのです。インドのオリッサ州カタックから「フレンドシップ」という双発プロペラ機に搭乗した時のことです。50人乗りほどの小型機です。ベンガル湾上にサイクロンが接近で、出発が予定より一日延期になりました。それでも翌日、悪雲垂れ込める中にもかかわらず、私を乗せた「フレンドシップ」はカルカッタに向け出発してしまったのです。

 「フレンドシップ」という飛行機は主翼が座席の窓より上についてるので主翼のすぐ下にいた私は主翼やプロペラを下から見ながら外を眺めていました。離陸してまもなくベンガル湾上空は雲行きが怪しくなってきました。

 ついに厚い雨雲に突入。窓の外は一切見えません。すぐ上にある筈の主翼が見えないのです。一瞬、物凄い衝撃があり、機体は推定200メートルほど落下しました。主翼が見えないので取れてしまったのかと恐怖のどん底。乗客は皆真っ青、荷物は天井にぶつかり、体が座席から浮いてしまい肘掛にしがみついてもどうにもなりません。Fasten your beltの赤ランプはついたまま、恐ろしい事態は続きました。

 あの時、あのまま機体が落下してたら、どうにもならなかったでしょう。やっとのことで主翼がついているのが見えたとき、助かったと思いました。そして運良く水平飛行に戻ったのです。インド人機長に感謝。それにしても恐かった。 

  この夏、暫くぶりに御巣鷹山へ慰霊登山に参ります。

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2007年8月 4日 (土)

鳩が鳩舎掃除する?

  レース鳩は一年に1度、生理現象のため羽が生え変わります。これは寒い冬への備えと来年の強靭な飛翔力のため、新たな肉体に生まれ変わるのでしょう。換羽は5月下旬頃より始まり、すべて生え変わるのに11月頃までかかるので、およそ半年間、鳩にとっては良い羽が出来るための栄養と適度な運動が大切でしょう。換羽をうまく乗り切れるかどうかは飼い主にとってレースのポイントともいわれます。

 8月、9月は換羽の真っ最中で、100羽以上飼育してると毎日多くの羽が落ちます。清掃は抜けた羽が外部に飛散しないためにも、鳩舎内の空気清浄のためにも基本で、飼育者の私は「いかにしたら抜け落ちた羽が楽に回収できるか」考えてます。

 まず、高齢化対応鳩舎と銘打ってますから、腰を痛めないために塵取りは一切使いません。「前かがみ」の作業は腰と若々しい姿勢を保つには良くないからです。

 羽は概して床の四隅に集まりやすいことを利用し、2階の選手鳩鳩舎では四隅に穴をあけ、鳩が鳩舎内を飛ぶ風圧で抜けた羽はその穴に入っていきます。清掃作業の3割位を鳩たちが行なう結果です。その羽はパイプを通じて1階に落下します。

 1階の床には縁の下のゴミ集積箱に通じる穴があります。やはり塵取りは使わず糞を削った後に履いて落とします。鳩舎に入って気がついたら、いつでもゴミを落とすようにしてますので、掃除はあまり億劫ではありません。また、写真1,2のように細かい青い網を張ってますから鳩舎の周りへの飛散はありません。この網は風通しがいいです。

  糞カキは柄の長さが1メートルの長いものを使ってます。これも腰を曲げないのでいいです。以前に書きましたように流しなど水回りも床から1メートルほど高くしてありますから、水くれや水浴の後の排水は栓を抜くだけで腰は楽です。

 私の鳩飼育は北海道からのレースに勝利することを目標にしてますが、鳩飼いも高齢化時代を迎え、いつまでもこの素晴らしい趣味を続けるには飼い主の心と身体の健康が基本と思ってます。

【写真上から、プロンク鳩舎作スチール号と高塚氏作稚内ブルー号直仔ペアー、浅間山鳩舎作ヤンセン・マタイス系】

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2007年8月 3日 (金)

深夜、谷川岳で見た奇妙な光

2290 【群馬県・天神平・・・背景は谷川岳】

 暑い日が続きます。たぶん湿度があるので不快に感じるのでしょう。そう言えば、最近、不快指数という言葉を聞かなくなりました。どうしたのでしょう。私は寒さに比較すれば暑さはまだ耐えられます。カルカッタで生活してたからかもしれません。あちらは5月で午前11時に42度です。

 暑い時は何と言っても水の近くが涼しいですね。森の中もいいでしょう。近くの群馬の森は私の散歩コースの一つです。皮膚が涼しく感じればいいのですから工夫して自然の恵で暑さを凌ぎたいものです。

 ところで、長女が4才くらいの時、観音山のお化け屋敷へ連れてったことがありま す。入場して5メートルほど歩きましたら、突然、物凄い形相のお化けが現れたのです。血のついた人間の首から上が宙にぶらぶらいくつも浮いてるのです。しかも、キャーという不気味な音つき。小さい娘は血相を変え今まで出したことのない恐怖の声を発し気が狂ったようになりました。私としては二人分の入場料を払ったばかりなのに出るのはもったいないと、暗闇の中で娘を抱きながら困惑しました。

  そこでとっさに思いついたのは、幽霊などお化けが見られないように娘の顔を伏せてやり、屋敷内を通過しましたが、それでも不気味な音や恐怖の効果音はガンガン響き、娘の身体は気絶したかのようにこわばってしまいました。小さい子にとってお化けは本当に恐いのです。

 一方、私は小学生の頃、「火の玉」を幾度か見たのです。その光景は今でも脳に焼きついてます。近くにお寺があり人が埋葬された日などに3メートルほどの青白い尾が燃えてるような形で、薄い光の煙みたいな塊が屋根の辺をすっとゆっくり飛びながら、どこかへ行くのです。昔は風呂が別棟になっていて浴室から外が見えました。今でも薄気味悪い「火の玉」の光景が目に浮かびます。

2355  しかし、近年で最も驚いたことは有名な谷川岳一の倉沢。5月のある日、深夜に友人と麓へ行きました。その頃はまだ遭難者が多かった時代です。5月ともなると埋もれてた遭難者の亡がらが雪解けにより現れる時期と言われます。今でも「あれはいったい何だったのだろうか」ということが起きたのです。二つの薄くらい提灯のような光が10メートルくらい垂直に走るのです。そしたら今度は水平にも走るのです。得体の知れないぼんやりしたその光はしばらく動いているのです。人のいる気配はまったくありません。音は何もしてません。ただ光だけがふわふわ動いてるのです。辺りは真っ暗闇。背筋がゾクゾク。光がこっちへ来たらどうしようと思いました。これは本当に体験したことです。

 涼しくなったでしょうか。

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2007年8月 2日 (木)

涼しかった物見岩山頂

  佐久の浅間山鳩舎を訪問しました。私は以前から掲示板で彼の活躍を存じ上げ、群馬でのオフ会で時折お会いしてました。私の家に来て頂いたこともあります。

 いつかは伺いたいと思いつつ、本日やっとそれが実現できました。群馬・長野県境にあります内山峠に近づくにつれて、くねった道路の急勾配。長いトンネルを抜けると、道路はすぐに下り坂に差し掛かりのどかなコスモス街道です。レイダートラップがあると聞いてましたので、本能的にスピードは控えめになり無事通過。

 成績を残した鳩群を拝見させていただき、持たせて頂きました。筋肉がやらかく立ち姿に敏捷性を感じました。概して、羽が長く見られ中長距離タイプが揃っているように思いました。どうしたことか1羽錦鯉のようなヤンセン系×マタイス系♀鳩をプレゼントしていただき望外でした。

 憧れの小浅間くんにお目にかかり、彼はどうしたことか私の顔を見てずっとにこにこしてくれました。生まれて半年であるのにしっかりした目が印象的で健康そのものです。自然に恵まれた佐久で、きっと22世紀を経験するのではないかと直感しました。中身の濃いいい人生を味わってほしいものです。

   帰路に風呂に入りたくなったので神津牧場近くの「山荘あらふね」に立ち寄り、一人での入浴となりました。浴槽の窓からは佐久高原の山々が迫ってます。私はこのような自然に囲まれた奥山の山荘がお気に入りです。

 風呂から出たらどうしたことか、物見岩に登りたくなり、風呂上りのさっぱりした後なのにわざわざ山登りを始めました。誰もいない木々に覆われた山道。

 内心、熊に遭遇したらなどと小心になりましたが、やがて眺望にすぐれた岩だらけの物見岩山頂に到着。しばらく涼しい空気を胸いっぱいに吸い込み景色を堪能。これからも低中山でいいから頂上に立ちたいと思いを新たにし、同時に、これからいいことがあるかなと我に返りました。

 群馬県に入ってから2時になりました。昼食を食べようと「手打ちそば」の看板が掛かったひなびたお店に入りました。荒船山の見えるそのお店には人のよい年配の女性がいろいろ話しかけてくれ、漬物をいっぱいサービスしてくれました。街中ではないことです。手打ちの「ざるそば」は山登りで疲れた身にはおいしく、まさにHunger is the best saurce.でした。

 浅間山さん本日はお世話様になりました。 

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2007年8月 1日 (水)

こんな楽しいことはない

 夕刻、鳩友のアルカディアさんと二人で高崎駅前・高島屋の屋上ビアガーデンで楽しいひと時を過ごしました。2時間ほどです。何が楽しいと言っても、涼しい屋上でビールをいただきながらの四方山話は楽しいの一言に尽きます。最も人間らしい姿ではないでしょうか。

 本日は関東梅雨明けでグッドタイミング。水曜日とあってそれほど混んでません。それでも私の職業柄か偶然にも数人の方々としばらくぶりに再会しました。

 アルカディアさんとの会話はいつもながら、と言ってもご一緒するのは半年ぶりですが、彼の話の範囲はスポーツから芸術、家族論に至るまで、足るを知るとでも言いましょうか、幅広いのです。こちらがかなりしっかりしてないと、相づち一つ打つにも理解できなくて失礼になります。ところが、私にとっては生ビールがおいしくて、お替りするようになると、折角の彼の有益な話が把握できず、とても申し訳ない状態になりました。

 そうこうしてる内に、近くのテーブルにいた昔の同僚がアメリカの方をつれて私たちのテーブルに同席されました。瞬時に4人で乾杯。アルカディアさんにとって、このような機会は時々おありのようで、普段でもオーストラリアやベルギーのレース鳩関係者と、メールや掲示板、電話で交流されたり、実際に現地へ行かれたりするのですから、本日のように外国の方との突然の交流も何ともないようです。素晴らしい心構えで、見習いたいものです。

 私は普段一人ぼっちの夕食ですから、今夜はいつもと異なり、それだけでも自己を見失いやすく、ましてやアメリカ人との英語会話などアルカディアさん任せでした。

 私は思いました。彼のように外国通であったり、突如として、外国の方が眼前に見えようと堂々とされ、何もなかったかのように英語によるスムースなコミニュケーションが図れ、誠に尊敬に値します。本日のように外国の方との交流はすごく大切と感じました。

 アルカディアさん、楽しい時間を有難うございました。

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