華氏は人間の生活中心
今年の夏は各地で摂氏40度を記録し、昔の日本ではなくなってきた感じがします。気温の測定はあくまで太陽が直接当たらない百葉箱で計測したもので、これは地面から1メートル20センチほどに設置してあり、日の当たる外は50度くらいになってると思われます。
それでも、本日、初めて蝉の声も油蝉に混ざってツクツクボウシが鳴き始めました。これが鳴くと夏も終わりの気配になります。私にはこの鳴声が「オーシンつくつくオーシンつくつく【夏は】もういよーす、もういよーす」と聞えます。夏に別れを告げてる言葉のようです。上空はすでに秋です。
写真は昨日の倉賀野の閻魔堂のお祭りです。父母はよく「閻魔堂のお祭りが来ると朝晩は涼しくなる」と言ってました。暑い暑いと言っても夏至の時に比較して、日の出は36分遅くなってるし、日の入は32分早まってますから、日照時間はすでに1時間以上短くなってます。これは太陽黄道が夏至の90度に対し、現在は約145度になってます。随分、移動してます。
ところで、私たちは40度を異常に暑いと言ってますが、気温の数値を当たり前のように摂氏で言ってます。しかし、昔の日本では華氏のときもあったのでしょうか。私の父は明治29年生まれですが、時々「今日は90度だよ」なんて言ってました。「それじゃ煮えちゃうよ」と私は言ったことがあります。それでも、この数値には正に「うだるような暑さ」の感じがよく出ていたように思います。
私たちは子供の頃から、当然のこととして摂氏を使ってきましたが、「私は個人的には断然華氏がいい」と思ってます。ご存知のように水の沸点を212度とし、氷点を32度としてます。また、人間の体温を約100度とし、0度は人間が生活可能な低温の限界となってます。摂氏ではマイナス18度くらいです。ですから「華氏は人間が生活できる温度の範囲を100等分してる」ことになります。これによると生活しやすい温度は65度くらいでしょう。テストの平均点のようです。摂氏では約18度くらいと思います。このため「華氏は人間生活を中心とした数値」になるので、私には理想的に思えてなりません。私たちは一般的に物事を判断するとき便利なパーセントを広く使ってますが、これと同じになります。
連日、各地から摂氏40度以上が報告されてます。これは華氏では100度を超えてますので「人間が生活する温度でない」ことを示します。
イギリスやアメリカでは華氏のようですし、インドでも華氏でした。しかし、最近では世界的な傾向として摂氏になりつつあるようです。これは沸点を100度、氷点を0度とした科学に基づき、人間より自然中心の観点から、摂氏が便利と思われてるのでしょう。
私は、人間生活の可能な範囲を100等分した華氏はいかにも人間を大切にする測り方で、いつの日か日本でも華氏が使われることを願ってます。
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