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2007年8月16日 (木)

先祖の供養~送り火

 私の家系は代が変わるのに年月がかかります。私は父が50才、母が42才のとき生まれました。父母もそれぞれ兄弟では末に生まれたので、父母も親が年を取ってから生まれたのです。

 このため私の4人の祖父母は私が生まれたとき、すでにこの世にいないわけで、それどころか4人とも江戸時代に誕生していたのです。これではどうにも会えません。祖父母に会うことが出来ていたら昔の話をたくさん聞きたかったですが、それは叶いませんでした。

 先祖について考えたとき、その全員がそれぞれ父母を持ってたのですから、200年位前に遡れば予想を上回る人数が一人の人の先祖数になります。1000年も遡ればとんでもない数でしよう。

 私についても、その何万人もの先祖のうち一人でも欠ければ私はこの世に生まれませんでした。そんな風に考えると、すべての先祖に感謝感謝です。大昔に日本の人口はそれ程いないのですから、「日本人はみな共通の先祖を持ってる」ことになります。こんなことから大きく見れば日本人はみな親戚で、外国人と異なる「日本人独特の顔立ち」及び「同じ言葉を話す」のは先祖が共通だからということが頷けます。

 ところが、私たちの先祖が日本に住みついたのは1000年前どころでなく、その前、何万年も石器時代があり、先祖の暮らしを考えるとき、その殆どつまり99%以上の時代を石器時代に生きていた筈ですから、全く濃い近親状態になってると考えられます。

 本日でお盆も終わり送り火です。江戸時代までは旧暦の7月16日であったようです。現在の暦の場合この日では農家が忙しいこともあり、8月16日に月遅れにしたのでしょう。しかし、これで実際には江戸時代のお盆の時期と殆ど同じになってると思われます。

 今の時期、あちこちで盆踊りが開かれます。浴衣を着ての素朴な踊りで楽しいです。由来は承知しませんが、大昔から続いてると思われます。私の想像の範囲ですが、盆踊りは遠い祖先に感謝し、「今、子孫として生きてる喜び」を全身を使って表現する踊りに思えます。

 ところで、私たちの多くは南無阿弥陀佛を唱えます。釈迦が悟りを開いたといわれるインドのブダガヤを訪ねたことがあります。チベットから多くの仏教徒が拝みに来てました。インドでは朝から晩まで挨拶は「ナムステ」です。これはサンスクリット語から来た現代ヒンズー語です。インド滞在中、私も人に会うと必ず「手を合わせて」どれほどこの挨拶をしたか数え切れません。インドの方は街角にいる牛に向かっても、やはり合掌して「ナムステ」を言います。その度に思いました。もしかして、これは南無阿弥陀佛の念仏に関係があるのではないかと直感しました。

【写真は私の家の菩提寺にあるもの】

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