ビドロはラベルの勘違い?
以前にロシアの作曲家ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」について書いたことがあります。ムソルグスキーの友人で画家のガルトマンが39才の若さでこの世を立ち、残された絵画の遺作展が開かれました。展覧会場を訪れたムソルグスキーの落胆振りは大変なものだったと伝えられてます。そこで彼はガルトマンの絵を音楽にすることを思い立ち、10枚の絵に曲をつけました。ですから絵の題名と曲名は一致し、ムソルグスキーはピアノ曲として作曲しました。
近年、作曲家・團伊玖磨氏はこの曲の原画となったガルトマンの絵が今でも保存されてるのではないかと、ロシアの美術館や関係する学校などへ探しに行きました。昔のことで当時の関係者は生存してません。10枚の絵がすべて見つかったわけではないようです。
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彼が疑問に思ったのは「ビドロ」という音楽です。ビドロという言葉は「牛車」という意味があり、大平原を行く2頭立と思われましたが、残念にもそれに相当する絵画は発見できなかったのです。
ご存知の通り、この「展覧会の絵」の音楽は元々が色彩的な絵画ですから、ピアノよりもオーケストラでの演奏がより効果があると考えられ、後に多くの音楽家が管弦楽に編曲しました。中でもフランスのラヴェルのオーケストレーションが群を抜いて有名です。
ところで、私たちが原曲であるピアノ曲を聴きますと、大平原を行くのどかな牛車の雰囲気というより、もっと重々しく、暗いイメージを通り越して、悲痛な叫び、痛々しい悲惨なことのように感じられます。もしかして、【團伊玖磨氏は原曲の必要以上に暗いイメージを不自然に思い、原画は「本当に牛車だろうか】と確認するためロシアへ行かれたのかもしれません。
つまり、原曲のピアノ曲と、ラヴェルのオーケストラ版がイメージにおいて相当の差が出てしまってるのです。ラヴェルは牛の鳴き声としてチューバを使い、その雰囲気をよく出してます。彼はビドロの意味を「牛車」と解釈しオーケストレーションしたのでしょう。もしかして、これは原画と異なってる可能性が考えらます。
團伊玖磨氏がロシアで見たガルトマンの絵に牛車の絵画は発見できず、その代わり、民衆が苦しんでる絵画、傷ついた人々の絵画が数枚あったといわれます。
後に「ビドロ」という言葉には「牛車」という意味の他に「苦しみ」という意味もあることがわかり、最近ではガルトマンの原画は「民衆の苦しみ」の絵画ではないかと考えられています。年代や国を考えるとラヴェルはガルトマンの遺作展を見てないことになります。因みにガルトマンの生涯は(1834~1873)であり、ラヴェルの生涯は(1875~1937)です。
暫らくぶりに「展覧会の絵」をピアノ版とオーケストラ版を聴きたくなりました。
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