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2007年10月

2007年10月31日 (水)

山に登り遠方を見る

  最近、私の目の疾患についてブログに載せたことがあります。右目に問題が生じてます。焦点のすぐ右に盲点のように見えない部分があるのです。例えば、左目を閉じて、この文章の始めにあります「最」の字に焦点を合わせると「近」から「私の目」の字が見えないのです。時計の中心を見ると3時の数字が見えません。2時と4時は見えます。

 実生活では左目が補ってるので見えていても、両目で見えてるより半分のパワーでしよう。近年、日本語の文章は横書きが多く、英文や楽譜も読む方向は左から見難い右へと進んでいくので、この不都合を医師に治療してもらいたいのです。

 この半年間、検査で「異常なし」言われ、結局4つの眼科を受診しました。最後は大学病院です。3つ目の眼科では待合室にいましたら、壁の掲示に第2オピニョンを紹介しますとありました。一瞬、この眼科は何だろうと思いました。第2オピニョンとは医師の方から先に提案するのでなく、患者の方から求めるものと思っていました。

 案の定、当院では分からないといわれ紹介状を頂きました。それにしても、この眼科では受診するたびに担当医が変わるので、その度ごとに症状について同じ説明をしなくてはなりません。医療費の点からも効率の悪さも感じます。あげくの果ては他の病院へ行って脳の検査であるMRIを撮影してくるように言われ、撮りに行きました。

 数日後、紹介状を持って大学病院に行きました。検査検査で1日中かかり、それでも4分の3は待合室です。ここでも初診日に担当医師を紹介され安心しました。その日はいろいろ訊かれて診察を受けました。結局、日を改めて精密検査することになり、その日は帰りました。1週間ほどして精密検査当日は1日中検査です。

 しかしながら、初診日に紹介された担当医師は顔を見せません。この日は別の医師による診察で不安になりました。夕方になって今度はヘッドと思われるまたもや別の医師の診察です。初めに紹介された医師は何だったのかと思いました。結局、検査では特に異常は発見されないというのです。

 患者である私は明らかに右目に見えない部分があり困ってるのです。それを信じて治療方法は無いのでしょうか。検査で引っ掛からなくても現実に疾患があるのです。

 振り返ると4つの眼科医院及び別の医院でのMRIなど医療費はかさみました。しかし、結果的に全く治療はありませんでした。

 これを考え、一般的に言って現在の医学では、眼科の分野は他の診療科目に比較して遅れをとってるのか、あるいは何が何でも治療してみせるという意気込みを持った医師が少ないのでしょうか。

 私が自らできることは起床時に目を洗うこと、山に行ってできる限り遠方の山々を見て焦点を合わせてみたいと思います。

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2007年10月30日 (火)

「蔵人」で聴くグラズノフの名曲

 夕刻、音楽喫茶「蔵人」に行きました。築明治10年の蔵を改造した室内は太い丸太の梁が縦横に走り、俗世間とは趣を異にする雰囲気を漂わせています。音楽に耳を傾け、英国紅茶を飲みながらのお喋りはcloud nineのリラックスした気持ちになります。ここは「蔵人」(クラート)なので音が似てます。

 本日は家から持参したCDをマスターにかけて頂きました。曲は先日ブログで触れましたサックスの名曲、近代ロシアの作曲家グラズノフの協奏曲です。晩年を過ごしたフランスで作曲されたといわれます。

 サックスはベルギーで生まれフランスで発達した楽器のためか、彼は当時、クラシックサックスの最先端であるフランスでこの楽器の魅力に触れ、この曲と「サックス四重奏曲」の古典的名作を残しました。

 作風は弦楽のユニゾンで始まるロシア的序奏。雰囲気はどちらかと言えば暗く重厚に響き古典的です。続いてアルトサックスによるこれまたロシア的な旋律が始まり、曲は徐々に速さを増し、高音からのアッチェルランドな半音階で下降、一段落します。

 その後出てくる歌曲的なテーマはサックスの気まぐれ的持味が発揮され、人の声とも相通ずる心地よいビブラートが心を満たしてくれます。

 ところで、気さくな「蔵人」のママさんは最近行かれた北軽井沢の紅葉について、その色彩の鮮明さに感銘されたようです。私はママさんの話とグラズノフに酔いしれ、時間の経つのを忘れてcloud nineの心境になりました。

 近年、私はピアノに向かってることが多くなりましたが、時々はソプラノサックスを吹いて、青春に戻るのもいいでしょう。ゴールドプレートのセルマー・ソプラノは音の通りがいいので広い会場で吹いてみたい。

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2007年10月29日 (月)

4羽のレース鳩を荒船山頂から放す

   朝6時に家を出て長野・群馬県境に聳える荒船山(標高1423m)へ向かいました。同行者はサミュエル・ドットさんと4羽のレース鳩です。8時15分頃から登り始めた山道は初めは歩きやすかったが、思わぬところに台風9号の爪痕が見られ、大規模な土砂崩れのため頂上への道が寸断された危険な状況で、引き返すことも検討したほどです。

 それでも危険な道無き道をロープを使って迂回し、4羽のレース鳩を入れた欧州籠を持って滑りやすい岩盤の難所を通り過ぎました。馬の背の ように左右が絶壁の所が何度もありハラハラですが、持って生まれた責任感(?)からか、どんなに滑りやすい危険箇所であってもレース鳩の籠を手から離すことはありませんでした。

 このため、予想以上に時間がかかり、断崖の上にある艫岩(ともいわ)に到着したのは11時でした。写真左、私の後ろは足がすくむ200メートルほどの絶壁です。レース鳩をここから飛ばせば飛ぶ姿がよく見えると思ったのですが、より高い位置がいいと思い、結局、ここから更に南に位置する行塚山山頂まで頂上台地を、また1時間歩き、またもや急勾配の難所です。それでもやっとのことで行塚山山頂に着きました。時たま登山客から質問され、「何がその籠の中に入ってるのですか。」と訊ねられましたが、その度ごとに「レース鳩です。」と答えました。皆さん、驚いた様子でした。

 あまりにも歩いたので腹ぺこぺこ。頂上では、おむすびやサミュエルさんの作ってく れた温かいラーメンを頂きながら、籠の中で揺れてきた鳩たちを休ませました。

 4羽のレース鳩はいずれもレース経験鳩で、距離900Kある北海道・羽幌から翌日我が家に帰還した「ブラック号」を始め、ゴールデンベル孫など俊鳩ぞろい。行塚山山頂は樹木に覆われて飛ばし難い環境でしたが、1羽ずつ木々の間から放しました。木々を通り抜ければ、そこは海抜1400m以上の高い空、次々に放したので一緒に飛んで行きました。

 もしかして荒船山艫岩の南に聳える行塚山山頂から鳩を放したのは多分私が初めてでしょう。この4羽はすべて2週間前の四阿山(あずやまさん)から放した鳩なので今回は比較的簡単に我が家への帰還が予想されました。それでも、山岳地帯は鷹など猛禽類の棲み家、きっと猛スピードでそれらの追撃をかわし、人間には分からない命がけで、生まれ故郷の倉賀野へまっしぐらに飛翔したのでしょう。

  今回の荒船山は台風の爪痕で思いの他、荒れた登山道に苦労しましたが、籠を持っての合計7時間の山登りにはさすがの私も疲労困憊となりました。帰路に「荒船の湯」で疲れた足を休ませました。凄くいいのんびりした日帰り温泉でお薦めです。露天風呂でサミュエル・トッドさんと一日を振り返り、笑いの中に苦労が飛んでいきました。なお、4羽のレース鳩は無事に我が家に帰還してました。この4羽は来春、親鳩として卵を産ませ北海道から帰る選手鳩の育成をめざします。

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2007年10月28日 (日)

明日は4回目の荒船山登頂へ

  ピアノを弾いたり、レース鳩の舎外や訓練をしたり、庭木の手入れで忙しくても、明日は上信国境近くの荒船山に登ります。同行者はサムュエル・トッドさん。つい先日も四阿山(2354m)に連れてっていただきました。

 彼は私の英語の先生であると同時に世界経済について造詣が深い方です。その幅広い生き方の中にあっても登山の指導者としてはこれまた一流です。彼はニュージーランドが第二の故郷といえるcosmopolitanで、それはニュージーランドで現地の高校生に授業をされてた職歴をお持ちです。

 このようなことから現在はたまたま日本にいるという感じの方で、将来、ご自宅の離れに英語道場を開かれると伺ってます。すでにハードは出来上がってます。この道場の1期生として私は入門を志してますが、果たしてついて行けるでしょうか。ネイティヴの方も来られるようです。

 荒船山については以前に書き込みをしたことがありますが、写真のようにユニークな形をしたテーブルマウンテンです。1423mの頂上は高原のように平で、群馬県側からは確かに荒海を行く大きな船のように見え、子供の頃から不思議な形の山と感じてました。

 船に因んで艫岩(ともいわ)という大きな岩壁が特徴です。その下の断崖絶壁は垂直200メートルほどと思われます。柵はありません。太古の昔、地殻変動が起きたか、あるいは何かの原因で周囲が陥没したと推測できます。人類の誕生以前のことでしょう。

 このようなことから荒船山は地殻的に興味をそそる山で、明日は体力の増強を図ると共に山の成り立ちなど見学してくるつもりです。サムュエルトッドさんよろしくお願いいたします。レース鳩も数羽お供します。断崖絶壁の山頂から放してみたい。無事に我が家に帰れるか。

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2007年10月27日 (土)

ヨン様で盛り上がったアンコール

 台風の接近で風が吹くかと心配しましたが、静かなうちにピアノ・ホームコンサートが開催できました。プログラムは予定通り、モーツアルトのK331のテーマで始め、ヘンデルの「サラバンドと変奏」から順次、「乙女の祈り」まで演奏しました。

 お客様はマイさん、クラートのママさんとKさんの女性3人。弾き手である私は午前中の通し練習(ゲネプロ)よりも本番では自分の意思に近く表現できたように思います。プログラムの冊子がないので、曲の間に説明しました。

 説明しながらの演奏は最近の音楽会における一般的な傾向のようですが、やはり難しいです。演奏に集中という点では解説を入れないほうのが、望ましいでしょう。しかし、ホームコンサートなので説明があった方が聴き手と一体感が生まれ、いいことだと感じます。音楽の聴きどころについて上手く説明できたかどうかはどうでしょう。

 ところで、マイさんとはプログでコメントを通し交流がありましたが、実際、初めてお目にかかれて何か不思議に感じました。ノクターンがお好きのようで、本日は2曲弾きましたのでその点は良かったと思います。比較的お近くにお住まいでこれまた驚きです。英語がお得意のようで今度教えていただきたいと思いました。マイさんよろしくお願いします。

 1曲1曲、拙い演奏にもかかわらず、お3人から拍手を頂戴し勇気付けられ、次の曲へと入れました。それにしてもピアノ演奏は「まな板の鯉」ですからドキドキです。1時間以上1人での演奏は手を抜くこともできず、精神的には孤独なことです。平静を装っても誰にも助けてもらえません。精神的動揺が生じて何かおかしくなっても演奏という時間の流れの中で、自ら立ち直らなくてはなりません。目的をどこに持って行くかによって精神の安定度は変わるようです。内面的に今回タッチを通じて音色に重点をおいてみました。やはり、「ノクターン1番」は回数を弾きこなしてるので、音色についてのコントロールができたように思います。

 ところで、表面的に最も盛り上がりがあったのは何といってもアンコールでした。心では定番の「雪が降る」を用意してましたが、すごくいいのでもう1曲アンコールといわれ、これも私としては定番の「冬のソナタ」を弾きましたら、どうしたのでしょう。Kさんやママさんは感銘されてしまったようで「もう帰りたくない」とまで言っていただきました。女性はいまだ「ヨン様がお好き」であることが再確認できました。

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2007年10月26日 (金)

コンサートを前に群馬の森を散策

 秋晴れとは打って変わって1日中しとしと降ってる日でした。一方、気のせいかもしれませんが、私の場合、高気圧に覆われと体調が何か良くない気がし、曇りの日のほうが楽なように感じます。気象と体調の因果関係は医学的にどうなのでしょう。無関係と言えるのでしょうか。究明したいものです。

 明日は暫らくぶりのホームコンサートです。ホームコンサートといっても家族のいない私ですから、ピアノを鑑賞したい方に来ていただいてます。前日に一所懸命練習して上手くなることはなくても、ポイントとなる音を確かめたり、強弱の対比を図ったり、速さにおいて静から動への柔軟性など、弾きながらもう一人の自分で客観的に聴きながら判断してるのですが、難しいことです。

 「月光の曲」では一見、単調な楽譜であってもベートーベンの青春像を想い、若き日の情熱の再現に挑戦したいです。ベートーベンは湖に映る静かな月の光とは無縁で、もっと深刻な精神状態であったと思われてなりません。月光とは関係ない彼の辛い心境に迫ることができればと思います。

 ショパンの「ノクターン1番」ではピアノ曲というより声楽曲のように音のまとまりであるフレーズを意識し、優しく言葉で語りかけるような表現にチャレンジします。ポンポン弾くのではなく、概ね滑らかにつなげていき、時にポイントの音をあたかも七色唐辛子のように効かせられたらと思ってます。

  明日は台風の影響もあって雨模様との予報です。プログラムは「雨だれ前奏曲」が似合いそうですが、それはまたのお楽しみ。

 夕刻、群馬の森へ行き、しっとりした空気の中を散策しました。樹木にほんの少し彩りが感じられ、表情は微妙に変化を見せながら次第に晩秋に向かってます。まるでベートーベンが散策したハイリゲンシュタツトの森のよう。群馬の森を散策したことが明日のベートーべンの曲に果たしてご利益あるか。

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2007年10月25日 (木)

期待あふれる東京モーターショウ

 写真は上信越自動車道、吉井インター付近下り方面です。陸橋の上でふと立ち止まり下を走る車を見ると、どの車も考えられないくらいの猛スピードで走ってます。乗ってるときはそれ程スピード感がなくても100Kはもの凄い速さであることが分かります。まるで弾丸です。

 正しく車間距離をあけ、刻々と変化する前後の状況を常に確認すべきと肝に銘じました。このように高速道路での車の走りを本日のように客観的に見ると安全のために大変勉強になります。

 現在、私は放鳩車のみで乗用車がありません。放鳩車はホンダアクティーバンです。小回りが効き、荷物がいっぱい積めて、日々の殆どの用はこの車で足せます。レース鳩を積んで個人訓練に行く時は高速道路で軽く100キロでます。しかも税金が安く1日あたり11円、何かと気が楽です。曲がりなりにも四駆なので山道を登るときもぐいぐいです。

 今までに乗った乗用車はレオーネ、ジェミニ、117クーペ(2台)、ロードスターです。

  中でも117クーペはいくら乗っても飽きが来ないのです。乗れば乗るほど味が出る車でした。1台目は新車で購入し動かなくなるまで乗りました。写真は2台目で、現在、富岡市の小金沢自動車さんが保管してます。117クーペは、かつて2年連続してカーオブザイヤーに輝いたのです。

 ところで、現在、乗用車を探してます。まだ、何にするか決まってません。本当の気持ちは性能より型に拘ってます。性能はどれも十分です。ラリーやレースをするのでないので、長距離ドライブが楽にできて型が気に入る車です。型が気に入ってるケイマンは度々見学に行ってます。しかし、型は最高にお気に入りであっても、私が背が高いので乗り降りがスムースにできないのです。毎日のことなので楽に乗り降りできることも大きい要素です。

   最近、ゴーンさんが意気込んでます「GTーR」を東京モーターショウでぜひ見学したいのです。もうすぐ月産200台で12月から発売といわれます。東京モーターショウでは、たくさんの銘車が自分の目で確かめられ、私に適した車に出合うかもしれないワクワクした期待感が膨らみます。東京モーターショウに登場する数々の銘車は近未来の車でしょうが、現実に発売されるものもあるでしょう。ぜひ、いい車に出合いたいものです。しかし、私には車の他にもう一つ大切なことがあるのです。

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2007年10月24日 (水)

男性の弾く「乙女の祈り」も乙なもの

Photo  人前で正式に行動することはいつになっても緊張するものです。結婚式や葬儀、職場など大勢の人前でのスピーチ、音楽会での楽器演奏、また大事なスポーツの試合などです。特にスピーチやピアノ演奏は一人なので、日頃の精神的な鍛錬がものをいうように思います。

 しかし、何の道でも大家となれば、あるいは緊張を楽しみ、それを与えられたラッキーな場面と捉え、逆に聴衆を手玉に取るところまで自己表現できるのでしょう。

 あと3日後に迫った私の「ピアノ発表会」。殆ど弾ける曲であっても、練習なのに弾いてる途中、あれっと思い、特に左手に迷いが生じる時があるのです。いつも弾けてるのに瞬間的に分からなくなるのです。音楽は時間と共に進むので、さあ大変。

 例えば「乙女の祈り」など乙女の経験がない私が弾くのですから、もしかして中性的な、とんでもない「乙女の祈り」になったらどうするのかと余分なことまで考えてしまいます。しかし、男の弾く「乙女の祈り」もあるいは男性から見た「理想の乙女」を表現できるチャンスでもあると考えると気が楽になり、ぜひ、女性に聴いてほしいという気持ちにもなります。

 ピアノ演奏では、まず楽譜通りに弾けることが基本でしょう。でも楽譜通りに弾ければいいというものではないと思います。本の朗読と同様、正しく読んでも棒読みでは聞き手に心が伝わりません。間をつけたり、抑揚をつけたり、登場人物がそこで話してるように朗読してこそ、聞き手がその世界へ引き込まれるのでしょう。

 今回のプログラムでは「月光の曲」など短調の曲が多いので、聴き手の目に潤いが感じられる所まで持って行けたらいいのですが、どうでしょう。あまり高望みはしません。

 一般論として、音楽は文学、絵画などに比較して抽象的な芸術といわれます。しかし、私は思います。悲しいことにかけては音楽は言葉以上に感傷的で具体性を持ってると感じます。

 世界では毎日5千人もの幼児が亡くなるといわれます。「悲愴ソナタ」では「愛しの我が子を病や戦争、飢餓で失った若い母親の嘆き」を思い、平和の尊さを表現できればと思います。

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2007年10月23日 (火)

滝廉太郎作詞作曲「秋の月」

Tsuki  今夜は十三夜のお月見です。日頃の慌ただしさから離れ、しみじみ月を眺めてみたいものです。先月の中秋の名月も今夜の十三夜も例年天気はいいようです。好きな人とのお月見ならいいですね。気持ちが一つになります。

 人類が誕生して以来、テレビもラジオも電話も携帯もパソコンも車も水道も電灯もなかった時代が99%以上を占めるでしょう。こんな時代が考えられないくらい長い年月続いたことを想像すると、周囲の建物も低く人々は夜間、現代よりもきれいな星座の動きや月の満ち欠けこそは、つい目に入る身近なことであったと思われます。このため、大昔から明治の初めまで太陰暦が続いたのでしょう。太陰暦(旧暦)の明治5年12月3日を太陽暦の明治6年1月1日にしたと伝えられます。

 月に関して、よく注目されるのは十五夜と十三夜ですが、一方、私が子供の頃は11月頃、十日夜(とおかんや)がありました。これは収穫祭の一つと思われ、私も子供の頃、藁鉄砲を作り地面を叩いてモグラを追払う仕草をしたものです。陰暦の10月10日です。

 最近、私のブログ内の人気ランキングでは六曜についての記事が上位にきてます。この六曜は現在では結婚式、葬儀、上棟式、車の納車日、開店日に関係するくらいです。

 これに関して、不思議なことがあります。十五夜と十三夜、十日夜については毎年この六曜が必ず決まってるのです。十五夜は仏滅、十三夜は先負、十日夜は先勝です。このため本日は先負ですので、午前は悪くとも午後からいろいろ良くなるでしょう。

 ところで、私が20歳の頃、作曲家・滝廉太郎の妹という方がおよそ90歳の高齢を押してテレビ出演されたことを記憶してます。兄・廉太郎について思い出話を述べてました。その中で、私が注目したのは彼女曰く「兄はとっても月に興味を持ち、よく月の曲を作っていたようです」と仰ってました。

 そう言えば「荒城の月」は日本の名曲といえるでしょう。しかし、私がこんな素晴らしい歌が世にあるだろうかと思う曲は、彼の作曲した組曲「四季」から「秋の月」という歌です。今夜は十三夜を見ながら歌いたいです。

           「秋の月」    滝廉太郎作詞作曲

 光はいつも変わらぬものを ことさら秋の月の影は

 などか人にものを思わする などか人にものを思わする

 あゝ鳴く虫も同じ心か あゝ鳴く虫も同じ心か

 声のかなしき

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2007年10月22日 (月)

シベリアから最後の便りが届く

  学生時代にFさんの存在を知ってましたが、話したことはなかったです。彼と一緒の授業もあったと記憶してます。それは彼が個性的でバイタリティーに満ち溢れ、夏の日は学校のプールでバタフライで泳ぐのを見かけたりして、元気がいい人という印象がありました。

 私がカルカッタ滞在2年目になったら、何と彼は私と同じ職場である日本人学校へ赴任して来たのです。お互い顔は知ってたので、すぐに打ち解け、その後、カルカッタ日本総領事館内の宿舎で寝食を共にすることになったのです。

 職場も同じ、宿舎も同じですから若き日の私にはやっといい友人ができ、内心良かったと思いました。夏休みや冬休みには共にインド国内旅行に行き、オリッサ州ベンガル湾プリーで海水浴をしたり、その後、ニューデリー、タージマハール、何と言っても雪が降るカシミールで新年を迎え、拙いヒンディー語で現地の方々と交流したことは今となっては懐かしい青春の思い出です。

 彼とは帰国後も同様に行き来してました。彼の結婚式では私は司会を依頼されたので、私のときは逆にしてもらいました。こんなことで変わりない、いい友人でいました。

 その後、1年位して彼はヨーロッパで医師をしてるお兄さんに会うためと言い、またもや海外へ行くとのこと、私は内心思いました。「ずっとインドにいたのだから、そんなにすぐに外国に行かなくてもいいのではないか」と思ったのです。しかも、彼に長男が誕生して間もない時でした。何でそんな時に行ったのでしょう。

 出発の日の朝、電話がかかってきました。「今から新潟へ向かう」というのです。えーと思いました。彼は新潟港から船でナホトカへ向かい、それからシベリア横断鉄道でヨーロッパに行くというのです。

 数日してバイカル湖付近から「今ヨーロッパへ向かってる」と楽しそうな列車の旅の様子が葉書で届き、いつ習ったのかロシア文字も書いてありました。それが彼から私への最後のメッセージになるとは思ってもいませんでした。

 1週間ほどして大ニュース。イタリアのフィレンツェ~ボローニャ間でテロによる列車爆発事故発生。こんな広い世界で何で彼がと思いましたが、帰らぬ人となったのです。たまたま運悪く、近くに座っていたらしいです。亡がらが前橋駅に着いたとき、彼の赤ちゃんや私たちは出迎えました。辛い青春の出来事でした。

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2007年10月21日 (日)

レース鳩の血統のみを職業

Dscf0642   現在ヨーロッパの最先端を行く強豪鳩舎を毎年この時期に訪問され、滞在中に撮影された新たな銘鳩のビデオテープが本日Fragrant Mountain鳩舎から送られてきました。私など日本の田舎に住む者にとって、リアルタイムで世界の超俊鳩を音声による解説入りで拝見拝聴できるとは夢のようなことです。お心遣いに感謝しなければなりません。

 レース鳩は血統の競技といわれます。これは海外から入った言葉で、英語ではPigeon race is the blood sport.といい、卓越したレース記録を保持する先祖から受け継いだ頭脳的、及び肉体的遺伝の開花を期待するものです。また、稀に「トンビが鷹を生む」ように突然変異として優秀なレース鳩が誕生しても、それも楽しみの一つで、「まぐれ」もいいものです。

 しかし、それは稀なことでしょう。このため日本にいる約2万人のレース鳩愛好者の殆どはベルギー・オランダを始めとする世界的レースが行なわれるヨーロッパの著名血統に注目し、自鳩舎への導入を図り、今後のレース成績の向上を期待してます。

 現在、ヨーロッパ鳩界との交流がある日本の鳩舎はかなりあると思われますが、多くの場合、趣味の領域で職業は別にあったり、あるいはレース鳩を販売しても、同時にその他、餌や鳩具を扱い、レース鳩愛好家の各種の注文に応じ、大変に助かります。

 しかし、私が交流いただいてるFragrant Mountain鳩舎は「レース鳩の血統のみに的を絞り」他の鳩関係の仕事やサイドビジネスはされてません。類稀な「ヨーロッパ・レース鳩の血統専門家」と言えるでしょう。美人奥様とともにレース鳩の血統を職業とされ素晴らしく思います。

【写真は当舎のスチール号】

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2007年10月20日 (土)

Persimmon Marsh Piano recital

 10月27日(土)に午後2時から拙宅で行う、ホームコンサート「秋のピアノ発表会」プログラムは下記の通りです。   

                                                        

★開幕の音楽はモーツアルトKV331のテーマ

★サラバンドと変奏             ヘンデル作曲

★月光の曲                 ベートーベン作曲

★悲愴ソナタ第2楽章           ベートーベン作曲

                 【ティータイム】    

★ノクターン「遺作」嬰ハ短調       ショパン作曲

★ノクターン第1番変ロ短調        ショパン作曲 

★乙女の祈り                バダル・ジェフスカ作曲

 演奏者はカッキーです。曲目の説明についてはそれぞれ演奏前に簡単に行ないます。ティータイムは別室で20分程度とります。お茶菓子があり楽しい歓談の時間です。

 音楽は何度弾いても同じ演奏にはなりません。今回の私の目標は快い音色・響きに重点をおくつもりです。また、音と音が切れないよう歌のように弾きたいと思ってます。

 すべての曲についていい演奏を心がけますが、特に「月光の曲」と「ノクターン1番」では気持ちを込めて演奏したいと思います。果たして聴く方に心が伝わるでしょうか。

 倉賀野及びお近くで来られる方はお待ちしてます。郵便局の裏で屋根に鳩が2羽止まってる家です。無料です。

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2007年10月19日 (金)

倉賀野神社のお祭りと近郊散策

 本日は倉賀野神社秋の大祭です。早速、参拝に行きましたが、早朝のため一般の人々はいません。昼頃から午後にかけて賑わいを見せるでしょう。さすがに露天商はたくさん来て仕事を始めてました。神殿に向かって今後のことをお願いしましたが、神は叶えてくれるのでしょうか。

 宮司は先代ともども知る方で家を新築する際に地鎮祭で拝んでいただきました。先代は隣接する倉賀野中学校校歌を作詞されました。本日は学校内にある校歌の歌碑を暫し拝見させて頂き、作詞者である先代宮司とともに作曲者である今は亡き私の姉の名を見て、すでに半世紀歌い継がれてきた歴史に感慨を覚えました。

 校歌であっても、芸術の創造は作者がこの世を去った後まで色あせない精神を持ち続け、後世の生徒さんたちへ崇高な理念を訴え続けています。数年前の姉の葬儀では倉賀野中学校校歌を鎮魂曲とし、私は弔問客を前にソプラノサックスを演奏しました。

 神社の裏から西へ散策しますと大鶴巻古墳が聳えてます。早春に一度写真を載せましたが、あの頃は樹木の葉がついていませんでした。おもしろいことに、この古墳のすぐ北に対を成すかのように小鶴巻古墳が存在します。この二つに限らず、比較的近くには浅間山(せんげんやま)古墳など下佐野町にかけて古墳群が散在してます。

 6~7世紀頃と伝えられるこれらの古墳建設には大量の土が必要だった筈です。倉賀野と下佐野の境に位置する付近を見渡しますと不自然に低い土地が広がってます。ここの土を運んで建設したのではないでしようか。

 この他、倉賀野にはたくさんの古墳群が存在していたと伝えられ、現に今でも下町の諏訪神社西にその痕跡が見受けられます。

 中でも奇妙に感ずることは以前にブログに書きましたが、倉賀野の仲町から下町への一帯が不自然に低いです。夭逝した天才画家「かまち」の生家あたりを中心に直径200メートルほどが数メートル低いのです。なぜ低いのかは誰も話題に出しませんが、ここ一帯の土を掘って古墳群を作った可能性は十分にあると私は推測してます。それは倉賀野に山がないからです。ただ言えることは古墳を作るには多量の土を必要とする事実でしょう。6~7世紀のことなので古墳を作った資料はどこにも見当たりません。

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2007年10月18日 (木)

マユミの紅葉の速さに追いつけるか

  1日1日と月日が経つのは早いもので、もう秋真っ只中。ことの他、暑かった今年の夏を忘れかけてます。子供の頃の1年の感覚は長かったようても、年齢と共にその間隔が狭まって感じるのはどうしてでしょう。

 先日、近所のOさんに草むしりをお願いし、樹木の枝の下の部分も切ってもらったので、庭を通る風がスムースに吹き抜けます。どんな樹木でも下の部分をきれいにするとその存在感がでてくると以前に書きましたが、同時に見た目もさっぱりして気持ちいいものです。

 ところで、その晩に草むしりの「ご苦労さん会」を私の家でする筈でしたが、Oさんの奥様が、私の手料理では男手で大変だからと逆にOさん宅に呼ばれ、ご馳走になってしまいました。こちらは庭がきれいになったり、お酒も頂いたりで結果的に一挙両得のようで申し訳なかったです。ご夫妻で山岳家のためでしょうか、心は雄大です。

 来年こそは早めに草むしりの対策を立てたいです。私はどうしたことか腰を傷めやすいので、長い時間は出来ないのです。仕事するには「弘法、筆を選ぶ」といわれ、使いやすい鎌など備えようと思います。シルバーセンターで草むしり専門の方がいるとのことてすから、こちらもお願いし早めに申し込もうと思います。

 ところで、左の写真の実は何でしょう。きれいな白と赤に咲き分ける花木です。この実は小さいりんご位の大きさです。これを薄切りにしホワイトリカーにつけておくと、果実酒が出来ると聞きました。お酒の好きな私はすぐ考えてしまいます。これはボケの実です。

  秋も少しずつ深まり、マユミは日ごとに色づいてます。夏暑かったからでしょうか、今年は調子がいいようで、例年に比較してたくさん実をつけてます。これからどれほど濃くなっていくか楽しみです。

 ピアノの部屋の前にあるので中から良く見えます。マユミが色づくのと私の演奏はどちらが先に熟すでしょう。27日のホームコンサートまで頑張らなくてはなりません。 

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2007年10月17日 (水)

魅力あるクラシックサックスの音色

P1020162 【松沢増保著サクソフォンの歴史より】

 ベルギーのディナン市にはアドルフ・サックス通りがあります。この通りは19世紀初頭に生まれたサックス発明家アドルフ・サックスに因んで命名されたのです。

 この楽器の音色に魅せられ、私が始めたのは17才の時です。初めはテノール、その後、暫らくアルトに転向。現在はソプラノのみ演奏します。知る人ぞ知る日本クラシックサックス界のパイオニア故・阪口新氏について学びました。氏は世界的巨匠マルセル・ミュールのレコードを時たま聴かせてくださり、エチュードはこれまたマルセル・ミュールの執筆によるものです。

http://www.youtube.com/embed/09zb6nogS-g 

 田舎にいてはサックスといえばジャズと結びつく認識だけでしたが、本来は楽器の中でも表情がかなり豊かで、卓越した演奏家による音色は音楽のあるべき理想的表現を有してるように感じます。また、現代の作曲家・木下牧子さんがクラシックサックスの魅力に感銘された話は有名です。

 時代が進み、現在では世界はもちろん日本でも世界的クラシックサックス奏者が生まれ、この楽器のステイタスはかなり知られるようになりました。

 前述のように楽器が発明されたのが遅いため、18世紀や19世紀中頃までの大作曲家には作品がありません。

 それでもこの楽器の価値を見出したロマン派のビゼーは名作「アルルの女」の中で、前奏曲や間奏曲にアルトサックスの独奏を取り入れ大成功を博しています。ご存知の通り、ラベルの「ボレロ」ではソプラニーノやテノールがソロを受け持ち、ムソルグスキー作曲、ラベル編曲の「展覧会の絵」では「古城」でアルトが歌曲風でしみじみした旋律を奏でます。

 20世紀になって、フランスやロシアの大作曲家を中心にコンチェルトが作曲され始め、この楽器のクラシック音楽界への存在が次第に浸透してきました。中でも傑作中の傑作はイベールの協奏曲とグラズノフの協奏曲でしょう。国内外のコンクール課題曲になったり、演奏会で聴く機会が多くなりました。また、ヒンデミットのソナタは、これまたサックスの持つ表現力を遺憾なく発揮した名作でしょう。殊に第一楽章のゆっくりした旋律は、この楽器の持味である音色が心を十分に満たしてくれます。

 ところで、サックスによるチゴイネルワイゼンの演奏には驚きました。

http://www.youtube.com/embed/iWwWEyvPrgQ 

 一般的には特に地方では、クラシックサックスを鑑賞するチャンスはまだまだ少ないです。これは奏者が少ないからでしょう。それでもポスターをよく注意されますと時々リサイタルがあります。

 本日は午後7時から高崎市コアホールにて女流サックス奏者による演奏会があります。暫らくぶりにクラシックサックスの音色に浸れるかとワクワクしてます。その後、高崎駅前「どんどん」で余韻を楽しめたら極楽ですね。「こらっ、カッキー、また行くのか」と聞えてきそうです。

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2007年10月16日 (火)

「一瞬これだ」と心が決まる

 私の家は21世紀と共に新築しました。住んでみれば早いものでたちまち7年の経過です。近所に住む昔かたぎの大工さんに建設を依頼したためか、今のところ具合の悪いことが全く起こりません。建築後、中越地震という物心ついてから最大級の地震を経験し、当地も恐いほど揺れました。しかし、何事もありませんでした。

 この地震は本当に凄い揺れでしたが、壁にひびが入ったり、瓦が動いたりしなかったです。建築中、失礼のないように出来るだけ、その工法について観察してました。木造日本家屋ですから、骨組みはすべて木材です。

 ご承知の通り、近年は設計図を入力したコンピューターによるプレカットなので、弛みのない精密な組み立てが出来ます。施主である私の考えた設計図通りに、機械が柱や梁を刻み込み、棟上式ではピッタリ組合わさります。

 従来にはない、このプレカット工法により、今までの日本建築より骨組みに関しては、ずっと頑丈になったと考えられます。私が大工さんにお願いしたのは「土台は高く」「柱は丈が長いもの」「屋根は日本瓦で地元・藤岡瓦」の3点です。

 それ以外はあまり希望を言いませんでした。施主であっても素人の私があれこれ言うより、経験豊富な家作りのプロに思い切り腕を振るってもらったほうが結果的にいいのではないかと考えました。

 これ以外に「今でも概して住みやすいのは大きな理由があります。」

 それは家の間取です。ご存知のように、最近ではあちこちにモデルハウスが立ち並んでます。実は各地のモデルハウスをたくさん見学に行きました。県内はもとより新聞広告を見て茨城県まで行ったこともあります。生涯で一度の最も高価な買い物ですから、悔いが残ったら後の祭りと思ったのです。

 その結果、数あるモデルハウスの中に一目ぼれした間取がありました。当時、家内と「これいいね」と頷きました。まるで生涯に一度の人に巡り会った感じに似てます。南にある玄関を入って、正面から裏庭が見え、すぐ右に廊下があり和室が2間続き、そして左が広い洋間なのです。

 なかなか間取が決まらなかったのに、「一瞬これだ」と心は決まりました。その気持ちは今も変わらず、あの時の閃きは今に繋がってます。

 間取が決まったときのように、「一瞬これだ」と心に決まることが起こってほしいと願ってます。

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2007年10月15日 (月)

体調維持にはスパイスか

 三度三度の食事の内容について、栄養的観点から良し悪しの判断を誰にもしてもらえない私にとって、BMI=22のキープ、体調の維持管理を正しくしたいと思ってます。

 食事のモットーを「量は少なく種類を多く」にしていても、なかなか種類を多く摂取するのは難しいものです。買い物をするにも少しずつ、いろいろを購入するのは買い難いです。

 しかし、栄養バランスの観点から、スーパーではいろいろ混ざってる煮物などがあり、これは効果的です。好きだからと言ってある一品を多く摂取するのは栄養的にアンバランスと感じるので、できるだけ内容が多種の食品に目をやるようにしてます。

 私の朝食は概して日本食です。圧力釜でご飯を炊き、味噌汁を作ります。おかずは海苔や納豆、きゅうりで、味噌汁の具は葱や茄子です。一杯分作るのですからあまり具が入れられません。昼食はうどん乃至はそばです。てんぷらなど脂肪分は入れません。夕食は大好きなビールを1本、そして大好物のお刺身、さといも、人参など野菜を摂り、主食はいただきません。私の場合、主食をとるとBMI=22は必ず上昇してしまう運命にあります。

 最近、私が重きを置いてるのは香料・スパイスです。20代前半、カルカッタに滞在中、お抱えの料理人が作ってくれた物は大体カレーのようなものでした。カレーに含まれる薬効成分のためかどうかは確認できなくても、毎日暑いのに体調は良かったように思います。インドでは先人の智慧により、このようにスパイスの効いたものが各家庭に伝授されてきたのでしょう。

 私の中で暫らく眠っていたこの体験が目を覚まし、朝食には時々カレーを頂いてます。スーパーにはいろいろの種類のものがあり、誠に助かります。「カレーはスパイスの王様」といわれる通り、こんなにスパイスが入ってる漢方薬的食品は他にあまり例を見ないでしょう。食欲を刺激することもよく知られてます。

 昨日、標高2354メートルの四阿山に登っても、不思議なことに1日経った本日も疲れてる感じはないです。原因はもしかして朝食にカレーを食べて行ったからか、と思い返しています。大リーグ・マリナーズのイチロー選手は毎朝カレーを召し上がるとのこと。あの走力をはじめ機敏な動きは日本が誇る天性でしょう。それを引き出してるのは奥様による毎朝のカレーも大きな原動力ではないかと感じてます。  

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2007年10月14日 (日)

四阿山山頂で国際交流

 ついに憧れの四阿山(あずまやさん)2354メートルに登頂しました。群馬県内の山々に登って、遠方からこの四阿山を眺めていました。いつかは登りたいと心に決めつつも、なかなかそのチャンスに恵まれず、今回、サムュエル・トッドさんのお陰で標高の高い山に登れ、生涯い忘れぬ体験となりました。

 

 同行者はサミュエル・トッドさんと彼の同僚Tさん、Tさんの友人で中国のRさんSさんご夫妻と私です。おっと失礼、これに加えて私のレース鳩4羽です。

 

 山頂へのルートはいろいろあっても、私たちは茨木湖側からのアタックとなり、初めに童心に返る楽しいゴンドラで標高を稼ぎました。ゴンドラ料金は往復1100円、15分程度の空中散歩は色づき始めた紅葉や茨木湖を眼下に見下ろし、同時に気温の下がった空気に触れ始めました。

 

 ゴンドラを降りると標高はすでに2050メートル、涼しさと寒さとの中間的気温。以前に登った本白根山や横手山の雄姿が微笑んでいます。

 

 いよいよ、ここからリュックを背負い、一面、熊笹に覆われた一本道を登り山頂をめざします。道は思ったよりも歩きやすく、途中で休憩、ここで驚いたことがあります。

 

 私は小休止のつもりでしたが、中国のRさんがりんごをたくさん剥いてくれるのです。そんなに食べられないと申し上げても剥いてどんどん配るのです。結局、りんご1個分くらい食べました。せいぜいウーロン茶を飲む程度と思っていたのに、ずいぶん腹ごしらえとなりました。実はRさんは医師とのことで、りんごの成分が疲れたとき身体にいいと教えてくれたのです。

 

 途中、下を見ると恐い馬の背のような急峻な所にクサリが2ヶ所あり、真剣にならざるを得ません。その後、まもなく長野・群馬県境に位置する景色抜群の山頂に着きました。山頂は比較的広く、暫し360度のパノラマを堪能です。いよいよ楽しい語らい中に昼食。ここでも驚きです。次から次へと中国料理をたくさん振舞ってくれるのです。食べきれぬほどです。しかも、私の大好物のビールまで提供してくれました。これには乾杯(完敗)です。

 

 これを拝見し、私は何か民族性の大らかさを感じました。「食べて食べて」と、どんどん取ってくれるのです。以前に内モンゴルに行ったときの中国の方たちの歓待ぶりを思い出しました。中国風餃子や豚足はお腹がいっぱいになりました。暫らくぶりに私の拙い中国語も蘇り、楽しく国際交流ができ、また、いつか山へご一緒したいと思いました。素晴らしい中国の友人を連れて来ていただき、Tさんには本当に感謝しております。

 

 ところで、連れて行った4羽のレース鳩は、大きな籠を持ってゴンドラや急峻な山歩きを2時間するのは無理と考え、四阿山の麓で我が家に向け放しました。鳩たちはぐんぐん高度を上げ雲間に見えなくなりました。鳩舎に無事到着が確認でき、またもやレース鳩の帰巣本能について神秘を強く感じました。明日はおいしい餌を与えます。

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2007年10月13日 (土)

何気ない会話こそ楽しい

 1日1日と日没が早まってる秋です。何となく夕方は寂しく感じてなりません。私には家族団らんの夕食がないからでしょう。それでも近くのスーパーへ買出しに行きます。本日はスーパーと同じ所に本屋が開店したので駐車が出来ないほどで混んでいました。

 スーパーに行ったついでに、今回、市から届きました健康保険証が小さくて、カードと同じ大きさで、しかも薄っぺらになり、失う可能性が出てきました。このため本屋で保険証入れを探したのですが、適当な物がありませんでした。自分で作製するつもりです。

 開店でいくら混んでいても知人とはほとんど会いません。不思議なことです。知らない方ばかりです。同じ日本人でも私たちが日常接してる人は九牛の一毛で、ほんの一握りなのですね。

 こんな砂漠のような社会であっても、人として大切なことは可能な限り言葉を交わすことではないでしょうか。自動販売機が多い上に、スーパーでレジ係とお客が顔を合わせてもほとんどの方は黙ってます。私はなるべく声かけるようにし、他のお客が少ない時は、冗談の一つも言って、お礼を述べ帰ります。

 本日は5時まで任務であったレジ係の女性2人が仕事から解放され、外のベンチでリラックスしてました。案の定、この女性たちから声をかけられました。私も楽しく話しました。やはり、日々そのように何気なく声をかけてると、先方からも声をかけてくれるもので楽しくなりました。今夜も一人での夕食が始りますが、レジ係の女性たちのお陰で何だか愉快な気持ちになりました。

 明日は上信国境の四阿山(あづまやさん)登山です。サミュエル・トッドさんが知合いの女性2人をお連れするとのことで、中国の方も同行されるようです。多少でも中国語を通して有意義な交流ができたり、暫らくぶりに高山の自然を満喫できればと期待してます。

 また、明日は四阿山・標高2354mの頂上から4羽のレース鳩を我が家に向けて放す予定です。直線距離は約70キロ、標高が高く厳しい山岳地帯から無事帰還するでしょうか。 

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2007年10月12日 (金)

鏑川の下流を散策

 ここは群馬県西部を流れる鏑川(かぶらがわ)と烏川(からすがわ)の合流地点で、写真は鏑川最後の流れです。私の住む倉賀野町の南東に位置する木部町です。水がきれいなので子供の頃よくここで泳いだものです。先日の台風では記録的な豪雨があり、鏑川の上流に位置する南牧村、富岡市、吉井町などでは生活道路の分断や崖崩れ、家屋への浸水がありました。水はすべてここへ流れてきたのです。現在、流れは穏やかです。

 ご覧のように、ここは推定300羽程と思われるカワウの生息地です。ときどき水面すれすれを群れをなして飛行し、これだけの数が川に潜ると魚も一網打尽ではないでしょうか。人家から離れていて安心でカワウにとって聖域でも、自然の掟があるようです。観察してると時々猛禽がカワウに狙いを定めて飛来するのです。すると、一斉に飛び立ちますが、そんなことがあっても、その後も水面をすれすれに飛んでいて、平和的、まさにサンクチャリーです。

  写真は土手の上から撮りましたが、昔は土手がなくこの地域も水害に見舞われたのです。母はこの近くで生まれ育ち、氾濫して本家に逃げたことや、「ほうき星」を見に母親に連れられて鏑川に行ったことを生前話していました。今で言う「ハレー彗星」です。このときは大きく見えたようです。昔からこの鏑川へはたくさんのアユの遡上があったとも話してました。

  こんなこともあり今でもカワウが生息してるのでしょう。カワウはアユを好むようで、現在ではアユの放流や遡上には天敵であるカワウ対策が必要でしょう。

 私にとって、この川辺の土手を歩くのは景色も空気も良く、明後日に迫ったサムュエル・トッドさんとの「四阿山」登山への小手調べとなります。   

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2007年10月11日 (木)

人間の言葉が分かるレース鳩

 今まさに天高く馬肥ゆる秋。レース鳩にとっても天高い舎外運動は気持ち良さそうです。現在の日出時刻は6時前です。全鳩ほぼ同時に出舎させてやります。8月生まれの10羽ほどの雛も先輩たちに混ざってようやく大空を飛べるようになりました。

 人間には決して真似の出来ない大空への飛翔を卵から孵って僅か2ヶ月足らずで出来るのですから大したものです。しかも、飛んだ後、人間の作った鳩舎に戻るのですから、他の鳥類と習性が異なり、それも可愛いものです。

 約1時間の舎外運動が終わったら、鳩舎の屋根や隣近所の屋根に止まる悪い癖をつけないことが大切です。近所に迷惑をかけることがあってはなりません。同時にレースで遠方から帰還したら一刻を争って鳩舎内に入らなくては記録されません。鳩レースは鳩舎がゴールですから、日頃から飛び終わったらすぐ鳩舎に入る習慣が肝心です。

 ところで、私はレースだけでなく舎外運動のときから、鳩を鳩舎へ呼び込むに「ハウス」という言葉を連発してます。犬の場合や、サーカスの猛獣使いは檻に入れるとき、この言葉を使ってるようです。私はこれを真似してみたのです。「ハウス」という声は喉から息を出すので動物的で、あるいは鳩に分かりやすいかも知れません。

 一方、鳩舎のことは英語でLOFTですから、「ロフト」「ロフト」と発したこともありますが、全く反応しません。「ハウス」を聞くと到着台にすぐ降り、効果てきめんです。

 言葉を覚えさせるには毎日繰返し、その後、必ず褒美を与えなくてはなりません。空腹の状態で「言葉→反応→褒美」の結びつきがポイントに感じます。レース鳩の場合も褒美とは餌ですから、基本は空腹の状態で繰返し教え込むといいと思います。躾けはもちろんのこと、健康面から考えても人間と同じで、夕食は満腹であってはならないと思われます。

 私は毎朝、大きな声で「ハウス」「ハウス」と叫ぶので近所の方々は、「カッキーもいよいよ、どうかしたのではないか」と思ってるかもしれません。でも近所の屋根に止まらないためなのです。

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2007年10月10日 (水)

新たな隠し芸ができるかも

 今日は目の愛護デーです。最近は目についていろいろ考えてます。目が二つある意味はいろいろあるでしょうが、本来、目に限らず人体は左右が対照にできているという不思議さがあります。体の真ん中に線があるように、表も裏も左右対称です。

 また、動作に関しても一般的に目の瞳以外は左右別々な動きが出来ますね。特に手足は天才的に別々な動きができますし、指もそうですからピアノは左右別々に異なることが弾けます。もちろん顔の表情だって左右が変えられますし、肩も別々に動かせます。

 しかし、目についてはウインクのように開いたり閉じたりのみ別々にできますが、瞳については別々な動きはできず常に同じ方向に動きます。あるいは寄り目をすればその動きは左右対称の動きです。瞳が左右異なる動きをすると見た人は驚くでしょう。

 ところが訓練次第では「瞳を片方だけ動かせる」のです。これを私はインドで習いました。もしかすると、あなたの隠し芸の一つになるかもしれません。できたかどうかは家族の方に見ていただき確認してもらいます。一人で鏡をご覧になっても分かりません。

 これは寄り目ができる方に限ります。初めに両目で最も右を2秒見てください。そしたら、そのまますぐ寄り目をするのです。

 この一連の動作は、理屈として左の瞳は常に右側にあり、結果として右の瞳だけが動くことになるのです。寄り目からすぐに右端を見れば結果的に右目だけが外側に向かって動くのです。

 同様に、その後、左目についてもすれば瞳のリレーも可能です。生まれて初めてのことができるかもしれません。目が疲れるでしょうから回数をしないで下さい。お願いします。

 別なことですが、常に右手が勝つ一人じゃんけんも続けてできるようになります。これは必ず「グー、チョキ、パー、グー、チョキ、パーの順序」で片方づづ練習し、後ほど一つずつずらして両手で行なうと考えなくても指がスムースに動くようになります。練習してみてください。指先は第二の脳とも言われます。    

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2007年10月 9日 (火)

蔵人でチャイコフスキーを聴く

 暫らくぶりに歩いて10分程の音楽喫茶「蔵人」(クラート)へ行きました。最近はどこへ行くにもデジカメは必携で、新聞記者の取材のようです。ブログでは自分の足で歩いて自分で感じたこと自分で考えたことを載せたいです。

 蔵人ではマイさんは来られたかなとゴッホに瓜二つのマスターに訊こうとしたら、開口一番、彼の方からマイさんはまだ来てないようです」と言いました。よく覚えている方で驚きます。

 喫茶店内にはインターネットが見られるようになっていて、このブログも時々ご覧になってくださるようです。このためマスターも女性スタッフもマイさんの訪問が心にあるように感じました。

 蔵人では音楽のジャンルは多岐にわたって聴けます。聴きたいCDがあれば申し出ればかけてくれます。若き日インドにいた頃、チャイコフスキーのバイオリン協奏曲をよく聴いていたので、暫らくぶりにかけてもらいましたら青春が蘇り懐かしくなりました。

 音楽の不思議さの一つに、昔であってもその曲を聴いた頃の状況がそのまま浮かび上がるものです。当時の心境や生活が心の中で再現されるのですね。

 これは音楽特有のなせる業で、他の事柄にない大きな特徴でしょう。お気に入りの音楽であればあるほどその印象は深く心に刻まれ、聴くことはもちろん演奏した場合はその傾向が一層著しいように思います。

 蔵人では紅茶を入れてくださる女性スタッフさんと初めてカウンターでしばらく話すことができました。彼女は私に「ピアノを教えればいいのではないか」と仰いました。でも、私はそれは考えてない旨を話しました。そのような時間があれば自分でより究めたいのです。また、レッスンをすると曜日や時間が制約されるので困るのです。

 27日【土】にはホームコンサートが控えてるので、目標はタッチについてや腕のスムースさなどに重点をおき、納得できる音色を求めたいと思ってます。 

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2007年10月 8日 (月)

日々、経済の推移を知る

 いずれお仲間に入る高齢化時代です。このような時代にあって基本的なことは健康及び経済の安定でしょう。しかし、人はパンだけでは生きられないのですから、肝心なことは「頭がしっかりして」充実した日々にしたいものです。これが疎かになると根底の健康に差し支えるようです。

 頭がしっかりしなくなっては困ります。どうしたらよいかは大げさに言えば人類の永遠のテーマでしょう。若輩の私ですが、考えてることの一つは、「ボケないためには創造的な活動がいいのではないか」と思ってます。実際はどうでしょう。

 それには家の中にのみ【飲み】いないで戸外に出ると、いろいろ刺激が目に飛び込むものです。特に新天地への旅行や登山は新たな発見や驚きにつながり、脳は活性化するでしょう。

 また、日々姿勢や服装に気をつけることも肝心と思われ、「どうでもいいや」という気持ちは脳によくないでしょう。人に見られているという意識は根幹でしょう。また、異性を意識し大切にすることは生きる力に直結するのではないでしょうか。

 一般的に頭の体操には本を読んだり、特に「文章を書くことは一つの創造」でいいと思われます。私の場合、新たな英単語を覚えるのもいいと思ってるのですが、なかなか脳に染み込みません。困ったものです。

 人それぞれスポーツや芸術をはじめ、学問など得意の分野を究めることも効果があると思います。私は「雨だれ前奏曲」の中間部を弾くとぞくぞくします。音楽や異性にわくわくしたり、ぞくぞくする心境は若返りのためにも、いいように思われてなりません。

 ところで、最近感じてることですが、脳にいい刺激を与えるのは、世の中の経済動向に敏感になることではないでしょうか。刻々と変化する為替レートや日経平均株価の上がり下がりは意外な効果がある気がしてなりません。このように具体的数値に反応することは期待感もあってボケる暇はないようです。

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2007年10月 7日 (日)

風変わりな大家族です。

 26才になった娘は一人暮らしをしたくなったようです。娘の母親は25歳のとき結婚したので、それより年齢が上になりました。飽きればまたいつの日かいっしょに暮らすでしょう。

 娘の希望で柴犬を飼い始めたのですが、結局、私が世話してます。このように一人で暮らすようになりますと、犬は誠に人間の良き相棒となります。最近では私にいろいろねだります。

 写真の場所は縁側で左側が私が食事する室内です。放し飼いであっても室内へは入りません。大きなサッシで外と室内は遮断されてますが、開くのですぐにスキンシップは取れます。おねだりとは立ち上がってサッシの表面を両手を使って左右代わり番仔に擦るのです。10秒間くらい擦ります。

 今までドッグフード以外は与えてなかったのですが、最近、煎餅などを与えます。味をしめたのか、ねだる習慣がつきました。ねだったら無視しないで少し与えるようにしてます。これで信頼ができます。ほとんど私の食事の時です。人間の食事は与えません。

 満2歳になり元気そのものです。時々、犬走りをすごいスピードで走るので、運動不足はないと思われ、散歩は気分転換のためです。こんなことで一人暮らしになっても柴犬「コロ」に精神的に助けられています。きっと、柴犬は原始時代の大昔から家族と共に生活してたのでしょう。

 私の家族といえばこの他にレース鳩が100羽以上います。考えようによれば人間は一人でも我が家は大家族と言えます。毎朝、倉賀野町の上空を高く群れなして飛んでるのは正にPersimmon Marsh Loftの鳩群です。倉賀野の街中で本格的に鳩を飼って飛ばせているのは私だけです。

 鳩舎内では1羽1羽の止まり木が決まっていて学校の座席のようです。これは鳥類独特の縄張り現象なのでしょう。今年は病気が出ないで健康度はいいようです。巨大トウモロコシとレンガが餌の中心です。改築してからは鳩舎内が外部から見えないようになってます。飼い主の私はこれで「鳩が安心して心休まる」と工夫してるつもりですが、鳩にとってはどうでしょう。訊きたいところです。常に鷹など猛禽類の天敵から逃れ、安心した隠れ家が鳩舎になります。

 私の役目はこれからの季節、北風など換気を調節し快適な空気と適温、湿度を下げ床が常に乾くようにしてます。時々水浴をさせてあげてます。

 こんなことを言っても、実際一人で生活するのは何かと困るのです。人が恋しくなります。

 ピアノホームコンサート【無料】を開いて近くの方に来ていただきましょう。今月27日【土】午後2時から拙宅で行なう予定です。

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2007年10月 6日 (土)

樹木が存在感を示すには

本日、予定通り近所のOさんが草むしりに来てくださいました。植木職人ですから、やはり手慣れたものです。作業が思いのほか早く進み今日一日ですべてきれいになリました。私は刈ってもらった草をビニール袋に詰め込む作業に専念しました。その数、何と25袋です。ゴミ収集の日に持ってってもらいます。

 一日中、庭師のOさんと一緒にいますと、勉強になります。昨日書きましたように百名山をすべて登った方の言葉には威厳があります。山を登るということは常にブナなど水を蓄える緑との出会いでもあるようです。

 植木というものは根元がしっかり見えるようにしてあげることが大切とも学びました。 これはその花木周辺の風通しが良くなり植物が健康になりますが、一方、樹木そのものの存在感が出てきます。

   Oさんといっしょに朝8時から午後4時まで草むしりをして、植木についての話が聞けてよかったです。敷地が165坪のため広くて喜ばしいのですが、植木の管理は定期的にやる必要があります。

 ところで、この拙いブログも皆様のお陰をもちましてアクセス数20000件になりました。コメントもたくさんの方々からいただきました。心よりお礼申し上げます。

 私は音楽と英語とレース鳩と山が好きです。おっと失礼ビールもです。どれもなかなか上達しません。しかし、これらのことや今後「不思議な人間の心の動き」についても書けたらいいと思ってます。皆様のご声援をお願いいたします。

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2007年10月 5日 (金)

明日から草むしり

 家族がいないのに庭が広くて樹木も多く、春から夏にかけては花や新緑で和みますが、その後はじわじわと草もたくさん生えるのです。7月頃、一度草むしりをしましたが、一人で行なったので終わりの頃になると最初にむしったところがもう伸びてくるのです。折角、きれいにしても草の成長が思いのほか早くて努力は水の泡、がっかりした気持ちになります。何をするにも一人では空しいですね。

 その後は諦めて構わないでおきましたら、さあ大変。草ぼうぼうになってしまいました。草むしりの業者さんに依頼してもスケジュールがいっぱいとのことで来てくれません。来年からは早いうちに申し込むつもりです。

  先日、近所のOさんが用事があって来ました。念のため草がいっぱいで困ったものですと言いましたら、彼は庭を見て開口一番、何と草むしりをしてくださるとのこと。思いがけなく前がパッと開けた思いでした。

 彼については以前にブログに書きましたが、退職後、庭師になられました。また、趣味を通り越して山登りは本格派です。最近、カムチャッカの山にも行かれました。「日本の百名山」をすべて踏破されたのです。こんなことから日々、自然の中で生活してるような方で、山岳の絵を描くことも得意としてます。印象に残った山々を描いておられます。

 彼とは近所のグループで正月登山をしてます。もうかれこれ20年ほど続いてます。たまたまお酒を召し上がることもあり、山頂では初日の出を眺めての乾杯です。赤城山の長七郎でも富士山や新宿の高層ビル群を見ながら楽しくお雑煮を頂きました。

 こんなことで、明日、明後日はOさんと私は草むしりとなります。その後、夕刻から私の手料理でご苦労さん会を行ないたいと思います。毎晩一人での夕食の私にとって、こちらも大変楽しみなことです。ビールをいただきながら山や絵についての話に花を咲かせたいと思います。

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2007年10月 4日 (木)

車で日本中を回ってみたい

 放鳩車で関越自動車道を走りました。と言っても、現在、乗用車がないからです。車間距離を保ち安全運転で行けば高速は乗り心地がよく楽しいものです。短い距離であっても目的地まで県内をほぼ直線に走ってるので高崎~渋川間が10分です。一般道で行けば1時間かかるでしょう。

 ところで、将来、乗用車に乗りたいので現在あれこれ考えてるところです。今乗ってる放鳩車はホンダ・アクティーバンで、今までに乗った乗用車はスバルレオーネ、いすゞジェミニ、いすゞ117クーペ、マツダロードスターで、最も長い間乗ったのは117クーペです。

 乗用車が必要なのは、標題のように将来、国内旅行としてあちこち巡りたいからです。外国に住んだことはあっても、北海道へ行ったことがないのです。その他もあまり行ってません。

 現在、多くの車は性能において素晴らしいです。性能はもちろんであっても、どちらかと言うと私は型にこだわるのです。その点、好みもありますが、ケイマンには惹かれてます。

 本日、関越自動車道を走ったら、その気になったのでしょうか。何だか高速用のいい車がほしくなってしまいました。そして、ケイマンを見るため、関越を下りてすぐ販売店へ行ってしまいました。型は抜群です。117クーペに合い通ずるところがあるのでしょうか。もちろん当時の117クーペより一段と高い性能と比類なき型を誇ってます。ただ、私は背が大きいので、乗り降りに若干不都合を感じました。

 これからは日本車も十分視野に入れ実物を見学したいです。ホンダ・レジェンド、新しく出るニッサン・スカイラインクーペ、三菱・エボリューションXは若者向きか。新たなギャランはセダンであってもスポーティーな型になるでしょう。安全装置や維持のことを考えて探します。助手席に乗る方がいないのにまだ早過ぎるか。

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2007年10月 3日 (水)

眼科を受診しても回復しない

 私は医院にはよく行くほうです。ほとんどの症状が回復します。循環器科を受診すれば血圧は安定し、歯科を受診すれば歯は良くなります。また、耳鼻咽喉科に行けば鼻はすっきりします。大腸や胃の内視鏡検査でポリープがあれば除去してもらって、しばらく安心です。

 ところが、私の右目には焦点のすぐ右に雲のような形をした盲点があるのです。最近、気がつきました。その位置は誰にもあるいわゆる正常の盲点より内側にあるのです。このブログのように横書きの日本語やもちろん英文を読む場合、焦点を左から右へと盲点のほうへ移動させていくので見にくいのです。

 日常生活で実際的には左目が補ってるので見えてますが、やはり何となくおかしいです。縦書きなら不都合はありませんが、近年、文章は概して横書きが多いです。

 このため、すでに4人の開業医の眼科医に診察してもらいました。ところが、どの医師にも検査の結果、異常は見当たらないと言われてお仕舞いです。しかし、患者の私は明らかに異常を感じ生活で不便を感じてるのです。何が何でも直してやるという医師としての意気込みが感じられませんでした。

 次の実験をするとはっきり分かります。テレビをつけ、チャンネル以外に表示される砂嵐の画面を見て、左目を閉じると右目の異常がよく分かります。私の場合、焦点のすぐ右に小さな雲のようなものが浮いてるのです。医師は言いませんでしたが、視野欠損かもしれません。

 皆さんもこの実験をされると、ご自身の目について、今までご存じでなかったことが分かるかもしれません。砂嵐でないところがありうるのです。

 このようなことも医師に伝え、患者の私としては日々異常を感じていても、医院では検査のみで、原因究明や治療に入ってくれません。それでも費用は嵩みます。

 4人目の医師は大学病院へ行くといいかもしれないと言いました。治療費を請求するからには、医師は自身の力で徹底して原因究明し治療してほしいものです。 

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2007年10月 2日 (火)

楽しいデニーズの朝食

 最近は朝食も一人でとることが多くなりました。夕食については前々からほとんど一人なので慣れてます。好きなビールをいただけば寂しさを忘れます。朝食にビールということはないので、その分、目鼻を変えて精神を安定させなくてはなりません。

 妻を亡くし3年経ちますと、女性の存在についてよく考えられるようになりました。今までそれほど男女を意識することは少なかったのですが、今はどうしても女性についてマナーや動作・雰囲気が目に入ってしまいます。

 今朝、朝食をとるため暫らくぶりにデニーズ矢中店へ一人で行きました。オーダーしたのはパンとモーニングベジタブル、ダージリンティーです。朝食も健康のためバランスある栄養を摂りたいです。自分では朝からなかなか料理できません。

 早速、オーダーにFさんが来てくれました。彼女は実に応対が適切で親しみやすい雰囲気をお持ちです。しかも、歌手の森昌子さんに似てるのです。マイクを持って「せんせい」でも歌われたらたまりませんね。自然体で顔がほころんでます。お陰様で頂いたものは消化がいいです。

 そうこうする内にベテランのKさんがこれまたにこにこして私のテーブルのそばに来てくれました。先日のブログの書き込みについて嬉しそうに語ってくれました。

 誠心誠意、客に対応なさる矢中店女性スタッフのマナーは、私にとって何だか日々の孤独感がどこかに消え去りました。

 現在は男女機会均等で職業を持ち、男性のみならず女性も仕事に生き甲斐を見出すチャンスがあります。個々の目標に向かって活躍するのはどなたも平等です。しかし、大切なことは男女は同質でないということでしょう。それぞれ持味を生かして活躍したいものです。

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2007年10月 1日 (月)

夢のような速報

 本日から「緊急地震速報」が始ります。P波【初期微動】とS波【主要動】の「到達速度の違い」を瞬時に利用し速報するものです。

  揺れが来る前に地震を知らせるとは夢のようなことです。

 ところで「緊急地震速報」が流れた時、人々はどのような心理状態になり、どのような行動をとるでしょうか。これは未知数なので回数を積み重ねで効率のよい避難に結び付けたいものです。

 大地震は広範囲にわたり揺れが来ます。震源地に近い地域では速報と揺れに時間差があまりなく、ほとんど同時でしょう。それでも1秒2秒を争う時は速報で助かる場合もある思います。震源地から離れた地域では、この速報がすごい威力を発揮する筈です。

 今までも地震速報がありますと、引き続いて津波の有無が速報されました。これも速くて不思議です。この速報を聞くたびに日本は実にすばらしい国と感心しています。

 以下は避難に対する私の考えです。 

 今までもよく教えらたことですが、地震が起きたら「家の中では机の下に潜りなさい」というのは「家の中にわざわざ自分を閉じ込めてしまう可能性が高く」非常に危険と考えてます。

 「緊急地震速報」は揺れの前に速報してくれるのですから、すばやく逃げるのが正しいと考えます。近年の大地震で死傷した多くの方々は家の中に閉じ込められて犠牲となりました。火災が起こったらどうにもなりません。

 ですから「部屋から出で、どこでもいいから閉じ込められない場所へ移動する」が正しいと思います。家が損壊するまで時間がかかるので一刻を争って逃げるべきです。この時、上から物が落下することがあるので、「上も向いて逃げよう」です。エレベーターでは速報と共に、すぐ外に出ることです。

 科学が発達し、「未然に人間を危機から救うこと」は本来の姿なのでしょう。すべての学問も究極には人類の幸福に寄与する存在でありたいです。

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