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2007年10月22日 (月)

シベリアから最後の便りが届く

  学生時代にFさんの存在を知ってましたが、話したことはなかったです。彼と一緒の授業もあったと記憶してます。それは彼が個性的でバイタリティーに満ち溢れ、夏の日は学校のプールでバタフライで泳ぐのを見かけたりして、元気がいい人という印象がありました。

 私がカルカッタ滞在2年目になったら、何と彼は私と同じ職場である日本人学校へ赴任して来たのです。お互い顔は知ってたので、すぐに打ち解け、その後、カルカッタ日本総領事館内の宿舎で寝食を共にすることになったのです。

 職場も同じ、宿舎も同じですから若き日の私にはやっといい友人ができ、内心良かったと思いました。夏休みや冬休みには共にインド国内旅行に行き、オリッサ州ベンガル湾プリーで海水浴をしたり、その後、ニューデリー、タージマハール、何と言っても雪が降るカシミールで新年を迎え、拙いヒンディー語で現地の方々と交流したことは今となっては懐かしい青春の思い出です。

 彼とは帰国後も同様に行き来してました。彼の結婚式では私は司会を依頼されたので、私のときは逆にしてもらいました。こんなことで変わりない、いい友人でいました。

 その後、1年位して彼はヨーロッパで医師をしてるお兄さんに会うためと言い、またもや海外へ行くとのこと、私は内心思いました。「ずっとインドにいたのだから、そんなにすぐに外国に行かなくてもいいのではないか」と思ったのです。しかも、彼に長男が誕生して間もない時でした。何でそんな時に行ったのでしょう。

 出発の日の朝、電話がかかってきました。「今から新潟へ向かう」というのです。えーと思いました。彼は新潟港から船でナホトカへ向かい、それからシベリア横断鉄道でヨーロッパに行くというのです。

 数日してバイカル湖付近から「今ヨーロッパへ向かってる」と楽しそうな列車の旅の様子が葉書で届き、いつ習ったのかロシア文字も書いてありました。それが彼から私への最後のメッセージになるとは思ってもいませんでした。

 1週間ほどして大ニュース。イタリアのフィレンツェ~ボローニャ間でテロによる列車爆発事故発生。こんな広い世界で何で彼がと思いましたが、帰らぬ人となったのです。たまたま運悪く、近くに座っていたらしいです。亡がらが前橋駅に着いたとき、彼の赤ちゃんや私たちは出迎えました。辛い青春の出来事でした。

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