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2007年12月

2007年12月31日 (月)

大晦日に燃えてる心の灯

 写真は平成19年、大晦日の今日、南西方向に沈んだ太陽です。いろいろあった1年ですが、一人暮らしの私の心境もたくさんのことがありました。

 今の私は心から探し求めています。

 それは心の通じ合うパートナーです。

 ブログを通じて文章を書くことを覚えました。これからはこれによって培った力を生きるエネルギーに切り換えていきます。

 今まで、毎日書きましたが、本日の大晦日を節目に、これからは1日おきになります。日々、感じたことや、考えたことを文章にできるよう取り組みます。

 ベートーベンの第7シンフォニー第2楽章の味わい深い創作に匹敵する程の文章が書けることを目標に、より磨きをかけたいものです。

 今年1年、ブログをご覧頂き本当に有難うございました。カッキー

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2007年12月30日 (日)

108の煩悩と除夜の鐘

 いよいよ平成19年の大晦日を迎えます。今年の世相を漢字で表わすと「偽」ということだそうですが、新しい年は社会からこのようなことはなくしたいものです。

 生きてると次から次へと人を悩ますことが、毎日のように内外から起こります。しかし、無意識のうちに自分の心に起因してることもあるかもしれません。

 20代の時、インドのガンジス川中流域に位置する「ブダガヤ」の町を訪れました。ここ「ブダガヤ」は釈迦が仏教の悟りを開いた所と伝えられ、ブダガヤのブダとは仏陀に由来するのでしょう。ここにはチベットからの仏教徒が多く訪れ、寺院の周りを右回りで幾度となく歩いたり、正面では日本人から見ると考えられないような正に全身全霊による拝み方をしています。

 それは、ひざまずき、そして全身で地面を這う、うつ伏せの格好で手足を最長に伸ばし、また起立しては合掌し、再び、地面に伏し手足を思い切り伸ばし、起立し念仏を唱えます。これを繰り返すと現実には衣服の前面がすれ切れてしまうので、体の下に戸車のついた板を敷き、それに体を委ねてこの一連の行動を幾度となく繰り返すのです。どれほどの回数であったかは数えませんでしたが、今思うに108回ではなかったかと想像してます。

 当時、仏教について何の勉強もしてなかった私は今思うにずいぶん価値あるところを旅してきたように思います。

 近くを流れるガンジス川では多くの老若男女が一見無我の心境で念仏を唱えながら衣服を纏ったまま水浴してます。インド各地から訪れているようです。こちらはヒンズー教です。

 ところで、日本では大晦日の深夜から元日にかけてと、人間が内面に持つといわれる108の煩悩を打ち払うためといわれ除夜の鐘を鳴らします。私も菩提寺で撞きます。住職でないので確かなことは承知しませんが、煩悩とは、私たちの心の奥に潜む心身を悩ますあらゆる欲望といわれます。

 しかし、この108という数字の由来がよく認識できませんでした。一方、日常よく使われる言葉に、汗水流し苦しんで頑張る姿を「四苦八苦」するといいます。これは仏教用語と思われ、数字に置き換えると「49・89」となります。掛け算にすると4×9=36及び8×9=72です。この36と72をプラスすると108になりますが、もしかして、これは無関係ではないかもしれません。

 四苦八苦とは本来、生きてる間は生まれ出ることに始まり、死ぬまで次から次へと苦しみがあり、それは愛する人との別れをはじめ、反対に嫌いな人とも会わなければならないこと、自らの欲求に自制がなくなることなど、4つのほかにまた4つの苦しみがあることを言うらしいです。

 最近は過疎化のため「除夜の鐘」を打つ人がいなくなり、電気によるオートマチックの除夜の鐘が増えてるそうですが、やはり、この一年を振り返り、心と体で思いを込め叩きたいものです。

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2007年12月29日 (土)

夢膨らむ日中関係の春

 以前に我が家へ中国新華社通信の記者が取材に来ました。国際的にあまりにも有名な新聞社ですから、何事かと驚きました。

 私の家から中国内モンゴルまで飛んで行ったレース鳩「中日友好号」についての取材だったのです。「中日友好号」については中国の放送局や新聞社が扱ってくれましたので、この鳩は中国全土で紹介され、私がこの鳩に会いに行ったことも中国の多くの新聞で取り上げてくれました。その後、新華社通信の記者がわざわざ群馬高崎倉賀野まで取材に来られたのです。

 日本で無名の私は中国では「シーツァオホンフーシャン」と呼ばれ、知事クラスの方をはじめ、作家、鳩レース協会の幹部の方々の歓迎を受け、座談会の後、熱烈歓迎60度のお酒で乾杯。お酒の飲み方は鍛えて行ったのですが、この度数にはさすがの私も参りました。私は返礼に中国国歌を歌いました。

 当時、中国語がほとんど分からなくて、家の近くに住む中国の方に教わり、にわか勉強。お陰で「トイレはどこですか」など基本的な言い回しを覚え、夏休みに万里の長城の下にあるトンネルを幾度も潜り抜け、内モンゴルで私のレース鳩に再会、大平原のパオの中で鳩を通じて日中友好をしてきました。

 ところで、ニュース報道により、今回、福田首相が日中首脳会談で胡錦涛国家主席、温家宝首相と会談され、幅広い分野での共通の利益を追求する互恵関係を発展させる認識で一致されたと知りました。これにより日中両国は子々孫々に至るまでの友好が深められるよう願わずにはいられません。

 偶然にも福田首相と私は誕生日が同じ、親子2代にわたる総理でお2人とも私の選挙区です。山積する内外の諸問題解決に向け、国民の幸せに結びつくよう正しい方向へ舵を取ってほしいと切望してやみません。

 日本と中国は考えられないほど遠い昔から行き来があったのでしょう。歴史は詳しくありませんが、5世紀頃から交流が始まり、その頃、私たちが現在使用してる漢字などが入ってきたようです。7世紀の遣隋使、8世紀の遣唐使を始めとして中国から多種の文物が日本へ伝えられ、現在に至る日本文化にどれほど多くの影響がもたらされたか計り知れません。漢字で表記してる私たちの氏名が大昔の交流の賜物と言えるでしょう。

 レース鳩「中日友好号」の足輪には、私の住所氏名を漢字で刻印しておいたので、先方が私の鳩と確認してくださり遥々連絡して下さったのです。レース鳩のお陰で有意義な日中友好ができました。【謝謝】

【写真上は内モンゴルで記念撮影、小生右から4人目、下は群馬高崎倉賀野から内モンゴルまで飛んだ中日友好号、左足に私の住所氏名が付いてます】

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2007年12月28日 (金)

人の幸せとは

 タイトルはあまりにも永遠のテーマ過ぎてブログで書ける類ではありません。それであっても、私たちはより良い生き方として理想を追求し、あるいはそれに一歩でも近づこうと日々考えてるのです。

 益々、本格的な高齢化時代に差し掛かってる現代、万人が最も希求してることは「幸せ」ということ以外にないでしょう。

 本日のニュースが伝えるところによれば、パキスタンのリーダー「ブット女史」が暗殺されるという大悲劇が伝えられてます。

 The pen is mightier than the sword.【言論は武力に勝る】どんなことがあっても反対意見を持つ人を武器で倒すことはあってはなりません。言論は言論によってのみ戦うべきです。彼女はどんな思いで亡くなったことしょう。これ以上の悲劇はありません。パキスタンは20代に滞在していたインドの隣国なので人ごととも思えないです。人と人はいつまで傷つけ合うのでしょう。

 ところで、現実に日本社会全般も少子高齢化が一段と進み、誰もが平等に1年1年、年を重ねていき、次第に身体の自由が利かなくなってきます。いくらそうなっても、私たちはいつまでも人間らしい幸せを追い求めています。

 その基盤にあるのは「夫婦が湧きいずる泉のような会話で、助け合っていくことこそ最大の幸せ」ではないでしょうか。それには、2人でいつまでも健康でいたいものです。

 3年前、妻を亡くした私にとって、このことは毎日、身に染みてます。一人残され、一人暮らしを余儀なくされ、3食とも一人での食事、話したいときに自然に話せる相手がいないのです。

 「人が最も人らしく感ずるのは楽しい話ができることである」と思ってます。妻は3年前の今日亡くなりました。【合掌】

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2007年12月27日 (木)

高塚スピード系、1羽で帰還

 遠隔地から放された鳩の帰還を今か今かと家で待つ楽しみは鳩飼育者の醍醐味でしょう。卵から孵り、足輪を嵌めてやり、次第に大きくなって大空を飛ぶようになって、幾度となく訓練で鍛えられ、ついに他鳩舎の鳩に混ざってある地点から放され、生まれ故郷である人間の作った鳩舎に帰還するとは神秘なことです。

 今朝、栃木県足尾町約50キロで放されたレース鳩は山岳地帯からの方向判定を余儀なくされました。きっと、恐ろしい猛禽の追撃をかわし、南西に方向を定めたのでしょう。

 そろそろ来るかなと思った瞬間、1羽の鳩が上空から急降下。その表情は安堵に満ちて幸せそうです。翼をすぼめ力を抜いてることがよく分かります。上空から鳩舎が見えただけで、気持ちが吸い込まれ、急降下となるのでしょう。

 1番手の帰還後、後続は暫らくありませんでした。5分ほどして数羽がまとまって飛来し、それは見えないほどの上空から舞い降りてきます。

 1番手の鳩の両親共に茨城県高塚鳩舎生れで、父は稚内クィーン系、母は稚内ブルー号及びミラクルクィーン号の直仔により生まれた鳩です。

 当舎において18年春、北海道羽幌 からの難レースで帰還しました。19年は羽根の都合で休みましたが、今回から再チャレンジで参加してる灰のオス。目は明るくいい感じです。このまま、調子をキープし、最終レースである稚内からの帰還を飼い主と共に狙ってます。

 先祖は高塚鳩舎で実績ある鳩ばかりなので、後はその血統が開花するだけです。900Kを経験してる3才鳩なので、今春、稚内はチャンスと思ってます。後は飼育者である私の手腕にかかってることになり、調教師として毎日の管理に責任が生じています。

 辛い一人暮らしの生活であっても空を見ながら、愛犬「ころ」とともにたくさんのレース鳩の帰還を待ち、大空にその雄姿が見えた瞬間は何とも言えない感動が走ります。その後、続々と帰還が相次ぎ、師走の空に平和な時間が流れます。新年の日光霧降高原からの訓練に向け、明日からまたよりよい管理を工夫しようと思う。

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2007年12月26日 (水)

帰還したら体調回復に努めたい

46   眠くても早朝に頑張って行なった6回の個人訓練も終わり、早くも来春の連合会訓練が始りました。天気が明日を過ぎるといい日が暫らくないようで急遽ウィークデイの訓練となり、今晩、持寄って来ました。暫らくぶりの持ち寄りで、連合会の会館には懐かしい面々が集まってました。

 今まで、連合会の第一回訓練は富弘美術館近くの草木ダムでしたが、今回、栃木県の足尾町からに変更となり距離約50キロです。足尾町は山の中にあっても標高が高いので放鳩地としてあるいはいいかもしれません。

 放鳩地の標高は可能な限り、高い位置がいいと考えてます。それは低い所より高度を飛べ、方向判定がずっとしやすくなり、スピードも上がると考えます。この次の日光霧降高原は標高が高く、毎回帰還がいいです。

 個人訓練と異なり、連合会訓練では鳩たちが広いコンテナに入ります。また、帰還地に差し掛かって他鳩舎の鳩たちとの分岐が一つの課題です。強い帰巣本能により遠回りや他鳩舎への挨拶回りはしないで、できるだけ直線上を飛び続け自鳩舎へまっしぐらに帰還することをめざします。

680  持寄り時刻から放鳩時刻まで、寒いコンテナの中で約12時間過ごし、トラックと共に揺れたり暗い中で鳩同士がつつき合ったり、寝不足になったりで鳩の体調は思いのほか下がり気味でしょう。コンテナの中で他の鳩から病気を移される心配は大いにあると考えてます。

 極論すれば最悪の場合、コンテナ内は病原菌の巣とも考えられるので、コンテナ内の衛生管理は徹底して行わなければならないでしょう。

 このため、帰還したら全鳩に内臓の手当てをすべきで、毎回の訓練やレース後において、この手立てこそが次へのポイントと考えてます。

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2007年12月25日 (火)

A Merry Xmas to you !

  クリスマスおめでとうございます。寒い国々ではきっと雪に覆われ素敵なwhite Christmasでしょう。一方、同じ12月25日であっても熱帯や南半球の多くの国々では真夏でgreen Christmasと思われます。

 この点を考えても、「もみの木」は実にすばらしい樹木で、本日、世界中でクリスマスツリーとして使われ、人々に夢や希望を与えてるでしょう。

 厳寒の国にあっても青々した葉をつけ、暑い国でも葉が生い茂り、常緑樹としていつでも、どこでも、もみの木は誠実のシンボルです。

 それに比べ、人間は少しでも辛いことがあるとすぐ弱音を吐いたり不平を顔に出してしまったり、寒ければ寒い寒いといい、暑ければ暑い暑いと我慢できないでつい言ってしまいやすいです。

 もみの木は辛い時も楽な時も、変わらぬ姿で常にいっぱいの葉を枝につけてます。気候の異なる世界中であってもクリスマスツリーとしてその麗しい姿はもちろん、厳しさに立ち向かう誠実な木として世界中の人々から尊ばれているのでしょう。

 現在の私の状況は精神的に辛い日々にいます。それであっても「もみの木」のように現状に泣き言を言わず、希望をもって生きなければなりません。

 人間にとって毎日が孤独ということはよくない状況です。人は人に支えられて生きるものでしょう。ですから、もみの木のように「言葉という葉」をいっぱい持ちたいです。

 本日はこれからサムュエルトッドさんたちと「どんどん」でクリスマスを祝うことになってます。それでは行って参ります。

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2007年12月24日 (月)

レース鳩、寒さ対策を万全に

 鳩になったことがないので本当のところは分からないにしても、毎日、レース鳩の何気ない行動をつぶさに観察してると鳩の訴えをインスピレーションとして感じることはあるでしょう。

 鳩は寒さに強いとも聞きます。寒さに強くても寒いより適温がいいことは確かで、寒さのためにエネルギーを無駄に消費することはないと思っています。

 動植物が気温と密接な関係があることは明白です。特に植物は見ていてよく分かります。春暖かくなると成長し始め、蕾が膨らみ、開花し、新緑となり、紅葉し、落葉します。これらはもともと日照時間による温度変化がもたらすものでしょう。

 レース鳩も同様に生き物なので、気温とは密接に関係してると考えます。鳩舎の中で生活するには適温がいいに越したことはありません。

 夏涼しく冬温かい鳩舎は理想ですから、温度調整できる鳩舎であれば調整できない鳩舎よりレース鳩にとっては居心地はずっといいでしょう。夏は常に暑く、冬は常に寒い鳩舎ではエネルギ ー消費が多く、体力の消耗に繋がり、ここ一番という時に体力が持続できません。

 いかに体力が蓄積できているかはレース鳩飼育の究極であり、これこそ先祖からの優れた血統を引出す飼い主の腕の見せどころと思っています。

 今の季節、鳩舎内では深夜から明け方の時刻にかけては、温度がもの凄く冷え氷点下になることもありえます。温度計を下げておけば一目瞭然でしょう。この深夜から明け方にかけての最低気温は害はあっても益はありません。

 このため夜間、鳩舎に寒気が進入しないよう大きな窓を閉じられる工夫や、奥まった巣房、奥まった止り木はエネルギーの余分な消耗を防ぎ、体力保持には意外とポイントと感じてます。

 夏季には蚊の侵入をシャットアウトする工夫、冬季には寒気の進入を防ぐ鳩舎に徹底するだけでも、レース鳩にとって住み心地は雲泥の差となり、成績の反映に近づくと思ってます。

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2007年12月23日 (日)

声は健康のバロメーター

2013by_samuel_todd 【群馬県・谷川岳picutured by Samuel Todd】

 自分の声については客観的に捉え難いことがあり、声を職業とする方でない限り、あまり意識しないで日々生活すると思われます。鏡を見て自分の顔や髪形については毎日チェックしても、声についてはその日の具合を意識しないで学校や仕事場に行ってしまいがちです。

 健康生活を持続するためにも、きちんと声が出るかどうかは極めて大切なことで「声は健康のバロメーター」。声が出なくなったら生活は不可能ですから、声がしっかり出ることは生きる証でしょう。

 以前に発声について一般の音楽教育で徹底した指導が必要と書きました。意外と重点に置かれていない現実があります。それと同時に、どうしたら響きのある、しかも音色のいい声になるかはその人の美意識に因るところがあるでしょう。

 発声について最近感じてることは、【声を伸ばしながらお腹を膨らます】と安定すると感じてます。「ア~」と声を伸ばしてみてください。どうですか。声をコントロールできるでしょう。しかも、柔らかくて伸び伸びした声になります。

 昔はお腹から声を出すように言われましたが、お腹でも胸でもない位置、つまり横隔膜近辺を下に下げお腹を膨らませます。

 もともと横隔膜は呼吸作用を助ける筋肉で、声を出す時この筋肉を意識して声を出すように練習すれば、どなたでも一段と「質の高い声」と「声量」をゲットできると思います。

 声に重点をおく生活にし、声の出し方を意識するだけでも、意外と声量が改良され、歌うときのみならず、健康に繋がるのではないでしょうか。

 発声練習する時は物があまり置いてない部屋で行なうと、音が乱反射しないで響きがいいです。あるいは屋外の広いところでもいいと思われます。試してみて下さい。  

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2007年12月22日 (土)

今日は冬至、明日は歌声喫茶へ

  天文学的に大きな意味がある冬至こそ一年の始まりの気がしてなりません。10日遅らせて1月1日が始るとは不自然で、特にその意味は考え難いです。遠いローマ時代に10日後を1月1日に決めた理由は何だったのでしょう

 国立天文台によると、本日の15時08分が地球が公転軌道上、春分点から測って1周の丁度4分の3に当たる270度を瞬間的に通過する時刻といわれます。

 寒さはこれから本格的になっても、まず、夕方から先に日が延びていくのも面白い現象ですね。近日点がもうすぐですから、あるいは関係があるのでしょうか。

 子供の頃、父がもいで来てくれた柚子の湯に入り、黄色くて良い香りがした記憶があります。私の時代になってからはあまりしてません。江戸時代から身体が温まり皮膚に良いので、風邪を引かないという風習があったようです。あるいは暮も押し詰まり、洒落て「融通の利く人になるように」という言い伝えもあるようです。

 ところで、明日、音楽喫茶「蔵人」では午後2時から懐かしい歌声喫茶が行なわれます。近年、暫らく流行っていたカラオケはマイクを握る人だけが主役で、他の人は大きな声を聴かされる傾向がありました。しかし、近ごろは全国的に歌声喫茶が復活してるらしいです。

 この良さは、多くの方がいっしょに歌に加われて皆さんでハーモニーを作ったり合唱になったり、初対面の人も歌で仲良くなれます。これは音楽本来の素朴な姿でしょう。私もお邪魔し、いっしょに歌いたいと思います。参加者は女性が多いと聞いてドキドキです。

 ところで、先日、マスターから余興で原語で「菩提樹」を歌ってくださいといわれ内心ハラハラしてますが、一日早い「クリスマス音楽喫茶」を楽しみにしてます。

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2007年12月21日 (金)

ドボルザークのように新世界へ行きたい

 新世界と言っても「あの世」ではありません。そうそう、以前に葬式の香典袋の左上に筆で「新生活」と書くべきところ、「新世界」と書いてしまいました。あれっと、玄関を出る前に気づきました。

 丁度その頃、新世界のシンフォニーを良く聴いていたのです。そのことが頭にあったのでしょう。いとも自然に「新世界」と書いてしまったのです。でも良く考えたら「あの世は新世界かな」とも思いました。いくらなんでも悲しい受付付近で、笑いが起こったら雰囲気を壊すと思い書き直したのです。

 私は脱皮したいことがいくつかあります。写真のように、すごく揺れる橋で下を見ると千尋の谷であっても、一歩一歩進めば目的地に近づくことは分かってます。しかし、人生の橋は予想より長く、思いがけない危険もあるでしょう。果たして向こうに渡りつき脱皮できるでしょうか。   

 そうだ、橋が渡れなければヘリコプターで空から行く方法もありえます。鳩レースでの長距離帰還や英語の語彙そしてピアノなど、今までより明日こそと目標を持って頑張っても、どれもstep by stepで茨の道です。それでも、橋の遥か向こうには女神が微笑んでる気はするのです。気を遣わないで頭を使うべきかもしれません。脳はそうは動きません。

 度々、登場するケイマンへの夢はあっても先立つ物の抵抗があります。暫らくは放鳩車アクティーバンです。近未来、ケイマンで国内旅行したい気持ちがあります。実現あるのでしょうか。

 来年こそは橋を渡り、新世界へ行きたいです。レース鳩や語彙そしてピアノで一皮も二皮も向けてみたい。それには今の家庭境遇から脱皮し、温かい家庭が基本と思います。

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2007年12月20日 (木)

なぜ年末に第九が演奏されるのでしょう。

Kc3a4rntnertortheater_1830  写真はベートーベン自身の指揮により第九が初演されたケルントナートア劇場。

 Freude schoner Gotterfunken Tochter aus Elysiumと歌われるベートーベンの第九は日本で12月に150回以上演奏されるといわれます。

 青年時代のベートーベンはシラー文学へ造詣を深め、彼の作品「歓喜」に謳われた崇高な人類愛に傾倒し、その全節に音楽をつけようと志したといわれます。この詩に出会ってから第九が完成するまで実に30年もの歳月を費やし、生涯をかけて取り組んだ作品といえるでしょう。しかも、48才頃から殆んど聴力を失っていたようです。

 日本で初めて第九が歌われたのは90年前、徳島県鳴門市で行なわれたドイツ兵捕虜による演奏ということです。ドイツでは昔から大晦日に第九を演奏する習慣があったといわれ、彼らも故郷を懐かしんで歌ったのかもしれません。

 一方、指揮者ローゼンシュトック氏がドイツでは大晦日に第九を演奏する習慣があることを日本の楽壇に紹介したともいわれます。

 これと同じようなことで、イギリスでは「Auld Lang Syne」(蛍の光)が大晦日の深夜に歌われ、新年を迎える習慣が現在でも行なわれてるとイギリス人から聞いたことがあります。

 ところで、日本では「なぜ第九が年末の恒例になったのでしょう。」

   これについて私の考えは次の通りです。まず「歓喜の歌」が大変覚えやすい旋律であることが考えられます。この理由は日本人が得意とする「五音音階」でできてることにより、異国の感じがなく、気持ちがしっくりするのでしょう。日本の昔からの民謡や童謡の殆どは「ドレミファソラシド」をすべて使ってません。楽譜を調べれば多くは「五音音階」であることが分かります。

 歓喜の歌の主旋律は「ドレミファソ」のみで作曲され、そして作詞者が「シラー」なのでおもしろいです。

 現実に戻って、どなたでも生活の大切な基盤は経済です。声楽のソリストやオーケストラの楽員は会社員のようなボーナスを自分たちで年末に稼がなくてはなりません。経済を考えると年末に第九を演奏しないわけにはいかないと思います。

 合唱団や聴衆は1年の締めくくりとして、これを歌ったり聴いたりしないと年が越せない心境であっても、オーケストラ楽員などにとっては平素の定期演奏会とは雲泥の差で集客率の良い「第九」を演奏しないと遣り繰りがつかない台所事情があると考えられます。

 こんな現実があっても、年末には第九を歌ったり鑑賞して、Alle Menschen werden Bruder(すべての人々は兄弟になる)の願いのもと、来年こそは世界から災害、飢餓、病気を減らし、住みよい地球にしたいと願わずにはいられません。

  最後に付加えたいことは「第九」の作詞者であるシラーはこの曲が完成する19年前に世を去り、自身が作詩した「歓喜」を「第九」の音楽で聴いてないです。

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2007年12月19日 (水)

庭の植物から教わる

 一年を通じて青々と生い茂る植物は少なく、ご覧の通り、初冬の庭木は閑散として、もの哀しく私の心境のようです。それでも、そばに行ってよく観察すると多くの木々は小さな蕾を持ち、すでに来春の準備をしてます。「辛い時でも望みを内包する人間になれ」と教えてるのでしょうか。

 花梅の早生は2月には咲くでしょう。花梅は種類によって開花時期がずれるので、今の時期でも、蕾の大きさはすでに異なってます。すべての品種が同時に咲くのは毎年3月上旬になり、紅白咲き分けの「思いのまま」を中心として開花と香りが楽しみです。

 それでも、季節の移り変わりの今、マユミはまだ赤い実をつけ、何だかみすぼらしくなり、このまま、正月まで持ちこたえるかもしれません。まるで今年の植物と来春咲く植物の橋渡しをしてかの如くです。

 恥ずかしいことに、現在、落ち葉の掃除を殆どしてないので庭いっぱいに広がり、山の中のようです。風情があっていいなどと悠長なことは言っていられない状態です。年末には、きれいにして新年を迎えたいものです。

 それには、熊手で掻き集めなくてはなりません。落ち葉の量があまりにも多く10袋以上になるでしょう。このため、腰を痛める可能性があります。年が若いのにこんなことを言って情けないですが、葉っぱを袋に詰めたり、しゃがんで作業するとやられます。

 私は決して高齢ではありませんが、最近、改築した鳩舎は高齢化対応になってます。このため、掃除や水浴の準備など管理で腰を痛めることはなくなりました。鳩舎内ではすべて立ったまま作業できます。

 ところで、歩いて歩いて足腰を鍛え、弱音を吐かない人間になりたいものです。一人暮らしで気が参ってる上に身体がおかしくなったら、これこそ泣き面に蜂です。体重はきちんと管理しているので、上手く「BMI=22」をキープしてます。でも、これはあくまで内臓脂肪の観点からでしょう。

 人の身体は宇宙のように神秘なので、BMI=22キープはもちろん、運動能力をはじめ姿勢など自分の意思で改善できることは努めていきたいです。

 植物から習うことはいろいろあります。厳寒でも蕾を持ってる梅のように、辛くても望みを捨てないでいたい。

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2007年12月18日 (火)

寒い冬は「ちゃんこ鍋」で温まる

 一人暮らしでも三度の食事はきちんと摂れるものです。それは神が与えた力かもしれません。お腹が空けば面倒くさがらず食事の準備はするものです。

 今夜はご覧のように便利な鍋で相撲部屋で考えられたと思われる「ちゃんこ」です。味は味噌味、豚肉つきです。おつまみとして野菜などを食べますが、プロが考え出した味はなかなかよく研究され旨いものです。

 最近の飲み物は麦焼酎のお湯割りにしてます。体が温まり、実においしくて食欲が出ます。何と言っても翌朝の体調が健やかです。お湯割りをグラスに2杯弱で丁度いい量です。日本酒の場合は薄めないので、アルコールの度数は結構高いと思います。私の場合、日本酒はすごく酔ってしまい体がリラックスしてしまい過ぎます。以前に比べお酒が弱くなったようです。

 私は写真の「ちゃんこ」をもう少し大きい鍋に移し変え、幅の広いうどんである「お切り込み」を入れます。すると昔の母の味に近づき懐かしくてほろっときます。子供の頃、母は今の時期、温かい「お切り込み」を作ってくれ、8人の家族で賑やかに食べたものです。あの時代はどこへ行ってしまったのだろう。

 それがどうしたことか、今は大きな家に一人暮らし、家族団らんは全くなく、常に一人で食事をしなくてはなりません。きっと日本中では私と同じ境遇の男性もいると思われます。男性が三度三度の食事を作るのは並大抵のことではありません。

 このため、度々、ブログに書きますように週に1~2回は「どんどん」で夕食を楽しみます。これは孤食を避け、マスターや顔見知りのお客さんと話しながら過ごせて一時的でも寂しさを忘れさせてくれます。

 また、食事で大切なことは変化だと思っています。一人ではどうしても自分の好みが多くなりがちで、栄養のバランスから考えて、家以外で食事するのも時にはいいことだと思っています。

 今宵は家で「ちゃんこ鍋」で身体を温め、22日に「蔵人」で歌うことになった「菩提樹」の練習をしょう。いつかは心温かい人と食事ができるようになりたいとつくづく思う。 

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2007年12月17日 (月)

栃木県田沼50キロ訓練を実施

 昨晩の天気予報で、本日は晴れて風も吹かないことが分かっていたので、今朝、6回目の個人訓練を行ないました。4時30分に家を出発、現地到着6時30分です。

 鳩に申し訳ないが、放鳩予定時刻の7時30分まで1時間あるので、近くのコンビニで温かいお茶とサンドイッチ、赤飯のおにぎりを買い、放鳩籠を並べ鳩に周囲の景色を見させている間に、放鳩者の私は運転席でラジオを聴きながら朝食です。

 現地はまだ真っ暗でしたが、刻一刻と東の空がまさにDay breakといった光景で無風状態、周囲の広い原野も次第に見えるようになりました。

 原野の中で鳩を見ながら朝食を摂るなんて、よっぽど暇人と思われても、個人訓練はできるチャンスにしておかないと、日程がなくなるものです。7時になって太陽がすっかり顔を出してから、すべての鳩に朝日が当たるよう、ご覧のように籠を斜めに並び換えました。

 長い期間、レース鳩を飼育してても鳩がなぜ遠方から我が家へ帰還するかは神秘で学問的なことですが、一説によると「太陽コンパス」に関係すると書物で読んだことがあります。こんなこともあるので、放すまで太陽を良く見させるため籠の位置を変えました。

  ところで、放鳩籠は数回訪問した茨城の高塚鳩舎からヒントを得て、ご覧のようにゴムバンドで留め、もし、差し込んである棒が落下しても出口がすぐに開かないようにしてあります。長い間には棒が落ちて鳩が飛び出すことも起こりうるので、これはいい方法です。すべての籠にゴムバンドを付けたので運搬中も安心です。

 前回の反省に立って、太陽が高く昇り、空気が暖かくなってから放すのがいいと思いました。また、放す前に上空を良く見て猛禽が飛来してない確認が必要です。ここ田沼は広い原野があり放鳩地として理想と感じました。近くに山や森が迫ってると危険です。今後も、見晴らしのいい場所を選びたいものです。

 放鳩すると旋回しながらすぐ上空へ舞い上がり、1分ほどで方向判定が定まりました。途中に山があるのに群馬高崎方面がなぜ分かるのか、まずはほっとしました。果たして帰還率はどうかと思いながら私も帰路につきました。昔は籠を積んだまま職場へ向かったこともあり、懐かしく思い出されました。

 今回で訓練が6回目になり鳩たちも放されたら帰還することを次第に覚えたようです。家に着き鳩舎に入りましたら、殆どが帰還していてやれやれでした。

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2007年12月16日 (日)

見習いたいユーモア溢れる生き方

 最近の寒さのためか年甲斐もなく左の膝の具合が悪いです。こんなことがあってはならぬと言い聞かせ、時々観音山丘陵地をてくてく歩きます。いい空気の中、遊歩道を一周すると約2時間です。シーズンオフということもあり、訪れる人は疎らであっても県外から観光バスで来てる人たちも見受けられます。

 写真は昭和11年に建立された高崎市のシンボル「白衣観音」です。群馬の「上毛かるた」にも「白衣観音慈悲の御手」と詠われるこの観音様は昨年で古稀を迎えました。戦雲漂う不安な時代、高崎市の平和を見守る温かな観音像として丘陵の山頂に41メートルの高さを誇り、建設以来、今年で71年経ちました。

 私はまだ若いですが、両親や妻を亡くし、つい悲観的になりがちです。一人身だから気楽などと感じたことは全くありません。今よりもっと明るく生きたいと模索中です。

 ところで、昔から伝えられてる「長寿を祝う言葉」はすべてユーモアからできてることに今頃気づきました。あるいはユーモアが長寿の秘訣の一つかもしれないとも思うようにもなりました。そう言えば私はユーモアが不足してるようです。

 還暦は生まれ年の十支と十二支の組合わせが60年で元の暦に還ることからきています。古稀は杜甫の詩「人生七〇古来稀なり」の句からで、70歳まで生きるのは「古来より稀」なことと言われたのでしょう。

 喜寿は「喜」という字の草書体がカタカナのヒを3つ書いて七七に似ているし、傘寿は「傘」の字が八十に似てるからのようです。

 同様に、米寿は「米」の字が八十八に似ているし、卒寿は「卒の字の略字が卆」で九十そのものです。

 白寿は「百から一引くと白になる」ことから九十九の祝いとなり、百寿は文字通り一〇〇歳のお祝いです。

 近くに住んでた滝澤三四吉さんは103歳の長寿を全うされた方です。生前お会いし含蓄ある話を伺う機会に恵まれ幸運でした。三四吉さんは顔の色つや良くおおらか、何よりユーモアの持ち主で驚かされます。しかも、100歳を越えても自立して生活されてました。

 年令を重ねても「ユーモアと自立の心意気」に少しでも近づきたいと思いました。三四吉というお名前の由来が明治34年生まれから来ており、きっと生来ユーモアのある人だったのでしょう。

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2007年12月15日 (土)

倉賀野の歴史を偲ぶ巨木

 江戸時代の上州・倉賀野の活気は満ち溢れていたようです。中山道の宿場町として賑わいを見せ、たくさんの蔵が散在し、それは地名の由来とも言われてます。その中にあって最大の特徴は江戸からの帆掛け舟が往来し、倉賀野河岸をターミナルとして信州や越後への交通の要所であったからといえるでしょう。

 今でも烏川のほとりを散策すると、河岸跡は船着場の面影が感じられ、停泊しやすいように流れが穏やかです。その河岸から曲がりくねった牛街道を上り中山道に合流したところに法令や禁令を掲示した高札場がありました。

 写真はその隣りにある現在の須賀(喜)家の前に建つ脇本陣の碑です。この家の作りは倉賀野の中でも江戸情緒を今に伝える唯一の建築物と言えそうです。屋敷の表裏にある歌舞伎門、江戸瓦、防火壁、格子戸の建具、及び外部侵入者を防ぐ刺の垣根はそのまま現存してます。

 倉賀野の方でもこの家の中に入らせてもらった人は数少ないと思われますが、私は10才頃、父に連れられて入らせてもらった思い出があります。特に裏に広がる庭園には数々の樹木が茂り、幼い日の私にも倉賀野には植物園のような庭園があると驚いた記憶があります。

 その隅に今でもそそり立つ巨大なケヤキは江戸時代の栄華を物語るかの如く倉賀野の四方から眺めることができます。私の推定で樹齢約500年と思われるその巨木の高さは約40メートル、1本1本の枝は一般のケヤキの幹に相当するほどの太さです。

 人間の寿命とは比較にならない想像を絶する年月の刻み、幹の梢が詰まってるように見え、それも物怖じしない凄い貫禄です。このような巨大な古木であっても初夏には全体が若々しい新緑に覆われ、それは野鳥にサンクチャリーを与え、私たち町民に朽ちない永遠の息吹を感じさせてくれます。

 倉賀野に生まれ育った人たちはこの巨樹を朝夕仰ぎ見て成長してきました。

 人間の肉体は簡単に朽ちてしまいがちであっても、巨樹の計り知れない生命力の一片でもいいから授かりたいものです。私たち人間も精神的に肉体的に大地にしっかり根を下ろし、人生の荒波という風雪に耐えると共に、自然からの恩恵を享受し、巨樹の生命力に一歩でも近づきたいものです。 

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2007年12月14日 (金)

音楽教育で鍛えてほしいこと

 写真は高崎観音山の頂上にある「躍進」の像です。青年時代においては脳を鍛え、身体を鍛え、そして人格の陶冶が3本柱として重点とされ、これらは学校では教科の勉強と多くは部活動を通してバランスを取ってると考えられます。 

 勉学やスポーツの成績に秀でていても、最後の柱がお座成りになると、積み重ねてきた努力や周囲の期待まで一瞬にして水の泡になることは枚挙にいとまがありません。

 小学生のうちから良い刺激をたくさん与えて小さな時から「考える習慣」を伸ばしてやりたいものです。そして、一人で何でも出来るように生きる力や、自らと人を大切にする気持ちを育んでほしいものです。小さい時から潜在してる可能性をしっかり引き出してやることこそ大人の役目でしょう。

 「教育する」ことは英語でeducateですが、語源はラテン語で「その人の持ってる能力を導き出す」という意味といわれます。教えるというより本来は「引き出す」ということらしいです。

 このような点から、私が学校の音楽の時間で徹底して行なってほしいものに「発声法」があります。人は顔が一人ひとり違うように、声もその人だけの極めて個性的なものです。顔を見なくても誰が話してるか分かります。

 折角、一人ひとり無垢な声が潜んでいるのに、発声の教育がお座成りになると、その特徴ある声が上手く響かず、生涯の損失です。大人になっても声の質に無頓着な人は意外と多いものです。これは音楽の時間に発声法を徹底して教えてない場合があるかもしれません。正しい発声法ができれば歌はもちろん、日々話す声も清々しく、聴いただけでも惹きつけられ、人間的魅力にも一役買うでしょう。

 一方、「声は健康のバロメーター」とはよく耳にする言葉です。はつらつとした声こそ精神も肉体も健全である証拠に思います。マイクなしでも良く通る声を目指し、ものを鍛えるに遅いことはない筈ですから、今からでもよく響く声に鍛えたいものです。

 僧侶の読経には極めて芸術的な響きがする方をお見かけし、感銘を受けることがあります。若いときから徹底した修行によるものと思われます。

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2007年12月13日 (木)

嬉しい遺作ノクターン№21楽譜発見

398479_125101414279600_100003392251  「蔵人」のマスターの素晴らしさは、客のお気に入りを頭にインプットしていて、リクウェストしなくてもその音楽が自然と流れてくるのです。しかも、スピーカーは左右合わせて約500万円という代物。奥ゆかしい音質この上もありません。

 英国紅茶をいただきながら「蔵人」で、すでに20回ほど聴いたと思われるその曲は「遺作ノクターンハ短調」。なぜか私の今の心境にぴったり融合し、ショパンは人間誰しも孤独感があっても、素晴らしい音楽にはいくらでも触れられ、湧きいずる泉のごとく明るい気持ちが生まれ出ることを啓示してるかのようです。

 音楽は、ショパンの死後出版され、心の内面を余すとこなく歌い上げる遺書のような味わい。それにしても美しすぎて、一日中聴いていても気持ちはその度に新たになる神秘性。

 ついに自分でも弾きたい衝動に駆られ、楽譜をあちこちの楽器店で探しても、ノクターン集には掲載されてません。ところが、最近になってやっと見つかりました。それはショパンピアノ遺作集にあったのです。音楽は幾度となく聴いているのに楽譜がないというジレンマに陥いても、執拗に捜し求め、ついに発見。目の前に世界が開けました。

 しかし、現実は厳しく、見てすぐに弾けるものではありません。音楽を知ってるのに指の動きはままならない。2ページの曲は、こつこつ練習しかないのです。しかも、ショパン独特の作風により、左手と右手の音符が数的に対応しないかけ合い。ショパンらしいフレーズとフレーズをつなげる詩的霊感の最たる部分は2人の自分がいないと弾けないと思われるほどリズムへの対処が難しい。

 それであっても練習回数によって自らの両腕を信じ、時間がかかっても弾けるようになるまでの練習しかない。

http://www.youtube.com/embed/YNSNwcFDeuc 

 現在の心境はどん底でも、偉大な作曲家による後世への遺産だから、それに応えなくてはならない気持ちで弾いてみたい。

 無理と思えた「テンペスト」1楽章や「遺作ノクターン嬰ハ短調」もいつの間にか人前で弾けるようになりました。運良く出会えたこの遺作作品に年末年始はとことん向き合ってみたい。その間だけでも孤独感は薄らぐであろう。来春には友人たちに聴いていただけることを夢見て毎日ピアノに向かおう。

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2007年12月12日 (水)

酒の楽しさは適量に限って

 20代の頃より今でも、お酒がおいしく感じます。両親ともに嗜んでいたのできっと遺伝でしょう。そのためか、横浜にいる長女まですごいのです。彼女はビール専門ですが、私より数段上。しかも、全く顔に出ないので不思議なことです。

 今月は忘年会でお酒に親しむ時期。私も仕事柄ずいぶん飲む機会がありました。親しい人と膝を交え交流しながら頂くことは一つの別世界の心境へ入ってしまい、こんなに楽しいことはありません。これにより情報がキャッチできたり、本音にも触れることができ、何よりも親しくなってしまいます。お酒は心の憂いまで払い拭う魔力があります。

 しかし、ご存知の通り、このおいしいお酒で昔から失敗に苦しむことは、いつの世でも後を絶ちません。「後悔先に立たず」とはお酒でよくあることです。

 私の考えでは、これらはすべて「飲み過ぎ」が元になってると思われます。飲み過ぎた後、帰宅するまで実際はいろいろ判断しなくてはなりません。この「飲み過ぎた状態で判断し」行動するのですから危険この上もありません。自分ではいいと思っていても、多くの場合正しい判断は決してありえません。

 お酒を飲み過ぎた後、ピアノに向かうとそれが良く分かります。普段弾けてるクラシックの曲が全く弾けないのです。どうしたことか、指がいい加減になり支離滅裂の状態です。ところが不思議なことにポプュラー音楽になると、しらふの時より情熱的にしかもよく弾けるのです。多くの場合、カラオケは飲んだとき、上手く歌う方がいるのはこれに似てるでしょう。

 お酒で最も危険なのは飲酒運転です。しらふの時の判断でなく、飲んだときに判断するのですから、この判断ミスをしっかり弁えなくては、家族まで巻き添えにし身を滅ぼします。

 私が徹底してるのは飲む前に「必ず車を家へ置きに行く」ことにしてます。あるいは、「飲む日は車で職場へ行きません。」職場に駐車しておいたり、ましてや宴会場へ乗り付けることなど絶対あってはなりません。長い人生、いつかは判断が狂い、明朝の不便さを考えると乗り出す可能性は大です。

 お酒ほど幸福と不幸に繋がるものはないでしょう。飲酒運転に限らず、飲み過ぎた時の判断は危険極まりないことです。 

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2007年12月11日 (火)

冬至10日前

Photo 【友人Samuel Toddさん撮影・・・群馬県水沢山頂から】

 今年の冬至は12月22日です。ニューーランドやオーストラリアでは夏至です。子供の頃から不思議に思っていたことは春分の日、秋分の日、夏至、冬至の日がその年によって1日くらい異なるので、どうしてかなと思っていました。

 天文学者でないので正確には言えませんが、これは太陽の周りの楕円軌道上を公転してる地球が、冬至は春分点から見て270度の位置に差し掛かった瞬間で、その時点が日本標準時では今年は22日になってるからでしょう。

 この瞬間がその国の日付では何日になってるかにより、その国の今年の冬至の日が決まるでしょう。来年は270度に差し掛かっる瞬間が日本では22日の少し前なので12月21日が冬至です。

 また、日の出や日の入の時刻が冬至の日を中心として短くても、国立天文台の天文情報センターによると、群馬で日の出が最も遅くなるのは1月4日から1月11日の6時56分で、冬至の日より4分ほど太陽が顔を遅く出します。また、日の入が最も早くなるのは12月5日から12月8日の間の16時28分で、冬至の日より4分ほど早く日が沈みます。

 ですから冬至の日は、日の出に関してはこれからもっと遅くなり、日の入に関してはすでに日が延びてることになります。

 生前、母は「冬至10日前」は日が沈むのが早いと言ってました。昔からそのようなことは経験上、分かっていたようです。

 この時期は「屋敷祭り」をしたり、8人の家族でわいわいしながら餅つきをしたりで、お正月が来る楽しみが次第に高まってきたものです。

 それに比較し、現在では毎日一人で食事する生活となり、時代と共に身近な家族もまったく変化することを悟りました。これは想像しなかったことです。この寂しさはなくしたいと思います。

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2007年12月10日 (月)

2種類あるローマ数字の文字盤

 子供の時から家にはローマ数字の柱時計がありました。おじいさんが買った古時計でもうありません(歌のようです)が、今でもパソコンの部屋にはローマ数字の柱時計が時を刻んでいます。音がボーンボーンと完全4度の低いハーモニーを奏で、なぜか味わいがあり落着きます。

 私たちが日常的に使用するアラビア数字とは異なり、ローマ数字の文字盤は一味違う絵画的パズル的な楽しさが漂います。よく見るとなかなか工夫され、数字の組合わせには一定のルールがあり神秘的です。この組合わせで日常使う数字を表せるのですからよく考えられてます。大きな会議や歴史的催しもの、オリンピックの回数の表示などで度々見ますし、音楽の和音記号として使われます。ドミソはⅠ、ファラドはⅣ、ソシレはⅤという風にです。

 ところで写真上は近くの惣菜屋さんのボナーに飾ってある時計で、下は私の家のものです。ご覧のように、どちらも文字盤がローマ数字です。中心点から見て書いてありますので、どちらも下方は逆さまになってます。しかし、2つの文字盤には相違点があります。どこでしょう。

 4時のところが異なってます。ローマ数字としては上が正しいのでしょうが、何かの理由で下の時計はⅠを4本書いてあります。調べてみましたら殆どの文字盤は下のようになってます。皆さんのお近くにあるのはどちらでしょうか。

 これにはいろいろ説があるようです。見た目に8時との釣り合いにおいて下の方が重量感がありバランスが取れるのでしょう。上のように Ⅳでは中心から見てるのでⅥと似てて紛らわしいことが考えられます。たまたま異なる文字盤の時計が2つあり比較するのにラッキーでした。

 ローマ数字を少し勉強してみました。

Ⅹは10、Lは50、Cは100、Dは500、Mは1000です。9についてはⅨのように10から1引くように表わします。99はⅩCⅠⅩです。そろそろお別れする2007はMMⅦです。 4999はMMMMCMXCIXです。ここまで来るとややこしくなりますね。

 誠に不思議なことにローマ数字には0がありません。0はインドで発見されたといわれます。

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2007年12月 9日 (日)

レース鳩の帰巣性と飼い主の役割

 レース鳩について「先祖から受け継いだ潜在能力を上手く引出すにはどうすべきか」あれこれ考えるのですが、これは飼い主がボケてはいられないことに繋がり、とてもいいことだと思っています。一方、考え過ぎて折角の才能の目を壊してしまうこともありえます。

 それであっても、試行錯誤を繰り返しながらレース鳩の習性を第一に考えてポイントだけは押さえたいものです。レース鳩飼育は何よりも成績という結果が出るので次への目標に発展します。

 レース鳩の習性とは何かを考えた時、猛禽類に対しては命がけで逃げることがあります。一方、これにより真剣に飛ぶので高度ある有効な飛翔に繋がり、体力が養われる面があります。

 これを考えた時、鳩にとって天敵からの心配がない安住の居場所こそ肝心でしょう。当舎でも原則的に毎朝、舎外運動しますが、出舎口を開いても後戻りして飛んで行かないのです。最近ではその傾向が強いです。余程、外界は恐ろしいのでしょう。いやいや出て行く感じです。顔の表情にそれがありありと出ています。

 しかし、この行動はレースにとって、いい傾向ではないかと考える時もあります。そのくらい鳩舎内の居心地がいいのであれば、遠隔地から放された場合、帰巣性は強まる可能性が考えられます。

 このためには、鳩舎内に完全な自分のテリトリー(縄張り)やサンクチャリー(聖域)を持たせることは飼い主の役割でしょう。「隠れ家的な止り木や巣房」はポイントと思います。

  体調に関しては腸の健康こそ体力増強に響いてくるように感じてます。折角、吸収した食物が無駄なくエネルギーに換えられれば、飛翔にとって効果があります。硬い糞こそ望ましく、これは見ればすぐ分かります。いい薬もある時代なので有効に使ったり、レッドストーンなど鉱物飼料及び大根葉など野菜が腸にはいいように感じます。

 このようにしてレース鳩に対し精神的、肉体的に支援した飼い主の究極の役割は個人訓練でしょう。これこそ血統的潜在能力を引出す最もいい方法と思っています。

 県内外の実力者やレース鳩の先進国であるベルギー・オランダの著名レースマンの言葉にも傾聴を怠らないようにしたい。

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2007年12月 8日 (土)

蔵人が上毛新聞タカタイに掲載される

 私の住む倉賀野町には文化施設があまり見当たりません。そのような環境にあって「蔵人」(クラート)は文化の薫り高く、県外からも常連客が訪ねて来る音楽喫茶です。

 一人暮らしのためもあり、時間が許す限り好きな音楽を聴きに行ってます。私は時折ピアノのホームコンサートを開いている関係で、今、練習してる曲について名手の演奏を参考に聴くことができ、紅茶をいただく寛ぎと共に一石二鳥です。 

 最近は専らダン・タイ・ソンによるショパンのノクターン11番ト短調、及び遺作ノクターンハ短調です。家に帰ってからこれらを練習し、いつの日か、お聴きしたい方のためにいい演奏を夢見てます。

 ところで、先日伺いましたら偶然にも女性記者が取材に来てました。地元群馬の地方紙である上毛新聞社です。彼女はたくさん写真を撮り、マスターにいろいろ尋ねていました。私とも少しだけ話す機会があり、このブログで「蔵人」を時々載せてますと言いましたら、アドレスを聞いていきましたので、ご覧になったかもしれません。

 昨日、配達された新聞に写真のように広い紙面を使って「蔵人」が掲載され、マスターとママはすごく喜んでます。中央下の円形の写真に写ってる左の方がマスターで、恥ずかしながら後姿が私です。地図入りですので読まれた方が訪れることでしょう。

 不思議なことにお客は皆さん知り合いになり、いつも和気藹々です。お陰で拙い私のコンサートにいらした方までいます。これはきっとマスターとママのお人柄によることが大きいと思われ、常に家族的な雰囲気が醸し出されています。 

 また、特徴の一つに壁面に120インチの大スクリーンによる映画やビデオ鑑賞が可能で、先日は小澤征爾さんとヨーヨーマさんの共演を見ました。大スクリーンは迫力満点で、つい吸い込まれてしまいます。

 明治11年築による蔵を活用して聴くジャズやクラシックの雰囲気にお客は虜となり、日本人としての懐かしい気持ちが蘇えるのでしょう。

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2007年12月 7日 (金)

比類なき美しさを誇るケイマン

  本日、群馬県の高前バイパスにあるポルシェに見学に行きました。私が見た目では2年前に発売になったケイマンは誠にいつ見ても素晴らしい景観をなしてます。人為的にこしらえた型には感じられないほど、ラインが自然に流れていてつい虜にさせられます。

 人間とは、音楽がそうであるように本当に惹きつけられると、何度聴いても飽きないどころか益々その魅力に吸い込まれてしまう傾向にあるもので、私はケイマンにそのような魔力を感じます。

 右ハンドルでオートマが運転しやすいと思い、受付嬢に訊きましたら右ハンドルでも左ドルでも価格は変わらなくて、マニュアルからオートマになると40万円ほど高いとのことです。右ハンドルにしても価格が上がらないとはいいと思いました。注文による生産販売なので初めから右ハンドルに作るのでしょう。

 発注してから納車まで約10ヶ月かかることも教えてもらいました。実は本日から発売になったGTーRを始めとして他社の車も見学に行きました。いろいろの車の運転席に乗ってみますと気になることがあります。

 背の高い私にとって(もちろん足も長いです。)車内の広さは重要です。特に頭と天井の間の隙間が大切なのです。椅子の高さや前後への移動はできても、基本的に空間のゆとりがなくてはなりません。狭い運転席に押し込められた感じがなく、長距離ドライブとなれば一つの生活空間なので、ゆったりした感じは基本でしょう。

 近未来には乗用車がほしいので、ケイマンは候補です。度々、展示場に見学に行ってますが、営業マンがすぐ寄って来て名刺を出したり、説明を始めることはありません。静かにして車の良さを本人に感じさせるためなのでしょう。

 おっと、そうではなく、プロは買う人と見学だけの人をすでに判別してるのかもしれません。もしかして、ケイマンを買う可能性のある人は現在でもそれなりの車で展示場に来ると考えてるでしょうか。放鳩車で行ったのではすでに後者の人間と見抜かれそうですが、私の気持ちはいい線いってるのです。

 大自然の山々はもちろん音楽も車も、あるいは恋人もそうであるように、比類なきものの虜となりたい。  

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2007年12月 6日 (木)

恋人に見せたい360度の眺望

 小春日和の今日、埼玉県に属する城峯山(じょうみねさん)へ行きました。実は、腹部の調子が悪かった数日の後、引き続いて腰や膝まで変になってきました。特に腰は痛くて堪えきれない程で参りました。それでも大分快復し、もっと足腰を強くしなければいけないと思い、急遽、群馬県の下久保ダムを通過し、埼玉県北部に位置する城峯山(1037m)に登りました。

 登山といっても、9合目くらいまで車で行けます。それから坂道を登ること500メートル程で想像を越えた大パノラマの山頂に着きました。近年、これ程ため息が出るような眺望を見たことがありません。日本中の皆さんに勧めたいです。

 それはご覧のようにマイクロウェーブの鉄塔があり、それに昇れるのです。ですから回りの樹木の上から大展望が開け、全くの絶景です。皆さんが行かれてもきっと感動の坩堝と化すでしょう。埼玉県に在りながら群馬県の山々や町並みが手に取るように輝いてます。

 左は私が住んでる群馬県方面です。日光連山から魔の谷川岳まで一望、たまたま雲が少なくて眺望は見事ですが、多分、冬の期間、晴れてれば多くの日が見事な景色をプレゼントしてくれるでしょう。このような絶景を眺めていると大自然と人間について、また、自分を客観的に捉えられる気がしてなりません。

  平素、群馬の象徴として雄大に聳える赤城や榛名の峰々が、ここからは上越国境の山脈に吸い込まれるようで、雪を被った谷川連峰が他の山を断然超越し見事な山容を誇ってます。ここ城峯山は低山であっても周囲に高い山がなく、このような眺望を可能にしてます。

  画面、右の白銀は草津白根山。左に見える二つのコブは東御荷鉾(ひがしみかぼ)と西御荷鉾です。その間に少し白く見えるのが活火山の浅間山です。これらの山々には登ったことがあるので、当時のことが蘇えります。特に浅間山は20代の時、5回も登頂したので心のふるさとのようです。

  西へ目をやれば八ヶ岳、南アルプス、両神山が遥か彼方より威容を魅せてます。城峯山のように眺望の優れた山に登ると、次はあの峰へ行ってみたいという衝動に駆られ、新たな望みが生まれて一石二鳥です。

 それにしても、本日、思いがけず味わった城峯山頂からの感動を、いつの日か恋人と味わってみたいと心から思いました。

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2007年12月 5日 (水)

渡良瀬川の土手から訓練放鳩

 昨晩のうちに天気予報を見て本日の晴れが分かり、訓練のチャンスとばかり4時に起き、籠につめて5時前には家を出ました。

 距離が30キロほどなので、早く着き過ぎてしまいました。場所は桐生の東で足利よりの渡良瀬川北側土手です。今の時期、日の出が遅くて放鳩までかなりの時間があり、日の出前の寒さに堪えていました。

 鳩たちは流石に5回目の訓練ともなると籠の中で暴れることは殆どなくなり、放されるのを悟っているのでしょうか。1羽1羽が次第にレース鳩として風格が備わってきたようにも見えました。おっと、自画自賛か。

 暫らくしてやっと日の出、遠方に望む赤城の峰々が朝日に染まり始めても、陽の光がなかなかここの土手まで届きません。暫し、寒さに震え待機してましたら、光が鳩たちに降り注ぎ、それに反応するかのごとく、急に動き出しそわそわ始めました。

 太陽が地平線からぽっかり浮いた6時55分一斉に放しました。旋回しながらぐんぐん上空へ登り始めると思ったら、いつものように上昇しません。

 どうしたのかと一瞬不安になりました。案の定、珍しく猛禽の出現です。これは一大事。鳩たちは必死に低空を飛びながら掴まらないように逃げています。見た目には捕獲されたようには思えませんが、放鳩のタイミングが良くなかったようです。もう少し、温かくなってから放すべきだったと反省してます。温かくなって上昇気流が起こってからが上空へ昇りやすいかもしれません。

 それでも、私が帰宅しましたら、すでに先に帰還してて、遅かったねというような顔つきで私を見てます。私は恥ずかしいような、鳩たちが素晴らしいような、でも帰還してて嬉しかったです。しかし、その時点で5羽程度帰還してません。どうしたのでしょう。天気もいいので夕刻までには帰還してくれることを祈ってます。

 次回は栃木県の葛生から訓練します。距離50キロです。小春日和の日を選び、本日の反省を生かしたいと思います。

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2007年12月 4日 (火)

個性ある流行語年間大賞

 今年一年の世相を反映した言葉に贈られる「ユーキャン新語・流行語大賞」の年間大賞に東国原知事の「(宮崎を)どげんかせんといかん」及び高校生ゴルファー石川遼選手の愛称「ハニカミ王子」が選ばれ、どちらも屈託のない純粋なイメージは清々しい印象として残りました。

 「どげんかせんといかん」は宮崎の方言でしょう。彼が知事に立候補した時、この言葉が全国ネットでテレビ放映され、庶民の立場から宮崎県をどうにかしなければならないという真剣な訴えがよく伝わりました。彼は自らを宮崎県のセールスマンと名乗り、かつてないほど個性的で誰にも分かりやすい知事になりました。お人柄は人一倍の努力家、勉強家と聞いています。このような方には心から頭が下がります。今や自分の県の知事名を知らなくても東国原知事の名は全国の皆さんがご存知でしょう。

 「ハニカミ王子」はマスコミがつけた愛称です。彼には恥ずかしがり屋的で気品や謙虚さが備わり、しかも実力は天下一品。この控えめで気品のある表情には全く相応しい愛称に感じます。このような表情の若者をあまり見かけなくなりました。

 ところで、トップテンに入った「大食い」は幾度となくテレビ放映されたので選ばれたのでしょうが、これは世相を反映したこととは思えません。子供は真似したがるものでそうなったら一大事。大人でも健康に悪いことこの上ありません。

 テレビで見る「大食い競争」は考えられない程の量をすまして食べ、こんなことをして日本は何か間違ってるのではないかと感じた人は多い筈です。私たちの身近にも、有名人にも病気で胃の3分の2程を切除し、一度にあまり量が食べられず、数回に分けて食事を摂らざるをえなくて苦労されてる方がいます。

 よく言われる「メタボリックシンドローム」は食べ過ぎないことを力説しています。

 現在、食料の6割を海外に依存し生きてる日本人です。このような「大食い競争」を煽るような番組は目に余ります。一方、世界では毎日5000人もの幼児が飢えで亡くなっていると伝えられています。

 私たちは自らの健康志向と世界の貧しい子供たちのことを考え、最も大切である食べ物は有効にそして無駄にせず扱うべきと思います。

 おっと、「そんなの関係ねえ」と言われるかも。

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2007年12月 3日 (月)

年越しは遺作とテンペストか

 蔵人でショパンの「遺作ノクターンハ短調」を聴き、見事なまでの哀しい旋律に惹かれ、今宵はしばし呆然としてました。

 この曲の前にある「遺作嬰ハ短調」も以前に旋律の魅力に感銘し、ついに練習を開始、その後、人前で弾いたことがあります。こちらは映画「戦場のビアにスト」で多くの方に聴かれ人気抜群です。

 今宵のCDの演奏者はヴェトナム戦争中の幼少時代、地下室で秘密裏に練習したと伝えられるダン・タイ・ソン。戦渦よる混乱の中、母の教えのもとよくぞ猛練習し、世界のダン・タイ・ソンになられました。

 私は音楽を聴いてる時、本を読んだり、いろんな事があまり考えられないのです。それは作曲者が旋律を作った時の心境について、なぜこのような旋律ができたのか私なりにいろいろ推測したいからです。

 蔵人では今宵、この「ハ短調遺作」にゴッホのようなマスターも感銘されたようで、2人で続けて3回も聴いてしまいました。不思議なことに飽きないのです。いくら聴いても新鮮な哀しさがあるのはどうしてなのでしょう。そして、私はふとイスラエル国歌に似ているかなと思いがよぎりました。

 今宵は蔵人で英国王室紅茶をいただきながら、これからの年末年始、この曲に挑戦していこうと心を新たにしました。行動を起こにはやはり感銘が引き金のようです。

 新曲のマスターはかなりの練習量が必要で、ページ別に練習し、しばらく次へ進まないようにしてます。ノートに正の字を書き込み練習回数を記録し繰返し弾くことでしょう。ある程度、回数を弾くと指は次第に記憶してくるので、確実かどうか目や耳で判断しなくてはなりません。

 暮れから正月かけてはレース鳩の訓練やお酒も忙しくなりそうですが、ピアノでは「ハ短調遺作」と「テンベスト」の練習に重点を置いて年越しし、来年こそは本当にいい年であってほしいと思わずにはいられません。

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2007年12月 2日 (日)

身近にいた英語の達人

 一つの学問を究める途上において、その道の先輩には必然的に敬意を払いたくなるものです。

 私の場合、高校ころからなぜか英語が好きになり、授業でも教師の一言一言がどうしたことかよく耳に入り、夢中でノートに記録した思い出があります。あの時は1時間があっという間に感じました。他の教科はだめでしたが、英語の時間は音楽と同様、ずいぶん集中してたようです。

 ところで、サムエル・トッドさんについては職場の同僚で運良く机も隣りでしたので、毎日何気なく英語についていろいろ教えてもらいました。彼はニュージーランドで現地の高校生に暫らく授業していた経験をお持ちですから、オーラル英語は特に素晴らしいです。私の掲示板へも時々英語で登場され有難いことです。

 幅広いことに山岳のベテランですので私は安心して、彼に西御鉾山、天目山、氷室山、八間山及び野反湖、四阿山、荒船山などへ同行をお願いし、これらの山頂に登ることができました。

 一方、マイさんは米国世界的雑誌「Forbes」の日本語版翻訳家として毎月、執筆されてます。他方、英国小説など本の翻訳も手がけられ、これまた英語を職業とされ、第一線で活躍中の女性です。音楽がお好きで知り合いになれました。

 ところで、私にはもう一人身近に英語の達人がいます。その人は長女の嫁ぎ先のお父さんです。多くの皆さんが搭乗されたことがある大手の航空会社の現役パイロットさんです。後に500名からのお客さんを乗せて、太平洋などの大空を飛ぶのですから、これまた凄い仕事です。世の中にはいろんな職業があっても、国際線パイロットとは本当に素晴らしく思います。

 どの国においても管制官との連絡は英語といわれます。飛行中の大空の中、各国の管制官との確実なやり取りとりにより、情報を冷静に判断されるのでしょう。

 親戚ですからしばしば会う機会があり、このようなときはリラックスされてる様子がわかります。私はできるだけいろいろ影響を受けたいと思ってます。

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2007年12月 1日 (土)

人格陶冶の始まり

 タイトルとしては大き過ぎることで簡単には語れませんが、日々、生活することとは、仕事や趣味あるいはその他のことを通じて自分を取り巻く方々と運良く邂逅したことで、これは運命的であると同時に、一方、人は一人では生きられない所以でしょう。

 以前にブログで触れたことがありますが、私たちが生涯に出会う人は1億2千万の人口の何パーセントの方々でしょう。

 多分、あまりにも少なくて、日本のことを狭いなどとは言えなくなるでしょう。生涯で巡り会い話す人は1000人いれば多い方かもしれません。

 それでも、長い人生いろんな人と偶然巡り会い、いずれは宿命である別れに遭遇します。巡り会って知り合いになれたことは僅かな期間であっても「出会いを大切にする」と、また新たな自分を発見できたり、新たな邂逅に繋がる気がしてなりません。

 私は人生経験が少なく上手く言えませんが、何かの縁でお会いした方とは「心を入れて接することこそ」、自分を磨くチャンスではないかと思うようになりました。

 「心を入れて接する」とは「目は口ほどに物を言う」ということに繋がってると思います。日頃、これを心がけて生活したいものです。ご存知の通り、これは「目は口で話すと同じほどの訴えを持つものだ」という先人の教えです。

 具体的には人と話すとき、瞳だけ動かして人を見ないで、必ず顔全体を相手に向ける、あるいは身体全体を先方である話し手に向けることと思っています。瞳だけ相手の方に向けると「心が入ってない印象」になってしまいます。

 自分と出会った方には正面を向けて話を聴きたいもので、自分の考えもしっかり聞いてほしいことから良い関係が成り立つのではないかと思ってます。何かの縁で巡り遭った人を大切に思えば、自ずから前述のような仕草になると思います。ブログに書いたからには私も日々の生活で態度を改善しなくてはなりません。

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