108の煩悩と除夜の鐘
いよいよ平成19年の大晦日を迎えます。今年の世相を漢字で表わすと「偽」ということだそうですが、新しい年は社会からこのようなことはなくしたいものです。
生きてると次から次へと人を悩ますことが、毎日のように内外から起こります。しかし、無意識のうちに自分の心に起因してることもあるかもしれません。
20代の時、インドのガンジス川中流域に位置する「ブダガヤ」の町を訪れました。ここ「ブダガヤ」は釈迦が仏教の悟りを開いた所と伝えられ、ブダガヤのブダとは仏陀に由来するのでしょう。ここにはチベットからの仏教徒が多く訪れ、寺院の周りを右回りで幾度となく歩いたり、正面では日本人から見ると考えられないような正に全身全霊による拝み方をしています。
それは、ひざまずき、そして全身で地面を這う、うつ伏せの格好で手足を最長に伸ばし、また起立しては合掌し、再び、地面に伏し手足を思い切り伸ばし、起立し念仏を唱えます。これを繰り返すと現実には衣服の前面がすれ切れてしまうので、体の下に戸車のついた板を敷き、それに体を委ねてこの一連の行動を幾度となく繰り返すのです。どれほどの回数であったかは数えませんでしたが、今思うに108回ではなかったかと想像してます。
当時、仏教について何の勉強もしてなかった私は今思うにずいぶん価値あるところを旅してきたように思います。
近くを流れるガンジス川では多くの老若男女が一見無我の心境で念仏を唱えながら衣服を纏ったまま水浴してます。インド各地から訪れているようです。こちらはヒンズー教です。
ところで、日本では大晦日の深夜から元日にかけてと、人間が内面に持つといわれる108の煩悩を打ち払うためといわれ除夜の鐘を鳴らします。私も菩提寺で撞きます。住職でないので確かなことは承知しませんが、煩悩とは、私たちの心の奥に潜む心身を悩ますあらゆる欲望といわれます。
しかし、この108という数字の由来がよく認識できませんでした。一方、日常よく使われる言葉に、汗水流し苦しんで頑張る姿を「四苦八苦」するといいます。これは仏教用語と思われ、数字に置き換えると「49・89」となります。掛け算にすると4×9=36及び8×9=72です。この36と72をプラスすると108になりますが、もしかして、これは無関係ではないかもしれません。
四苦八苦とは本来、生きてる間は生まれ出ることに始まり、死ぬまで次から次へと苦しみがあり、それは愛する人との別れをはじめ、反対に嫌いな人とも会わなければならないこと、自らの欲求に自制がなくなることなど、4つのほかにまた4つの苦しみがあることを言うらしいです。
最近は過疎化のため「除夜の鐘」を打つ人がいなくなり、電気によるオートマチックの除夜の鐘が増えてるそうですが、やはり、この一年を振り返り、心と体で思いを込め叩きたいものです。
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