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2007年12月15日 (土)

倉賀野の歴史を偲ぶ巨木

 江戸時代の上州・倉賀野の活気は満ち溢れていたようです。中山道の宿場町として賑わいを見せ、たくさんの蔵が散在し、それは地名の由来とも言われてます。その中にあって最大の特徴は江戸からの帆掛け舟が往来し、倉賀野河岸をターミナルとして信州や越後への交通の要所であったからといえるでしょう。

 今でも烏川のほとりを散策すると、河岸跡は船着場の面影が感じられ、停泊しやすいように流れが穏やかです。その河岸から曲がりくねった牛街道を上り中山道に合流したところに法令や禁令を掲示した高札場がありました。

 写真はその隣りにある現在の須賀(喜)家の前に建つ脇本陣の碑です。この家の作りは倉賀野の中でも江戸情緒を今に伝える唯一の建築物と言えそうです。屋敷の表裏にある歌舞伎門、江戸瓦、防火壁、格子戸の建具、及び外部侵入者を防ぐ刺の垣根はそのまま現存してます。

 倉賀野の方でもこの家の中に入らせてもらった人は数少ないと思われますが、私は10才頃、父に連れられて入らせてもらった思い出があります。特に裏に広がる庭園には数々の樹木が茂り、幼い日の私にも倉賀野には植物園のような庭園があると驚いた記憶があります。

 その隅に今でもそそり立つ巨大なケヤキは江戸時代の栄華を物語るかの如く倉賀野の四方から眺めることができます。私の推定で樹齢約500年と思われるその巨木の高さは約40メートル、1本1本の枝は一般のケヤキの幹に相当するほどの太さです。

 人間の寿命とは比較にならない想像を絶する年月の刻み、幹の梢が詰まってるように見え、それも物怖じしない凄い貫禄です。このような巨大な古木であっても初夏には全体が若々しい新緑に覆われ、それは野鳥にサンクチャリーを与え、私たち町民に朽ちない永遠の息吹を感じさせてくれます。

 倉賀野に生まれ育った人たちはこの巨樹を朝夕仰ぎ見て成長してきました。

 人間の肉体は簡単に朽ちてしまいがちであっても、巨樹の計り知れない生命力の一片でもいいから授かりたいものです。私たち人間も精神的に肉体的に大地にしっかり根を下ろし、人生の荒波という風雪に耐えると共に、自然からの恩恵を享受し、巨樹の生命力に一歩でも近づきたいものです。 

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コメント

 私は田子屋で生まれ育ち現在上町にすんでいます。これからも倉賀野町の昔話等お聞かせ下さいませ。

投稿: ケロ | 2011年6月22日 (水) 13時43分

ケロさんへ
 拙いブログへのアクセスとコメントに感謝いたします。私も上町です。郵便局の西北でレース鳩を飼育し、植木を育てています。昔は仲町の原道屋でした。
 江戸時代から長い期間続いたであろう倉賀野の昔のお祭りなどのことは次第に脳裏から離れる傾向です。
 しかし、これからも倉賀野町の事実を掘り起こし文章にしたいと思ってます。
 お近くですので、これからも宜しくお願いいたします。

投稿: カッキー | 2011年6月22日 (水) 17時24分

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