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2007年12月20日 (木)

なぜ年末に第九が演奏されるのでしょう。

Kc3a4rntnertortheater_1830  写真はベートーベン自身の指揮により第九が初演されたケルントナートア劇場。

 Freude schoner Gotterfunken Tochter aus Elysiumと歌われるベートーベンの第九は日本で12月に150回以上演奏されるといわれます。

 青年時代のベートーベンはシラー文学へ造詣を深め、彼の作品「歓喜」に謳われた崇高な人類愛に傾倒し、その全節に音楽をつけようと志したといわれます。この詩に出会ってから第九が完成するまで実に30年もの歳月を費やし、生涯をかけて取り組んだ作品といえるでしょう。しかも、48才頃から殆んど聴力を失っていたようです。

 日本で初めて第九が歌われたのは90年前、徳島県鳴門市で行なわれたドイツ兵捕虜による演奏ということです。ドイツでは昔から大晦日に第九を演奏する習慣があったといわれ、彼らも故郷を懐かしんで歌ったのかもしれません。

 一方、指揮者ローゼンシュトック氏がドイツでは大晦日に第九を演奏する習慣があることを日本の楽壇に紹介したともいわれます。

 これと同じようなことで、イギリスでは「Auld Lang Syne」(蛍の光)が大晦日の深夜に歌われ、新年を迎える習慣が現在でも行なわれてるとイギリス人から聞いたことがあります。

 ところで、日本では「なぜ第九が年末の恒例になったのでしょう。」

   これについて私の考えは次の通りです。まず「歓喜の歌」が大変覚えやすい旋律であることが考えられます。この理由は日本人が得意とする「五音音階」でできてることにより、異国の感じがなく、気持ちがしっくりするのでしょう。日本の昔からの民謡や童謡の殆どは「ドレミファソラシド」をすべて使ってません。楽譜を調べれば多くは「五音音階」であることが分かります。

 歓喜の歌の主旋律は「ドレミファソ」のみで作曲され、そして作詞者が「シラー」なのでおもしろいです。

 現実に戻って、どなたでも生活の大切な基盤は経済です。声楽のソリストやオーケストラの楽員は会社員のようなボーナスを自分たちで年末に稼がなくてはなりません。経済を考えると年末に第九を演奏しないわけにはいかないと思います。

 合唱団や聴衆は1年の締めくくりとして、これを歌ったり聴いたりしないと年が越せない心境であっても、オーケストラ楽員などにとっては平素の定期演奏会とは雲泥の差で集客率の良い「第九」を演奏しないと遣り繰りがつかない台所事情があると考えられます。

 こんな現実があっても、年末には第九を歌ったり鑑賞して、Alle Menschen werden Bruder(すべての人々は兄弟になる)の願いのもと、来年こそは世界から災害、飢餓、病気を減らし、住みよい地球にしたいと願わずにはいられません。

  最後に付加えたいことは「第九」の作詞者であるシラーはこの曲が完成する19年前に世を去り、自身が作詩した「歓喜」を「第九」の音楽で聴いてないです。

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