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2007年12月21日 (金)

ドボルザークのように新世界へ行きたい

 新世界と言っても「あの世」ではありません。そうそう、以前に葬式の香典袋の左上に筆で「新生活」と書くべきところ、「新世界」と書いてしまいました。あれっと、玄関を出る前に気づきました。

 丁度その頃、新世界のシンフォニーを良く聴いていたのです。そのことが頭にあったのでしょう。いとも自然に「新世界」と書いてしまったのです。でも良く考えたら「あの世は新世界かな」とも思いました。いくらなんでも悲しい受付付近で、笑いが起こったら雰囲気を壊すと思い書き直したのです。

 私は脱皮したいことがいくつかあります。写真のように、すごく揺れる橋で下を見ると千尋の谷であっても、一歩一歩進めば目的地に近づくことは分かってます。しかし、人生の橋は予想より長く、思いがけない危険もあるでしょう。果たして向こうに渡りつき脱皮できるでしょうか。   

 そうだ、橋が渡れなければヘリコプターで空から行く方法もありえます。鳩レースでの長距離帰還や英語の語彙そしてピアノなど、今までより明日こそと目標を持って頑張っても、どれもstep by stepで茨の道です。それでも、橋の遥か向こうには女神が微笑んでる気はするのです。気を遣わないで頭を使うべきかもしれません。脳はそうは動きません。

 度々、登場するケイマンへの夢はあっても先立つ物の抵抗があります。暫らくは放鳩車アクティーバンです。近未来、ケイマンで国内旅行したい気持ちがあります。実現あるのでしょうか。

 来年こそは橋を渡り、新世界へ行きたいです。レース鳩や語彙そしてピアノで一皮も二皮も向けてみたい。それには今の家庭境遇から脱皮し、温かい家庭が基本と思います。

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