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2007年12月 1日 (土)

人格陶冶の始まり

 タイトルとしては大き過ぎることで簡単には語れませんが、日々、生活することとは、仕事や趣味あるいはその他のことを通じて自分を取り巻く方々と運良く邂逅したことで、これは運命的であると同時に、一方、人は一人では生きられない所以でしょう。

 以前にブログで触れたことがありますが、私たちが生涯に出会う人は1億2千万の人口の何パーセントの方々でしょう。

 多分、あまりにも少なくて、日本のことを狭いなどとは言えなくなるでしょう。生涯で巡り会い話す人は1000人いれば多い方かもしれません。

 それでも、長い人生いろんな人と偶然巡り会い、いずれは宿命である別れに遭遇します。巡り会って知り合いになれたことは僅かな期間であっても「出会いを大切にする」と、また新たな自分を発見できたり、新たな邂逅に繋がる気がしてなりません。

 私は人生経験が少なく上手く言えませんが、何かの縁でお会いした方とは「心を入れて接することこそ」、自分を磨くチャンスではないかと思うようになりました。

 「心を入れて接する」とは「目は口ほどに物を言う」ということに繋がってると思います。日頃、これを心がけて生活したいものです。ご存知の通り、これは「目は口で話すと同じほどの訴えを持つものだ」という先人の教えです。

 具体的には人と話すとき、瞳だけ動かして人を見ないで、必ず顔全体を相手に向ける、あるいは身体全体を先方である話し手に向けることと思っています。瞳だけ相手の方に向けると「心が入ってない印象」になってしまいます。

 自分と出会った方には正面を向けて話を聴きたいもので、自分の考えもしっかり聞いてほしいことから良い関係が成り立つのではないかと思ってます。何かの縁で巡り遭った人を大切に思えば、自ずから前述のような仕草になると思います。ブログに書いたからには私も日々の生活で態度を改善しなくてはなりません。

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