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2008年2月

2008年2月28日 (木)

旧暦の「桃の節句」は必ず大安

 二人の娘が初節句のとき、私の両親や姉たちから贈られたお雛様は娘たちが成人し家から離れた今でも、艶やかな姿で人気のない家を賑わしています。

 父としての私は現在一人で住んでいても、娘たちの小さかった往時を偲び、昨日、玄関を入ってすぐ目に付く所に飾りました。妻が生きてた頃は2月になれば早めに出してましたが、私は忘れていて昨日になって飾ることに気づきました。

 歴史的には平安時代頃に京都の宮中で始まったといわれる「ひな祭り」は赤ちゃんの「身のけがれ」を祓うものとして、元来このように高貴な生まれの女の子の厄除けと健康祈願のお祝いとして始まったのが由来らしく、江戸時代より庶民にも定着してきたのでしょう。

 このように昔も小さな女の子を大切にし、身に降りかかる病気や怪我などの災厄を紙人形に身代わりになって引き受けさせたい気持ちから、川に流した「流し雛」へと発展したことも考えられます。

 私の子供の頃は今の時期になると父母はひな祭り用に餅をついてくれました。紅白のひし形の餅にしたり、白酒を供えました。こうして見事な七段飾りは近所の人、姉の友だち、親戚の人たちが見に来たものです。

 ところで、「桃の節句」という言葉は3月3日のひな祭りを言うわけですが、今の季節ではまだまだ寒くて自然界では桃は咲きません。それなのに、なぜ「桃の節句」といわれるのでしょう。

 これはきっと右の人気ランキングに登場の六曜が使われていた旧暦【太陽太陰暦】の名残と思われます。

 庭の大きなしだれ桃は4月上旬に開花し目を楽しませてくれます。つまり、江戸時代までの3月3日は現在の4月上旬であったので、桃の開花時期と一致してたことになります。

  今年の旧暦3月3日は現行の太陽暦で4月8日です。不思議なことに必ず大安です。

 このことから昔も大安吉日に赤ちゃんの健康を祈願したことが窺え、先人の温かな気持ちが滲み出ています。

 「ひな祭り」の由来は、豪華に着飾るというより、医療が発達していない大昔はきっと幼児の病死が多く、おひな様に病魔を身代わりに引き受けてもらい、わが子の災厄を追払う親の切なる願いから「守り神」として始まったのでしょう。子供の健康を願う親の心はいつの時代も変わりません。

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2008年2月26日 (火)

私の感ずる携帯マナー

 しばらくぶりに携帯を新しいものに変えました。以前の携帯も買ったとき最初は戸惑いがありましたが、いつの間にか慣れてしまい、最近ではメールもどんどん打てるまでになりました。車の運転もそうですが、人間とは意外と新たなものに順応するものです。

 昨日、購入したものは最新式でしょうか、かなり薄型でディスプレイは広く、これでもかというほど鮮明で驚きです。技術は日進月歩であることが文字通り手にとって分かります。私の場合、電話として受信することはあっても、発信することはあまりありません。

 また、メールくらいで他の機能は殆ど使用しません。以前に高崎駅前「どんどん」で一杯飲みながら拙いこのブログを見てました。しかし、翌月の請求書がいつもの倍くらい高いのです。電話をかけることは殆どないのに、どうしたのだろうと思いました。

 結局、一人で飲んでいたこともあり、自分のブログを客観的に見たいと、その都度アクセスしてたからなのでしょう。携帯でのインターネットは意外と高いことを知りました。

 それに引き替え、パソコンでのインターネットはいくらブログを書いても、いろんなサイトを拝見して楽しんでも、携帯の費用に比較して全く安くて不思議なほどです。月にラーメン4杯ほどの値段です。

 ところで、本日のテーマです。携帯のマナーとしては近くに心臓ペースメーカー装着の方がいる可能性があったり、運転中の禁止、着信音や話す声が周囲に迷惑をかけること。病院では医療機器に影響を与えてしまうなどは一般的に言われることで、守るべきエチケットであることは言うまでもありません。

 しかし、携帯の使用で「これでもいいのか」とその光景に寂しくなることがあります。いろんな場面で目にします。それは少ないグループで行動してたり、友人と二人でいたり、パートナーと一緒にいる方々のときです。

 全く不思議に思うのです。そのような時は現在そばに一緒にいる人と話をして交流すればいいと思うのですが、お互い携帯を取り出して何を見てるのか分かりませんが、多くは各々がメールを打ち始めたり、あるいはメールを見てたりする光景が目に入ります。

 なぜ、一緒にいる人と交流しないで、そこにいない人にメールを打ったり、読んだりして心をそちらに向けるのでしょう。私にはその行動が不思議に思えてなりません。隣り合ってるのにお互い黙って自分の携帯を見てる光景に薄ら寒さを感じてしまいます。携帯についても遠くの親戚より、近くの人ではないでしょうか。

 何かの縁あって、その時間その場所で向き合ってるのです。それこそを大切にすべきでしょう。なかんずく夫婦の間でもそのような光景を見るときは、どうしてしまったのだろうと他人事ながら、これは不幸な関係ではないかと勝手に心配してしまいます。

 昔に比べれば夢のような携帯であっても、それに頼り過ぎず、生き生きした人間関係こそ基本にしたいです。Charity begins at home.は便利すぎる現代には、ますます必要な諺でしょう。

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2008年2月24日 (日)

榛名湖畔の猛吹雪、闇夜を一人歩く

 23日の群馬県の気象は大荒れでした。この寒い中、榛名湖畔の高原荘で中学時代のクラス会が開かれ、高崎駅から榛名湖行きのバスに乗りました。利用客は少なく、榛名神社以降の乗客は私一人になりました。

 夕刻であっても、降雪のため辺りは薄暗く、バスはカーブの坂道をグングン登り、終点の榛名湖畔に着いたのが丁度6時。人一人いないターミナルに着くや否や、一面氷結した榛名湖から吹きすさぶ猛烈な吹雪は視界を遮りました。

 ここバスターミナルから高原荘までは近いと思い歩き始めました。「これが大きな判断ミスだったのです。」特に吹雪に対する装備はしておらずジャンパーは着ていても手袋や帽子はありません。バスの運転手に教わった方向へ電灯もない雪道をリュックを背負い進みました。

 いくら歩いても高原荘らしい灯りは視界に入らず、あたりはますます暗くなって氷上からの吹雪は横殴りとなり、私の顔面を総攻撃。髪の毛と睫毛はバリバリに凍りつき、指は凍傷気味で感覚ゼロ、口の中に入れて温め続けました。髪の毛を触ると氷でかたまりゴワゴワ。横殴りの吹雪に時々立ち止まって、身体が倒れないようアイスバーンの上を踏ん張りました。

 それでも、運転手から榛名富士ロープウェイの近くと聞いたので、夏に来た道を思い出し、勘を働かせ一歩一歩前進。近くは凍てつく湖であっても、道との境は分からない危険な状態。生まれて初めて体験した気温推定マイナス20℃前後、吹雪とアイスバーンの暗い道なき道。

 肌に突き刺さる自然の猛威をこのまま1時間以上受ければ、体全体が凍傷になり、遭難とはこのような状態と感じたのです。誰にも助けを求められない過酷な孤独状態は30分ほど続き、湖畔の南東側を約半周しました。

 今回、想像絶する自然の脅威をもろに受けて感じたことは、もし、本格的な登山で道に迷い吹雪の中で一夜を過ごせば、命はないと知りました。

 やっとのことで高原荘の灯りを発見。厳寒の玄関に着いたときは安堵の気持ちでいっぱい。主の「連絡をくれれば車で迎えに行ったのに」の言葉には山の人の温かさがありました。すぐに温泉に入り身体を温め、髪を洗い、特に縮かんだ手足の指をマッサージ。

 まだまだ若いのだろうか【?】私の身体はすぐほぐれ、旧友の待つ懇親会場に着きました。すでに雰囲気は和やかで私は拍手で迎えられ、目頭が熱くなりました。友人たちはマイクロ貸切で高崎駅から来てました。私は所用があったので単独となり、思わぬ体験。「自然を甘く見ない」大きな勉強ができたのです。

 それにしても、その後のお酒はこの上なくおいしく、外界は猛吹雪であるのに午前3時まで語り合いました。

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2008年2月22日 (金)

海外日本人学校へ派遣される先生へ

  群馬県から平成20年度、海外日本人学校へ派遣される先生方は11名です。任地はサンパウロ、上海、メルボルン、バンコク、スラバヤ、深川、カラチ、台北、ジェッダ、高雄、ヤンゴンです。

 現在では簡単に海外渡航できますが、教員として長期滞在する機会はそうはありません。この千載一遇のチャンスはきっと任地が「第二の故郷」になるでしょう。

 滞在の目的は日本人学校に於ける児童生徒の教育です。国内での経験を生かされ、日本から遠く離れ生活している子供たちに希望を与え、ぜひ「将来、世界で活躍できる日本人」を育成してほしいと思います。

 一方、個人としても精神的にゆったり過ごされることは大切でしょう。その方法はいろいろあると思われます。日曜日などは滞在する町を中心に見聞を広めたり、現地の方々と交流されて、例えば、民族楽器を習ったり、その国独自のスポーツに親しむなど、それぞれお考えの分野で交流されれば、滞在もより意義を持ち、3年間の日々はたちまち経過していくと思われます。

 また、英語はもちろん「現地の言葉を積極的に使って生活」されれば交流に幅ができると思います。「言葉は毎日自分で使って身につくもの」と思っています。数年前、私はインドの青年を10日間ほどホームステイとして受け入れました。その時、しばらく使ってなかったヒンディー語が私自身に蘇えったのです。若き日、生活で使っていたので脳裏に残っていたのでしょう。彼を勤務校に連れて行き生徒との交流の機会を作っことがあります。

 任地では特に気候や文化の違いが大きく、動植物の種類、天体の位置や動き、食事、貨幣、言語、風習、お祭りなど宗教行事、音楽など日本と異なり、文字通り別世界です。「現地の方々に積極的に溶け込んで」「何でも見てやる」「何でも体験してやる」をモットーにして生活されれば仕事にも生きるでしょう。

 1年目は気候、食事、衛生面から健康に留意され、学校での業務を一通り経験されれば、2年目からはいろいろ慣れてくると思います。私の場合「日本のことを忘れてくる現象」が起こりました。ぜひ、「国際理解教育の最先端にいる教員」としての誇りを胸に邁進してください。

 私は運良く学校卒業と同時にカルカッタ日本人学校に赴任したので、ずいぶん昔のことになりましたが、今でも1日としてインドでの生活を忘れたことはありません。

 赴任される国の国歌の楽譜を歌詞つき、訳つきでお贈りしますので、交流に役立てていただければ幸甚です。

  海外滞在中、現任校でお教えしてる児童生徒さんたちも成長します。帰国後、彼らと再会する時の成長ぶりも楽しみに、海外勤務を送ってください。新天地でのご活躍を祈念いたします。

 3月上旬には前橋市内で海外派遣教員壮行会があり、私も参加させていただきます。

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2008年2月20日 (水)

見事な眺望を誇る伊香保見晴台

Photo 【Double click please!】 

 群馬県の中央に位置する榛名山中腹に日本の名湯「伊香保温泉」があります。この温泉街の最高地点に伊香保スケートセンターへ行くロープウェイがあり、これに乗るとあたかも天空へ登るかの如く白銀の山々が眼前に広がります。

 ロープウェイの窓から下を見ると雪の中に小さな足跡をたくさん見ることができ、狸やウサギなど野生動物が活動してることが窺えます。山頂駅を降りると、スケートセンター入り口です。そこを標識に沿って左方面へ10分ほど歩くと、ものの見事に白銀の上越国境の山々が望めます。その長い連なりは群馬の別天地と言っても過言ではありません。

 本格的な山登りをしなくても、このような絶景をすぐ見られるのは群馬に住んでるお陰で幸せです。

 「短い人間の歴史など比較にならんぞ」と言わんばかりに白銀の谷川連峰はその威容を見せつけています。一方、1000人もの犠牲者を飲み込んだこの連峰は美しさとは裏腹に大自然の脅威をも人間に示しています。サミュエルドットさんと登った八間山や平標山がまるで「お~い、しばらくだね」と、こちらに向かって合図しているように見えます。

 この展望抜群の見晴台はお薦めです。アクセスは関越自動車道・渋川インター下車で、あとは標識に従い伊香保温泉方面に行けばよいのです。絶景を見た後、日帰り露天風呂に浸かれば一石二鳥の味わい深い旅となるでしょう。

 ここ伊香保見晴台は意外と知られてないのでしょうか、ほとんど訪れる人もいません。このような絶景を見るには季節的にチャンスがあると思います。それは空気の澄み具合です。春や夏よりも「今の早春こそ」空と稜線のコントラストが明瞭です。まだまだチャンスは続くと思われます。日本列島が高気圧にすっぽり覆われる日に行かれれば、今の時期は一年でも最もいいでしょう。

 私が訪れた時はカップルが2組と私だけでした。彼らもこのような白銀を目にして、心はいっそう近づく思いであろうと、内心またもや私は孤独になりましたが、雄大な谷川連峰はそんなことちっぽけな事だと訴えているようにも見えました。

P1020492 今回、白銀の上越国境を見て、青春時代にカトマンズから見た万年雪のヒマラヤ山脈を思い出しました。

P1020491  いつの日か再びネパールへ行き、もう一度、カトマンズ近郊の段々畑と世界の屋根を眺めたい。ついでに隣国のブータンに行き、「本当の幸せとは何か」を考えたい。その時こそパートナーと行ってみたい。 

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2008年2月18日 (月)

Anti-aging. いつまでも若くいるために

 一人暮らしをしてると毎回の食事は待っていても出てきません。これは大変なことで寂しい中にも三度三度、自ら必ずどうにかしなくてはなりません。しかし、孤独な食事にもまったく良さがないということではないように最近は感じてます。

 それは栄養の摂取において人任せにしない自分があり、食べ方はもちろん、バランスについても考えるようになったからです。

 医師でないので、体内のことについてはあくまで感覚的な面から判断してますが、「胃や腸の働きを活発にすることこそ」健康の源と考えるようになりました。これは人間の意志でできることです。

 胃腸で摂取し蓄えられた栄養は脳を始めとして全身に循環し、身体の組織を新たに作り変えたり、エネルギー源として運動能力に生まれ変わると考えられます。

 胃腸の働きを規則正しくする唯一の方法は「朝食をきちんと摂ることに尽きる」と日々の生活から感じてます。大切な脳に関する集中力、記憶力、思考力、判断力、創造力などは脳に栄養が行き届いてこそ高まると考えます。

 一般的に言われてることですが、習慣として朝食を抜くと、昼食や夕食をつい食べ過ぎる傾向になったり、どうしても間食をする可能性が起こるでしょう。胃を休ませることから間食はできるだけ避けたいものです。

 胃腸を活発にする方法について、これは古来から未来の人間に至るまで永遠に尽きないテーマでしょうが、その解決方法の一つとして新陳代謝を活発にする運動は続けるべきでしょう。お腹が空くということからも相乗効果が期待できます。

 新陳代謝のことを英語でmetabolismと表現するようですが、「飽食の現代においては日々食べ過ぎないことに心がけ」代謝を充分にしてmetabolic syndromeから身を守りたいものです。

 胃腸にいい方法を続けることは最近しばしば聞かれるanti-agingにも期待が持てるでしょう。「anti-aging は胃腸の健康から」とも考えられます。

 人間誰しも、いつまでも若くいたいものです。歯、髪、皮膚など目に見えること以上に、まず、脳にこそ老化が迫ってくると考えなくてはなりません。これは本人が気づき難いことですが、anti-agingのために最も心すべきことかもしれません。私たちは目、耳、口、手、足を使って「常に興味ある分野に燃えてる脳」でありたいものです。

 近頃、私はハーブティーを頂いてます。胃腸の活発化には自然でいいようです。

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2008年2月16日 (土)

永遠に変わらぬ想い

 すでに3000回以上も食事は一人の私です。朝食や昼食をとるとき、夕刻、高崎駅前「どんどん」で一杯飲むときでさえ、どうしても寂しさがあり、お店のスタッフの方々に話しかけ孤独感を目先の笑いに紛らせてる自分があります。

 今朝は近くのデニーズ矢中店で朝食をとりました。このレストランは今月24日で閉店となる予定で、私としても不便になるので困っています。経営不振とのことで存続できないようです。ここにも世界経済の波が押し寄せてるのでしょう。

 今まで朝食でずいぶん助かりました。それにも増してスタッフの方々に親しくしていただいて感謝この上もありません。お陰でデニーズの朝食では孤独感を忘れている私がありました。

 このように一人で食事をとっているとき「人の幸せとはいったい何だろう」と自然に考えるようになります。

 幸せについてあれこれ考えても今の私にとって、孤独感からの開放こそがすべての窓口ということにあります。私の幸せとは私の脳が幸せと感じるかどうかです。いつの日にか、そのような心の状態になりたいです。

 人によって幸せの価値観は異なっても、通奏低音のように万人に共通してることは、健康でありたいこと、経済が安定したいこと、仕事や勉強、趣味で成果が上がりたいこと、そして何より尊いことは「心から好きな人がいること」と考えるようになりました。

 私の知る限り18~19世紀の大作曲家において、多くの名作が生まれた過程では「心から愛する人の存在が大きく」それが優れた創作に結びつき、恋人にこの曲を聴いてもらいたい、奏でてもらいたい、深い心情を音楽で表現したい。そして何より「溢れ出る恋人への気持ちを余すところなく伝えたい。」これが創作への大きな動機づけとなっているように感じてなりません。

 例えば「月光の曲」を聴くと、ベートーベンの心境は湖に映る月の光にまったく関係なく、連続した3連符は「恋人への永遠に変わらぬ想いで満ち溢れているよう」に聴こえてなりません。

 今の私の心は大作曲家のレベルには程遠くとも、ショパンの「遺作ノクターン」ハ短調に気持ちを託し、庭に大きな「しだれ桃」が咲く頃、聴いていただけるようになりたい。

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2008年2月14日 (木)

今年の景気は前半減速、後半回復か?

 日本では格差社会やワーキングプアー、消費者物価上昇などの言葉が聞かれる昨今です。これらは深刻な社会問題になりつつあります。しかし、元を糺すとグローバルな経済と関係があるように思えてなりません。

 今年になっても原油高、株安、円高で景気に対する懸念はいっそう強まっており、特に米国低所得者住宅関連のサブプライムローン焦げ付き問題は利下げ効果の浸透を受けても、未だ山を越えたとは言えず、金融機関の損失へと拡大し、アメリカ景気の先行きは依然として不透明感が漂うというのが一般的な見方のようです。

 日々、経済社会の中にいる私たちはこれらの動向に無関係ではいられません。これは医師でなくても、健康については人一倍真剣に考えなくてはならぬことに似ています。

 米国経済は世界経済の3割ほどを占めるといわれ、日本を始め各国の経済に多大の影響をもたらしていると考えられます。夜中にラジオを聞くと、アメリカの株価についてや為替レートについて時間を追って発表があります。

 「不思議なことに殆ど狂いなく、翌日の日本経済はアメリカの株価に沿って動いてます。」注意してると良く分かります。日本の株価は12時間前のアメリカの株価の上下がそのままの状態で表れます。

 ですから、これにより翌日は株高であるか株安であるかが想像でき、ナスダックを通じてジャスダックの動きも想像できます。

 気象予報士さんは天気のプロで、明日明後日また今後一週間の天気について予想されますが、元々、大自然について近未来の動きを人間が予知するのは困難なことです。それでも今までの統計から、同じような気圧配置や寒気団の温度によって、ほとんど正確に予想できるのでしょう。

 経済の見通しはこれに相通ずるところがあっても、自然とはかなり異なり、世界の状況は年々変化してるため、専門家であっても今後の予想は難しいと思われます。

 そこへ来て、素人の私が予想しても始まりませんが、現在、米国の景気に懸念があっても、2000年前後からの世界経済は、いわゆる新興諸国の下支えが近年顕著になってるように思います。

  また、今後、徐々にではあっても米国企業では利益が見込まれ、それに伴なう株価の上昇、及び米国の個人消費は底打ちから上向き傾向にあると伝えられること、世界が注目のアメリカ大統領選挙の行方次第であっても、これらを勘案すると、アメリカ経済は緩やかに持ち直し、その結果、日本でも遅くとも8月頃からは株高、円安傾向とみますが、実際は、どう推移するか期待も込めて見守りたいものです。

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2008年2月12日 (火)

一晩中起きて警戒する門番

   写真は運良く学校を卒業するや否や赴任した当時のカルカッタ(現・コルカタ)日本人学校です。

 今、顧みると若き日の私にとってインド生活は驚きの連続で、事前に想像できていても実際に街で聞く言葉はベンガル語やヒンディー語のみの世界。当時、日本でこれらの外国語の本を見つけることは不可能で、毎日ちんぷんかんぷんでした。

 これに加えて赴任当初の4月5月は真夏、午前11時頃が最高気温となり、日陰で測って42度。心臓は運動した後のように速い脈を打ちます。頭上から照りつける太陽のもとで道路上は50度くらいと思われます。

 中でも日本と異なるのは文化・風習の違いでした。カースト制は廃止されていても、身分の違いは変えられるものではないようです。

 インドで驚いたことはたくさんあっても、日々の生活において使用人を雇っていたことは生活が一変しました。王様になったようです。彼らたちはいわゆる召使です。初めてもらったインド・ルピーの給料の中から彼らに給料を払っていました。

 これらの人たちの職種は料理人、スウィーパー(掃除人)、ベアラー(家事全般)、ドライバー、門番などです。風習として洗濯も自分ですることができず、ドビーという洗濯する人に週に2回ほどしてもらいました。

 インド滞在当初、夜、音に驚きました。それは深夜、毎晩パチンパチンと鋭い音がするのです。何だろうと思って外を覗くと、門番が家の外を周回し、竹のような長い棒で地面を叩いて、侵入者や泥棒が来ないように見張っているのです。この音はあちこちで聞えました。

 この深夜の音に初めは気になっても暫らくして慣れ、次第にこの音が安眠を誘うようになるのですから人間は環境に慣れるものです。彼らは一晩中起きて任務を果たし、日中は寝ていることが多かったです。

 私の顔を見ると「チッティーアーターハイ」と言って、日本から手紙が来たことを知らせてくれた声が今でも耳に焼きついてます。両親、友人、恋人からの手紙にどれほど嬉しかったかしれない私でした。

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2008年2月10日 (日)

列島を縦横に飛翔するレース鳩たち

 建国記念の日にふさわしく2月11日の朝は推定20万羽以上のレース鳩たちが日本列島上空を縦横に飛び交います。

 関東以西を根拠地とするレース鳩の多くの連合会や支部は北から南へ向けて鳩を放します。特に関東地方の連合会や支部では福島県や宮城県あたりから南へ向かって放し、一方、北海道及び東北地方の連合会や支部のレース鳩は南へ運ばれ、逆の方向である南から北へ向かって放されます。

 このため目的地が相反する大集団同士が上空で騎馬戦のように向かい合い、乱気流に巻き込まれたように激しく揉み合いになり、これが原因で帰還率に悪影響がでることは大いにありうることでしょう。

 これに反し、鳩レースの本場であるヨーロッパでは上空でレース鳩同士が反対方向に飛び交ったり、レース鳩の集団と集団が衝突するようなことは少なく、イギリス、オランダ、ベルギー、フランスなどの国々の多くのレース鳩たちは南へ運ばれ、同一方向である北へ向かって飛翔します。

 最終的に分岐点があっても、大集団が同一方向に向かって放されることは日本にない羨ましいことで、特に長距離レースになるとフランス南部のポーやペルピニャン、サンバンサン、スペインのバルセロナなど著名な放鳩地から大羽数がすべて北に向けて飛ぶ国際レースが実施できるのです。

 しかも、日本と異なるもう一つの点は鳩たちが高緯度を飛びます。放鳩地として最南端であるバルセロナでさえ緯度は日本の青森県の位置です。そこから1000K以上、北へ向かって飛ぶことになります。レースの行なわれる夏季は日本より日没時刻が遅くなり、日の出時刻が早くなり、鳩にとっては好都合でしょう。

 日本では、飛んでる最中、反対方向から飛んで来る大集団と向き合ってしまったり、その場合、もろに影響を受け、方向判定が狂うことは大いにありうることでしょう。

 実際、私が目にしたことですが、栃木県の鹿沼市に50羽ほどの個人訓練に行ったときのことです。鳩を放しましたらぐんぐん舞い上がり、かなりの上空に達し、私の家の方向である南に進路が定まり、やれやれと思ったのも束の間、2分ほどしたら、驚いたことに横一線に並んだ50羽ほどの集団が反対方向である北へ向かって飛んで来るのです。

 集団と集団は全面衝突。すべての鳩は10秒程もみ合い状態になりました。その後、それぞれ自分たちの目指す方向へと再び進路をとったのです。家に帰ってきましたら見慣れぬ鳩たちが大屋根にとまっていました。きっと私の鳩たちと一緒に来てしまったのです。私の鳩も2~3羽いなかったので、東北地方へ連れて行かれた可能性があります。

 ヨーロッパは丘は続いても概ね大平原。日本はどこもかしこも山また山の連続で、レース鳩にとって地形は苦難の連続でしょう。

 この上、日本のレース鳩にとっては最近増加した猛禽類の追撃も加わり、上記の二点を考え合わせると、故郷である鳩舎へ帰還するには私たちの想像をはるかに越えた困難が待ち受けてると考えられます。

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2008年2月 8日 (金)

眺めて飽きない群馬の山並み

 私の住んでる群馬県には上毛三山である赤城山、榛名山、妙義山がそれぞれ独自の味わいを与えてくれてます。これに加えて活火山である浅間山、浅間隠山、武尊山、本白根などは威厳があり、凍てつく今の季節、深い雪に覆われ人を寄せつけません。

 一方、上越国境に位置する谷川岳は上越線の開通以来、多くの登山家がその魅力に惹きつけられました。しかし、一の倉沢などではロッククライミングで、どれほど多くの方々が命を落としたことでしょう。魔の山といわれる所以です。

 山は見る角度によって姿が変わり印象も異なるものです。特に高崎市街近辺から見える上毛三山はそれぞれ最も良い眺めで、私はその雄姿につい惹きつけられてしまいます。

 忠治で有名な赤城山は力強さとどこまでも長い裾野、ワカサギ釣りで有名なカルデラ湖を持つ榛名山は優しさ、石門や大砲岩などユニークな形をした古い岩石の妙義山は厳しさなど、あたかも異なる性格の3人が群馬に住んでるかの如くです。生まれ故郷であることを差し引いても、私はこれらの山々をいくら眺めていても飽きないです。

 上毛三山の写真は最近開業した「イオン高崎」の屋上から撮りました。ほとんどの客は屋上の駐車場まで来ても足早に下の店の方へ行きますが、私はこれほど群馬の山々が思う存分眺められ、揺るぎないその姿に心を奪われる場所は他にないと思ってます。

 この他、群馬県はに事欠きません。白根山の近くには「万座温泉」及び夏季に音楽国際アカデミーが開催されます「草津温泉」があり、この界隈はスキーのメッカでもあります。榛名山には「伊香保温泉」、谷川岳の近くには「水上温泉」「谷川温泉」「宝川温泉」など多くの名湯に恵まれてます。四方(しま)温泉はNHK朝の連続テレビ小説の舞台になりました。

 地図で見る群馬県は本州のほぼ中央に位置し、自然災害が比較的少ないと言えるでしょう。住みやすく子供を育てるなら群馬県です。一方、昔から「かかあ天下と雷、空っ風」という特徴もあります。おっと、大切なことを忘れてました。それは私の好きなも旨いです。

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2008年2月 6日 (水)

北海道への夢を託すレース鳩のペアリング

 2月7日は北方領土の日です。将来、国後、択捉、歯舞群島、色丹すべての島が返還されることを願ってやみません。

 鳩界の重鎮でありました故・並河靖氏は、その生涯を医学、及びレース鳩研究に情熱を注がれ、名著「作出と競翔」やレース鳩の月刊誌などを通じて、研究内容はもとより格調高い文章に若き日の私はよく感銘してました。

 氏は日本鳩界の黎明期よりヨーロッパ鳩界を視察され、国際鳩連盟総会へ日本代表として出席されたり、その幅広い活躍には深く敬意を感じていました。生涯、氏にお目にかかるチャンスに恵まれませんでしたが、お会いしたかったとつくづく感じてます。

 氏のレース鳩に関する膨大な著作の中で、深く感銘を受けたことがあります。

 それは「北方領土の返還についてでありました。1日も早く北方四島が日本の帰属となり、日露平和を心から希求する氏の姿がありました。その暁には返還記念として、日本中の競翔家が北方四島から同時にレースを楽しめる日が来ることを願ってやまない。」という驚くべき発想でした。

 なるほど、距離の差はあっても日本列島は弓なりに位置し、優秀なレース鳩をもって北方四島からのレースに参加すれば、鳩舎位置による有利不利はなく、夢のような大レースが可能と締めくくっています。近い将来、氏の夢が叶う時代が来てほしいと切望します。

 ところで、立春が過ぎると日照時間が延び、レース鳩たちも子孫を残す巣作りの時期です。しかし、不幸なことにレース鳩には自由恋愛は認められないのです。飼い主の考えによってオスとメスは見合いさせられペアーとなる宿命です。 

 それは、鳩自身の成績、先祖の血統、虹彩、羽根の長さや細さ太さ、身体の大きさ、骨格、姿勢、筋肉の柔らかさ、意志の強さを表わす表情、遺伝による長距離タイプ、短距離タイプなど、飼い主が日頃培った経験と勘によって、より優秀な子孫の誕生を期待するからです。

 私も本日、配合【ペアリング】しました。稚内から帰還することを目標にしてます。夢は叶うでしょうか。鳩たちには優れた雛を育ててもらいたいです。

 香山鳩舎から来舎のプロンク鳩舎作翔「スチール号」は香山鳩舎作「ワンダー菊花号×ジャンヌ・オレルアン号」と配合しました。

 高塚鳩舎の「稚内クイーンの孫」は「稚内ブルーの直仔でミラクルクイーンの孫」と配合しました。

 ピジョンクレージー鳩舎の「クレージーボーイ兄弟鳩」は名前のない鳩鳩舎作「香山氏作ワンダーセレクト系×エルネスト」と配合しました。

 アルカディア鳩舎よりの「ノエルペーレン・オリエンタルカップ」は【Anglo-Japanese Friendship Bird日英友好号】アヴィニョン・エリザベス女王と配合しました。

 はと鳩舎作「ホープGN号」は「浅間山鳩舎作ヤンセン・マタイス」と組みました。

 3月上旬には雛がたくさん孵る予定です。一人暮らしの私にとって、レース鳩の誕生は賑やかになり大きな喜びです。

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2008年2月 4日 (月)

知床旅情はモーツアルトの協奏曲のひ孫?

P1010931  1月1日は天文学的に意味がないと思われてましたが、人類の先輩はこの日の午前0時が天体の動きにとって特別な瞬間であることを突き止めたと考えられます。カテゴリー1月1日の意味をご覧ください。

 本日は立春とは日本時間午後8時が太陽黄経315°になる瞬間です。

 長い期間、日本を含め多くのアジア諸国では太陽太陰暦により、この日の前後の新月【今年は2月7日】を新年にしてたので、「新春のお慶び」という年賀状に残る言い回しは季節的に理解できます。しかし、現在の1月1日ではこれから冬本番となり、新春とは程遠い季節感ですね。

 タイトルの「知床旅情」は森繁久弥さんが道東でのロケのとき作詩作曲されたといわれます。「今宵こそ君を抱きしめんと、岩陰に寄ればピリカが笑う」と加藤登紀子さんも歌われるこの曲は歌詞メロディーともに多くの人に愛され情感豊かな歌です。

 いよいよ今日から春。寒かった日々から次第に日照時間が増し、春ということばを度々聞くようになり、「いったい何からしたらいいのか」と活動を始めなくてはならぬ心境です。

 この時期の歌には、中田章作曲、「春は名のみの風の寒さや」で始まる「早春賦」があります。この作曲者は「夏の思い出」や「雪の降る町を」などを作曲した中田喜直氏の父です。群馬県立前橋高等学校校歌の作曲者でもあります。

 また、今の季節にふさわしい曲として「春への憧れ」と題する歌曲をモーツアルトは亡くなる年に作曲しました。「いとしい五月よ来ておくれ、そして木々を再び緑にしておくれ」と、まだ寒い1月に作られました。

  生涯僅かに35年の彼は「春への憧れ」を通して、もっと生きたい生への憧れをも歌ったのでしょうか。ところで、この歌の冒頭の旋律はその直前に完成した彼のピアノ協奏曲27番第3楽章の主題から取られてるといわれます。

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 実は以前から私は上記の4曲は旋律においてよく似ていると思ってます。

 モーツアルトの「ピアノ協奏曲27番」第3楽章の主題が元祖であり、それを基に「春への憧れ」が生まれ、続いて中田章作曲「早春賦」が生まれ、最後に森繁久弥さんの「知床旅情」へと繋がってるように思えてなりません。特に二部形式であることが共通し、何と言っても音楽の出だしは本当によく似てると思います。

 この意味から「ピアノ協奏曲27番」の子供が「春への憧れ」となり、孫として「早春賦」があり、そして「知床旅情」はひ孫と言ってもいいのではないでしょうか。ぜひ、順番に聴き比べて下さいね。

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2008年2月 2日 (土)

お腹が空く幸せ

2290  心身ともに健やかな100歳の方は健康のプロと言えるでしょう。私たちは自ら健康増進について、どうすべきか日々考え実践したいものです。

 その意味ではアマチュアの私ですが、実践してることを述べてみます。必ずしも正しいとは限りませんが、私なりに考えてることです。

 人間の身体はどれ一つとっても大切な役目を持っており、それが機能しなくなると、日々の生活で支障が出てきます。例えば「逆さまつげ」一つとっても、チクチクして見難いことはもちろん、気持ちが不安定になり、どうにかして早く解消したくて落着いて他のことを考えられない状態になります。

 身体のすべてが肝心【本来、肝臓と心臓という意味】であっても、特に消化器の具合が悪くなると、途端に他のすべての臓器への栄養が行き届かなくなり身体全体に悪影響を与えるでしょう。

 私は消化器の健康のためには【お腹を空かせる】ようにしてます。

 これには日々「胃腸に負担をかけないこと」及び「何を」「どれくらい」食べるかが課題であっても、この中では「食べる量」こそがダントツとして健康・不健康の分かれ道になると思ってます。

 また、いつも同じ物ばかり食べないで、つまり偏食しないで種類は多く摂りたいものです。【種類は多く、量は少なく】この言葉は簡単であっても、誰にとっても後者の実践は易しくありません。

 メタボリックシンドロームを防ぐには腹六分がいいと言われます。おまけして昔から言われてる腹八分目にはしたいものです。あと一杯食べたいところをやめる感覚、あるいは、間食や夜食をしないことでしょう。たくさん食べると益々胃が大きくなり、たくさん食べないわけにはいかなくなります。

 内容的には「揚げ物など油を多く含むものを常食としない。」「甘いものは糖分が多いのでできるだけ控える」「塩分を減塩にする」など、これらは、すべておいしさに結びつくもので減らすのは苦痛ですが、薄味については慣れるものです。

 最も大切な全体量を減らせば、結果的に脂肪も、糖分も、塩分も減り、消化器のみならず循環器にもいいでしょう。

 食卓で私たちが心がけるべきことは【ゆっくり食べ、よく噛む習慣】です。昔は戦争中の名残があり、食事は「さっさと食べなさい」でしたが、やはり、よく噛んで楽しく食べることは消化器の負担軽減につながる筈です。

 「ぐうぐうお腹が空く感覚こそ」健康にとって有難いことだと考えてます。

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