私の感ずる携帯マナー
しばらくぶりに携帯を新しいものに変えました。以前の携帯も買ったとき最初は戸惑いがありましたが、いつの間にか慣れてしまい、最近ではメールもどんどん打てるまでになりました。車の運転もそうですが、人間とは意外と新たなものに順応するものです。
昨日、購入したものは最新式でしょうか、かなり薄型でディスプレイは広く、これでもかというほど鮮明で驚きです。技術は日進月歩であることが文字通り手にとって分かります。私の場合、電話として受信することはあっても、発信することはあまりありません。
また、メールくらいで他の機能は殆ど使用しません。以前に高崎駅前「どんどん」で一杯飲みながら拙いこのブログを見てました。しかし、翌月の請求書がいつもの倍くらい高いのです。電話をかけることは殆どないのに、どうしたのだろうと思いました。
結局、一人で飲んでいたこともあり、自分のブログを客観的に見たいと、その都度アクセスしてたからなのでしょう。携帯でのインターネットは意外と高いことを知りました。
それに引き替え、パソコンでのインターネットはいくらブログを書いても、いろんなサイトを拝見して楽しんでも、携帯の費用に比較して全く安くて不思議なほどです。月にラーメン4杯ほどの値段です。
ところで、本日のテーマです。携帯のマナーとしては近くに心臓ペースメーカー装着の方がいる可能性があったり、運転中の禁止、着信音や話す声が周囲に迷惑をかけること。病院では医療機器に影響を与えてしまうなどは一般的に言われることで、守るべきエチケットであることは言うまでもありません。
しかし、携帯の使用で「これでもいいのか」とその光景に寂しくなることがあります。いろんな場面で目にします。それは少ないグループで行動してたり、友人と二人でいたり、パートナーと一緒にいる方々のときです。
全く不思議に思うのです。そのような時は現在そばに一緒にいる人と話をして交流すればいいと思うのですが、お互い携帯を取り出して何を見てるのか分かりませんが、多くは各々がメールを打ち始めたり、あるいはメールを見てたりする光景が目に入ります。
なぜ、一緒にいる人と交流しないで、そこにいない人にメールを打ったり、読んだりして心をそちらに向けるのでしょう。私にはその行動が不思議に思えてなりません。隣り合ってるのにお互い黙って自分の携帯を見てる光景に薄ら寒さを感じてしまいます。携帯についても遠くの親戚より、近くの人ではないでしょうか。
何かの縁あって、その時間その場所で向き合ってるのです。それこそを大切にすべきでしょう。なかんずく夫婦の間でもそのような光景を見るときは、どうしてしまったのだろうと他人事ながら、これは不幸な関係ではないかと勝手に心配してしまいます。
昔に比べれば夢のような携帯であっても、それに頼り過ぎず、生き生きした人間関係こそ基本にしたいです。Charity begins at home.は便利すぎる現代には、ますます必要な諺でしょう。
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「携帯について」カテゴリの記事
- 私の感ずる携帯マナー(2008.02.26)
とても魅力的な記事でした!!
また遊びにきます。
ありがとうございます!!
投稿: ビジネスマナー | 2011年10月 3日 (月) 16時54分
ビジネスマナーさんへ
拙いブログにアクセス有難うございます。携帯については、持っているのとそうでないのとでは、時には命にかかわる貴重品と考えてます。私はそれ以外にあまり使用しないです。
人間的な楽しみとは、私たちは直接相手の目を見て話し、心から交流したいものです。
ブログは無い知恵を絞って、いろいろのカテゴリーに挑戦します。これからも時々遊びにいらしてください。
こちらは群馬県高崎市です。
投稿: カッキー | 2011年10月 3日 (月) 19時37分