魅力は尽きないレース鳩飼育
【ボルドー816キロ6133羽中総合優勝ボルドーマーチン号】直仔
私が鳩の飼育を始めたのは10才頃です。やがて、人生の大半をレース鳩と共に過ごすことになるとは小学生の私には想像できなかったことでしょう。
「なぜ、人生の大半を、鳩と共に過ごしたか」それには思いつくことがあります。
その大元は私が5~6歳のとき、姉が時々紙芝居をしてくれました。その一つが「お釈迦様と鳩」という題名の物語だったのです。子供というものは好きな絵本を何度でも読んでもらいたがるように、そのうちに私も内容を知り尽くし、文字が読めなくても台詞をすべて覚えてしまったようで、「お釈迦様と鳩」の紙芝居を宝のようにしていたのです。
あらすじは確か、インドの森の中で父鳩と母鳩に大切にされ育った白い子鳩が、ある日、やっとひとり立ちできて森の中を楽しく飛んでいた時、弓矢を持った少年に打ち落とされ傷ついてしまったのです。
少年は自分が獲った鳩を自慢そうにしていましたが、そこへお釈迦様が現われ、「この小鳩はどれほど両親のところへ帰りたがっているかしれない」と、抵抗する少年を説得し、傷ついた羽を治療してやり、数日して、ついに子鳩は飛べるようになったのです。そして父鳩・母鳩の待つ森の巣に帰れて、親子水入らずになるというパーピーエンドの物語だったように思います。私も子供心に安堵したのでしょう。
お釈迦様の「優しさ」や「外界の恐ろしさ」、そして何より「子鳩が元の巣に戻った」という不思議さを幼い私は神秘に思ったのでしょう。この紙芝居が「三つ子の魂百まで」になり、お陰ですでに50年も鳩を飼育してるのですから、幼児期教育は人生に影響があるものですね。
また、この紙芝居が発端となってインドに憧れ、初めての就職が「カルカッタ日本人学校」になったのかもしれません。そして釈迦が仏教の悟りを開いた「ブダガヤ大聖堂」訪問に繋がったと思います。
インドから帰国して本格的なレース鳩飼育に発展しました。第1回稚内グランドナショナルレース優勝者・市川守一氏の「ハヤブサクイーン号」の祖母作出者・金子伊勢次氏からハイツマンシオン系導入により、私のレース鳩飼育はどちらが本職か分からないまでになりました。
いまだに熱が冷めないのは、群馬県内の強豪「はとさん」、「アルカディアさん」、「ピジョンクレージーさん」という、鳩とお酒に滅法強い「上州四天王」を始めとして、埼玉県「名前のない鳩さん」、長野県「浅間山さん」、埼玉県「ミストラルさん」、群馬県「大masaさん」、東京都「甲斐源氏さん」、千葉県「ムニエルさん」、長野県「常念の麓さん」、群馬県「たぶん弟」さん、群馬県「柳川さん」など素晴らしい方々、そしてインターネットを通じて知りえた千葉県「Jan Aarden愛好家さん」、九州福岡県「皇龍葵号さん」、北海道「デカ橋さん」たちのお陰です。
特に遠方である「皇龍葵号さん」及び「デカ橋さん」には今後いつの日かアウディーTTクワトロ黄色でお邪魔する計画でいます。
また、女性愛鳩家「マゴコさん」「やまさん」「ちぇろさん」「つどっ子さん」「順子さん」など全国のレディース鳩仲間たちの温かな精神的援助があったからこそと思っています。
中でも当舎における血統の中核は茨城県の高塚さん、及び岐阜県の香山さんの系統で、どれほど感謝してもしきれません。
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コメント
50年も飼育してるなんて超ベテランですね~
私は、店の常連さんの鳩舎から
親鳩を迎え入れてまだ日も浅くわからない事ばかりです^_^;
カッキーさんのブログは、すごく勉強になりました(*^^)v
最初、頭では セキセイインコが入ってるような籠に止まり木を入れて
餌は、切らさないようたっぷり入れておけばいいのか・・・と思ってました
ホント、知らないって怖いですね(>_<)
投稿: つどっ子 | 2008年3月13日 (木) 13時25分