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2008年4月20日 (日)

子離れできない親に未来はない

398  タイトルは【親離れできない子に未来はない】でも同じです。

 人は石器時代より現代に至るまで、子供を産み、慈しみそばにおいて育てることを繰り返してきました。動物も同様に、本能によりこれら一連の動作を通じて家族を作り、命を次世代へと繋いでいるのです。

 こう考えると、私たちは「前の世代からバトンを受取り、次の世代へバトンを渡す」その間を人生といい、その期間あれこれしながら喜怒哀楽を伴ない生きてるのでしょう。

 これを陸上競技のリレーに例えれば、バトンゾーンで生まれ次のバトンゾーンまで走り、子供という走者にバトンを渡すのが人生かもしれません。バトンは早く受取り、できる限り速く手渡さなければなりません。もたもたしてては無駄が起こります。特に、できる限り早く次のランナーに渡すことが大切です。

 人生に於いても、この「できる限り早く次のランナーに判断力というバトンを渡す」ということが、なかなかできない母親が時たま見られます。

 この意味は子供が成人しても、行動がいちいち気になり、例えば30才を過ぎた娘が外出していても、常に携帯で指示するような異常な状態です。子離れできてない母親の典型です。

 一方、子供も長いこと親の判断に頼ることが当たり前になっており、自分自身の判断力に自信がないのです。多分、小さい時から親の顔色を見て育ったので、この生き方は成人しても続くでしょう。

 親の指示を仰ぐ生き方、親に判断してもらう生きる方から脱却できず、指示がないと不安になり、こちらは親離れできない状態です。「何をするにも先延ばしにしたり」、素早い的確な判断ができません。「親に対して自分の本心をぶつける気迫」など持ち合わせなくなります。

 結果的に子供は何事も親に縛られ、親は子供の「輝く人生」までも潰してしまいます。今叫ばれてる「生きる力」の芽を摘み取ってるのです。このような親子関係で育つと子供はいつになっても、どこか、ひ弱なところが見えものです。

 親は子供がある程度の年令に達したら口を出し過ぎず、独立心、自ら判断できる力を培ってやり、しかし、【しっかり見守ってやることを忘れてはなりません。】

 【決して離れ過ぎず、すべてに近過ぎず】は成人した子どもへの親のあるべき態度で、バトンは落とさずに、しっかり子供という次の走者に渡せることになります。

 翻って、私は二人の娘(33才と26才)の父親です。子離れについてはどうでしょう。私自身の気持ちでは克服できてるように思います。特に妻に先立たれ、本来ならば娘をそばに置いておきたいところですが、強い気持ちで子離れできました。ピアノ演奏やレース鳩飼育、山登り、たくさんの花木の手いれなども、私をバックアップしてくれたのでしょう。

 レース鳩でさえ生後30日を過ぎると親は雛を巣から追い出す動作を示します。人間より素晴らしい子離れ、親離れです。

 やがてお仲間入りする高齢化社会の幼稚園生としては、強靭な精神でこれからの世の中を生きていく必要があり、子供におんぶに抱っこしてもらうようでは、生きることに無理があって、ひ弱となり、ついには人生が短くなるようです。身近にそのような関係を見たのでつくづくそう思います。長くいっしょに住んでいた子供が結婚して別に暮らすようになったら、まもなく亡くなりました。どれほど寂しかったことか、これなど子離れできなかった親の悲惨な最後でしょう。

 私の娘たちは長女が嫁ぎ、次女は独身ですが、次女は母親が結婚した年を上回り、独立して生きてみたいとの考えで一人暮らししてます。近年、私は9部屋もある大きな家を建て、次女と暮らしたい気持ちが強かったのですが、現在は気持ちが変わり、親の私から独立し、親に頼らず成長し、何事も自ら判断し、精神は確実に頼もしさの増した次女に拍手を送れるようになりました。

 彼女の名前はMarie Persimmon Marshで、ロイヤルチェスターにおいてウェディングプランナーをしてます。私は一人暮らしであるにもかかわらず、大事な娘たちから完全に子離れできました。

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