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2008年4月22日 (火)

公の英文スペルには注意を払ってほしい。

  島国育ちで昔から外国人と交流のなかった私たちは英語を生活として使うことがなく、いつになっても外国語は異質なものになってます。英語は学校の1科目として位置付けられ、試験で成績が上がることを目標に勉強したものです。

 私は高校生の時から、どうしたことでしょう。英語と音楽が好きだったのです。若い頃、心の奥底に外国生活してみたい夢があったのでしょう。世界総人口の98パーセントは日本語を知らない人々であることも不思議に思ったものです。

 こんなこともあり、学生時代は英語講読に力を入れました。それが今日まで尾を引いてよく続いています。これはインドに暮らしていたことが一層バックアップさせたと言えるでしょう。生まれたときからヒンディー語やベンガル語で生活し、一方では英語が通じる民族であるインドの方々に神秘を感じました。

 母国語及び英語で話せるのは実に器用なことで羨ましいです。日本では考えられません。日本では英語は机上のものでしたが、従来から行なわれてきた英語講読や文法は本当に大切と最近つくづく思っています。先人はやはり重要なことと考えたのでしょう。これによりボキャブラリーは飛躍的に伸びます。

 外国に滞在した経験がなくても英語の達人はいるのですから、これまた不思議です。きっと良い先生に巡り会えたか、あるいは自らよい勉強法を編出したり、外国人と積極的に交流を図ったのではないでしょうか。

 私は得意ではありませんが、英語で表現することは好きです。その一つは英文を書くことです。外国人へ手紙を書いたり、平素、何事でもメモるときは英単語で書きます。これがいい勉強になるのです。英語でどう表わすかは学生時代あまり勉強しなかった分野です。しかし、英文を創作することは会話能力にも繋がる気がしてなりません。書くことも話すことも発信型という点では似てるでしょう。

 最近、私が効果があると感じることは、英文を音読することです。年令がかさむと音読しないものです。しかし、英語学習では1にも2にも声をしっかり前に出すことがいいようです。

 ポイントは横隔膜を意識した「発声の基盤」に立ち、特に口内での子音の摩擦を意識し、口は日本語より大きくパクパクすると、違ってくるように感じます。

 ところで、本日、高崎市コアホールで開かれる音楽会のパンフレットが手元に届きました。公に配布されてるのに、曲名に英文ミスがあります。主催者はまだ気づいてないようです。「くまばちの飛行」をThe fright of bumble beeと大きく印刷されてます。飛行はfrightでなくflightです。このままでも意味はありますが、「くまばちの恐怖」となってしまい、曲名ではありません。

 また、交通標識にも英語が添えてある場合をよく見かけます。聾学校の近くに県立というスペルがPrefectualとなってますが、正しくはPrefecturalです。 日本語でのミス同様、公に英文を使うときはスペルミスがないよう十分気をつけたいものです。

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