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2008年5月

2008年5月30日 (金)

自分の後姿は自分でチェックできない。

 男女を問わず、万人に共通する願いは、いつまでも若々しく健康でいたい。経済が安定したい。仕事や勉強、興味あることで成果を上げたい。この他に立場や状況いかんではいろいろ願いはありますが、多くは上の3つにまとめられるでしょう。

 この中でいつまでも健康で若々しくいることは誰にとっても大きな望みです。いかにしたらそれが保てるのでしょう。これは古来からのテーマです。私は一つの試みとしてニンニクを多めに摂ってます。

 健康には栄養、運動、休養のバランスが大切と言われ、それには強い心が必要です。どうしても偏りがちになり、それは栄養の摂り過ぎと、私も含めて運動を怠りがちです。

 年令に比較して若いといわれる人の姿を拝見すると、背筋がピンとして猫背ではありません。また、顔色が良いです。これは血流に関係してるでしょう。姿勢が悪くなるのは首と背中の筋肉が衰えると考えられます。

 残念ながら、私たちは自分の後姿を自分でチェックできません。背筋に関して無頓着になるのは、ここに原因があるでしょう。もし、背筋が常に自分の視界に入っていればチェックすると思います。

 現実には、後姿は他人から絶えず見られてるので、これを意識する必要があります。私は時折、ダンベルで背中の筋肉を意識したトレーニングを試みてます。

 背中の筋肉と共に肝心なのは「ふくらはぎ」の筋肉を強化することと思ってます。ご存知の通り、ここは第二の心臓と言われ、下半身の血流に大きな役目を持ってると考えられます。背中もふくらはぎも身体の後側で、つい見落としやすいです。

 これには両足の指先を数秒間上げていたり、特に「つま先立ち」はふくらはぎを鍛えるには効果があるようです。ふくらはぎ内にあった血液が搾り出され、血流が促進されるので、血圧測定では幾分、数値が下がります。

 また、若さとは精神のあり方も含みます。顔の表情に関しては時には心を解放して、おしゃべりがいいようです。無意識のうちに呼吸が活発になったり、口の周りの筋肉の弛みもなくなり、内面から滲み出る明るい表情は見た目も生き生きしてます。

 飲み過ぎなければこれからの時期、ビールで友人と語り合うのは心身の健康に非常に良いことだと思っています。高島屋の屋上ビアガーデンがオープンしたので、今年もアルカディアさんと行ってみたい。

 ところで明後日、長野県佐久市で鳩友・浅間山さん、常念の麓さん、山ちゃんさんたち主催の「焼肉パーティー」に参加させていただきます。私はレース鳩の話と生ビールを楽しみにしています。

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2008年5月28日 (水)

忘れかけていた日本男児魂を垣間見る

 30年程前、今は亡き両親が関西旅行したとき、小さな杉の苗をお土産に持って帰りました。由緒ある神社で購入したとのことで、その後は御神木として育てていました。そして、この杉をいつまでも大切にするよう私に伝えていました。

 年代的に見て、この杉は私を青春時代からずっと見守ってきたのです。杉が成長してから殆ど何も手を加えませんでした。杉は上へ上へと高さが伸び、今では10メートルほどです。杉の特徴として枝は横に広がりません。しかしながら、枝の量が余りにも多く、枝を下ろすことにしましたが、高く危険なため私にはできません。

 そこで思いついたのがシルバー人材センターです。値段が専門業者の約半額と知り、それも魅力です。申込み後、10日目ほどで本日作業に取り掛かってくれました。10メートルもある木をどのようにして枝を下ろすのか見守っていましたが、驚いたことにまるで猿のようにスルスルよじ登り、高いところから切り落としを始めたのです。

 依頼人の私は、もしものことがあってはとハラハラです。良く見るとベルトに命綱をつけて幹と結び付けています。杉の木の梢近くは細くて、揺れ今にも折れそうで見ていられません。

 どうしてそんなにスルスル登れて、恐くはないのか、休憩のお茶のとき訊いてみました。そしたら何と、現役時代は電気工事関係の仕事に従事し、毎日のように電柱に登って作業してたとのことです。おお、なるほど!

 私はこのとき思いました。かつての経験をフルに生かし、現代社会のために持ってる特技を生かす典型的なシルバーパワーと思いました。70歳ほどの年令を重ねても普通の人にはできない高所での危険な作業です。

 私はこのように一般の人には不可能なことを堂々と実行してみせたり、精神の強い高齢の方々を心から尊敬してしまいます。

 今や日本の国では後期高齢者などとお役所的発想に基づく失礼な表現を無造作に使い、戦前戦後の苦難の時期を通して日本を先進国へと築き上げた年配の方々に恩を仇で返すような冷たい社会になりつつあるように感じます。

 本日の危険作業を拝見し、死語になりつつある日本男児魂を垣間見ました。高所作業に人生を賭けた筋金入りの生き方です。高齢者の方々の中には道は異なっても現役世代にはまだまだ負けない強い精神力の持ち主の方々はきっとたくさんおられると感じました。

 必ず誰にでも、いつかはやって来る70歳80歳90歳です。年を重ねれば重ねるほど充実した精神で過ごせ、安心な生活が保障される日本でありたいものです。今の世の中は年を重ねるとますます心配なことが膨らむ気配もあります。

 人口分布によって高齢者の割合が多くなるので、難しい点はあっても日本人の頭脳を持って立ち向かえば、年令が増しても国民にとって夢のある社会は可能でしょう。

 翻って私は社会のためにどうかと自問自答しています。全くの一人暮らしで現在どうしても張りのない日々を過ごしています。でも、この環境を脱皮できた暁には、シルバー人材センターの方々の仕事振りに感銘し、私もなんらかの形で音楽の素晴らしさについて鑑賞していただいたり、若い人に話ができる機会が生まれることを願ってます。

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2008年5月26日 (月)

目に見えぬ化学物質の影響

 先日、一人の若い女性が来訪しました。彼女曰く、花粉症とのことで今辛いのです、と言いながら、咳をしたりで顔色もあまり良くなくて、私にはいろいろお疲れのように感じました。

 ところが、写真の部屋で20~30分お茶を飲みながら話をしていたら、見る見るうちに顔色が良くなり、表情も明るくなり、本人も何か楽になってきました、と仰るのです。その原因はここの室内環境に因ると思われ、残念ながら私に会ったので回復したのではなさそうでした。

 昔はあまり発症しなかった現代人に多い症状である目や鼻、皮膚、喉などの不快な症状は一言に花粉症とまとめられやすいですが、私は常々シックハウス症候群も大いに原因してると感じてます。

 これは自宅や一日中いる職場など、長い時間、私たちを取り巻く生活環境には広い面積の壁、内装建材、家具、カーテン、ジュウタンなどがあり、食品、タバコの煙、あるいは衣服の防虫剤なども含め、これらは健康に対して複雑な要因として絡んでるものと思われます。

 ですから、身の回りでは目に見えない有害化学物質が常時、発生してるものも考えられ、人の呼気、体臭なども含めて空気が澱み、そのままで、これらを吸っては身体に良くないでしょう。

 見た目は豪華である家具など、物によっては強度を保つため合板用に接着剤が多く使われてます。また、布壁を張る糊にはホルムアルデヒトが含まれている場合があるのです。

 しかも、最近の家は高気密、高断熱のため、見た目は立派な室内であっても、ガスが溜まりやすく、タイトルの通り化学物質は目に見えないので、私たち人間は気づき難いのです。

 このような部屋に四六時中いたり、そのまま睡眠したりでは次第に影響を受け、害はあっても益はないと考えます。

 以前に夏の時期、モデルハウスを見学し、2階から3階に行ったときです。急に息苦しさが襲いました。何だか分からなかったのですが、今思うに全室内の空気が高温で上昇し、階段を伝わって上の部屋に移動したらしいのです。気温の上昇と共に建材から出た有害物室がより多く発生し、ガス濃度が高まったのでしょう。

 建築時によく見かけるシロアリ駆除と称した赤い薬が柱の下部や土台の木に塗られているのを目にします。あれにはクロルビリホスという有毒物質が含まれ、人間に対しても影響がないと断言できるでしょうか。新築してから、半永久的にすべての部屋の下層部に漂う可能性はあります。このように考えると新築したり、リフォームした家は見た目とは裏腹に心配なことがありえます。新築にあたっては、これらのことを建設業者にしっかり確認し、施行したいものです。

 人によって症状は異なっても化学物質過敏症の方は、より反応するでしょう。

 昔の住宅では空気の入れ替えは自然にできていましたが、現在では自然換気ができなくなっています。このため意識的に換気しなくては健康が保てません。室内で原因不明の頭痛や不快な症状があるときは、しっかり換気に心掛け、室内の空気をきれいにしたいものです。

 レース鳩を飼育してる私の経験では、鳩舎内でも空気の流れは南から北より、東から西によく流れます。今の季節、人の住まいでも樹木を通過した空気を東から西へよく通したいものです。

 建築において、昔から行なわれていた日本の伝統的、左官工法による漆喰壁などはこれらの心配がなく、安全で、健康的な建材でしょう。

 我が家を訪問した女性はきっとこの漆喰壁が作用して、見る見るうちに元気になったと感じました。古来からの伝統的漆喰は住まいの健康上きわめて優れものです。ぜひ、建築界では後世に継承していってほしいと思います。  

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2008年5月24日 (土)

マンネリ化から脱出を心掛ける

 ブログ本文の右にある「人気記事ランキング」及び「アクセス地域ランキング」は今まであまり変化が見られず活気(カッキー)がありませんでした。これには理由があったのです。それは過去1ヵ月のアクセス数を元に表示してたからです。

 この度、設定を変え皆様から前日アクセスしていただいた記録をその翌日表示することにしました。このため、今後は順位が毎日どんどん変化する可能性があります。私としても常に昨日アクセスしていただいた「記事の内容」及び「各都道府県からのアクセス数の順位」が分かり、ブログのネタ探しの参考にさせていただけます。皆様に新たな記事をご覧いただきますと、どんどん加算され、そのアクセス順位の変化が翌日の楽しみの一つとなります。

 これだけでも見た目に、ブログの変化が起こり、拙い文章を載せる私としても張合いが生まれたり、カテゴリーのバランスについても責任を感ずるようになります。

 私たちの身の回りでは、特に仕事においては一見毎日同じようであっても、結構、カルチャーショックなど変化が起こってます。しかし、自分の考え方、ものの見方、ものの感じ方、行動などについてはあまり変化しないものです。ここに精神面に於いて外界の動きと自分の心の間に摩擦が起こり、ストレスが生じやすいです。

 進取の心を持ち、時代の波に遅れず、学びの歩み弛みなく、新たな自分への挑戦は脳の活性化につながる大切な姿勢でしょう。高齢化社会では身体の健康に気を配ると共に、どうしても疎かになりやすい「脳を鍛えるチャンス」をあらゆる場面で維持したいものです。

 私の場合、マンネリからの脱出で最もいい方法は【新たな出会いがトップでしょう。】人は一人では生きられないものであり、異なる見方をする人から新たな刺激をもらい、影響を受け、固い私の頭を柔軟にしてくれるのです。特に女性との出会いはドキドキもので、血流まで良くなるのが分かります。まだ、若い証拠か。

 次に、いつもと目先の違う目標に立ち向かうこともマンネリからの脱出にいいと考えます。私の場合、ピアノを弾くので新たな作曲家の作品や、今まで弾きたくてもチャンスがなかった曲への挑戦があります。

 レース鳩における場合は、新たな血統を手に入れると、どんな才能を持った雛が生まれるか、ワクワク期待するものです。

 何事でも、このドキドキ、ワクワク感は心が最も活性化され、期待感が脳を刺激するように思います。これこそは自分を新たな方向付けするものでしょう。

 さて明日の「人気記事ランキング」と「アクセス地域ランキング」はどう変化するか、ワクワク見守りたいと思います。なお、これはコンピューターが自動的に行い、私に操作できないことです。

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2008年5月22日 (木)

本当に正しいだろうか、メタボ腹囲基準

 今年からメタボ健診といわれる「特定健診」が40~74才の方を対象に実施されています。これはメタボリックシンドローム、つまり内臓脂肪症候群を見つけようとするもので、万人が長寿を望んでいるのですから有難いことです。私も明日、医療機関に行ってこの特定健診を受診します。

 この健診の特徴は、まず腹囲を測り、男性は85cm以内で、女性は90cm以内であることが第一の関門です。

 それに血圧、脂質、血糖値が基準値に収まることが求められ、この4つの項目のうち、基準値を超えるものが二つ以上あるとメタボに該当し、一つならメタボ予備軍と判定されます。

 血圧を測定したり、血液検査、尿検査などにより多くは判断できます。血圧については見落としが起こる可能性があります。それは早朝時の高血圧であり、これは検査時にチェックされない落とし穴となり、仮面高血圧といわれてます。一日24時間のうちで何時が最も高いか自ら測定し知ってるべきでしょう。

 しかし、メタボ判定される項目で、私が疑問に考えてることは腹囲の基準です。パンフレットよっては腹囲のことをウエストと書かれ、大きなミスしてるものも目にします。まず、腹囲とは「臍の位置」での周囲のことです。

 特に、男性が85cm以内、女性が90cm以内であることに私は大きな疑問を持ってます。この基準は男性にとって特に厳しいもので、この数値に対しては海外から異論もあると聞いてます。働き盛りの男性の50%以上が該当するのではないかと推測できます。

 私は医師でありませんので、あくまで素人の考えです。しかし、すべての医師はこの判断基準を正しいと考えているのでしょうか。

 身長の高さを全く考慮しない腹囲基準はどうなのでしょう。私は身長が180cm近くあります。もちろん腹囲はこの基準から完全にオーバーしてます。一方、女性は身長155センチ以下の方々もたくさんおられます。それであっても90cmまでが許容範囲とは余りにもバランスに欠け、女性には皮下脂肪があるとしても、その体型を考えた場合、余りにも変な基準と言わざるをえません。これで国民を一網打尽に判定するのは本当に正しいでしょうか。

  私は肥り過ぎや痩せ過ぎは危険であることを承知してます。体型からバランスを考えたとき、BMIで23~24がいいのではないかと考えています。ほんの少し小太りくらいの体型が長命をめざすにはいいと考えています。

  万が一、正しくない基準で判定されるとしたら、今年度から始まった「特定健診」は腹囲に関しては何の意味も持ちません。検討の余地は十分にあると思われます。

 メタボリック症候群にならぬよう気をつけることは言うに及ばず、これ以外でも私たちが気をつけねばならないことはたくさんあります。それは社会的要因があり、例えば職場でストレスをためたり、社会不安に陥ったり、アルコールの飲み過ぎや喫煙、食品の質などについても注意を払わねばなりません。

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2008年5月20日 (火)

忘れたいことを忘れさせてくれるか。

 内モンゴルへ飛んで行った鳩について、7回にわたり新聞記事をご紹介しました。如何だったでしょうか。その後、「中日友好号」の子孫は北京で活躍したと連絡をいただきました。また、台湾の新聞にも掲載され、記事が送られてきたことがあります。最後はトレードされて四川へ行ったと伝えられています。

   私はレース鳩と柴犬を飼い動物が好きですが、一方、花を楽しむ樹木を中心として植物をたくさん育てています。現在、庭は新緑で緑一色です。まるで森のようで樹木のトンネルをくぐって玄関へ行く感じになりました。家を取り巻く環境から少しでも二酸化炭素を減らしたいと思ってます。

 左は3月に満開となりました白梅しだれです。ご覧の通り、今年は豊作で数え切れないほど実がなっており、いくつかは落下し始めています。6月初めに収穫を予定してますが、収穫してもその実は近所に配るつもりで私は使いません。元々、花梅として植えてあるので開花を楽しむことができればそれで十分なのです。

 数年前にミョーガの苗を植えましたら今では5~6倍に増えてます。多年草ですから極論すると構わないでおいても毎年実がなります。ご存知のとおり、実を刻んでうどんなどの薬味に入れると香りがよく血行促進にいいようです。

 本当かどうか知りませんが「ミョーガは忘れっぽくなる」と昔からいわれてるようです。根拠はあるでのしょうか。忘れたいことに効けばいいですね。

 ところで、人間の心ほど不可解で不思議なものはありません。時間が経過すると物事に対する判断や対処の仕方に変化が起こったり、同じことでも時間が経つと感じ方は常に一定とは言えません。いろいろのことが絡み合って人の心は常に揺れ動いているもので、生活してると嫌なことも多々起こり、忘れたいこともあります。

 もし、ミョーガに「忘れる作用」があるとすれば、事によっては素晴らしい効果があることになります。しかし、殆どはいろいろのことを覚えたいのですから、忘れたいことのみに作用するような上手い具合になるでしょうか。

 今年、石楠花の咲かせ方は成功しました。これは花の肥料を冬場に与えたことがはっきりしてます。例年に比べて鮮やかで楽しめましたので、これにヒントを得て、私の唯一の菜園であるミョウガにも本日、肥料を与えてみました。果たして収穫は高まるでしょうか。果たして忘れたいことが忘れられるでしょうか。

  ミョウガの間には草が生えますので、時々草を取ってやろうと思います。最近は写真のような「三角ホー」という道具を使ってます。これは植木職人に紹介されたのですが、草が良く取れ便利でお薦めです。

 今年の夏はうどんの薬味として思う存分ミョウガを摂取し、血行を良くしたいものです。でも、一人での食事はもう限界です。

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2008年5月18日 (日)

翼が結んだ日中友好、その7

内モンゴルへ飛んだ鳩に会いに行く

  ★中国で起きた大地震にお見舞い申し上げます。★

   タイトル【万里の長城に感慨深く・永遠の別れ】

 張さん宅で二人の息子さんや張さんの弟夫妻を交え、最後の夕食をしました。奥様がお手製の餃子を振舞ってくださり、すごく大きくて驚きました。いろいろ会話が弾み楽しい時間が持てました。

 今回の旅行では傳(フー)さんが通訳としてずっと付き添ってくださり困ることはありませんでした。一方、私も中国語については前もって近所に住む中国の方に教わっていきましたので下手であっても、できるだけ話してみました。

 外国へ行くにはその国の言葉の基本だけでも勉強しておくと、より一層中味の濃い旅になり、これは欠くべからざることでしょう。今回、事前の中国語学習は交流に役立ちました。

  語学に限らず、物事は上手か下手かでなく、それを行なうことに意味があると思いますし、特に言葉や音楽は民族が異なっても互いに心を一つにするでしょう。

 楽しい会話をしてるうちに午後8時40分発の北京行き列車に乗る時刻が迫ってきました。ついに、私の家で生まれ、日本海を渡り、万里の長城を越え、遥々内モンゴルまで飛んできた「中日友好号」と分かれる時がやって来ました。永遠の別れです。

 もう一度、鳩を手にとり「もう二度と会えないけれど元気で中国で生活せよ。」と心で伝え抱いてやりました。張さん宅を離れる時の友好号の寂しそうな顔がいつまでも脳裏に焼きつきました。まるで、自分の子供を中国に置いてきた心境です。【涙】

 張さんご夫妻、二人の息子さん、作家の李さん、鳩協会の会長さんなどが集寧駅まで見送りに来てくれました。張さんご夫妻とホームで別れるときは口では表現できないほど辛かった。ご夫妻の目も涙涙です。「友好号の世話を宜しくお願いします。」「ご親切有難う。」と言って列車が動き出しても窓から身を乗り出し、いつまでも手を振りましたが、見えなくなりました。

 列車はもと来た線路を真っしぐらに傳さんと私を乗せて北京に向かいました。疲れもたまったのでしょう。寝台ではぐっすり眠れました。北京に翌朝7時に着きました。この日は北京市内をあちこち見学です。有名な天安門、故宮、景山公園、北海公園ではボートに乗り遊びました。夜は民族飯店で過ごし、初めて落着いて中華料理を味わいました。海外でいただくビールやお酒は格別おいしく感じます。

 驚いたことに北京では日本のテレビ番組が同時に放送されており、夜はプロ野球ナイターが放映されています。8月6日の朝は広島から原爆の日の式典の様子が中継され、平和宣言後にたくさんのレース鳩が飛ぶのを見ることができ、私も中国から平和を祈りました。

 1日貸し切ったタクシーで天壇公園、そして北京市から離れてる明の十三陵では地下に入りました。その後、改めて万里の長城を見学、ここでも万里の長城は山の頂から頂きに連なり、必ず山の稜線を通っており、どこまでも高い位置を選んで造ってあります。かなり急勾配のところもあります。私の鳩は果たしてこの辺を飛び越えたのだろうかと思いを巡らし、しばらく悠久の歴史を刻む万里の長城で周囲の景色に見とれていました。

 今回の内モンゴル旅行は初期の目標である私の鳩に会うこと、そして張さんにお礼を言うこと、鳩が越えたと想像される万里の長城を見学することでした。張さんとはレース鳩の見方や訓練方法について、ご家族を交えて楽しく交流でき、いつの日か日本へ来てほしいと伝えました。

 日本人としてただ一人で訪問した内モンゴルではたくさんの中国の方々と知り合いになれ、本当に親切にしていただきました。レース鳩の名の通り、十分に日中友好ができ、私の人生で歴史的な旅となりました。 おわり

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2008年5月16日 (金)

翼が結んだ日中友好、その6

内モンゴルへ飛んだ鳩に会いに行く

     ★中国で起きた大地震にお見舞い申し上げます。★

               タイトル【軟らかいラクダのこぶ・大草原】

 大草原は見渡す限り短い草で覆われた大地で、道がなくてもどこへでも歩いて行ける。大きなラクダもいて、大草原に沈む夕日はまさに「月の砂漠」の歌のようで、世の中には広い所もあるものだとつくづく感じます。

 ラクダに乗ってはじめて知ったのですが、あの背中のこぶは非常に軟らかいのです。ですから乗って揺れるとき、こぶにつかまっても駄目です。人が乗るときラクダは乗りやすいようにしゃがみますが、立つとき前後にすごく揺れて落ちそうになり、思わずこぶにつかまりたくなります。

 また、この大草原には羊が何千頭といますが、そのうちの何頭かが今晩の食事のために殺されるのです。生きている羊を仰向けにし、二人がかりで腹から切っていく非常に残酷な光景です。かわいそうであんなことをしていいのかと恐ろしくなり、食卓に出る羊の肉を見るたびに思い出してしまいます。

  ここ大草原に生きる人々は快く迎えてくれます。羊の乳でできた手作りの紅茶を出して歓待してくれましたが、私は香りや味に慣れてないせいか何杯もいただけるものではありません。片言の中国語で話してみましたら、年令は見た目よりお若いことが分かり、私とあまり変わらなかったです。そして大自然のように心の広い人たちで、その大らかさは羨ましいです。

 また、ここに住んでる方々は大草原での生活に必要なのか、遠くに響く発声法が身についてるように感じます。私は声の出し方に関しては、いつも注意してる方ですが、このように広いところで発声練習するのも、あるいは良い響きの声を作る一つの方法かもしれないと思いました。それにしても歌声は天性なのでしょう。充実した声量です。

 海抜が高く空気が澄んでいるためでしょう。夜は星座が降るように見えます。特に天の川は白い雲のようにくねっています。空気の澄んでいた大昔から人間は天体の動きとともに生活していたことが頷けます。真夏にしては温度が低く、鳥肌が立ちました。

 翌日は集寧(チーニン)に戻り体育協会で私の歓迎会がありました。大きな赤い字で私の名前が掲げられてある部屋に通されました。内モンゴル放送局や新聞で取り上げられたためか、皆さん私の鳩が日本から内モンゴルまで飛んできたことをご存知でした。

 歓迎会では副知事、集寧副市長、レース鳩協会会長、作家の李氏らともお会でき、新聞記者など多くの方々と交流できました。場所を変えての懇親会では、またもやあの強いお酒で何度も乾杯です。どういう訳か、このとき私は結構飲めましたので、これらの偉い方々も喜んでくださり、和やかに話ができました。

 作家の李氏は「中日友好号」を主人公とした物語を出版すると言ってくれました。お酒が程よく回ると、李氏は「北国の春」を歌ってくれましたので、私はお礼に「アジアの伝書鳩」と「中国国歌」を歌いました。

 その後、張さんご夫妻と傳さんと私はデパートに行ったり、集寧市が一望できる小高い丘にある忠霊塔に行きました。ここでは少々複雑な気持ちになったのです。

 漢字ですので意味は大体理解できますが、傳さんが訳してくれました。「第二次大戦でこの地方の人々が日本軍によって犠牲となり、これを後世に伝える」という主旨が銅版に彫られています。集寧市も日本に対して大きな歴史的事実があることを知り、静かに合掌し忠霊塔を後にしました。

 今回、私の鳩が日中友好の架け橋になっているので、今後、恒久的に日中の平和を望み、私をここへ連れて来てくれたのかもしれません。

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2008年5月14日 (水)

翼が結んだ日中友好、その5

内モンゴルへ飛んだ鳩に会いに行く   

      ★中国で起きた大地震にお見舞い申し上げます★

      タイトル【柱なく自在に組立て・パオ】

 張さん宅からジープで3時間ほどのところに広がる大草原へ連れてってもらい、大きな移動式テントであるパオに宿泊しました。パオの入り口は一ヶ所で丸い住居です。天井の真ん中に空気入れ換え用の窓が開き、夜はそこから星や月が見えます。雨が降れば紐を引いて閉めることができます。中に柱はなく、取り壊したり組み立てたりが簡単で、季節と共に移動しやすくできてます。何百頭もの羊を食料用に飼育してるので、餌となる牧草を求めてパオも移動するのです。

 パオの中に個室はなく、パオ全体が大きな一部屋で中央に炬燵のようなテーブルがあり、そこで家族はいつも一緒に食事をします。パオは大草原の中に集落を作るかのようにいくつも建っていました。

 ここで本当に驚きました。大草原のこの日の新聞に私と「中日友好号」のことが掲載されているのです。日本から飛んで来た鳩に遠路遥々会いに来た日本人と書かれています。こんな遠くの内モンゴルで、その日の新聞に掲載されるとは全く予想しなかったことです。

 ところで、内モンゴルの大草原では困ったことがありました。それはトイレです。レンガで囲まれただけの粗末なというか素朴なものです。そのトイレの中は部屋のように広く、下にいくつも穴があいてるだけです。屋根がありませんので、まさに大自然のもとで用をたすのです。

 大草原でない内モンゴル集寧の住宅街でも人々は公衆便所に行くのです。それは200~300メートルおきにあり、男性と女性のところは分かれていますが、トイレ内には個室の囲いがなく、下に穴が開いてるだけで10人位がいっしょに並んでしゃがんで話をしながら用をたすのです。まるで井戸端会議でもするかのように楽しそうにいつまでもしゃがんでいます。これこそは日本と全く異なる風習です。

 こんな光景など生まれて見たこともない日本人の私は絶対にその仲間には入れませんでした。苦労して誰もいないトイレをあちこち我慢して探し回ったり、人の入ってない時間を探したりして、それでも誰か来るのではないかとドキドキしながらやっとできました。こんな不安な気持ちでトイレ入ったのは生まれて初めてです。トイレットペーパーは備えてありませんし、どのトイレ付近にも水道はなくて困りました。

 夜8時頃になったら中央の大きなパオの人が呼びに来て、今からパーティーをやるから皆集まってくださいとのこと。風貌の異なる少数民族の方々もたくさん各地から集まっています。小編成の楽団もいて民族音楽が流れ、楽しい交流会が始まりました。

 民族衣装を纏った司会者から、日本から飛んで来た「中日友好号」のことと、その鳩に遥々会いに来た私のことが紹介されました。そして私に何か余興をせよとのことで、楽団の方のキーボードをお借りし、とっさに中国国歌を演奏しましたら思いがけず全員の手拍子をいただき、弾き終えたあと拍手喝采となり盛り上がりました。国歌に対して非常に愛着をお持ちであることが分かります。

 それにしても、こちらでは何度でも乾杯します。座席が離れていても目が合うとお互いに盃を上げ乾杯する習慣があるのです。私は内モンゴルに来てこれほどまで歓迎を受けるとは想像してませんでした。心からの日中友好に感謝の気持ちで胸がいっぱいです。私はアルコールが好きな方ですが、ストレートで飲む60度のお酒にはさすがに参りました。中国の方はお酒に強く、ずいぶん召し上がってます。このお酒にはどこでも出合いましたが、その度ごとに中国の方にまさに乾杯【完敗】でした。

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2008年5月12日 (月)

翼が結んだ日中友好、その4

  内モンゴルへ飛んだ鳩に会いに行く      

          ★胡錦涛国家主席の来日を祝して★

          タイトル【口笛の音に懐かしそう・再会】  

 果たして私の育てた鳩に会えるかどうかと思いながら、翌朝、張さん宅に行きました。レンガ造りの張さんの家には鳩舎が二つあり、約40羽ほどの鳩が飼育されていました。

 その中で1羽目立ち見たことがあるような顔をした鳩がいました。あの鳩だろうと指さして張さんに言いましたら、その通りだったのです。

 すぐ手にとり抱いてあげました。足輪には私の名前と住所の群馬高崎倉賀野町が刻印されてます。どうしてこんな遠くまで飛んで来たのかと、じっと顔を見ましたが、3年ぶりに抱かれたせいか、鳩もおとなしくしばらく私の手の中で安心していました。

 日頃、私は口笛を吹きながら餌を与えたり、舎外運動している鳩を呼び込んだりしているので、口笛を吹きましたら、その音に懐かしそうな振りを見せ、じっと私の顔を見ているようでした。あるいは口笛の音を思い出したのかもしれません。

 張さん宅には新聞記者が数名来ていました。私が「中日友好号」と再会する劇的瞬間を写真に撮ってくれ、インタービューもありました。張さんの家の中には、前もって私が送っておいた「中日友好」と書かれた大きなダルマが飾ってあり、その部屋で朝食をいただいたり、プレゼントの交換をしました。そして、内モンゴル放送局が「中日友好号」を扱った放送の録音を聴いたのです。

 驚いたことにその放送の中で「アジアの伝書鳩」の音楽が7月21日に内モンゴル全土に流れたことが分かりました。この歌は「中日友好号」のことをニュースを知った岡山県の方たちが作詞作曲したくださったものです。聴いてみると「アジアの伝書鳩」(ヤーチョウダシングー) や「中日友好号」(チョンルーヨーハオハオ)、また、私の本名を中国語読みした「シーツァオホンフーシャン」という言葉が聞き取れました。

 「アジアの伝書鳩」の音楽はFM群馬が以前にこの鳩について放送したテープで、前もって私が張さんに送ったものです。日本語と中国語のカラオケで歌えるようになっています。この歌のお陰で「中日友好号」は中国全土や内モンゴルで一層ニュースバリューが高まったようです。張さん一家とはこの歌をいっしょに歌いました。

 内モンゴルで名高い書家の楊魯安氏は「中日友好号」を讃える大きな掛け軸を書いておいてくださり本当に感銘しました。その内容は「レース鳩が伝える心温まる話で、日本のレース鳩が日本海を渡り、内モンゴルまでやって来た。そして張さんとの手紙による交流が始まった。これは中日両国民にとって良い話しで、鳩が両国民の友情を生み出した。」というようなことです。

 もう一人の書家、銘楊もプレゼントしてくれました。「富士山の近くにいる君と万里の長城にいる我は共に同じ月を見ながら盃を上げる。これはレース鳩が日中両国を結びつけた尊いことである。」という内容です。

【注:アジアの伝書鳩の歌詞については2007年1月31日のブログに載せてあります。】 

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2008年5月10日 (土)

翼が結んだ日中友好、その3

 内モンゴルへ飛んだ鳩に会いに行く      

      ★胡錦涛国家主席の来日を祝して★

      タイトル【通訳連れ駅に出迎え・張さん夫妻】

 夕闇の中を列車は進みトンネルに何度も入りました。この上に万里の長城があるのです。私のレース鳩「中日友好号」もこの辺を飛んだのだろうかと思いを巡らしながら景色を眺めていました。行っても行っても雄大な光景で夜中は下弦の半月が東の空に輝き、それに映し出された大陸の薄暗さは別世界のような印象です。時計は夜中の12時を回り、乗客は皆眠っており、大陸を進む列車の轟音だけが暗黒の世界に響いています。窓から見る景色に電灯のようなものはなく、大陸の奥地は本当に暗い。

 大陸横断列車のため途中の駅では殆ど停車しません。有名な張家口(チャンチアコウ)や大同(タートン)の駅では15分ほど停車したのでホームに出てみました。真夏であるのに深夜で内陸のためか気温は低く、空気は快適です。この周辺は山岳地帯であるため、列車の窓から時々万里の長城の連なりが見えます。万里の長城は1本でなく何重にも見えます。また、万里の長城は大小さまざまで、すべては山の頂から次の山の頂に連なってます。

 列車は山をジグザグに登るのです。「あれっ、進行方向が逆だ。」列車はもと来た道を戻ってるのかなと思いましたが、珍しく「スイッチバック」の駅を通り過ぎたのです。窓から見る景色が逆に動き出し慌てましたが、その光景はますます大平原の趣になってきました。いよいよ内モンゴルに差し掛かっているのです。だんだん到着予定の午前1時45分が近づき、気持ちは高ぶってきました。北京駅から10時間45分の列車の旅は終わろうとしています。

 集寧(チーニン)という駅は本当にあるのだろうか。期待と不安が交差しました。また、前日、北京から内モンゴル政府の方に傳(フー)さんから到着時間を電話連絡していただいたけれど、私の「中日友好号」を飼育している張宝菎(チャンパオクン)さんに伝わっているかどうか不安でした。もし、集寧という駅に関係者が誰もいなければ、寒いけれど朝になるまで駅で過ごそうと傳さんと相談しました。列車の力強い音は次第にそのリズムがゆるやかになり、内モンゴル自治区集寧に着きました。

 集寧は地方にしては大きな町で、深夜にもかかわらずかなりの人々が降りました。ホームを歩いていましたら、ネクタイをしめた2人の男性と1人の女性が私たちの方へ歩み寄ってきました。私はそれが張宝菎さんであることがすぐに分かり、「ニーシーチャンパオクンマ」(張宝菎さんですか)と問いかけると握手してくれ、私の大きな荷物を持ってくれました。やはり、連絡がとれて迎えに来ててくれたのです。誰もいなければどうしようと思っていたので安心しました。

 張さんは心配して通訳の方を連れてきていたのです。ですから一方の男性は通訳だったのです。また、私は張さんに「ニーダアイレンハオマ」(奥様はお元気ですか)と尋ねましたら、女性は張さんの奥様だったのです。彼女はにこにこして握手してくれました。以前に日本へ写真を送ってくださったことがあるので、明るいところでお顔を拝見しましたら奥様であることが良く分かりました。

 この町は現在でも外国人に開放していないので、すぐ公安局に行きパスポートを見せ、滞在許可を取りました。その夜は集寧市の迎賓館のような立派なところへ案内され、明朝8時に会う約束をして一先ず休みましたが、興奮してすぐには寝つかれませんでした。

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2008年5月 8日 (木)

翼が結んだ日中友好、その2

 内モンゴルへ飛んだ鳩に会いに行く

        ★胡錦涛国家主席の来日を祝して★

        タイトル【なごやかな列車の旅・期待】

 2日の内モンゴルパオトー行きの列車は午後3時出発のため、乗車までだいぶ時間があり、天安門広場へ散歩に行きました。毛沢東の大きな写真が飾られてある天安門の前は一辺が70センチほどの正方形の石が何万と整然と敷き詰められてある広い石畳です。その正方形の中に一人ひとりが入れば、何万という人が整然と縦横に並ぶことができるとすぐに分かりました。

 ここには中国各地から家族連れの観光客がたくさん来ており、毎日賑わってます。北京では2両編成のバスに何度も乗りましたが、多くの運転手は女性です。ワンマンでなく女性の車掌が切符を売ってますので、女性が活躍してることがすぐ分かります。交通は非常に激しく、日本とは逆の車は右、人は左で、午前6時頃から何百台もの自転車の集団が百メートル道路を猛スピードでベルを鳴らしながら走ってます。私は国際免許証を持っていましたが、これでは運転は不可能と思いました。

 いよいよ内モンゴル集寧(チーニン)へ出発。日本の我が家で生まれた鳩に会えるかと思うと、胸も期待感でいっぱいになり、ワクワクして北京駅に行きました。駅の内部に入ると天井が非常に高いのが印象的です。駅前には列車を待つ何千という人がしゃがんでおり、異様な光景です。特に改札口のようなところはなく、列車の各車両のデッキの所に女性の車掌がいます。その方に切符を渡し、代わりに寝台の番号札をもらって自分の座席の所へ行くのです。2等車でしたので一般の中国の方々ともすぐ近くでした。

 いよいよ出発。放送にはロシア民謡や日本の「北国の春」が流れたりして、いかにも雄大な大陸横断列車の感じです。各車両には先程の女性の車掌が石炭でお湯を沸かしておいてくださり、お客は窓の下に備え付けてあるポットでそれをもらいに行き、お茶を飲んでいます。お客は自分専用のコップを持ってきており、中国の方はお茶の好きな国民であることが分かります。

 車中ではパック詰めの夕飯も売っており、傳(フー)さんが買ってきてくれました。ニンニクの芽とマトンを炒めたものがご飯の上にのせてあり、味がしみていておいしい。多くの客も食べてます。列車は大変に長く、18両編成400メートルくらいで力強く大陸を進んでいきます。あたりは懐かしいインドの大平原に似ており、広大です。

 列車は1時間に一度くらいの割りで停車し、途中の駅で止まると、近くに住んでる農家の人たちが果物を売りに列車の窓のところまで来て、大きな声で果物の名前と値段を言うのです。ホームがないので、線路のところから上の窓に向かって叫んでいるのです。私も桃を買いました。水分の補給にはこれらなら安全と思い買いましたが、列車が出発しそうになると、もっと売りたいために値段をどんどん下げるので先に買った人は損をしてしまい、おもしろかった。

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2008年5月 6日 (火)

翼が結んだ日中友好、その1

 内モンゴルへ飛んだ鳩に会いに行く

              ★胡錦涛国家主席の来日を祝して★

 本日、中国から胡錦涛国家主席が来日しました。実り多い日中首脳会談となり、これを機に日中関係が益々発展するよう祈ります。

 私が飼育してたレース鳩が以前に中国内モンゴル自治区まで飛んで行ったことがあります。先方から鳩を保護している旨の連絡が入りました。その距離何と2500Kです。私たちはこの鳩を互いに「中日友好号」と名づけました。

 このため私は中国内モンゴル自治区集寧へ行き、その鳩に再会し、保護してくださった張宝菎さんという中国の方にお礼を申し上げてきたことがあります。これについて群馬県の上毛新聞社が7回にわたり連載してくださいました。

 胡錦涛国家主席が来日されたことに合わせ、掲載された文章を連続して発表します。日本と中国の恒久平和を願ってやみません。

 タイトル【大陸の第一歩に感動・再会への旅】

 8月1日イラン航空で北京に着きました。約4時間の飛行でしたが、24年ぶりの外国で飛行機の窓から大陸を目にしたときは懐かしい感動を覚えました。日本人学校の教師として2年間のインド滞在以来チャンスがあればと思いながら、なかなかその機会に恵まれず、今回、レース鳩「中日友好号」のお陰で中国内モンゴル訪問のチャンスが到来したのです。

 私の家にいらしたことがある中国女性の傳(フー)さんが北京空港に出迎えてくれ、久しぶりの再会となりました。彼女は天津外語学院で日本語を教えています。北京空港からその日の宿泊地である民族飯店までは車で1時間ほどです。午後8時過ぎというのにまだ日が沈まず、道の沿道には人々がゆったり夕涼みをしています。それは最近の日本では忘れかけていた懐かしい昔の光景です。

 人々は縁台に腰掛け、うちわで扇ぎ、楽しそうに話していたり、散歩してたり、子供たちもたくさん遊んでいます。サマータイムを取り入れてるため時間的に夕方、余裕が出てくるのでしょう。日本では時間的余裕がなく、忙しく動いていてるわけですが、今叫ばれてる「ゆとり」はあるいはこのサマータイムによって可能ではないかと感じました。

 天安門広場を通り、民族飯店に着いてから早速、北京駅に行って通訳をしてくださる傳さんと翌日の内モンゴル集寧(チーニン)までの寝台特急切符を買うことができました。安心して再び民族飯店まで戻り、11時頃やっと夕食になりました。この日は北京市内をあちこち歩き、お腹も空きましたのでビールの巡りも良く、つい飲み過ぎてしまいました。北京での初めての中国料理は好みに合い、おいしく食べられました。時間が遅かったため他のお客は誰もいなく、傳さんと二人だけの妙な夕食となりました。いよいよ明日は私の家で生まれた鳩に会えるかと思うとワクワクしてきました。

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2008年5月 4日 (日)

ちょとだけ嬉しい円安株高傾向

 ここ数日の経済動向を見てますと約1年にわたり右下がりの長かった低迷から幾分か脱出した感のある市場です。昨日の株価が久々の14000円台に回復し終日キープ、しかも、長いこと100円前後であった為替レートが急遽1ドル=105円を示し、こちらも久々といえる円安傾向になってます。

  数年前まで、これら為替と株の数値にまったく無頓着の私でしたが、近年、信託銀行で詳しく教わるようになり、自分なりに経済動向をいろんな角度で研究するようになりました。

 これにより、芸術に匹敵するような生き生きワクワクすることが生じたりし、良い時は血流までスムースになる感じで、思わぬところで健康に相関する気がしてなりません。

 先日のブログで触れました通り、毎朝、ダウ・ナスダックなど米国市場をサイトで覗くようになり、これによりその4時間後に始まる日本経済へ波及する数値を予想する日課となってます。前日の米国市場が良ければ、日経平均株価やTOPIXについ期待を込め、ワクワクするものです。

 先週末は13000円台のもみ合いになりましたが、東京株式市場は2008年3月期の国内主要企業の決算により、今週は14000円台を固める展開になるのでは、という期待をこめた素人である私の展望です。輸出関連企業の好調に繋がる円安傾向は株取引に好感が持たれると感じるからです。

 しかし、ヨーロッパ経済は依然として成長が鈍る兆候が感じられ、このため、ユーロよりドルが買われる傾向が続けば、107円台まで円安が進むのではないかと密かに期待してます。しかし、どうでしょう。国内の大手銀行の3月期決算は前期に比較し、純利益が4割も減少する見通しと伝えられています。

 これはサブプライム損失が長期化し、予想を越えた損失が計上されるからでしょう。依然として予断を許さない米国を中心とした世界経済の中にあって、約1年間低迷を続けてる日本経済に、ここ数日の円安株高傾向は、かすかではあるが、希望の光が差し込みつつあるように思っています。

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2008年5月 2日 (金)

近年にない見事な石楠花の開花

430  一年間待った甲斐がありました。写真は玄関前に植えてある大輪西洋石楠花です。多くの皆様にはブログの写真のみで、実物をご覧いただけなく残念です。お近くの方は是非いらしてご観賞下さい。

 何事もそうでしょうが、開花を夢見て不断の努力を続ければ、きっと見事な大輪が咲いてくれるでしょう。私はそう信じます。

 植物はきちんと応えてくれます。一年のうちで花の命は短くても、この大輪石楠花は2週間ほど咲き続け、心に潤いを与えてくれます。今年は特に色鮮やかに感じます。というのは冒頭に不断の努力と書きましたように、1年間、水やり、肥料の施し、日陰作りの工夫、根元の雑草とりなど頑張りました。明けても暮れても成育状況の観察です。

  今年の冬は根元に肥料として腐葉土や花の土を与え、また、異常な暑さであった昨年の夏は多量の水やりが欠かせませんでした。幸い井戸水を心置きなく与えられますので、井戸を掘って残してくれた亡き両親に感謝です。石楠花は花の好きだった両親によって今、鮮やかに開花してると言えます。

 ところで、一般的に平地で石楠花を育てるのは難しいといわれます。事実、私にも苦い経験があるのです。開花を楽しみにしていた2本を枯らしてしまったのです。この宿命的な平地での日本石楠花や西洋石楠花を鮮やかに開花させるポイントを、私は拙い経験から次のように考えてます。

 何と言っても、第一に土を高く盛り、水はけの良い所に植えることです。じめじめしてては育ちません。第二に枝振りの大きな落葉樹の下がいいです。夏の直射日光を嫌います。当たると葉が焦げてしまいます。一方、冬は温かな陽射しにより蕾が成長するからです。夏涼しく冬温かくです。

 大輪を含め10本の石楠花は個性ある彩りで一年の努力に報いてくれてます。植物はコツが分かると翌年に結果が出るようです。

 私にとってレース鳩は植物よりずっと難しいです。5月10日に北海道・羽幌から放される西関東チャンピオンレースに4羽が出場します。その距離、実に930K。津軽海峡を飛び越え、果たして無事に群馬県倉賀野まで帰還してくれるでしょうか。こちらも1年間の集大成レースです。

 しかし、植物やレース鳩とは比較にならいほど、私にとって深遠なものは乙女心です。これが理解できれば人間として大輪の開花と言えるでしょう。今日は暫らくぶりに「乙女の祈り」を弾いてみようか。

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