« 翼が結んだ日中友好、その4 | トップページ | 翼が結んだ日中友好、その6 »

2008年5月14日 (水)

翼が結んだ日中友好、その5

内モンゴルへ飛んだ鳩に会いに行く   

      ★中国で起きた大地震にお見舞い申し上げます★

      タイトル【柱なく自在に組立て・パオ】

 張さん宅からジープで3時間ほどのところに広がる大草原へ連れてってもらい、大きな移動式テントであるパオに宿泊しました。パオの入り口は一ヶ所で丸い住居です。天井の真ん中に空気入れ換え用の窓が開き、夜はそこから星や月が見えます。雨が降れば紐を引いて閉めることができます。中に柱はなく、取り壊したり組み立てたりが簡単で、季節と共に移動しやすくできてます。何百頭もの羊を食料用に飼育してるので、餌となる牧草を求めてパオも移動するのです。

 パオの中に個室はなく、パオ全体が大きな一部屋で中央に炬燵のようなテーブルがあり、そこで家族はいつも一緒に食事をします。パオは大草原の中に集落を作るかのようにいくつも建っていました。

 ここで本当に驚きました。大草原のこの日の新聞に私と「中日友好号」のことが掲載されているのです。日本から飛んで来た鳩に遠路遥々会いに来た日本人と書かれています。こんな遠くの内モンゴルで、その日の新聞に掲載されるとは全く予想しなかったことです。

 ところで、内モンゴルの大草原では困ったことがありました。それはトイレです。レンガで囲まれただけの粗末なというか素朴なものです。そのトイレの中は部屋のように広く、下にいくつも穴があいてるだけです。屋根がありませんので、まさに大自然のもとで用をたすのです。

 大草原でない内モンゴル集寧の住宅街でも人々は公衆便所に行くのです。それは200~300メートルおきにあり、男性と女性のところは分かれていますが、トイレ内には個室の囲いがなく、下に穴が開いてるだけで10人位がいっしょに並んでしゃがんで話をしながら用をたすのです。まるで井戸端会議でもするかのように楽しそうにいつまでもしゃがんでいます。これこそは日本と全く異なる風習です。

 こんな光景など生まれて見たこともない日本人の私は絶対にその仲間には入れませんでした。苦労して誰もいないトイレをあちこち我慢して探し回ったり、人の入ってない時間を探したりして、それでも誰か来るのではないかとドキドキしながらやっとできました。こんな不安な気持ちでトイレ入ったのは生まれて初めてです。トイレットペーパーは備えてありませんし、どのトイレ付近にも水道はなくて困りました。

 夜8時頃になったら中央の大きなパオの人が呼びに来て、今からパーティーをやるから皆集まってくださいとのこと。風貌の異なる少数民族の方々もたくさん各地から集まっています。小編成の楽団もいて民族音楽が流れ、楽しい交流会が始まりました。

 民族衣装を纏った司会者から、日本から飛んで来た「中日友好号」のことと、その鳩に遥々会いに来た私のことが紹介されました。そして私に何か余興をせよとのことで、楽団の方のキーボードをお借りし、とっさに中国国歌を演奏しましたら思いがけず全員の手拍子をいただき、弾き終えたあと拍手喝采となり盛り上がりました。国歌に対して非常に愛着をお持ちであることが分かります。

 それにしても、こちらでは何度でも乾杯します。座席が離れていても目が合うとお互いに盃を上げ乾杯する習慣があるのです。私は内モンゴルに来てこれほどまで歓迎を受けるとは想像してませんでした。心からの日中友好に感謝の気持ちで胸がいっぱいです。私はアルコールが好きな方ですが、ストレートで飲む60度のお酒にはさすがに参りました。中国の方はお酒に強く、ずいぶん召し上がってます。このお酒にはどこでも出合いましたが、その度ごとに中国の方にまさに乾杯【完敗】でした。

|

« 翼が結んだ日中友好、その4 | トップページ | 翼が結んだ日中友好、その6 »

上毛新聞に連載」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 翼が結んだ日中友好、その4 | トップページ | 翼が結んだ日中友好、その6 »