翼が結んだ日中友好、その3
内モンゴルへ飛んだ鳩に会いに行く
★胡錦涛国家主席の来日を祝して★
タイトル【通訳連れ駅に出迎え・張さん夫妻】
夕闇の中を列車は進みトンネルに何度も入りました。この上に万里の長城があるのです。私のレース鳩「中日友好号」もこの辺を飛んだのだろうかと思いを巡らしながら景色を眺めていました。行っても行っても雄大な光景で夜中は下弦の半月が東の空に輝き、それに映し出された大陸の薄暗さは別世界のような印象です。時計は夜中の12時を回り、乗客は皆眠っており、大陸を進む列車の轟音だけが暗黒の世界に響いています。窓から見る景色に電灯のようなものはなく、大陸の奥地は本当に暗い。
大陸横断列車のため途中の駅では殆ど停車しません。有名な張家口(チャンチアコウ)や大同(タートン)の駅では15分ほど停車したのでホームに出てみました。真夏であるのに深夜で内陸のためか気温は低く、空気は快適です。この周辺は山岳地帯であるため、列車の窓から時々万里の長城の連なりが見えます。万里の長城は1本でなく何重にも見えます。また、万里の長城は大小さまざまで、すべては山の頂から次の山の頂に連なってます。
列車は山をジグザグに登るのです。「あれっ、進行方向が逆だ。」列車はもと来た道を戻ってるのかなと思いましたが、珍しく「スイッチバック」の駅を通り過ぎたのです。窓から見る景色が逆に動き出し慌てましたが、その光景はますます大平原の趣になってきました。いよいよ内モンゴルに差し掛かっているのです。だんだん到着予定の午前1時45分が近づき、気持ちは高ぶってきました。北京駅から10時間45分の列車の旅は終わろうとしています。
集寧(チーニン)という駅は本当にあるのだろうか。期待と不安が交差しました。また、前日、北京から内モンゴル政府の方に傳(フー)さんから到着時間を電話連絡していただいたけれど、私の「中日友好号」を飼育している張宝菎(チャンパオクン)さんに伝わっているかどうか不安でした。もし、集寧という駅に関係者が誰もいなければ、寒いけれど朝になるまで駅で過ごそうと傳さんと相談しました。列車の力強い音は次第にそのリズムがゆるやかになり、内モンゴル自治区集寧に着きました。
集寧は地方にしては大きな町で、深夜にもかかわらずかなりの人々が降りました。ホームを歩いていましたら、ネクタイをしめた2人の男性と1人の女性が私たちの方へ歩み寄ってきました。私はそれが張宝菎さんであることがすぐに分かり、「ニーシーチャンパオクンマ」(張宝菎さんですか)と問いかけると握手してくれ、私の大きな荷物を持ってくれました。やはり、連絡がとれて迎えに来ててくれたのです。誰もいなければどうしようと思っていたので安心しました。
張さんは心配して通訳の方を連れてきていたのです。ですから一方の男性は通訳だったのです。また、私は張さんに「ニーダアイレンハオマ」(奥様はお元気ですか)と尋ねましたら、女性は張さんの奥様だったのです。彼女はにこにこして握手してくれました。以前に日本へ写真を送ってくださったことがあるので、明るいところでお顔を拝見しましたら奥様であることが良く分かりました。
この町は現在でも外国人に開放していないので、すぐ公安局に行きパスポートを見せ、滞在許可を取りました。その夜は集寧市の迎賓館のような立派なところへ案内され、明朝8時に会う約束をして一先ず休みましたが、興奮してすぐには寝つかれませんでした。
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