命をバトンタッチしてる情熱の血
私は4人いる祖父母の誰一人にも生涯会うことはできなかったのです。これは4人とも江戸時代の末期に生まれた人たちだからです。80年前の今日、父方の祖父が亡くなりました。先ほどお線香を手向けました。位牌を見ると妻(私の祖母)に先立たれ1年して後を追ったことになります。
この祖父母のことについては親から聞いて覚えてることを「カテゴリー恋愛」で書いたことがあります。昔なので祖母は親の決めた人のところへ嫁いだのでしょう。 しかし、お互い埼玉県原道村生まれで以前からよく知っていた祖父と祖母はどうしてもいっしょになりたくて、嫁ぎ先の栃木県に子供を置いて来ても、情熱は激しく燃え、電車もない明治時代、2人は着の身着のまま、すぐ裏の利根川の渡しから故郷を脱出したのです。
舟に乗ってから上流の行けるだけ遠い所までと船頭に懇願し、故郷「原道村」を離れ、愛する2人は知らない地へ向かったのです。「もう後ろ指を差されることはないのだよ。」と、ほっとした事でしょう。これはもう「矢切の渡し」そのものです。
舟は利根川から烏川に入り、着いた所は誰一人知ってる人のいない倉賀野。ここは舟の終点です。2人は見知らぬ土地で暫らく頑張り、住処を見つけ、雑貨商を始めました。屋号は懐かしい故郷の名をとって「原道屋」とし、その後、父が誕生しました。
倉賀野に住み着いて暫らく経ち、父が30歳の頃でしょう。今度は祖母が比較的近くに住んでいた私の母を気に入ってしまい、私の母の実家にお百度参りし、嫁に来るよう懇願したのです。こんなことを想像すると生涯を通じて情熱家の祖母であったようです。今度は息子のために頑張ったのです。
ついに父は母をめとりました。、母は生前「私はおばあさんに貰われてこの家に来たのだ。」とよく話してました。倉賀野小町と呼ばれただけあって、祖母が見初めた母は貴重な写真を見てもきれいだったようです。
両親が結婚して20年程して私が誕生しました。そして、私の長女には2人の子供がいます。これを考えると、先祖の情熱が発端で、命がずっと繋がっていることになり不思議でたまりません。
ところで、今日は敬老の日。100才以上の方々は全国で3万人を超え、80歳を超えると男性は約250万人で女性は約500万人。女性が倍になってます。この年代の男性は戦争犠牲者が多いのでしょう。しかし、一般的に女性のほうが、友人が多く、私はおおらかな人が多いためとも考えてます。
これからますます高齢者が増える日本。お互いに食事の量に注意し、健康で精神を逞しくし、何かに情熱を注ぎ、毎日、自ら課題を持って生活したいものです。
友人が多くいることは孤独にならず、長寿にいいと考えるようになりました。現代はインターネットにより広域にわたって素晴らしい友人と出会えます。文明の利器に大いにお世話になろう。
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