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2008年10月

2008年10月31日 (金)

サマータイムを導入しなかった恩恵

 右側の「人気記事ランキング」には表示されませんが、管理画面では多くの皆様がサマータイムについて関心があることが分かります。それはカテゴリーをクリックしてご覧頂きますと記事ランキングには表示されないためです。

 このため、ブログで二度ほど取り上げましたサマータイムについて、以前に掲載した文をアレンジしてみました。

 summer timeはイギリスでの表現で、アメリカでは「日照時間を有効に」という意味でdaylight saving timeと言うようです。アメリカでは4月の最初の日曜日から10月の最後の日曜日まで時計を1時間進めるといわれます。

 日本では暫らく話題になかったサマータイムですが、再び導入の動きがあります。現在は、高緯度に位置する西欧諸国を中心に、多くの諸外国が取り入れてます。

  理由はいくつか考えられ、その主なものは省エネ対策や温暖化対策につながり、特に涼しいうちに活動を開始し、仕事や勉強の能率を上げ、夕刻に余暇時間を生み出すというものです。

 日本でも戦後、導入されましたが、4年後に廃止されました。日本は西欧諸国より低緯度であることや、夏季に湿度が多いためでしょうか、体調不良を訴える人が多く人気はなかったようです。

 サマータイムを天文学的に考えると次のように言えるでしょう。

 地球は1時間に15度自転するため、日本標準時は英国グリニッチから15度で割り切れる東経135度の兵庫県明石市が基準ですが、サマータイムはこの基準を15度東に変更することと同じです。つまり、北方四島の一つである択捉島(えとろふとう)より遥か東に位置する東経150度のロシア領ウルップ島の位置で、太陽が真南に来たとき日本中を正午にすることです。

 これを考えたとき、日本の国土は西洋諸国と異なり、東西南北に弓状に長く散在してます。南西諸島から道東の納沙布岬までは東経にして約22度の差があります。これは時間にして約1時間半の差です。沖縄県など南西諸島は明石市より遥か西に位置し、現在でもすでにサマータイムの状況に近いのです。

 この状態にありながら更に日本中を1時間早めることは沖縄以西の人々にとって、正午の太陽の位置は見かけ上10時半頃の南東の方角にあることになります。このため活動は夜明けと同時に始めることになり、特に、4月10月の過渡期は暗いうちに起床し、職場や学校へ行かなくてはなりません。

 サマータイムは夏時間といわれますが、4月から10月までの期間においても時間を1時間進ませるのですから、実際には春も秋も含まれます。過渡期の4月や10月は東京など東日本でも特に朝は忙しくなり、家族そろってゆっくり朝食を食べる大切な時間は不可能になるでしょう。眠いこともあり交通事故の多発が懸念されます。

 ところで、今の時期にサマータイムについて考えることは時間的によく理解できると思います。【今まで7時に起きてた人は毎朝6時に起きなくてはなりません。】職場や学校でうとうとしたり、体調を崩す可能性が出てきます。

 このようにサマータイム導入で私が最も危惧するのは1億2千8百万の国民の健康です。諸外国に比べ湿度が多く、気温の高い日本の夏は体力が落ちるものです。

 ご存知の通り、血圧は一日の内で早朝が高く、【特に睡眠不足は血圧にとって最も危険な因子です。】

 朝、活動すると気分は爽快のように感じても、自覚症状のない血圧にとってはマイナスです。脳梗塞、脳出血、心臓病などの発症は午前4時頃から午前10時頃までに集中してるといわれます。この点からも、国民の活動を強制的に朝1時間早めることは危険極まりないです。

 【省エネよりすべての人の健康が優先されなくては本末転倒です。】

 身体のために、朝はゆったり、のらりくらりが血液循環によく、医学的に早朝における活動は良くないとされてます。

 【日本が世界一の長寿国になってるのは医学の進歩や食品の安全が挙げられますが、諸外国が導入しても、日本はサマータイムを導入してこなかったことによる恩恵】が大いに考えられます。

 一度、導入されると国民一律1時間の早起きが毎年継続される可能性があり、若者から中高年の働き盛りの方々まで不調を訴える人が多くなり、GDP=Gross Domestic Product= 国内総生産に影響を与えるでしょう。

 地球が自転するリズムに沿い、太陽の南中に昼食を食べるなど、自然に逆らわず活動することが健康の基盤です。中でも九州以西の方々には大変な負担となり、特に過渡期の朝の時間帯は朝食も落着いて食べられず、眠い状態で職場や学校へ急ぐことになります。

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2008年10月29日 (水)

方向判定は抜群であった第1回レース鳩訓練

 朝4時半に起床。訓練のためレース鳩を籠詰めしました。10月下旬のこの時間は真っ暗です。鳩を籠に詰め込むには暗いうちでなければなりません。それは鳩が鳥目で逃げられず、飼い主が捕まえやすいからです。

 12月下旬から始まる連合会訓練に間に合うよう、春用65羽の初訓練です。舎外ではすでに毎朝約1時間の遠征を行ってるので、訓練するにはよいチャンスと見ました。換羽は主翼の1~2本を残し、見た目は生まれ変わったようにきれいになりました。秋晴れが続いたので、かなり遠方までの遠征が推測され、餌の食べ方が異常なほど早いです。

 餌を6割ほど撒いた後、レッドストーンをばら撒くと同じスピードで啄ばみます。これによって腸内は掃除されると同時に、餌の消化が良くなると考えてます。私の鳩舎ではレッドストーンを与える量が多いと思います。そんなことがあってか、見かけ上、病鳩は見当たりません。

 今回は第1回の訓練なので距離は約7K。初めにしては少し遠いとも考えられますが、鳩にとっては少々無理したほうが良い訓練になるでしょう。

 家を5時30分に出発、途中コンビニで温かい十六茶とサンドイッチを調達。放鳩地は鳩友「はとさん」宅の手前に当たる前橋七中、東の田んぼ。6時に到着しました。鳩には悪いけれど私は車の中で日の出を見ながら一人で朝食です。

 ここは広大な田んぼの真ん中、見晴らし抜群で放鳩地としては適してます。天気は快晴でなくとも、かなり良く晴れわたり微風があります。籠を外に並べて30分間、周囲の景色を見せ、籠の中から方向判定させるようにしました。放鳩予定時刻は6時30分。

 カーラジオでは、いよいよラジオ体操の音楽が始まり、一斉に放しました。初めての訓練なので、籠から出ることを知らない鳩もいました。しかし、すぐに集団に追いつき全鳩が高く舞い上がりました。

 不思議なことに、帰還地である私の家の方向である西南の空に向かうのです。どうしてでしょう。ほとんど旋回もせず、多少南に行きましたが、正しい方向判定です。集団は豆粒のように小さくなり視界から消えました。私は籠を積み急いで帰路につきました。

 私が家に着いたのは丁度7時。ところが大変です。1羽も帰還してません。すでに30分も経過してるのに帰ってません。悪い予感です。計算では6時40分には到着していい筈なのに心配になりました。もしかして、途中、猛禽の出現でパニックになったのかと思いを巡らしましたが、一向に姿はなかなか見えません。

 と思ったその瞬間、何と弾丸のように1羽が上空に現われました。これは変だぞと思った次の瞬間、数羽が飛来、しかし、西からです。これは放鳩地とは反対方向です。同じく、後を追うように50羽ほどの大集団がやはり西から安堵したかのように翼を広げたまま飛来して来ました。

 今回は初めての訓練であったため、鳩にとって楽ではなかったようです。しかし、飼い主の私としては放鳩状況と帰還状況の両方を見ることができ楽しかったです。

 私の場合、レース鳩飼育の究極の喜びは北海道からの帰還ですが、このよう な身近な訓練でもレース鳩を飼っている醍醐味が感じられます。なぜなら、知らない土地で放されても私の家まで帰ってくるからです。これこそレース鳩の神秘性、鳩飼い冥利と感じてます。

 次回からの訓練では最近、開通なった北関東自動車道を走り、早めに太田市や栃木県へ行けるようになりました。12月下旬の連合会訓練開始まで、あと2ヶ月。栃木県葛生まで個人訓練する予定です。

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2008年10月27日 (月)

ガソリン車にするか、ハイブリッド車にするか

  先日、ビエント高崎で開かれた輸入車フェアーに行き、初日の午前中ということもあって、思ったほど混み合うこともなく、お目当ての車をじっくり見てきました。来場してるお客の雰囲気は概してカーマニアのように見受けられました。

 展示された車は最新の輸入車50台ほど。どれを見ても魅力に溢れてます。一方、12社のディーラーでも、見学してると係員がすぐ来て説明する会社、また、お客に自由に見学させるだけで特に近づいて来ない会社もあります。ここにもディーラーにより、客に対する姿勢の違いが分かります。

 お客に下準備ができていない場合、初めからどんどん説明されても説明にインパクトがありません。まず客にゆっくり見学させて質問があれば、丁寧に応対するほうが良いと思いました。

 【何の商売でも、客は客の見地から説明者以上に研究し熟知してる人もいます。】

 ところで、私の車選びは第一がスタイルを中心とした外観です。エンジンはついては排気量の数値でおよそのことは分かります。スタイルこそ車の魅力と考える私の次の観点は運転しやすさです。スタイルの観点から、私の感覚に合ってるのはどうしてもケイマンSになってしまいます。

 一方、運転席に座るとアウディーTTが身体にフィットし断然いいです。後部座席も狭いながらもあります。折角、輸入車ならば左ハンドルがいい筈であっても、長年右ハンドルに慣れてるので、安全性や操縦しやすさでは右ハンドルを希望してます。アウディーTTの日本向けには右ハンドルが用意され、しかも、走行安定性抜群のクワトロ四駆です。

 私のレース鳩関係の友人に輸入車オンリーの人がいます。先日、連盟総会の後、乗せて頂き車中で車の話をしてましたら、彼曰く「絶対左ハンドルを勧める」とのこと。なぜかというと、右の助手席にお客を乗せると想像以上に喜ぶそうです。

 ましてや若い女性はそのような体験が少なく、思いもよらぬ好感度が運転者に向けられるとのことです。しかも、「運転するときは必ず長袖の白を着なさい」とまで勧めてくれました。彼は女性の心理を心得ているようです。果たして、この雰囲気は女性にとってCloud sevenなのでしょうか。

 これを聞き、なるほど車の大家はそこまで深く考えるのかと、独り者の私は、それなら左ハンドルこそ車選びの基本であると、その気になってしまいました。

 しかし、後で一人になって落着いて考えました。私は女性が目当てで車を探してるわけでなく、パートナーは車に拘る女性でなくてもいいのです。これからの時間は北海道や九州などへゆったり国内旅行したいのです。これにはやはり、当初の考え通り、いつ見ても楽しいスタイルと運転のしやすさこそ優先すべきで、右ハンドル希望に変わりがありません。

 左ハンドル車では自由になる手は右手で、【左手は常にハンドルを握ってる】ことになります。この点、日本車との違いが大きいでしょう。方向指示器は左側になり、慌てたらワイパーが動き出すことになりますが、これは慣れで解決できます。

 ところで、現在の地球環境、経済状況を考えると、ガソリン車では果たしてCO2削減に逆行するとも考えてます。電力によるハイブリッド車を先取りすることも時代に即し、燃費は比較にならぬほど向上するでしょう。ハイブリッド車はまだまだ始まったばかりで車種も少なく、スタイリングを誇るスポーツカー出現はもう少し先になるでしょう。

 しかも、現在の経済は稀に見る低迷期。運良く上昇に傾くまでは様子を見たり、ハイブリッド車でお気に入りの出現をじっくり待つこともいいのではないかと考えるようになりました。

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2008年10月25日 (土)

青春とは年齢でなく気持ちをいう

 私たちがいつまでも元気でいるには、精神年齢と肉体年齢の両面に【若さを維持】してなくてはならないと思います。この二つをバランス良く鍛錬することは若い人にも中高年の方にも大切なことでしょう。

 時折、テレビで紹介される100歳の方々を拝見すると、共通することがあります。それは皆さん大らかです。あるいは大らかだから長命なのかもしれません。話してるとき常に笑顔があり、しかも、話される内容の一言一言に重みが感じられ、100年の「生きざま」には威厳が漂います。

 実は、隣町にお住まいだった今は亡き滝澤三四吉さんが103歳のとき、私は2度お宅をお邪魔し、お茶をいただきながら話を伺う機会がありました。偶然、私の母と南八幡小学校で同級生だったとのことですが、私の母は生前そのようなことを話しませんでした。

 彼曰く「みねさん(私の母)と私は仲が良かったので、周囲の友だちが二人をからかい、わらべ歌を作りよく歌った」というのです。三四ちゃんとみねちゃんは・・・という歌詞でにこにこしながら歌ってくれました。母が生きてれば聞きたいところです。

 103歳の方から私の母との歌を聴かされるとは思いもよらぬことで、このとき何とユーモアのある方かと思いました。一方、彼は数字を語呂合わせして歌を詠む趣味を持ち、写真のように、今でも近くの畑に碑文があります。これもおもしろいものでよく出来てます。

 碑文【年取れば日増しに皺に白髪と醜くなれど我は気にせん。】人は誰でも年を重ね、外見はよくなくなっても、それと中味は関係ない。要は自分らしい生き方が大切。ということでしょうか。

 私が滝澤三四吉さんの存在を知ったのは「上毛新聞ひろば欄」に100歳の方が時々投稿されてたからです。その後、100歳を超えても公に文章を書き、ご自身の主張を新聞紙上で述べられてることに感銘しました。私はどうしてもお会いしたい気持ちになったのです。

 日々の生活ではいろいろ工夫され、例えば、アロエを育て、すりむいたり蚊に刺されたときは薬を使わず擦り込むと話され、あまり医者に行かないとも話されました。毎日、自ら畑仕事をされ野菜はご自身で作られました。生来、丈夫な身体であったと思われますが、食生活にいろいろ留意されてたのでしょう。 

 三四吉さんという名前の由来は明治34年生まれによるもので、生まれながらにしてユーモアをお持ちのようです。

 滝沢さんにお会いし私はいろいろ感じました。老化は足からといいますが、100才を超えても杖を使わず歩き、自ら畑で収穫され、身体を動かすことを生活とし、何と言っても話好きで、気持ちがお若いと思います。また、身なりをきちんとされ、これを見ても精神のしまりが感じられました。

 これからますます高齢化社会を迎え、私は、より若さを求めていきたいと思っています。それには「年甲斐もなく」ということや「歳相応」などという一般的な慣習から離れ、年齢を型に嵌めないようにしたいです。今までと同じということです。

 それには山歩きや旅・ドライブは好きなので、それにより見聞を広め、車はユニークな型と目立つ色がいいと思ってます。

 今まで通り、ピアノ演奏を友人に聴いてもらい、英語のボキャブラリーは続けるつもりです。それからレース鳩飼育と至福の一杯は欠かせません。

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2008年10月23日 (木)

いよいよ全国のステージ、頑張れ!富岡東高校音楽部

 香川県高松市で今月25日に開催される全日本合唱コンクールに群馬県立富岡東高校音楽部が出場します。遠方なので応援に行けず、ブログでご活躍を祈念いたします。

 私は6月に「かぶら文化ホール」で行なわれた同校定期演奏会を拝聴し、洗練されたハーモニーの響きに感銘。未だその美しい歌声は脳裏から離れません。

 定期演奏会・第一部最後に発表された組曲<火へのオード>より「火の王よ あなたの国の・・・」(新井和江作詞、鈴木輝明作曲)を全国大会でも自由曲として披露されるとのことです。

 私はこの演奏を聴いていますが、その時の印象は富岡東高校音楽部の「総合的な力」がひしひしと観客席に伝わってきたのです。背中がぞくぞくするような「烈火の」感動は未だ心に焼きついてます。

 顧問教師による指揮のもと、生徒さん全員の響きがよく冴えわたり、訴えが迫ってきたのです。多分、平素の練習において「遠くまでよく響く発声法はいかにしたらよいか」という観点での発声法を追求する方向に、目を向けられてる気がしました。会場へ声がよく透りました。

 今年8月には群馬県で「全国高校総合文化祭」が行なわれ、同校は高崎市群馬音楽センターにおいて全国から高校生を迎い入れる立場で活躍されました。合唱部門ではその中心となり仕事にも邁進されました。それが延いては群馬大会金賞・関東大会金賞と連なり、晴れて群馬県の高校では初めて全国切符を手にする快挙につながりました。

 毎日の練習では、きっと悩みがあったり、辛いことのほうが多かったのではないでしょうか。でも、それが人間としての成長につながり、同時に、より深い音楽表現に結びつき、心一つとなり、集大成として見事な芸術へ開花したと思われます。

 25日の大舞台ではベストコンディションで登場され、比類なき富岡東高校の響きを奏でてください。「人生、全ては時間との戦いと思ってる」佳奈さん、期待してます。

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2008年10月21日 (火)

お陰様でブログ記事500件達成

 皆様からのアクセスが励みになり、前回の記事「悲願達成!上武大学・夢の箱根駅伝へ」により、ブログ開設以来、記事数が500件になりました。

 学生時代から、国語が苦手で文章は特に不得意な私にしては、思いのほか頑張れたかな、と感じてます。新たなブログを書き始めるとき頭を悩ますのは「何をテーマにするか」です。なかなか見つかりません。テーマが見つかっても、一般の方に内容が受入れらなかったり、旬でなかったりすることも多いと思います。

 ですから、ブログでは「多くの方々に共通する話題は何か」、「今、一般的に話題となってるテーマは何か」を心掛けなくてはなりません。それには私自身が、より脱皮し、今まであまり関心なかった分野まで立ち入る必要があります。

 ブログを書くことは新聞記者に似てるようです。自分の足で歩いて自分の目で確認し、そして自分で感じたことを述べる必要があります。また、内容に間違いがないよう何度も読み返し確認に努めてます。前者は主張。後者は事実関係です。この二つを明確に分離することが肝心でしょう。

 昨年までは毎日発信しましたが、今年から2日に一度に決めました。日によって、すらすら書けるときと、なかなかテーマが決まらず深夜0時ぎりぎり滑り込みセーフもあるのです。それでも一日おきの決心は今のところ崩れてません。

 たまたま、昨日、偶然にもアクセス数77777の瞬間を捉えることができ、ラッキーナンバーです。

 このブログの設定にはいくつかいいことがあります。その一つは瞬時に英文になることです。私はよくできませんが、英語が好きなので、この設定はヒットであると思ってます。これにより興味あるボキャブラリーの開拓ができます。関心事なので脳にインプットされやすい筈ですが、現実にはなかなか思ったように入らないものです。語学は繰り返しでしょう。英単語は80回の反復で大体覚えられると聞いたことがあります。

 また、アクセスいただいてる皆様の都道府県ランキングが分かるのも楽しいです。常に東京と群馬が多いのは分かりますが、特に福岡県が3位をキープしているのは有難いことです。表示は過去1週間の10の地域のみですが、管理面ではすべて表示されてます。人気記事ランキングも同様で、決して人気記事ではありませんが、過去1週間に多く読まれた記事を自動的に表示しています。

 「レース鳩の血統のみを職業」は年間を通じて常にシングルです。このブログ名がPersimmon Marsh Loftですので、有難いことに全国の愛鳩家・競翔家の方々にアクセスいただいてることがよく分かります。しかし、レース鳩の内容にもっと深みが出るよう血統面、管理面で専門的に記述できるよう努めたいです。

 また、コメントを頂き、大きな励みになってます。度々ご登場の「花舞さま」は九州の女性で音楽がお好きとのこと。私といくつか共通点をお持ちです。アクセスを有難く拝読してます。ご満足いただけるよう、もっと音楽について深い文章が書きたいですが、実力が伴なわず今後の課題です。たくさんコメントを賜り、まるで以前から存じ上げてる方のように感じてしまいます。

 今後も、全国の方々にお読みいただけますよう「レース鳩」はもちろん、「群馬の山々や自然について」、どなたにも共通する「経済」、「健康対策」、また、「男性・女性のあるべき姿」、「高齢化社会における生き甲斐」「身近にある喜び」など書いていきたいと思います。これからも、どうぞ宜しくお願いいたします。 

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2008年10月19日 (日)

悲願達成!上武大・夢の箱根駅伝へ

 昨日、箱根駅伝出場権を懸けた予選会が20キロコースで行なわれ、群馬の上武大学は10人の合計タイムが10時間15分47秒で3位という好成績を収め、本大会初出場が決まりました。群馬県の大学では初めての快挙。新たな歴史ができました。誠におめでとうございます。

 毎年、箱根駅伝をテレビ観戦してますが、私にとって関係する大学の出場がなく、応援することはありませんでした。しかし、今度のお正月は楽しみです。

 上武大は車で15分ほどの所、実は私はかつて勤務してたのです。このため、すごく嬉しいです。

 予選会において、群馬県関係ではこの他、創造学園大が昨年創部で1,2年生のみの28位、来年以降に大いに期待がつながりました。一方、我が母校・群馬大は45位と大奮闘です。

 上武大では5年前に、自らも箱根駅伝で活躍され、2度のオリンピック出場経験を持つ花田氏が監督に就任、創部5年目にして大学の念願を達成されました。氏は今年の箱根駅伝中継車での放送解説者を務められました。

 昨日の予選会をテレビ観戦したところ、上武大の選手は先頭集団近くをまとまって走り次々と早めにゴール、その結果、何と10人ともゴールしたのは参加校の中で最も早かったのです。

  この瞬間、「これは行けるぞ」と確信できました。花田監督のもと、選手による日々の努力、及び本格的な指導により夢は見事に開花しました。

 箱根駅伝出場を目標に先輩たちが築いた駅伝部。その悲願は5年目にして結実しました。多くの卒業生はもちろん上武大学関係者、群馬県民にとって喜ばしいことこの上ありません。

 花田監督の「夢は目標に変わり、必ず叶うという考えでやってきた」という言葉から、私たちは「夢を持つ大切さ」及び「不断の努力」を学ぶことがでるでしょう。

 あと76日に迫った箱根駅伝。上武大の活躍に大いに期待してます。 

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2008年10月17日 (金)

次女Marie Persimmon Marshと私

 携帯のメールアドレスを変更したので、昨日、二人の娘にその旨を連絡しました。次女Marie Persimmon Marshからは早速、返信がきました。彼女のメールを受信したのは久々です。元気で仕事に打ち込み前橋支店に転勤し部署も変わったとの連絡があり安心しました。独立し生活してるので、大好きな愛犬「コロ」とも暫らく会ってません。果たして「コロ」は覚えてるでしょうか。

 ところで、左の写真は私の携帯待ち受け画面でMarie Persimmon Marshです。たまにはブログに変化があっていいですね。本人もこの写真が気に入ってるらしいです。学生時代に「マリエール」という自分と同じような名前の結婚式場でアルバイトをしていたとき、試しにモデルになったら好評で(?)その結婚式場のパンフレットに載ったときのものです。

 正式には私の家族は私と次女の二人だけなのです。4年前に母を亡くし想像を絶するショックが続いてるのです。しかし、持ち前の精神力で辛い日々を乗越えているのでしょう。この精神力は母からの遺伝と思われます。母は誠心誠意仕事に打ち込んだ人で、生涯にわたり仕事を1日も休んだことがありませんでした。責任感は私よりずっと偉大でした。

 写真では私に抱かれてる小さいほうが2才頃のMarie Persimmon Marshです。伊香保温泉近くの水沢山山頂です。今では大きくなり身長168cmほどです。内面は母似で、身長だけ私に似てうまくいきました。左の子は横浜に嫁いでいる長女です。

 母を見て育っただけあって、仕事を中心とした生き方は母そっくりです。私の娘にしては立派といえます。一度だけ、彼女の仕事振りを客観的に見たいと思い、勤務していたアルカーサル結婚式場主催の食事会に参加したことがあります。私が参加してたことをそんなに意識しないで、家で見る顔とは異なり、動作はきびきび、常に客全体の動きを見渡している様子でした。

 今までの勤務地アルカーサル迎賓館高崎では何かの主任を仰せつかったらしいですが、この度、前橋へ異動後は勤務内容が変わったと連絡がありました。約5年間培った結婚式場の現場では、上司・同僚に支えられ、お陰で仕事は確実に身につけてるように感じます。また、お客様からは角度を変えていろいろ勉強させて頂いたと思われます。

 どんな業種であっても、【仕事を勉強するのはお客様からである】と私は考えます。学校にあっては、先生は生徒から学んでることも大いにあります。優秀な教師にはその気持ちがあると思います。

 一般社会においてはお客様はほとんど異業種の方々、社会常識が豊富であったり、人生で大切なことをずっと追求されてる方々です。しかも、年齢が上の方であれば、有難く学び取る心構えこそ、仕事をする人は心得なければならないでしょう。

 Marie Persimmon Marshは久々にお正月、私の家に帰るとのこと。二人きりいない家族なのだから、楽しい新年を迎えたいと今から楽しみです。

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2008年10月15日 (水)

ピアノまで頭に載せて運ぶインド人の風習

 左は私の部屋に飾ってある絹に描かれたインドの田舎の絵です。何となくユーモラスな感じが漂ってます。男性が音楽を奏で、それに続き、頭に物を載せた怪しい雰囲気の女性が踊るように行進してます。

 男性が身につけてる腰巻のような衣服はドーティーと呼ばれ、女性のものはほとんどサリーですが、ここでは仕事がしやすいように少しアレンジしてあるようです。何のことか、女性は皆真剣な眼差しで男性を見つめ、3番目の女性は男性に向かって「私ですか」と自分を指さしてます。しかも、みな裸足です。

 2枚目、3枚目の絵には「夫婦のあるべき姿」が滲み出てると思うのは独り者である私の思い過ごしでしょうか。睦まじさが漂ってます。日本にはない習慣ですが、やはり、頭に物を載せてます。

 北インドは世界の屋根で雪が積もります。このため、インドは暑い国と一概に言えません。しかし、広範囲のインドは5月が真夏であっても、一年を通じて暑く、大昔から住まいや衣服には涼しい工夫をしてきたのでしょう。

 若き日、カルカッタ(現コルカタ)でインド人と生活を共にし、いくつも驚いたことがあります。家には家事をしてくれる人たちがいました。料理する人、掃除する人、家事全般、その他、ドライバーなどです。言葉はヒンズー語及び英語です。

 彼らと話していると、その都度、頭を横に傾げるのです。あるいは顎を横に出すのです。初めのうちは私の言ってることに何か不満があるのかと思ってしまいました。

 毎日、一緒にいるうちにその習慣が次第に理解できるようになり、ついに私までが顎を横に出すようになってしまいました。この頭を横に傾げるとき、彼らが口に発する言葉は「ティケ」です。「ティケ」とはOKのことであることが、感覚的に分かってきました。しかし、ティケと言わないときは本当に一見NOのように思いましたが、それでもOKなのです。民族によって風習が違いますね。

 このようにインドの方々はOKの場合、首を横に曲げる仕草をしますが、翻って私たち日本人は話の途中、OKつまり分かりましたと相手に伝える動作は首を少し前に倒しますね。これと同じ意味なのですから、民族によって仕草が異なるものです。インドの方々は、OKのとき首を縦に振る日本人の風習こそ変だと感じてるかもしれません。

 タイトルに掲げましたように、頭に荷物を載せ物を運ぶ風習を毎日目にし、穀物や壷を載せるのはいいとしても、私が最も驚いたことは「死者を担架に載せ」4人がかりで、やはり頭で運ぶのです。しかも、棺桶に入れず、死者の顔は赤色などで化粧し、周りから誰にもよく見えるのです。その行列は大都会の目抜き通りでも行進し、焼き場方面に行くのです。ですから、インド滞在中にたくさん亡くなった方を見てしまいました。亡くなった人のことをカタムホギャといいます。

 また、日本では絶対考えられないことですが、何とピアノまで4人で頭の上に載せ運ぶのです。身長がほとんど同じでなくてはなりません。誰か「一人疲れて参ったら」ピアノは転落し大怪我間違いありません。

 考えられぬほど重くても4人で歩調を合わせ辛そうに前進する姿は、ガソリンゼロリットルで仕事を成し遂げるインド人の頭脳的プレイにも見えました。数学のゼロはインド人により発見されたといわれます。

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2008年10月13日 (月)

こんなおいしい紅茶を飲んだことがない

437  先日、登りました尾瀬の至仏山山頂(2228m)でのことです。四方の山々すべてが望める大パノラマ。それは福島県や新潟県の山々まで手が届くようです。

 特に尾瀬ヶ原を挟んで東に聳える男性的な燧ヶ岳に感銘。初めて登頂した至仏山山頂での喜びはこの上もありませんでした。しかし、体力的に私には実力以上の山でだったのでしょうか。予想を越えて疲れました。

 内心、私の体力はこんなものか。あるいは平素の鍛錬不足かと、景色のすばらしさとは対極的に、そんな弱音が頭の中を駆け巡りました。しかし、リーダーのサミュエル・トッドさんは流石です。仲間のそんな気持ちを察するのは心得ているのでしょう。多くの山岳体験をお持ちです。

 彼は同行のSさんと私に、バーナーでもってお湯を沸かし、カップラーメンを作ってくれました。家で食べるものと何ら変わりは無くても、このように疲れたとき山頂で食べるカップラーメンは全く味が違います。Hunger is the best sauce.の典型でしょうが、山頂で頂くこんなおいしいものが他にあるでしょうか。もしかして、気圧の低さも微妙に影響してるかもしれません。いや、彼の長年の経験なのでしょう。

 それにも増して、おいしくて驚いたものは彼の作ってくれた紅茶です。近年、こんなにおいしいものを口にしたことはありません。頂いた途端に身体中に染み渡り、見る見るうちに体力回復の兆候です。

  彼の承諾を得てませんが、心の広い方、大丈夫でしょう。それは温かい紅茶に砂糖を多めに入れ、何とブランデーも入れたのです。これにはびっくりです。彼自身teetotalerである筈なのにおいしそうに飲まれます。きっと疲れた全身のため、糖分とアルコールという疲労回復の奥の手を出されたのでしょう。

 平素、私自身お酒は好きな方で、大体何でも飲みますが、ブランデーだけは強すぎてあまり口にしません。しかし、この方法により今までのブランデーに対する印象は180°転換しました。家にはブランデーがありますので、これからは、我が家を来訪された方で、運転されないお客様に私の奥の手で差し出したいと思いました。

 これを召し上がってピアノを聴かれれば、拙い演奏でもお客様の心はcloud nine間違いないでしょう。

 私たちはちょっとした工夫で、新たな世界や今まで経験しなかった心境になれるものです。日々、苦しいことや悩みがあっても人間ならそれはつきもの。しかし、紅茶一つ入れ方を変えても、このような喜びが生ずるのですから、いろんな場面で創意工夫し、今までにない体験や発見をしたいものです。

 Samuel Tod,  I deeply appreciate your kindness ! 

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2008年10月11日 (土)

倉賀野町写真展でノスタルジアに浸る

 本日から5日間、ご覧の写真展が開かれてます。ご案内を頂き、初日の今日、伺ってみました。会場は私の生家のすぐ近くです。私の生家はベイシア倉賀野店の反対側で旧高崎信用金庫のところ。昔は原道屋といいました。

 タイトルは「いまむかし写真展」とあります。やはり昔の写真が懐かしく感じました。残念ながら会場内は撮影禁止となっており、展示されてる写真はここで披露できません。

P1030048  驚いたことに、戦前に写した私の生家・大きな松がある原道屋、及び私の若いとき(昭和40年頃)の姿も写ってます。

 倉賀野町に生まれ全国に散らばってる方々にも、この素晴らしい写真展を見て頂きたいものと思いました。現在はインターネットによってそれは実現し、より一層、意味を持ち、これらの方々にとっては懐かしく夢のようなことでしょう。写真所有者の方々に許可いただければ、倉賀野を故郷とし遠くにいる人たちにも喜ばれると感じました。

P1030047  このため、ここに掲載する写真は私の家にあったもの【倉小百年史より】です。左の写真は現在の公民館の場所で、ここが倉賀野小学校の2番目の校舎だったのです。明治19年に建てられ、私の父は明治35年頃からここで学習したのです。中央に「倉賀野郷校」の看板が掲げられてあります。この場所は仲町で子供たちは通いやすかったと思われます。この翌年、倉賀野駅が設置されました。

P1030052  倉賀野小学校は、これ以前の明治6年に九品寺で開校したと伝えられます。左の看板は倉賀野小学校の卒業生であれば全員の方が見たことがあるでしょう。前述のように、明治19年4月完成の新校舎正面入り口に掛けられました。寄贈者は松本勘十郎氏で、揮毫は森群馬県書記官と記されてます。

 倉賀野小学校が現在の場所に移転したのは大正11年と伝えられ、関東大震災の前年です。

P1030049  これは大変に貴重な上棟式の写真です。当時、この辺は広々してた土地で、倉賀野駅に隣接し、きっと倉賀野で最も賑やかな新興地であったと推測できます。

P1030050  約50年間この校舎で教育が行なわれ、倉賀野の中高年の方々には懐かしいものです。倉賀野町は群馬郡でしたが、昭和38年に高崎市に合併となりました。

P1030053  倉賀野には高崎線倉賀野駅があり、これは住民にとってすごく便利で誇りでもあります。これはきっと、江戸時代の長い間、信州・越後などへの物資輸送の中継基地として倉賀野河岸の役割が大きく、その代わりとして駅が設置されたと考えらます。

 今回の写真展はどれも懐かしく拝見しました。「倉賀野まちづくりネットワーク」の方々に温かくもてなして頂き、その画期的な企画に心より感謝いたします。

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2008年10月 9日 (木)

いつかは絶叫したい「恋人への愛」

3716  群馬県西北部にある嬬恋村(つまごいむら)は活火山・浅間山2568mの近くに位置します。ここは天明3年(1783)の大爆発による熱泥流で、特に鎌原地区が全滅し、日本のポンペイと呼ばれてます。現在でもかなりの家が埋没したままと推定され、一部発掘により当時の生活様式を見ることができます。

 近くには大噴火による巨大岩石が広範囲に当時のままの姿を呈しており、225年前の地獄のような光景を今に伝えてます。現在では観光地となり「鬼押し出し」と呼ばれます。

 嬬恋村といえば昨年、四阿山(あずまやさん)2354mに中国人ご夫妻やサミュエル・トッドさんたちと登頂し親しみがあります。一方、嬬恋村はキャベツの生産地として有名、ほとんどが首都圏へ送り出されます。

 また、冬季はスケートが盛んで、子供のときから慣れ親しみ、オリンピック選手も輩出しているスケート王国です。このため貴重な自然の宝庫です。

 鹿沢地区には南極昭和基地の第一次越冬隊長・西堀栄三郎氏作詞による「雪山賛歌」の碑があります。この近くで吹雪に遭遇し、待機していたとき作ったといわれます。これからの季節、お薦めのスポットです。

933  ところで、最近、嬬恋村にはもう一つの名所ができました。それは吾妻郡・嬬恋村の地名にあやかって「愛妻家の聖地」となったのです。

  広大なキャベツ畑の中にステージができ上がり、男性が好きな女性に向かって「愛や感謝の言葉」を叫ぶ「愛妻の丘」が完成しました。

  普段はなかなか恥ずかしくて言えない「愛の言葉」を妻や恋人に向かって絶叫するのです。それは好きな女性の名前を叫んでから「Ich liebe dich.=I love you.=我愛イ尓=大好きだよ」など、あるいは「誰々さん、結婚してくれ~」「誰々さん、結婚して本当~によかった」など、キャベツ畑の真ん中で思いきり叫び、彼女に気持ちを伝えるのです。

  このため、一人で行っては意味がなく、必ず好きな女性を連れて行かなくてはなりません。もちろん、女性が絶叫してもいいと思われます。こんな男性は幸せの極でしょう。

 嬬恋村の大自然の中で絶叫し、プロポーズすれば、最高に熱い気持ちが伝わり、彼女のハートを射止めることができるかもしれません。結婚されてる方はここで、もう一度、思い切り愛を再確認してもいいでしょう。

 将来、私にもそんな機会が到来したら、嬬恋村「愛妻の丘」で生涯に一度、思い切り叫んでみたい。それまでは夢を持って生きよう。

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2008年10月 7日 (火)

嗅覚が主役となる季節の到来

 今晩の月は右半分が輝く上弦です。同じこの上弦の月がオーストラリアなど南半球では左が輝くのですから、 見る位置によってその姿は異なります。しかも、月の中の模様は上下逆になります。同じ天体でも国によって違って見えることは地球が球体であるからでしょう。

 明日は二十四節季の一つで寒露です。気温が下がり露が降りる秋本番。先日の秋分の日から、私たちを乗せた地球は太陽の周りを15度も移動しました。

 地球は人間に左右されず、何億年もの太古から未来永劫に向かって同じ軌道を回り続け、月も行動を共にします。これによって暦ができました。

 今週の土曜日は十三夜です。当たり前であっても旧暦では13日ぴったり。この日は毎年必ず先負であることも不思議です。

  大昔から明治時代の初めまでは月の満ち欠けにより、日にちや曜日が決まるという神秘的な暦が長い期間続いてました。カレンダーにする紙のない時代にあっても、月がその日を正確に教えたので人々は不便しなかったのでしょう。

 ところで、先日も五感について書きましたが、私たちの祖先が今の人間より優れていたのは嗅覚であったと推測できます。野山に咲く芳しい樹木や草花に囲まれ、香りの感覚は豊かであったと思われます。現在の私たちはIT革命の影響で、携帯を手離せない人も多くなり、視覚と聴覚のみに頼り、あまり自然に接しないで生活するようになりました。

 鼻は本来、目の前にある食べ物の臭いを嗅いで、衛生上、食べてよいか、どうかを判断するもので、この判断に命がかかっていたのです。猫や犬にも匹敵するほどでなくとも、今より嗅覚は発達していたことでしょう。しかし、現在は嗅覚で判断せず、袋に印刷された賞味期限、消費期限で食べられるかどうかを見分けています。つまり、視覚で判定するようになりました。これは安全であるという点で助かりますが、もっと生活に嗅覚を取り入れたいものです。

 庭は金木犀の花盛り、独特の甘い香りが一面に漂ってます。英語でもFragrant oliveという素敵な名前で呼ばれ、赤黄色の花びらや芳しさが道を通る人を立ち留めています。一年のうち、この1週間ほどがいい香りを与えてくれるので、心置きなく味わいたいです。

 庭にはこの他、狂い咲きの山つつじ、それから私の家のシンボルPersimmon、そしてすでに菊も咲き始めてます。このような花や実は独特の季節感を感じさせ、一人で浸っていては、もったいないし、寂しさも一段と募ってしまいます。ピアノを聴いてくださる方に金木犀の香りをプレゼントし、嗅覚と聴覚により秋のひと時を味わってもらいたい。

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2008年10月 5日 (日)

大自然との対話・至仏山山頂を満喫

437   願ってもない秋晴れの昨日、江間章子作詩、中田喜直作曲「夏の思い出」により日本中に知れ渡った「尾瀬ヶ原」を至仏山山頂から望むことができました。

   多くの登山客は群馬県外から。私が尾瀬を訪れたのは学生時代に水芭蕉の「尾瀬ヶ原」を歩いたり、尾瀬沼を訪れて以来です。

 今回、日本の百名山・至仏山山頂に立ち、広大なパノラマを目にすると、なるほど景色抜群の名山であることが頷けます。私にとって、これほどの大パノラマは浅間山山頂、浅間隠山山頂、そして十二ヶ岳山頂以来です。2228mを誇る至仏山山頂は群馬県北部において、巨大な姿と優しさを併せ持っています。

 稜線は比較的なだらかでも、山頂に近づくに従い蛇紋岩が目立ち、行く手を阻みます。山肌を覆う樹木は高山植物とハイマツがほとんど。地面にへばりつくハイマツの姿は想像を絶する冬季の厳しさを物語っています。

  一方、至仏山の魅力は女性的に見える立ち姿、山肌を覆う美しい色彩、これこそ「尾瀬の女王」といわれる所以でしょう。味わい深いこの山を眺めると、山がしっかりした恋人と思えるのは私だけではないでしょう。どこから見ても魅力に満ち溢れています。

 至仏山山頂に立ち眼前に広がる光景、それは「日本は山ばかり」であるということ。日々の生活では人間関係、あるいは経済不況で右往左往していても、ここから見ると、いったい人間はどこにいるのだろう。見渡す限り山また山の連なり。これが現実の日本の姿か。1億3千万の人が生活してる所はほんの一部の場所に限られていると思わざるを得ません。日本は広いです。

  暫し、山頂からの遠望を眺め、私の胸に去来する感懐は、生きてることについて、今という瞬間について、人間とは、自分とは、愛とは、これらが脳裏の中を駆け巡ります。広大な大自然の前では、この世に誕生以来、孤独な自分が存在してるのみに思えてなりません。

Dscf0020  しかし、往復8時間の山歩きは同行していただいたサミュエル・トッドさん、及びSさんの豊富な会話。時には苦しい登り、ほっとする下り、その合間に垣間見る「尾瀬が原」の広がりを始め、東に聳える燧ヶ岳、笠ヶ岳、武尊山の魅力ある山並みと相まって、お二人には終始和やかな交流をしていただけました。

 お二人は並外れた海外通。サミュエル・トッドさんはニュージーランドで山岳ガイドができるほどの方。Sさんはアメリカ滞在が長く、一方、ネパールでヒマラヤ山脈を味わったこれまた山岳愛好家。今回、知り合いになれて幸せに感じました。近日中に私の家で下山祝いすることになり、今から楽しみです。美酒を味わい、拙いピアノも聴いていただきましょう。

 今回の至仏山登山は私にとって精神の弱さ、体力の無さを露呈することになりましたが、それにも勝る尾瀬一帯の魅力、頂上に立てた歴史的喜び、同行のお二人の温かさにより、憧れの山に登頂できました。帰路に3人で入った白根温泉・源泉掛け流しのお風呂は身も心も十分に癒すことができました。

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2008年10月 3日 (金)

憧れの至仏山山頂めざし日々鍛錬

   明日10月4日(土)は群馬県でも北部に位置する尾瀬の至仏山(しぶつさん)山頂をめざします。標高2228mは9月下旬に降雪がありました。同行者はニュージーランドか日本のどちらが本拠地か分からないサミュエルトッドさん、及び彼の同僚Sさん。

 お二人とも英語の達人。サミュエルトッドさんは昔から山岳指導者でもあり、職場が同じでしたので、それ以来、親しくして頂いてます。すでに山歩きは幾度となくご同行して頂いてます。

 一方、私は高校時代に浅間山2568mを登頂してから山の虜になりましたが、仕事の関係や、土日はレース鳩の世話で忙しく、登山をあまりしませんでした。最近、彼の奨めにより再び登るようになり、若き日の情熱に火がつきました。お陰で四阿山(あずまやさん)2354メートルや野反湖・八間山1935mなど群馬の百名山に挑戦しています。

 いよいよ、明日は憧れの至仏山。尾瀬に聳え高山植物の宝庫といわれるこの山は「仏に至る」と不思議な名称。山頂近くのガレ場の色が柿の渋に似ていることから命名されたようで、漢字は後からつけた当て字ともいわれます。

 この山に限らず、山の命名にはおもしろいものがたくさんありますね。群馬には鼻曲山という滑稽な山もあります。全国の山々の名称はいったい、どなたがいつ、どのように命名したのでしょう。これを研究しても一生かかるでしょう。至仏山とはとても神秘でいい名前です。仏教には関係ないようです。

 ところで、憧れの山へ行くには、それなりの心構えと足腰の鍛錬を怠るわけには行きません。楽しさの前は自己への厳しさが求められます。このため、至仏山行きが決まってから山登りをイメージし、私なりに頑張りあちこち歩いてます。お二人の足手まといは避けなくてはなりません。

 倉賀野から高崎駅前「どんどん」までは、しばしば食事のために(一杯含む)約5Kを1時間10分で歩いてますが、昨日は秋晴れで、高崎市観音山ファミリーパーク周辺を約1時間歩いてみました。柴や遊歩道が整備され、高台に広がる自然は空気がひんやりして気持ちいいです。

  ところで、私が実行している歩き方をご紹介します。

 歩き方で肝心なことは姿勢と思います。目は必ず遠方を見ます。これだけで姿勢がかなり良くなるでしょう。また、これにより遠くにある目的物が定まるので、そのつもりがなくても幾分か速度が増します。背筋を意識すると胸が前に出てきます。この胸から前進する感じが望ましい姿と思います。姿勢が正しいと肺に新鮮な空気がたくさん入ります。

 足の指は10本ともしっかり独立して働かせる意識です。女性の中には外反母趾で苦しむ方をお見受けします。彼の前では格好いい先の細い靴を履いても、普段は足の指が広がる靴を履いて、1本1本独立させてやりましょう。つま先は命を乗せてます。

 明日は、その名も鳩待峠~小至仏山~至仏山山頂へと比較的緩やかといわれるコースを登りますが、登山口である鳩待峠からの標高差は637m。すでに降雪のあった本格的な山は決して侮れません。

 片道3時間を一歩一歩、至仏山に登ぼれる幸せをかみ締めたいと思います。デジカメは必携で、山頂から眺めた尾瀬ヶ原一帯をブログでご紹介できるようパチパチ撮ってきますね。サミュエルトッドさん、Sさんよろしくお願いいたします。

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2008年10月 1日 (水)

君子蘭から学ぶ親離れ子離れ

219    3年前に隣りのTさんから戴いた君子蘭は毎年早春にご覧のような開花をプレゼントしてくれ心が和みます。この時季、あまり花のないということもあって、この世の美しさとは思えないほどの品格を表現し、同時に「もっと明るく生きよ」と、私を励ましてるようです。眺めていると、大物の雰囲気が漂います。

 君子蘭の習性として根元に子供がたくさん増えます。変わった子孫繁栄の植物です。原産地は南アフリカらしいので、寒い季節には温室で過ごすか、家の中に入れて世話します。

 左の写真は最近の姿で、ご覧のように根の周りに子供が10株ほど所狭しと生え、おしくら饅頭、立錐の余地もありません。このため昨日、株分けしそれぞれ独立させてやりました。親はほっとし肩の荷が下りたことでしょう。

 初めての株分けはどのようにしてよいやら分かりませんでした。腕ずくで分けようとしても根は簡単に引き裂けません。親子の絆は強いようです。私の力ではどうにもなりません。可哀想でしたが、仕方になく、鋸で分割したら、比較的簡単に分けられました。思いのほか子供の数が多かったです。

 ついに親子訣別の瞬間。根がしっかりついてる6本を選び、君子蘭用の土を入れた植木鉢に1本ずつ植えました。1日経過し、本日見た限りでは葉が萎れてる感じがありません。半日陰の場所に置き、乾いたら水をやりながら見守ります。果たして、近未来はすべて咲くでしょうか。こんなことでも夢があるものです。

 いずれ、これらにもそれぞれ子供が生えてくると思うと、生命の永遠性を感じざるを得ません。大きな葉で光合成を行い、考えられないくらい長い年月、命を繋げていくのでしょう。

 一方、人間の親離れ子離れについてはどうでしょう。事情や親子の性格にもよりますが、抵抗なくスムースに行く場合と、いつになっても相互依存度が高く、親離れ子離れできない関係もあるでしょう。気持ちの上での独立心と経済の一本立ちが人生の基本と考えると20代のうちに親離れさせたいものです。同居してるか、してないかの問題ではなく、心の持ち方を指します。

 翻って私は親にべったりだったでしょう。学校が県内だったこともあり、常に親元から通いました。今となってみると6人兄弟の末っ子で周りから可愛がられて育ち精神的にひ弱だったようです。しかし、学校を卒業するや否や海外勤務となり、今までと180度の転換でした。親への依存から脱皮する良い機会だったと思います。

 私には2人の娘がいます。長女は横浜に嫁ぎ、27歳の次女Marie Persimmon Marshは独立して今日で1年目です。家からいくらでも通勤できるアルカーサル迎賓館高崎に勤務してますが、独立してやってみたいとのこと。当初、私は反対しました。しかし、今となっては逞しくなり、精神面で心配なくなりました。

 母を亡くした辛い気持ちを転換させ、仕事に専念へと切り換えることができたようです。これは高校時代、陸上競技部に所属し、リレーのアンカーに選ばれ、並みいる強豪の中、県で3位になったことがその後の自信につながってると考えられます。100mハードル自己ベストの数値を車のナンバーにしているのは、今でもこれを誇りにしている表れでしょう。

 短距離走と仕事は母親譲り、母は和歌山国体で群馬県選手として100mに出場、その後、教員となって校長で頑張りました。精神力は母親に似ているようです。

 ところで、親離れについては、君子蘭はもとより動物などのほうが人間より早く、多くは子供のうちに親から離れます。一人立ちは人間より逞しいようですね。

 レース鳩は卵から孵って1ヶ月以内に自分で餌を食べるようになり、完全に親から離れます。40日ほどで猛禽類のいる危険な大空を飛ぶようになります。愛犬「コロ」は埼玉県本庄市の柴犬専門犬舎で親と別れ、私の家族になりましたが、今では親の存在をすっかり忘れているようで、毎日幸せそうです。 

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