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2008年10月11日 (土)

倉賀野町写真展でノスタルジアに浸る

 本日から5日間、ご覧の写真展が開かれてます。ご案内を頂き、初日の今日、伺ってみました。会場は私の生家のすぐ近くです。私の生家はベイシア倉賀野店の反対側で旧高崎信用金庫のところ。昔は原道屋といいました。

 タイトルは「いまむかし写真展」とあります。やはり昔の写真が懐かしく感じました。残念ながら会場内は撮影禁止となっており、展示されてる写真はここで披露できません。

P1030048  驚いたことに、戦前に写した私の生家・大きな松がある原道屋、及び私の若いとき(昭和40年頃)の姿も写ってます。

 倉賀野町に生まれ全国に散らばってる方々にも、この素晴らしい写真展を見て頂きたいものと思いました。現在はインターネットによってそれは実現し、より一層、意味を持ち、これらの方々にとっては懐かしく夢のようなことでしょう。写真所有者の方々に許可いただければ、倉賀野を故郷とし遠くにいる人たちにも喜ばれると感じました。

P1030047  このため、ここに掲載する写真は私の家にあったもの【倉小百年史より】です。左の写真は現在の公民館の場所で、ここが倉賀野小学校の2番目の校舎だったのです。明治19年に建てられ、私の父は明治35年頃からここで学習したのです。中央に「倉賀野郷校」の看板が掲げられてあります。この場所は仲町で子供たちは通いやすかったと思われます。この翌年、倉賀野駅が設置されました。

P1030052  倉賀野小学校は、これ以前の明治6年に九品寺で開校したと伝えられます。左の看板は倉賀野小学校の卒業生であれば全員の方が見たことがあるでしょう。前述のように、明治19年4月完成の新校舎正面入り口に掛けられました。寄贈者は松本勘十郎氏で、揮毫は森群馬県書記官と記されてます。

 倉賀野小学校が現在の場所に移転したのは大正11年と伝えられ、関東大震災の前年です。

P1030049  これは大変に貴重な上棟式の写真です。当時、この辺は広々してた土地で、倉賀野駅に隣接し、きっと倉賀野で最も賑やかな新興地であったと推測できます。

P1030050  約50年間この校舎で教育が行なわれ、倉賀野の中高年の方々には懐かしいものです。倉賀野町は群馬郡でしたが、昭和38年に高崎市に合併となりました。

P1030053  倉賀野には高崎線倉賀野駅があり、これは住民にとってすごく便利で誇りでもあります。これはきっと、江戸時代の長い間、信州・越後などへの物資輸送の中継基地として倉賀野河岸の役割が大きく、その代わりとして駅が設置されたと考えらます。

 今回の写真展はどれも懐かしく拝見しました。「倉賀野まちづくりネットワーク」の方々に温かくもてなして頂き、その画期的な企画に心より感謝いたします。

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倉賀野のすばらしさ」カテゴリの記事

コメント

セピア色?と思える年代を感じる写真の数々・・・とても保存が良いのですねェ~
きっと、今頃、故郷を思い出して涙してる方も、いらっしゃるカモ?ですね~

投稿: 花舞 | 2008年10月13日 (月) 00時13分

 13日の地元紙「上毛新聞」に掲載されましたので、写真と記事の一部を載せました。
 広域に報じると写真展の開催を知り、懐かしく感じる方々が見学に訪れるでしょう。これからも楽しい催しを期待してます。

投稿: カッキー | 2008年10月13日 (月) 06時58分

カッキーさんも忘れられた頃の記事にお便り 
します。松本勘十郎さんは私の曾祖父にあたります、其のことが今月分かりました。私の祖父が学生時代、勘十郎の三女松本フキ(祖母)と同棲し私の母を生みましたが結婚せず生き別れ、96年前の話です。曾祖父の写真ある方の協力で入手出来ましたが祖母のは未だです。このプログ見てお便りしました、お力をお貸しください。かっきーさんの生家と祖母の生家近い様な気がするのですが・・

投稿: 松下 | 2013年7月29日 (月) 17時16分

松下様へ
 拙いブログへのアクセスとコメント有難うございます。
 現在はコメントの一覧表をブログの表面に発表せず、使い難くて申し訳ございません。最近、同じ人から繰返し迷惑コメントがあったので、現在はこのような形をとってます。
 仰せの松本勘十郎さんは私の昔の家のすぐ近くに住み、倉賀野派出所の相向かいです。現在の松本さん宅です。亡父の話では五貫掘を作ったと聞きました。現在でも、正六から上町北部をながれ、永泉寺の北を流れる堀です。この方の父が松本亦太郎という学者で有名です。現在の県立前橋高校の前身である前中で学んだようです。勘十郎さんの息子さんが、倉賀野町の町長をされた松本忍さんです。松本家は倉賀野に広い農地を持っていましたが、戦後の農地解放でたくさんの土地を取られたと父母から聞きました。

投稿: カッキー | 2013年7月29日 (月) 18時45分

カッキーさん、早速のご返事有難う御座いました。私、千葉県在住ですのでもし松本家の現在の当主の名前、電話番号等お分かりでしたら、私のアドレスに直接連絡くだされば幸いです。涼しく成りましたら是非倉賀野へ行きたいと思います。その節は看板も見たいと思います

投稿: 松下 | 2013年7月30日 (火) 15時35分

松下さんへ
 メールをお送りしましたので、ご参考になさってください。

投稿: カッキー | 2013年7月30日 (火) 22時09分

うちの歴史をなどを調べていただき光栄に思います。倉賀野の松本です。よろしかったらいつでも訪ねにきてください。

投稿: まつもと | 2013年12月12日 (木) 01時16分

まつもと様
 コメント有難うございます。
子供のころ松本家はお屋敷を巡らす素晴らしい塀があり、私はいつもそのそばで遊んでいました。1~2度、中の庭に入れていただいたことがあります。また、現在の新しい家を建築中に許可を得て見学させていただきました。近年(60年ほど前)のお嫁さんは群銀にお勤めの美人でした。私の家(原道屋)にも度々来たことがあります。
先日、養報寺に行き素晴らしいお墓を、また、松本勘十郎さんのお墓を拝見しました。私の両親は町長をされた忍さんやその奥様と親交があり、私も忍さんと品のいい奥様のお顔をよく覚えています。

投稿: カッキー | 2013年12月12日 (木) 02時19分

この松本家はやはり歴史深いと改めて最近感じます。しかし、仁一、忍、亦太郎、勘十郎までははっきりとわかるのですがそれより前の先祖の名前などはあやふやです。うちは約300年くらい前に倉賀野にきたという話は聞きました。それより前は矢中に広大な土地を持ち先祖たちの墓も矢中にあったらしいです。矢中の七騎の一人であった松本九郎兵衛が直系になるというのはどうやら本当のようです。

投稿: まつもと | 2013年12月30日 (月) 10時25分

まつもと様
 近年、放送大学のテレビを見ていたましたら偶然にも松本亦太郎氏について説明されてました。
一方、私が子供の頃、今は亡き両親から聞いた話では、広い農地を持っておられましたが、戦後の農地解放で多くを失ってしまったという話が今でも記憶に残ってます。
 倉賀野町の町長をされてた忍さんについては私はよくお顔を覚えています。

投稿: カッキー | 2013年12月30日 (月) 14時37分

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