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2008年11月28日 (金)

供養してこそ、楽しいレース鳩飼育はある

3186  群馬県前橋市にある来迎寺境内には英文と対訳の石碑があります。日本の寺で英文の碑があることは珍しいでしょう。先日、寺の本堂においてレース鳩供養が行なわれ、住職から有益な説教を拝聴し、平素忘れかけていたレース鳩の生と死について、しみじみ考える機会を与えていただきました。

 The greatness of nation and its moral progress can be judged by the way its animals are treated. (国の偉大さ、道徳的発展は、その国における動物の扱い方で判る)

 私たち人間は太古の昔から動物とともに生活し、中でも犬は多くの人の身近な伴侶となり、狩猟に使われたり、人間が生きるため献身的に働いてくれました。大地震に見舞われた新潟県山古志村の実話を題材にした映画「マリと小犬たちの物語」や南極昭和基地で置いてきぼりとなったジロ、タロなど南極犬を考えても、私たちは犬とのつながりに涙することしばしばです。

 私の家には私が物心ついたときから「マル」という日本犬がいました。しかし、いつの間にかいなくなりました。当時、俗にいう「犬殺し」に連れて行かれたのだろう、と亡き母は言ってました。その後、小学校時代に猫を飼い、名は「コロ」や「マル」です。そして、ついに家に舞い戻る習性の魅力に取りつかれ、鳩飼育が始まったのです。それ以来、人生の大半をレース鳩と共に暮らすようになるとは当時まったく思いもよらぬことだったでしょう。不思議にも、今でも、当時の心境と全く同じで、「愛犬や愛鳩」との生活に心は満ちてます。

 ところで我が家の犬や猫はいつの時代も「マル」や「コロ」です。実は10年程前、14年間飼っていた四国犬の「マル」という犬が死んだ時のことです。可愛そうで今までこれほど涙がでたことはありませんでした。

 私の両親や妻が亡くなったときは悲しみのどん底でした。しかし、この「四国犬・マル」が死んだ時は、それまでの人生でどんなに辛かった時より、比較にならぬほど涙が出ました。どうしてでしょう。本当に止めどもなくです。特に市役所の方に引取りに来てもらったときの「最後の別れ」では、可愛そうで可愛そうで私は気が狂い、どうにかなってしまいそうでした。お酒を飲んで深夜に帰宅しても、いつも、しっぽを振って出迎えてくれたことなど思い出され大粒の涙涙でした。

 悲しいかな、可愛い動物を飼っていると必ず死に出合います。現在、私は100羽以上のレース鳩を飼育してます。すごく楽しく充実してます。しかし、生物である以上、死は避けて通れません。レース鳩の場合、天敵である鷹・ハヤブサなど猛禽類の餌食になる危険性が常について回ります。

 食物連鎖による自然界の掟であっても、可愛いレース鳩まで、この掟から逃れられず、いつかは空中で捕らえられるのです。しばしばそのような光景を目にしたとき、残酷この上なく、その日は一日中憂鬱になります。我が家で生まれ育ち、美しい姿を見せてくれ楽しませてくれた鳩が捕らえられるのです。本当に可哀想です。毎日の舎外運動、厳しい訓練で頑張り、私についてきてくれたかと思うとただただ感謝し、合掌です。

 私は運良く「来迎寺」の住職である「はとさん」と知り合いです。このため過日、レース鳩の供養を鳩友と共にお願いしました。精神を統一して書いた写経や読経を初めて経験しました。そしてお線香を手向けました。

 レース鳩のお陰で毎日の生活に潤いがあることを再認識。これからも、新鮮な水、新鮮な餌、鉱物飼料、舎外運動、清掃に精を出し、今後も大切に飼育することを誓いました。

 10才からよくも続いてきたレース鳩飼育に改めて感謝する機会になり、鳩の霊に心から供養し、静かな時間を過ごすことができました。「来迎寺」の住職さまには、このような機会をつくって頂き感謝この上もありません。

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