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2009年1月

2009年1月29日 (木)

レース鳩の交配1週間前に行なうこと

 日照時間も大分伸びて、もうすぐ立春。多くのレース鳩愛好家にとっては楽しみな交配の季節を迎えます。今年はどんな個性を持った鳩が生まれるか期待するものです。レース鳩の交配でも新たな鳩との出会いにつながり、生命の誕生は誠に神秘なものです。当舎では15ペアーを交配予定しており、今春、誕生する雛はおよそ80羽です。

 レースと言っても、鳩レースは競馬とは全く異なります。まず、飼い主は自分の鳩舎内でレース鳩を誕生させなくてはなりません。それには、他鳩舎から導入した種鳩♂に自分の考えた♀を交配したり、♀を導入したり、以前から在舎してる種鳩同士を交配し、新たな生命を誕生させます。それを育て上げ、訓練を通して方向判定の教育を施した後にレースに参加させ遠方から自鳩舎まで帰還させます。つまり、鳩レースは我が子のように雛を育て上げることから始まります。これを作出といいます。

 レース鳩の交配には恋愛結婚はありません。先祖の血統を考えて、飼い主の意志で強制的にカップルにさせられます。でも心配いりません。けっこう幸せそうです。

 鳩レースでは、他鳩舎の鳩と大空で競争しても、それは人間が空想するのみで、現実に競争してる姿は見られません。ですから、競馬のようにレースを見て楽しむことはないのです。

 あくまで、【距離÷時間=速さ】をパソコンで計算し、分速により序列が決まる数学的な楽しみなのです。

 北海道など考えられないくらい遠方から群馬の自鳩舎をめざし、山越え、谷越え、津軽海峡を越え、特に近年では猛禽類の追撃を交わし、道南からでも連続約10時間も飛翔を続けなくてはなりません。道北からの1000Kレースともなれば夕刻、福島県あたりで安全な場所を探し、ビバークして翌朝再び自鳩舎めざし飛立つのです。

 鳩の速さが人間の陸上競技と異なる点は短距離(100~300K)でも、中距離(400~600K)でも、長距離(700~1000K)でも分速に差がなく、分速はそのときの天候や飛行ルートなど諸事情により変わっても、飛翔距離によって変わることはなく、どの距離でも平均して1000~1300mほどです。これは鳩レースで不思議なことです。

 北海道から群馬へ帰還するためには、天性と言えるほどの「粘り強い帰巣意志」、「的確な方向判定能力」、「猛禽からの危険回避力」、そして何よりも「強靭な肉体」を生まれながらにして持ってる必要があります。

 これには日本やヨーロッパに於いて自身が優れた成績を持つ鳩、あるいは、卓越した成績に裏づけられた先祖を持つ種鳩こそ、子孫に優秀な雛が誕生する確率が高く、全国のレースマンは今年こそと、交配に力を注ぐことになります。ですから交配はレースの始まりです。

 このようにレース鳩は先祖から受継いだ血統の開花を期待し、各鳩舎は2月頃より交配に入ります。1回の産卵で2個の卵を産みます。交配して産卵までが1週間から10日、そして抱卵が18日ですから、雛の誕生まで約1ヶ月かかります。立春に交配すると3月初めに卵が孵ります。

 ところで、現実には「個性ある鳩」や「優秀な鳩」は突然変異の如く類稀なことです。飼い主にとって、優秀な鳩の誕生は1シーズンに1~2羽でしょう。生涯の思い出となる素晴らしい飛翔を示す鳩はごく僅かで、10羽いれば高い確率でしょう。

 ところで、私は交配予定の1週間前より準備を始めます。それは先ず、巣房と巣皿の徹底清掃です。暫らく閉じておいた巣房は埃がたまり、不衛生この上もありません。薬品による消毒が必要なので、私は近くの薬屋で購入した消毒薬で除菌します。安くても効果があります。巣皿は天日干しします。

 なお、鳩自身の健康については交配1ヶ月以前に薬品投与して、万全の体制で交配に臨みたいものです。鉱物飼料のレッドストーンは整腸作用にいいです。丸い赤い糞は健康の証と見ます。

 そして、交配1週間前に、先ず、巣房の数だけ予定の種オスを種鳩鳩舎に入れ、巣房の前にある止り木を自由に確保させます。ただし、巣房の中には入れません。この状態で1週間過ごさせます。これにより自分の巣房の位置が確実になります。

 交配日は比較的暖かな日の午前中を選び、初めに予定のメスを巣房の中に入れます。こうすると、オスは中に入ろうと狂ったようになりますが、飼い主はメスの態度を観察し、時期を見計らって白い前扉を開けオスが入れるようにします。

 後はメスが巣房の位置を覚えれば交配の完了となります。すでにオスが覚えてるので、メスも簡単に巣房の位置を覚えます。

 当舎では立春過ぎに交配予定のため、本日、オスに巣房の位置を持たせました。明日から、交配するオス・メスを決めなくてはなりません。あと1週間、毎日、血統書をにらみつつ、【見た目が対称的あることを重点にし】決定したいと思います。

また、前もって用意することは各巣房の床をスノコにすることです。これにより足が冷たくならず雛が健康に育ちます。

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2009年1月26日 (月)

逆境の中で15日間戦い抜く精神力に学ぶ

  三連続休場の後、久しぶりに登場した朝青龍の精神状態はどうであったか。これは今場所、私が最も見所としたことです。

 近年、相撲人気の衰退、激減する観客数にあっても、彼がいる大相撲は連日、国技館を満員御礼にし、彼に大きな魅力があることは論を待たないようです。

 日本という外国にあって、近年、多面にわたるバッシングを受け、まるで四面楚歌の状態。特にこの1年間、モンゴル人であっても、横綱という責任ある立場を追及されたり、日本と祖国モンゴルの文化・しきたり・考え方の相違から来る摩擦を含め、彼にとっては理解に窮する毎日であった筈だ。「郷に入っては郷に従え」は考えるよりはるかに難しい。

 もし、私たちが裸一貫、逆にモンゴルへ行き、モンゴル語を操って、ある分野の頂点に君臨できるか考えてみたい。とても私にはできない。モンゴル文化やしきたりに溶け込み、周囲の人々に理解されるか、自信はない。

 元々、日本語はチンプンカンの状態から今や偉大なバイリンガル。自国語でしか対応できないプロ野球外国人選手とは比較にならない。あらゆる面で日本への溶け込みに努め、克服し、あるいは日本人以上に日本的かも知れない。

 拙いインド生活をしていた私から見て、これは多くの外国人力士に共通し、彼らの努力はまったく見事としか言いようがない。私にはインド風の生活は全くできませんでした。

 外国人であっても、優勝すれば日本国国歌を歌い、平素から日本古来の衣装を身につけ、正装としている。一方、私たちは外国の国歌についてメロディ―を聴いたことがあっても、歌詞で歌える外国国歌は一つもない。

 私たちはどうしても、日本人の立場や見方で外国人を理解しようとする傾向があるけれど、グローバル化にある今の時代あっては、今までより柔軟な接し方に努め、日本人にない良さを外国の方から探し、異文化を吸収する態度を身につけなくてはならない。大相撲は国際理解上、素晴らしい時代に入ってると思います。

 朝青龍においては、今場所は「稀勢の里」戦で劣勢からの逆転勝に始まり、あれよあれよと勝ち進み、千秋楽では決定戦の末、場所前には誰もが想像しえない「まさかの優勝」。貴乃花の22回を上回る単独史上4位の優勝回数はどれほど賞賛してもしきれない。

 現在の大相撲衰退からの脱出は彼の存在なくしては考えられない状況です。

 私たちは仕事にしても勉強にしても、時には、もうダメかと落ち込んだり、絶望したり、失意のどん底と結論を出しやすいものです。

 異国の地で、相撲という職業に進退を懸けて臨み、まるでまな板の鯉、崖っぷちに立ち、そんな絶体絶命の人生のピンチにあって【持前の集中力とスピードある攻めの相撲に徹し】、自らの重圧を見事に払い除けた。憎まれるほど強かったのが彼本来の相撲。久しぶりに朝青龍に戻った感である。

 私は今の自分を振り返り、自ら活路を見出す彼の精神力に一歩でも近づきたい。それにしても、写真のように【喜怒哀楽をストレートに表現する彼の姿】は人間的魅力に溢れている。

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2009年1月23日 (金)

結婚式での奇抜なアイデアとその後の生活

 どうしたことか中学・高校時代から好きな科目が音楽と英語であった。それ以来、この二つに対する気持ちは今でも変わらず、日々の生活から離れることはないです。少年・青年時代の心的刺激や教師から受けた印象は成人した後の生き方にまで影響を与えるようです。

 最近、小学校から英語を教えようとする傾向に賛否両論あっても、英語を聞いたり、話したりする【楽しさ】が身につくなら私は大いに賛成どころか、今の小学生に対して羨ましささえ感じます。ましてや小さいうちにネイティヴの先生から教えてもらえることなど夢のようです。私は外国人と言えば、ガムを噛んでる進駐軍を見ていただけの時代でした。えっ~カッキーいくつ。

 小学生時代に最も重点を置くべきことは【正しい日本語】の習得であることは論を待ちません。一方、世の中のグローバル化を考えたり、未来に世界で活躍する日本人を生むためには、英語の習得が必須であることも間違いない事実です。しかし、学校週五日制で各教科とも時間数が減らされてる現状では、小中高ともバランス取れたカリキュラムの工夫こそ肝心です。

 ところで、今の音楽教育では、どの程度、読譜力がつくでしょうか。【楽譜は人類の偉大な遺産です。】文章を読むように、楽譜を見てすらすら読めるでしょうか。これは楽器の力を借りず、音程を正し取って歌えることを指します。また、国語における作文同様、自由に作曲できるまで指導がなされているでしょうか。

 英語の勉強では話す、聞く、読む、書くの4つの領域をバランス良く学ぶことが大切と言われますが、音楽の領域でも同じではないかと考えます。

 それは、話すに相当することは(歌う・弾く)という演奏です。聞くは鑑賞です。読むは知らない曲であっても、「楽譜を見て」メロディーを歌ったり弾いたりできることです。また、書くは作曲です。

 このように音楽の学習領域では「演奏」と「鑑賞」は比較的よく学習できていても、読むに相当する「読譜」、及び書くに相当する「作曲」についてはあまり時間をかけてないように思われます。

 特に、作曲を習うことは皆無に近い状態かもしれません。作曲こそは音楽における創造性の中で中枢であると思います。ぜひ、音楽教育で力を入れてほしい分野です。プロの作曲家が作ったものを歌うだけでなく、自分で作曲した音楽を楽しめるようであったら全く新たな世界でしょう。作曲は作品としていつまでも残るものです。

 プレゼントは目で見えるものも嬉しいですが、例えば、家族の誕生日プレゼントとしてオリジナルな曲を作曲し、プレゼントしてあげたらどうでしょう。目に見えるプレゼントはいつかは消え去ります。作曲したものは良ければ良いほど心にずっと刻まれるものです。

 ましてや、恋人のために素敵なオリジナル作品を作ってプレゼントすれば、彼女のハートを射止められるかもしれません。大作曲家による名作誕生の由来は、そのほとんどが愛する女性のためであり、男性にとって音楽と女性は偉大この上もありません。

 ところが、昔、私の存じ上げてるご夫妻の結婚式でのこと。新郎は「愛する気持ち」を新婦に伝えるため、頑張って自ら作曲した曲を披露宴会場でエレクトーンで弾き彼女に捧げました。しかも、その音楽の始まりは「ラが半音上がった音」、つまりドイツ音名でAis(アイス)の音です。曲の途中も溢れるほどAisの音をたくさん入れ、「愛す」に引っ掛けて曲は次第に速度とともに重厚味を増し盛り上がりました。ついに、クライマックスとなって幸せにも、最後の音もAis「愛す」の音を伸ばし、勇壮にエンディングしたのです。こんな愛の表現もあるのかと若き日の私は驚きました。

 しかし、二人の結婚生活は長続きしなかったのです。私は結婚式での終始Aisの音が詰まったあのオリジナル作品は、「一体、何だったのだろうか。」と思いました。でも、よく考えたら私なりに答えが出ました。

 Aisは「愛す」の音でなく、氷の「アイス」の音だったのかと結論づけたのでした。冷たい訳でした。

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2009年1月19日 (月)

創意工夫した鳩舎の展望台作り

Photo   私がレース鳩を飼育するようになったのは5才頃「お釈迦様と鳩」という紙芝居を見たことがきっかけで、その後、生涯50年以上に亘りレース鳩と共に過ごすようになったことを考えると、幼児教育は人生を左右させる重要なことと認識できます。大切な心的刺激や興味関心は成長してからではないようです。小学生時代ではないでしょうか。こう考えると子育てほど夢のあることはないですね。小さな子には【五感を刺激するいい環境】をたくさん与えたいものです。

 同様にして、私には2人の姉が中学校の音楽教員であったことにより、家の中では兄弟揃って合唱する雰囲気がありました。末っ子であった私も知らず知らずに合唱の楽しさを感じて育ったと思います。こちらも子供のときからの影響が大で、ついに私の職業につながりました。

 鳩もよく飽きないで飼育し続けているものです。きっと、これは他の動物と異なるからでしょう。それは遠くへ行って放しても本能的な方向感覚により、人間のこしらえた小屋に舞戻る不思議さがあるからです。

 レース鳩を飼育するには小屋(鳩舎)を作らなくてはなりません。小学生の頃から材料等は家にあるものを工夫し、金槌と釘そして鋸や金網により、小さい鳩小屋から人の入れる大きい鳩舎まで、今まで合計して10個ぐらい作りました。

 鳩の住み心地と人間の使い良さを考えるので、より良い鳩舎作りをめざします。結果的に、その腕は次第に確かになり、見た目もきれいな鳩舎作りとなり、「完成した喜び」を感ずるようになりました。小学生時代に作った鳩舎の記憶が今でも蘇えります。このため、当時、夢は大工になることでした。しかし、高校時代、出会った先生の影響が大で音楽に傾注するようになったのです。

 結果的に、職業は音楽教育の道へ、レース鳩は趣味への人生が始まりました。不思議なことに、この二つはいずれも外国へ行くきっかけにもなりました。職業として、学校卒業と同時にお釈迦様のいたインド・カルカッタ日本人学校へ赴任となりました。

 レース鳩では1羽の鳩が私の家から中国内モンゴルまで飛んで行ったことがあり、連絡を頂き現地を訪問。北京から11時間の大陸横断鉄道に乗り、我が家で生まれた鳩に再会することにつながりました。

 このように音楽もレース鳩も、どちらも国際交流につながり、これがお陰で、英語を中心として語学に興味が湧き、今もボキャブラリーへ関心があります。このブログまで瞬時に英文になるのはこのためです。

 ところで、本題の大工仕事ですが、昨日、レース鳩のために展望台を今までより広く作り直しました。ご覧のように上から入舎するアルカディア方式で入舎は速いです。展望台の必要性は3月頃から雛が生まれるので、雛たちに周囲の景色をよく覚えさせるためです。レース鳩においても、幼児教育の重要性に変わりないでしょう。

 しかし、結局、増築のようにはいかず、強度を考えると元のものを分解して最初から骨組みを大きく作らざるを得ませんでした。このため手間がかかりましたが、完成した喜びは小学生時代の心と同じです。

Photo_2  ところが大変なことになりました。完成したのはいいですが、設置場所が高くて、どうしても持ち上げられません。一人で設置しようとしたら、けっこう重くて、もうチョットで展望台とともに転落しそうになり危機一髪でした。ついに、知合いの大工さんを呼び、二人がかりで高い設置場所に据え付けられました。  こんなことでも、設置できると大きな喜びです。これは取りも直さず、大工仕事による完成の喜びとなり、夢と創造性の実現でしょう。大工仕事に限らず、「人間の大きな喜びは創造性」と感じています。これからも無い智慧を搾り、創意工夫していろいろ実践していきたいと思います。

 近未来、新たな創造性の一つに国内旅行が加わります。もちろんアウディーTTフルタイム四駆、18インチホイール、タイヤ扁平率40%、ドイツへ特別発注による黄色いスポーツカーです。皆さんお住まいの地を訪ねる時、お会いできるかもしれません。これこそ、最も大きな喜びでしょう。

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2009年1月16日 (金)

私の散歩道・それは絶景の牛伏山山頂

Dscf0256   群馬県吉井町はこの度、高崎市と合併することに決まりました。私が嬉しいのは大好きな牛伏山が文字通り、地元となることです。標高わずか491メートルであっても平野に聳える山頂からの眺望は抜群で、上毛三山は言うに及ばず、雪に覆われた浅間山を始めとして谷川岳、武尊山、日光男体山に至るまで迫って見えるからです。

 この近くに牛伏ドリームセンターがあります。私は週に2~3回は入浴に行きます。入浴する前に車で山頂に登り、群馬の山々に見とれながら坂道の山頂を往復したり、お城の展望台からのパノラマを暫し満喫したり、平和の鐘を鳴らしたり、母子像のある洞窟をくぐったりすると1時間の山頂散策が楽しめます。

 新鮮でひんやりした空気はおいしく、肺の中が洗われる思い。今の時季、長野県の立科が見えたり、尾瀬ヶ原の東に聳える燧が岳の尖った銀嶺が遠方からその存在をアピールしてます。

   以前にもブログでお伝えしましたように、この山の姿が牛が伏せた形をしており命名の由来です。それを象徴するかのように山頂には伏せた格好の大きな牛の彫刻があります。地元の倉田辰彦さんが元々ここにあった多胡石を1986年に彫り上げたといわれます。こんな重い物をここまで持ってくることは不可能と思い、どのようにして創ったのか不思議に感じてましたが、この山頂で念入りに彫ったとのことです。文字通り、牛伏山の主であるかの如く周囲の自然に溶け込み、物に動じない表情に圧倒されます。すばらしい地元彫刻家の存在に感銘と感謝です。

 山頂は西に向かって400メートルくらいの上り坂で、散策するといい運動です。NHKFMや放送大学の電波塔、そして畳敷きの休憩所の上には「平和の鐘」があり、高崎で仕事している方の心に届くことを願い、力を込めて毎回、一発鳴らします。山頂にある鐘つき堂ですから、おそらく予想を越えて遠方まで響いていることでしょう。よい響きのためにはコツが要り、横たわる太い木の重心をうまく利用する気持ちがいいと思います。

  タイミングよく今年は牛年。合併により牛伏山も今後、脚光を浴びるでしょう。空気の澄んでる今のシーズンこそ上越国境・谷川連峰など眺望が抜群です。ため息の出る景色に都会の喧騒はどこへやら。自然の偉大さを心ゆくまで堪能できるチャンスです。

 山頂には桜やつつじがたくさんあり、四季を通じて魅力があります。辺りは本当に静寂で野鳥の声だけ。この静かな佇まいは高崎市で最も眺望のよい所となります。上の写真の煙が出ているところが牛伏ドリームセンターでゴミ焼却の熱を利用してお湯を引いてます。このため燃料費はただ。今時、200円で入浴できる日帰り温泉はないでしょう。

 メタボリックシンドロームを防ぎ、健康維持には適度な運動が必須であることはよく理解できます。しかし、人間の心とは弱いもの。同じことの繰返しでは変化に乏しく、長続きできないものです。

Dscf0260   山頂に登るだけで、雪をかぶる山並みを見て群馬に住む幸せを感じながら、適当に汗ばむ坂道、澄んだ空気は平地での運動より心は躍り、心肺機能はもちろん、足腰の鍛錬に効果が感じられます。

 「継続は力なり」と言って、私たちは勉強でも運動でも目的達成には努力を続けることが必要とは知ってても、なかなか実行が伴なわないのはよくあることです。もしかして、それには変化を加えることで継続につながるかもしれません。

 運動と目に見える周囲の景色、これは芸術における「統一と変化」の組合わせ同様、心は納得し、飽きの来ない真髄につながる気がします。あるいは芸術に限らず、「統一と変化」という要素は日々の生活をも充実させる方法ではないかと思います。

 いつの日か、心の知れた方と巡り会い、ふたりで牛伏山山頂を、牛のようにゆっくり歩いてみたい。

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2009年1月13日 (火)

もう1回ドスンと下がるか世界経済

 写真は鳩友「浅間山」さんの掲示板におけるZin氏撮影による浅間山南面の雄姿です。あまりにも美しく、あまりにも大きく、あまりにも逞しい日本有数の活火山だけあって、幾度見てもその偉容に圧倒されてしまいます。長野新幹線「あさま号」が走る所以です。私は青年期に頂上へ5回登りました。垂直な巨大噴火口と雲上に出たときの感動は生涯脳裏に焼きついてます。

 先史時代から繰返された浅間山の大噴火同様、私たちを取り巻く環境は常に安定した世の中が続くとは限らず、どちらかというと悪い方向へは意外に急変するものです。どんな場面に遭遇しても、気持ちだけはしっかりし、苦難に耐える覚悟を持って生きるべきでしょう。

 現在は世界同時に未曾有の株価低迷期です。ブログの話題が二度続けて経済のカテゴリーで恐縮ですが、これはどなたにも関係する予想外の出来事だからです。

 2年前、米国で始まった低所得者住宅ローンによる危機が、あれよあれよという間に海を越え日本へ波及し、多くの人の生活を圧迫してます。特にリストラになり、住まいがなくなる人まで出るとは近年にない異常事態です。経済のグローバル化が認識できます。

 9月中旬に雪崩のように下落した株価は、11月21日がダウでは底値で、その後50日間ほど低迷が続いています。追撃ちをかけるかのごとく、それ以後、為替レートの円高が進み、これは悪循環の相関関係です。円高は輸出関連企業を落込ませ、いつになっても両輪の歯車は噛み合いません。今のところ、各国政府は潤滑油を注入していますが、なかなか目に見える効果がありません。今日はドイツが戦後最も大規模な公的資金の導入を決めました。

 凍てつくような冬。いかにしても不況の長いトンネルを抜出せません。春はまだまだ遠いようです。

 それどころか、経済に素人の私の予想では、11月21日のような大きな下落が【もう一度ドスンと来る】と危惧してます。

 このように低迷が続くと、すぐには上昇せず、もう一度、底という節目が到来し、その後じわじわと、うまくすれば、あるいは【2009年後半から薄りの兆しが見える】と予想してます。早ければ7月8月にはどうでしょうか。期待感は持ってます。

 こんなときは新商品の説明講演会というより【経済全般の推移や今後の見通し】について、金融機関主催による【著名人講演会】などを企画してもらいたいものです。現況に不安である客は皆、本当のところを知りたいのです。金融商品を扱うからには平素から窓口には経済に洞察力のある人を配置してほしいものです。客は窓口のみが頼りです。

 得られる経済情報はテレビニュースぐらいで、こんな時こそ良い指導者に恵まれ、経済を本格的に勉強する千歳一遇のチャンスではないでしょうか。100年に一度といわれる危機的状況下にあっては、【客のためにこそ有意義な企画】を設定していただきたいものです。

 1週間後に迫ったオバマ氏大統領就任式が世界経済回復のきっかけになるのではないかと私は期待に胸を膨らませています。

【下の写真は鳩友・北海丸さん撮影による最近の知床半島】

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2009年1月 9日 (金)

リアルタイムな経済感覚に乏しい

 上のチャートは本日ブログを書き始めた時刻における為替レートの推移です。インターネットが瞬時に提供する為替レートは世界情勢、特にアメリカのダウ平均株価やナスダックと相互に作用し、経済のみならず、あらゆる世界情勢に敏感に反応し、その結果が刻一刻とリアルタイムにチャートに反映し、為替レートはあたかも生き物かのように絶え間なく変動していることが認識できます。

 この推移は地球に人類が生存する限り、昼夜を問わず、一刻の猶予もなく動き続けていくことでしょう。為替レートとは相関関係にある株価も同様で、一見、日本の夜間は経済の動きがないように見えても、世界の半数は昼間のため、活発な売り買いが続いている事実があります。

 特に、アメリカ金融市場は日本国民の睡眠中に推移し、現地時間午後4時まで続きます。これは日本時間の朝6時まで続いています。ヨーロッパ経済は日本からおよそ8時間遅れで動き、というより16時間早く推移していると思ったほうが正しいでしょう。世界経済は日本の夜中に刻々と推移してることがわかります。夜中にダウ平均株価やナスダック、及びヨーロッパ各国の平均株価推移を見ると、翌日の日経平均株価やトピックスを予測できるものです。

 一般的に、各国ともその株価の動向はその国の前日におけるアメリカ経済の変動に左右されてることが一目瞭然です。これは新興国といわれる中国・インドにとっても大きな輸出相手国はアメリカだからでしょう。未来は未知でも、言を待たず、依然として現代の世界経済はアメリカ主導である実態に変わりないことが読み取れます。

 ところで、近年、法律改正により証券会社のみならず、銀行でも投資信託の販売が自由化されました。これらは国内外の株価変動や為替レートの推移が大きく反映する本格的リスク商品です。予想を越えてリスクを背負う投資信託であるのに、超低金利時代を追い風に、団塊の世代や高齢者をターゲットに販売が促進されました。

 特に、経済の素人である高齢者は訪問勧誘もあり、提案という名の勧誘に乗ってしまい、長いこと蓄積した虎の子の膨らみのみ期待し、投資信託を購入した方が多いと思われます。

 しかし、期待とは裏腹に現在の経済情勢では、購入した人の殆んどが元本割れどころでなく、商品価値は約半値あるいはそれ以下に下落し、誰にも相談できず一人苦しんでる高齢者が多くいることは火を見るよりも明らかです。振り込め詐欺とは比べものにならないほど損失を被っている実態があり、困り果てて消費者センターへ駆け込んでるといわれます。この原因の一つは販売が野放し状態であり、何の規制もない失策からです。

 また、客の立場からすると、より「リスクを避けるためにも」窓口においては経済動向に精通した専門家による直接応対を望んでやみません。

 販売店窓口は【洗練された経済感覚】や【刻々と推移するグローバルな動向にリアルタイムな感覚】を持ち、【最先端の経済的敏捷性】を持ち合わせてほしいものです。

 このような低迷期にあっては販売店窓口が努めるべき最も大切なこと、それは【身を削られる思いの損失に苦しんでる高齢者への十分な心のアフターケア】です。

 毎日、価格が変動する金融商品を扱っている販売店としては、日米の金融市場のみならず、世界各国の株価指数や為替レートを示すリアルタイムな電光表示板が待合室にほしいです。客にとって最も肝心なこと、それは【売りと買いのタイミングを知りたいのです。】タイミングを間違えただけで損失が大きくなります。 

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2009年1月 6日 (火)

今の時季・水星が良く見えます。

  今年になって2回目のブログ投稿です。一昨年は毎日書きました。昨年は1日おきでした。日記のように書くことを避けたいので、普段、生活する場面において感じた不思議さ、驚き、ある事象についての感想や考えたことを書くように努めました。今後もそうしたいと思ってます。

 Quality than quantityをめざし、月曜日or火曜日そして木曜日or金曜日くらいとし、今年は週2回は書く予定です。果たして、このNew Year's resolutionを貫徹できるでしょうか。日々のレース鳩飼育についてや訓練やレースについては掲示板にも掲載いたします。

 これまでに掲載した記事数は538となり、皆様からのアクセス数も9万件です。感謝この上もありません。生来、作文が苦手であった私にしてはよく続いていると思います。

 何をブログのテーマにするか、簡単に思いつく日もあれば、なかなか見当たらない日もあり苦労しましたが、それでも1日おきに書けました。

 この世に生きて半世紀以上経過しても、分からない不思議なことばかりで、分からないまま、あるいは知らないまま、ついに世を去ることが殆んどではないかと思ってます。例えば、「人間は何故、国によって言葉が違うのか。」「レース鳩は何故、北海道から関東まで方向を知って、その日のうちに帰還するのか。」このように何故だか不思議なことばかりです。

 音楽における音の高さや低さ、ハーモニー、リズムやテンポ、音色に伴なう人間の感情について、英語を媒介にすると外国人と意思疎通ができる不思議さ、地球の動きをはじめとして、多くの天体の動きは最も神秘なこと。特に惑星を毎晩観察するとおかしな動きをし、何故そのように動くのか、これ一つ考えても飽きません。そして少しでも分かったと感じた時は嬉しいものです。私たちが生きてる間に知ることは、ほんの一部でしょう。

 小学生のときから惑星は太陽の周りを回り、水金地火木土天海冥と習いました。明けの明星や宵の明星は明るいので分かっても、その他の惑星は今夜どこに輝いてるということや、何故、惑わす星か、その動きを視覚で捉え教えてもらわなかったように思います。あくまで机の上のことで、私の場合、惑星の動きを確認することはできませんでした。

 しかし、現在では国立天文台暦計算室のお陰で、全天の位置がリアルタイムで確認でき夢のようです。なるほど惑星は、あたかも私たちを惑わすかのように、不規則な動きが確認でき、実際の全天を見てもなるほどとなります。

 ところで、多くの人は生涯「水星を目で見ることなしにいる」のではないでしょうか。太陽に最も近ので地球から見て太陽からの角度が28度以上離れることはなく、太陽からの距離は平均0.38AUとのことです。このため、見えるのは時季により異なり日出直前か日没直後のみです。なお、1AU=地球と太陽の距離約1億5000万kmで1天文単位です。

 地球が太陽の回りを1周する間に水星は4周するといわれますから、およそ3ヶ月で1周します。今の時季、日没直後に【今がチャンスとだよ】言わんばかりに私たち地球人にその存在をピーアールしています。南西の地平線すれすれに右隣りの木星と仲良く並んで輝いてます。水星はかなり暗くなってから肉眼で見えます。

 暦と天体は密接この上ありません。先日、話題にしました1月1日は何を基準にして定めたかについて、私が気づいたことは、間違いないと確信してます。多くの暦の本を見ても1月1日は天文学上の意味がないと書いてあります。果たしてそうでしょうか。

 私が実際に見た限りにおいて、先日の1月1日午前0時、除夜の鐘が響く時、【全天で最も明るいシリウス(-1.5等星)は確かに真南にありました。】

 私はこれを見て、新たな年の始まりを実感し、【古代の天文学者はシリウスが午前0時に南中する日を1月1日と決めた】と確信します。これは太陽とシリウスを結んだ直線に公転している地球が差し掛かった日を1月1日としたことになります。

★2枚の写真は国立天文台暦計算室によります。

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2009年1月 2日 (金)

群馬県民の夢・上武大学が箱根路を力走!

 明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い申し上げます。

 85年の長い歴史を持つ箱根駅伝において、群馬県の大学では上武大学が初めて出場を果たし、本日、往路で20位になりました。タイムは1位の東洋大学から9分51秒差に迫り、復路の出発は繰上げスタートでなく、初出場にしては素晴らしい走りであったと印象を持ちました。

 箱根駅伝ではシード校、予選会通過校、及び関東学連選抜1チームによる合計23チームが母校の名誉を背にして走る姿に、毎年熱いものを感じていましたが、今回、上武大学の出場とあって母校関係者のみならず、多くの群馬県民にとっても箱根駅伝が身近なものになり、例年にない興奮を感じてます。

 実は私のレース鳩の友人アルカディアさんはОBであり、母校を愛するお一人です。神宮球場での野球応援でもお会いしたことがあります。というのは私は当時、吹奏楽部の監督だったのです。応援に行ってましたら、偶然、球場で彼にお会いし驚きました。

 歴史ある箱根駅伝に母校が出場となれば、OBとしてどれほどか名誉なことでしょう。私の母校は予選会には出場しますが、箱根路を走ったことはありません。生涯そのようなことがあれば、ぜひ5区の山登り付近で応援したいと思います。

 上武大学の花田監督は5年前に赴任され、5年後に箱根駅伝出場の目標を掲げ、類稀な専門性により選手を指導されました。その結果、目標通りに大学の悲願を実現されたのです。

 夢は誰にもあっても、それを実現するためには私生活も含めて、厳しい練習に耐えなくてはなりません。日夜、努力に努力を積み重ねても、実際には難しい現実があります。ところが、一流の指導者の出現があって、教わる者と一体化されてこそ、夢とは実現の可能性が生じると感じます。

 本日の往路全般を見て、私の印象に残ったことは、2区におけるダニエル選手(日大3年)の20人抜きで、箱根駅伝ごぼう抜き新記録になりました。また、往路優勝に導いた山登り5区における柏原選手(東洋大1年)の走りは驚異的でした。この二人の走りを見て、不断の並大抵の努力はもちろんでしょうが、そのゆったりした走りに天性を感じました。

 今回、花田監督の「特に崩れることがなかった。」「今後は1ランク上の走りを目標にする。」の言葉に、箱根駅伝の第一の段階をクリアーし、次を狙う経験豊富な指導者の意気込みが伝わりました。明日、復路の力走を期待します。

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