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2009年4月23日 (木)

本日、私は三途の川を渡って来ました。

P1020217   私たちがこの世に生きてる時間は誠に短く、生まれる前、及びこの世を去ってからの時間は途方もなく長いことが想像できます。しかし、この途方もない長い時間も死後は1億年くらい、あっという間に過ぎ去るように思えてなりません。

 現在、世界の人口は62億といわれてますが、この世を去った後の世界、つまり、あの世を体験した人は誰一人としていないのですから不思議で、死後の世界について知る方法はなく、あれこれ想像するだけです。

 このため、昔から日本はもとよりギリシャ神話などでも、【この世とあの世の境には川が流れてる】という共通した民間信仰があることはおもしろいことです。日本では「三途の川」といい、ギリシャ神話では「ステュクス・アケロン」と伝えられます。

 ですから、いつになっても、どの国の人にとっても、一体あの世はどんな所なのか、世界中で生きてる人たちが知りたがってる共通なことと思われます。

 太陽が真東から昇り、真西に沈む春分の日と秋分の日を中心とした1週間を彼岸と言います。現世を此岸といい、あの世を彼岸というのも、その間に川が流れていることを想定しているからかもしれません。

 しかし、実際に亡き母から生前、聞いたことですが、「知人で死にかけた人が、たまたま生き返えり、川があったので渡ろうとしたら目覚めた。」という話をしてくれたことがあります。

  それはやはり「三途の川」という川らしいです。一般的にはまさにこの世とは思えない恐ろしい川のようです。一方、極楽のように花が咲いていた所であったとも話したような気がします。この方は生前いい行いをした人で極楽へ行きそうになったのでしょうか。

 あるいは、教育上そうでない人は恐ろしい「三途の川」を渡らなければならないと、現世を渡る上での戒めであるかもしれません。

  この「三途」という言葉の由来は「地獄、餓鬼、畜生」の三つをいい、三悪道と考えられてきたようです。この川を渡りあの世に行くには大変な苦しみを伴うと考えられてきて、前述のように、この世を渡る上での教育の一つであったのかもしれません。

P1020219_2 【群馬県甘楽町の三途川端に建つ梵語の碑】

 いずれにしても、この世とあの世の境には川があると考えられてきたことは民間信仰であったとしても、現実的に最も恐ろしい川があるような気持ちになります。このことは仏教とは本来関係があるのでしょうか。

 青年時代、インド・カルカッタ日本人学校に勤務してた時、お釈迦様が仏教の悟りを開いたと伝えられるブダガヤ大聖堂に行きました。ここには多くのチベット人が参拝に来ていました。

 一方、ガヤという比較的近くにはガンジスの大河が流れており、多くの人々は川に入り、念仏を唱えながら沐浴していました。今でもヒンズー教徒は死後、灰にしてガンジス川に流されると10年ほど前にホームステイで来たインドの青年が話してました。

 ところで本題ですが、本日、私は「三途川」を渡ってきました。

 【えぇ~!カッキーあの世へ行ってみたの?】いやいや、この世にもありました。

P1020211  【上信越道高速道路が少し見えます。】

 三途川は、私の家から車で30分ほどのところの群馬県甘楽町を流れる河川で、近くには私鉄の上信線「新屋駅」があります。この川を国道254など多くの道が跨いでいますが、近年建設された高速道路「上信越道」もこの川の上を走っています。

 この川はあまり紹介されることもなく、地元の方以外には知られてないようです。珍しい名前なので早速、本日見学し、歩いて2~3回、橋を渡ってみました。その名が示す通り、雰囲気は何とはなしに寂しい佇まいで、夜中には一人で歩けそうにないです。何か出そうです。

P1020210    この川の上流まで行ってみました。次第に山間部に近づき、より寂しさが増した物悲しい場所に小さな橋が架かっていました。川の近くには細い一本道が遠くの山まで続いており、現世と来世の境の橋のようです。ご覧のように三途川の文字もはげて少々薄気味悪い雰囲気です。辺りには民家もなくこの地帯は夜は真っ暗でしょう。追剥が出そうな雰囲気で本当に怖くて歩けない佇まいです。私は夜は絶対一人で行きたくありません。

 皆さん、死後の世界は本当にどのような所なのでしょう。

 私の考えでは先祖が待っている所でも何でもないと思います。私たちが眠っていて何も夢を見ていない時間と同じではないでしょうか。爆睡すれば、すぐ朝になります。時間がこの調子で進むならば、最初に述べたように、地球の年齢である40億年くらいはあっという間に過ぎ去ることでしょう。

 この川を渡り、私は思いました。生きてる間に三途川をたくさん渡っておけば、本当の三途の川を渡るのは、ずっと先延ばしになるような気がしたのです。

 そうだ、生きてる間に健康で充実した生活を求め、会いたい人に会い、芸術に勤しみ、楽しい時間を過ごそう。何と言っても【あの世より、この世がいい】に決まってる。

Dscf6766  一方、群馬県にはもう1ヶ所「三途の川」があります。赤城山の頂上付近に小沼というカルデラ湖があります。この沼を南に下ったところに三途の川があります。

 また、付近には「血の池」という場所があり、薄気味悪いです。私は通りすがりに標識を見ただけで背筋がぞくぞくし身の毛がよだちました。

008  実は最近一人で血の池をめざしましたが、道は笹に覆われ道なき道を1000メートル進まなくてはならず、登山靴の用意をせずに行ったので蛇などに対処できず、100メートルほどのところにあった得体の知れない橋で折り返しました。

 しかし、地元の群馬県人であるからには、いつの日か勇気を持って血の池を覗いてみたい。だが、何か出そうで一人では近寄れそうにない。近未来、友人と行こう。

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コメント

『そうだ・そうだ~!現世が良いに決まってるぅ~♪』
「生きる=楽しむ」の、一語に尽きますね~♪

然し~群馬県には色んな所が沢山ありますね~!
昨日は、ТVで高崎市だったかな~?芝桜が綺麗な素敵な公園が紹介されてましたね~!
色んなサクラが楽しめる素晴らしい所に、お住まいですね~(*^_^*)

投稿: 花舞 | 2009年4月23日 (木) 23時10分

花舞さんへ
 コメントに感謝したします。本日の話題は少し趣を変えてみましたので、あるいは気分的に失礼があったかもしれません。
 仰せの芝桜を早速、載せてみました。高崎市箕郷町にあります。車で30分ほどのところで、まるで極楽のようです。

投稿: カッキー | 2009年4月24日 (金) 00時55分

こんにちは、ご無沙汰しております。
「三途の川」、群馬県民でありながら、全く存じませんでした。
私も「死」は「無」だと思っているので、生きていることを楽しむべきだという考え方には同感です!
郷土愛、自然愛の豊かなカッキーさんのブログ、これからも楽しみにしています。

投稿: マイ | 2009年4月24日 (金) 13時50分

早速、芝桜のUPを有難うございます~♪
TVと違うアングルで、又、素敵なショットですね!
「三途の川」と「極楽」・・・リアルタイムでは滅多に経験できない事ですから~きっとカッキーさんは超・長生きかも~?
一度きりの人生、おおいにエンジョイしたいものですね~♪
正直、最初は「三途の川・・・」のタイトルに、事故にでも遭遇されたのでは?・・・とドキッ!としましたよ~(*^_^*)

投稿: 花舞 | 2009年4月24日 (金) 14時34分

マイさんへ
 こちらこそご無沙汰しております。本当にしばらくお会いしてませんね。私は「蔵人」へ、もう半年以上行ってません。いつも、できたらお会いしたいと思っています。
 群馬の三途の川へ車でお連れするのは気分的に良くありませんが、牛伏山みたいな景色のいい所ならたくさん知ってます。
 それから、最近の拙いブログでマイさんに失礼があったのではないかと思う記事がありましたが、一般論ですのでご容赦くださいね。
 英語のほうは友人のサミュエルドットさんがInstituteを開くとのことで私は生徒になるつもりですが、まだ、開校してません。なかなか単語が覚えられませんが、私にとって必要なものを使えるように覚えたいのです。茨の道で、これこそ三途の川より大変です。

花舞さんへ
 そうですね。タイトルからして本当に捉えようでは大事故にあったのかと思われそうです。ご心配をおかけし申し訳ございませんでした。
 芝桜は誠に極楽浄土のように植えてあります。今の時期は県外から観光バスがたくさん来て、連日賑わってます。
 お互いに精神的、肉体的にいいと思うことを追求し、充実した素晴らしい現世にいたしましょう。長生きのためにいいことをいろいろお教えください。

投稿: カッキー | 2009年4月24日 (金) 15時17分

たびたび失礼いたします。
私も「蔵人」行きたいんですよね~。
何となく機会を逸している感じです。
しかし私に失礼な発言!? え~何だろう?
女性だけに年齢とか結婚関係の話ですか? 
まったく気にしてませんよ~。
私もサミュエルドットさんに英語を教えてほしいな! 
うらやましいです。

投稿: マイ | 2009年4月25日 (土) 10時23分

マイさんへ
 Long time no see!
Will you please visit my unskillful weblog frequently, and offer me some comments.
Though Samuel Tod is a pure Japanese, he is the most fluent speaker of English within the radius of my acquaintances.
While he was a teacher at your alma mater high school, he was selected as a exchange teacher to New Zealand. So this nation NZ is like a his second native place.
I am of the opinion that his English ability as colloquialism is beyond my imagination, because he is like a simultaneous interpreter.
What the future may bring! it possible that an ideal English Language Institute here will open. I recommend you to visit his Institute.
By the way, as you know I live in solitude, still more I am suffering from menopausal disorder as a man and the global economic crisis.
Recently I often play the great composer Chopin's masterpieces, such as nocturne No.1 by the piano.
In my deplorable and lamentable situation, music is a vehicle of human feeling. I anticipate that my mental and physical situation will recover completely in the near future "by this great music".
Sincerely yours

投稿: カッキー | 2009年4月25日 (土) 12時47分

素晴らしい英文ですね。一瞬、英語が苦手な私への厭味かと思いましたよ。(もちろん冗談です)。かといって英語で返答する勇気はないので、日本語で失礼いたします…。

私は会話と英作文は昔から苦手で、必要がないのをいいことに逃げているのですが、正しい英語の文章を書けることに憧れを抱いています。

カッキーさんはピアノという心の支えがあっていいですね~。実は、私には英語が話せる人より楽器を演奏できる人の方がうらやましいのです。

投稿: マイ | 2009年4月26日 (日) 08時19分

マイさんへ
 コメント有難うございます。拙くても時には英文が書きたくなり、無い知恵を絞り英作してみました。どうですか、英文と言えるでしょうか。
 私は英作は好きですが、なかなか書かなければならない環境になく、慣れることが難しいです。時々はこのブログの英語版から新たな単語を学んでいます。
 

投稿: カッキー | 2009年4月27日 (月) 16時57分

カッキーさん
私はクリスチャンですが、(俗な教会員ではありません)聖書には当然三途の川と言う概念はなく、「あなたの行くところには知恵も技もない・・」つまりヨミは無の世界と言う事であり、それに仏教の教えの様に輪廻転生の概念もありません。人の生存は一回きりで、死後神による裁きの後、永遠に生きる者、永遠の屈辱に入る者に振り分けられます。それが巷言われるハルマゲドン後の事象となります。さてダーウィニズム的思考の入り混じった宗教を信じるか、イエスを信じるかは本人次第ですが、世は聖書・黙示録通りに動いている事はニーチェなどががわざわざ言い残さなくとも誰にでも没我になるとすれば確認できる事でしょう。(超人”ツラウストラは失敗した様ですが)

投稿: soft | 2012年6月28日 (木) 00時23分

softさんへ
 どうしたことかブログの人気記事ランキングには、ほとんど毎日「本日、私は三途の川を渡って来ました。」の記事が上位に来ます。
三途の川に興味があるのか、それとも、この世に未練がなくなった人が読んでいるのかは定かではありません。
ただ私の住む群馬県には私の知る限り2ヶ所に三途の川があり、甘楽町の川端にはご覧の梵語の碑があり、解読したいところです。
インドに友人がいるので、次回、来日した折に連れて行こうと思います。
私はクリスチャンではありませんが、職業が音楽教育であることから聖歌は好きです。

投稿: カッキー | 2012年6月28日 (木) 17時42分

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