« 2009年4月 | トップページ | 2009年6月 »

2009年5月

2009年5月28日 (木)

第一の人生でも第二の人生でも4教科は主要教科

 中学校で学ぶ教科は大きく二つに分類され、主要5教科(国語・数学・英語・理科・社会)及び4教科(音楽・美術・技術家庭・保健体育)に分けて扱われます。学校も社会もそのような分類が当たり前となり、若く純真な中学生1年生にとって、このような分類はあたかも大切な科目と、そうでない科目との印象に陥りやすく、その後、「ものの見方」に偏見が生じたり、成長過程に当たり勉強のバランスなどに悪影響を与えることにならないでしょうか。

 5教科あるいは主要教科と呼ばれる所以は、次へのステップとして差し迫った現実的な入学試験において、何点以上を獲得すればでなく、人より高い点数を取ることが目標となり、より良い(偏差値の高い)高校へ入学できることにつながる入試制度だからです。

 還暦より年齢が上の人たちが中学生の頃、高校入試では入試教科が9教科すべてありました。その後、都道府県により異なっても、昭和40年前後から入試教科は5教科のみに変更され、得意不得意に関係なく、否応なしに一斉にコースに並んで100メートル競走するような勉強法が強いられるようになりました。

 入試科目数が減って一見勉強しやすいように思われても、伝統ある有名校への志望者数は多く、依然として窓口が狭いことには変わりありません。4教科が得意であっても、5教科の苦手な中学生にとっては大きな不利、痛手、ハンディとなり、この頃から世の中では「輪切り」、「入試地獄」、「落ちこぼれ」というというような一方的な言葉が生まれ、「15の春を泣かせない運動」も起ってきました。

 その人が個性的で素晴らしい内面、人間として優れた面、卓越した才能、寛大さや人に親切な面があっても、入試ではほとんど考慮されず、12~15才の人生の基礎を築く多感な中学生時代を5教科中心による勉強という名の戦いの結果、「勝ち組」「負け組」に篩分けられる教育に矛盾を感じる人は少なからずおられるでしょう。

 その結果として、高校に対して「ランク付け」がされたり、一般社会も出身高校によって人を判断する傾向が無いとは言えません。これは大変いけないことです。

 先進国といわれる日本では未来に向かって、学校のみならず、あらゆる面でこの差別観のようなものは払拭すべきで、私たちも身近なことから間違った判断をなくし、正しい方向へ変革していかねばなりません。学校で判断するのでなく個人の生き方に魅力を見出したいものです。

 「人生において最も大切なことは勝つことではなく、人それぞれ己の高い目標に向かって努力を続けることこそ大切である」とは、近代オリンピック創始者フランス人クーベルタンの言葉です。

 ところが、タイトルに示すように第2の人生(人により時期は異なる)では脇役であった4教科が俄然日の目を見るようになり、4教科が得意な人ほど幅広く豊かな人生と言えるようです。

 何と言っても、大きな二つの車輪である「経済」と「健康」はそれぞれ技術家庭や保健体育の領域です。ますます広がる高齢化社会では、不安定な世界的経済状況にあっても、安定した収入法、及びいつまでも健康であることは最重要事項であります。

 また、心の栄養として趣味に興じ、意義あるパソコンや楽しい料理はもちろん技術家庭、身体を動かす得意なスポーツこそ大きな喜びと感ずる人は多いでしょう。旅行や登山を通じて脚力を鍛えるとともに、自然の雄大さを写真に収めたり、気に入った対象を見つけ写生する絵画、工芸そして花作りや庭作りなど美的感性を磨く方、家庭菜園や日曜大工は殊のほか楽しいものです。これらが楽しいのはきっと創造性を発揮できるからです。

 また、快適な住まいの工夫、素敵な着物への拘り、どなたにも起こる親や配偶者に対する適切な介護も技術家庭の領域です。音楽鑑賞、ピアノ、オカリナなど楽器演奏、歌、吟詠と自己表現の喜びに浸れることは高い精神性を必要とし、いかにも人間らしいこと。これは幸福といえるでしょう。すべて4教科の領域です。

 近年、団塊の世代といわれる大勢の方々が、文字通り塊のように第二の人生に移行します。これからはどんな人生が待ち受けているでしょう。その人にとって日々の生活が意義深くあるためには、創造性あることこそ内面は豊かになるでしょう。楽しくて人には伝えられないほど夢中に興じる状態を人は幸せと呼ぶでしょう。

 このようなことを書いてる私も4教科がすべて得意ではありません。これからは今まで以上にバランスよく掘り下げ、少しでも豊かな日々としたい。 

| | コメント (4)

2009年5月25日 (月)

密着型情報紙にレース鳩が掲載される

 一般の方々にとって鳩レースの鳩舎は珍しいでしょう。当舎は緑色をしているので前の道を通る方々がよく立ち止まって眺めています。その中のお一人で朝日新聞系・群馬・高崎市密着型情報紙「てくてく」の女性記者の目にとまり、取材の申し入れがありました。

 応接室にお通しての歓談は、レース鳩を飼育したきっかけや、レースについてなど凡そのことをお伝えし、紅茶を差し入れ、話の合間にピアノ演奏をサービスしました。鳩の話を訊きに来られたのにピアノの生演奏を聴くことになり、彼女はレース鳩の取材より音楽に聴き惚れた(?)様子でした。結局、しだれ桃の開花する時季に改めて2名で取材に来られるとのことでこの日は帰られました。

 4月中旬、予定通り訪問があり、鳩飼育にまつわる国際交流についての話題や、鳩舎内外の写真を撮影され、和やかな取材となりました。この情報誌は月刊誌で高崎市内へ20000部発行とのこと。出来上がった記事は次の通りです。少々恥ずかしいですが、拡大すると本文をご覧いただけます。

 九州からいつもコメントくださる花舞さま、山岳のMr. Samuel Tod、そして取引銀行職員さまへは実物をお届けしました。

 一般的に、鳩レースで勝利すればすごく嬉しいですが、私の場合、一般の競翔家と少し目的が異なってるかもしれません。それは「考えられないほど遠方から海越え山越え、なぜ我が家の位置が分かり、帰還するのか」というレース鳩の神秘性を味わっているのです。今までもそうでしたが、今後の目標も「北海道北部から群馬・高崎まで1000キロをその日のうちに帰還させたいという遠大な目標」を掲げているのです。この目標が達成されるようになれば、結果的にレースとしても勝利に結びつくと考えてます。

 近未来は鳩舎に英文で看板を掲げる予定です。それはレース鳩月刊誌を発行している英国ビクトリアル社に万が一取材されても対応できることを目的としています。この場合も前述の内容を掲げる予定で、およそ下記のような文を考えています。

    The most important thing in pigeon race is"Return on the day from the northernmost place in our nation."just as the most important thing in our life is not the triumph but the struggle without resignation.       ~Persimmon Marsh Loft~

 元来、鳩レースはベルギー・フランスなどヨーロッパで高貴なスポーツとして発展してきたものといわれます。それはエリザベス女王陛下が趣味として、現在もレース鳩を飼育なさってることからも理解できます。

 日本の鳩レースは輸入した文化です。計算により「距離÷時間=速さ」を競い、血統を重んずる鳩レースはまだまだ高貴な文化とは認識されてない感があります。優勝しても新聞に掲載されることは皆無です。

 前述の英文によるモダンな(?)看板も、レース鳩の不思議な帰巣性と、目標に向かって諦めず努力する人間の生き方に共通点が見出せれば、レース鳩を飼育する意味もより明確になります。

 「北海道最北端から目的地まで粘り強く飛翔する鳩の姿」が「へこたれない人間の生き方」にダブります。

 ところで、当舎の代表鳩であるオランダ生まれの「スチール号」は今春の交配を終了しました。雄の9歳ですが、とても健康で若々しいです。長距離をいい成績で飛翔したからには、体力がいつまでもエネルギッシュなのでしょう。

 この鳩はフランス南部モントバーン北緯44度~オランダ北部プロンク鳩舎北緯約53度間1022キロを飛翔し、午前11時放鳩で、翌朝午前3時34分帰還ですから、夜間を飛び続けた可能性が考えられます。

 その第一の理由は1484mの高分速です。また、第2の理由は、日本の位置で考えれば、北海道・網走の地点からカムチャッカ半島南部へ飛んで行く距離で、かなり高緯度を北へ向かって飛翔するレースです。レースが行われる夏季、【北部ヨーロッパは北へ飛べば飛ぶほど、ますます明るくなる白夜】です。真相はスチール号のみ知ることです。

 来春からの交配鳩♀はオランダのサム・デ・ヨング鳩舎の鳩を希望し、すでにFragrant Mountain鳩舎に伝えてあります。看板に掲げる目標が達成できるよう、飼育者は諦めず努力を続けたい。

| | コメント (1)

2009年5月21日 (木)

ドイツを出発するアウディーTTクワトロ2000cc

Dscf0049 【写真は購入後のもので赤城山で】 

 2月に契約したアウディーTTはすでに完成し、いよいよ日本向けに出港準備に入ってるとのこと。工場はドイツやハンガリーにもあり、どちらで生産されても船便ではどのコースを通過して来るのでしょう。

 もし、ヨーロッパ全土を回り、ドーバー海峡からジブラルタル海峡経由となると日数がかかり過ぎ、おそらく、陸路経由でアドリア海~地中海~スエズ運河~ソマリア近海~インド洋に向かうと考えられます。

 ドイツから積載して日本に向かっている船舶は2槽が往復し、常にどこかの海に浮かんでいるとのこと。同じ船にはアウディーのみならずポルシェやフォルクスワーゲンなど他社のドイツ車も同時に船積みされ、日本に向かってるといわれます。

 私の場合、特別外装色として黄色を希望したので、国内販売店に在庫がなく特注となりました。果たしてどんな感じに仕上がってくるのか、実物の黄色を見てないので期待と不安です。私の性格が地味なので果たして合うでしょうか。

 一口に黄色と言っても色々で、いずれにしても黄色のTTが走れば目立つでしょう。以前に117クーペの黄色を乗っていたので未経験ではありません。

 ところで、この車には「希望ナンバー」をつける予定です。しかし、肝心のナンバーがまだ決まってません。何番にするか迷ってます。最近、乗っていた「いすゞ117クーペ」は、そのまま117でした。

 今回の候補としては、記憶に残ってるレース鳩の脚環番号が考えられます。たとえば、当舎にはバルセロナ・インターナショナル2年連続総合優勝鳩「ミュニィエ号」の直仔同士の仔♂がいましたので、その脚環番号や、その鳩の直仔♂は稚内から翌日帰還し、その番号も思い出深く今後のレース鳩飼育の目標です。しかし、これらは金融機関の暗証番号にしてあります。

 その他、考えられるナンバーは番地や私の誕生日、電話番号ですが、これらは避けるつもりです。

 現実には、今年、日本で起こる今世紀最長皆既日食の日である722、親しい女性の誕生日510、805、102、607、317、1011などです。(落ちてる人ごめんなさい。)新たな恋人が誕生すればそれも大きな候補ですが、これは急がなくてはなりません。船が日本に着くまでに間に合うか。

 車庫については現在でも一応ありますが、モダンで日光遮断対応屋根付きか、風雨を凌げ、すっぽり入れる物置のような車庫を計画してます。しかし、経済的にそこまで手が回るか。とりあえずは今あるもので大丈夫でしょう。

 時々、アウディー高前バイパス店に行き、運転席に座って感覚を掴んでいます。運転席からはボンネットが全く見えません。両サイドのミラーを見ても、後方の視界は4分の1が遮られます。ミラーに映る下方内側は車体の下部が膨らんでいるからです。

  狭い道を右折・左折するときはサイドを擦らないよう確認が要ります。245-40-18の車輪は高速では威力を発揮しても、狭い通常の道路ではゆっくり確認して走行しなくてはならないです。

 アウディーを積んだ船はこれから海賊出没のソマリア近海を通過します。無事に到着してほしい。 

| | コメント (6)

2009年5月18日 (月)

荒山山頂で味わった群馬の山の威容

 群馬県中央部に聳える赤城山の一角に荒山(1572m)があります。私は倉賀野町に生を受けて以来、ずっと眺めてきた山です。近年、職場が前橋になってからは時間があれば室内から眺めてきた「裾野は長し赤城山」です。その中でも四季を通じて一際目立ち揺るぎない威容を誇る峰。それが天に聳える荒山です。

 写真は、荒山山頂から西北に眺めた鈴ヶ岳と上越国境に連なる谷川連峰です。拡大してご覧ください。

 チャンスがあればと登頂を志しながらも、なかなかその機会に恵まれず、年月は経過し、今回、お願いもしないのに友人Samuel Todさんから「鍋割山か荒山に登ろう」とお誘いの電話を受けました。躊躇することなく、ぜひ荒山に連れてってくださいと希望を申し上げ、快晴の5月15日に念願の荒山登山が実現しました。 私は今までに赤城山でも最高峰・黒檜山(1828m)、長七郎や鈴ヶ岳そして地蔵岳に登頂しても、憧れのこの山は内心ワクワクしながらの登山です。Samuelさんの勧めで小沼を少し南下した軽井沢峠付近からのコースとなりました。

 車から降りてリュックを出したり、登山靴に履き替えていたら、とんでもない標識が目に飛び込んできたのです。

  その名も「三途の川」えぇ~、またか。

 思いもよらぬ薄気味悪い佇まいは血の気もよだつ、それにも増して、近くにはこれまた「血の池」という何とも恐ろしい赤城山の一角。何か出そうで夜中は一人で歩けない。

  先日、甘楽町でこれまた「三途川」を発見したばかり。このため群馬県には「三途の川」が二つあることを知りました。生きてる間に、2回も「三途の川」を渡っておけば本物の三途の川を渡る日は益々遠のくのではないかと内心シメシメでした。

 折角、大自然の中を歩き始めようとした矢先に目に入った薄気味悪い標識は山登りへの悪魔を取り去ってくれたのでしょう。

 同行者はSamuelさんの友人でギター名手Nさんを交え3人。道は新緑のトンネルを進むなだらかな一本道。多少の登りはあってもひんやりした空気を胸いっぱいに吸い、身体が生き生きです。30分歩くと荒山高原からの道に出合い、山つつじの蕾も膨らんだ山小屋付近で小休止。

 眼下を見下ろすとずいぶん高くまで登ってきたことを実感、関東平野がかなり低く見えます。涼しい気温では汗も快い。再び登り始める。次の休憩地点「ひさし岩」までは岩もゴロゴロした本格的な登り。もう頂上までは30分ほど。

 「ひさし岩」では桐生市方面が一望です。ここでも大きな驚きです。ずっと遠い南の山並みの中に、雄大な富士山が望めました。富士山を見るのは本当にしばらくぶり、5月の中旬はまだ真っ白な富士山。実はここ赤城山の南面は先月まで、その名も富士見村といわれてました。平成の大合併により前橋市から富士山が見えるということになったのです。

 荒山山頂はもう僅か。最後の力を振り絞って一歩一歩の登り。苦しくても歩ける幸せをいつまでも実感したいと心に言い聞かせました。そして、ついに頂上。樹木の間に連なる白銀の峰々。それは下界では味わえない登頂者のみへの褒美。

   絶景の「ひさし岩」で昼食。Samuelさんによる恒例のカップラーメンと紅茶に感謝しつつ、私は途中で仕入れた小瓶のウィスキーで水割り、石器時代も現代も変わらぬ群馬の山並みにはただただ感銘の時間。3人して山頂でいただくカップラーメンはことのほか美味しく、絶景とウィスキーを堪能しながらの会話は楽しく、私は「こんな幸せはない」と連れてきていただいたことに感謝してました。

 赤城山には、標高1500メートル付近に大沼(正式にはおの)と小沼(この)二つの沼があります。先史時代より水を蓄え続けるこれらの湖沼に、人類誕生以前の想像を絶する壮大なドラマを思い浮かべました。

 Samuelさん持参による携帯用デスクを広げ、水辺で楽しいコーヒータイム。周囲に人影は見当たらず無垢の大自然の懐。湖面から吹いてくるマイナスイオンを胸いっぱいに吸い、私も微々たる生物として自然に生かされていると感じざるをえませんでした。

 帰路は日帰り温泉「富士見の湯」露天風呂に浸かり、荒山登山の疲れが解放できました。Samuelさん、Nさんのお陰で楽しい1日となり感謝しています。

| | コメント (2)

2009年5月14日 (木)

脅威にも恩恵にもなる遠心力

 ニュースによると名古屋環状線の右カーブで大型トレーラーが横転し、左側を並走してた乗用車がコンテナの下敷きになり、乗用車には3人の女性が乗っていた模様で、亡くなった2人は母娘とのことです。コンテナがトレーラーの運転席車両から外れ、コンテナだけが横転したと伝えられます。

 運転する私たちにとって、カーブのところは気が抜けません。

 【急カーブであればある程、また、スピードがあればある程、車体は外側に引っ張られます。】

 2年程前、中央高速でも急カーブの下り坂でトレーラーが横転しました。下り坂は注意しないと予想以上にスピードが増すことを忘れてはなりません。

 いくらハンドルをしっかり持っていても、カーブでは車体全体は重い物体と化し外側に引っ張られます。

 この力は遠心力(centrifugal force)といわれます。

 陸上競技のハンマー投げを見ると良く理解できます。この競技はワイヤーにより重いハンマーを数回回転させることにより生じた遠心力を解放するものです。回転中、競技者はハンマーによる遠心力で相当引かれます。そして【遠心力を解放するとハンマーは回転軸に垂直の方向に飛び出します。】

 同様に、人工衛星は打ち上げ後、ある高さに到達してから秒速7.9キロメートルに達すると、地球に向かって弧をえがいて落ちて行く曲がり具合と地球の丸み具合が同じになり、地球の周囲をずっと回り続けます。地球の引力がハンマー投げのワイヤーの役目となります。

 また、もし人工衛星がもっと速く回り、秒速11キロメートルに達すると、地球の引力に打ち勝ち、地球から離れ、宇宙空間へ無限の旅となり、どこかへまっすぐ飛び続けるはずで、ハンマーを放した場合のようになります。

 地上においてもいろんな場面で遠心力が起こります。身近なところでは自転車です。車輪の遠心力は上下の一定方向に生じ、乗り手のハンドルによる修正も加わって倒れません。発明者は誠に素晴らしです。

 ですから、遠心力は人間に対し脅威にも恩恵にもなります。

 ところで、記憶に新しいところでは、福知山線・尼崎駅~塚口駅間のカーブで発生した鉄道事故で、107名もの尊い人命が奪われました。原因については直接原因と間接原因があるといわれますが、このカーブでは制限時速70キロのところを時速116キロで進入したと伝えられます。

 なぜ、このような猛スピードでカーブに進入しなければならなかったかの事情に間接原因があったとしても、このスピードでは車体が左側へ相当引っ張られるでしょう。

 列車はカーブに差し掛かると、「車輪の直径が左右で変化するように設計されていても」、116キロのスピードでは相当の遠心力が生じ、車体の重心は左に傾き、右車輪が浮き上がったのではないかと考えられます。

 また、先般の都内における大型クレーン車事故では重心が本体からはみ出し、大きく倒れ道路を塞いだと考えられます。

 私たちを取り巻く身近なところには、特に車の運転中に遠心力が危険に働いたり、、園芸など高所での作業では重心が移動してしまうことが起こりえます。これらを頭に入れ危険を予知し、未然に事故防止に努めなくてはなくてはなりません。

 車の運転では、片側2~3車線の場合、前後の車間距離を取ることは勿論、【できるだけ隣の車と並走せず】、位置をずらして走るべきでしょう。

 ましてや、カーブでの並走は危険極まりないです。いくらハンドルをしっかり握っていても、車体は外側に引かれます。特に下り坂でのカーブではスピードを落とすことが鉄則です。運転技術は物体に生じる遠心力に敵いません。

| | コメント (0)

2009年5月11日 (月)

「しだれ桃」の剪定は今が適してる

342  両親からPersimmon Marsh家を引き継ぎ、私の代となった記念樹として昭和の最後に植えた「しだれ桃」は巨木の勇壮を呈してきました。正真正銘の桃色といい、絵に描いたような優しい枝ぶりといい、今春も約2週間にわたり、心ゆくまで楽しませてくれました。

 この「しだれ桃」はイギリスから世界57ヶ国に発行されてるレース鳩月刊誌「Pictorial」の表紙を3度も飾り、鳩舎と共に各国の方々にご覧いただいたものです。今や生まれ変わったように新緑が芽を伸ばしつつあります。

 人気記事ランキングには登場しませんが、管理画面上のカテゴリーの中では「しだれ桃の世話」に多くのアクセスを頂いてます。今の時季、剪定などに関心があることが窺えます。

 私は、ここ2~3日かけて、かなり思い切り剪定してみました。本来ならプロの植木職人に剪定してもらう方が正しくできるでしょう。しかし、見よう見まねで20年にわたり、試行錯誤で行い、「しだれ桃の気持ち」になって我流で行ってます。

 剪定の目的はただ一つ。来年に向けて健康な枝が張り出すためのみです。病気を予防することにもなるでしょう。

 このため、私は鋸つきの長枝鋏で、原則的に太い枝からは2本の小枝を残したままで、思い切り他の枝を切り落としました。枯れ枝も切り落とします。

 仕事が一段落したら、その都度、遠方から枝ぶりを眺めます。「樹木とは眺めるもの」だからです。角度を変えて見るとバランスが良く分かります。人生にも通じるようです。

 それにしても思い切り剪定し、何だかすっきりしました。これで今までより風通しは抜群に良くなり、見るからに健康的です。

Dscf0091   この写真はイギリスで発行された「ビクトリアル」の表紙です。 レース鳩の月刊誌ですが、3冊ともこのしだれ桃が写ってます。

 しだれ桃は約1メートルの高さに植えてあるので、枝が垂れ下がっても地上に届くことはありません。また、そばを通っても枝が邪魔になることはありません。築山の頂上に植えてあると景観が良くなり見応えが出てきます。

   ご覧のように、築山の頂上は火山のクレーターのようで、水が溜まるようにしてあります。開花中や土の表面が乾いたときは蛇口をひねるだけで井戸水が5分ほどで満タンになります。しだれ桃は勿論、周囲の石楠花やつつじにも水分が行き渡ります。しかも、築山特有のことで水はけは抜群です。

 殆どの植物には水がたくさん必要であっても、反面、この「水はけ」が良いということがポイントと考えてます。特に平地でシャクナゲを育てる場合は半日蔭と同時に、このことが言えると思います。これは私が今までにたくさん枯らしてしまい、失敗から得た教訓です。現在は3本の日本シャクナゲ、7本の西洋シャクナゲはすべて毎年開花してます。

 「しだれ桃」については、初夏から真夏にかけて来春の満開を目指す新たな枝が生まれ出ることを祈り、特に夏場の水分補給は十分に心がけます。

 果たして、来春の「しだれ桃」と、我が人生とでは、どちらがより良く開花するでしょうか。「しだれ桃」に負けたくないです。 

| | コメント (2)

2009年5月 7日 (木)

ダウ・ナスダック上昇、日経平均株価9300円台

 私は経済の推移について、毎日ノートに数値を記録してます。本日のブログはこれを見て振り返えってみました。

 今になってみると、今年の【3月10日】は、米国ダウ平均株価が6547ドル、ナスダックは1269ポイント、日経平均株価は7054円と、この三者が揃って最低の数値を示しています。

 ところが、約2ヶ月後の本日【5月7日】日本時間では、3月10日に比較すると、米国ダウ平均株価が8512ドルと約2000ドルの上昇、同様にナスダックも約500ポイント上昇し1759の数値を示しています。

 日経平均株価については、本日終値は9385円の高値に推移しました。今年の1月初め以来、暫くぶりの9000円台を記録。3月10日に比較すると2300円以上の上昇。半年前である11月5日に次ぐ久々に9385円の終値となり、何だか血流が楽になった感じです。

 憧れの10000円に向かって一気の上昇を願わずにはいられない。

 丁度2年前の今頃は、ダウ、ナスダックともに得体のしれない下落を始めていたのです。経済に疎い私は、それほど大したことはないだろうと静観してました。しかし、米国経済に連動したヨーロッパなど世界の株価もじわじわと重くなり始めていたのです。

 今や国境なし経済。日経平均株価も何だか不気味な下降、怪しい雰囲気となり、次第に不安を通り越して、今まで体験したことのない身のやり場のない状態になってきました。

 2007年7月頃にはサブプライムローンという聞き慣れない言葉が飛び交い、何だか分からぬうちに多くの資産価値は7~8割に減少したままずっと低い評価を続けてきました。

 それが約1年間続きいよいよ地獄へ。昨年9月中旬、突如、リーマンブラザーズの破綻が突破口となり、あれよあれよという間に日経平均株価は1日400円程のスピード下落を続け、世界各国の株価チャートは見るたびに連日連夜の下落。それはまるで底のない真っ暗な地獄へ落ちて行く様。

 もう誰も助けてくれない「なすがままの世界」。9月下旬から10月にかけて資産価値が元本の半分から3分の1程に下落という思いもよらぬとんでもない状況。

 個人投資家も金融のプロも、どうにも打つ手なしの状態、まるで無条件降伏そのもの。この影響は実体経済に現れ始め、輸出関連をはじめとする多くの企業が未曾有のマイナス成長。結果は厳しいリストラに始まり、100年に一度といわれる最悪の経済環境に陥りました。日本の多くの産業が外需依存型である所以と考えられます。

 こんな最悪な状態が続いていても、天気と同じで未来のことは誰にも分かりません。しかし、経済に素人であっても、経済動向を日々記録している私の観測では、最近の経済は数値の上では徐々に上向きになりつつあるように感じてます。

 実体経済ではなかなか捉えられなくてもダウ、ナスダック、日経平均を見る限りではこの2ヶ月間は確実に上向いてます。米国の金融株、エネルギー関連、住宅関連、一般産業が上昇しているとも伝えられます。

 為替では今一歩で1ドル=100円ですが、なかなかこの100円という目先のハードルを越えられず、行ったり来たりです。これをクリアーし円安方向に推移し、110円ほどになれば自動車産業をはじめ輸出関連株が上昇し、多くの企業も好転が期待できる筈です。

 それでも、好調であった2007年1月頃に比較すると、その数値はずっと低く、順調に推移しても、果たして以前の所まで回復するかどうか、回復するにも時間がかかると思われます。それまで健康でいなくてはなりません。

 不況の時こそ知恵を絞り、次代のために創意工夫が求められるでしょう。この拙いブログを開設した2年4か月前の経済は順調でしたが、その後、ずっと下落が続きました。私も無い知恵を絞り、経済の回復までブログを頑張りたいと思います。

| | コメント (0)

2009年5月 4日 (月)

飲み過ぎから認知症への因果関係を考える

 「みどりの日」の本日、群馬県は薄曇りですが、温暖です。写真のシャクナゲやつつじは庭に咲いてるものを今朝、撮影しました。拡大してご覧ください。

 テーマは「みどりの日」に相応しいものではありません。しかし、少子高齢化へ向う私たちの社会にとって重大なことなので考えてみました。

 最近、極めて醜態と印象に残るニュースが2件ありました。いずれも、急性アルコール中毒ではないかと思われます。

 日本の大臣がイタリアで過度の飲酒による酩酊状態を世界に晒しました。

 世界中の人にとって最も関心が高く、重大かつ深刻な局面を迎えている世界経済に対する記者会見で、ろれつが回らない状態の映像が瞬時に世界に流れ、日本への信頼が一気に崩れました。

 世界の人々には、日本の政治家がどう映ったでのしょうか。「まだまだ日本には任せられない」ということでしょう。一方、有名芸能人が公園で午前3時頃、わめきながら裸になっていたと伝えられます。

 1杯が2杯になり、酔うほどに自制心がなくなります。本人は極楽の状態にあると考えられます。両者ともこのような状態では正常な言動ができず、判断力を司る脳が異常な状況にあると考えられます。

 一般的には、アルコールについては飲み過ぎると肝臓を悪くしたり、高血圧に陥るということはよく耳にしました。しかし、もっと悪くするところがあるようです。

  素人の私の考えで恐縮ですが、飲み過ぎによる酩酊状態が時々あるとしたら、それは少なからず臓器に障害が起こることはもちろん、特に恐ろしいことは「脳のために害はあっても益はないでしょう。」これが続くと、脳の委縮がより進行し、行き着く先は認知症へつながる可能性が潜んでいると思われます。

 上記のような酩酊状態では本人は極楽状態にあります。これが続くと40代くらいでも、特に反応が鈍くなり、肝心なことである「自分の将来についてなど、あまり関心がなくなります。」今のことだけで過去や未来へは考えが及びません。

 人間として最も高度なことを司る脳の機能が低下し、結果的に判断力が鈍り、記憶力の減退、計画性や自制心の欠如、不適切な社会行動へつながりやすいと考えられます。

 また、現在は飽食の時代にあり、必然的に食事も食べ過ぎの傾向にあり、メタボリック・シンドロームという言葉が生まれ、結果として起こる太り過ぎはあらゆる病変の元凶と言われます。脂肪の取り過ぎによる高脂血症が続いても、脳に障害が起こる可能性が考えられます。私は「高血圧を筆頭として」いわゆる成人病は肉体的病変のみならず、脳の鈍い働きに繋がり、認知症への警告と捉えています。

 これ以外に認知症の原因はいろいろあっても、現在、80歳以上の4人に1人が認知症といわれ、その上に、年々、一人暮らしの高齢者が増加したり、主に高齢夫婦による老老介護、更には、認知症の人が認知症の人を介護しなくてはならない「認認介護」などという行く末恐ろしい状態が迫っています。

 少しでもこのような状態を未然に防ぐには、近年、大きく叫ばれている生活習慣を見直すことが基本の基でしょう。私を含めて、特にお酒が好きな人は厳格に量を設定し、「酔いが酔いを求めてお代わりする習慣」を厳しく断ち切ることに尽きるでしょう。

 お酒は適量であれば、血管も広がり百薬の長であっても、飲み過ぎは百害あって一利なしです。

 私の場合、そばで注意してくれる人がいません。こんなことを書いて自分で量を守れるだろうか。【涙】・・・・・・今日は「みどりの日」。外に出て新緑を楽しもう。

| | コメント (4)

« 2009年4月 | トップページ | 2009年6月 »