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2009年8月

2009年8月27日 (木)

完成した電動シャッターつき車庫

Dscf0015  7月下旬に着工した車庫はお盆休みを挟んでこの度出来上がりました。夏の直射日光、冬の霜や雪、秋の夜露、そして一年を通じて風雨を凌げることになりました。

 ご覧の通り、骨格は木製。周囲は薄こげ茶の明るい素材を使用し、路面はコンクリート、屋根は本格的なものです。広さは車の周囲をゆったり回れる程で、洗車やボンネットを開けてメンテナンスも可能です。

 前面にはシャッターを備えました。前から見るとどんな車が入ってるかわかりません。しかし、横からはぼんやり見えます。

 車の運転は30歳ころから始め、今までに乗った車種はいすゞジェミニ、いすゞ117クーペ2台、マツダ・ロードスター、ホンダアクティーバン(現在も)などですが、本格的な車庫を作ったのは初めてです。

 不況下で無理して今回初めての輸入車ですから、いつまでも大切に乗りたいものです。特に塗装面はガラスコーティングが施してあり、車庫に保管すれば、果たして新車の雰囲気を長く保てるでしょうか。

 シャッター操作は手動とご覧の通り、リモコンによるので外出するときや入庫するとき、運転席から降りないで開閉できるのは便利です。

 特に外出先から帰ってきたとき、運転席からの操作で開くのはちょっと嬉しい感じです。万一、車庫内に閉じ込められても脱出できるように内部には非常用のものが用意してあります。

 納車以来、必要がなければあまり乗りませんでしたから、走行距離は2カ月で1900キロほどです。それでも車幅184センチによる角を曲がる感覚や、下り坂でのエンジンブレーキや登り坂でのシフトダウンなど、オートマ車でも手動となるパドルシフトの効果的使い方、セレクトレバーSでの背中を押される加速感覚も身に付きつつあります。

 内緒ですが、もうすでに10年ほどスピード違反に縁がありませんので今後も厳守します。しかし、アクセルを踏み込まなくてもスピードが出やすく、特に路面が良い場合、その気がなくても規定をオーバーしやすいです。

 折角いただいてるゴールド免許の誇りを胸に、これからも法の順守を心に誓わなくてはなりません。たまには、高速道路に乗りエンジンの調子を上げることは一つのメンテナンスと考えETCを使いたいです。先日、群馬県妙義山・中乃嶽神社へ安全祈願の参拝をしてきました。

 車を持つことは行動範囲が広がり見聞も広がります。その主たることは旅行です。一にも二にも車間距離順守とスピードに注意を払い、【驕ることなく】この文明の利器を大切に使いたいと思います。    

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2009年8月24日 (月)

改めてボキャブラリー不足を痛感

 昨晩は友人Samuel Todさん宅に前橋市内のALT=Assistant Language Teacherご夫妻が来られるとのことで、私も招待を受けとても有意義な時間が持てました。

 AETご夫妻はそれぞれ別の高校で教壇に立っておられ、私は暫くぶりに外国の方にお会いするので不安もありましたが、会食をしながらの交流は貴重な体験となりました。

 いつものことながら外国の方と初対面のとき、私はその方の国歌を演奏することにしてるので、簡単なスピーチ後、アメリカ国歌をピアノで弾きました。

  First of all, I'll play the national anthem of The United States of America by the piano, for the sake of eternal friendship and prosperity and especially economic growth between our two nations.

【まず初めに、両国の永遠の友好と繁栄、そして何より経済成長のためにアメリカ国歌をピアノで弾きます。】と述べ演奏しました。普段あまり米国国歌を弾いてませんでしたが、どうにか最後まで弾けました。果たしてAETご夫妻はどのように感じられたでしょう。

 Samuel Todさんによるピザや、奥様のおいしい手料理をいただきながら、娘さんも加わり楽しいパーティーです。平素一人暮らしの私にとって、こんな雰囲気は暫くぶりの楽しい体験で、4時間半にわたり愉快に交流できました。

 一般論として音楽演奏では、演奏してることを忘れて音楽そのものに没頭している状態が理想と言われます。

 同様に英会話でも英語を話していることを忘れてる状態が理想と思われますが、とてもとても、私にはそのようなレベルは程遠いことです。しかし、Samuel Todさんの助け船のお陰でどうにか会話に加われました。

 一方、国内にいながら英語に堪能な方はたくさんいるのですから、夢に向かってapproachしたいものです。

 ところで、英語に疎い私ですが、native speakerと交流する際の大切なことについて考えてみました。

 その一つは流暢に話せることが目的となりやすいですが、何より大切なことは「話す内容」を持っていることでしょう。多くの分野でも対応できる自分でありたいものです。

 native speakerが私たち日本人から聞きたいことは、耳にしたことのない新鮮なことが彼らの興味関心を引きとてもいいと思います。

 私たちとしては内容をきちんとして、初めてそれを「どのように表現すれば言わんとするところが伝えられるか」へと宿題が生まれる気がしてなりません。自ら必要性を感じ、自ら解決していくことで、Necessity is the mother of invention.は英語学習で中核をなすものと考えています。

 以前にも記述したことがありますが、英語勉強の中心をなすものは一にも二にもボキャブラリーを増やすことだと思っています。ボキャブラリーは派生語など関連語も含め、思いのほか利息がつくことが可能です。

 単語は単独で覚えることも必要ですが、関連した他の単語と結びつけ、アクセントの位置や正しい子音を発し、使えるように覚えたいです。「諺やcolloquialismといわれる言い回し」と共に、口頭で反復練習したいものです。

  学者の話では人間の脳は80回インプットされるとほとんど定着すると聞いたことがあります。夢に向かって頑張りたいです。

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2009年8月20日 (木)

立秋の榛名湖一周ドライブ by Audi TT Quattro

P1020343  群馬に生を受けて以来、数え切れぬほど行った榛名湖です。四方を外輪山に囲まれたカルデラ湖であり、湖畔を一周したり、外輪山を縦走し楽しむこともできます。その中でも写真は代表格となる榛名富士で典型的なコニーデです。

 山頂へは登山道が通じていても、多くの人は便利なロープウェイに乗ります。夏はボートが浮かび、冬は氷上ワカサギ釣りとスケートですが、近年は温暖化で年によっては氷結せず、もっぱら夏の観光地としてボートや乗馬、登山に県内外の方々が訪れます。

3713  写真は外輪山の一角をなす烏帽子岳。35年ほど前に登頂しました。これら外輪山は私の登山の力量として誠に適しています。標高1500メートルほどであっても本格的な登山となり、どれも味わい深い山々です。冬晴れには遠く富士山が望めます。

 2年ほど前に友人サミュエルトッドさんと外輪山である氷室山、天目山に登り、結構きつかったですが、頂上から見る湖の景色と冷ややかな空気は最高。いつも思うのですが、不思議なことに登頂した山々の味わいや感激は生涯忘れることがないでしょう。

 天目山と氷室山に登ったことがあります。縦走とまで言えなくでも登ったり降ったりで変化に富んでます。

 しかし、以前にブログで書きましたように私はここで真冬の夜、遭難の危機に瀕したのです。全面凍結の湖上から吹く横殴りの吹雪に一人見舞われ、推定、氷点下20度ほどの真っ暗な道なき雪道を宿舎まで約40分間単独行したからです。写真はこの上なく穏やかな景色ですが、季節によって山は形相を一変し、特に真冬は命を奪う脅威となる二面性があることを体験し、自然に対する戒めとしています。

 ところで、今回は納車になったアウディーTTの試験運転として、榛名湖まで標高差1300メートルほどの山岳道路を登ってみたのです。

Dscf0049  目的はクワトロの威力の確認、及びパドルシフトの効用です。パドルシフトとはハンドルの後方に設置されてる一対のレバーです。オートマ車であっても上り坂ではマニュアル的シフトダウンや下り坂では強力なエンジンブレーキとなるものです。

 この車がクワトロと言われるのは常時四輪駆動だからで、クワトロとは本来イタリア語で4の意味です。事前の話では登り坂でのコーナリング時にクワトロの存在感が感じられると聞いていました。

 あくまで感覚の問題ですから、運転する私としては感じ取るだけです。確かに急カーブしながらの登りに躊躇することなくグングン前進したように思います。また、地面をしっかり捉え、的確にハンドル操作ができたように感じました。

 左右に連続カーブしながら急坂を登ぼるとき、4輪の回転数がすべて異なっても、4輪すべてが駆動し、その場の状況に合わせ、エンジンからのパワーを適切なトルク配分に考えた出した人間の知恵には誠に驚きます。

  車庫の周囲はテラス用のものを使用し、室内を明るくしました。まだ未完成で前面に電動シャッターが付き完成となります。日本に来てからガラスコーティングしてもらい、車庫により風雨を凌げるので、いつまでも新車の光沢を保ちたいものです。

 今回は車で榛名湖畔を一周しましたが、約5キロの道はあっという間です。昔、マラソン大会で湖畔を一周したことがあり、その折、開会式でレース鳩を飛ばしたことが思い出されました。

 私にとって山と車とピアノとレース鳩は生活の重要な位置づけになってます。おっと、あと一つ重要なこともありますが、それは後のお楽しみというところです。 

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2009年8月17日 (月)

倉賀野町の伝統音楽を引き継ぐ少女

 8月16日送り火の日、私の住む群馬県・倉賀野町の閻魔堂では、ご覧のように赤鬼のような顔をした閻魔様がお目見えし、私は「嘘はつきません」とある願いを込め2人分をお賽銭に託しました。

 江戸時代、ここは中山道から分岐し日光例幣使街道への重要な起点であり、県内でも王者の風格を持つ常夜燈(写真下)には、ここに立ち寄った歌舞伎俳優や雷電など江戸時代の有名な力士の名が刻まれてます。通過する旅人はここ倉賀野・閻魔堂で休憩し、道中の守り神であったことが窺えます。

 子どもの頃、閻魔様の顔は恐ろしかった記憶があります。そして、親から「嘘ついたら閻魔様にべろ抜かれる」と言われたものです。お堂の中は10畳ほどの部屋で、倉賀野町の重要文化財と考えられる百万遍の大きな数珠があり、これは見事です。江戸時代から多くの人々に触られたとみえて、茶褐色の数々の木の珠は一つ一つに艶があります。

 畳に座って円陣を組んだ人々は、歌とともに大きな数珠を右回りに回し、数珠の中のひときわ大きな球が自分のところに来ると体の具合の悪い所につけます。私は頭につけました。

 その後、左回りとなり、次の人まで一周し、その人が同様に身体の具合の悪い所につけ、その後は右回りという風に、居合わせた全員が済むまで長いこと回り続けます。回る方向はその都度、逆になっても、同席した人数と回る回数は同じになります。

 古老から回し方を伝えられてるこの数珠による「魔除け」は恐らく江戸時代からの伝承です。それにしても、直径5メートルほどの大きな数珠です。倉賀野の方でもこの数珠の存在をご存じなかったり、体験されてない方々も大勢おられると思われます。今後の祭りの晩に体験できると思います。

 江戸時代も現代も病魔との闘いは同じ。苦しみからどうにかして逃れたいとの切なる願いを閻魔堂の数珠に託したのでしょう。

 ところで、隣の空き地では小さな山車が出て、太鼓をたたいています。閻魔堂のお祭りが近づくと主婦や子供が中心となって練習を重ねているようです。

 中でも驚いたことは、笛を一人の少女がずっと吹き続けているのです。メロディーやリズム、そして、昔ながらのテンポを巧みにマスターし、大勢の人々の前で自信を持って吹いてます。

 この姿を見て地元の古老たちも安心している様子が窺えます。このような伝統音楽は100~200年経過してもほとんど変わらず、時代から時代へと引き継がれていく誠に神秘な感じです。耳から耳へ、指から指へ、世代を超えて伝わり、写真の中の少女も遠い将来、孫やひ孫へ伝えていけると確信しました。

 2年間のインド滞在中、伝統音楽に関心があった私は同様のことを感じました。こちらは弦楽器シタール、ヴィーナなどによるヒンズー音楽。西洋音楽のように楽譜らしきものはなく、長時間の音楽を古老からの演奏を通して聴き覚え、日々の生活の中で継承していたように感じました。

 今や日本中でも祭りには、大きな山車が出て賑わいを見せてます。しかし、これらの山車の歴史的起源はインドではないかとつくづく思ったことがありました。オリッサ州ベンガル湾近くには、太陽神を祀ってある石による巨大なスーリア寺院があり、直径2メートルほどの大きな車輪がいくつも彫刻されてます。寺院全体があたかも動くかのごとくです。

 この寺院近くには海水浴場として有名なプリーの町があります。ここでは日本とほとんど同じ形をした山車が出ます。

 日本と同じ山車はネパール・カトマンズでの祭りでも見ました。山車を通して笛太鼓の祭りの起源を考えるとき、アジアと日本は昔から結びついてると推測できます。

 閻魔堂のお祭一つ見ても文化の伝承という観点から、祭りが昔の倉賀野庶民から現在の倉賀野町民への絆を橋渡しをしているように感じてなりません。

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2009年8月13日 (木)

中高年に警笛鳴らすツアー登山ブーム

 近年、中高年を対象とした「ツアー登山」が増加してると言われます。北海道・大雪山系での遭難はパック旅行の延長上にあったようで、凍てつく寒さの中メンバーはバラバラになり大惨事となりました。

 登山は旅行とは全く別のもの。相手は厳しい自然であり、人命に直結する登山を観光のような気持ちでパックに参加することは考え直すべきです。

 大雪山系にツアー登山した10名は強風下の低体温症など、ガイドを含め散り散りになり10名が凍死したと伝えられます。奇しくも、この日は私の誕生日。

 山の天候は人間には変えられません。山では天気の良い時に自然の恩恵を感じ、頂上での絶景などこれほど楽しいことはありません。

 しかし、反対に悪天候ほど恐怖を肌で感じることはないでしょう。われわれ人間の肉体と精神は大自然の脅威の前では成す術べを持ちません。平均して山の天気は悪い日が多いのではないでしょうか。このため、登山のベテランほど事前に山の天候を調査してます。

 拙い経験では2月に標高1400mほどの群馬・榛名山榛名湖付近を夕刻7時ころ歩いていた時、湖面を渡ってきたあられ混じりの北風に煽られ、真っ暗な道なき雪道をクラス会がある宿まで一人で40分ほど歩きました。他の人たちは明るい頃マイクロで行きましたが、私は所用のため一人遅れ日没後に行ったのです。

 推定、氷点下20度ほど。横殴りの氷混じりの強風は容赦なく私の頬を叩き、このまま道に迷い時間が経過すれば凍死するのではないかと、身に迫った恐怖をどうすることもできませんでした。凍てつく吹雪の脅威は標高に関係ないです。二度とこのようなことがないよう肝に銘じ、今後の登山の戒めとしてます。

 ブームになってる「ツアー登山」は年間30万人ほどが参加してるといわれ、利用者は中高年が大多数。業者は有名な山への利便性と低価格を強調しても、最悪の場合、ガイドの不足からその山を経験してないガイドが付き添うこともあるらしいです。

 いくらガイドが同行しても歩くのは参加者本人。パック旅行気分の安易な考えでは、悪天候時の自然の脅威に立ち向かうことは不可能である筈です。

 楽しい雄大な山へのツアーであっても、自然は風雨を和らぐことはありません。雨具、テント、防寒具、十分な食料、ヘッドランプなどの装備は自己責任です。

Dscf0020  【至仏山八合目付近から】

 また、登山には難易度があります。親友で登山家のSamuel Todさんにご同行を願って登頂した憧れの尾瀬・至仏山山頂からの帰り道、私は生涯で初めての辛い経験をしました。

 それは疲労困憊となったのでしょうか。右足がももの付け根から足先まで足全体が攣ってしまったのです。今までに、ふくらはぎがそのようなことはありましたが、足全体は初めてで、一時的に前進不可能になりました。

 この瞬間、至仏山は私の実力以上の山と悟りました。それでも経験豊かな彼のアドバイスにより下山でき、帰路に白根温泉に入って温めてからは全く回復し、感謝この上もありません。

 山は自然のみが脅威でなく、力量以上の無理な登山も極めて危険であると認識できました。

 昨年中の山岳遭難者で死者・行方不明者は全国で281人。8割を中高年が占め、若いころ登山の経験があり、退職などを期に再開した中高年の人が危険と言われます。以前に山に登っていたと過信しても、体力は確実に衰えているでしょう。登山を再開するには平素から登山のための体力作りが欠かせないと考えます。

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2009年8月10日 (月)

年内の経済回復を期待する

 日経平均株価は7月27日以来11日間連続して10000円台をキープし、本日は10か月ぶりの10500円台と高水準を回復しました。

 これは3月10日の7054円に比較すると1.5倍ほどの上昇です。午前中、東証株価指数TOPIXは一時的に久しぶりの970台を記録、為替レートは1ドル=97円台の円安傾向です。

 今年もあと4ヶ月半を残すのみ、年末までに経済回復してほしいものです。現在、雇用統計がなかなか改善されてません。しかし、株価やTOPIXが今の調子で年末に向けて上昇し、為替がより一層円安に向かえば、次第にGDP成長率改善に繋がり、多くの企業でも雇用の促進に繋がるのではないでしょうか。

 経済に疎かった私は3年ほど前から世界経済の動きに真剣に取り組むようになりました。それはREIT(リート)=Real Estate Investment Trustと呼ばれるもののうち、日米不動産投資信託を購入してからです。それ以来、日々の世界経済動向が他人事でなくなりました。

 日々、移り変わるREIT投資信託の基準価格はなぜ上下するのか。空室率など理由はいろいろあっても、世界の株価動向と為替レートに関連することが大きいと気づき、日本時間午前5時【米国サマータイム期間のみ】のダウ平均株価及びナスダック指数をいち早くチャートで確認し、ノートに記録するようになったのです。

 それにより4時間後に始まる東京市場の日経平均株価については、素人であっても、前日に比べ上下する予測はある程度できるようになりました。 

 これは世界経済がアメリカ→日本→アジア→インド→ヨーロッパ→再度アメリカへとそれぞれの地域の株価が地球の自転とともに日夜刻々と動いている事実があり、日本人が就寝中に翌日の株価動向が決まっていく感じです。

 その中で日経平均株価は特にアメリカ株価に連動しながら為替レートの影響も受けて推移し、後場になると、上海市場などアジア株の動きを見て上下することもあります。

 就任から半年を経過したオバマ大統領は「われわれは正しい方向に進んでいる」と、「金融安定化策」と「景気刺激策」の効果に自信を示していると伝えられます。

 それを裏付けるかの如く、例えば6月の米国住宅着工件数は58万2千戸で事前予想を大幅に上回り、2カ月連続のプラスと言われます。

 これは初回住宅購入者向けの減税、及び低金利の効果と考えられ、最悪期を脱出の兆しかもしれません。また、今後の動向を示す住宅建設許可件数も2カ月連続で増加と伝えられています。

 一方、米国金融大手3社である「バンク・オブ・アメリカ」、「ゴールドマン・サックス」、「JPモルガン・チェース」はいずれも本年【4~6月期】の決算が黒字となり、2四半期連続の黒字と伝えられます。

 まだまだ予断を許さないでしょうが、果たして、世界経済に大きな影響を持つ米国経済は最悪期を脱出したと言えるのでしょうか。一昨年、米国株価下落の発端となったサブプライムローンという言葉は最近耳にしなくなりました。

 このような経済動向により米国経済回復の期待から次第にドルが買われる可能性が高まり、現在1ユーロ=138円ほどのユーロ高とともに、暫くぶりに円安傾向が期待でき、1ドル=100円ももう直でしょうか。

 こうなれば基準価格が上昇でしょう。私は所有する投資信託の評価額や損益について毎晩自ら計算しノートに記録していますが、1年ぶりで12日には取引信託銀行の窓口に伺い、明細表を受け取ってみるつもりです。Tellerさんよろしくお願いいたします。

 日本でも、先週末発表された7月末雇用統計及び6月の機械受注統計が上昇と伝えられ、少しずつではあるが、明るい兆しが見えるようです。この調子でますます回復に向かい、雇用が促進され、国民が生活しやすい方向へ転換してほしいものです。

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2009年8月 6日 (木)

「音楽の夕べ」で夏の宵を満喫

 群馬県高崎市立倉賀野中学校による恒例の「音楽の夕べ」が8月5日に同校体育館で開かれ、暫くぶりに聴きに伺いました。

 

 今年で丁度50回を数える「音楽の夕べ」は倉賀野中の伝統行事です。第1回から数回は九品寺境内で行っていましたが、体育館の完成とともに校内で行えるようになりました。第1回「音楽の夕べ」における吹奏楽部顧問は倉賀野中学校校歌作曲者である私の姉の利光玉枝でした。

 

 10年ほど前、姉は他界しましたが、校歌はすでに50年以上にわたり歌い継がれています。生前に作曲した作品が半世紀にわたり、生徒さんや卒業生に歌われ続けていることに神秘を感じます。

 

 校歌を作曲してたころの姉は一生懸命だった記憶があります。いつまでも愛されつづける校歌に仕上げるため、幾日もかけて作曲していたようです。

 

 姉の葬儀の折、私はソプラノサキソフォーンにより彼女の生涯唯一の作曲作品である倉賀野中学校校歌を演奏し、御霊に捧げたことがあります。

 

 ところで、「音楽の夕べ」と称する倉賀野中の音楽会は群馬テレビによる取材があり放映されたことがあります。このとき、私はОBとしてたまたま演奏に加わっていましたら、アナウンサーのインタービューを受けました。

 

 一昔前まで、「音楽の夕べは」吹奏楽部による演奏会でしたが、最近は倉賀野町に関係する団体の演奏も加わっています。

 

 第二部では、「コールメリー」倉賀野小PTA母親コーラスです。プログラムは「少年時代」に始まり、アンジェラ・アキの「手紙」などでした。メンバーが6人とピアノ伴奏者のみで少人数ながらも、とても楽しそうで気心の知れた人たちと感じました。

 

 できればもう少し会員が集まり、広く声をかければ歌いたい方は男性も含め結構いるのではないでしょうか。将来は指揮者を入れてのコーラスになり、クラシック作品に挑戦したり、ア・カペラを演奏したりしてレパートリーが膨らめば、一段と魅力ある倉賀野町の貴重なコーラスになる可能性を感じました。

 

 同様に、「はづきの会」による雅楽演奏は予期してなかっただけに驚き、文字通り、雅な音色に感銘しました。倉賀野町で本格的な雅楽が聴ける機会があるとは思ってもいませんでした。

 

 音色を拝聴し、本来、日本人の持つ音楽的心境に十分到達できました。それにしても切れ間のない通奏低音が響く中、管弦・太鼓などによる「越殿楽」は名曲中の名曲だけに、雅楽ならではの厳かな響きに暫しうっとりです。

 

 雰囲気は神社や結婚式でのゆかしい「日本人の心の故郷」そのもの。平素、忘れかけている心の奥底にある美しい響き。なお、メンバーの倉賀野神社・高木神主様には私の家の地鎮祭で大変にお世話様になりました。

 

 「音楽の夕べ」最後は吹奏楽部による華やかなショー的要素を含んだ演奏。中でも「ドリフずっこけ大集合」は会場を爆笑させ、生徒さんたちも心おきなく演技ができ、きっと忘れえぬ思い出の音楽会になったことでしょう。

 

 3年生にとっては、ステージが部活動の卒業式。入学して以来の吹奏楽部の思い出が、脳裏を横切ったのでしょう。その顔は涙でくしゃくしゃ。

 

 顧問教師指導のもと、3年間、音楽に傾けた情熱は大人になってもきっと芸術を愛好し、音楽の楽しさや深さが感じられる人になり、同時に得た「苦労と友情」は人間の幅を大きくしてくれるものと確信します。「音楽の夕べ」がとても楽しめました。 

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2009年8月 3日 (月)

ステージに登場したようなAudi TT Quattro 

 【初めに、ブログ開設以来、本日で記事数が600になりました。これからも幅広いカテゴリーを求め、取材をしっかりして文章に挑戦いたします。今後ともアクセス及びコメントをお願い申し上げます。】

Dscf0135_2  6月27日に納車して以来、走行距離が1300キロになったAudi TT Quattroの運転感覚には次第に慣れつつあります。しかし、コックピット内の計器については未だすべてを把握できてません。特にハンドル後方にあるディスプレイの表示については便利なものがいろいろあります。

 例えば今の燃料であと何キロ走れるかの表示などです。これは遠方に出かけガソリンが減ってきたとき役立つでしょう。エコ運転に徹するためにも数値との競争になり、燃費の向上に役立つ筈です。

 車内は4人乗りでも、後部座席は小さな子どもが乗れる程度で、普段は手荷物を置いたりすることになります。実際にはツーシーターとしてゆったりしてます。運転感覚としては車幅の下方が184cmあるので、ドアミラーにはすべてが映らず、必要な時はミラーの向きを下方に調節し確認してます。

 高速では本線に出たとたん、それほどアクセルを踏み込む感覚がなくても100キロに到達し、それは水を得た魚の如くの状態になります。

 245-40の扁平率が接地安定性をもたらし、加えてイタリア語でクワトロと表現されるフルタイム四輪駆動は、四輪すべてに適切なトルク配分を行い、より高速安定性を確保すると考えられます。本来は時速150Kキロ程のドイツ・アウトバーン走行で真価を発揮することが頷けます。

 ところで、ご覧のように現在、この車専用の車庫を建設中です。屋敷の東に丁度良いスペースがあり、私の家を作った大工さんに依頼し、土台のコンクリートが固まったところです。今朝、久しぶりに真夏の太陽が照りつけたので、一旦水を撒き乾いてから車を入れてみました。

 それはまるでステージに上がった主役のような見栄えになり、このとき直感したのです。この車には「走る道を選んであげるべき」ではないかということです。

 あまり細い道を曲がり曲がり行くのは適さず、遠回りしてでも見通しの良い、広くて路面の良い走りやすい道路を選び、その走る姿をゆったりとPRし前進すべきと感じました。

 2009年度ミスユニバース日本代表にプレゼントされた車なので、道路というステージで外面、内面ともにbrilliancyを表現できたらと思っています。

Dscf0016  自動シャッター付車庫はお盆休みの前に完成予定です。果たして運転席からリモコンでシャッターが開くでしょうか。屋根は本格的なもので、三方の周囲はテラスのような素材を使用し、明るい室内になります。骨組みは木材でプレカットしたものです。

 ところで、今まで使用していた放鳩車ホンダ・アクティーバンは税金が1日11円なので、これからも残しておきます。近くのお使いには威力を発揮するでしょう。一人暮らしのため毎日の食料調達にこの車は便利です。2台あっても運転するのは私一人ですから、原則的にガソリン代は今までと同じです。

 最後になりましたが、ご存じない方に「いいことを一つ」お教えします。タイヤやホイールをきれいに洗うには、とても安くて使いやすいものがあります。

 それはママレモンなど食器を洗う洗剤です。本当にきれいになります。何と言っても1本88円ほどで1本あれば1年使えて、これはお勧めです。

 私はこのことをバスの運転手に教わりました。巨大なタイヤがあまりにもきれいなので、どうしてるのか尋ねたのです。費用の面からも一石二鳥のようです。

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