« 中高年に警笛鳴らすツアー登山ブーム | トップページ | 立秋の榛名湖一周ドライブ by Audi TT Quattro »

2009年8月17日 (月)

倉賀野町の伝統音楽を引き継ぐ少女

 8月16日送り火の日、私の住む群馬県・倉賀野町の閻魔堂では、ご覧のように赤鬼のような顔をした閻魔様がお目見えし、私は「嘘はつきません」とある願いを込め2人分をお賽銭に託しました。

 江戸時代、ここは中山道から分岐し日光例幣使街道への重要な起点であり、県内でも王者の風格を持つ常夜燈(写真下)には、ここに立ち寄った歌舞伎俳優や雷電など江戸時代の有名な力士の名が刻まれてます。通過する旅人はここ倉賀野・閻魔堂で休憩し、道中の守り神であったことが窺えます。

 子どもの頃、閻魔様の顔は恐ろしかった記憶があります。そして、親から「嘘ついたら閻魔様にべろ抜かれる」と言われたものです。お堂の中は10畳ほどの部屋で、倉賀野町の重要文化財と考えられる百万遍の大きな数珠があり、これは見事です。江戸時代から多くの人々に触られたとみえて、茶褐色の数々の木の珠は一つ一つに艶があります。

 畳に座って円陣を組んだ人々は、歌とともに大きな数珠を右回りに回し、数珠の中のひときわ大きな球が自分のところに来ると体の具合の悪い所につけます。私は頭につけました。

 その後、左回りとなり、次の人まで一周し、その人が同様に身体の具合の悪い所につけ、その後は右回りという風に、居合わせた全員が済むまで長いこと回り続けます。回る方向はその都度、逆になっても、同席した人数と回る回数は同じになります。

 古老から回し方を伝えられてるこの数珠による「魔除け」は恐らく江戸時代からの伝承です。それにしても、直径5メートルほどの大きな数珠です。倉賀野の方でもこの数珠の存在をご存じなかったり、体験されてない方々も大勢おられると思われます。今後の祭りの晩に体験できると思います。

 江戸時代も現代も病魔との闘いは同じ。苦しみからどうにかして逃れたいとの切なる願いを閻魔堂の数珠に託したのでしょう。

 ところで、隣の空き地では小さな山車が出て、太鼓をたたいています。閻魔堂のお祭りが近づくと主婦や子供が中心となって練習を重ねているようです。

 中でも驚いたことは、笛を一人の少女がずっと吹き続けているのです。メロディーやリズム、そして、昔ながらのテンポを巧みにマスターし、大勢の人々の前で自信を持って吹いてます。

 この姿を見て地元の古老たちも安心している様子が窺えます。このような伝統音楽は100~200年経過してもほとんど変わらず、時代から時代へと引き継がれていく誠に神秘な感じです。耳から耳へ、指から指へ、世代を超えて伝わり、写真の中の少女も遠い将来、孫やひ孫へ伝えていけると確信しました。

 2年間のインド滞在中、伝統音楽に関心があった私は同様のことを感じました。こちらは弦楽器シタール、ヴィーナなどによるヒンズー音楽。西洋音楽のように楽譜らしきものはなく、長時間の音楽を古老からの演奏を通して聴き覚え、日々の生活の中で継承していたように感じました。

 今や日本中でも祭りには、大きな山車が出て賑わいを見せてます。しかし、これらの山車の歴史的起源はインドではないかとつくづく思ったことがありました。オリッサ州ベンガル湾近くには、太陽神を祀ってある石による巨大なスーリア寺院があり、直径2メートルほどの大きな車輪がいくつも彫刻されてます。寺院全体があたかも動くかのごとくです。

 この寺院近くには海水浴場として有名なプリーの町があります。ここでは日本とほとんど同じ形をした山車が出ます。

 日本と同じ山車はネパール・カトマンズでの祭りでも見ました。山車を通して笛太鼓の祭りの起源を考えるとき、アジアと日本は昔から結びついてると推測できます。

 閻魔堂のお祭一つ見ても文化の伝承という観点から、祭りが昔の倉賀野庶民から現在の倉賀野町民への絆を橋渡しをしているように感じてなりません。

|

« 中高年に警笛鳴らすツアー登山ブーム | トップページ | 立秋の榛名湖一周ドライブ by Audi TT Quattro »

倉賀野のすばらしさ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 中高年に警笛鳴らすツアー登山ブーム | トップページ | 立秋の榛名湖一周ドライブ by Audi TT Quattro »