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2009年10月

2009年10月31日 (土)

最近、飲んでる十種配合「どくだみ茶」で快調

  強烈な臭いのためドクダミと命名され虫もつきません。一般的にあまり好かれない植物ですが、それに引き換え、白い花は可憐で味わいがあります。

 どうしたことか私の庭にはドクダミがはびこってます。植えた覚えはありません。多分、古来から日本に自生してたのでしょう。しかし、扱い方次第では意外と人間の味方になるかもしれません。

 和英辞典によると英語名はありませんで、a foul-smelling plant with heart-shaped leaves used as a medicinal herbと説明のみです。ですからドクダミは古来から薬草としては重宝がられていたようです。

 孤独な一人暮らしはどうしても「健康維持」と「経済安定」のみが日々考えることの中心です。今の私には、この二つを土台にして、着実に自立することが生活の中心となってます。

 本来なら、もっと芸術やレース鳩必勝法に没頭すべきなのです。しかし、日々感じることはピアノ練習や遠方へのレース鳩訓練は基本的に家族の存在とバックアップがなくてはなりません。

 最近、ラッキーだったことは医療機関での内視鏡検査結果について、大腸、十二指腸、食道、胃、そして三D画像による肺について、どこにも「がん」は見つかりませんでした。

 このため、食事については今まで以上に拙い食生活研究と厳格な実践を結びつけた生活にしたいと思ってます。運動は筋肉をつけることと姿勢に気を配り毎日適度に行います。

 20年間、解決しなかった高血圧は今では120台~70台になり、今の食事療法が適しているようです。それはカルシュームや繊維類を豊富にして「食べ過ぎないで種類は多く」が基本と確信してます。

 世界一すばらしい調味料といわれる醤油は減塩ものを卓上に置いてます。脂肪は極力摂取せず、野菜炒めなどではオリーブオイルのみ使用し、他のオイルは使わないです。

 ところで、タイトルのように最近、私は「どくだみ茶」を愛飲してます。感想として胃がすっきりする気がします。私に適してるようです。「ドクダミ茶」と銘打っても実際には10種類もの配合となっており、効果はいっそう良いと想われます。

 それはドクダミ、はと麦、はぶ茶、豆茶、柿の葉、とうもろこし、ウーロン茶、妙玄米、クマザサ、ゴールド麦などで、これだけブレンドしてあればきっと効用はあるでしよう。   ドクダミの効用はいろいろ伝えられてます。日本では古来から薬草として活躍してきたことは確かのようで、子供の頃、栄養不足からでしょうか。足にアカギレができましたが、母はドクダミの葉を煎じて付けてくれました。

 書物によると、ドクダミの効用は便秘解消、利尿作用、血圧降下、蓄膿症、血流促進などといわれます。私は鼻がよくありませんので、調子が改善されるようであれば続けるつもりです。

 テレビのCМで【出すって大切】というユニークなものがありますが、これはかなり健康の本質を衝いてます。

 私たちの健康とは「体内にある不要物をしまっておかず、いかにスムースに体外に排出するか」とも言えるでしょう。どんどん出して常に身軽な内臓にし、代わりに新たな栄養を摂取することが健康につながると考えてます。

 あくまで、医学に素人の私の考えの範囲ですが、多くの事例を見ての判断では、女性の授乳では早めの終了が、また、男性では前立腺です。どちらも本来、自然体で体外に排出すべきものをずっと体内にしまったままでは「害はあっても益はない」でしょう。 

 私は暫く「10種配合ドクダミ茶」を密かに飲み続けるつもりです。  

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2009年10月29日 (木)

懸念される世界的な株安傾向

 秋の深まりと共に、ここ数日間、世界経済は欧米を中心に株安が進んでいます。特に、米国ハイテク関連の指標となるNASDAQは思いもよらぬ連日の下落です。

 10月19日現在、DJIA(ダウ)10092ドルは10日後の昨日9762ドルへと330ドルもの下落、同様にNASDAQは2176と高い指標を示していましたが、昨日は2059へと117ポイントも下がりました。

 これに関連し、東京市場でもハイテク株を中心に幅広い銘柄が売りと伝えられ、3週間ぶりに1万円を割り込み、下げ幅200円を超えて現在9800円台で推移してます。TOPIXも大幅の下落です。経済動向は政権の方針にいち早く連動するようです。

 昨日の国会における代表質問にありましたが、今や世界経済に大きな影響を与える日本です。論評によると、揺るぎない絆で結ばれてきたアメリカ政府もここへ来て不安を隠せず、新政権の方針に戸惑を見せてると伝えられます。

 オバマ大統領の初来日が近づいてます。外交安全における急激な変化は、両国先人の努力によって確立されてきた深い絆を損ないかねません。

 景気に少しずつ明るさを感じ、年末には回復するのではないかとの大方の期待とは裏腹に、今や2番底あるいは3番底がやってくることも懸念されてます。

   国内においては、今や7人に1人が生活に苦しんでる時代といわれ(厚生労働省)、大分以前に経済成長で生まれた「1億総中流」という言葉は今では死語になりました。

 昨今の「勝ち組・負け組」といわれる格差社会は長引く不況でますます拡大し、それは操業停止、生産調整、派遣切りなど働きたくても働けないワーキングプアーという和製英語まで生まれ、現在の経済状態では子供に充分な教育さえ受けさせられない社会構造になっています。一にも二にも景気回復の基盤は雇用創出であり、当面する最重要課題です。

 【今回の世界的株安傾向が一時的なものであるように願わずにはいられません。】

 株価とは急降下が簡単です。それは多くの方々が昨年のリーマン・ショックで経験済みです。それに引き換え、回復には途轍もない時間がかかります。

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2009年10月28日 (水)

柿はイタリアでもKakiと言い、英語ではPersimmon

 「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」(正岡子規)

 柿は奈良時代ころ中国から仏教を介して日本に伝来したと考えられ、今では多くの家庭に改良種が植えてあります。今の時季、柿は赤くなり、そろそろ食べごろですね。

 本場の中国でも柿と書くようです。しかし、発音はシーで、柿の実は柿子と書き、発音はシーズです。

 私の1羽の鳩が迷って中国内モンゴルへ飛んで行き保護されていたとき、会いに行った私は柿沼ですから、現地ではシーツァオと呼ばれました。 

 また、英語では柿のことをPersimmonといい、ご覧の通り、このブログのタイトルもPersimmon Marsh Loftとしてあります。これは私の苗字をタイトルにしたからです。Marshは沼でLoftは鳩舎です。

 調べてみましたら、おもしろいことにイタリアでも柿のことをkakiというようです。中国が原産地であっても、何らかの理由で日本の影響があったのでしょうか。柿という日本語がイタリアでも使われてるとは不思議なことです。

 私には2人の娘がいますが、庭になってても2人とも子供の頃から、柿を好んで食べた記憶がありません。多分、他においしいものがあったから魅力を感じなかったのでしょうか。本来なら苗字からしても柿を好んでいい筈ですが、次女のMarie Persimmon Marshは今でもあまり食べたがりません。彼女は只今、広島旅行の帰りの途中で新幹線に乗っています。多分、静岡近辺です。

 折角、庭には今は亡き彼女のおじいさんが植えたのですから、もう少し年齢が高くなればその意味も分かり、大切にしたり好きになるのではないかと密かに期待してます。

 というのは、柿は意外と健康食らしく、昔は「柿が赤くなれば医者が青くなる。」というユーモラスな諺があったようです。

 一般的に年配の方は好きのようです。私はそれほど年配ではありませんが、子供の頃お腹がすいていたのか、内緒で庭の柿をよくもいで食べたものです。今でも好物の一つです。

 調べてみると、柿の含有物はビタミンA、ビタミンC、タンニン、カリウムなどで、それぞれ薬効があり、健康増進にはいいようです。

 先日104才という超ご高齢の女性がテレビで取り上げられていました。彼女はずいぶんサラダや果物を召し上がるようで、今でも職場まで歩いて行き、商売をしておられました。料理をはじめ、身の回りことは全てご自身でなさり、人を頼らない精神力と逞しい「生きる力」が感じられました。何と、彼女は柿が好きだというのです。

 もしかして、柿は長寿にプラスするのでしょうか。一般的に、含まれてるタンニンは血管を丈夫にし脳卒中を防ぎ、カリウムは利尿作用により血圧降下に効き、ビタミンCは風邪予防に良いと考えられています。

 柿は二日酔いにも効くとのことですが、私はもう20年以上も二日酔いにご無沙汰ですから、この効用は要りません。甘いことと身体が冷えるとのことなので食べ過ぎは避けましょう。

 柿の実は1年おきといわれますが、私の家では毎年なってます。これからの季節、野鳥との生存競争に負けないようにし、柿の恩恵に浴したいです。

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2009年10月26日 (月)

掘り炬燵にあたって膝を温める

 秋も深まり寒くなってきたので、私は早めに掘り炬燵を組み立て、室内での生活を正座を要しない和室中心に切り替えました。

 近年、日本人の生活様式は次第に欧米化し、その結果、畳の部屋で過ごすことが少なくなり、フローリングでの椅子の生活に変わりました。このことは膝のために理想的と思います。今では正座は膝に悪いとされてます。

 昔のように「ちゃぶ台」を囲み家族揃って食事することはないでしょう。新築に際しても、畳の部屋は設計の段階から少なくなり、一般住宅において畳屋さんへの注文は激減のようです。

 しかし、私は畳の部屋にいると心が落ち着きます。近年、新築した折、畳の部屋を2部屋作り、2部屋続きにしました。

  膝への思いやりさえ工夫すれば、日本人なら、やはり畳でしょう。

 一方、地方にあっても生活様式は都会化し、冷暖房については部屋全体の温度を調節する仕組みが多くなりました。

 現代において、掘り炬燵がある家はどれほど存在するでしょうか。皆で暖まった昔の家族団欒が懐かしく思い出され、いつかその雰囲気を蘇らせたい気持ちです。

 ところで、現代人の多くは還暦前後からLocomotive syndromeに悩まされているように見受けられ、整形外科の待合室には多くの高齢者が診察の順番を待っておられます。

 Locomotive syndromeとは足腰の具合がままならない状態になり、次第に自身の力で身体の移動が困難になってくることを指すようです。私たちはいろいろ工夫し、事前にこれを防止しなければなりません。

 その第一は膝でしょう。膝が痛くなると歩行が億劫になったり、運動を手控えるようになりがちです。

 以前にブログに書きましたが、私は最近、運動不足解消のため週に一回ほどプールへ通うようになりました。有酸素運動であり、全身の筋肉を鍛えるには良いと思ったからです。温水プールですから一年中泳げます。水中歩行は悪い膝の回復に効果があると聞きました。私はクロールや平泳ぎを休み休みで1時間ほど泳ぎます。

 ある日、プールを終了してから近くの土手を散歩してましたら、突如、左の膝がガクンとなり、すごく痛くて、どうしたのだろうと不安になりました。歩く方向を変えたりするとガクンとくるのです。いよいよ年かなと寂しくなりました。今まで膝が痛いことはなかったです。

 一人暮らしは家に帰っても介抱してくれる人はいないし、内心、弱気になりました。

 プールは膝に良いと聞いてたのに、どうして痛くなったのだろうと数日考え続けました。

 私は医師ではありませんが、その結果、二つのことに思い当ったのです。

 膝というのは「冷やすことが最もいけない」ようです。ですから、最近のように季節が寒くなると痛くなる人が増えるようです。いくら温水プールであっても温泉に比較したら17度ほど低いです。このため、一時間も泳いでいたら膝を冷やしてしまうと直感したのです。膝のためには逆に患部を温めるべきと悟りました。

 一方、カエルのように蹴る平泳ぎは膝へ不自然な力が加わるので、もしかして、膝のために悪い泳法ではないかと感じました。  人間はカエルの真似をしない方がいいようです。折角、若い時から得意であった平泳ぎも、膝のためには止した方が賢明と思うようになりました。

 この観点からすると平素の生活でも、部屋全体を暖める現代的暖房システムより、昔の掘り炬燵は膝をよく温め、とても有益と思います。

 88歳で他界した両親から生前、膝が痛いと聞いたことは一度もありません。2人とも老後は時間があれば掘り炬燵にあたってお茶を飲みながら話をしていました。今思うに、下半身全体を温めるので、膝のために効果的な設備だったのでしょう。

 掘り炬燵は祖先から子孫へ伝わった日本の素晴らしい遺産です。お陰で痛かった膝は回復してます。

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2009年10月24日 (土)

より大きな夢に近づいてる上武大駅伝部

 「群馬から箱根へ」の大きな夢は昨年度、創部5年目にして上武大学駅伝部が見事に達成されました。多くの県民にとって箱根駅伝がより身近なものになり、地元の大学への声援に力が入りました。

 先日、来年1月2日、3日に行われる本大会のための予選会が昭和記念公園20キロコースで行われ、47大学により11枚の切符を目指す壮絶な戦いが繰り広げられました。

 その中にあって、群馬県の上武大学は目標タイムを10人がクリアーするという見事な快走をみせ、結果的に2年連続して3位通過を成遂げ、本大会2度目の出場権を手にしました。このことは県民の一人として、また、以前に大学に関係していた一人として大きな喜びです。

 予選会20キロにおける上武大選手の目標タイムは1時間1分台といわれます。それを上位10人が全員クリアーしたといわれ、合計タイムは10時間8分55秒となり、昨年の10時間15分47秒に比較して6分52秒も短縮となり、予想を上回るタイムに花田監督も驚いた程と伝えられます。これは距離にして2000m程の短縮です。

 その中にあって、上位10人中3人が1年生であったといわれ、チームの総合力に厚みが出てきたことは将来的にますます楽しみといえそうです。

 本大会は前回総合優勝の東洋大などシード校8校に今回予選を通過した11校、そして関東学連選抜が加わり、合計20チームで大舞台のスタートが切られます。

 本大会まであと70日丁度。上武大学にとって予選会突破は通過点になりました。本大会に向け、予定通り的確な鍛錬が続けられますよう、インフルエンザが猛威をふるう中、基本的な健康管理もお願いします。

 世の中、政権が変わったり、群馬県では八ッ場ダム建設中止という今までにない大きな問題に地元住民は、またもや翻弄され続けどうなるか分からない現況です。経済も一向に明るさが見えません。ぜひ、上武大学駅伝部の活躍で県民の心を明るくしてください。

 シード校すべてが必ずしも昨年の実力を保持しているとは言い切れないことを勘案すると、予選会での合計タイムが昨年より6分52秒も短縮したことは、夢の舞台ではシード権獲得も視野に入り、より大きな夢に近づいてるように感じています。 

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2009年10月22日 (木)

インドでは椅子のことを苦しいといい、臍のことは無いという

 学校を卒業すると同時に赴任したカルカッタ日本人学校時代の思い出はたくさんあり、今でも一日としてインドでの生活を忘れたことはありません。初めて両親から離れての生活は、まず食べ物が全く異なり、特に生水を直接飲めないことが不便でした。

 4月の日本はまだ寒くてもカルカッタはすでに真夏で、気温は1日のうちで午前11時が最高となり摂氏42°程です。この温度では運動した後のように脈が速く打ちました。

 暑い生活にやっと慣れてきたら5月いっぱい夏休みでこれは助かりました。生活の違いで最も大きいことは暑いことと、四六時中、耳に入る言葉はベンガル語やヒンディー語、そして英語です。ベンガル語とヒンディー語は異なっる言語であっても、共通してる言葉が多いようです。私はなるべくインドの共通語であるヒンディー語を覚えるようにしました。

 当時、日本の書店ではヒンディー語の入門書は見当たらず、全くチンプンカンプンの状態で渡印し、毎日インドの方々に接していましたが、初めて彼らから覚えた言葉はガラムでした。さて、何のことでしょう。そのために必要なものはパニーでした。何でしょう。

 本日は当時、現地で覚えたヒンディー語の単語を中心に思い出してみます。

   前述のガラムは暑いということです。「今日は大変暑いです。」はアッジ・ポート・ガラム・ハイです。アッジは今日、ポートは大変、ハイは「です」ということ。語順は英語や中国語と異なり日本語と似てます。

 パニーも毎日よく使いました。つまり暑いので飲む水のことです。「これは飲み水ですか。」はイスカ・ピネカ・パニーです。イスカは「この」という意味です。ピネカは飲めるいうことです。

 タイトルの言葉を初めて聞いた時は笑いました。座って楽な椅子が苦しいなんて何とおかしなことでしょう。「この名前は椅子です。」はイスカ・ナーム・クルシイと変わった言い方になります。ナームは名前です。

 また良く使った言葉に「イエ・キア・ハイ」で、これは何ですか。ということです。これによってこちらから質問し、いろいろ言葉を覚えたこともあります。有難うはダンニャバードでよく使いました。

 もしかして使わない日がなかった言葉はアッチャーです。これは「よい」ということで大変便利でした。アップ・アッチャー・ハイといえば「あなたはお元気ですか。」です。アップはあなたです。良くないことは何事もアッチャ・ネイで済みます。否定はネイです。「あなたの名前は何ですか。」はアップカ・ナーム・キアハイです。ハムラ・ナームは私の名前は~です。

 イエ・ケトゥナ・パイサは「これはいくらですか。」です。アビ・ケトナ・ダンは「今何時ですか。」です。

 男性のいる所で「ウダル・セ・ボート・アッチャー・ラルキー・アーターハイ」というと全員がすぐに遠くを見ます。ウダルはむこう、セはから、ボート・アッチャー・ラルキーは大変きれいな女性で、アーター・ハイは来ます。

 女性の前ではラルキーをラルカーにすれば、女性もやはりそちらをすぐ見るのですから、どの国の方も格好いい異性に興味があるのは同じですね。

 アップ・ジャンターハイ(あなたは知ってますか。)、ハム・ネイジャンター(私は知らない。)

 ウダル・セ・カタムホギャ・アーター・ハイもインドならではの光景で、「あちらから亡くなった人が来ます。」でカタムホギャは死人です。目抜き通りを担架に乗せられて来ます。化粧して赤く塗ったりした顔が直接見えるのです。

 その他良く使った言葉はカーナ(食事)、タラ(星)、イタ(石)、シャボン(石鹸)、クッタ(犬)、ビッリ(猫)、タンダー(寒い)、ナヤ(新しい)、ラースタ(道)、ケッラ(バナナ)、アーム(リンゴ)、タルボジャ(スイカ)、マチ(魚)、ハワイ(風)、カウア(カラス)、ランマー(遠い)。チョータ(短い、小さい)、ムータワラ(太った人)、ビビジ(妻)、チョータワラ(子供、小さい人)、バッドゥブー(汚いもの)、カラー(黒い)、アーグ(火、火事)、チャビ(鍵)、トラトラ(少しだけ)、アビ(今)、ムーン(顔)、アーク(目)、カーン(耳)、ハントゥ(手)、パオーン(足)、ムーク(くち)、ナイ(へそ)、バハルテ(インド)、チッティー(手紙)、ホギャ(終わり)

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2009年10月20日 (火)

日本のポンペイ「黒井峯遺跡」25Kから個人訓練

2977   まるで、映画The sound of musicの舞台のように、眺望満点のここは日本のポンペイと呼ばれている群馬県・黒井峯遺跡です。今朝、ここからPersimmon Marsh Loftの俊鳩(?)たち69羽が6時50分に訓練として飛び立ちました。

 前回の訓練地である「大間々高台」とは距離25Kは同じであっても、扇型に60°西方向に開きがあり、ここは殆ど日本の真ん中といわれる地点です。

 この下には6世紀の村がそのままの姿で現在も埋没しているのです。写真の遠望は榛名山です。大きな峰が二つ見えますが、左側が水沢山で鳩友アルカディアさんが105回ほど登頂された彼のお気に入りの山岳です。右側に聳える二つの峰が岩石だらけの「二つ岳」です。

 この「二つ岳」が六世紀後半に大噴火し、軽石がここ黒井峯まで推定10Kほど飛び、ここ一帯を覆いました。今でも約2mの厚さで一つの集落全体を埋没させています。

 近年、集落の一部が発掘され、当時の生活様式が1500年ぶりに日の目を見たのですが、本格的な全容解明は未来に託し、現在はこのように一面なだらかな別天地のようになってます。空気はおいしく1年を通じて、お弁当を持ってピクニックするには恰好のスポットでお薦めです。

 写真はほんの一部ですが、広さは「東京ドーム」5個ぐらいと推定できます。大昔の人々は水害のない、猛獣の来ない、太陽が燦々と輝き、田畑を耕せ、あるいは小動物を飼育し、この地を終の棲家として選んだのでしょう。

 ところが、昔からこの世は得てして想定外。思いもよらぬ榛名山・二つ岳の大噴火により、村は全滅したのです。当時の人々にとって、大自然の怒りにより古里が全滅される思いは如何ほどであったか想像を絶します。天より降り続ける熱い噴火物から逃げ惑う村人たちの最後の日が目に浮かびます。

Dscf0189  写真はカメラを北側に向けて撮影したもので、後方はその名も「子持山」です。すでに2回登りました。大自然の脅威をまともに受けたここ黒井峯遺跡に佇むと、大噴火で子供を亡くした当時の人々の思いが、後方に守り神のように聳える山を「子持山」と呼んだのではないかと、命名した昔の人々の気持が偲ばれます。

 ところで、家を今朝5時過ぎに出発、関越自動車道経由で来ました。今春、生を受けた若鳩69羽が入った籠を日の出前の6時頃からご覧のように並べ、黒井峯遺跡の広大な景色を眺めさせていました。10分もすると飛び立ちたくて籠の隙間から首を出してキョロキョロ出してる鳩もいます。

   太陽が東の雲間から顔を出した瞬間、6時50分一斉に放しました。鳩たちの勢いは逞しいです。周囲に障害物もなく、ぐんぐん高度を上げます。

 しかし、何と方向が少し西に傾き、噴火した二つ岳の方向へ進んでいます。そちらは猛禽類が生息してる可能性が大で危険です。私としてはもうどうにもなりません。しかも、そこはアルカディア鳩舎の上空です。多分、彼はアメリカ・ゴルフツアーの思い出をご自身の掲示板に書き込んでいる時間と想われます。私はひたすら、鳩たちの方向判定の正確さを信頼するのみで、籠を車に収納したころは集団が全く視界から消え不安な気持ちで帰路につきました。

 帰宅して驚いたことに、案の定、一羽も帰還してません。「しまった!」放鳩の判断ミスかと自責の念に駆られました。それでも帰還を祈り、今か今かと空を眺めているうちに5~6羽が舞い戻りました。やはり、途中で何か突発的なことがあったようでバラバラになったようです。二番手が続きません。「これは参った」です。

 その後、15分ほどでして2羽のみやっと飛来し、私の心はますます動揺です。バラバラでも多くが帰還したのは9時頃で、それは放鳩後2時間以上も経過してました。

 それでも、これは若鳩たちにとって生まれて初めて「方向感覚の陶冶につながった」と考えることにしました。苦労して帰還することにより、頑張れば必ず巣に戻れることが勉強できた筈です。天気も味方し、夕方までには殆どが帰還し、飼い主にとってもハラハラドキドキの1日が終わりました。

 夕刻には先日、岐阜の香山さんから頂いた麦焼酎を一人寂しく飲み、黒井峯遺跡の放鳩シーンを思い出していましたら、珍しく娘のMarie Persimmon Marshがひょっこり来ました。鳩はなかなか帰還しなくても、娘は思いもよらぬとき突然現れ、私の心は満ち足りました。

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2009年10月18日 (日)

オランダのSam de Jong鳩舎作出鳩導入のため ドイツ車Audi TTで往復800K高速を走る

P1020227  近年、オランダの長距離レース鳩に惹かれいる私は昨日、アウディーTTクワトロ黄色で上信越道、長野道、中央高速、東名高速、名神高速を乗り継ぎ、岐阜県在住のFragrant Mountain鳩舎まで片道400Kを走破し、念願のSam de Jong鳩舎作出鳩の導入ができました。

 この鳩は本日から私の鳩舎で生活し、オランダの銘血を子孫に再現すべく、生まれ故郷から遥か離れた日本のPersimmon Marsh Loftでこれから生涯を暮らすことになりました。

 毎日一人暮らしの私は家族のような気持で迎え、この貴重なレース鳩の血統を蘇らせたいと心を新たにしています。

 確かなことは不明ですが、現在、日本で新たにSam de Jong鳩舎作出鳩を入手することは至難の業かもしれません。

Dscf0478  写真の鳩が今回の鳩で2007年生まれの雌NL07-1694624です。Fragrant Mountainさんがオランダで開催されたレース鳩オークションで競り落とされました。

 俊鳩輩出で有名なニコ・フォルケンス鳩舎の作翔であるスーパーイヤリング号【仏モントバーンN994キロ5711羽中、若で総合優勝及びボルドーN954キロ10033羽中、若で44位】の両親もSam de Jong鳩舎作出鳩であることから、フォルケンス鳩舎とSam de Jong鳩舎との血統交流は1000Kを目標として以前から成されているようです。

 一方、オランダ北部に位置するプロンク鳩舎も同様で、同鳩舎作翔・現在Persimmon Marsh鳩舎の代表種鳩スチール号【モントバーン1022K5796羽中総合優勝・翌朝午前3時34分到着】の父鳩もニコ・フォルケンス鳩舎による作翔鳩です。ニコ・フォルケンス鳩舎の血統書を遡るとSam de Jongであることが分かります。

080 【オークションの一覧表より】

 このようなことから私はSam de Jong鳩舎作出鳩導入は念願だったのです。本日、Fragrant Mountainさんのお陰で希望が叶い、来春以降の作出が楽しみになってます。

 レース鳩は「優れた血統と飼育者による創造的な管理」により帰巣本能が研ぎ澄まされ、内に秘めた才能が開花すると考えられます。飼育者は日々、人の考え付かないような創意と弛まぬ実践で、遠方からより速く帰還という可能性を見出さなくてはなりません。

 その点、数回お目にかかり、前人未到クラウン賞3回受賞された茨城・高塚鳩舎の飼育方針は思いもよらぬ高い次元と感じてます。このような創造的管理に一歩でも近づきたいものです。

 ところで、このAudi TT Quattro黄色の写真の助手席は彼女でなく、Sam de Jongの鳩が乗ってます。まるで鳩が恋人か、と言われそうです。これではいけないことは分かってます。

 走行距離4000キロほどになり、調子はいいと感じてます。中央高速は南下するほど、山岳地帯で急カーブが多く、高低差もあり、スピードがあればある程、車体に働く遠心力は強力でした。

 直線道路ではそれほど危険を感じませんが、カーブでのスピードは厳禁です。車である前に強力に外側に引っ張られる物体と化します。

 それから、基本はキープレフトです。前の車が遅すぎて、どうしても追い抜く場合は決してカーブでなく、直線道路で行うべきです。カーブでの大型トレーラーの横転は度々ニュースで繰り返されます。重量の関係から物凄い遠心力が働きますが、普通乗用車も理屈は同じです。

 昨日も本日も休憩を含み5時間ほど運転し頑張りましたが、こんな長距離を乗っても、両日とも高速料金・土日1000円は誠に助かりました。しかも、往復とも渋滞ゼロのおまけ付でした。

  ところで、Fragrant Mountainさんには1日目の晩に近くの温泉に連れてって頂き、心ゆくまで鳩談義ができました。特に「レース鳩の鍛え方」については実践から導かれた独自の理論を展開され、意義深く拝聴できました。私もかくあるべきと今後の管理に役立てます。また、今回の訪問に関し奥様ともども歓迎していただき衷心より感謝申し上げます。

【注:文中のFragrant Mountain鳩舎は岐阜県の香山鳩舎です。】 

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2009年10月16日 (金)

大間々の高台から距離25Kの個人訓練

 4日ほど前、来春用の鳩について12Kを訓練したばかりですが、すぐ帰還したので鳩たちに疲労は見られず、今回、距離を2倍に伸ばし、有名な渡良瀬渓谷の始点である大間々町近くの山頂から個人訓練しました。写真の通り、ここは下方に見える街並みより200mほどの高台です。

 この高台は周囲が広がり景色が良く、放鳩地として私のお気に入りです。今までここから20回ほど個人訓練をしましたが、猛禽類の出没は一度もありません。また、他の鳩舎の訓練と出会ったこともない秘密の場所です。急斜面の細い道を登るには4輪駆動のアクティーバンが活躍、大自然の中で放鳩時刻まで鳩との時間を持ちました。

 最近では薄暗くなった5時に家を出発し現地へ到着したのは6時。山を登る途中は横揺れで多少疲れていると考え、休憩させなくてはなりません。6個の籠を帰還地方面に向けて並べました。放鳩予定時刻の6時30分までは鳩たちには休憩させ周囲の景色を良く見させておきました。 

 辺りは次第に明るくなり、上空は晴れていても早朝のためか、遠くの景色はもやがかかり、帰還地の倉賀野方面は見えません。今までの体験ではこのように上空が晴れていれば、方向判定にさほど問題はないと感じます。私はNHKのラジオを聞きながら写真を撮ったりして、冷えた空気に深まる秋を感じ放鳩まで待ちました。

 いよいよ6時30分。上空を見回しても猛禽類の姿は確認できません。ラジオ体操の音楽に合わせて70羽を一斉に放鳩。

 放鳩後の鳩たちにとって、見知らぬ土地での方向判定は頭を使う時間です。集団は左右にオーバーロールしながら西南の空を目指しているようです。不思議にも反対方向へ向う気配は全くありません。次第に高く舞い上がり、視界からどんどん小さくなります。

 落ちこぼれて単独飛行してる姿は1羽も見られません。猛禽類に対するレース鳩の習性でしょうか、集団は一つにまとまり、ますます小さくなって視界から消えました。私は籠を素早く終い、一路、我が家へ鳩との競争です。もちろん敵う筈はありません。

 鳩たちの到着は6時50分と予想してます。このようなとき、一人暮らしは誠に辛いもの。昔は鳩が到着するとすぐ、帰路についてる私にそれを知らせる携帯が鳴り、ホッとしたものです。

 最近はそれがなく、愛鳩を信じても無事に向かっているか、ひたすら気がかりで運転はどうしてもスピードが増しがちです。

 私が家に着いたのは8時近く。すでに鳩舎内に入ってるものや余裕で母屋の屋根で遊んでいるものも多かったです。見たところ疲れてる様子はありません。

 今後は暫くして群馬で有名な「黒井峯遺跡」からの訓練を予定してます。ここは6世紀に起きた榛名山系・二ツ岳による噴火で今でも1つの集落が埋没してるところです。昔の人々は見晴らし最高の場所で生活していたものです。同じ群馬県に位置する浅間山近くの鎌原村と同様、ここも日本のポンペイです。

 標高約400メートル、距離は同じく25Kほどですが、ここは大間々とは方向が60°異なり北西に位置します。

 つまり、鳩舎位置と「黒井峯遺跡」そして今回の「大間々」を線で結ぶと1辺が25Kmの正三角形になります。レース鳩の訓練は同じ方向のみ距離を延ばすのではなく、高い位置から扇型に行うと方向判定の陶冶になると思っています。    

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2009年10月13日 (火)

就寝中に作られ、日中に溶ける私たちの骨

 経済を専攻した人は僅かでしょう。しかし、現実に経済社会の中で生きるには、どなたにとっても経済動向は切っても切り離せない大切なことです。専門家でなくても私たちは経済の動きを素早く捉えることが必要です。

 今や情報化社会です。情報は世界同時に流れるため、証券マンや銀行マンなど経済の専門家に限らず、一般の人でも世界の経済動向を素早くキャッチできる時代です。

 経済と同様に、すべての人は医学を専攻したわけでありません。しかし、生命に関わる点から、どなたでも健康維持においてはプロでなくてはならないのです。

 老化は40代頃より始まるといわれ、私たちはこれをできるだけ遅らせる工夫や、近年叫ばれてるMetabolic syndromeやLocomotive syndromeは、その多くが生活習慣に関係すると認識し、何気ない「自らの欲求に任せた生活」を見直し、健康は自らの抑制や、自ら多面的に工夫し改善するという気迫を持ちたいものです。

 一般的な老化現象は、まず姿勢に現れる気がしてなりません。私たちは日々、無意識のうちに楽な姿勢をとリがちで、特に背中に緊張感がなくなるようです。

 それは医学的には、肉体を支える肝心要の骨の量が少なくなったり、それに比例して筋肉の量も減少していると考えられます。見落としがちな骨の量が充分あってこそ若々しい姿勢が維持できると考えられます。

 ところで、私たちの体内では同じ骨がずっと使われるのではなく、古い骨は毎日少しずつ溶けて、新たな骨に交代してるといわれます。使われた骨は日中に溶け出し、夜中の就寝中に新たな骨が生成されてるといわれます。ほんの少しずつであっても、昼夜これが繰り返されてるのです。

 このため、私たちは新たな骨の源となるものを摂取すべきでしょう。ご存じの通り、骨を作る代表格はカルシュームといわれてます。

 カルシュームを多く含むものは牛乳ですから、少なくても一日にコップ一杯は飲みたいですね。小松菜、チーズ、シシャモなどもカルシュームが多く含まれると分析されてます。食物成分表にはすべての食品について、その栄養素と含有量が記されていますから参考にすると勉強になります。

 日々、カルシュームの摂取に努めるとともに「食べ物の量は少なく、種類は多く」を原則とし、栄養バランスの良い食生活を取り入れたいものです。   また、骨の生成については、ある程度、骨に負担をかけることが効果的といわれ、日々、無理ない程度に肉体労働を取り入れるといいと思います。

 例えば、ダンベル体操、温水プールでの水泳、里山の散策、サイクリング、ウォーキングなど自分に合った運動がいいでしょう。また、仕事を通じてうまく実践できれば一石二鳥です。目標に向かって続ける【骨太の意思】こそ不可欠でしょう。

 一方、自身の姿勢を見直すには【全身を映せる大きな鏡が教師】になります。内臓と同様、自身のことを最も知らぬのは自身であることを肝に銘じ、客観的に自分の姿が見られるといいと思います。骨粗鬆症は正しい食生活と、ある程度、骨に負担をかける運動を取り入れ未然に防ぎたいものです。

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2009年10月11日 (日)

直線上を飛翔するレース鳩をめざして訓練

 赤城山麓に近く前橋東高校の東に広がる田んぼ距離約13キロで、来春のレース参加予定鳩70羽を今朝訓練しました。天気は快晴、最近にはない絶好の訓練日和です。昨晩のうちに天気予報を見て実施を決断、夜のうちに鳩舎の前に6個の放鳩籠を用意しておきました。

 今朝、5時に起床。東に「明けの明星」がひときわ明るく輝き、辺りがまだ薄暗いうちに2階の鳩舎内にいる鳩たちを籠に詰めましたが、70羽の鳩を捕まえるのは一仕事です。

 薄暗い中で鳩を詰めたり、その6籠を放鳩車のホンダ・アクティーバンに積載するには約30分かかりました。鳩を詰めた1籠の重さは10Kgほどでしょうか。何度も階段を上り下りし、駐車場が離れているので、日の出前からいい運動です。誰に褒められるわけでもなく、ひたすら北海道からの長距離レースでの勝利を夢見て黙々と頑張っているのです。

 四輪駆動のホンダ・アクティーバンは悪路もなんのその。放鳩籠を最大12個積め、放鳩車として適してます。このため山に行っての訓練も威力を発揮。軽自動車のバンため税金は1日たった11円。内緒ですが、高速では100キロ以上出ます。これからも私の友として、いろいろに活躍してくれるでしょう。

 現地に到着したのは5時50分。鳩たちには暫く周囲の景色を眺めさせ、その間、私はデジカメで上記の写真を撮ったり、ラジオを聞いたりしてました。

 天気が良いためでしょう。放鳩籠内の鳩は早く飛び出したいようで元気がいいです。私は上空に猛禽類が飛来してないことをよく確認し、予定より早く6時15分に放しました。

 今回は籠の扉を開くや否や、躊躇することなく一斉に飛び立ちました。前回は初めてだったので、籠の扉を開けても、外で歩いていたり、籠から出ない鳩もいました。2度目となると鳩も前回のことを思い出し、【籠に入れられて車で運ばれれば必ず放鳩されることを学習してるのでしょう。】

 写真は私の家がある高崎市倉賀野町方面です。ご覧のようによく晴れわたっており、鳩の見る景色は文字通り鳥瞰図で、ヘリコプターのコックピットに乗ってるようでしょう。鳩たちの集団は次第に小さくなり、正しい方向判定で帰還地方面へ消えました。

 実は最近、当舎の近くにも猛禽類がたびたび出没し、鳩たちは怖がって日々の舎外運動で飛びたがらず、鳩舎から出なかったり、すぐに舞い戻ったりしていたのです。このため、このままではうまくなく、今後のことを考え訓練の必要性を考え今朝実行したのです。

  私が訓練地から帰るとご覧のように、鳩たちは私に対して「遅かったね。」とでもいうような顔をしてすでに到着してました。快晴だったので寄り道せず帰還したと想われます。

 私は常々鳩レースでは、鳩に放鳩地と帰還地の直線上をいかに飛ばせるかが、ポイントではないかと考えています。本当に優れた鳩は翼や目を見てスピードバードということも言えるでしょうが、鳩レースは人間のマラソンや、競走馬のレースと異なり、競争する前に大切なことがあるのです。

 それは目的地の方向を見定めることです。その後、いかに最短で飛ぶかです。これにより迂回したいわゆるスピードバードより計算上、分速が高くなるのです。

 スピードバードは生まれつき持ってる素晴らしい羽根や肉質。直線上を飛ぶ鳩は先天的血統、及び後天的な訓練でしょう。後天的な訓練は鳩自身にはどうにもできず、飼い主の責務です。

 欧州と異なり、山また山の日本の地形では、平野での訓練のみでは分速が上がらず、勝利のため、山岳の高い位置からの訓練は意外と効果があり、ある意味で飼い主は秘密で個人訓練地の確保ということになります。

 私が発見した山岳訓練地で成果を上げたことがある場所は沼田スプリングゴルフ場で距離約50キロです。ここは北海道の放鳩地から直線上にあり、海抜1000メートル程です。近くに森はなく比較的広大で放鳩地として適してる環境です。

  海抜の高い位置から訓練すると驚くほどのスピードで帰還することを経験しました。これは帰還方向を見定めやすいのでしょう。これからも山岳で景色が開け、比較的猛禽の少ない訓練地を開拓し、【繰り返し高度ある飛翔を学習】させたいです。果たしてレースでPersimmon Marsh loftの鳩たちは夢の直線上を飛ぶでしょうか。

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2009年10月 8日 (木)

明るさが見え始めていた経済が失速か

 ダウ平均株価で見るアメリカ経済は1万ドルを射程内にしたかの如く上昇機運です。一方、日本経済は為替レートが88円台、6月の98円台から約10円もの円高です。最近、Topixは100ポイント近くの下落です。

 3月10日と比較して、日経平均は8月26日の10639円を最高に約3500円も上昇しました。それが現在では10000円を割り、9700~9800円台への下落です。

 明るさが見え始めていたのに、ここへ来てこれ程の下落は一体どういうことでしょう。原因はいろいろあるでしょうが、「政権交代とは無関係」と言い切れるでしょうか。

 ニュースによると、前政権が本年度の1次補正予算で設けた「地域活性化や経済危機対策」を目的とした都道府県や市町村への交付金が、新政権の「例外なき見直し」により削減される可能性がでてきたとのことです。

 例えば、本市では交付金が削減された場合、建設以来50年も経過し老朽化した文化の殿堂「群馬音楽センター」の補修や、市民に人気の高い「みさと芝桜公園」の整備などの予算執行が停止し、市民の要望に応じた各種事業が実施できずにいるのです。

 予算執行ができずにいるは全国の都道府県や市町村の自治体で起きており、現在は担当大臣の結論を待っている状態で、自治体の担当者は成り行きに気をもんでいるといわれます。

 1次補正予算はどんな予算も「例外なく見直しの対象」といわれ、各自治体は業者への発注ができずにいるのです。

 このようなことは日本経済にとって大きなマイナス要因となり、丁度10月1日に10000円を割った株価低迷はそれを裏付けてるようです。

 自治体が業者へ発注ができずにいるのでは、厳しい雇用情勢にある地域経済はますます悪化です。予算の執行停止を余儀なくされてる地方自治体は今までにない国政との「ねじれ」に困惑です。

 国内の政治情勢は長く続いた政権から、一夜にして勝利を手にした新政権です。しかし、難問は大きく二つ。子供手当など誰でも飛びつくような政策を遂行するための財源確保です。また、肝心要の外交防衛政策では国民の不安を解消できてるとはいえないでしょう。孫子の未来が危険な日本であっては絶対になりません。

 ところで、昨今は定年退職などを機に、熟年離婚が増加傾向と聞きます。長く連れ添った夫婦がある日を境にして、突如、今までとは全く別の生き方になるのです。新世界へ出発です。

 しかし、希望を持って一歩を踏み出た解放感は束の間。一人荒海に投げ出された如くで、まず経済に不安がジワジワ忍び寄り、今より年取る自分を守る人がいなくなる状況は否めないでしょう。

 「別れれば、きっと何かが変わるという漠然たる期待」は船出してみて「抱いていた希望や憧れは得てして失望に変わる」という儚さを併せ持っていることもあります。今の政情はこれに似ているように感じてなりません。

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2009年10月 5日 (月)

自覚症状のないうちがチャンス。

 6月に近くの道又内科クリニックで内視鏡による胃検診を行い、先日はCTスキャンを使った輪切りの3D画像で胸部を検診し、両方とも女医さんによる診断で病変がないことが分り、一安心というところです。

 明日は1年半年ぶりに大腸の内視鏡検査を予定してます。このため、本日は前日なので検査用食事となり、3食ともお粥状の決められた食事を摂ってます。量が少なくお腹いっぱいにはなりませんが、大切な検査のため、たまには仕方ないことです。

 私は今まで10回ほど大腸の内視鏡検査を受け大分慣れました。時には小さなポリープが見つかったこともあり、すぐに切除してもらいました。最近ではポリープが見つかりませんが、女医の勧めにより、大腸については1年半に1回、内視鏡検査を受けることにしてます。

 日本人の死因第1位はがんですが、その中でも大腸がんの患者数は近年急激に増え、2015年には胃がんを抜いてトップになると予想されてるとのことです。

 ご存じの通り、これは欧米化した高蛋白質、動物性による高脂肪、低植物繊維の食事に変化してきたためと考えられ、これらの食習慣が主たる原因といわれてます。

 ところが、この病気の特徴は初期段階では自覚症状がないことです。病変があったとしても体内のため自分で見つけられません。しかし、現代文明の恩恵により今では【すぐ見つけ、すぐ治す】ことが可能となりました。有難いことです。

 逆に、自覚症状を感じた時は、かなり進んでいるともいわれます。 

 ですからこそ、定期的に内視鏡による検診を受け、自分の体内のことを知る必要があります。もし、病変が見つかったら、すぐ治療を始めることになり、発見が早ければ早いほど大腸がんの治る確率は高いといわれます。

   これは大腸内の洗浄剤で検査当日、2リットルの水に溶かし朝から2時間かけて飲みます。これによりきれいに洗浄され、大腸内がすっからかんになります。

 検診を別にしても時には大腸内をすっかり空にして大掃除をすることはシワシワのトンネルのような内壁にとっても休憩となり、とても健康的なことではないかと思います。

 このあと医院に行って女医さんの手による40分ほどの内視鏡検査です。ほとんど苦痛はありませんが、時々、撮影しやすいように空気を入れて腸内を膨らます時があり、それ以外は我慢するほどでもありません。

 このとき、私は子供のころ小さなカエルに麦わらでお尻から空気を入れたことを思い出し、辛かったカエルの身になってるのだと反省するようにしてます。

   植物も人間も見えないところを健康にしたいものです。写真のコンシンネは最近、良い土に植え替えたら元気になりました。この植物は水を多量に必要とすることを失敗を通して最近知りました。受け皿の中には常に水を入れておきます。

 私たちも見えない体内の健康維持のため、野菜や海草など植物繊維を多くとり、肉に潜む動物性脂肪の摂取を極力控え、青い魚の油や植物性油の代表格であるオリーブオイルなどを使用し、欲望に負けず、日々、食習慣を正しくしたいものです。では検査に行って参ります。   

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2009年10月 3日 (土)

八ッ場ダム建設中止に翻弄される地元の苦悩

 群馬県長野原町の住民の方々は、これまで57年間の長い年月、ダム建設か否かの苦悩と犠牲を余儀なくされてきました。ダム建設を前提とし、92年、国との協定書を締結し、代替地へ移転など生活再建に踏み出したところです。

 しかし、今回の政権交代により国から建設中止が表明され、地元の方々はまたもや先の見えない昨今に疲弊しています。

 昭和28年当初は、先祖伝来の慣れ親しんだ古里を水没から守るため、地域を挙げて激しい反対闘争を繰り広げていました。

 しかし、その後、地域住民も反対派、条件付き賛成派、中立派などと考え方が分裂し、親しかった近所の人間関係の悪化など、住民たちは外部には分からないところで、長いこと深刻に悩み続けてきたのです。

 近年、県による生活再建案提示などにより、反対運動は次第に下火になり、地元の方々は祖父母から両親そして自分たちと代々にわたって悩んだ挙句、【下流住民を洪水から守るため】断腸の思いでダム建設合意の判を押し、2001年には補償基準が決定し、水没地区340世帯のうち、現在では約260世帯の住民が故郷を離れ移転を始めているのです。

 地元住民の方々は「やっとのことで落ち着けると思った矢先」、突如として国から中止表明があり、またもや翻弄される気持ちに、やりきれない思いでいるのです。

 総事業費約4600憶円のうち約7割をすでに支出し、2015年の完成を目指し、ご覧の通り、本日もダム湖を横断する巨大な橋の工事が着々と行われています。

 長野原町に住む知人も、長年、翻弄され続けた苦難の日々の上、やっと建設が決定したのに、またもや今回の政府による中止表明。地元は今や賛成反対の次元でなく、早く落ち着いた平和な故郷を取り戻したい。行き先分からない状況に身のやり場がないと嘆いています。

 ところで、終戦まもなくの昭和22年9月に関東地方を中心に死者行方不明1930人を出した「カスリーン台風」が八ッ場ダム建設計画の起こりと言われます。 「カスリーン台風」は雨台風で群馬県でも死者592人と歴史的な被害となりました。

 これは明治43年8月の大洪水以来といわれます。鏑川の近くに住んでいた私の母は子供のとき、家に洪水が押し寄せ、親に手を引かれ一目散に本家に逃げたと生前良く話してました。この大洪水と時代が一致します。

 近年の地球温暖化に潜む危険性に人類は未経験です。大洪水をもたらす超大型台風が、1世紀に2~3度、日本列島を縦断することは大いにあり得ることで、それは近未来かもしれません。

 近年、利根川水系にいくつかのダムが完成し、下流の土手も昔とは比較にならぬ力を持つとはいえ、安心は保障できません。自然の猛威は時として人間の知恵を超えるものです。大自然の脅威を未然に防ぎ、孫子の命を守るのは国による先見性のみです。

 それにしても、新内閣ができてから1カ月以上も経過してるのに、未だ所信方針演説などが聞かれません。国会が開かれるのが遅すぎるのではないでしょうか。

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2009年10月 1日 (木)

「好きにならずにはいられない」の原曲を Soprano Saxで演奏

Dscf0226  久々に軽井沢で行われる結婚式に招待を受け、新郎新婦の門出を祝し、私はSax演奏をプレゼントすることにしました。

 いつもお世話になってる食事処の若いマスターが、めでたく結婚式を挙げられることになりました。お相手はそこで学生時代にアルバイトされてた方で、昨日、彼女から「出席して下さい。」と私に招待の連絡が入りました。すぐに喜びのご挨拶を申しあげ、「もちろん伺います。」と返事しました。本日、招待状も届きました。

 それにしても、単なる客の一人である私を結婚式に呼んで下さり、光栄この上もありません。親戚でもないのに、友人ということでもないのに、まさか呼んでいただけるとは思ってもいませんでした。しかも、披露宴はそれほど大人数でなく、こじんまりされるとのことです。

 それなのに、ご招待の栄を受け大きな喜びであると同時に、私は即座に考え「お二人の門出にSoprano Saxを演奏しお祝いします。」と伝えましたら、彼女はすごく嬉しそうでした。彼女もとても音楽が好きのようです。

  最近の私は人前でSoprano Saxを演奏する機会が少なくなりました。このため、口の押さえ方であるアンブッシャーや呼吸法、指使いについて、1ヶ月後の式当日まで毎日特訓する必要があります。 ご覧のようにこの楽器のメカは複雑で、温度にも敏感に影響を受けやすく、少しでも不具合があり、どこかで空気が漏れたりすると演奏に支障を来たします。

 このため、演奏者は楽器の修理屋も兼ね、常に最高の状態にメンテナンスしておくことが必須なのです。演奏の良し悪しは事前の調整いかんにあると言えます。

 ところで、選曲は確定してませんが、Soprano Saxに合い結婚式に相応しい曲を1~2曲考えており、今のところ1曲はエルヴィス・プレスリーのCan't help Falling in Love「好きにならずにはいられない」の原曲を考えています。

 原曲はドイツ生まれのマルティーニ作曲によるPlaisir d'amor「愛の喜び」です。ビブラートをたっぷり効かせて甘く演奏できたらと思ってます。

 原曲本来の詩の内容は、失恋し心の置き場のない男性の寂しさを歌ったものらしいですが、それとは別に「愛の喜び」という素敵な題名に惹かれたり、メロディーにこの上ない喜びが感じられます。

P1020142  比類なき旋律の美しさや音楽の盛り上がりは、幾度聴いても感銘で、「人を愛すること、愛されること」の喜びを高らかに歌い上げ魅力に溢れています。

 エルヴィス・プレスリーのCan't help Falling in Love というタイトルはまるで英語の構文そのもので、「好きにならずにはいられない」とはよく訳したものです。

 人間の感情の中で「人を好きになることほど絶大な生きる力はないでしょう。」

 現在、Can't help Falling in Love の真っただ中にある若いお二人にあやかりたいです。

 ところで、「好きにならずにはいられない」の心境が私にもやってくるでしょうか。これから毎日Soprano saxの音色を磨く日々としたい。 

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