とんでもない「事業仕分け」・・・・英語ノート廃止
新学習指導要領で平成23年度より必修となる「外国語活動」の一環として、今年度より小学5、6年生に教科書代わりである「英語ノート」が無償配布されていました。これは英語を指導したことのない現場の教師にとって授業の道しるべであり、その活用度は大変に高いといわれます。
ところが、今回の事業仕分けで、貴重な教材である「英語ノート」の廃止が決まり、現場教師からは困惑の声が殺到と伝えられています。肝心の子供たちの英語能力向上に大きくマイナスになることは否めないでしょう。
しかも、事業仕分けでは深い論議もなく30分程度という短さで廃止を決め、将来の日本を担う小学生の語学の芽を潰してしまうとんでもない判断が簡単にされてしまいました。何と末恐ろしいことでしょう。委員の中には、小学校での英語教育の必要性を否定する「そもそも論」も飛び出したと伝えられます。
近年、中国・韓国はもとよりアジア諸国では、国際語である英語を小学生から重点的に教育し、未来に世界で活躍できる人材の育成に力を注いでいるといわれます。今や英語力において日本はアジアにおいてきぼりです。
ある東南アジアで行われた若者による交流会でのこと。アジア諸国の青年は今後の世界のあるべき姿を英語で堂々と発言していても、日本から参加した若者はその論議に全く参加できず終いであったといわれます。
この姿を直視した大手商事会社の責任者は「アジア諸国の若者と日本の若者の英語能力のあまりの格差」に呆然となり、国際社会にあって日本の未来に深く危惧したという話を聞いたことがあります。
英語の聞き取りは五感の一つである聴覚に深く関係し、柔軟な小学生時代こそ効果があるといえます。当たり前のように長く行われてきた中学生からの英語ではアジア諸国に全く太刀打ちできません。
【結果が次代に出てくる教育に関することを事業仕分けで論ずること自体】、新政権の判断は未来に逆行しています。
【以下は以前にブログに記したものです。手直しして再度発信いたします。】
私たちの予想を遥かに越える可能性を持つのは小学生でしょう。この貴重な年代に大人たちは最大の教育環境を整えてやる責任があります。私たちは多くの分野で考えられない能力を発揮する小学生を見ることがあります。
例えば、珠算の読み上げ算を英語で聞いて計算し英語で答えます。しかも、その位が億も含みます。このような能力は殆どの大人は不可能でしょう。指導力のある教師がいて、親が良い環境を整えてやることができれば、目を見張る能力の開花が可能です。開花の下地は子供でなく大人の責務です。
現在では、小学生から英語に親しませることにおいては、日本よりアジア諸国の方が先進国です。独自の文化の伝承を第一にしながら英語に力を入れてるようです。英語の時間を増やすと基礎である国語など他の教科が遅れると危惧する意見がありますが、英語を学習することは日本語を客観的に見ることにつながります。
使える英語が身につかないのは始める時期が遅過ぎたことが一因で、音声による英語は「直感的に脳に働きかけるので」脳の柔軟なうちが勝負です。「鉄は熱いうちに打て」が当てはまります。小学生時代にネイティブの人の口元を見たり、顔の表情に接しながら正しい抑揚に親しみ、コミュニケーションとることは、どれほど有益か計り知れません。柔軟な脳、スムースに吸収できる素質がある年代に正確な発音を経験させたいものです。
振り返って、私たちが英語を学習したのは音声からではなく、文字から入り、正しい発音や抑揚、アクセントを学ぶ機会はありませんでした。
現在はALTと呼ばれる英語圏出身の先生から直接教わるチャンスがあり、夢のようで羨ましい限りです。もし、私が小学生時代にこんな環境にいれば今頃どうなっていたでしょう。生まれ変わりたいほどです。
今や世界はますます一つになりつつあります。未来に生きる子どもたちは日本語で考えたり、英語で考えたりする能力が等しいことが究極なことです。
【写真の右下は私の出た倉賀野小学校、中央に一本杉と共に大きな三角屋根が私の家です。】
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