バンクーバー五輪開会式に参加できなかった二人
世紀の祭典バンクーパー冬季オリンピックの開幕直前に行われたリュージュ公式練習で、グルジア代表ノダル・クマリタ・シビリ選手がコーナーでコース外に飛び出し、鉄柱に激突し亡くなりました。開会式の入場行進に彼の姿はありませんでした。
オリンピック開会式では彼の死を悼み、会場全員による黙祷という異例の瞬間がありました。IOCロゲ会長の下した判断に私は近代オリンピックの父クーベルタンの言葉を思いだしました。
【The most important thing in the Olympic game is not win but take part, just as the most important thing in life is not the triumph but the struggle.】
Pierre de Coubertin
ずっと努力を積み重ねてきた彼は元リュージュ選手である父と二人三脚でオリンピック出場を勝ち得ました。
公式練習中、父へ電話で「コースに怖いコーナーがある」と打ち明けたそうで、父は「足を下ろし減速しろ」と助言したが、「一度スタートしたらそのまま最後まで滑るよ」と息子は返したという。その後、悲劇が起きたのです。
父ダビトは「彼は勇敢であった」と息子を称えたとのことですが、どれほど深い悲しみであったか想像を絶します。
17日クマリタ・シビリ選手の遺体が祖国に「無言の帰国」となり、首都トビリシの空港では競技関係者や市民ら数百人がグルジア国旗に包まれた棺を迎えたと報じられてます。
グルジア・サアカシビリ大統領は開会式直前の不慮の死を悼み、「クマリタ・シビリ選手の名前を冠したリュージュ競技場の建設」を決め、彼の勇敢な精神を後世に伝えるとのことです。
リュージュについて全く素人の私ですが、最高時速150キロともなればカーブでは相当の遠心力が働くことは確かで、コーナーから飛び出すことは起こりうることです。コーナーの壁がもっと高く設置してあれば飛び出すことはなかったと考えられます。
ところで、バンクーバーオリンピック開会式に入場できなかった人がもう一人います。こちらは日本人選手で、その理由はグルジアの選手とはまったく異なるものです。
それはスノーボード・ハーフパイプ男子代表・国母選手の服装髪型問題。9日に成田空港を出発の際、公式スーツのズボンを低くおろし「腰パン」にし、ワイシャツの裾を出すなど服装の乱れ及び頭髪が問題視され、出発時から批判が収まらない。
バンクーバーでは選手村の入村式を自粛することになり、その後、現地で行われた謝罪会見でも国母選手は「反省してまーす」と語尾を伸ばしたことで批判が再燃。反省の態度でなかったことに対し母校や全日本スキー連盟に抗議が続いてるとのこと。
結果的に橋本聖子団長の判断により日本のオリンピック選手がオリンピック開会式に出席しないという前代未聞のこととなった。
このニュースを耳にし、元横綱・朝青龍のことが頭に浮かんだ人は多かったかもしれません。大相撲とオリンピックは異なっても、どちらも今や国際的なもの。アスリートの生活態度は多くの国民、なかんずく小中高校生に多大の影響を与えています。子供は真似して育つからです。
「強ければ社会規範はどうでもよい」はオリンピック選手に決してあってはなぬこと。時まさに国民は確定申告中。苦しい庶民の血税により国母選手はオリンピックに派遣されていることを認識すべきで、もし「競技でいい滑りを見せても」それは拭い去れないことです。
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