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2010年3月

2010年3月29日 (月)

驚き!・・・閣僚同士がテレビで口論

 元々、主張の異なる人たちの寄り集まりである連立内閣は、ここへ来て閣僚間によるドタバタ劇が目につきます。閣僚同士がまちまちなことを言い、足並みが揃ってません。首相のリーダーシップはどこにあるのでしょう。

 28日(日)午前のテレビによる政治討論番組には驚きました。  亀井郵政改革相と菅副総理が「言った」「言わない」と激しい水掛け論を繰り広げました。このシーンを見た多くの国民は今の内閣に唖然とし、連立政権もいよいよ崩壊寸前と感じたかもしれません。

 現行のペイオフ制度に絡んで、亀井氏がゆうちょ銀行の預入限度額を現行の1000万円から2000万円に引き上げる「最終案」について「総理は了解し、菅さんにも、小沢幹事長にも申し上げた」と述べると、菅氏は「数字は聞いていない」と否定。すかさず亀井氏は「私が数字の話をしないと思うか」と憤然と反論したのです。

 閣内で討論することは多いに結構であっても、全国民が見ているテレビで閣僚同士の口論が生放送され、「日本の指導者たちがこんな状態で日本は大丈夫か」「連立政権崩壊もカウントダウンか」と多くの人は感じたのではないでしょうか。

 民と間で預入限度額に差がつけば、特に高齢者の預金がゆうちょ銀行流れることは明白です。地方の信用金庫や信用組合は死活問題で、これらが危なくなれば預金は一層、ゆうちょ銀行に流れるでしょう。

 元々、無理があり閣内不一致は今に始まったことではなくても、国民の前で閣僚は統一してなければ、内閣としてシステムが機能してないことになります。

  それにもまして、普天間問題は「現行案のシュワブ沿岸」を求める米国と、「県外移設に固執」する社民党の大きな隔たりです。

 「シュワブ陸上案」と「ホワイトビーチ沖案」は過去に日米両政府が検討済みで、安全性や機能上から、これを断念した経緯があります。国家間の取り決めを一方的に日本側が破棄することは、しこりを残し、子々孫々のためプラスはないでしょう。

 鳩山首相の発言の中には「どこかに代替施設が完成した後も普天間飛行場を閉鎖せず、有事の際には使用する可能性」に言及した点は聞き捨てならぬことです。

 私たちが今一番恐れていることは、解決の糸口が見つからず、結局、普天間飛行場が現行のままこれからも長期間、固定化されてしまう可能性です。

 安全性と機能上から日米の現行案を推進し、市街地にある危険この上ない普天間飛行場の完全な返還を実現しなくてはなりません。そして跡地を地域振興に取り組むことこそ政府の課題です。 5月までに米国も社民党も賛成する場所が見つかるでしょうか。

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2010年3月26日 (金)

リート市場に影響を与える最近の株高・円安傾向

 最近の経済ニュースによると、FRB=Federal Reserve Board(米国連邦準備制度理事会)発表による金融緩和の継続がダウ平均株価及びナスダックなど米国株に追風となっており、3/25現在ではそれぞれ10841ドル、2397ポイントです。この結果は日本株に3/26現在10996円と好影響を与えています。

 これは25~26日の欧州連合による首脳会議で財政危機にあるギリシャ支援策が議論され、非常時にはIMF=International monetary Fund(国際通貨基金)へ金融支援を要請することで一定の合意に達し、それが成果として捉えられ外国為替市場でユーロが買われ、円高の歯止め傾向になってるようです。

 経済には素人の私ですが、1年半前のリーマンショック以来、米国株・日本株そして為替レートを毎日記録してます。その記録ノートを通じて、特に最近、上昇してる日本株は為替レートに連動してきているように認識できます。ここ3週間1ドル=90円台が続いていました。

 株価の上昇については前述のFRBとEU首脳会議、及び、日銀発表による追加金融緩和策に好感が持たれ結果とも考えられます。

 また、米国では雇用が次第に改善されてると報道され、これも好材料となり昨日からドル高・円安傾向で、1ドル=92円台と推移してます。これらを見る限り、長期間にわたり続いてきた景気の減速懸念が少しずつ後退し、遠くに出口が見えてる感じです。

 ドバイショックでは1ドル=86円前後でした。それ以来、停滞気味であった為替がにわかに動き出した感があります。このまま、円安が進み、5月のゴールデンウィーク明け頃には1ドル=95円ほどになることもあり得るでしょう。為替に連動し始めてる日経平均株価は11300~11500円の可能性もあると期待感も含めて展望してます。

 私たちを取り巻く現在の長引くデフレ不況に対しては、今より円安になることがインフレ傾向に向かい、これが日本国民にとって経済回復への追風となることを期待します。

 ところで、数年前から耳にしてますREIT(リート)ですが、これはReal Estate Investment Trustの略で不動産投資信託のことです。こちらは景気が余程、好転しないとなかなか価格が上がりません。ショッピング・モール、オフィスビル、賃貸住宅、ホテルなどに投資し、賃貸収入が見込まれる投資信託です。

 しかし、内容からして実体経済に関係し、価格の動きはワンテンポ遅れて動向するようです。これは不動産市況、金利、需要と供給(空室率)、そして為替が主な変動要因です。

 このブログの右端には「日米リートファンド」の基準価格がクリックにより表示されます。リーマン・ショック時には3159円と大暴落でした。それ以来、時間をかけ、かすかに回復傾向が見られ、それでも4000円台が1年以上続きました。

 ところが、昨日より本当に暫くぶりに5000円台になりました。このまま、株高・円安が進み、果たしてリート市場にも春風が吹いてくるでしょうか。景気回復を祈念してます。

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2010年3月23日 (火)

みかん買って皮やるぞ、キンカン買って実やるぞ

Dscf0497  今の時季、八百屋の店先にはキンカンが並び、殊のほか美味しいです。旬のキンカンを丸ごと口に入れると栄養を丸ごといただく感じで、味からしてビタミンCが豊富であることが頷けます。中国原産といわれ、昔から咳止めとして使われたり、動脈硬化にも効用があると伝えられてます。写真のキンカンは熊本産です。

 英語ではcumquatです。発音が「噛む食わっt」と、あたかも丸ごと「噛んで食よう」と食べ方まで示しているようです。

 私は食後に最低でも7~8個は食べますので、そのせいか最近は疲れを知らない子供のようです。タイトルのように皮に栄養があるといわれ、皮ごと食べると手間がかかりません。皆さんにもお勧めです。これでキンカン酒を作れば健康によく、お酒の好きな私には一石二鳥です。おっと、また都合のいいことを言ってしまいました。でも、来年は挑戦しよう。

 ところで、前述の動脈硬化とは非常に恐ろしい病気と心すべきでしょう。心臓から送り出された血液の通り道である動脈内を覆う内皮に悪玉コレステロールなどが入り込み、動脈壁に病巣が形成されるといわれます。

 その結果、血栓ができ動脈内壁が次第に狭くなったり、最終的には詰まってしまいます。そうなると、そこから先の組織や細胞に酸素や栄養が届かなくなります。心臓病や脳卒中にはこの動脈硬化が大きく関わってといわれます。

 これを未然に防ぐには、私たちは生活習慣を徹底して改善し、動脈内の血流をスムースな状態に保つことがカギと考えられます。

 飽食の時代にあっては、その第一にすべきことは何と言っても食べ過ぎないことでしょう。第二は運動不足はあってはなりません。日々続けられる楽しい運動を心掛けたいものです。これからの季節は戸外で大いに自然に触れ、ウォーキングやサイクリングなど自分に適した運動を続けたいものです。

 幸運にも、私たちの食事は日本食がメインです。日本人の平均寿命は男性79才で女性86才になったことは日本食が大いに関係してると考えられます。近年では海外で日本食の研究が盛んといわれます。

 伝統的な日本食が良いのは比較的脂肪分が少ないこと。米など炭水化物、魚や大豆製品、海藻、緑茶の摂取が多いことでしょう。しかし、日本食の欠点として醤油、漬物など塩分が多いです。このため、近年市販されてる減塩醤油は福音と言えます。

 揚げ物や炒め物より、繊維類を多く含んだ煮物がベターですし、週に1回ほどは豚肉を食べ、動物性たんぱく質の摂取が栄養的にバランスが取れると考えられます。

 健康には栄養、運動、休養が3本柱です。要は食べ過ぎと運動不足こそ健康にマイナスですから、健康の敵は私たちの心の中に存在するといえましよう。

 一方、自分の内蔵の現状については自分では分からないというのが正しいです。1~2年に一度は内視鏡でプロに点検してもらうことが自らの予防とともに大切と考えます。

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2010年3月21日 (日)

北極と南極で同時に太陽が見える春分の日

Dscf0330  今日は春分の日です。日本では春彼岸の中日で先祖を供養します。また、イランを中心とした中央アジアからアフリカにかけての国々では今日が元日といわれます。今頃、家族や親戚、友人と新年を祝っていることでしょう。これらの国々では今日から春としてるようです。

 前回のブログでも触れましたが、春分の日の今日は天文学上で意味深い瞬間があります。それはグリニッチ天文台の3月20日17時32分、つまり、日本時間3月21日午前2時32分の一瞬です。

 地球は秒速約30キロのスピードで公転軌道上を進んでおり、春分点は太陽の中心点がこの時刻に赤道の真上を瞬間的に通過します。

 春分の日と秋分の日に北極点と南極点で太陽は同時に水平線や地平線に半分ずつ顔を出しますが、太陽の動く方向は反対です。北極での動きは東→南→西→北ですが、南極では私たち日本人には神秘的と思える西→南→東→北と地平線すれすれに逆の方向に進みます。

 春分の日を過ぎると北極点では次第に夜がなくなり半年間は昼間が続き、一方の南極点では次第に暗くなり、夜のみという日々が半年間続きます。

 また、春分の日など二十四節季に関係なく、一年を通じて北極点で見える星座は南極点では見えません。また、南極点で見える星座も北極点では見えません。ただ、どちらもオリオン座の半分は見えるはずです。これはオリオン座の3つ星が赤道の真上に位置してるからです。全天で最も明るいシリウスは南極では見えても北極では永遠に見えません。

 赤道the equator(北緯0°)から北回帰線the Tropic of Cancer(北緯23°26′)までに位置する国々は、これからの半年間、正午前後に太陽は殆ど頭上にあり、外に立つと自分の影ができません。影は自分で踏んでます。

 また、本日は地球上のどの国から見ても、太陽はほぼ真東から上り、ほぼ真西に沈みます。

 なお、春分の日が3月21日になるか3月20になるかについては、すべて前述の春分点の瞬間の日付になります。ですから外国と日本では日付が異なる場合があります。

 日本では2025年までは、閏年(オリンピックの年)とその翌年が20日となり、他は21日になります。つまり2年連続して同じ日となり、それが交互に繰り返されます。これは1年が365.2422日と半端な日数のためです。82年後の2092年の春分の日は珍しく3月19日と計算されてます。ぜひ、長生きして確認しましょう。

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2010年3月17日 (水)

本日3月17日が昼と夜の長さが同じ

 今年の春分点は(太陽黄経0°)日本時間3月21日午前2時32分と計算されてます。この瞬間はインド以西からヨーロッパ、南北アメリカ大陸までの殆どの国々は1日前の3月20日であるので、この日が春分の日です。南半球では秋分の日です。英語ではequinoxと表現するようです。

 地球から見て太陽は1年に2回赤道の真上を瞬間的に通過しますが、それは地球が公転運動として北極星側から見て反時計回りに秒速約29.8キロのスピードで移動してるからです。

 【太陽~地球間の平均距離約1億5000万Km×2×π÷365.24÷24÷3600】 

 ところで、春分の日は昼と夜の長さが同じといわれますが、実際には同じではないようです。

 日の出時刻の定義は太陽が地平線から見えた瞬間で、日の入り時刻の定義は太陽が地平線からすっかり顔を隠した瞬間です。もし、太陽の中心が地平線に接したときと定義すれば3月21日の昼と夜の長さがほとんど同じになるでしょう。

 例えば東京での春分の日(21日)の日の出は5時44分で日の入りは17時53分です。これでは昼の時間が12時間09分で夜の時間は11時間51分ですから昼が18分長いです。

 ところが「本日3月17日」の東京の日の出は5時50分で日の入りは17時50分ですから、本日こそ昼と夜の長さがどちらも丁度12時間00分となってます。これは東京に限らず、皆さんお住まいの日本各地で日の入り時刻から日の出時刻を引けば多少の誤差はあっても殆ど12時間00分になると思われます。ぜひ、昨日(16日)の新聞に掲載されてる「明日のこよみ」により、あなたの場所の昼と夜の長さを計算してみてください。ちなみに富山市の本日の日の出は6時00分で、日の入りも丁度18時00分です。

 ただ、厳密には光は屈折するので、日の出に関しては太陽が出ていなくても私たちには太陽の光が見えることもあり、日の入りについても同様と考えられます。

 植物や動物は最近の日照時間の長さを敏感に感じ取り、急激に変化してることが認識できます。

 今まで日本で羽を休め、食料を調達していた白鳥など渡り鳥は、シベリア及びカムチャッカ方面への北帰行の時季です。反対に、あと1月ほどで南国に行ってたツバメたちは数1000キロを飛来して来ます。本当に小さな体ですごいエネルギーです。優秀なレース鳩でさえ飛翔距離はやっと1000キロまでです。一般的に渡り鳥は高緯度の国で子育てすることが多くこれも不思議ですね。きっと飛翔途中で息が絶えるものも多く、自然淘汰され、目的地へ渡れたものだけが子孫を残すと考えられます。

 ところで、世界的に知られてる渡り鳥としては、インドで冬を過ごした鶴が8000メートル級のヒマラヤを越え、チベット方面に飛んで行くことが有名です。こんな高度は酸素も薄く、考えられないエネルギーです。あるいはヒマラヤ山脈が今ほど高くなかった太古の時代から「渡り」を続け、それが子孫によって現代の高いヒマラヤでも続いているのかもしれません。

 今日は横浜に嫁いでる長女の誕生日です。昼と夜の長さが同じいい日に生まれました。

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2010年3月15日 (月)

花の季節が到来、まずはアセビの色彩に酔う

 3月も半ばとなると庭には美を競うかのごとく個性溢れる花木が次々と色彩を誇っています。写真はアセビです。薄いピンクは人間には描けない色かもしれません。このアセビは玄関前に植えてあり、あたかもお客様を迎えるかのごとくです。クリックし拡大してご覧ください。

 一人暮らしでこれらを独り占めしては勿体ないです。ネットを通じて皆様に観賞していただけます。花弁は小さな鈴蘭のようで振れば鐘の音がしそうです。高さは一般的には1m以下ですが、この木の全体像は2m50㎝ほどですからアセビにしてはかなり大きい方です。馬酔木と書かれ馬が食べると酔うのでしようか。本来は山間部の木陰に生息する植物で平地で大きく育つのは難しいところです。英語名はこの木にふさわしくAndromada(ギリシャ神話に出てくる王女)と形容されます。

 ある程度大きな植物を植える鉄則として、近くに他の植物を植えないことが健康的な発育につながります。これはレース鳩仲間の植木屋さんに教わったことです。

 それから四季を通じて適度な肥料と水は欠かせないでしょう。私はポンプで汲み上げた井戸水や防火用水に貯めておいた雨水を与えます。これは自然に近い状態を保つためですが、もし、これからの季節すべての花木に水道水を使ったら経済的に持ちません。

 これは7分咲きといったところの雪柳です。満開になるとその名の通り枝に雪がついてるかの如くです。そのうちにまたアップします。小さな花弁が無数につき、英語ではspireaと呼ばれます。家の前は道幅3メートルほどですが、歩いて通る人たちが思わず立ち止まって眺めていることもあります。花木には無数の花弁が美しく感じるものもあるのですね。

 花梅もそろそろ終わりに近づいてます。私の本名の最後の文字は男性にしては珍しく「香」です。中国では女性につけるようです。どうしたことか命名した父は私にこの字をつけました。それにしても梅の花の香りはいいものです。気持ちが穏やかになり、マイナスからプラス思考にしてくれるようです。

 これは「思いのまま」という梅の品種です。良く観察すると、白い花弁の中にも赤い花弁が混ざってるので不思議です。以前はもっと混ざり合い1本の枝に赤白赤白と咲き分けていました。なぜこうなるのでしょう。我が人生も現在の状況を脱皮でき、思いのままになれるでしょうか。どうも梅には及びそうもありません。

 本日の最後はスイセンです。私たちの季節が来たと言わんばかりです。雛鳥が親から餌をもらうときの表情に似てるようです。季節を知って毎年庭のあちこちに咲いてくれます。

 我が家のこれからのメインはしだれ花桃です。ただ今は蕾です。昔から桃の節句といわれる所以は旧暦の3月3日頃に開花するからでしょう。このため今年は現在の暦で4月16日に満開と予想できます。満開の下で友を呼んで一杯やりたい。

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2010年3月14日 (日)

Japan Times に載ったショパン生誕200年祭

Dscf0494  私の趣味の一つであるピアノについての記事が珍しくThe Japan Times Weeklyに載り、ショパンのフランス滞在時代を生誕200年祭に合わせ再現しています。

 1810年、ポーランドでフランス人を父にポーランド人を母として生まれたフレデリック・ショパンは20才まで祖国ポーランドで過ごしていましたが、当時のロシアに抑圧され、父の国フランスに移住、その後、18年間はパリの静かな通りに面したとある2階の部屋を定期的に訪れました。そこには友人や有名な芸術家たちも集まって彼のピアノを囲みながら聴き入りました。

 この家は現在、博物館になっていても殆ど人に知られずにあり、旅行者も気づかないようです。しかし、今年200年祭を迎え19世紀の偉大な音楽家ショパンが晩年を過ごしたサロンとして、写真のように当時の雰囲気が再現されています。このソファーで著名な芸術家たちがショパンの奏でるピアノを心行くまで堪能したのでしょう。

 ここには当時の友人ドラクロワなどの絵が飾られ、ショパンが弾いたピアノや彼の肖像画も展示されていると伝えてます。

 金曜日の夜は作曲家仲間であるリスト、ロッシーニー、ベルリオーズなど友人たち、そして彼の恋人で小説家であるジョルジュ・サンドもこのサロンに集まり、身近に音楽を味わう意気揚々とした往時が再現されています。しかし、ショパンは1849年39才に結核で亡くなりました。パリでの展示は7月11日まで催されてるようです。

 音楽とは本来このように比較的こじんまりした部屋で友人とともに心行くまで楽しく味わうものなのでしょう。ピアノが趣味である私はショパンの作品にすごく惹かれてます。それはショパンによってこの楽器の持つ味わいが極めて効果的に引き出されるからでしょう。ピアノの詩人と称される所以です。

 作品の中には120%の努力により手が届く作品と、遥か彼方に燦然と輝く作品があります。前者は日々の特訓で自分のものにできる可能性があります。しかし、後者は弾けなくても繰り返しの鑑賞により、いくらでも彼の真髄に迫ることができるでしょう。  現在、私は彼の「ノクターン遺作ハ短調」(写真)に挑戦してます。2ページの小曲ですが、特に2ページ目においては左右のリズムが合わせ難い曲です。これは彼独特の作曲技法の一つである右手と左手が数学的に合う方法でなく、右手の旋律が急緩しながら弾き終えるまでに、どうにかしてオクターブを超えた左手の分散和音を弾き終えなければなりません。

 要するに練習を始めるころは2人の自分が必要です。ところが人間とは良くできており、頭脳にのみ考える力、覚える力があるのではなさそうです。末端の指先は繰り返しの訓練により、脳とは別に、動きを覚え独自に弾きだすものです。このように左右が極めて独立するショパンの曲が弾けたときは奇跡のように感じます。

 それにしても、映画「戦場のピアニスト」で有名になり、既習の「遺作ノクターン嬰ハ短調」とともに、「遺作ノクターンハ短調」はなぜ私たちを虜にするのでしょう。作品に接するたびに「人生は短し芸術は長し」の感です。没後、遺作として日の目を見たのですからショパンが音楽で綴った遺書とも受け取れます。

 200年経過しても色褪せない芸術が尚も人々の胸を打ちます。ショパンの作品を日々私なりに味わいたい。

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2010年3月10日 (水)

鳩舎の看板をSam de Jong系鳩舎に

 抱卵しているペアーのオスは北部オランダ・プロンク鳩舎作翔による「スチール号」です。この鳩の父はニコ・フォルケンス作で、その先祖はサム・デ・ヨング系です。右の配合メス鳩はサム・デ・ヨング鳩舎作出鳩です。2羽とも岐阜県・香山鳩舎から導入した鳩で、今後、当舎で作出に専念します。

 「スチール号」はフランス・モントバーン~北部オランダ1022キロ5796羽中総合優勝という当舎にとってはレベルの高過ぎる翔歴を持ってます。ですから、子孫に優秀な血統が伝えられるかは私の責任と言えます。

 昨秋、第一歩として血統的に合う配合メスを探していたところ、香山鳩舎にサム・デ・ヨング鳩舎作出鳩♀が1羽いることが分かり、往復800キロ車で飛ばし、早速導入の運びとなりました。

 当舎にはこの他、香山氏作サム・デ・ヨング系のオス鳩が1羽います。モントバーン944キロ5711羽中総合優勝、及びボルドー954キロ10033羽中総合44位という成績をいずれも若鳩で成し遂げたその名も「スーパーイヤリング号」(ニコ・フォルケンス作翔)という鳩の直仔です。(写真)

 この鳩は長めの主翼を持ち姿勢がよく感じられます。この鳩と前述のサム・デ・ヨング鳩舎作出鳩♀との交配も考えられます。

 これからはこの3羽を軸に、上記のペアーにより生まれた直仔たちを上手く交配し、厳格に性能検定しつつ、この血統を大切に育てていくことにしました。

 ですから、サム・デ・ヨング系で北海道から帰すという、これからのレース鳩人生において遠大な目標ができました。このためには目先のレース結果にのみ惑わされず、レース鳩作出に対して次第に目標に高めていく粘り強い姿勢が求められます。

 実はレース鳩を飼育することは日々の舎外運動において、近隣の方々の理解が必要になります。特に夏から秋にかけて羽数が増えるため、飼育者は早朝に起床し、近隣の家々が起きる頃には舎外を終了する努力が必要です。今の時季は数が少ないので、レースのためにも1日2回の舎外をしてます。

 こんなことから今までも近隣の理解を得るため看板を掲げ、何を目的にレース鳩を飼育してるかを近所の皆さんに示しています。今までの看板はすでに8年ほど経過したので、ここで気分一新し、サム・デ・ヨング系を飼育し長距離からの帰還をめざす看板の作製を予定してます。作るには予算もいることなので経済がもう少し回復したら取りかかります。

 今度は英語版を考えてます。というのはイギリスのレース鳩月刊誌「ビクトリアル」の表紙に掲載されたときの英文を引用するつもりです。下記は案です。

"Return on the day from the northernmost place in our nation by the strain of Sam de Jong in Netherlands."

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2010年3月 8日 (月)

身近なことから始める私のエコ活動

 最近すっかり定着してるエコという言葉は英語のecologyに由来し、多くは化石燃料の消費を抑えて二酸化炭素の排出削減を意味します。世界60億の現人類が子々孫々のために、未来は快適な地球環境になるよう取り組むことが重要と考えられてます。

 ecologyはイコロジーまたはイカラジーが本来の発音に近いようですが、ローマ字式にエコと読まれ日本語化してます。

 ところで、日夜、火力発電所から排出される二酸化炭素の量は莫大です。それは燃料として石炭や石油、液化天然ガスを大量に消費しているからです。

 資源エネルギー庁の資料によると、日本の電源別発電量の割合は原子力が31.2%と3分の1弱を占め、LNG=liquefied natural gas(液化天然ガス)26.6%、石炭22.2%、石油10.2%、水力9%となっており、電気の半分以上が化石燃料から作られてることが分かります。

 近年の原油高によって石炭への依存度が高く、これは温室効果ガスの排出量が最も多く、地球温暖化対策の足かせになっている懸念があるといわれます。それでも、日本の石炭火力発電技術は優れ、その熱効果率は世界最高水準にあり、日本の技術をインド、中国、アメリカに導入すれば3ヵ国の二酸化炭素排出量を年13億トン削減でき、これは日本の1年間の排出量に相当するといわれます。

 ところで、近年、ハイブリッド車や電気自動車が生産され、すでに道路を走り始め地球環境に優しいといわれます。しかし、その大元である発電所では二酸化炭素を大量に排出してるのですから、見掛け上、エコカーといっても地球環境としては、本質にあまり変わりがないのではないかと私は単純に疑問を持ってます。

 便利すぎる今の世の中では、夏涼しくしたり、冬暖かくしたり、移動の手段としてはどうしても二酸化炭素を排出しますが、私たちは可能な限りこれらを少なめにする生活に慣れるべきです。それには簾を垂らしたり、蚊帳をつったりすれば電気を消費しません。冬は炬燵が足から温まります。

 夏も冬も常に部屋にエアコンをつけてる生活は慎むべきで、対処法をいろいろ工夫し、今こそ江戸時代の暮らしの快適さを模倣し、できることは取り入れるべきです。

 拙い私の取り組みの一つに雨水を貯めてます。これで水道の使用量が減ることは確実で、写真は鳩舎の屋根の水が全部この防火用水に流れ込みます。雨水は透き通っていて誠にきれいです。これらはすべて花木に与えてます。上手く利用し、トイレにも使えれば最高ですが、そこまではできません。それでも庭木がたくさんあるので、夏場など水道代が助かります。この防火用水は戦時中、父母が使用していたものです。不思議なことにちょっと雨が降るとすぐいっぱいになります。こんなことでも雨の量は思いのほか多いことが認識できます。

 これはクレジットカードのポイントでゲットしました「繰り返し使える充電池」です。今や家電の中でいろいろのところに必要な乾電池ですが、単三も小さな単四も使え、乾電池よりパワフルで1000回繰り返して使えるとのことです。このため、乾電池を買う必要がなくなりました。

 これは調子の良いクロスバイクです。私は昔から車にも興味がありますが、日々、何でも車に頼らない厳しさが私自身に問われています。友人Mr. Samuel Toddに感化され最近ゲットし、近くのお使いはもちろん、かなり遠方までも行くようになりました。排出するものは極めて微量の体重減です。Anti-locomotive syndromeに効果が期待できる一方、足腰の増強につながり、結果的にHunger is the best sauce.の状態となり、健康増進にエコにと一石二鳥です。いよいよ春なので遠出してみたくなりました。

 この他、エコとして考えられることは通信にレース鳩を使うことですが、愛を伝えるのに鳩を使うとはエコでなく、人間のエゴか。恋人へはメールを使わせていただきます。

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2010年3月 6日 (土)

海外日本人学校・派遣教員壮行会開かれる

P1010857  平成22年度に海外日本人学校へ派遣される先生方の壮行会が開かれ、昨日OBとして私も参加しました。

 派遣される7名のうち4名が女性で驚きましたが、全員若くてエネルギッシュに満ちてる先生ばかりです。

 スピーチを拝聴し、ご家族と離れ遠く海外の地で教育の任に携わる先生方一人ひとりの決意は揺るぎないものでした。先生方は現在、小中学校にお勤めです。4月にはいよいよ日本を脱出し、別天地で勤務されることになります。滞在期間は勤務校によって異なっても多くは平成25年3月までの3年間で、素晴らしい長期滞在になるよう祈念しています。

 驚いたことに、先生方の多くは私がインド・カルカッタ日本人学校に勤務してたとき、まだ生まれてなかった方ばかりです。私は日々Anti ageingに励み若いつもりですが、時代の変遷を感じました。

 時代が変わっても次から次へとバイタリティーに溢れた先生方はいるものでこれも驚きです。文字通り、世界へチャレンジという夢を実現する先生方の心意気に接することが楽しみで、毎年開催されるこの壮行会に私は欠席したことがありません。あるいは、赴任した遥か昔を回顧してる自分がそこにいます。

 今回、派遣される地域はバンコク日本人学校、バルセロナ日本人学校、青島日本人学校(2名)、ペナン日本人学校、デトロイト補習校、ロス・アンジェルス補習校です。

 日本とほとんど同じカリキュラムであっても、学校によっては現地語や英語の授業があるようです。海外に住んでる児童生徒たちにとって、語学の訓練には抜群の環境でしょう。それは習ったことをすぐに実践できるからです。

 また、羨ましいほどの学校行事が可能となり、海外ならではの教育環境に恵まれることがあります。例えば、現地校との交流会は国際理解の上で児童生徒にとってこの上ない意義があります。

 カイロ日本人学校でのマラソン大会は有名なピラミッド周遊コースであったり(写真下)、ベルリン日本人学校では素晴らしいクラシック音楽に身近に接することができます。ローマ日本人学校では有名なサンタンジェロ城で写生大会が行われたり、このほか多くの学校では地域学習として有名寺院、有名施設を訪れます。また、日本ではあまり感じないですが、キリスト教、イスラム教、仏教、ヒンズー教など宗教的行事に接するチャンスは大いにあるでしょう。

 派遣される先生方の国は概して暑いでしょうが、現地の水に慣れてほしいです。学校での勤務が第一ですが、長期滞在は千載一遇のチャンスです。休日を使って交流を広め、現地の人々の生き方に接し、客観的に日本を見ることができるでしょう。

R050901_00  あるいは日本のことを忘れかける現象が起こるかもしれません。

 私は派遣される7名の先生方に対して、激励文とともに任国国歌の楽譜を贈呈しました。これには原語の歌詞とともに日本語訳も載ってます。音楽が国際交流にとても効果があることはいつも感じてます。私としては今回も充実した壮行会となり、既に帰国されてる先生やこれから派遣される先生方と午後10時頃まで懇親でき、久しぶりに充実した時間となりました。

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2010年3月 1日 (月)

次女Marie Persimmon Marshが広告に登場

 次女と私の二人きりの家族ですが、次女Marie Persimmon Marshは独立心を養うためにアパート暮らしをしています。私も20代前半の若き日、親と離れインドに暮らしていたので、それが精神的に成長できたかなと今になって思っています。

 次女とは日々メールでやり取りし近況はお互いに把握してます。彼女の休日には時々、高崎駅前の炙りや「どんどん」で父娘で楽しく一杯です。娘の職場の方々と合流することもあり、娘の先輩と3人で飲むこともあります。このため、私は父親なのに副社長をはじめ娘の職場の方々とは顔なじみです。

 実は次女は今までにも何度か広告や会社のパンフレットに掲載されました。私の知る限りでは1回目は学生時代にアルバイトしてた結婚式場のモデルとなり、こちらは本格的なパンフレットで額に入れて今でも家に飾ってあり、本人は宝に感じてるようです。

 2度目は「イオン高崎」に友人と遊びに行ったらイオンのカメラマンの目にとまり、撮影され、それがその後イオンの広告に掲載され、やはり本人はとても嬉しそうでした。

 今回は上の写真ですが、就職活動されてる方を対象にした広告にウェディングプランナーとして登場し、就職を希望する若い方々に呼びかけてる姿となってます。この広告は群馬県の前橋市、高崎市を中心に広範囲に配布されており、多くの方々にご覧いただけてると思われます。

 一方、それにしても、まだまだ若い人生なのに人間としての悲哀を経験し、最近ではずいぶん人間として成長してるように感じるのは父の欲目でしょうか。

 高校時代は陸上に明け暮れし、短距離とハードルを得意とし、特に3年の時は4×100mリレーのアンカーとなり県高校総体3位になったことが、その後の生き方に大きな自信となり、精神的に力強く生活につながっているようです。また、100mハードルの記録を現在乗ってるホンダストリームのナンバーにしてあり、生涯忘れえぬ宝として、頑張った自己ベストを誇りにしているのでしょう。

 こんな娘も5年前に最愛の母を亡くし、どれほどかこの世の辛い現実を体験してます。母も国体の100メートル群馬県選手だったことから、技術面や精神面で母から教わったことはたくさんあると思います。母は娘の応援を常に欠かさなかったです。同じ県営陸上競技場で走る娘の姿を見て、昔の自分に戻ったのかもしれません。

 若くして人生の辛さや頑張ることの大切さを体験してるので、あるいは人の幸福を願うウェディングプランナーの仕事は彼女に適している職業かもしれません。何と言っても学生時代のアルバイトを、会社は違ってもそのまま職業にしたのですから、苦労があってもこれ一筋でやり遂げられると思います。

 今回、広告に掲載されたことが元になり、新たに入社してこられる若い人への見本となってほしいと思います。

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