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2010年6月

2010年6月30日 (水)

広大なキャベツ畑に囲まれた「愛妻の丘」を訪ねる

 いつかは訪ね、ご利益を頂戴したいと思っていた群馬県嬬恋村(つまごいむら)にある「愛妻の丘」へAudi TTを走らせました。そこは南に活火山・浅間山、北に四阿山(あずまやさん)の雄姿を臨み、広大な高原に広がる生産量日本一のキャベツ畑のまん真ん中です。(写真はクリックし拡大してください。)

 ここで生産されたキャベツは首都圏をはじめ日本中に流通され、皆様の食卓に並ぶキャベツの生まれ故郷と言えるでしょう。高原台地のため温度や風の具合が生育に適していると考えられます。

 この他、ここ嬬恋村はスケートで有名です。著名なオリンピック選手をたくさん排出している村でもあります。また、天明3年、浅間山大噴火では鎌原(かんばら)地区の集落すべてが埋没し、多大の犠牲がありました。現在でもほとんどは埋まったままで、日本のポンペイと言われます。

 「愛妻の丘」は名所となって間もないことから、愛車Audi TT Quattroのナビに掲載されておらず、国道144号線にも案内標識が見当たらず分かり難くいです。村の方に尋ねやっと場所が分かりました。国道144号線の群馬県から長野県境・鳥居峠の手前5Kほどを右に入り3Kほどです。愛とは見つけることが難しいということでしょうか。

 やっと見つかった「愛妻の丘」に着いたとき、一組のカップルがいましたが、中年の方で一見したところ、それほど情熱的には拝見できませんでした。でも、ふたりがそれを脱皮するためにも「愛妻の丘」はあるのだと感じました。

 私は小高い「愛妻の丘」(写真上)に登りました。ご覧のように中規模の古墳のような形をしてます。この上は広場があり、一角には、恋人や妻に向かって普段言えなかった「愛の言葉」を叫ぶステージができてます。叫けぶ前後に鳴らす釣り鐘もあります。

 このステージでは、心から好きな人に向かって、例えば・・・・さん「大好きだ~。」「いつまでも大切にするから僕と結婚してくれ~。」 また、既婚者は「お母さん、毎日有難う。心から愛してるよ~」など、平素、照れくさくて言えない言葉を、この時ばかり嬬恋の大自然の中で彼女に大声で叫ぶのです。

 いっしょに行った彼女が「は~い。」と返事をしてくれれば、ふたりにとって、生涯忘れえぬ「愛の誓」のスポットになること間違いありません。

 残念ながら、本日私は一人で訪れましたが、近未来には私なりの愛情表現を誰にも負けない大声で叫ぶぞ、と心に誓いました。

 それにしても「愛妻の丘」を訪ね、群馬県にはまだまだ知られてない素敵な場所があることを再認識しました。

 男と女は昔から深い愛の絆を求め、それによって、人生の難関を渡り歩くことができた人もいるでしょう。「この人に巡り逢えて我が人生に悔いなし」と感じて日々生きられたら、これ以上の幸福はないかもしれない。 そんな日が来るだろうか。 

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2010年6月29日 (火)

本物に触れる喜び・久々にアメリカの方々と交流

 一昨日は前橋市江田町のAotea English Schoolで午後5時より、4人のアメリカの方々とともにBYOB=Bring Your Own Booze.形式(持寄り)による楽しいバーティーに参加しました。

 ホストはこの学校のSamuel Toddさん。参加者はコロラド州からの若いご夫妻で、お二人ともALTとして高校にお勤めです。すでに滞在が長期になり尾瀬をはじめ群馬県内各地を見聞しておられます。

 また、インディアナ州から2名の女性が親子で参加されました。夏休みの交換ホームステイで高校に来られています。この他、メンバーはSamuel Todd夫人、日本人の英語の先生方です。

 この中に参加したので私も戸惑いました。しかし、国際交流は好きな分野です。しっかり話に乗ろうとしても英語のみのパーティーは久々なので、楽しくとも全部を理解するのは難しかったですが、それは仕方ないことです。ただ日頃、考えてることは聞き役のみに回らないほうがいいように思っています。

 パーティーが始まってすぐ、私はホストのSamuelさんにWill you do me a favor?(お願いがあります。)と、改めて参加者の紹介をお願いしましたら、彼は自己紹介にしましょうと提案されました。

 おっと、これは大変。おしゃべりと異なり、自己紹介は一種のスピーチに似てるので、ある程度、話すことをまとめなくてはなりません。それはすでにアメリカの若き女性からスピーチが始まっている中で、それを拝聴しながら話す内容を自分なりに考えなくてはなりません。

 Will you do me a favor?とお願いしたことが却って大変なことになり、こちらに降りかかってきてしまいました。

 いよいよ私の番になり、初めに名前についてPersimmon Marshといい、PersimmonとMarshについて彼らは柿と沼であることは良くご存じなので、このように日本語の名を英訳していることを告げました。この他、日本で無名の私は実は外国では有名なのです。と切り出すと、何故かと彼女たちは丸い目となり、えぇ~と聞いてくれました。

 ここで趣味のレース鳩の話題に突入できたのです。世界57カ国に発行されてる英国レース鳩月刊誌「ビクトリアル」の表紙に3回掲載されたことを述べました。この月刊誌はレース鳩を飼育してることで有名なエリザベス女王も時々表紙に登場されてると話し、このため、もしかして女王陛下は日本人の私のことを知っておられる可能性があると話しましたら、その場が大騒ぎになりました。

 その他、飼育してた1羽の鳩が迷って日本海を渡り中国奥地の内モンゴルへ飛んで行ってしまい、現地から連絡をいただき、その鳩に会いに行ったことや、そのことが内モンゴルの放送局で取り上げられたことなどを話しました。また、発信しているこのブログは英語版になるので、ぜひ、アメリカでアクセスして下さいとお願いしました。

 このため、自己紹介は思っていたより長くなりましたが、前述のように、英語は上手とか下手とかを気にするのでなく、【話す内容をしっかり持つことが大切】と思います。これは日本語でも同じで、人前で上手く話せるかより、内容が肝心であることは言うまでもないでしょう。

 このようなことは英語以外でもいろんな場面であり、評価はほとんど要りません。それより、それを行なうこと自体に大きな意味があると考えたいです。

 私の場合、英語への変換の壁があるので、それを補うには一にも二にもボキャブラリー(語彙)を発音やアクセントも確かめて、日々覚えておきたいです。理想は初めから英語で考えられればいいのですが、それは夢で、私には夢で終わるかもしれません。

 茨の道であっても、私たちが努力で可能となるのはボキャブラリーを増やせることだけではないでしょうか。それは英作文を書いたり、話すことなど、より発信型へ近づき、ボキャブラリーはお茶を飲むときの急須の取っ手のようなものと思います。取っ手がなければお茶は注げません。

 日本人には外国に一度も行った経験がない英語の達人もいます。外国に行ったとしても、その後も英語は難しいものです。

 やはり、私たちは英語を媒介にして外国の方とコミュニケーションが取れることを目標にしたいものです。これを最終目標にすれば、昔の受験英語も英会話から、かけ離れたものでなく、大いに役立つとの認識が必要と思います。どんな英語もすべてはコミュ二ケーションにつながること間違いないでしょう。

 午後5時に始まったパーティーは8時半まで続き、盛り上がり楽しく交流できました。皆さんとても表情豊かに話され、これは表情豊かさに乏しい私たちが学ぶべき大切なことと感じました。

 最後に、素敵な機会を作って下さったSamuel Toddご夫妻には心よりお礼申し上げます。

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2010年6月26日 (土)

群馬の名峰・赤城山へby Audi TT Quattro黄色

654  昨日、Quattroのコーナリング゙感覚を味わうためS字カーブの多い赤城山(1828m)へ行きました。元・俵萌子美術館辺りから勾配は急激になり始め、エンジン音が変わります。標高600メートル付近からカーブの連続です。直線になると路面が上下に波打つ構造が数か所あり、それを知らない運転手は何事かと驚くでしょう。これはスピードを防ぐためと思われます。同様に榛名山の伊香保温泉から榛名湖間にこの種の路面がたくさん設置されてます。

 Quattroは本来、四つん這いなどの意味を持つイタリア語で、車では常時4輪駆動を意味します。このため、高低差のない直線の一般道ではQuattroをそれほど認識できません。しかし、高速道路ではスピードを増すほどに安定性を感じ、車体の前部が押されたり、後部が引っ張られたりせず、四輪すべてが駆動するので横揺れがありません。直進安定性です。このことがついスピード感を鈍らせ、デジタルメーターを見てこれはいけないと感じることがしばしばです。

 Quattroの真価が最も発揮されるのはカーブの連続した登りです。4つの車輪がそれぞれ進行方向に駆動するからです。この場合、内輪差が生じるので四輪の回転数はすべて異なって駆動し、その構造は実に良くできていると感心します。これこそエンジンパワーが四輪(245ー40ー17)に効率よく配分するQuattroの真価でしょう。

510  私がQuattroについて真価を感じるのは、このように高速安定性とカーブの連続した上り坂です。しかし、この他に予想外に燃費がいいのは効率的なトルク配分やシステムの軽量化によるものと思われます。2000CCでリッター当たり平均11Kです。燃料は最近もっぱらセルフで入れてます。ボディーの手入れは自分で行います。ガラスコーティングされてるのでワックスは使いません。しぼったタオルで拭くだけです。

 このため、天気の悪い日は乗らないことにしてますが、夕立など突然の大雨は路面状況が変わってしまいます。ディーラーの説明ではこれにも素早く対応するとのことです。また、雪道やアイスバーンでも四輪に効率よく配分し、優れたクリップ力を確保するとのことですが、これらはあまり実験したくありません。天気の良い日に幅員のある道路を安全に走りたいものです。

 ところで、赤城山はすっかり初夏の緑に覆われ、ご覧のようにツツジが咲く原では牛が放牧され、実にのんびりした平和な佇まいです。ここは赤城山の最西端にそびえる鈴が岳の登山口であり、25年ほど前に一人で登ったことが思い出されました。鈴が岳は特異な円錐形を成し、頂上からの景色は360度のパノラマ。皆様にお薦めです。ここから1時間半あれば山頂に着くでしょう。

 赤城山系では最高峰の黒檜山(くろびやま)には今まで2度登りましたが、急勾配で意外ときついです。最初は長女が小学生の時に2人で登り、2回目は一人で登りました。恥ずかしいことですが、2回目の下りでは道に迷い、どんどん下に行きましたら、とんでもない所に出て驚きました。登りは必ず頂上へ着いても、下りはうっかりすると、もと来た道とは違う道に入りやすいものです。これはどの山でも言えることで気をつけたいことです。1828mの頂上はツツジに覆われ、日光方面から谷川連邦が手に取るように見えます。

 昨日は大沼(写真1番上)を眺めながら一人寂しくマイナスイオンを感じ、のんびり過ごしました。帰路はエンジンブレーキを利かせながら、ゆっくり下りました。

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2010年6月24日 (木)

日々の管理の成果か2年ぶりに開花したサボテン

 花の命は短くてと言いますが、サボテンの花ほど開花期間が短いものはありません。昨日、棘のある本体から急に花の茎が伸び蕾がつきました。そして、本日の早朝、開花しました。しかし、今日の日中のみ咲き、夕刻から明日にかけて萎むと思われます。今日の内に幾度も観賞することにします。

 昨年は大きい鉢に植え替えたこともあり、たぶんそれが原因で咲きませんでした。今回は素晴らしく5つの花が咲き、2年ぶりに日の目を見た印象です。サボテンの花は一般の植物の開花と異なり、色素や形態が神秘的です。あたかも我々に何か大昔の地上のことを教えているようです。

 また、どんなに辛いことがあっても、諦めないことが大切で、いつかは必ず咲くことがあると、我々に暗示してるようです。健康に生活し、諦めなければ、まるで人生にも花が咲くことを実証してるかのごとくです。果たしてどうだろう。それにしても見事に突然、開花しました。

 サボテンの育て方については素人ですが、私なりにサボテンが欲してることを感じ取るようにしてます。

 この点、レース鳩の飼育も共通点があり、口が利けなくても、注意深く観察すると何かを訴えてます。それを読み取れることがレースマンの腕と言えるでしょう。

 サボテンでは、その第一は水はけのよい土を使うことで、ホームセンターでサボテンの土を売ってます。ご覧のように比較的小さな粒で水をかけるとサッと引けます。

 その第二は夏場に半日陰に置きました。また、あまり乾いてるようでしたら水を与えます。

 その第三は冬は日の当たる温かな室内に置き、異常がないか日々観察してました。本体の色が現在は緑ですが、少々こげ茶色になった時もあります。やはり、水分も必要なのかと感じました。現在は屋外に出してあるので生き生きしてる緑です。  一年無駄にしても、今年は鉢の大きさが丁度良く、子供のコブもだいぶ大きくなってきたので、これからは良く育つでしょう。

 それにしても、夏至の頃を知っていて、いきなり花の茎が5cmほど出てくることが不思議でなりません。99%以上の期間、棘だけのサボテンも、諦めず日々管理すれば、いつの日か必ず開花するのです。私たちもサボテンから学ぶことは大いにあると感じています。

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2010年6月21日 (月)

やはり「虫の知らせ」はあった

 昨日は倉賀野中学校時代の友人K君の四十九日法要が九品寺で営まれ、私は法要に参列し、続いて納骨に立ち会いました。

 彼は温厚そのもので、しかも勉学に優れ、ニックネームはエースでした。その後、農業を本格的に研究され、県庁農政部に就職されたのは確か27才ぐらいであったと思います。もともと農家の長男であったことからより深く研究されてたのでしょう。

 結局、県内の農業試験場などを渡り歩き、県全体の農業における指導的な立場が職業となりました。研究や指導で東南アジアに行ったこともあります。この時、彼は私がインドに滞在してたことを思い出し、東南アジアの生活についてあれこれ訊いて行ったことが思い出されました。水が良くないので、日本のように生水は飲めないことを伝えるとともに、正露丸が必携であること、前もって、少しでもいいから現地語を勉強していくべきと話した気がします。

 近年、県職を退職され、しかも、来るべき選挙で市議会議員をめざしていたのです。大きな目標を逸し、多くの方々から惜しまれました。

 今回、四十九日法要が営まれた九品寺の本堂は昔、そろばん塾でした。小学生時代の彼と私は一緒にその本堂で級をめざして習ったのです。法要の最中、私はそのことを懐かしむと同時に、このことを何か不思議なことと独り感じていました。奥さまや子供さんたちはご存じないようでした。このことについてはお清めの席があったので、皆さんの前でご披露しました。それにしても生前の人徳がもの言うのでしょう。法要には50名ほどが集まりました。

 ところで、本題ですが、この世には確かに不思議なこと、神秘なことはあるものです。私は余りの偶然に殊のほか驚きました。

 というのは、1ヶ月半ほど前のある朝のこと。私は何気なく母校 倉賀野中学校五十年史を見ていました。表紙をめくると何枚かの歴史的写真が掲載されてあり、その中の一枚が何と私たちの年代の卒業式の様子が写っているのです。それを良く見ると15才という若かりし時代の私がはっきり写ってます。バスケットをしてたので、身長が高かったからです。そして、隣には仲の良かったK君が写っています。

 今までも50年史を見たことはありましたが、この日の朝、私はこの写真に初めて気が付き、これはいい記念になると思いました。この50年史を見た時間は午前7時頃です。

 そして10分後、今度は地元の「上毛新聞」を読み始めました。記事をいろいろ読んでるうちに「おくやみ欄」に目をやりました。「おくやみ欄」を見る直前、もしかしたら、今日は知ってる方が掲載されてるのではないかとかなり強く感じたのです。

 そして次の瞬間、目を疑うかの如くでした。何と紛れもなくK君が掲載されてるのです。あれっ!どうしたことだろう。先ほど50年史で見たK君ではないか。

 あと20~30年は生きなくてはならないのにと思いながら、私はすぐに自転車に乗り、10分ほどのK君宅を訪れました。そこは考えられない光景でした。奥さま、3人の子供さんに囲まれ、彼は無言で横たわっていたのです。「どうしたんかい!」と、しつぎに声をかけ、お線香を手向けました。

 そして、葬儀も終わり、四十九日が経過した昨日、納骨となったのです。

 もしかして、彼は私に「新聞より先に自分を思い出してほしい」と私に伝えたのかもしれません。この世には私たち人間には分からない不思議なことがあるものです。こんな誠に偶然なことは殆どないでしょう。

 親しき友人を亡くした私は彼の死を無駄にしないように、これから健康増進にますます力を入れ、「生きてるだけで大儲け」のつもりで、一日一日大切に生きていこうと心に誓いました。

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2010年6月17日 (木)

走行距離10000万Kを記録したAudi TT Quattro

Dscf0045  早いもので納車以来、今月末で満1年です。黄色のボディーカラー特注のため、契約から納車まで6ヶ月は長かったのに、乗り出すと1年はたちまち過ぎ去ろうとしています。

 先日12ヶ月点検をアウディー高前店で実施しましたが、特に不具合はないといわれました。運転する私もこの1年間、困ったことはありませんでした。1年経過して運転にやっと慣れたといえそうてす。それでも、慌てると方向指示器を右手で行なってしまい、ワイパーが動き出すことがしばしばです。

 走行距離10000Kは地球を4分の1周。かつて乗った117クーペは26万K走破し、これは地球6周半に相当です。アウディTTも安全第一で乗ります。

 運転するのは3日に1度の割合です。乗る必要がない時は車庫に仕舞ったままです。平素のお使いはアクティーで行なってるからです。最近では体力増強にクロスバイクが威力を発揮です。

 ガソリンは月に2回ハイオクを入れます。燃費は以外と良くリッター当たり11Kです。クワトロは燃費が良くないのではないかと思っていましたが、これはラッキーなことです。遠出するときはこのTTですから楽しいです。私は独身なので助手席に人を乗せることは稀です。

 今まで行った遠出は岐阜県大垣市(中央高速)、栃木県那須(東北道)くらいです。長女の住む横浜や草津温泉・白根山経由で万座温泉、そして軽井沢(上信越道)も行きました。やはり、高速道路でこそ、この車は「水を得た魚」のように走りが変わります。高速用に設計されてるのでしょう。クワトロの真価を感じるのは横揺れがなく、スピード感を感じません。高速に乗ったらすぐに時速100Kを超えそうです。

 245-40-18のタイヤは地を這う怪獣のごとくで、120キロに達すると後方のスポイラーが自動的に外部に出現。80Kになると自動的に格納されます。自動的に動くのは湿気を感じるとワイパーも動き出します。初めて動いた時は驚きました。私の意思に関係なく急に動き出しびっくりしました。

 本日・午後は結婚式場ロイヤル・チェスターまで高前バイパス経由でアウディーを走らせました。NHK前橋放送局の斜向かいです。次女のMarie Persimmon Marshがこのたびホンダのフィット女性向けバージョンを購入することになり、印鑑登録カードを届けに行ったのです。

 彼女はフィットにも今までと同じ希望ナンバーを付けるとのことです。高校時代に陸上競技で走った100メートル・ハードルの自己最高記録を生涯の誇りにしているのでしょう。小さい時は喘息持ちでしたが、陸上という自分に適したスポーツに取り組み、4×100mのアンカーとして県総体3位になったことが揺るぎない自信になってるようです。このように希望ナンバーはその人にとって大切な数字です。

 私の希望ナンバー5555は成績の5段階を表わしています。第2の人生では5教科より、音楽、美術、保健体育、技術家庭こそ毎日の生活の充実には、なくてはならぬものと考えるからです。これらの教科の成績がオール5になることが人生を豊かにし、5555はそれをめざしています。

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2010年6月14日 (月)

内視鏡検査で胃が若いといわれる

3651【利根川・渋川市の上流】

 毎年、誕生日前に胃の内視鏡検査=endoscopyを受けることを年中行事にしてます。本日午前中、高崎市の道又内科クリニックで女医さんによる胃カメラを実施してもらいました。10年ほど前からこのクリニックで大腸の内視鏡検査を重点的に受けており、大腸は1年半ごとでいいといわれ、今回は胃の検査のみ受けました。

 近年はカメラのついた管を鼻から挿入する方法が行なわますが、私は旧来の口からの方法をお願いしました。というのは、検査する先生もどちらかというと、口からの方法が検査しやすいとのことだからです。検査しやすいことを第一に考え、口からをお願いしました。

 予約による検査は9時30分からで朝食抜きです。はじめに喉に麻酔薬=anestheticを溜めておき、5分ほどして飲み込みます。その後、検査室に入り検査直前に女医さんが再びスプレー式の麻酔薬を喉に噴射します。

 すでに幾度も体験してるのでカメラを飲み込むのは辛くはありません。人によっては二度と受けたくないと聞いたことがあったので初回は緊張しましたが、最近では慣れました。

 胃の内視鏡検査では胃だけでなく、食道=gullet=esophagusと十二指腸=duodenumを検査してくれますから、より安心です。

 内心は心配でしたが、検査後、撮影した写真を見せて説明されました。内臓内は皺があり神秘の世界です。4ミリほどの小さなポリープがありましたが、病変とは言えず心配ないといわれました。食道と十二指腸もきれいといわれました。

 検査中、女医さんが看護師さんと話していることの中に【胃が若いね。】という言葉が耳に入り、その時は内心シメシメと思いました。

 こんなことで、結果は問題なしといわれ、約20分の検査は終わりました。また、1年後まで、胃をいたわりながら、日々の食生活に注意して暮らそうと思います。

 ところで、私は年齢にしては28本の歯がすべてあるのでラッキーです。また、頭髪について「よく染めてるのですか」といわれますが、染めてません。これらは体質もあるでしょうが、食物の種類が影響してることがあるかもしれません。

 ご参考になるかは別として、私が重点的に日々摂取してる食物は次の通りです。

 朝食は米飯です。薄味のスープを多めに飲みます。海産物として海苔、めかぶ、シラス、刺身又は焼き魚です。納豆、ニンニク、ショウガ、ミョウガ、小松菜、ニラ、レタスなどはほとんど毎日です。卵は1日1個。このほか、飲むヨーグルトは毎日です。大腸にいいと思われます。

 ところが、果物は好きですが、ほとんど食べません。食べてもほんの少しです。

 それは【おいしい果物=甘い】という公式が成り立つからです。医学に素人である私ですが、果物の摂り過ぎは、糖尿=diabetesにつながる気がしてなりません。果物を毎日たくさん食べると糖分の摂取が多くなり、成人病につながるのではないでしょうか。

 よく耳にする【野菜と果物は身体に良いからたくさん食べましょう。】は私たちに陥りやすい間違った判断を与えます。野菜は多めでもいいでしょうが、要するに日本人は飽食であるとともに、甘いものを食べ過ぎてると考えます。果物は糖分がいっぱいです。このため、量がポイントと考えてます。

 日々の食事で私たちが心すべきことは【脂肪分と塩分と糖分を少なくすること】で、総合的には【食物の種類は多く、量は少なく】を徹底したらどうでしょう。一人暮らしの私は誰も助けてくれないので、食事は内臓に良いものを選び抜き、新鮮なものを求めて買い出しです。また、朝食は量をしっかり食べます。

 近場へはクロスバイクと歩きです。足腰の鍛錬と背中の筋肉を鍛え、姿勢を正しく保ち続けたいです。

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2010年6月11日 (金)

高校時代に挑戦した130K自転車旅行の思い出

Photo 【写真は昨年晩秋利根川べりでSamuel Toddさん(右)と小生】

 私の高校時代はずいぶん昔。3年間、勉強より吹奏楽部の練習に明け暮れ、私はテナーサックスを担当しました。日曜日も練習。ある日曜と月曜の連休では、顧問が日曜の午前中のみを練習にし、翌日を休みにしてくれました。その顧問と当時生徒であった私が後に、高崎高校吹奏楽部とライバル校である前橋高校吹奏楽部の顧問同士になるとは当時夢にも考えられなかったことです。

 当時生徒であった私たちは連休二日目の月曜に珍しく練習がなく時間を持て余し、先輩の三年生3人と二年の私たち2人の合計5人で相談。壮大な自転車旅行を計画したのです。

 練習をサボって出かけるのは気が引けるので練習はすべてこなし、連休の一日半は顧問からおとがめなし。今のようにコンビニはなく一旦帰宅し母におにぎりを作ってもらい、再び学校集合。午後3時に遠出の自転車旅行に出発したのです。当時はスポーツ車でなく普通の自転車。

 目的地は群馬県中心部を大きく周遊するコース。1日目は高崎~渋川~中の条~八ッ場ダム建設予定地~長野原で泊。

 2日目は長野原~大津~(凄い登り・推定標高差500メートル)~鎌原村~峰の茶屋(浅間山登山口)~軽井沢~旧碓氷峠~松井田~安中~高崎を周遊する推定130キロのコースです。

 学校午後3時の出発が遅過ぎることは分かっていましたが、顧問指導による練習をすべてこなし、家で夕食のおにぎりを作ってもらうため仕方ありませんでした。いよいよ出発。

 群馬町を経由し日本の真ん中といわれる渋川市から吾妻川を渡ると左に折れ、一路草津方面へ。ここからJR吾妻線沿いに次第に登りになり、自転車では少しの登りもきついもの。それでも自転車通学していた17才の足腰です。

 次第に薄暗くなり、八ッ場ダム建設予定地ではもうクタクタ。5人は吾妻線わきで夕食にしました。周囲はもう真っ暗。

 このとき程、おむすびのエネルギーを感じたことはありません。5人ともウソのように元気を取り戻し、その後のペダルに重さを感じないのです。しかし、進めば進むほど勾配がきつくなり、電灯のつく自転車は2人だけだったので、先頭と最後尾が電気をつけ、中の3人は無灯火。当時の山道は車もほとんど通らず、5人の自転車のみ暗闇の中を黙々と前進しました。

 8時半頃、前方に町の灯りらしきものが見えてきたときの感動は今でも忘れません。とうとう長野原駅に着きました。到着時刻午後9時は、もうクタクタ。

 駅の待合室は誰一人客がいない時刻。私たち5人は疲労困憊でそれぞれ椅子に寝そべっていましたら、何事かと心配して駅長が近付いてきました。「6時間かかって自転車で高崎から来ました。」「どこかに安い宿泊所はありますか」と訊きましたら、駅長が近くの安宿を紹介してくれ、すぐに予約してくれました。駅長にお礼を言い駅を後にして、私たちは長野原の湯に疲れた足腰を温めました。

 若いということは一寝入りすれば疲労が消滅するもの。翌朝8時の出発は急勾配の連続。草津温泉への分岐点である大津から「峰の茶屋」まで自転車にとっては考えられない標高差。しかも、アスファルトでなくバラス道。

 降りては押しての繰り返し。しばらくして景色の良い浅間高原で一休み。安宿で作ってもらった握り飯を頬張りながら浅間山の雄姿を眺めていました。この時、私は雄大に聳える浅間山(2560m)に憧れを持ったのです。これがその後、活火山・浅間山山頂を5回極めることにつながりました。

 浅間山登山口である「峰の茶屋」が自転車周遊コースの最高地点。ここから軽井沢へは嬉しい下り坂のみ。実はここから最終目的地の高崎まで殆ど下り坂なのです。

 高崎を出て以来、「峰の茶屋」まで70Kほどは殆ど上り坂の連続であっても、ここからすべて下り坂という天と地の差。勢い余って私の自転車がパンクしてしまいました。当時、パンクの修理は自転車屋さん任せ。近くに見当たりません。通りすがりの小型トラックに乗せてもらい、軽井沢の自転車屋まで10Kほどを運んでもらいました。修理を終えた途端、待ち合わせたように仲間が下って来たので、やはり下りは楽で速いです。

 ここからは嬉しい碓氷峠の下りです。昔から交通の難所。平行するJR信越線は急勾配のためアプト式を採用し、めがね橋が有名。すべての車はこの旧碓井峠を通過するのです。

 急勾配で連続した急カーブは自転車のバンドブレーキが熱してしまい、時々休んで冷やしました。スピードがついたS字カーブ100か所余りは遠心力で道路わきの岩石に接触しないかハラハラです。霧積温泉の入口でやっと緊張感から解放。

 緩やかな道となり、横川から妙義山を眺めて無事に高崎に着きました。高校時代の部活仲間との自転車旅行は生涯でも思い出深いものになってます。

 若い時の好奇心とは異なっても、これからは糖質や脂肪を燃焼させ、心拍数90くらいを目標に、名所旧跡巡りなどを通して自転車的生活を楽しみたい。 

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2010年6月 7日 (月)

来春は期待できるトキの野生繁殖と人間の心得

Nipponia_nippon  私が本物のトキを見たのは剥製ですが、群馬県立藤岡高校内でした。あるいは学校が創立した明治時代に群馬県にも生息してたのでしょうか。創立100年を超える伝統ある男子校でしたが、近年、藤岡女子高校と統合され、群馬県立藤岡中央高校になりました。

 果たして剥製のトキは現在でも保管されてるでしょうか。純日本種は一度絶滅し、貴重な鳥類で国の特別天然記念物になっており、藤岡中央高校で大切に保管されてることを祈ります。

 ところで、佐渡に生息してた野生のトキ数羽を捕獲以来、繁殖を試みたり、平成11年には中国より贈呈されたトキも佐渡トキ保護センター内で繁殖に成功し、最近は育ったトキが自然界に放されました。これはトキが佐渡に生息してたとき以来、27年ぶりと伝えられます。放されたうち数羽が新潟県でも目撃されたようです。

 現在、トキ保護センター内では多くの雛が誕生してると伝えられ、それらを広い順化ケージ内で自然に帰れる訓練をし、近年では網を開放して野性に戻す試みが実施されてます。

 関係者のご努力が実を結び、江戸時代のように自然界に飛翔するトキの雄姿を再現したいものです。

 しかしながら、今春は自然界で期待された雛の誕生はお預けのようです。同じ鳥類であるレース鳩を50年以上飼育してる私なりに、来年の自然下での繁殖成功を期して考えてみました。

 その第一は、鳥類は人間の予想を越えて聴覚や視覚に優れていることです。特に遠方に対しての動体視力に優れ、これは天敵の存在を察知するために進化したと考えられます。

 私が気づかない時でも、レース鳩は上空に天敵が飛来するとすぐ反応し見上げます。同時に仲間に対し危険信号の声を発します。それにつられて私が上空を見ると必ず鷹や隼らしきものが獲物を狙ってます。

 今春、自然界で確認された巣でトキが行った抱卵は4組のペアといわれます。しかし、なぜか孵化には至らなかったようです。

 しかし、諦めてはなりません。人間によって確認されてない個所で雛が誕生してる可能性は捨てきれません。この場合、人間が確認しなかったことが幸いしたと考えられます。

 私が最も危惧するのは「研究所やメディアなどが特ダネ情報を求め」巣を確認したり、抱卵状況をカメラに収めることです。テレビのニュースで報道されたり、新聞に写真が掲載されます。それを私たちは自宅にいながら見ることができても、このカメラを向けることは、人間が最も慎まなくてはならない行動と考えます。

 写真を撮る方は一流のプロであっても、トキから見れば人間に変わりなく、抱卵中は特に警戒心の強いトキの性質を認識できてるとは限りません。江戸時代から明治にかけてのトキの先祖はカメラに見られての抱卵や育雛を体験してない筈です。

 カメラがいけない理由は、大きめなレンズがトキにとっては猛禽類の目に類似していると考えられます。前述のように遠方に対する視力が抜群なことから、トキにとっては真っすぐこちらを見て焦点があってることを敏感に察知してると考えらます。

 来春3月から5月にかけては、カメラによる抱卵・育雛の実況中継を決して行わないことが自然繁殖成功への道と考え、巣に200mも近付いたら寄り過ぎです。200mは猛禽類にとって数秒以下の速さで接近できる距離です。雛が孵化して1ヶ月ほどすれば大丈夫であっても、それ以前は本能的に微妙な時期で、遠方からレンズを向けることはあってはなりません。

 他の対策としては行政によるカラスの駆除でしょう。カラスはレース鳩の雛に対しても、容赦なく襲撃を繰り返します。人間生活の豊かさに比例して増えたカラスは人間の出す生ゴミほどおいしいものはないでしょう。我々人間が日々の生活において、きめ細かな対策を行った暁にのみ、野性下でトキの雛の誕生が大いに期待できると考えます。自然に放したからには自然にしておくべきです。追跡行動はあってはなりません。

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2010年6月 3日 (木)

宇宙から帰還・・・・地球の重力に慣れてください。

Photo   ニュースによると、昨年12月22日、冬至の日に地球から飛び出し、地上約350キロに浮かぶ国際宇宙ステーションISS=International Space Stationに163日間の長期滞在された宇宙飛行士・野口さんが6月2日、日本時間正午過ぎにカザフスタンの草原に無事帰還と伝えられます。

 無重力の宇宙から重力のある地球へ帰還です。この日は皮肉にも地球の日本においては「普天間問題」と「政治と金」により、総理大臣が辞任という日に重なり、宇宙からの帰還を祝福するどころではありませんでした。

 地球を約2500周しながらの無重力とは、感覚として1日の長さが確認できなかったのではないかと思われます。

 宇宙ステーションから見る地球表面は明るくなったり暗くなったり、陸と海と白い雲は見えても、国境は確認できないでしょう。ISSの進行方向により異なっても、24時間には平均して昼を16回、夜を16回経験されたことになります。地球から平均350キロ離れた宇宙空間で地球を1周するのに約90分かかるといわれるからです。1日に地球を16回も周わり、それを163日間も続けば月日や時刻、昼夜の感覚はなくなるでしょう。

 月日はISS内に掲示してある計器で確認し、地球の陰・日向を見て日本は今何時頃であるか見当がつくでしょう。

R050901_00  ISSから見る地球の光景はどんどん移り変わり、星座はISSの進行方向と逆に動き、日本では見られない南半球の星座はもちろん、見慣れた北半球の星座も地平線から次々登り、後方へ後方へと移動して見える筈です。

 星座の形は地球から見えるのと全く同じ筈です。それは地球とISSとの距離は地球と月との距離の約1000分の1だからです。月の満ち欠けも地上から見るのと同じで、動きは星座同様に後方へ後方へと移動し、地球ではありえない動きをし、しかも速いと考えらます。

 月から見る星座は地球から見る星座の形と同じであり、その意味では国際宇宙ステーションに行っても、星座の形は何ら変化はありません。これは惑星から見ても、星座の形は地球上から見る形と同じなので、ましてや、ISSからでは全く変化はない筈です。

 ところでニュースによると、6月2日、野口さんたちはISSからソユーズのカプセルに移動しハッチを閉鎖後、ISSを離れ大気圏に突入し、約20分後にパラシュートで降下し、カザフスタンの草原に着陸したとのことです。

 地球に住む私たちには体験できないこと。それは寝ても覚めても、無重力が続く状態です。食べ物を摂取する方法はいろいろ工夫できても、排泄物の処理方法は至難の技でしょう。

 搭乗期間、野口さんは各種実験を実施し、4月7日~17日は山崎直子さんとISS内で顔を揃えるという日本人宇宙飛行士始まって以来のことになりました。

 長い期間、無重力で過ごした肉体は重力のある地球上にすぐに馴染めないと思われます。骨と筋肉の回復に約1ヵ月半のリハビリが必要といわれます。宇宙空間での血液循環は身体各部へ平均して血圧がかかるでしょう。負荷をかけられなかった下半身の骨や筋肉は弱ってると考えられ、三半規管の働きが鈍ってしまったでしょう。

 人の身体は地上に住むように出来てます。宇宙から帰還すると地上での生活が難しいでしょう。

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