« 2010年11月 | トップページ | 2011年1月 »

2010年12月

2010年12月30日 (木)

2011年「初日の出」直前に月と金星がランデブー

12月31日午後12時で私たちの住む地球は9億Km以上ある公転軌道上を一周し終わります。この瞬間シリウスは真南にあります。除夜の鐘を叩くとき、ぜひ、南の空をご覧ください。

 太陽暦は365日の中で「シリウスが午前0時に真南に来たとき」を1月1日にしたと考えられます。このことから、私は1月1日は天文学的に大きな意味を持ってると考えてます。

 昔は1月1日に学校へ行き「年の初めのためしとて、終わりなき世のめでたさを・・・」と歌いました。その昔は12月31日でこの世が終わる気がしたのでしょうか。無事に1月1日が来てホッとしたかのような歌です。

 地球は誕生以来、太陽の周りを40億周ほど回ったことになってます。

 一方、40億年という時間を実感として捉える事はできないでしょう。私の考えでは、指の爪が伸びる速さが地球1周するのに必要な時間と考えてます。・・・少しは分かりやすいでしょうか。

 というのは、地球の周囲は4万kmです。これは40億㎝のことですから、仮に爪が1年に1㎝伸びる速さで地球1周するのにかかる時間が40億年となります。一説には地球の年齢は45億年ともいわれるので、ますます考えられない古いことです。

 ところで、最近、夜明け前に南東の空を見ると明の明星(金星)=Luciferが光り輝いているところへ下弦の月(左が明るい三日月)=waning moonが近づきつつあります。

 このまま行くと2011年の「初日の出」前の午前6時から6時半には金星と月がランデブーの姿で「初日の出」を迎えるような位置にあるでしょう。この光景は毎年あることでなく、2011年の初日の出は珍しい天体の絵巻物になると想像してます。

 しかも、多くの方にとって一生涯に見ることが殆どないと思われる「水星」が太陽の出る右斜め上の地平線近くに見える可能性があります。

 日の出直前では屈折した太陽光に遮られるので、確認できるチャンスはほんの短時間の筈です。早過ぎれば水星そのものが地平線(or水平線)から登って来ません。時間が経過すれば眩しくて見えません。太陽に近い惑星なので日の出直前か、日没直後に見られる内惑星です。

 水星は地球が太陽の周りを1周する間に4周ほど回ります。

 【国立天文台より・・・クリック拡大してください】

 日本列島は東西にも南北にも長いので日の出時刻が異なりますが、関東では6時50分前後となります。

2011年の「初日の出」は、月と金星のランデブー姿を味わいながら、来る年の平和や健康、願いの実現を祈りたいものです。私の願いは月と金星のランデブーにあやかり、脱一人暮らしです。

| | コメント (2)

2010年12月26日 (日)

「自分に限界をつらない」をモットーに・・・桐生商業吹奏楽部の定期演奏会

180  宇宙船のような桐生市民文化会館シルクホールに於いて開催された群馬県・桐生商業高校吹奏楽部による第46回定期演奏会を拝聴しました。

 ご覧の通り、ユニークな建物が目を引きます。住いの倉賀野から桐生までは車で1時間ほどかかりましたが、到着すると会場は長い行列をした入場者で満ち溢れていました。

 ロビーではサックス3重奏が輝かしく魅力ある音色で私たちを迎えてくれました。サックスが好きな私は思わず一緒に吹きたくなりました。それは余りにも素敵な音色・メリハリあるテンポだったからです。

 いよいよ演奏の開始。指揮者の伴野先生がステージに登場するかと注目するや否や、颯爽と指揮台に立たれました。それにしても第1曲目の「オーディナリーマーチ」は吹奏楽のオリジナルのためか、躍動的な吹奏楽の持ち味を十分に発揮する曲です。

 演奏には身を乗り出すほどで大変惹きつけられました。快いテンポ感・リズム感は指揮者の先生の美的センスそのものでしょう。これを聴くと吹奏楽はやはりマーチが本業かと思わざるをえません。

 クラリネットを中心とした流麗にして爽やかさ漲る木管群、ピッコロ・フリュートの透き通る音色と相対する対位旋律はとても歯切れよく、アンサンブルの素晴らしさはセクションによる練習の賜物と認識できました。

 続いて「バッカナール」はさすが大作曲家の作品だけあって、次々と魅力的な旋律が胸を打ちます。若き日インドに滞在してた私はインドから中近東にかけた音楽に通ずるものが蘇り、物悲しさ漂う懐かしい旋律に惹きつけられました。

 特に、オーボエの音色は会場内によく響き渡り、メランコリーな表現はものの見事にこの世界に入り、正しい音程に支えられた美的音色や腕はなかなか見事なものです。私は2階席で拝聴しましたが、会場いっぱいにアラビア風な物悲しさが響き渡りました。

 どの楽器でも同様でしょうが、小さい音であっても、遠方によく響き渡るかどうかを想像して練習すると音色の向上につながり、より魅力的な音になるのではないかと、ふと感じました。

 静寂さ漂う中、カスタネットやトライアングルなどによる迫力あるリズムの連続は金管や木管と対比し、緊迫感を伴って躍動的に聞こえました。このように対称的な動きが聴く人をその音楽の虜にするようです。これはバロック音楽に多い対位法の一種と考えられます。

 「星条旗を永遠なれ」はスーザの名曲であるとともにすべてのマーチの中でも、特異な輝きを持ってることを演奏を通して再認識できました。それはトリオにおけるピッコロ・フリュートによる難しいオブリガートです。

 これらの楽器の4名が前面に登場され、これがあたかも主旋律であるかの如くのバランスはさすが指揮者の先生の持っていき方でしょう。そして繰り返しでは文字通り、主旋律が主役となり、テンポもアッチェルランド気味で迫力と美的テンポに聴衆の心は満たされました。

 ステージにあって指揮者ができることは快いテンポ感・きびきびしたリズム感の創造でしょう。これらは練習時と異なって当然と思います。ここに本番の喜びが生まれます。

 聴く音楽から見る音楽へと変化したのは2部、3部です。演奏をしながら動くことは心掛けることがたくさんあり誠に難しいものです。演奏してる人には全体の動きが見られません。

 しかし、観客は常に全体の動きが分かり、とても見応えがあります。ステージドリルと言ってしまいますが、これは美術と音楽のコラボレーションで総合芸術に近くなります。今年度の県代表と報告があったので、なるほどと頷ける機敏さと堂々とした表情、あくまで美的であることが感じられました。

 これを最後に引退する3年生にとっては誠にお疲れ様で、誠に喜びに満ちたステージであったでしょう。吹奏楽部における幾多の活動はすべて卒業後のより良い生き方につながるものと確信しました。謝謝

| | コメント (2)

2010年12月24日 (金)

秋300Kまで参加した成果が春に発揮されるか

 クリスマスイヴの24日(金)は栃木県足尾からの連合会50キロ訓練の持寄で25日(土)に放鳩予定です。

 秋レース後、11月から今まで個人訓練及び他団体のコンテナ輸送による合同訓練に乗り、訓練を5回しました。個人の放鳩場所は群馬県内の前橋富田町、大間々高台、合同訓練は桐生、栃木県内では足利、葛生50Kです。いずれも朝のうちに帰還しおおむね良好で後日の帰還はありませんでした。

 参加鳩する30羽のうち半数の18羽が秋レースで宮城県古川市300Kを経験してます。

 当舎は長い期間、舎外などの理由により秋レースに参加しない方針でしたが、強豪である連合会仲間の勧誘があり、「秋やれば春は必ず良い」との強い勧めで今年は秋をやりました。

 当初200Kまでの参加予定でしたが、300Kまで参加費をまとめて払ってあることもあり、結局、古川300キロまで参加しました。

 このように秋を体験した鳩が参加鳩にいることは暫くぶりなので、以前より結果が出るか楽しみです。強豪ひしめく中、近年では結果が芳しくなく、一桁に入るのは年間1~2回です。

 写真のように、レースマンとしては何百キロという遠方から飛来し、鳩舎上空に差し掛かった瞬間が最も楽しい時です。

 他の状況が見えない鳩レースでは、果たして連合会の中で、あるいは連盟の中でトップに飛来してるのだろうかと胸をときめかせてるものです。しかし、連合会事務所に行くと次第に情報が分かり、それほど速くないことに落胆するものです。でも、今度こそと思う気持ちが管理や訓練にプラスとなるものです。

 30年以前はほとんど毎回1桁に入ってたので、その理由を思い出してもミュ二イエ系や上州マダム号、イギリスのミッチーソン系、ベルギーのファブリ系など、たまたま良い血統に恵まれていたほかに見当たりません。

 血統的に現在は30年前とは比較にならないオランダの血統を飼育してるので、近未来に芽が出てほしいものと日夜管理に勤しんでるところです。

 鳩舎内は冬場の夜間、かなり気温が下がるので余り下がらない工夫をしてます。換気の調整ができる設備でも、平素、南側以外は開いてない状態にしています。

 ここが到着するアルカディア式入舎口で、帰還した鳩は上から入る自動入舎です。レース時以外は雛の馴致に使う展望台です。

 実は最近、同じ倉賀野町で下町の0さんが退職を機会にレースを再開することになり、私は嬉しく思います。郊外では3鳩舎があっても、倉賀野町の町中では当舎のみでしたから、何かと心強いです。現在、鳩舎建築中で時々進捗状況を見学させてもらってます。来秋からレースに参加されます。

 レースは戦いであっても、ヨーロッパで始まった高尚な趣味を共有するのですから、レース鳩を媒介にして人間的交流はそれ以上をお願いしたいと思ってます。

 ところで、訓練及びレース開始の今の時期、レースマンにとっては作出というレース鳩飼育の原点が迫ってます。今春は20ペアー交配予定で、暮れから正月にかけては血統書とにらめっこです。しかし、それ以上に個体と個体の鳩質をしっかり捉えることが基本と思ってます。シルクタッチなどは掴んで認識できるものです。

 今のところ決定してる交配は1、オランダ・プロンク鳩舎作翔スチール号×香山鳩舎作スチール号孫でデ・ヨング89号孫、2、香山鳩舎作スーパーイヤリング号直仔×オランダ・サムデヨング鳩舎作出鳩、3、茨城・高塚鳩舎作・稚内クイーン号孫×高塚鳩舎作・GN2回記録鳩直仔です。10羽以上いるスチール号直仔やサムデヨング直仔などの交配を次第に詰めていきます。

 暮れから正月はこれらの交配を考えるため、好きなお酒が十分飲めるでしょうか。レース勝利の美酒を夢見て頑張ろう。 

| | コメント (0)

2010年12月20日 (月)

ろうばいの郷から群馬の秘湯・・・砦乃湯へ    by Audi TT Quattro

170   群馬テレビのニュースで松井田町の「ろうばいの郷」が放映され、今月から来月まで開園とのことで、早速Audi TT Quattroを走らせました。ろうばいもAudiも黄色です。

 上信越道が開通したお陰で、倉賀野から一般道である国道18号線はスイスイです。「ろうばいの郷」がある松井田町上増田一帯は、その昔、上細野原縄文人が住んでた形跡のある地です。

 地形全体を眺めると、なるほど縄文人が安住の地として生活した理由が納得できます。四方が遠く見渡せる広く高い位置はのどかな高原。川の氾濫は心配ないところです。

 この安全な自然環境を見て、私は渋川市郊外・子持山麓に位置する日本のポンペイと呼ばれる黒井峯遺跡に共通する古代人の心理が読み取れました。黒井峯遺跡は6~7世紀に起きた榛名山二ッ岳の大噴火により、現在でも古代人の住居が埋没したままの地です。やはり眺めのよい場所で私のレース鳩訓練地でもあります。

 同様にここ上細野原一帯も、遠くに浅間山を望み、周囲に比べ標高があって広々した地勢を成し、昔も台風が襲った筈で洪水の心配、また、夜行性猛獣の心配がない地と認識できます。

 一方、高台は他の豪族など敵の来襲を素早く見つけるにも好都合であること、日当たり良く食物の栽培には適地であることを考えると、縄文人がここを安住の地に選んだことが頷けました。

168 ところで、この地に10年ほど前から「ろうばいの郷」が開園しました。12月下旬は時季的に少々早くとも、推定300本ほどのろうばいが3分咲きでした。

 現在は花の少ない時季だけに香りとともにのどかな時間を過ごすことができました。香りは梅に似てても、枝ぶりは梅とは異なり灌木ふうです。見物客はちらほらで毎年、正月から賑わうとのことです。

171  群馬の地にお出での際は立ち寄られることをお勧めいたします。アクセスは松井田インター下車で倉渕方面に向かうと標識があるので分かります。

 この日は天気も良く、遊歩道を散策しながら黄色い花々とその香りを十分に堪能できました。そして、足もほのかに疲労し、帰路に温泉に入ることにしました。

 係員に近くの日帰り温泉の有無を尋ねたら、天然温泉かけ流しの「砦乃湯」を紹介してくれました。

 早速、ナビを頼りに山道を15分ほどの登りです。実はカーブの多い山また山を行ったり来たりで迷いました。ナビも山岳地帯で機能が低下し困ってるようです。群馬の秘湯は簡単には見つからず、すれ違う車のない1本道を走り続けたら、やっと宿らしい建物が見つかり、ホッとしました。

 天然温泉かけ流しとあって、お湯の量はもったいないほど。山に囲まれた露天風呂をしばし一人で満喫できても、季節は12月下旬。お湯から出るとブルブルで急いで内湯へザブンです。時刻は3時半なのに辺りはすでに薄暗い佇まい。山がすぐそばに迫ってます。

172  この「砦乃湯」は日帰り温泉ゆえ宿泊はないとのことですが、食事はいろいろあり便利です。将来、家族ができたら再度訪れたい気持ちが脳裏をかすめました。

 今回は行きませんでしたが、近くには落差15mの「仙ヶ滝」があり、ここは松井田城築城のときの水源といわれ、名の由来は、落城の折ここまで逃げのびたお仙という姫が身を投げたと伝えられてます。

 こなんことでAudi TT Quattroは山岳道路で十分にその威力を発揮し、小春日和に咲くろうばいの郷と群馬の秘湯を提供してくれました。 

| | コメント (0)

2010年12月16日 (木)

アメリカ景気回復で2011年は円安・株高を期待

 為替レート2010年は1ドル93円で始まり、6月上旬まで90円台を保っていたが、その後、じわじわ上昇し、7月に88~86円、8月は85円台が続き、9月より84~83円、10月9日から11月10日までの1ヶ月間は81~80円のドル安・円高の連続でした。

 この結果、特に国内の自動車、電機といった輸出企業では業績の懸念が拡大しました。

 ところが、【最近は83~84円台へと円安傾向に推移】です。

 日経平均株価(225種)では、2010年は10654円で始まり、4月には11000円台を保ち、このまま上昇かと期待を持たせましたが、円高に嫌気がさし、5月下旬に10000円を割り、6月~8月中旬は9000円台、そして8月31日が8824円と年初来安値を付けました。その後暫く9000円台が続きました。

 しかし、【最近は5ヶ月振りに10000円台を回復】です。

 一方、米国ダウ平均株価は2009年は10000ドルを割っていたが、2010年になり一進一退があっても、10000ドル台を保っています。

 そして、【10月9日から11000ドル台をキープ】です。

 ナスダック市場では2010年は2308で始まり、4月に2400台、その後、落ち込んでも11月には2500台を保ってます。

 年末になり【12月9日より2600台と上昇傾向】です。

 私は「経済の現状と見通し」については素人です。しかし、素人は素人なりに真剣であり、世界経済に対するアンテナはよく感知するようにしてます。

 近年、見かけ上、新興国が発展してても、9%前後の失業率、及びサブプライム問題、リーマンショックから米国経済が本格的に回復しなければ、世界経済の回復は限定的であると考えてます。

 前述のダウ平均、ナスダック市場が上昇傾向にある現状を見ると、アメリカ経済は少しずつではあるが回復してると見ます。果たして2011年の世界経済は停滞から脱出し、上昇機運になるでしょうか。

 しかし、依然として先行きに慎重にならざるをえない点は、米国内における失業率が2011年も9%と予想されます。これを改善するには現在の株価ではまだ不十分のようです。

 同様に、欧州でも依然として一部の国において財政・金融不安がくすぶり、中国の金融引き締めも懸念材料として残ってます。

 このような現状でも、2011年のアメリカ景気回復はリーマンショック前の水準への回復が次第に視野に入りつつあり、日本経済が株価において出口に差し掛かる日は近づいているとの見方が証券業界を中心に多くなりました。

 ところで、クリスマスから年末を控え証券会社やシンクタンク各社は2011年の日経平均株価の見通しを発表しました。

 それによると、各社とも景気回復にかなり強気のようです。理由は企業業績の回復が株価に織り込まれること、アメリカ景気回復でドル高・円安が進行すること、債券から株式に資金が流入する傾向、日銀による上場投資信託買い入れに効果が期待できるとの予想です。

 各社の予想する2011年の日経平均株価は9000円台から12000~13000円、あるいは14000円もあります。

 私見では、アメリカ景気回復で金利が上昇し、ドルを買って円を売る動きが加速すれば為替レート1ドル100円以上の可能性も考えてます。こうなれば輸出企業の業績回復が期待できます。

 果たして、来年の日本経済は2005年~2006年初頭の水準に回復するでしょうか。現状と期待感とのギャップに揺れる日々が続きます。

| | コメント (0)

2010年12月14日 (火)

駐日ニュージーランド大使歓迎レセプションに参加

 23年前、ニュージーランド・オークランド出身のBarry Spence氏が私の職場のALT=Assistant Language Teacherとして家族3人で来日し、1年間、高崎市に滞在されました。

 本人は日本語を勉強中なので心配いりませんでしたが、それでも慣れない日本の生活に順応するため、また、奥様と小学4年の娘さんは日本語を理解しないので最初の1週間は私の家にホームステイしました。

 3人は私の家族とも親しくなり、住居としてアパートが決まってからも毎週土日に我が家に遊びに来ました。

 勤め先ではどうしたことか、彼は会議のとき私の隣の席に座るようになりました。ニュージーランドで日本語を勉強して来日しても、会議に出る教育用語は難解だったと想われ、説明するように心がけましたが、発言中、その内容を声に出して通訳することは、静寂の中、数名の英語の先生も聴いており、私としてはかなりの勇気が要りました。

 それでもSpence氏はれっきとした職員なので会議内容を知る必要があります。私は同時通訳=simultaneous Interpreterの真似をして訳しました。英語を専門としない私がどういうことかと思いましたが、毎回、彼の方から私の席の隣に座るので親切にせざるをえなかったのです。

 しかし、この環境がその後の英語学習を革命的に変えざるを得なくなり、それは一にも二にも「この日本語を英語でどう表現するか」という取り組みです。

 従来の学習は「この英語の意味は何か」という方法が私の主流でしたが、それは重要であることに間違いありません。しかし、その日の話題を伝える必要があり、「必要は発明の母」=Necessity is the mother of invention.の状態であったと思います。

 それ以来、テレビから新語が出ると「英語では何と言うのだろう」という潜在的な力が働き、番組を楽しむ余裕がなかったように思います。

 思いもよらぬことで日本語のテレビやラジオがボキャブラリーの教材になりました。時事ニュースも説明するように心がけ、それ以来、私のボキャブラリー挑戦が始まりました。

 現在は和英辞典と口語=colloquialismの辞典は座右の書です。

 しかし、現実は脳になかなか定着してくれません。実際に声を出して使うと覚えるようです。覚えた単語は独り言でも言ってみました。

 このようにニュージーランドの家族をホームステイで受け入れたことが元になり、英語やニュージーランドに関心が深まりました。

 ところで本題の駐日大使歓迎パーティーは群馬県ニュージーランド協会主催により、前橋の結婚式場ティーナ・カーラで行なわれ約100名の参加者がありました。ニュージーランドの方は数名が見られました。

 駐日ニュージーランド大使=the New Zealand ambassador to TokyoのKennedy氏は流暢な日本語で挨拶され驚きました。語学の学び方を拝聴したかったです。奥様が群馬県出身とのことで群馬県に愛着があるようです。彼は母国の古い生い立ちや歴史について、ラグビーのワールドカップが2011年に同国であること、両国の民間による文化交流がこれから大切であると話されました。

 また、両国は春夏秋冬が逆であっても、温暖な気候が似てること、互いに環太平洋の国であること、いろんな面で共通点が見出されると話されました。

 参加者の中には元・同僚も数名いて久々の再会です。

 今回の歓迎会は友人Samuel Todd氏のご厚意により参加できました。彼の英語道場Aotea English schoolで学ばれてるU氏ご夫妻も参加され、初対面でも話しが弾み楽しめました。

  会では最後にクリスマスプレゼントの催しがあり、私は財布が当りました。ご覧の通り、地図と国旗をあしらったもので、国旗には南十字星があり、若き日、インドの最南端で見た体験はあっても、天体に興味尽きない私は近未来に、どこか日本列島の形に似てるニュージーランドを訪れ、久々にSpence氏に再会したり、憧れの南十字星を眺めてみたい。

| | コメント (0)

2010年12月 8日 (水)

古き時代の倉賀野を伝える写真展

 倉賀野まちづくりネットワークの方々のご努力により開催された「写真で見る倉賀野いま・むかし」の写真展を鑑賞しました。私たちにとって懐かしい四つ角に位置する旧・堀口商店に於いて、新旧数々の写真を拝見し、忘れかけてた倉賀野の昔を客観的に振り返ることができました。

 内部は撮影禁止なので役員にお願いし、個々の展示写真でなく全体の雰囲気を撮りました。一方、ブログ内の大きな写真は私の家にあった倉賀野小百年史から抜粋しました。

 倉賀野は昭和38年に高崎市に合併。それまでは町長選挙や町会議員選挙があり、町にリーダーが存在し、活気に満ちてたことが思い出されます。

 倉賀野は江戸時代の河岸の面影や、1月14日の晩の山車が出るお祭り、7月14日の万灯町内別行進によるワッショイ、閻魔堂のお祭り、諏訪神社のお祭り、倉賀野神社の春秋二回の大祭があり、中仙道の休憩地であった松並木は江戸時代の名残です。高崎市の中でも独自の文化、独自の歴史を持っていたので、それらが消えつつあることは寂しさの極みです。

 しかしながら、今回、倉賀野を愛する「まちづくりネットワーク」の方々によって、このように写真展を開催していただき、心はすぐに子供時代に戻りました。

 私が子供の頃は戦後で、靴がなく下駄で学校へ通ったり、平素は裸足で遊ぶことが多かったです。運動会も多くは裸足でした。男の子の多くは鳩を飼ってました。私はその中の一人で、レース鳩に代わりましたが、それ以来現在まで55年間飼育してます。鳩に接する気持ちは当時と変わりません。

 水道はなく井戸があり、それが近所のつながりとなり、正真正銘の井戸端会議は自然に見られる光景でした。

 町の様子では、早朝はナットナットウと遠くまで聞こえて、三角形のへギに包んだ納豆を売る人の声、夏は鐘をチンチン鳴らしながら自転車で売り回るアイスキャンデーのおじさん、烏川での水浴び、拍子木を叩いて子供たちを集める紙芝居、子供たちは水飴を舐めながら鑑賞します。

 その他、開店などでは景気のよいチンドン屋、天秤棒にぶら下げて歩く金魚売り、年間を通して深編み傘をかぶり尺八を吹きながら歩く虚無僧、夕刻はピーポーとラッパを鳴らしながら自転車で売る豆腐屋、富山からの薬売り、大八車を引く便利屋さん、駅から駅までの本当の駅伝、競輪選手のロード練習、いわゆる乞食と称する人の往来、トイレは水洗でなく衛生車もなく、農家の方がもらって天秤棒に担いで畑に撒きに行きました。農業は牛や馬の力を利用しての田畑での作業。

 大通りは長い列をした進駐軍や保安隊(現在の自衛隊)の戦車による通過、年の瀬に各商店は幟を立てての大売り出し、正月の福引き、特にジャンボンと称するお寺までの葬式の行列は現代の若い方や子供が見たら異様な光景でしょう。

 ジャンボンの行列の長さは20m~100mほどです。行列しながらシンバルと鐘を交互にたたくのでジャンボンといいました。お金を撒くので私はよく拾ったものです。今回の写真展にこの光景が写ってました。

 写真展の写真は規則でアップできないので申し訳ありません。その代わり私の家にあった写真を掲載します。

 下の写真は仲町で十一屋(今のベイシア)付近を撮ったものです。左側に私の家であった原道屋(白壁が剥げてる)が見えます。右側は十一屋の大きな三つの蔵です。車は年代物、女性は白のエプロン姿です。右側に「ほねつぎ」の標識が見えますが、大門の私の叔父がほねつぎをしてました。

 高崎市の中でも、倉賀野は大昔から独自の文化があって、それは七世紀の古墳に象徴されます。現在でも浅間山(せんげんやま)古墳、大鶴巻古墳、小鶴巻古墳などが昔のまま残ってます。倉賀野に豪族がいた証を今に伝えてます。

 来春の統一地方選挙では倉賀野地区から市会議員の立候補が予想されてますが、当選した暁には高崎市の一議員の感覚に終始せず、党派会派に固執せず、ぜひ倉賀野のリーダーとなり、全町民が和気あいあいとして絆が強まることを第一に考え、倉賀野の独自性を盛り上げる町づくりを実践してほしてものです。

| | コメント (4)

2010年12月 6日 (月)

冬至より日の入り時刻が早い今日この頃

 本日の日の出は6時41分で、日の入りは16時28分です。実は日の入りについては12月4日~8日が16時28分(群馬県)で、1年でも最も早い日没です。群馬県西南部は妙義山や荒船山などが聳え、実際に山の稜線に日が沈むのは16時を少し過ぎた頃です。冬至の22日に日没時刻は現在より4分ほど遅くなり、夕方については少し日が伸びてる現象です。

 日の出については、12月30日から1月3日までが6時55分(群馬県)で一年でも最も遅くなります。日の入りの早い頃と、日の出の遅い頃とは1ヶ月弱ずれてます。正月を過ぎると、夕方、日が伸びた感じになるのはこのためでしょう。

 日没時刻は異なっても、日本のみならず、北半球の国々(北極圏以南)では本日6日頃の日の入りが1年で最も早いと推測します。

 ところで、今年の冬至=the winter solsticeは22日ですが、前日の21日に皆既月食=total eclipse of the moonが見られそうです。国立天文台によると夕刻東の空に欠けた状態で月が昇り、16時40分に皆既月食になるので、気がつき難いと思われます。

 それでも、赤銅色した満月がほのかに見えるのは誠に幻想的です。地球を取り巻く大気に太陽の光があたり、それが内側に屈折し、月を照らすと考えられてます。月が本影の中にあっても、薄暗く見えるのはこのためでしょう。光の中でも特に赤は屈折度が高く本影内に達すると考えられます。

 この現象は私たちが日常でも体験することで、夕刻、陽が沈んでも西の空が赤いことや、日の出前に空が赤くなることはよく体験することです。もうすぐ来る初日の出の際に、このことも実感したいものです。

 ところで、1時間13分間の皆既月食は17時53分に終わり、その後は左側が三日月の状態から次第に大きくなり、19時01分には満月に戻ると計算されてます。(群馬県での時刻)

 冬至の前日に起こる皆既月食とは珍しいでしょう。太陽暦と月の動きは一定でないので、たまにはこんな現象も起こるのでしょう。

 それにしても、地球と月はそれぞれ宇宙空間に常に「とんがり帽子」のような影(本影)ができてます。月の影の中に地球が入れば日食です。下の写真は日食のときの地上の様子を衛星から撮影したものです。

 反対に、地球の影に満月が入れば月食です。太陽、地球、月が一直線上に並ぶとは神秘です。今回の月食はインドからヨーロッパにかけては見られませんね。アメリカでは早朝、西の空に見えるかもしれません。

 ところで、私は月にいることをよく夢みます。例えば、今回の月食のとき月から地球を見たらどう見えるでしょう。私の推測では、地球は真っ黒で五大陸や海は見えないでしょう。そして、地球が太陽をすっぽり隠してしまいます。

 しかし、前述の通り、地球をすっぽり包んでいる大気は太陽の光のうち赤色がよく屈折するので地球の周囲からは屈折した光がほのかに見え、暗黒の宇宙の中に何とも神秘的な地球の光景と推測します。

 その後、1時間ほどすると太陽が顔を出し、次第に地球の大陸などが満月に輝いてうっすらと見えるのではないかと思います。そして、大陸が刻々と西から東に移動することが確認できれば感動ものでしょうが、実際は太陽の光の強さで見えないでしょう。

 地球の自転により、大陸の動きが見えるのは新月のとき、月面にいればはっきり見えると考えられます。皆さんはどう想像されますか。

 また、月から見た地球の大きさは見かけ上、月の何倍ほどの大きさに見えると思いますか。私は4倍弱の大きさに見えると推測してます。いつか行って確認したいものです。

| | コメント (0)

2010年12月 2日 (木)

現職市長が引退表明・・・スタートした高崎市長選

 現職市長の松浦幸雄氏(80)は1日の市議会で、来春の高崎市長選に出馬しない考えを表明したと伝えられます。

 氏は現在、6期目で現職市長として全国最高齢で、在任期間24年も全国最長となる名物市長といえるでしょう。

 「来春3月に開通する北関東自動車道(群馬・高崎~茨城・大洗)を効果的に活用し、商都・高崎の更なる発展を推し進めいてもらいたい」と引退表明されたと報じられてます。

 在任中の主な業績は3回にわたる市町村合併の推進、中核都市移行への道筋、高崎駅前再開発などの都市計画、中国・承徳市などと姉妹都市提携、また、映画祭や音楽祭など文化芸術活動に力を注がれました。

 氏の引退表明により、高崎市ではいよいよ市長選の火蓋が切られました。

 新聞報道によると、これまで正式に立候補を表明してるのは新人2人で、前県立女子大学長、及び市議で、そのほか複数の出馬が取りざたされているようです。

 市長選は地元にとって重大な選挙。市民生活に密接に関係します。以前から市民にとって親しみがあったり、市民によく知られてる方が有利であることは間違いないでしょう。

Dscf0084  そこが国会議員選挙や県議会選挙、知事選とは異なる要素と考えられます。それに代わって結果を大きく左右する要素は、案外、地元の学閥=academic cliqueがウェイトを占めるのではないでしょうか。県外より特に地元高崎に住んでる卒業生が多い高崎市内の歴史ある実業高校出身者が有利かもしれません。

 私の知る限り、高崎市長はすでに約半世紀にわたり、2代連続して高崎商業の卒業生です。前・沼賀市長は高崎商業~東京大学、現・松浦市長は高崎商業に入学(県の方針により戦争中の高商・高工合併により卒業時は高崎工業)~早稲田大学です。

 地方都市であるからこそ、これは想定外に強固な地盤です。選挙が行われた場合、前述の2名の市長は午後8時から始まった即日開票では、いずれも開票後20分ほどで当確が出たと記憶してます。

 当選は一人である市長選に同じ高校出身者が2人以上立候補することがあれば、同窓会としては片方のみを応援できません。

  一方、高崎は総理大臣を3名輩出した市で、福田派(親子)、中曽根派とよくいわれます。しかし、市長選は、国会の派閥より、地元の高校の学閥が大きいことは間違いなさそうです。

 高崎で生まれ育った私は次期市長選挙に大きな関心を持ってます。公務員であったことから、選挙運動は厳禁されてました。

 しかし、現在は自由の身。選挙事務所とはどういうものか覗き、立候補者本人や関係者と懇談したり、立ち会い演説会を積極的に拝聴し、高崎市が躍進するための未来像、高崎市民の安心安全、何より高崎の未来を背負う子供たちの教育、今日の高崎の基礎を築いた高齢者の生甲斐支援をどのように明確に語れるか確認し、最後の判断は人柄とリーダーシップで判断したい。

| | コメント (4)

« 2010年11月 | トップページ | 2011年1月 »