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2011年3月

2011年3月31日 (木)

高崎商業高校吹奏楽部による重厚な校歌に感銘

★震災に遭遇された方々に衷心よりお見舞い申し上げます。   ★「がんばろう日本」を合言葉に電気節約、燃料節約、まとめ買いしないなど私にできることの実践に努めます。

Kosya2011  本日、群馬県立高崎商業高等学校吹奏楽部の練習を拝見する機会に恵まれ、昭和時代に11年間この吹奏楽部の顧問だった私は、とりわけ故郷のような懐かしさを感じました。

 練習を拝見拝聴し、私が勤務してたころは、現在の生徒さんは生まれてなかった時代であっても当時の伝統は確実に生きており、時代は四半世紀以上、変遷しても高商精神は脈々と受け継がれていることが感じ取れました。

 それは練習中、指揮者の先生を見る真剣な眼差し、指示を受けると必ずしっかりした返事が返り、とても清々しいものです。教師の一言一言を聞き漏らすまいとする学びの精神は社会に出ても向学心のある人に成長されるでしょう。

 私が音楽室に伺ったとき、顧問のO先生が「この吹奏楽部のかつての顧問であった」と私を部員に紹介してくださいましたが、長い間、ご無沙汰してたので申し訳ない気持でいっぱいでした。

 練習は調性を変化させての連続した音階練習です。ドラムセクションのテンポに合わせ、次第に速度を上げていきます。スムースにできることが目的でも、この練習によって音楽にはたくさんの調性(長調12、短調12)があることを実感したり、どんなに指が難関でも、音程と目指す音色から美的判断が離れてはならないでしょう。

   ところで、たまたまこの日は今年度限りで転出される先生方の実質上の「お別れの儀式」が行なわれるとのこと。正面玄関に並んだ先生方に、吹奏楽部員はスーザ作曲「エル・キャピタン」、続いて懐かしい校歌を高らかに演奏し、転出する先生方に送別と感謝の気持ちを伝えていました。春休みとあって部活動をしてる多くの生徒が集まり、先生方も見送っておられました。

 高崎商業の歴史を繙くと、学校創立は明治35年、校歌制定は大正15年と記されてます。作詞者・相馬御風は新潟県糸魚川からわざわざ高崎に来られ、群馬高崎の雄大な自然、当時の生徒の剛健さなど観察され作詞されたと記されてます。早稲田実業や早稲田大学の「都の西北」と歌われる校歌も彼の作詞です。

 一方、作曲はこれまた有名な弘田龍太郎です。「叱られて」「浜千鳥」「鯉のぼり」「雀の学校」「春よ来い」「お山のお猿」「雨」「靴が鳴る」「小諸なる古城のほとり」などの作曲で知られてます。

 このため、高崎商業高校の校歌はすでに86年間歌い継がれており、これからも変わることなく、未来の生徒へ脈々と歌い継がれていくことでしょう。

 私は特に3番4番の歌詞に味わい深さを感じます。上毛三山(赤城山、榛名山、妙義山)の雄姿にも勝る揺るぎない操守・信念を持つことや、暗雲立ち込める時代に生きても変わりない己の使命の重さを諭してます。高商生徒・卒業生は一丸となって、常に心ゆるめず勉学に励み、母校の誉れを歌い上げてます。

 不思議なことに歌詞の中に校名は一度も出てきません。これは相馬御風が学舎の品格に重点を置き、応援歌ふうにならぬよう配慮したり、揺るぎない勉学の精神、特に困難に立ち向かう気迫さに重点を置いてる所以と考えられます。

http://www.takasyo-hs.gsn.ed.jp/gaiyou/kouka.htm

   昨年、マーチング全国大会に出場という金字塔を立て、ディズニーランドでの招待演奏に臨んだ部員たちで、高校生として誠に充実していると言えるでしょう。 

高商吹奏楽部のみなさん、人間味豊かな顧問教師指導のもと、これからも素敵な音楽づくりを目指してください。

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2011年3月28日 (月)

Audi TT Quattroで「妙義ふるさと美術館」へ走る

 ★この度の東日本巨大地震で被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。

 群馬県でも地震以来ガソリンが手に入らずAudi TT Quattro黄色は車庫の中で静かにしてました。昨日になって並ばなくても給油ができました。

 この日は久々の快晴だったので眠っていたターボエンジンの調子を上げるため、遠くへ走らせてみようと名峰・妙義山へ英語版ナビをセットしました。

278  妙義山は未だ早春の佇まいです。写真をクリックしてください。 正面の巨大な岩山が妙義山系の最高峰・白雲山(1104m)です。中腹右寄りに「大」の字が見えますが、ここに中学生のときバスケット部の仲間と登ったことがあります。登山道は急勾配でも景色は最高。当時の私は高所恐怖症=acrophobiaでした。

 左の黄色の車が愛車です。右の幾何学的=geometricalな殿堂が「妙義ふるさと美術館」です。大自然に囲まれた美術館の3階は展望台になっており、妙義山を心ゆくまで眺められ、自然の中で一人物思いにふけることのできる空間です。私は何を思ったのでしょう。ここは皆さんにお薦めのスポットです。

 妙義ふるさと美術館は現在、埼玉の清水四郎展を開催中で、油彩・水彩画56点が展示されてました。私は常設展示の妙義山の絵画とともに氏の作品を見て回りました。氏の絵画は概して山岳の風景が多く、山の好きな私は作品の数々に感銘しました。

 このような絵画を1枚応接間に飾り、その室内環境でピアノが弾けたら素敵と思いを巡らし、将来的には大きな風景画を望んでます。

 館内の作品は撮影禁止です。このため、パンフレット及び、お土産の絵はがきに載ってた氏の作品を撮影してみました。

 これは南の金鶏山側から白雲山の遠望を描いたものです。

 山間部の平和な佇まいです。こんなところに住んだら新鮮な空気と清い水の毎日でしょう。夜間は真っ暗と想われます。

 これは大賞作品で「朝陽妙義山」と題され、先史以前の地球の成り立ちを暗示するかのようです。妙義山の成り立ちは人類には考えられない造山運動によるものと想像します。

 特にこの山の殆どが岩山であることを考えると、一般の山とは比較できない地球の古い歴史が感じられます。石門の数については金鶏山の1個を含めて私は6個を確認してます。

 ところで、愛車は曲がりくねった急勾配の山岳道路を快調にクワトロが威力を示し、山嶺に轟音を響かせ、重心の低さを誇張する245-40-18のタイヤは的確に地面を捉えます。走行距離1万7千Kはこの車の真価がいよいよ発揮される距離と思われます。

 素晴らしい自然と素敵な芸術に触れても、一人でのドライブは寂しいものです。  巨大な妙義山が「カッキー、プラス思考で生きよ。パガニーニのコンチェルトのように人生の協奏曲を奏でなさい。」と諭してるようでした。

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2011年3月24日 (木)

地震国日本の発電と八ッ場ダムの新局面

Img_599825_33497499_1  これは群馬県にある佐久発電所のサージタンクです。赤城山山麓にある上流の調整池の高さと、タンクの上部を太いパイプを通じて同じ高さに設定し、大量の水を約150m落下させる水力発電所です。付近は数百本の桜の名所で、4月は多くの人々が訪れる行楽地です。

  群馬県ではこの他、奈良俣ダム(写真)、八木沢ダム、下久保ダム、藤原ダムなど利根川水系の大きなダムで水力発電してます。

 【今回の福島第一原発事故により、群馬県の八ッ場ダムは利水はもちろん、下流域の水害防止である本来の治水目的のほかに、子々孫々の電力不足解消のため、発電機能を高める新局面を迎えることは確かでしょう。】

 昨年、友人Samuel Toddさんとロック・フィールドダムである奈良俣ダムに行きました。ここは有名な尾瀬ヶ原の西方に位置します。ここで利根川上流のマイナスイオンを充分に吸収し、その後、坤六峠経由で紅葉を満喫してきました。下の写真が奈良俣ダムの堤です。

 今回の東北巨大地震の被害状況は23日現在、死者9452人、行方不明者1万4671人、負傷2746人、建物13万1619戸(警察庁のまとめ)という未曽有のもので、これは想定外の巨大津波によると想われます。

 その後、この巨大地震が福島第一原発の事故につながり、放射能汚染という、かつてない重大な危機に至ってます。

 これにより、原発はCO₂を出さないというプラス面のみを強調できなくなり、地震国日本の原発は大きなリスクがあることになりました。

Dscf0128 【写真は建設中の八ッ場ダム湖面の橋、現在は完成している。】 

 ところで、現在、日本の原発は電力需要の約30%を賄ってるといわれ、残り70%の大半は水力発電と火力発電である。

 30%とは1日の電力需要の7時間ほどが原発から供給されてる電気なので、この夏は電力不足が心配され、私たちは節電に努めなくてはなりません。

 すべての原発は例外なく海岸近くに建設されており、近年起きてる大地震の多くも海岸付近です。数年前に起きた新潟中越地震の影響で、今なお刈羽原発は3基が稼働してないといわれます。

 一方、フォーブス誌によると、アジアでは現在多くの原発が稼働し、中国78基、インド4基、韓国28基、台湾8基、ベトナム2基、インドネシア4基、タイ4基といわれます。世界中ではその数はどれほどでしょう。

 私の知る限り、アメリカでは現在104基が稼働し、世界の原発の4分の1を占めています。そして、国内の電力需要の20%を占めています。

 今回の福島第一原発の事故をきっかけに、特にヨーロッパで反原発世論が高まり、イタリアでは原発の再開計画を1年間、凍結を決定といわれ、再開の是非を問う国民投票も延期されたと伝えられてます。

Nesjavellirpowerplant_edit2_2  この写真は火山国アイスランドの地熱発発電所です。日本は有数の火山国であることから、可能であれば地熱発電の研究・実践は将来的に適してると考えます。

 また、新聞によると「宮崎県にこのほど太陽光発電所が完成した」と報道されてます。かつて使われてたリニア―モーターカーの実験線の高架橋に発電パネル約1万2500枚を約3.6キロにわたり並べ、長さは世界一で、発電量は年間120万キロワットとのことです。このように今後は新エネルギーの開発・研究に力を入れるべきでしょう。

 しかしながら、水力発電の推進こそ発電量において莫大であり、子々孫々への贈り物となります。加えてCO₂を排出せず、緑の地球環境の維持につながります。現在のままでは日本全体が慢性的な電力不足時代へ突入します。

 八ッ場ダムは後方に浅間山、四阿山、草津白根山が控えており(私はすべて登頂しました。)、大型台風時に流れ出る水量は莫大なもの。群馬県など関東地方を襲ったカスリーン台風の人的被害は歴史が真実を教えてます。大型台風は近未来に必ず来襲します。

 地球温暖化による悪影響が叫ばれ、長期間によるタイの洪水、フィリピン・ルソン島における未曽有の台風被害と近年の水害は巨大になりつつあります。

 人口が集中する関東の広大な下流域の危険性が大いに指摘でき、これを未然に回避することこそ現在生きてる人間の役目です。

 今回の東日本大震災は津波による大水害の恐ろしさ、及び原発の恐怖を人類に再確認させました。利水・治水のみならず、発電量の増加に有効となる八ッ場ダム建設は遅きに失した感があります。

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2011年3月21日 (月)

春彼岸に漂う沈丁花の香り

274 【画像をクリックしてご覧ください。】

 今日は春分の日で彼岸の中日です。この日の地球を公転軌道上の動きとして捉えると太陽黄経0°です。今まで南半球を通っていた太陽が赤道上空を通過します。

 それは夜間に見えるオリオン座の三つ星の最も西の星Mintaka=(アラビア語で巨人のベルトの意味)の高さです。

 一年中、真東から昇り、真西に沈むMintaka同様、本日の太陽は真東から昇り、真西に沈みます。厳密に言うと日本時間では午前8時21分の瞬間が春分点です。このため、日本では春分の日が21日でも北米や南米では20日となります。

 春分の日は昼と夜の長さが同じ筈でも、太陽は見かけ上、星のように小さくないので、水平線あるいは地平線に太陽の上部が見えた瞬間を日の出とし、同様に太陽の上部が沈んだ瞬間を日の入りと定義してるので、計測するとどうしても昼の時間が長くなります。

 太陽の中心点で日の出・日の入り考えれば、春分の日の昼と夜の長さはほぼ同じでしょう。私の調査によると、4日前の3月17日の昼夜の時間がそれぞれ約12時間00分となってます。

 春分の日は春彼岸なので、先程、菩提寺である近くの九品寺へ墓参に行ってきました。菩提寺は現在、改築中で木造の骨組がすでに出来上がり、建物として大きいので完成予定は今年の年末とのことです。

 築150年程はその間、風雨や地震に耐えながら先祖を見守り続け、倉賀野町の中央に聳え、私たち子孫の心に安らぎを与えてくれました。

 ところで、墓参には花を手向けます。私はできる限り庭に咲いてる草花を持参するようにしてます。しかし、今の時季は意外と花が少ないです。それでも、スイセンが開花してるので、写真の沈丁花とともに手向けました。

 沈丁花の特徴は強い香りにあります。室内に飾ると家中が香りに包まれ、気持ちが満ち足ります。これは正月に咲く蝋梅や9月に咲く金木犀と同様で、これらも必ず室内に飾り、寂しい一人暮らしの生活に潤いを与えてくれます。

   私の名前は男性としては珍しく「香」がついてます。このことからでしょうか、香り漂う環境はとても好きです。

 現在、庭には花梅が満開です。蜜を吸いに来るメジロや鶯とともに梅の香りを味わってます。

 沈丁花は中国南部の原産といわれ、中国語で瑞香(ルィーシャン)といいます。室町時代に輸入されたと伝えられ、すっかり日本の地に馴染んでいる植物といえます。蕾は濃紅色できれいです。開花すると淡紅色に変わります。開花は写真のよう手毬のようです。

 沈丁花を表す英語のdaphneはギリシャ神話の女神Daphneに由来するといわれ、花ことばは「栄光」「不滅」です。

 沈丁花が春彼岸に合わせて咲くのは太陽の動きや日照時間に敏感に反応してるのでしょう。

 庭の入り口に咲いてる沈丁花は特徴ある香りで人を誘うかの如くです。果たして魅惑的な香りに誘導され新たな来客は見えるでしょうか。  

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2011年3月17日 (木)

一人暮らしの私が作る熱源なしの料理

 まさかの巨大地震に当地・群馬県高崎市も揺れに揺れました。そのとき庭にいましたが思わず柿の木に掴まりました。やはり私はカッキーでしょうか。しかし、掴まってもどうにもなりません。暫くの間、横に揺れ、あちこちで物が落ちる音がしました。

 その後、大きな余震が幾度も続き、停電=blackoutが翌日午前3時ころまで続きました。仏壇にあった長めのローソクを拝借し明かりを灯しました。これは先祖に助けられた思いです。

 また、ラジオを聴こうと思ったら単一電池がなく、真っ暗なコンビニでは売り切れとのこと。隣のTさん宅に借りに行きましたら「使っていいですよ」と下さいました。

 一方、Tさん宅はキッチンがオール電化なので、お湯が沸かせず、ガスの出る私の家でお湯を沸かし届けました。持ちつ持たれつで、近所は大切です。

 コンビニに行って感じたことがあります。真っ暗な室内なのに多くのお客は整然と並んで順番を待ってます。停電でデジが使えず、係員が手作業で行ない時間がかかります。でも、私たちにとって整然と並ぶことは当たり前のことです。

 新聞報道によると、アジアのある国が「日本人は非常時でもマナーが良い」と称賛していましたが、私たち日本人は平素と同じ行動ができると思います。天変地異など社会が混乱しても人々の行いが乱れることはないでしょう。

 被災された方々におきましてはこの難関を切り抜けましょう。「頑張ろう日本」の合言葉のもとに日本全体で助け合い、無縁社会という言葉を吹き飛ばしましょう。

 ところで、これは小カブをスライス状に切って味塩をまぶし、料理用の袋に入れて揉んだものです。葉の茎も短く切って入れました。煮たり焼いたりせず、生をそのまま揉んだだけで美味しく食べられます。

 最近の私は夕食に必ずこれを作ります。いくら食べても飽きが来ないので不思議です。何故そんなに美味しいかは謎=mysteryですが、これは先日、行きつけの高崎駅前「どんどん」でお通しとして出たものです。あまりにも美味しいのでマスターに作り方を教わりました。

 それ以来、私は八百屋やスーパーに行っても、まず、小カブを籠に入れます。寒い時の野菜で最近は少なくなってます。 それでも見つけると内心シメシメです。しかも、数個ある束が100~150円と安価です。特につまみに合い、今後はしばらく小カブから離れそうにありません。

 小カブは葉と根の部分で栄養素が異なるようです。葉は意外と栄養があり、ビタミンC、E、カリウム、カロチンが含まれ、以前は捨ててましたが、捨てたらもったいないことが分かり、最近はそばの汁に入れてます。

 一方、中心の根にはカルシュームや食物繊維が含まれ、整腸作用に働き、特に便秘解消=anti-constipationに効果があるとされてます。

 ところで、私の住む高崎市倉賀野町も計画停電が今朝も実施されました。その合間を縫ってブログを書き込んでるので、途中で停電となってパソコンが不具合にならないかとハラハラです。結局、今日は午前と午後2回の停電がありました。

 こんな状況で、熱源がなくても美味しい食べ物を作りだす知恵を磨きたいと思います。

 醤油がなかったらお刺身などはレモンをかけるとかなり美味しいです。海鮮サラダ風になるからでしょう。非常時の食べ方については常識にとらわれず、進取な発想で取り組むと思いがけない良い味がするものです。

 最近の私の発見は熱源不要である小カブのレシピと、ビタミンとクエン酸の宝庫であるレモン汁です。この二つはもう離せません。今度、大切なお客が見えたら振る舞う予定です。 

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2011年3月14日 (月)

心が痛みます。

 この度の東日本巨大地震と巨大津波で被災された方々に、衷心よりお見舞い申し上げます。

 

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2011年3月10日 (木)

教え子2人が日本人学校の教員として派遣される

P1010855  先日、前橋市上毛会館において4月から世界各地の日本人学校へ派遣される先生方9名の壮行会が行われ、私はOBとして参加しました。実は壮行会の中で私には毎年一つの仕事があるので、幹事の先生から参加の依頼がありました。

 群馬県から4月に日本人学校へ派遣される先生は1名が教頭として8名が教諭として赴任されます。男性の先生6名、女性の先生3名です。

 派遣先は台中、ヤンゴン、杭州、シンガポール2名、台北、ロンドン、マニラ、クアラルンプールの各日本人学校です。

 壮行会では多くの日本人学校経験者が集い、1年ぶりの再会です。私が赴任した当時は基本的に制度があまりしっかり確立してませんでした。今のように文科省の派遣でなく、外務省の派遣でした。

 しかも、大学卒業と同時派遣で、ずいぶん昔になり、今回派遣される先生方の多くが生まれる以前でした。私は日本人学校経験者として、すでに化石的存在です。(えぇ~カッキー今いくつ?)

 壮行会では教育長さんの祝辞を賜り、派遣者の紹介の後、懇親会になりました。多くの先生方が私を知ってて下さり有難いことです。それは参加者の中で私が年上であり、毎回、壮行会に出席してるからです。

 ところで、壮行会では大変に驚いたことがあります。私がかつて勤務してた高校の時の教え子2人が今回派遣されることを知ったからです。壮行会に出席するまでそれを知りませんでした。2人とも私を覚えていてくださり、私は壮行会に出席して本当に感銘しました。

 T先生は今回、教頭として赴任されます。以前にもアテネ日本人学校赴任の体験があります。今回2回目の派遣で素晴らしく思います。彼の高校時代、私は掃除監督だったので、もしかしてT先生の学校は世界の日本人学校の中で最も清掃教育の行き届いた学校になるでしょうか。

 一方、Y先生も高校でお教えしたました。内緒ですが、帰宅後、昔の閻魔帳を調べたら成績が良いので驚きました。私は授業してたとき、海外日本人学校のこと、インドの風習について、また、休暇で行ったカトマンズから見た山々の美しさ、降るように見える星座のことを話した思い出があります。

 以前にも、教え子が教員として派遣されたことがあり、彼は今回、壮行する立場で出席です。やはり、暫くぶりの再会で話に花が咲きました。

P1010911  こんなことで、昔、インド・カルカッタ日本人学校に赴任した私としては、今回で教え子が3人も海外日本人学校の教員として派遣されることになり、これは教師冥利といえるかもしれません。

 ところで、一般的にいえることですが、海外日本人学校で学んだ児童生徒は、成人してから海外で活躍する人が多いです。それは親がそうであることと子供時代に体験した海外生活からスムースに外国生活に馴染み、国際的な人的交流ができる可能性を秘めてるのでしょう。

 派遣される先生には、将来、世界で活躍できる日本人の育成を目標に、現地で日々教育に邁進していただきたいです。

 今回、群馬県から派遣される9名の先生方の実り多い海外滞在を祈念します。私からプレゼントさせていただきました任国国歌は現地の方々との交流にお役立て下さい。

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2011年3月 7日 (月)

複雑な鼻の内部構造を学ぶ

 季節は早春から本格的な春へと移行し、スギ花粉などが飛散する季節になりました。身体が花粉に反応する方にとっては過ごし難い季節です。

 私は鼻の専門家ではありませんが、37年前、副鼻腔炎(蓄膿症)=sinusitisを手術した体験を持ちます。このため、その後、鼻の複雑な内部構造を学んだり、私なりの鼻づまり解消法を実践してます。

 まず、タイトルが示すように鼻の内部はどのような仕組みになってるでしょう。

 内部は立体的な迷路といえます。その入り組んだ構造を平面図で説明することは不可能で、前面から見た場合と側面から見た場合でも分かり難く、輪切りの画像であってこそ理解できるでしょう。

 驚くことに、私たちの顔面の裏側は、ほとんど鼻の臓器に覆われてるといっても過言でなく、あとは眼球と口があるのみです。

 ところで、私が手術を受けた体験では、今は亡き耳鼻咽喉科の医師がまゆ毛の中を切り、頭蓋骨を一部切り取り、額の中に左右一対ある鼻の臓器の片方のみを手術し、同時に、口の中からメスを入れ、犬歯の上の部分を切除し、頬の中の臓器を手術しました。

 病魔に侵されてた粘膜などを取り去り、薬をつけた長いガーゼを入れまま1週間ほど腫れた顔をして入院してました。その後、医師が鼻の穴から徐々にガーゼを外部へ取り出しました。この時、私は生まれて初めて額の中が動くことを実感しました。同様に頬の中からも鼻の穴からガーゼを取り出しました。

 1回目の手術から1週間ほど経過してから、2回目の手術として顔の反対側を上下2ヶ所手術したので、入院は2週間程でした。

 医師の話では、手術後、通常の治療で医師が使う中鼻鏡が入るように骨と骨の間を広げたり、副鼻腔内に膿が溜まらず、流れやすくしたとのことでした。手術後の私の感覚は鼻の中が広がった感じです。

 手術が終わってから、私は見えない「鼻の内部構造はいったいどうなってるのか」知りたい気持ちが強くなりました。

 平素、私たちに見える鼻は外鼻といい、それは顔の中央にある煙突のようなもので、それは鼻のほんの一部ということになります。この二つの穴は奥では繋がってます。片方から水を入れると、もう片方から水が出ます。

 ところで鼻の構造は大きく3つの部分から成り、1つは平素見える外鼻、2つは口内の上部に位置する鼻腔、3つ目は鼻腔の奥の骨の中にある副鼻腔=nasalです。

 副鼻腔は4種類あり、それぞれが左右に対をなし、洞窟のように存在し、副鼻腔へは鼻腔から小さな穴で通じてます。

 まず、額の中にあるものが「前頭洞」です。左右の眉の上にあり脳の前面に位置します。このため、風邪を引き前頭洞に雑菌やウィルスが入ると頭痛の原因になると考えられます。

 また、頬骨の中にあるものが「上顎洞」です。やはり風邪を引いて雑菌やウィルスが入ると歯が痛くなることがあります。先日、私はこのことを経験しました。歯科に行ったら歯は異常がないといわれました。

 歯科医師は「もしかして風邪を引いてますか」と訊きましたので、「はい」と返事をしましたら、「上顎洞に菌が入ったのでしょう。」と話されました。なるほど、風邪が治ったら歯痛は解消しました。

 次に、両目の間に位置する副鼻腔が「篩骨洞」です。雑菌や花粉が侵入すると目の不快が考えられます。

 更に篩骨洞の奥にある副鼻腔が「蝶形骨洞」で、両目の間の奥に位置し、雑菌が入ると目の痛み、視力の低下につながるようです。

 健康であれば、左右対称にある副鼻腔の内部はきれいな粘膜に覆われてると考えられます。

 鼻はキャブレターとして吸い込まれた空気の温度と湿度を調節したり、最も大切なことはフィルターとして喉や肺に雑菌が侵入しない役目です。また、嗅覚器として匂いを嗅ぐことで食べ物が腐ってないか判断したり、食べ物をおいしく感じる役目があります。

 一方、前述の副鼻腔は声を共鳴させる働きもあります。声楽家やアナウンサーにとって大切な臓器といえます。

 私たちは、日々、4つの副鼻腔の風通しを良くすることが大切です。鼻が詰まっていては口呼吸になり苦しいのみならず、フィルターを通過しない空気中の雑菌が直接喉や肺に侵入します。素敵な声も出せません。

 そんなことで、 私は起床後と就寝前に鼻の内部を洗浄します。真水では痛くて洗えません。点鼻薬をつけ3分ほどして0.5リットルの温水に小さじ半分くらい重層を溶かし、写真の器具をホースの先端につけて洗います。重層の代わりに、0.9%の塩(小さじ約半分)を入れても痛くありません。洗浄後は頭がさっぱりします。

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2011年3月 4日 (金)

700マイルストレーンの英国クライストチャーチ号

 このレース鳩はボルドーマーチン号(816KイヤリングIN9686羽中総合2位、N6133羽中総合優勝)の直仔♂です。岐阜県・香山鳩舎より昨秋導入なりました。今春はサムデヨング鳩舎作出鳩♀と交配し、現在、抱卵中です。もうすぐ二世が孵ります。

 【写真をクリックし拡大してご覧ください。】

 写真の通り、ものに動じない怖いほどの顔つきは、何かやってくれそうな鋭い精神を秘めており、飼育者としては頼もしい限りです。私のこれからのレース鳩人生をバックアップしてくれるでしょう。足の踏ん張りや立ち姿は堂々とし、腰の低さは精神の安定を表現しています。

 こちら「スチール号」も元気で導入以来、無精卵は皆無です。飼い主に似て(?)若々しく、日々、舎内の動きに無駄がなく、健康そのものです。1022Kを見事な成績で翔破した所以、基本的に内臓が剛健と考えられます。

 フランス南部モントバーン~北部オランダ間のオランダ・ナショナル1022Kを翌朝午前3時34分にプロング鳩舎へ到着し、5796羽中・総合優勝しました。

 レースが行われた7月1~2日頃は北欧では北部へ飛翔すればするほど明るくなる白夜と考えられます。レース成績表を見るとレース後半は単独の飛翔であったと考えらます。この鳩も3年ほど前に岐阜県・香山鳩舎より導入なりました。

 毎日、これらの鳩を眺めてると、レース鳩の好きな私としてはとりわけ楽しいものです。折角、願ってもないヨーロッパ1000Kナショナルチャンピオンを導入できたのですから、飼育者の私としては、より緻密に健康管理を施し、日本のPersimmon Marsh Loftでのびのび作出を頑張ってもらいたいです。今春の交配鳩はスチール号の孫で、同時にデ・ヨング89号の孫である♀です。

 ところで、私がレースを始めた29才頃、神奈川県・河津鳩舎よりイギリスのサラグット系(別名ブラックパイド700マイルストレーン)を導入しました。この系統は子孫に良い結果をもたらし、数羽の優勝鳩を生み、稚内1000Kも翌日帰還し、若き日のレース鳩人生で、中心の系統となりました。

 実はこのブラックパイド700マイル血統の先祖には「クライストチャーチ号」と書かれたものがいました。名前のつくレース鳩は必ずそれなりの成績を残してるものですからイギリスで有名だったと考えられます。

 最近、地震の起きたニュージーランドのクライストチャーチ命名の由来は実はイギリス南西の都市クライストチャーチといわれます。人口約42000人で行政区分はイングランドに属します。両市は互いに姉妹都市の関係にあります。イギリスのクライストチャーチから50K程のところに著名な巨石建造物ストーンヘッジあります。

 このため、前述のレース鳩「クライストチャーチ号」はこの町と関係してると想われます。ヨーロッパから700マイル(約1000K)を帰還したのかもしれません。しかし、作翔者プライス氏はすでに他界してます。ブラックパイド700マイルストレーンは若き日の私にとって思い出深い血統でした。

 あるレース鳩のオーソリティーがこのブラックパイド700マイルストレーンの血統を引く鳩をご覧になり、500羽に1羽ほどの優れた目と称賛されました。また、埼玉県本庄市の今は亡き著名レースマンK氏も「群馬にもいい鳩がいる」と話されたことが耳に残ってます。宝石のように奥まで見える石目でした。

 ところで、今回のニュージーランド・クライストチャーチにおける大地震からの復興を願い、群馬ニュージーランド協会副会長で友人Samuel Todd氏を通じ、私は 気持ちばかり支援をさせていただきました。地震は人類にとって人ごとではありません。

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