高崎商業高校吹奏楽部による重厚な校歌に感銘
★震災に遭遇された方々に衷心よりお見舞い申し上げます。 ★「がんばろう日本」を合言葉に電気節約、燃料節約、まとめ買いしないなど私にできることの実践に努めます。
本日、群馬県立高崎商業高等学校吹奏楽部の練習を拝見する機会に恵まれ、昭和時代に11年間この吹奏楽部の顧問だった私は、とりわけ故郷のような懐かしさを感じました。
練習を拝見拝聴し、私が勤務してたころは、現在の生徒さんは生まれてなかった時代であっても当時の伝統は確実に生きており、時代は四半世紀以上、変遷しても高商精神は脈々と受け継がれていることが感じ取れました。
それは練習中、指揮者の先生を見る真剣な眼差し、指示を受けると必ずしっかりした返事が返り、とても清々しいものです。教師の一言一言を聞き漏らすまいとする学びの精神は社会に出ても向学心のある人に成長されるでしょう。
私が音楽室に伺ったとき、顧問のO先生が「この吹奏楽部のかつての顧問であった」と私を部員に紹介してくださいましたが、長い間、ご無沙汰してたので申し訳ない気持でいっぱいでした。
練習は調性を変化させての連続した音階練習です。ドラムセクションのテンポに合わせ、次第に速度を上げていきます。スムースにできることが目的でも、この練習によって音楽にはたくさんの調性(長調12、短調12)があることを実感したり、どんなに指が難関でも、音程と目指す音色から美的判断が離れてはならないでしょう。
ところで、たまたまこの日は今年度限りで転出される先生方の実質上の「お別れの儀式」が行なわれるとのこと。正面玄関に並んだ先生方に、吹奏楽部員はスーザ作曲「エル・キャピタン」、続いて懐かしい校歌を高らかに演奏し、転出する先生方に送別と感謝の気持ちを伝えていました。春休みとあって部活動をしてる多くの生徒が集まり、先生方も見送っておられました。
高崎商業の歴史を繙くと、学校創立は明治35年、校歌制定は大正15年と記されてます。作詞者・相馬御風は新潟県糸魚川からわざわざ高崎に来られ、群馬高崎の雄大な自然、当時の生徒の剛健さなど観察され作詞されたと記されてます。早稲田実業や早稲田大学の「都の西北」と歌われる校歌も彼の作詞です。
一方、作曲はこれまた有名な弘田龍太郎です。「叱られて」「浜千鳥」「鯉のぼり」「雀の学校」「春よ来い」「お山のお猿」「雨」「靴が鳴る」「小諸なる古城のほとり」などの作曲で知られてます。
このため、高崎商業高校の校歌はすでに86年間歌い継がれており、これからも変わることなく、未来の生徒へ脈々と歌い継がれていくことでしょう。
私は特に3番4番の歌詞に味わい深さを感じます。上毛三山(赤城山、榛名山、妙義山)の雄姿にも勝る揺るぎない操守・信念を持つことや、暗雲立ち込める時代に生きても変わりない己の使命の重さを諭してます。高商生徒・卒業生は一丸となって、常に心ゆるめず勉学に励み、母校の誉れを歌い上げてます。
不思議なことに歌詞の中に校名は一度も出てきません。これは相馬御風が学舎の品格に重点を置き、応援歌ふうにならぬよう配慮したり、揺るぎない勉学の精神、特に困難に立ち向かう気迫さに重点を置いてる所以と考えられます。
http://www.takasyo-hs.gsn.ed.jp/gaiyou/kouka.htm
昨年、マーチング全国大会に出場という金字塔を立て、ディズニーランドでの招待演奏に臨んだ部員たちで、高校生として誠に充実していると言えるでしょう。
高商吹奏楽部のみなさん、人間味豊かな顧問教師指導のもと、これからも素敵な音楽づくりを目指してください。
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