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2011年8月

2011年8月29日 (月)

我が青春のカルカッタを展示してるインドの間

345  学校を卒業するや否や赴任したのはインドの日本人学校です。滞在中は毎日が驚きの連続で刺激があり、私の青春そのものでした。

 初めてもらう給料は英国のポンドで生活費はインドルピーに両替しました。為替の関係で毎月給料が上下しました。

 次第にルピーの紙幣に慣れ、おもしろいことに1ルピーが100パイサです。昔、日本にもあった1円以下の銭に似てます。カルカッタは大きな都会で店もたくさんあり、時にはお土産を購入し、日本の両親あて船便で送ったものです。それらは現在、インドの間に飾ってあり、青春の思い出になってます。

 全部で14頭の象は木彫りで女性店員が「大きさの異なるものを並べて飾ると見応えがありますよ」と勧めてくれました。これは本当に良い記念になり、彼女に勧められて感謝してます。今では貴重なものと言えます。日本では動物園にいる象も、インドでは普通の道にいることもあり、物を運んだり仕事をしていました。

 私たちはインド人という言葉を使いますが、現地では州が異なると服装、言葉、顔立ちがことなり、それはヨーロッパ全土に匹敵するほどの面積なので当然でしょう。私たちはヨーロッパ人とはあまり言わず、フランス人、ドイツ人、イタリア人というので、インドをまとめてインド人言うのは本来、無理があると思います。

 州によって言葉は文字も違います。紙幣は表が英語で書かれ、裏はヒンズー語や、ウルドー語に近いものもあり、数種類の言葉で書かれてます。

 上の人形は各州の代表的な衣装の姿です。頭の上にものを乗せてる人形がいくつかあります。すべての男性がターバンではありません。女性はほとんどがサリーとズボンとサリーを纏ったパンジャビスタイルです。

 これはインド北部のカシュミール地方の木彫りで、ナイフとフォークのセットです。鞘にきれいな紋様が彫ってあります。実用として一度も使ってません。インドの間でパーティーでもあったら使います。

 これもカシュミール地方の木彫りでビールのジョッキーです。これもまだ実用として使ってないので、そのうち、お祝いでもあったら飲んでみようと思います。カシュミールはシルクロードより南に位置します。

 これも木彫りの電気スタンドで、夜、ピアノを弾くとき使うことがあります。それにしても船便でよく届いたものです。因みに左の椅子もインド製で竹を編んで作ってあります。中間部が細くてよくできてます。

 最近はインドの間が充実してきました。これはサンキのインドコーナーで手に入れました。また、他の部屋にあったインドの物も一堂に集めています。下のようなエキゾチックな器でワインをいただくパーティーをいつか開けるでしょうか。いつも、一人では眺めてるだけです。やはり、人は一人で生きられないことが最近分かってきました。はやく、乾杯したいものです。

 この他、和室のテーブルクロスもインドのものを使っています。

 お近くの方はどうぞ遊びにいらしてください。

 ところで、今までにインドの方は青年が一度だけ訪れ1週間ほどホームステイしていきました。これからも来ていただき、私の脳裏に眠ってる懐かしいヒンズー語を甦らしたいものです。   

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2011年8月25日 (木)

44億年前、月は二つあったのだろうか

94bc8c8e  月こそ万葉の時代から歌に詠まれ、いや、それ以前の何十万年と続いた旧石器時代から、いや、それどころではない恐竜が生息していた中生代から、それよりずっと大昔から、現在と同じく、地球に同じ面のみを向け、同じクレーターを見せ、見かけ上、満ち欠けの変化を繰り返しながら、弟のように地球のそばにいたのでしょう。

 ところで、西洋音楽を勉強するため、日本の黎明期にドイツにわたり、27才という短い生涯を終えた作曲家は瀧廉太郎です。

 「荒城の月のみならず瀧廉太郎は幾曲も月の音楽を作曲していた」と彼の妹さんが90代の高齢で、50年ほど前にテレビ出演され、兄・滝廉太郎について語った番組は今でも私の脳裏に残ってます。

 ♪秋の月♪瀧廉太郎作詞作曲

 【光はいつも変らぬものを、ことさら秋の月の影は、などか人にものを思わする、などか人にものを思わする、ああ啼く虫も同じ心か、ああ啼く虫も同じ心か、声の哀しき。】

 月が文学や芸術の題材として取り入れられたのは、同じ月でも日によって、時刻によって、また、雲に隠れたり、その表情は変化に富み、それは私たち人間の心の動きのように明暗を表わし、特に悲しい時は静かに見守ってくれます。

 天体の中でも月は最も身近で、(と言っても距離は38万Km)、 地平線に上る満月は大きく希望を与え、上の写真のように上弦の三日月はなぜか暗黒の時間が迫る寂しさを暗示します。

 若き日、天体望遠鏡で月をアップして見た感激は忘れません。 暗黒な宇宙空間にぽっかり浮き、多くのクレーターがある表面は人間を寄せつけない荒涼とした姿です。この光景には恐怖感が漂います。それとともに、刻々と西へ移動する現実に時間を感じ、望遠鏡で追いかけるのが忙しかったです。

 一方、地球が太陽の周りを回る平均スピードは毎秒29kmほどであっても、上弦の半月から満月へ、そして下弦の半月までの2週間は月が地球の外側へ回り込んで地球を追い越すため、その速さは秒速29kmより増します。その後、下弦の半月から新月へ、そして上弦の半月まで2週間は太陽側に入り、地球に抜かれるので地球より遅くなります。地球と月は約9億kmある公転軌道上を1周する間に、25回ほど追い越したり追い抜かれたりしています。

 さて、最近The Japan Times Weeklyに掲載されたNatureの記事が目に留まりました。それによると44億年ほど前、地球に2つの月が有ったと推測されるというのです。下の図はそのシュミレーションです。

 これは米国の研究者らが発表し、かつて地球には大きい月と、もう一つの小さい月が存在し、その後ゆっくり衝突し、余り時間をかけず、4段階でペチャっと飲み込んむかの如く一つになったと推測されるというのです。

 地球に面してる側より、裏側の方が起伏が激しいのはその結果だと考え、44億年前、地球に生物は存在せず、空に二つの月が浮く奇妙な姿を見たものはいません。

 二つの月が共存した時代、小さいほうの月は軽く、直径は960Kmほどで、大きい月の3分の1。質量は25分の1で、重力により小さい月が大きい月に引き寄せられた結果、衝突が起こり飲み込まれたという推測です。

   ところで、惑星にはたくさんの衛星が発見されてます。有名なのはガリレオ衛星で、これは木星にあるイオ、エウロバ、ガニメデ、カリストです。しかし、木星には現在60個以上の衛星が発見されてます。

 惑星の衛星の個数を比較すると、水星は0、金星は0、地球は1個、火星は2個、木星は60個以上、土星は60個以上、天王星は27個、海王星は13個、今や惑星の地位から外された冥王星さえ4個も確認されてます。

 数から見ると内惑星にはなく、外惑星に多いことが分かります。この数字から推し量ると金星が0個で、火星が2個となると地球に2個あったとしても不思議はありません。

 ところで、人類がどうしても知りたいこと、それは【何故、月は同じ面のみを地球に向けてるか】その理由でしょう。

 私の推測では、「月の質量の中心が月の中心から地球側へずれてるため」と考えるのです。何故ずれてるかについて考えた時、今回のNatureの記事が私たちに答えを与えてるように思えてなりません。

 大きい月の中に小さい月が飲み込まれた場合、小さい月が大きい月の中心まで到達できず、比較的外側に入ったのではないでしょうか。そうすると、月の質量の中心は月の中心になく、重い面が常に地球の引力に引き寄せられざるをえないと推測できます。月は質量の重い面を地球側に向け、相対的に軽いと想われる裏側を見せないのではないかと想像します。

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2011年8月22日 (月)

ある女性銀行員の応対に感銘

Mitsubishi_ufj_trust_and_banking  30年以上にわたり取引してる信託銀行は統合による変遷で名称が3回変わり、古い通帳の名称を見ると懐かしいものです。代々の支店長さんをはじめ、多くの行員の方々と出会い思い出がたくさんあります。

 中でも、tellerとして窓口で応対されるのは女性行員が多く、客とは単純な面もあり、「あの女性行員がいるからあの銀行へ」という感覚で取引を継続している向きもあるでしょう。私もその一人かもしれません。

 しかし、本当に大切なことは、窓口で応対するtellerさんが、刻々と変貌する経済動向の把握において、いかに最先端にいるかではないでしょうか。

 それは日本のみならず「世界経済の現状と見通しについて」、及び、米国のみならず「各国の為替レート」の数値を熟知しているかどうかでしょう。それであってこそ商品の説明が生きてくると考えます。

 特に、信託銀行がその業務において、普通銀行、信用金庫などと異なるところは「投資を目的とする客がほとんど」です。それも多くは海外のファンドに投資します。

 お金の出し入れや融資は業務の一部であり、投資目的の客からの相談、及び説明に的確に対応することがtellerの本業となってます。

 一方、世界経済はヨーロッパから南北アメリカにかけて、日本の深夜に動き、つまり、日本人が寝てる間に世界経済は大きく変動してるのです。日本の早朝(現在は午前5時)に動きが確定します。 そして、再びニュージーランドから新たな動きが始まります。

 このためtellerさんは業務が始まるまでに数値を確実にインプットしておく必要があり、客を迎える前の準備は鉄則です。特に売れ筋については最近3~1ヶ月の価格変動を把握してこそ、現状と見通しについて客をリードできるでしょう。

 特に、客が最も知りたい利回りは商品の根幹です。毎月分配の場合、「分配額×12÷基準価格×100」であっても、必ずしも、すべての客は知らないでしょう。しかも、基準価格は毎日変化するので「利回りも日々変わり」、まさに生き物です。

 ところで、一般的に、人にものを教えたり説明するには、聞き手の10倍ほどの新しい情報及び知識が不可欠と言われます。

 各国の為替レートとともに日々変動する価格の現状認識があっても、ネット時代であるが故、最新の経済動向に関してはプロもアマチュアも同時という宿命があります。

 しかし、ここがプロの違い。「今が買い時かどうか」入行以来、培った経験を背景に自信を持って客に提案してもらいたいものです。

 世の中の多種多様の職業の中でも、投資を専門とするtellerほど難しい職種はないかもしれません。私には絶対できないことです。正にup-to-dateの情報把握が業務の根幹で、私は敬意を表しています。

 本日、私は取引銀行へ行き、いつものМさんに応対していただきました。実は、彼女は投資に関して意外に強気です。私の推測では、学生時代は勉強は言うに及ばず、青春をバスケットに打ち込んだそうで、このとき培った「強気で攻めの精神」が現在の仕事に通じているのではないかと感じてます。

 いつ銀行に伺っても、笑顔でないことはありません。先日は私の顔を見るや否や、余りにも、にこにこされるので私は何だろうと心配になりましたが、あるいはそれもtellerとして不可欠な要素かもしれません。

 窓口での彼女の説明は、あくまで「私が有利になることを真剣に考えてくださり」その気持ちがひしひしと伝わり、涙が出るほどです。心から、客である私のことを考えて下さってることが分かります。

 すべての客は「望みを胸に」銀行に行ってます。特に高齢者が多くtellerさんを頼ってる面が見受けられます。私もそうですが、一人暮らしの方も多くいるでしょう。この場合、tellerさんの明るい応対、真剣な姿こそが、あるいは寂しさを忘れてる時かもしれません。

 経済動向の説明を媒介にし、tellerさんによる温かな信頼関係構築こそ、客と銀行の「強い絆」になるでしょう。

 Мさん、これからも持ち前の素敵な笑顔で最新鋭の経済を教えてください。   

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2011年8月18日 (木)

群馬といえば温泉・・・桜山温泉センターの魅力

 【山々は桜山です】

 「三波石(さんばせき)とともに名高い冬桜」と群馬県の上毛カルタに詠われてる鬼石町は、埼玉県との境に神流川(かんながわ)が流れ、ここで採掘された緑かかった大きな石は庭石として有名な三波石です。

 我家では、東京オリンピックが開催された昭和39年に以前の家を新築した記念に今は亡き父が購入し、推定重量2トンです。現在でも玄関先にどっしりした姿を見せ、来客を迎い入れます。

 あたかも、家人の精神の気高さを暗示させるかの如くですが、何万年も歴史を刻んだ不変の石に私の意思が敵う筈がありません。これは紛れもない三波石です。この写真をクリックしますと、一見、断崖絶壁を誇るテーブルマウンテン荒船山のようです。

 また、桜山温泉センター近くの山は桜山と呼ばれ、冬桜が楽しめます。現在では数千本の桜が初冬に開花し、花のない時期であることから県内外から観光客が訪れ、時間に余裕のある方は写真下の桜山温泉センター「うしおの湯」で寛ぎます。

 最近、私は車でドライブ方々、10Kほどの桜山温泉センターに行きます。平日のことが多く、温泉内も広くてゆったりして寛げます。写真の植え込みのすぐ上が露天風呂です。ここは平地より高い位置にあるので周囲の景色はよいです。神流川の対岸である埼玉県北部の山々も迫ってます。

 実は川のちょうど対岸に「白寿の湯」があり、どうしたことかこちらの湯は、一見して伊香保温泉のように茶色く濁ってます。

 このため、時間的に余裕があれば群馬県と埼玉県の温泉の梯子ができます。位置的には桜山温泉センターの方が高台にあるので、景色が楽しめるでしょう。「白寿の湯」の特色は温泉の色にあります。

 ところで、鬼石町(おにしまち)は2月3日の節分祭が独特です。

 この日、全国では「鬼は~外・福は~内」と大きな声で叫ばれ、【いったい鬼はどこへ行ったらいいのか】困ります。という発想が元となり、そうだ全国から宿命的に追わた鬼をすべてこの鬼石町で温かく受け入れようということになり、正に「鬼は~内」として鬼を大切にかばう優しい町民が集う町といえます。

 そういえば、鬼は悪いことばかりではありません。生きる上や仕事上では精神的に強靭な精神が求められ、これを鬼にたとえて挫けない精神力が目標とされます。鬼を追いやったら、それこそ精神が不安になるかもしれません。

 例えば、ここ一番の大切な試合に挑むとき、入試を控えて勉強するとき、我が子を厳しく育てるとき「心を鬼にする。」、精神の強い人でも、時には「鬼の目に涙」という、いかにも人間的なものから、仕事や学業・スポーツなどで、二つの面から見て断然強いことを「鬼に金棒」、「仕事の鬼」「土俵の鬼」「鬼監督」というように、鬼は人生や仕事が大成するための立派な目標になってます。

 こんなことから鬼の見方を変え、鬼を味方にすることこそ正に「鬼に金棒」になるでしょう。鬼石町の方々の発想は実に豊かで柔軟に感じます。町名を生かした発想は見事です。

 ましてや、この町に「鬼嫁」はいないでしょう。素晴らしく心温かい女性ばかりと推察しています。

 私の知人が鬼石町浄法寺のガソリンスタンドに嫁に行きましたが、音楽が好きで音楽好きなご主人と結婚されました。誠に優しいお人柄です。

 本題からそれましたが、桜山温泉センターへはこれからも時々行く予定です。何と言っても、広くて比較的すいてて湯ったりでき、露天風呂から見る景色は申し分ありません。また、午前11時から時代劇が実演されます。

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2011年8月15日 (月)

夏の一日を群馬県川場村の吉祥寺に憩う

489  暫くぶりに関越自動車道を前橋インターから沼田インターまで走りました。お盆の帰省客で比較的混んでてもAudi TT Quattroは水を得た魚の如く、轟音とともに安定した走りを実現し、特に渋川インターを過ぎて赤城山の裾野に伸びる連続した上り坂をぐんぐん進みます。Quattroの真価を楽しむには打ってつけの道路環境です。

 ナビは川場村・吉祥寺(きちじょうじ)へ英語で誘導します。

 片品川を大きく跨ぐカーブした巨大な橋を渡り切ると高速とも別れ、ナビは一般道に出て沼田市街とは反対に位置する川場村へと誘導しました。

 辺りは尊武山(ほたかさん)の裾野に広がる自然が満ち溢れ、実に緑豊かな佇まいです。以前に来たことのある玉原(たんばら)も近いです。

483  吉祥寺の駐車場に着くと古代ハスの数々に目を奪われ、まるで極楽浄土の世界で数百のハスが風に揺れてます。

 いよいよ境内を小川の流れに沿って歩くと、生い茂った樹木の中に勇壮な山門が姿を現し、それは追従を許さぬ荘厳な山寺の入り口です。

 山門の二階は見学ができるので靴を脱いで赤絨毯の部屋に入りました。空気がひんやりし、セミの合唱。平素の喧騒とは別世界で、我が精神の安定が分かります。文殊菩薩が数体祀られ、私は願い事を思い礼拝し、素晴らしい空気にしばし時の経つのを忘れてました。

 吉祥寺境内はまるで川の流れる庭園です。こんなに川が流れてることから、この地域一帯が川場村と命名されてるのでしょうか。

 ふと右を見ると鐘つき堂があり一発鳴らしてみました。これほど大きな鐘はあまり見たことがありません。響きはその大きさに比例し余韻が長く続き、もしかして、私の願い事が叶うかの如くです。

 いよいよ本堂が姿を現し、周囲は大自然に囲まれ、あちこちに滝の音がしてます。また、境内の裏庭に広い池があり、水は滝によって次の池へと流れてます。おそらく名峰・尊武山から湧き出る水脈と推定できます。

486  吉祥寺は鎌倉の建長寺を本山とし1339年に創建されたと伝えられ、花寺として有名です。年間を通じて四季折々の花が楽しめるでしょう。今回は前述の古代ハスとアジサイが咲き、訪れる人を魅了します。

 本堂の前庭は大海原に佇む島々のようです。ずっと眺めていると無窮の宇宙を感じたり、私の日々の生活の善し悪しを客観的に回想できます。

 これは釈迦堂です。菩薩はインドのブダガやにある菩提樹のもとでお釈迦様が悟りを開いた姿です。

  先日、友人Mr.Samuel Toddtが大学時代の友人2人と老神温泉で旧交を温められ、このとき、吉祥寺を訪れたと話されました。この寺に対する彼らの印象がとても良かったらしく、私に薦めて下さり、今回の訪問が実現したのです。

 帰宅後、メールで娘のMarie Persimmon Marshに吉祥寺の良さを伝えたら、彼女は既に行っており、【もうハスの花が咲いてた?】と私を驚かせました。娘は私より群馬県のことをよく知ってるようです。これからは次第に娘から教わることが増えそうか。

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2011年8月11日 (木)

倉賀野の七不思議・・・巨大な欅にある不思議な穴

 倉賀野小学校校庭のすぐ南にある巨大なケヤキは、私の中学時代の恩師である真下先生の屋敷内にあります。見学に行きましたら先生がお元気な様子で出迎えて下さり、裏庭にあるケヤキへ案内してくださいました。

 遠方から見た姿にしては根周りおよそ5mで思ったより細く、大変若々しい感じです。先生が生まれた時からあるので数代前からあるのでしょうとのこと。推定300年といわれました。

 実はこの巨木は私の家の窓から良く見え、朝はセミの凄い鳴き声が聞こえます。近くに寄ったら推定1000匹の合唱です。しかし、不思議なことにうるさく感じないのです。自然界の姿だからでしょう。この賑やかさは蝉しぐれの極みです。倉賀野の方は一度見学されるといいでしょう。

476  ご覧の通り、この巨木には高さ10メートルほどのところに不思議な穴があり、その上が大きな枝に分かれてます。

 【穴の上が、なぜ繋がってるかが謎です。】私はこの不思議な穴を見て、群馬県西部に位置する妙義山の石門を思い出しました。石門は数万年の風化によって出来たと推定できても、生きてるこの巨木の穴は風化ではないでしょう。また、神流町(かんなまち)にある恐竜の足跡を思い出しました。こちらも不思議な光景をしており、多分、中生代からの穴です。

 ケヤキについてはおそらく、二つの枝が200~300年前に何かの具合でくっつき、そのまま世紀を超えて成長し、根から吸い上げた栄養素がこの中を循環してると考えられます。これは倉賀野の七不思議といえます。

 現在、倉賀野町の巨木といえば以前にブログで扱った上町の須賀(喜)家のケヤキです。私の知る範囲では巨木としては、この二本が横綱といえます。こちらは子供の頃、父と庭園内に入らせていただき、根元の太さに驚いた記憶があります。

480  この写真では、遠方にかたまってる樹木は浅間山(せんげんやま)古墳です。これはたくさんの樹木の集合体です。

 皆さんこの写真の真ん中あたりを見てください。実は私の家の巨木(?)が写ってます。細く背のひょろっとした杉です。山小屋風の屋根が私の家で、ここからブログを発信してます。 この写真と一番上の写真は倉賀野駅前のマンション最上階から撮影しました。倉賀野の輪郭が分かって楽しいです。

 反対に私の家の窓からマンションと巨大ケヤキを撮影したのが次の写真で、手前がその杉の木です。

481  ところで、私は動・植物が好きで、レース鳩と花木を毎日世話してます。私たち人間がいつまでも健康で若々しく生きるには、案外、動植物からヒントを得ることもポイントかもしれないです。当舎のシンクロ鳩は17才で認知症はなく、すべて若鳩と同じに行動し、毎朝、倉賀野の大空を旋回してます。

 今回、真下先生宅の巨大ケヤキを見学し、この樹木の推定300年という長寿の原因について、幹が予想外に若々しく、葉は数億枚でしょう。そばで見ると若さが漲ってます。私たち人間も長寿のためには【いつまでも若々しく振る舞うことがポイント】かもしれない。 

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2011年8月 8日 (月)

今日は立秋・日照時間が夏至から51分も縮まる

P1020579  例年より雷雲が多く感じられる今年の夏も今日で立秋です。蝉は盛んに啼いてますが、そろそろ夕刻に虫の音が聞こえる季節でしょう。私の記憶では虫の音は例年8月19日ごろ気が付きますが、 群馬県・倉賀野町では何日から啼くか、今年は注意したいと思います。

 いろいろに関心ある私でも、最も興味深いことは宇宙に関することです。その中でもスピードある地球の動きは不思議でたまりません。

 地軸が23度26分21秒45傾き【北回帰線と南回帰線の緯度と同じ】、1年が365日5時間48分45秒、自転周期が23時間56分4秒、太陽までの平均距離が約1億5000万kmという基本事項を踏まえ、拙い計算では、地球は毎秒約29kmの速さで公転軌道上を進んでます。

 それは自転をしながらで、自転速度は赤道で毎速463mほど、北緯36度20分付近の群馬県中心部では秒速300メートルほどと考えられます。

 私たちは停止することない宇宙船「地球号」に乗って、前述の通り【秒速約29キロメートルという凄い速さで】、9億キロメートルほどの公転軌道上を楕円を描きながら、北極星側から見て反時計回りに回ってます。

 地球に乗ってる私たちの人生とは希望を持ったり、悲観したり、喜んだり、何かに夢中になったり、人を好きになったり、戦ったり、四苦八苦したりしているのです。

 地軸の傾きという優れものは、日本など中緯度帯に四季を与えたり、一方、両極地では半年間が昼間、半年間が夜となり、世界では干ばつ、時には豪雨に晒されながら苦しい生活が余儀なくされてます。

 ところで、本題ですが、群馬県では夏至の日出が4時26分で、日の入は19時05分です。立秋である本日の日出は4時55分で、日の入は18時43分です。

 このため日照時間は夏至に比べて、すでに51分短くなってます。これは太陽黄経が夏至の90度から立秋の135度に変化したためで、夏至以来、地球はずいぶん公転したことになり、それは1年に進む距離の8分の1です。地球はこれから第3コーナーに差し掛かり、46日かけて秋分をめざします。

 皆さんは、1周約9億kmの公転軌道上を、まだ何十周も回れるでしょう。私は密かに後30周を狙ってます。しかし、認知症を未然に防いだり、健康維持は並大抵のことではありません。これからも皆さんから刺激を受け、頭と体を鍛えます。

 夏至から立秋にかけては、著しい樹木の成長が確認できます。高温多雨が植物の成長を促進するのでしょう。我家の杉はご覧の通りで、一般家庭の樹木としては高過ぎてきました。杉の背景を成す空はもう秋の気配です。

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2011年8月 4日 (木)

レース鳩の天敵・・・・それは恐怖の猛禽類

 私は掲示板を通じて、北海道のデカ橋鳩舎やコロスケ鳩舎の書込みによりレース鳩管理について日々拝読してます。文明の利器であるインターネットのお陰で最新情報を得たり、勉強になり、これらの方々に未だお目にかかったことがなくても、あたかも以前からの友人のように親しくネット上で交流をさせていただいてます。

 一昔前、こんな便利なことはあり得なかったです。このため、将来身を固めることができた暁【?】には、ぜひAudi TT Quattro黄色とともに新日本海フェリーに乗船し、北海道の大地を走り、お二人や彼らを取り巻く鳩友たちとレース鳩談義をする夢を持ってます。

 未だ、北海道へ行ったことのない私は、もちろん、北海道の地酒にお目にかかったこともなく、北の大地で初めてお目にかかる鳩友と語り合うお酒ほど充実することはないでしょう。ましてや、コロスケさんの「雪ぼうず」という美味しいお豆腐を味わえたら最高です。

 今からお酒が強くなる訓練をしておかなければなりません。そうだ、北海道の酒豪に太刀打ちできるよう、今夜も群馬・高崎駅前「どんどん」へ鍛えに行こう。

 ところで、前述のデカ橋鳩舎の掲示板では若鳩の舎外訓練が本格的に始まってると述べられていますが、タイトルが示す如く、レース鳩自身にとって天敵であるハヤブサや鷹が出没し、気が気でないことと察してます。

Photo 【出典sambirds.exblog.jp】

 鳩は恐怖に陥り舎外どころではないでしょう。気持ち良くぐんぐん飛ぶどころではない筈です。

 これら猛禽類は木の実や植物を餌とせず、生きた小動物の血肉を常食とする極めてどう猛な鳥類です。餌になる小動物にとって、これ程の恐怖はありません。

 特にレース鳩は空中で狙われ捕らわれる宿命で、捕獲されれば爪が食い込み即死状態です。このため鳩は猛禽類を発見するや否や本能的に仲間に危険信号を発し、表情は緊張の極みとなり、武器を持たない鳩はパニックとなり、追われたら逃げるしかありません。下方へ逃げると猛禽類にとっては捕獲しやすくなります。樹木の中へ逃げれば枝などに衝突し大怪我です。

 一方、上の写真のようにレース鳩が舎外で集団で飛翔するのは、固まって飛べば自分が捕らわれる確率が低くなることを本能として知ってると考えられ、これは何万年も前の先祖から浸み込んでる習性なのでしょう。こんなことから集団からはみ出た鳩は真っ先に狙われるし、猛禽は体調が悪い鳩を見抜いたり、太り気味で動きの鈍そうな鳩をも判断し、狙いを定めると、それを徹底して追跡し、他の鳩には目をくれないようです。

  映画ザ・サンドオブミュージックの舞台のようで一見平和に見えるこのような訓練地でも、山の樹木の中から狙われます。放鳩後、特に方向が定まらずひらひらしているときで、朝日に輝いて主翼の下がきらきらしてると猛禽は遠方からでも獲物の存在を確認しやすいでしょう。

 30年ほど前は鷹の心配はあまりなかったですが、近年は訓練でも、レースでも遭遇します。一度、赤城山から個人訓練した時のことです。放したら怖いものが集団目がけて近づき始めました。1羽が狙われました。その鳩は真っ逆さまに下方へ逃げましたが、鷹は体重を使い、キーンと金切り音を立てて真っ逆さまに追いかけ、両方とも藪に消えました。

 距離は30Kと近いのに2羽ほど帰還しませんでした。この光景は未だ目に焼き付いて消えません。その日は何をしても気が重く、放鳩地を間違え鳩に申し訳なかったと1日中、悔み続けました。

 それにしても、なぜこんなに猛禽類が増えたのでしょう。私は大きな原因が必ずあると考えてます。

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2011年8月 1日 (月)

あたかも枝垂れサルスベリのような雰囲気

  468   幹側に入ると大きなテントの中にいるようです。写真をクリックしてください。枝の周囲は8mほどに成長し、幹の太さが追いつけず、やっと全体の枝を支えている感じで、大風や豪雨で幹が折れてしまうのではないかと心配する程です。

 先日の豪雨では葉や花に水がたくさんつき、目方が重くて支え切れるか不安になりました。今後、晴れれば解消されるでしょう。

 大きく成長した原因が写真のようにクレーター型の水溜りです。朝晩2回水を張ってます。以前に書きましたように、この中に鶏糞が入ってます。鶏糞は値段が安く即効性があり、殆どの樹木の成長に効くようです。

 今年は日本シャクナゲにも同様の方法で鶏糞を施したら、すごく成長し、すでに来春の花芽が大きくなってます。平地における一般家庭の日本シャクナゲとしてはかなり大きくなり、もしかして天然記念物【?】になりそうな気配です。

 ところで、1年10ヶ月前に購入したサルスベリは庭に入ってすぐのところに植えたので、夏から9月下旬まで咲き、駐車場を覆い、来訪する方々を迎えるかの如く咲き続けることでしょう。

 黄色のアウディーTTと紅いサルスベリも結構マッチしてますね。バランス良く後方に聳える杉の木は高さ10メートルほどになり、倉賀野町でも杉の木としては高い方になりました。今は亡き両親が関西の由緒ある神社でご神木として購入したもので大切に育てるように言い残しました。しかし、年々、背は高くなるし梢を詰めるには高過ぎて届かず、実は悩んでます。専門家に相談して良い知恵を拝借するつもりです。

 サルスベリの下には「びっくり草」が咲いてます。文字通り、急に芽を出し急に咲き出しました。

 サルスベリは植える場所が良かったと思っています。大な枝ぶりは広い木陰ができます。この下でビールもいいでしょう。しかし、一人ではもったいなく、話し相手がほしいです。

 サルスベリは、いくら背が高くなってもいいので今後も樹勢を強くし、花数を増やしたいと思います。百日紅は花の少ない夏季、人の心に潤いを与えくれてます。

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